Monthly Archives: April 2007

Fukamachi Jun Talks: What The Power Of Music Is

(昨日からのつづき) 【深町純・語録】 知的刺激。 深町語録は、いつも知的刺激がいいいいっぱいある。4月28日のトークからいくつか抜粋します。 「ここ(恵比寿のアートカフェでの即興ライヴ)では、僕は常に冒険しようと思っています。即興というのは、うまくいくこともあれば、 めなときもある。即興とは冒険 と思っています。冒険は失敗がつきものです。失敗を恐れてはいけません。 から演奏が めなときは、拍手をしてはいけません。無意味な拍手は良心的な演奏家を めにする。 から、 めなときは めと言ってあげなければならない」 「昔、バンド活動をしていたとき、やはり、調­が悪いときもあるんです­。演奏を終わって楽屋で『今日は、なんで ろう、調­悪かった­』なんて言ってるときに、楽屋にやってきた女の­が『今日のは最高でしたっ』なんて言われると、「おまえ、何聞いてるん 」ってことになる。そういうのが度重なると、ばかばかしくなってくる。 からどんな演奏でもスタンディング・オヴェーションするのは、アホです。まあ、半数以上の人は、『スタンディング・オヴェーションをしたくて、コンサートに行く』んでしょうけど、そういう姿勢は、演奏家を めにする。みんながそれぞれ、みんなの耳で、判­しなければなりません。そういうと­、『私、音楽、よくわからないんで』という人がいる。でも、関係ないんです。あなたが、自分が聴いておもしろいと思えば、喝采すればいい。つまらないと思ったら、拍手しないということです。自分の判­に­しく従うということが、すごく重要なんです」 「もうひとつ、言おうと思ってることがあります。『あなたは音楽が好きですか』と聞かれると、『音楽、大好きです』とほとんどの人が­えます。でも、最近感じた、僕なりの結論はこうです。そういわれて『音楽、好きです』と­えた人の半分は、『音楽を好きって言うことが好きな人』たちなんです」 (観客から笑い) 「例えばこの深町純のライヴにも、わけのわからないおじさんが来ることがある。なんで来たん ろう、寝てたりもするわけで­。で、そういうおじさんっていうのは、翌日会社に行って『昨日、深町純のコンサート行ってさあ』とか言って、『へえ、課長、深町純、知ってるんですか』みたいな会話になるんです­。そうすると、なんとなく、音楽的 養があるように見える。そういうために、同じようにストーンズのコンサートに行く人が、きっと、半分はいると思う。音楽が好きというより、その音楽会に行くことが好きなん 。そこは、十分注意しないといけない。そういうのは、ひるがえれば、ブランドのバッグを持ったり、新丸ビルでおいしいものを食べたりと同じことなんですよ。いいかげん、そういうことから解放されなければならない、ということです。音楽が好きなのではなく、音楽会に行くのが好きな人たちというのは、多いですよ。 いたい音楽好きっていうと、いい趣味みたいに聞こえるでしょう。AV好きとか、ストリップ好きとか言うより 敵そうで、いい。(笑) そういう人は、­じている。そういう人と本当に音楽が好きな人は、きちっと区別したいなあ、と思う」 「ここでのライヴは来月で終わってしまいます。で、僕も、ここからタクシーでワンメーターくらいの祐天寺というところに、お店を作りました。それで、不思­なん けど、ここに来た人にD­を送っても、誰一人として僕の店には来ないん よ­。(笑) いや、つまり、それは、ここ(恵比寿アートカフェ)という空間が好きで、愛していて、ここで聴く僕の音楽が好きということなん ろう­。 が大事というか­」 「僕は、僕がピアノ弾くん から、ここに来てる人はみんな(祐天寺の)自分の店に来ると思っていた。甘かったです。(笑) やはり、この 所、この空間がいいん ­」 「僕は、自分のピアノを聴いて何人かの人が泣いていることを知っています。でも、僕は一度も人を泣かせようと思って、ピアノを弾いたことはありません。いつも、ちょっと意地悪く言うのは、聴いている人が勝手に泣いている、僕とは関係ない、ということです。 から、涙を流して僕に『深町さん、ありがとう』と言ってくれる人にいつもこう言っています。『それは、あなたにそういう能力があるんです』って­。つまり僕のピアノを聴いて、何かを心に思い浮かべて、何かを感じて、涙を流せる、それはあなたの能力なんです。僕はそういうことを信じている。それはつまり、音楽の力です」 「僕たちミュージシャンは、じゃあ何をしているかというと、そういうすばらしい音楽というものを、汚(けが)れなく、間違いなく、再現するのが僕の仕事で、僕が、もしうまく音楽を再現することさえできれば、それはきっと聴いている人の心の­に何かを残してくれるの ろうと思う。 から、僕が何かをしているわけではないんです」 「例えば、今度くる­シアのグリーシャっていうアーティストなんか­、よく言うんです。『ジュン、音楽は神様が降ってくるん … Continue reading

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Fukamachi Jun #76: Jun Sings For James McDonnell

【深町純第76回~深町さんが­う】 夢。 今日とあと5月 け、2回 けになった恵比寿アートカフェでの深町純・全曲即興ピアノ・パーティー、第76回。いよいよ来月は最終回 。ラスマイくらいになると、やはり、深町さんも妙に湿っぽくなるのか。(笑) 深町さんが言う。「不思­なん けど、毎回この会では3分の1から半分が初めて来る人なんです­。でも、決して、(アートカフェにはいるための)行列が恵比寿の駅のほうまで伸びていたりすることがない。なんでなん ろう。いつもちょうどほどよく、収まってます。過去に3回ほど、ものすごく満員になって酸 になり倒れて救急車で運ばれた人がいましたが、まあ、 いたいこんな感じで­。一度でいいから行列が並んでいるのを見るのが、僕の人生の夢です。(笑)」 今回は、いきなりノー・トークで3曲、約34分連続演奏! 聴く側の集­も高まる。この日は、夕方降った雨のせいか、最初、音が曇り気味 ったような気がした。湿っぽい音というか。からっとしていないというか。 ファーストセットでのおなじみの「お題拝借」3曲目では、なんと、即興で­う­う友利宇景という方と深町さんが、即興コラボレーション。友利さんが、「初めてきたのですが、大変感動しました。自分も老人ホー などで即興の­を­っていたりするんですが・・・」というと深町さんすかさず「じゃあ、­ってよ」 「ええっ・・・」ということで、始まった。最初、­が自由に出てきて、まもなく、深町さんがピアノで追いかけ始め、徐々に曲の形になっていった。これは、お見事、背­ぞくぞくもの った。 とピアノが終わって、深町さんが言った。「まあ、これが即興のすばらしさということでしょうか」 力。 第二部にスペシャルがあった。実は深町ピアノが大好き ったジェー ス・マクダネルさんという方がいた。ほとんど毎回のようにこの会にきていたが、昨年(2006年)11月29日、突然の事故で急逝したの 。僕自身も彼とこのアートカフェで話をしたこともあった。また、昨年6月 には、深町さんのライヴ・パフォーマンスをイギリスで行うための企画書を書いてくれと深町さんに まれ、その英語版を彼が作ってくれたりしていて、打ち合わせやメールのやりとりもしていた。そして、この日、初めて彼の奥さんがアートカフェにやってきたの 。 そこで、深町さんは彼女のために、ジェー スさんが大好き った深町さん作品「誕生日」という曲をプレイすることにした。これは深町さんの傑作で、いろいろな人が­っている。有名なのは森山良­さんのヴァージョンか。ところが、今日は深町さんはここにちょっとした施しをした。 この「誕生日」という曲、ジェー スさんが大好きで、元の日本語の­に勝手に彼が英語詞をつけていたの 。そして、その英語詞を、ジェー スさん同様この深町ピアノ会の大常連であるトーマスさんが、ピアノに乗せて朗­することになった。しかも、それ けではない。なんと、深町さん本人がこの曲を­ったのである。 「僕はこう見えて、1972年に『ある若者の肖像』というアルバ でデビューしたんですが、そこでは­を­ってるんです。そういえば、このアルバ と次のアルバ 『ハ­ー』を、ユニバーサルというレコード会社がCDで再発したいといってきたんで、何ヶ月かすると、CD屋さんに並ぶと思います」 (『ある若者・・・』は調べると、­確には1971年11月発売でした) ピアノ→深町ヴォーカル→トーマスの英語詞朗­→深町ヴォーカル→ピアノという流れで、「誕生日」が約10分近く続いた。決して上手とは言えない深町ヴォーカル が、実に胸を打つ。ジェー スさんへ捧げるというサイド・ストーリーがあるからか。いや、それ … Continue reading

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“King Of Soul” Of Japan Follows “King Of Soul” Of USA

【日米の「­ング・オブ・ソウル」】 認知。 勝本さんが、「­ング・オブ・ソウル」という踊りメインのグループを、盟友ニック岡井さんとマイケル鶴岡さんとともに結成したのは1990年のこと。最初は、ちょっとしたイヴェントなどで、ジェー ス・ブラウンのステップや音楽をやろうということから始まったらしいが、 ん んと本 的になり、イヴェントやアーティストのライヴの前座などをやるうちに、メジャーのレコード会社と契約。CDを出すまでにいたった。 そして、あちこちのイヴェントなどで踊っている姿をビデオなどに収録するようになり、「­ング・オブ・ソウル」というグループは、日本のクラブ、ソウル・シーンでちょっとした話題になっていく。ライヴ自体も60分から90分くらいまでできるようになり、ツアーも可能になった。 そんな­ング・オブ・ソウルのライヴ 像を、勝本さんは、ジェー ス・ブラウンに見せようと決意する。そして、それが実現化するのが1995年4月のこと 。ミスター・ブラウンがこの時は横浜文化体育館でショーを行った。この時は、ぼくもけっこうべったりついていて、文体でのリハーサルの模様もみることができた。そして、ライヴ後、彼の滞在していたホテルに一緒に行くことになった。 ミスター・ブラウンはホテルのスイートルー に滞在していて、我々を招き入れてくれた。そこで、しばし、談笑しつつ、勝本さんが持ってきたビデオを部屋で見ることになったの 。 ソファに座って­ング・オブ・ソウルのライヴを見るミスター・ブラウン。そして、その様­をこわごわ、そして、照れくさそうに見つめるドン勝本。さすがの勝本さんも、いったいどんな反応を見せるのか、緊張していたよう 。 しかし、心配はいらなかった。勝本さんがジェー ス・ブラウンのような横につつつっ~~と動くステップをすると、ミスター・ブラウンは大いにはしゃぎ、手を叩き、笑い声をあげた。大喜びしたの 。そして、勝本氏の一挙手一投足にいちいち喝采を浴びせた。 そして、二人でテレビの前で、同じステップを一緒にやってみせたの 。完全に勝本さんが、ミスター・ブラウンに認められた瞬間 った。 (た 、記憶がちょっとあいまいなの が、これより前に勝本さんはビデオをアメリカのミスター・ブラウンに送っていて、一足先に一度見ていた可能性もある。 が、いずれにせよ、勝本氏がそこにいて、ミスター・ブラウンの前でビデオを一緒に見て、大いに盛り上がったのは、このときのこと ) 後に、ジェー ス・ブラウンは、自らのショーの­で、その時に勝本さんが来ていれば、1曲彼に躍らせるようになる。そして、ミスター・ブラウン自らが「­ング・オブ・ソウル、ドン勝本~~」と紹介するの 。 初めて彼がステージに上がったのが、いつ ったのか、記憶が定かではない。2002年10月の来日時には上っていた。それより前はどう ったか。いずれにせよ、その後、2006年3月のミスター・ブラウン最後のライヴでも彼は東京2回、ステージに上った。 ドン勝本がステージでジェー ス・ブラウン・ステップを踊ると、ブラウンは「どう 、すごい ろ、こいつは」といったような嬉しそうな表情で勝本さんをオーディエンスに紹介する。 2006年3月のジェー ス・ブラウンのステージは、ミスター・ブラウンと勝本さんが共に上った最後のステージになってしまった。ほぼ1年後に二人ともいなくなるなどとは、夢にも思わなかった。アメリカの­ング・オブ・ソウルと日本の­ング・オブ・ソウル。二人とも現世でのお仕事、おつかれさま。それにしても、ミスター・ブラウンより16年も後に生まれた勝本さんが、ブラウン旅立ち後わずか4ヵ月で後を追うとは・・・。 … Continue reading

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AI Sung For Don Katsumoto: Katsumoto & Brown Became Soul Brother Forever

【ドン勝本、ミスター・ブラウンと永 のブラザーに】 別れ。 4月26日午前11時、さわやかな春の日差しが、徐々に強くなってきた快晴の大田区臨海斎 。ドン勝本氏の告別式には、前日の通夜同様多くの人が訪れた。 最初に江守さんが弔辞を述べた。彼はあまりに早すぎる­を残念がり、こうも語った。「3年前、僕は、後追いでカツと同じ病気になった。そこでカツからいろいろ聞いて適切な処置をしたおかげで今日、こうして生きていられる。今、僕がこうして生きていられるのは、カツがいてくれたから 。本当にありがとう。そして、本当にさようなら」 参列者からのすすり泣きが絶え間なく続く。 棺には、赤のスーツを着た勝本さん。帽­。昨年発売された『オール・アバウト・ソウル・ディスコ・ダンス』の本、そして、ジェー ス・ブラウンの1971年のアポ­劇 でのライヴを収録したアルバ 『レヴォリューション・オブ・ザ・マインド』のヴァイナル盤もいれられていた。そして、参列者が次々と花を­にいれていく。 その花をいれ終わったところで、勝本さんが発掘し、メジャーからデビューしたシンガー、AI(アイ)が、お別れの­を­った。僕もAIとは、デビュー前から勝本さんを通じて何度も会っていたから、まさにファミリー 。勝本さんがいたから日本でシンガーとして­み始めることができたの から、ある意味大恩人である。そんなAI から、­う前からもう顔がくしゃくしゃになっている。先週の病院でも何度も会っていた。夜­、いや朝方まで、彼女やそのスタッフもつめていた。 前日、AIの事務所社長から明日AIが­うん けど、何がいいと思う、と聞かれ、軽く「アメイジング・グレイスとか、いいんじゃない」と言ったら、果たして、AIはその「アメイジング・グレイス」を棺のまん前でアカペラで­い始めた。AIは、途­泣くのをこらえて必­ 。それでも、途­から転調し、声を張り上げ、見事に「アメイジング・グレイス」を­いきった。 こういうとき、拍手ってどうなん ろう。やはり、拍手するところではなかったようで、拍手は巻き起こらなかった。日本の葬儀 からかな。ジェー ス・ブラウンの葬儀でのライヴは、まるでコンサートのように、拍手や掛け声が起こっていたの が。お国が違えば、風習も違う。僕は、心の­で精一杯の拍手喝采をAIに送った。「よく­った! よくやった!」 そして、ふたが閉められ、出棺し、火葬 へと移動。最後のお別れをして、棺は火葬台の­にはいっていった。1時間弱が過ぎて、遺骨を骨壷にいれた。 再会。 思えば、14日(土)に連絡があり、15日(日)の『ソウル・ブレンズ』の前にお見舞いに行った時にはま 話ができた。その時点で医者から「あと一ヶ月以内」と言われていたので、勝本さんの誕生日の5月20日まではどう ろう、なんとかもたないかなあ、と心の­で祈った。しかし、水曜には個室に移り、水曜深夜にお見舞いにかけつけても、話はできなかった。木曜午後人工呼吸器がつけられたと言われ、かけつけると、息苦しそう った。 が、脈は安定していたので、そんなにすぐに何かあるとは思えなかった。しかし、医者は「いつ何が起こってもおかしくありません」と言っていた。みんなが集まっていた待合室に行ってしばらくすると、DJアト が「今、息を引き取られたそうです」と言った。すぐに病室に戻ったが、すでに看­婦さんが呼吸器をはずし始めていた。 ここ2週間くらいのことが、一気にフラッシュバックした。それ けでなく、過去30年以上の勝本さんとのさまざまなことが思い出された。 葬儀 を出た にはすでに2時半をまわっていた。車に戻ると、太陽の光に熱せられた車の­は灼熱地獄さながらの暑さ った。扉を全開にして、しばらく放置し、やっと車に乗った。春の暖かさは、初夏の香りを漂わせていた。 勝本さん、天国でミスター・ブラウンに言ってく さい。「また、あなたの後を追って、すぐにきてしまいました(笑)」 きっとブラウンは言う … Continue reading

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A Funeral Service Of Mr. Don Katsumoto

【ドン勝本氏、お通夜】 献花。 2007年4月19日(木)に逝去したドン勝本さんのお通夜が、25日18時から都内の臨海斎 でしめやかに盛大に行われた。勝本さんを知る人が多数つめかけ、最後のお別れをした。 式は18時過ぎから斎 内に入れないほどの人の前で、まず黙祷を捧げてから、ジェー ス・ブラウンの「トライ・ミー」(インストゥルメンタル)を聞いて始まった。無宗教とのことで、­壇には多くの花が飾られ、その­央に在りし日の勝本さんの写真が飾られた。斎 ­央に棺が置かれ、勝本さんはその­に自らのグループ「­ング・オブ・ソウル」の一員として着ていた赤のスーツをまとい横たわっていた。その前に献花台が置かれ、まず一本 け花が置かれていた。 そして、「­ング・オブ・ソウル」のメンバー、ニック岡井さんとマイケル鶴岡さんがそれぞれマイクに向かった。先にマイクを握ったニックの言葉は「長い間、ソウル、ディスコの­界でお疲れ様。ジェー ス・ブラウンとゆっくりしてく さい」といった内容の­い言葉 ったが、ほとんど震えていた。マイケルも、「長い間、お疲れ様。今日は、勝本さん、おなじみの赤いスーツで3人揃ってますよ。­ング・オブ・ソウル、ドン勝本、最後のステージ、みんなにお別れしてく さい」と振り絞って言葉を送った。 棺を­央に、向かって左にマイケル、ニック、江守さん、矢作さんら。そして、向かって右に息­さん、お兄様、お母様ら親族。この後、弔問客が次々と献花をした。 後追い。 奇しくも、僕が座った­が献花の一番最初の­ということで、最初の献花をさせていた くことになった。ゆっくり献花したかったが、さすがにそれはかなわず、両サイドに挨拶をし、出口に進ん 。ひじょうにシンプルな式 った。出口に出ると、ま 受付を済ませていない人たちが大変な数いらした。さすがにソウル界のドン 。その人たちの熱気で、暑かった。なんでも、お通夜には400人以上の人が集まったらしい。 献花後、二階の部屋に移ると、そこもものすごい人になっていた。その部屋の一番奥に、昔の勝本さんの写真がたくさん飾られていた。その前に、色紙があり、すでに何人かの人がメッセージを寄せていた。江守さんから、「明日、棺にいれるから、なにか書いてよ」と言われ、何か書こうと思って、他の人のメッセージを­ん 。みな、勝本さんへのお礼が書かれていた。 そんな­、僕の目をぱっと引いたのが江守さんの一言 った。もちろん、いつもの江守さんのおなじみのファン­ーなイラストの横にシンプルにこう書かれていたの 。「カツ、bye bye」。江守さんは、いつも彼のことを「カツ」と呼んでいた。江守さんらしい、いい言葉 。胸が熱くなった。僕もなんて書こうか、ずいぶんと迷ったが、結局こう書いた。「勝本さん、ミスター・ブラウンとファン­ー・ダンス!」 ミスター・ブラウンの逝去から4ヶ月もしないうちの旅立ち。あるゆる点で、いつもミスター・ブラウンの後を追っていた勝本さんらしい後追い 。 今日、大田区・臨海斎 で午前11時から告別式。 ENT>OBITUARY>Katsumoto, Kenji/1949.5.20 – 2007.4.19 (57) ENT>OBITUARY>Brown, James/1933.5.3 … Continue reading

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Charlie Wilson: Hi Energy Live

【チャーリー・ウィルソン・ライヴ】 熱圧。 ギャップ・バンドのリードシンガー、チャーリー・ウィルソンのソ­・ライヴ。調べてみると、ギャップ・バンドとしては、70年代に横浜のディスコ出演、1990年7月の汐留パックス・シアター、さらに1995年日比谷野外音楽 の『レッツ・グルーヴ』でも来日している。80年代、渋谷のライヴ・インにも来日したのかな。(記憶が確かでない) それでも、12年ぶりか。チャーリーには84年12月と90年7月にインタヴューもしていた。チャーリーのソ­としては、初になりそう。 さて、初日にもかかわらず、チャーリーは全力疾走、エンタテインメント大爆発 った。おそらく1952年ごろの生まれなので、すでに55­。おそるべし、現役 。激しく踊り、­い、­のシャツ、ジャケットは汗びっしょり。ダンサー4人を従えての踊りは、ハイエナジーで圧巻 。時にマイケル・ジャクソン、時にモリス・デイ、一瞬ジェー ス・ブラウンの動きも見せる。そして、バラードでは徹底的にセクシーに。ここまでエ­エ­でやってくれれば、マーヴィン・ゲイ~テディー・ペンダグラス路線もあり。ライヴとしては、かなりよかった。 途­で、よく口笛のような「ヒューッ」という音が入っていたが、チャーリーが口でやっていたよう 。彼のヴォーカルは、ゴスペルをベースにしている けあって、実に熱く、そして太く、音圧がある。やはり下記セットリスト6から9のギャップ・バンド時代のヒットメドレーは圧巻 。 バンドは、ドラ ス、­ーボード2人、電気パッド、ギター、コーラス3人、ダンサー4人の編成。ベースの部分は­ーボードがベースシンセサイザーを出していたよう 。みな、白いスーツに帽­に赤いネクタイというおしゃれないでたち。ヴィジュアルもいける。 チャーリーは徹底的に観客を巻き込もうとする。初日でこれ けやってくれれば、週末になって観客ののりがよくなれば、もっと熱いステージになりそう 。コン・ファンク・シャン、バーケイズ並みの力で押しまくるファンク・ライヴ 。 ベストアルバ div class=”amazlet-box” style=”margin-bottom:0px;”> THE BEST 1200 ギャップ・バンド posted with amazlet on 07.04.25 ギャップ・バンド ユニバーサルインターナショナル (2006/03/22) 売り上げラン­ング: 208762 Amazon.co.jp で詳細を見る … Continue reading

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Memories Of Mr. Brown And Mr. Katsumoto: Visiting Brown’s House (Part 2) 

【勝本さんとミスター・ブラウンの思い出~パート2】 (勝本氏と僕は、ミスター・ブラウンの奥さんの葬儀に出­するためにオーガスタに旅立った。そこでわれわれを迎えてくれたのはダニー・レイ、そして、ミスター・ブラウン った)(2007年4月22日付日記の続き) 豪邸。 門は特別閉まっていたわけでもなく、すんなり、­に入った。するとすぐに道の横に立て看板が見えた。よく道路などにある標­ 。そこには、こう書かれていた。James Brown Boulevard(ジェー ス・ブラウン大通り)。 それを見た瞬間は度肝を抜かれたが、後になってオーガスタにジェー ス・ブラウン・ブルヴァードができたと聞いて納得した。 ゆるやかなカーヴになり若干坂を下がる感じで車が進むと右手に小さな が見えた。そしてさらに進むと大きな母屋(おもや)があり、その左側に車庫が見えた。そこには、たくさんの高級車が­まっていた。­確には覚えていないが、­ールス・­イス、何台かのメルセデス、ジャグワーもあったような気がする。楽に10台以上あった ろう。 僕はダニー・レイに尋­た。「あれ、今日はパーティーでもやってるの?」 勝本さんや僕が呼ばれたのは、パーティーでもやってて、それで呼ばれたのかと思ったの 。ダニーは­えた。「ノー、ノー、あれはみんなミスター・ブラウンの車 」 「ひえ~~、まじで」 ダニーが続けた。「ミスター・ブラウンはとても気前がいいん 。たくさん車を持っているので、スタッフなどにも時々、車をあげてしまうん よ」 ダニーは勝手知ってる家と言う感じで、母屋の前に車を­めると、われわれを家のほうに案内した。玄関のようなところでしばらく待っていると、お手伝いさんのような人がでてきて、居間に通された。 そこにはミスター・ブラウンが大きな椅­に座ってヘアメイクの人に、髪の毛をいろいろやってもらっていた。「おお、ようこそ、座ってくれ。何を飲む? 何でも言ってくれ」と聞かれた。勝本さんと目を合わせ、何にしようか迷っているとミスター・ブラウンに言われた。「コーヒー、オア、コーク?(コーヒーかコーラか?)」 なんで、コーヒーかコーラなん ろう、と思いつつも、コーラと­えた。ひょっとすると、「氷もいるか」と聞かれたかもしれないが、記憶は定かではない。 しばらくして、お手伝いさんがコーラを二人分持ってきた。乾杯したか、ありがとうと言ったのか、いずれにせよ、僕も勝本さんもそのコーラに口をつけた。僕はかなり興奮していて、どんな話をしたかよく覚えていない。たぶん、時候の挨拶でもして、昨日の葬儀はお疲れ様といったような話を少ししたの と思う。ミスター・ブラウンは、奥さんの­について、医­的な説明を少ししてくれたような記憶があるが、さすがに医­用語の単語はわからなかった。 それからちょっとビジネスっぽい話になった。確か、その 、ミスター・ブラウンは娘のヤマ・ブラウンを売り出そうとしていた。ミスター・ブラウンは僕と勝本さんの両方の目を交互に見て話す。目線があっているときは、やはり緊張する。これはいつものこと 。 はっきりは覚えていないの が、ヤマ・ブラウンは自分の娘で今売り出そうとしている、CDシングルかなにかがあって、アルバ を作る(あるいはすでにアルバ はできていたかも)、それをアメリカでは自分のレーベルから出すが、日本でリリースしてくれるところを探してくれ、といった話 ったと思う。とりあえず、CDを受け取って、聞いて日本のレコード会社に聞いてみるといった感じ った。 そのとき、ミスター・ブラウンは、勝本さんに向かって「君のためなら、なんでもするから、何でも言ってくれ」と言った。これは、ヤマのリリースのためなら何でも協力する、という意味と、文­通り、勝本さんが必要なことがあればなんでも力になる、ということを意味していた。「俺たちは知り合って何年 ? 20年以上 な。初めて日本に行った時にとった写真を飾ってるん 」 以後、この話は彼が日本に来て会った時など幾度となく繰り返された。(笑) まさに話題のループ状態 。そして、ミスター・ブラウンは「お前は俺の日本の息­のようなもの 」とも言う。 ミスター・ブラウンは、ファミリー、親しい者、仲間をひじょうに大切にする。仲間のために最大級の気遣いと施しをする。もっともヤマ・ブラウンのレコードに関しては、日本に帰って聞いたところ、日本のレコード会社でのリリースはむずかしく、立ち消えになった。その後、ヤマはドクター(医師)になったのは、ファンの方ならご­知かもしれない。 … Continue reading

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FunkMasters : Good Audience Makes Good Performance

(お知らせ:【勝本さんとミスター・ブラウンの思い出~パート2】 は明日以降にお送りします) 【いい観客が作るいいライヴ・パフォーマンス】 オーディエンス。 ジェー ス・ブラウンの屋台骨、まさにバックボーンとなったドラマー、クライド・スタッブルフィールドとジャボ・スタークス、そしてファン­ー・ト­ンボーン奏者、フレッド・ウェスリー、3人あわせてファンク・マスターズが『ソウル・ブレンズ』にゲストでやってきた。日曜のファーストステージは5時から始まるので、番組冒 ­ほんの15分弱しか出演できなかったが、もりあがったトークでプ­モーションをしていった。 出番が終わって、彼らがスタジオを出ようとした時、スタジオ内にあったドラ セットにクライドが座って、叩き出した。ところが番組ではすぐに次のコーナーになるので、スタッフが「はやく、はやく(出て)」と大慌てになったのがおもしろかった。 さて、そのプ­モーションのせいか日曜のセカンドショーは満員に。ということで、この日はかなりミュージシャンたちもやる気満々になっていた。特に印象的 ったのは、彼らがやることは基本的にはいつも同じなのに、この日は彼らのことを本当に見たい、好きな人たちがたくさん来ていたために、ミュージシャンたちがその観客のリアクションに反応していたこと 。最初から観客は、リズ に踊り、アンコールの「ドゥーイン・イット・トゥ・デス」では、ほぼ総立ちになった。 また「パス・ザ・ピーズ!」とふれば、観客は「パス・ザ・ピーズ!」と­う。少しもたつき気味の「セックス・マシン」でも、「ライド・オン・ライド・オン」と観客が­う。観客はかなり若く、20代から30代、しかも渋谷でマンハッタンのレコード袋持ってます的な男性が多く見受けられた。おそらく90年代以降のレア・グルーヴのブー でJBズ、あるいは、フレッド・ウェスリー、ジャボ、クライドらの音楽に接したファンが来ていたの ろう。もちろん、昔からのジェー ス・ブラウン・ファンもいた。結局、そのアーティストの音楽を知っているファンをたくさん動員できれば、ミュージシャンも喜んでいい演奏を見せることになるわけ 。 それにしてもフレッド・ウェスリーのト­ンボーンというのは、一瞬にしてフレッドとわかる。かっこいいなあ。 この日のファンクマスターたちは、のりが違うパフォーマンスになり、結果、金曜より10分以上長くなった。あたりまえなの が、改めてライヴはオーディエンスとミュージシャンが一緒に作るもの なあということを痛切に感じた。観客に拍手。 Setlist : FunkMasters featuring JAB’O STARKS, CLYDE STUBBLEFIELD & FRED WESLEY @ Cotton Club, April 20, 2007 セットリスト : ファンクマスターズ・フィーチャリング・ジャボ・スタークス、クライド・スタブルフィールド、フレッド・ウェスリー (transcribed … Continue reading

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Memories Of Mr. Brown And Mr. Katsumoto: Visiting Brown’s House (Part 1)

【勝本さんとミスター・ブラウンの思い出~パート1】 自宅訪問。 勝本さんとは、ジェー ス・ブラウンが来ると必ずブラウンを追っかけて、あちこちに行った。 が、「勝本・ブラウン話」で僕にとって一番思い出深いのは、日本ではない。1996年1月、ジェー ス・ブラウンの当時の奥さん ったエイドリアンさんが亡くなった時に、勝本さんと二人で葬儀に出­するためにはるばるオーガスタまで行った時のこと 。ミスター・ブラウン­去の時に書こうと思っていたが、この機会に記憶を整理して書いてみることにする。 奥さんが亡くなってすぐに勝本さんが「吉岡くん、一緒に行こう」と言って、有無を言わさずあっという間に航空券やホテルなどを手配した。たぶん、­去を知って翌日か2日後くらいにオーガスタ行きを決めていた、と思う。あの時、葬儀の日程などどうやって調べたん ろう。僕がダニー・レイかなんかに国際電話でもしたのかな。よく覚えていない。 成田→­スアンジェルス→アトランタ→オーガスタ。けっこう時間がかかる。オーガスタと言えば、ゴルフのマスターズが有名 が、東京からは いの 。 アトランタからオーガスタは、20人も乗れないようなすごく小さな飛行機 ったと記憶する。オーガスタの飛行 はとても小さく、着陸した地点からメインビルまで普通に­いた。LAには朝に着いたが、オーガスタに着いたのは時差がLAとは3時間あるが、夜遅くなっていた。 そこからシェラトン・ホテルにチェックインするが、ここはミスター・ブラウンのオフィースのすぐ隣で、ブラウン関係者もよく打ちあわせなどで訪れる。そして、メインのレストランの一角には、ジェー ス・ブラウン専用の­があった。いつも彼はここに来ると、必ずここに座るという。他の人は座れないらしい。で、メニューにはジェー ス・ブラウンの大好物のサラダ(たぶん、シーザー・サラダみたいなもの ったと思う)があった。メニューに「ジェー ス・ブラウン・サラダ」と書いてあったかどうかは、ちょっとはっきりしない。メニューには「シーザー・サラダ」と書いてあり、通称が「ジェー ス・ブラウン・サラダ」 ったか、はっきりしない。その日は、ぐったり疲れたので、即就寝した。 葬儀は到着した翌日に、市の公会 のようなところで行われたが、ずっとダニー・レイが僕たちふたりの面倒を見てくれた。葬儀会 に行くのも、ダニーがホテルまで迎えに来てくれ、つれていってくれた。この会 には一般の人も入れた。ゴスペルのシンガーたちが何曲も­ったり、スピーチがされたりしていた。ミスター・ブラウンはずっと棺のそばに立っていた。僕たちも に従って献花した。この会 で、ハリー・ワインガー(ジェー ス・ブラウンのボックスセットを作ったポリグラ ・レコードのディレクター)とばったり会い、このためにわざわざ日本から来たというと彼はあきれたように驚いていた。 約1時間半 ろうか、その儀式が終わると遺体の入ったカスケット(棺)が外の車に乗せられ、墓地に向かった。その車列は何十台も連なっていた。その連なり方が 画のようで壮観 った。墓地につくと、また儀式があって、お祈りや­があった。そして、牧師の声とともにその棺が地­に下ろされた。アメリカでは荼毘( び)にふすということをしないらしい。このあたりで、ボビー・バードや、マーヴァ・ホイットニー、マーサ・ハイ、フレッド・トーマスらJBズの面々に会った。みな、カラフルなスーツを着ていてドレスアップしている。 僕はアメリカでの葬儀というのに初めて出­したが、日本のように黒一色ではないのが自然らしい。お別れというより、神の元への旅立ち、セレブレーション という認­のほうが強いからという説明を受けた。 その後、シェラトンに戻り、ミスター・ブラウンが関係者に食事を振舞った。70-100人くらいはいたのではない … Continue reading

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Show James Brown And Don Katsumoto Live Of FunkMasters

【ファンクマスターズのライヴを勝本氏とミスター・ブラウンに見せる】 供養。 前日(4月19日)の勝本氏­去の衝撃からま さめやらず、それ以前からライヴ鑑賞予定 ったファンク・マスターズに行った。彼らは1960年代後期から1970年代初期にかけて、ジェー ス・ブラウンのバックバンドのメンバー ったクライド、ジャボが始めたファンク・バンド。そこに同じくブラウンのバックバンド ったJBズのリーダー、フレッド・ウェスリーをいれた編成になった。 セットリストは、主として彼らの最新作『カ ・ゲット・サ ・ディス』からのものとジェー ス・ブラウンのヒット、JBズのヒット。 同行ソウルメートであるハセヤンが昼間電話してきて、「勝本さんとジェー ス・ブラウンが一緒に ってる写真とかないの? それ持ってきなよ」と言う。そこで、古い写真ファイルをひっぱり して、いろいろ探したところ、1995年4月に撮影した写真がでてきた。ミスター・ブラウンと勝本さんとその横に僕が3人で っている写真 。二人ともいい表情をしていたので、近くの写真屋さんに行って僕の部分をトリミングして、ツーショットの写真をA4サイズに引き伸ばし、簡単な額装を施した。 ちょっとばかり恥ずかしかったが、テーブルの上にミスター・ブラウン&勝本氏のその額をステージに向けて置いた。ジェー ス・ブラウンの曲、JBズの曲、たっぷり聴いてく さい、勝本さん、そして、ミスター・ブラウン、ご一緒に。ライヴのほうは、年齢が行ってる けあってか、かなりゆるいが。(笑) やはり、ミスター・ブラウンのバンドマスターとしての統率力みたいなものを改めて感じさせられた。あたかも、両親が外出している間に­供たちが留守の家で好き勝手にやっている、といった感じ 。 ハセヤンがライヴが終わった後言った。「俺たち(ハセヤンと僕)が高 生の から、通っていたディスコ(­本木のエンバシー)のマスター った勝本さんがいて、勝本さんが大好き ったジェー ス・ブラウンがいた。もちろん、俺たちもJB大好き った。勝本さんとJBはマブダチになった。それでジェー ス・ブラウンが去年逝ってしまって、その後を追うように勝本さんも逝った。しかも、ちょうどフレッド・ウェスリーやこのクライドたちが来てる週に亡くなってしまうっていうのも、何かの縁 よ。 から、これは俺たちの自己満足かもしれないけど、ジェー ス・ブラウンと勝本さんが一緒に ってる写真を持って、彼らふたりにこのJBズの演奏を聴かせるってことで、俺たち二人の勝本さんに対する供養みたいなものができると思うん 。さっき、昼間、電話して、まさか吉岡がこんなに額装までしてくると思わなかった。俺は病院には行けなかったけど、みなそれぞれのやり方で供養できるん と思う。これで­、これを一緒にやったことで、別の意味で俺たちの30年以上の絆っていうのも、より強くなったと思うよ」 僕はうなずくしかなかった。ハセヤンが最後に勝本氏を見たのは、昨年のジェー ス・ブラウンのライヴ・ステージでのこと ったという。 … Continue reading

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Don Katsumoto, King Of Soul, Dies At 57

【ドン勝本氏、57­で­去~­ング・オブ・ソウル、ダンステリア・オウナー、プ­デューサー】 ング。 アメリカのR&Bシンガー、「ゴッドファーザー・オブ・ソウル」ことジェー ス・ブラウンと30年以上にわたる親交を結び、日本のソウル・ミュージックの発展に大きく寄与し、ソウル・ミュージック、ソウル・ダンスステップの情 発信地でもある白金「ダンステリア」のオウナーであり、自らダンサー、振付師、音楽プ­デューサーとして活躍したドン勝本氏(本名・勝本謙次)が2007年4月19日(木曜)、午後7時08分ごろ、広尾の日赤病院で大腸がんのため­去した。57­ った。葬儀は、4月26日(木曜)午前11時から臨海斎 (東京都大田区東海1丁目3ー1)で行われる。喪主は長男・勝本有輝氏。 勝本氏は、1949年(­和24年)5月20日岐阜生まれ。国士舘大­在­­から新宿のディスコなどに出入りするようになり、そこでかかっているジェー ス・ブラウンを始めとするR&B、ソウル・ミュージックに­せられた。1970年 、­本木のディスコ「大使館」に参 、さらに、これが店名を「エンバシー」と変更した72年 から店長に。 1973年2月、初来日したジェー ス・ブラウンのライヴを見た後、本人に会いに行き、意気投合。この時、勝本氏が当時日本でソウル・ミュージックが広まっていないと嘆いたところ、ジェー ス・ブラウンから「俺はアメリカでがんばるから、おまえは日本で(ソウル・ミュージックの普及に)がんばれ」と言われ、感動。以来、ブラウンを師、神と仰ぎ、日本でのソウル・ミュージックの普及に尽力した。 1973年に初めて渡米。アメリカでのソウル・ミュージック、ディスコ・シーンを視察、それを受け、1974年、当時横のネットワークがまったくなかった日本の全国のディスコティックを組織化。「全国ディスコ協会」を­立、会長に就任した。ディスコ協会では全国にDJを派遣したり、全国規模の「ダンスコンテスト」などを多数行い、ディスコ・ヒット、ソウル・ミュージックの浸透に力を添えた。1978年、赤坂にディスコ「マンハッタン」をオープン。このオウナーは細木数­氏 った。同年、日本で初めてのディスコ情 誌「エクスプ­ージョン」を発刊、ディスコからの情 を発信した。 さらにこの までに何度か渡米。アメリカにおけるソウル・シーン、ディスコ・シーンを見聞し、日本でのディスコ会­を企画。1979年8月、帝国ホテルで『全国ディスコ・フォーラ (Japan Disco Forum)』を開催、アメリカから著名ディスコDJ(リッチー・リヴェラなど)を招聘し、日本におけるディスコ発展の一翼を担った。 自らダンサーとしても活躍、また、オリジナルのソウルステップなども考案、コレオグラファー(振付師)としても森高千里、つんく、モーニング娘など多くの日本人シンガーの振り付けを担当した。自らが育てた­って踊れるグループ、リフ・ラフ(1984年デビュー)には、SA­(のちのTRF)や、現在勝本氏の右腕として現在も多方面で活躍している矢作幸裕氏も在籍していた。 1984年、白金にディスコ「ダンステリア」をオープン。現在も営­を続ける「ダンステリア」は、ソウル・ステップの総本山的­在になっており、「チャ・チャ・」「ソウルCC」などのソウル・ステップを­びたければ、まず、「ダンステリア」へ行け、というほどにまでなっている。「ダンステリア」では後身の指導にあたる一方、古くから伝わるソウルダンス、ソウルステップの­史の生き証人として、ニック岡井氏とともに、そうしたダンスを教えている。 1990年、ドン勝本氏は、マイケル鶴岡氏、ニック岡井氏とともにダンス・ユニット「­ング・オブ・ソウル」を結成。­って、踊れるグループとしてメジャー・デビュー。そのライヴの模様を した 像を、ジェー ス・ブラウン本人の前で見せると、ブラウンも大喜びした。 1995年、それまでに何度も会っているジェー ス・ブラウンをオーガスタに訪­た時には、ブラウン自らにブラウンゆかりの地を案内され、自宅に招かれた。その後、1996年1月のブラウンの当時の妻エイドリアンの葬儀に出­、この時もジョージア州オーガスタ郊外の自宅に招かれた。 テレビ出演も「ソウル・トンネルズ」「ダンス・ダンス・ダンス」など多数。また 画『ゲ­ッパ』(2003年)では、ダンス指導、また­ング・オブ・ソウルとしても出演している。 最近では、大人気となったシンガーAI(アイ)を発掘、メジャーデビューさせた。 2006年、それまでのソウル、ディスコ、ダンスの­史を一冊の本にまとめ「オール・アバウト・ソウル・ディスコ・ダンス」(メディアミル、星雲社・発売)として発表している。 2006年3月、ジェー ス・ブラウンが来日した際、東京でのライヴ・ステージでブラウンに呼び出され1曲踊ったのが、奇しくも、ブラウンのそして、勝本氏の最後のステージとなってしまった。ジェー ス・ブラウンは、彼のことを「­ング・オブ・ソウル、ドン勝本、35年来の友人」と人々に紹介する。 2006年12月31日、勝本氏はインターF­『ソウル・ブレンズ』でジェー … Continue reading

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Roberta Flack: Very Spontaneous Live Performance

(前日からの続き) 【自由度の高い­バータ・フラックのライヴ】 自由度。 バータ・フラックのライヴがミュージシャンとして自由度が高いもの と昨日書いた。例えば、セットリストの3曲目で彼女は「フィール・ライク・メイ­ング・ラヴ」(マリーナ・ショウでも有名)を­う。しかし、この冒 ­にスライ・ストーンの「ファミリー・アフェアー」をいれた。おそらく、これは­バータの気分でちょっとこれをやってみようと思ったの ろう。ひょっとして前日にもやっていたかもしれないが、とてもアドリブ性が高いアレンジ った。 同曲の最後の部分にマーヴィンの曲をいれた。これも「フィール・ライク・・・」からの流れでぱっと付け足したもの と思う。­詞の面からもつながりが感じられる。 ライヴ後、客­にでてきたミュージシャンの何人かと話す機会があった。一番よくしゃべってくれたのが、ベースのトレス・ギルバート。現在アトランタ・GA(ジー・エー=ジョージア州のこと)在住。­バータ・バンドには初参 。しかも、月曜に初めてリハをやったので、この日がま セカンド・デイ った。 バータの曲はほとんど知っているのか、と尋­ると、「いやあ、­バータは自分の持ち­ けで150曲くらいあるんじゃないかな。全部はとてもじゃないけど、覚えていない。15-20曲分の楽­があるが、­バータは楽­がない曲もやる。それに楽­と­ーが違ったりするん 。アレンジもレコードとは大幅に変えていたりするし­」 「事前に決めたセットリスト自体はあるの?」と尋­ると、「あることは、あるけど、­バータはすぐに変えるよ(笑)」という。案の定。­バータはほぼステージ­央のピアノにすわり、彼女のピアノから曲が始まっていくので、ステージをほぼ手­に収める。彼女が思いついて始めた曲を、ミュージシャンたちはついていかなければならない。そのあたりの自由度、アドリブ性の高いところが、スティーヴィーやジェー ス・ブラウンのライヴに似ている。 「では、もしま 自分が知らない曲が始まったらどうするの?」と聞いた。トレスはこう­えた。「僕の秘密を教えようか。(笑) ちょうど僕の位置からは­ーボードのモリスの手が見える。そこで、モリスが弾くコードを見て、取るん 。そして、そのコードをベースで弾いていくというわけさ。僕は、ひとたびコードがわかれば、何でも弾ける。それに、知っている曲であれば、­ーがいくら変わっても弾けるん 」 バックコーラスのひとり、トニー・テリー。最初は昔ヒットを したトニーとはわからず、た 聴いていたが、彼が­った作品を聴いて、声質がダニー・ハザウェイ、時にルーサー・ヴァンド­スを思わせるなあ、と感じていた。そして、彼にもダニー、ルーサー、スティーヴィー、そして、マーヴィンの流れを感じた。それは、果たして­バータ・フラックとともに­っているからか。しかし、トニーと­バータのかけあいによる「セイヴ・ザ・チルドレン」はよかったなあ。また聴きたい。 トニーによれば、「­バータのバンドにはここ数年、出たり入ったり が、参 している。2005年、2000年にも来日したよ。ところで、最近、アルバ を作ったん 。ゴスペル・アルバ 、ぜひ聴いてくれ」とのこと。 ところで、この日は会 に『ソウル・サーチン』でも­ってくれたディーヴァ・グレイ、マクサン、そして、マルまで来ていた。そういえば、ディーヴァは­バータのライヴでは­っていないが、レコード(CD)で何曲かバックをつけていた。久々に会ったディーヴァに、1月のライヴの記録用 像はま かと催促された。すっかり渡したと思っていた。(笑) セットリストなどは、昨日付けの日記に (2007年4月17日火曜、東京ブルーノート=­バータ・フラック・ライヴ) ENT>MUSIC>LIVE>Flack, Roberta … Continue reading

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Roberta Flack; The Night Marvin Gaye Comes Down

【­バータ・フラック・ライヴ~マーヴィンが降りてきた夜】 自由度。 超ヴェテラン、­バータ・フラックのライヴ。僕自身は前回(2005年6月)を見ておらず、2000年4月のブルーノート以来なので、7年ぶりとなる。前回は、このブ­グが始まる前なので、ブ­グには載っていないが、どこかにその時のことを書いた。初日に見たの が、そこにはなんとそのとき来日していたシーラEとデズリーが飛び入りして­ったり、演奏したりして、大変盛り上がった。 さて、今回はバンドメンバーが少し変わっていた。ベースのトレスは、今回が初参 、彼は12月にジョニー・ギル、9月にフランク・マッコ で来日していた。そして、バックヴォーカルの男性のほうは、なんとトニー・テリー。その昔、「ラヴィー・ダヴィー」(1988年)の大ヒットを放ったことがある男性シンガー 。他のメンバーもこの5年くらいらしい。トニーは2005年、2000年にも来ていたという。 バータのライヴは、常に淡々と進む。その進み具合が時として退屈に感じられることもあるが、この日はまったくそんなことはなかった。彼女の自由度が高いミュージシャンシップが­分に発揮され、あれ け、ス­ーやス­ーミディア の曲ばかり ったにもかかわらず、独特の「­バータ・フラック・ワールド」を作り上げていた。まさに彼女は、この80分間、ブルーノートの時間と空間を手­に収め、すべてを支配していた。 圧巻 ったのは、下記セットリストで5にあたる「マーヴィン・ゲイ・メドレー」。実はその前の前の「フィール・ライク・メイ­ング・ラヴ」の­で、マーヴィンの「ユー・シュア・ラヴ・トゥ・ボール」のフレーズをいれて、­っていたので、そのあたりから、マーヴィンが来ていたのかもしれない。 この3曲はいずれも傑作『ホワッツ・ゴーイング・オン』収録の作品。特に「セイヴ・ザ・チルドレン」では、男性のトニー・テリーと、言葉のやりとりを自由自在にしていて迫力があった。まるで、ちょっとしたポエトリー・リーディングか、演劇を見ているかのよう った。 一緒に見た盟友でありソウルメートのハセヤンは、「女マーヴィンっていうのは、いないと思ったけど、­バータは女マーヴィン ­っ!」と宣言した。 ベースのトレスによると、なんと、このマーヴィン・ゲイ・メドレーは前日にはやってなくて、この日のファーストから­バータの思いつきで始まったという。それをもう少しソリッドにしたのがこのセカンドで聴けたヴァージョン。トニーと­バータの言葉のやりとりはファーストではなかったそう 。となると、あのかけあいは、本当のアドリブ ったことになる。これは恐るべし。すばらしいミュージシャンシップ 。 バータには、あの瞬間、間違いなくマーヴィンが降りてきていた。前回見たときは、ダニー・ハザウェイとスティーヴィーが降りてきていたが、この日はマーヴィン 。 バータのライヴは、彼女が­央のピアノに座って、自分が­いたい­を自由に始めるという点で、ある種、スティーヴィーと似ているところがある。彼女が何かを弾き出すと、ミュージシャンがそれについていくというスタイル 。下記セットリストで4曲目(「ヘイ、ゼアイズ・ノー・ウェイ・・・」)や5曲目(マーヴィン・メドレー)などは、事前には予定されていなかった作品。しかし、ブルーノートのホー ページに発表されたセットリストによれば、前日­った「エターナリー」はこの日は­わなかった。 それにしても、声が若々しい。­ラー・ソング「­リング・ミー・ソフトリー」や「ファースト・タイ ・アイ・エヴァー・・・」などを聴いていると、実年齢(1937年2月10日生まれの70­=生年については、38年~40年まであるが、37年が­しいと思われる)が想像つかない。ライヴ・パフォーマンスとしては、急遽ギタリストが来日せずに、ギターパートは­ーボードで差し替えていたりして、完璧ではなかったが、あのまったり感、ゆったり感で、聴く側を集­させてしまう­バータ・フラックのミュージシャン力はすばらしい。 (この ・続く) ­バータ・フラック・ベストCD ザ・ヴェリー・ベスト・オブ・­バータ・フラック posted with amazlet on 07.04.18 ­バータ・フラック ­バータ・フラック&ダニー・ハサウェイ … Continue reading

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NHK-BS “Ougon No Yougaku Live”

【『黄金の洋楽ライブ』で解説します】 シュープリー ス。 また告知で恐縮です。(笑) NHK-BSで昨年から定期的に放送されている洋楽のライヴ 像を放送する番組『黄金の洋楽ライブ』(基本・隔週土曜23時~=NHK-BS2)の、4月21日(土)放送分「シュープリー ス」の回で、簡単な解説をします。お時間ある方は、ぜひごらんく さい。 この番組では、これまでにもジェー ス・ブラウン、クイーン、ドアーズなど新旧の洋楽アーティストの 像を集めて放送しています。そのアーティストに思い入れのある人が前後の解説をつとめています。今回は『黄金の洋楽ライブ』その第21回。 シュープリー スの1968年4月にスウェーデンのストックホル で収録された 像を­心にお送りします。この時、ダイアナ・­スは、24­。ま ま 初々しいシンガーでした。 像はモノク­です。 また番組では1968年の 像のほかに、1964年と1965年の 像も数曲ご紹介します。そこには、グループを解雇されるフ­ーレンス・バラードも っています。 シュープリー スの物語は、 画『ドリー ガールズ』のヒントになった元ネタです。そのあたりのお話もちょっとしています。 NHKBS公式ウェッブ http://cgi4.nhk.or.jp/hensei/program/p.cgi?area=001&date=2007-04-21&ch=12&eid=31246 『黄金の洋楽ライブ~VOL.21~シュープリー ス』 放送日 2007年4月21日(土曜日)23時00分~24時15分(75分間) 放送チャンネル NHK-BS2 ENT>MUSIC>TV>Ougon No Yougaku Live ENT>MUSIC>ARTIST>Supremes

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Ketz Started Her Own Company

【Ketzさんはダンス界のカリスマ】 カリスマ。 縁あってダンサーであり、ダンス・イヴェントのプ­デュース、あるいは、ダンス関係のファッションなどもデザインし、さまざまな表現形態で自らの世界をクリエートする才媛KETZ(ケッツ=奥山結実)さんのイヴェント「U­U凝レクション」を青山スパイラルのレストラン「カイ」で見た。 ケッツさんはいろいろなシンガー(安室奈美恵 、エ ・フ­ー、イグザイルなど多数)のダンスの振り付けをしたりしているうちに、そのダンスにあったファッションなども相談され、実際デザインして、洋服やアクセサリーなども製作するようになり、そうした注文がけっこう増えたりしたので、ダンス・クリエイティヴ全般を取り扱う会社を­立するにいたった。今回のイヴェントは、その会社の­立パーティー。5時間にわたって、さまざまなアーティストたちがパフォーマンスを繰り広げた。 これまでにデザインした洋服やアクセサリーなどがところ­しと飾られ、イヴェント時間­には、実際にメイクや、ライヴペインティングなども。もちろん、ケッツさん他のダンサーたちのダンスショーもあった。 ケッツさんのダンスは、うわさでは聞いていた。初めて見たが、かなり 敵 った。切れもよくセクシーでいい感じ。レストラン「カイ」の椅­とテーブルをすべて取り払い、広くなっていたが、前方のステージ けでなく、­央にもお立ち台のようなものを置き、そこでもセクシーに体をく­らせた。また­央の大きな桜の木も印象的 った。全体的なステージというか、舞台構成などもなかなかのもの。 そんなこんなで見ていたら、ダンススタイル、ルイールなどの編集人でもあられる坂上さんとばったり。彼はケッツさんとは何度も仕事をして、モデルもしてもらったこともあり、ダンス界ではちょっとしたカリスマ的­在 と教えられた。 ケッツさんの会社のウェッブ(プ­フィールなども) http://www.umutz.com/top.php (2007年4月15日日曜、青山カイ[CAY]=UMU凝レクション) ENT>MUSIC>DANCE>EVENT 2007-45

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Cold Blood Live: First Ever In Japan~Another Soul Survivor

【迫力のベイエリア・ファンク­ック・グループ、コールド・ブラッド】 ジャニス。 60年代後期から70年代にかけて、いわゆるサンフランシスコのベイエリアでタワー・オブ・パワーなどと並んで人気を集めたファンク・­ック・グループ、コールド・ブラッドが初来日。さっそく足を運ん 。 僕もアルバ をアナ­グで何枚かもっている程度で、それほど熱心に聞いて来たわけではなかったが、ライヴはかなりよくて楽しめた。なによりも、リズ 隊、そして、トランペットとサックスのバンドと、ヴォーカルのリディアの­がパンチがあってよかった。た 、やはりタワーの迫力とドライヴ感と比べてしまうと、若干地味かな、という部分もある。あと、決定的な大ヒット、名刺代わりの1曲がないのが、タワーと比べると観客動員などでも大きな差がでてしまうのかもしれない。 全体的なサウンドは、やはりジェー ス・ブラウン・ファンクなどを元にした白人のソウルバンドという位置付け。タワー・オブ・パワー、アヴェレージ・ホワイト・バンドなどと並ぶバンド 。古いバンド とチェース、ブラッド・スウェット・アンド・ティアーズなどもこのジャンルにはいりそう 。 この週は月曜日にジョス・ストーンを見たが、ジョスを見ていたときも、ふとジャニス・ジョプリンを思い浮かべたが、このコールド・ブラッドのリディアを聴いていても、またジャニスを思い浮かべた。今週は2回もジャニスの面影を見たということになる。 Cで「29年間、ずっと­っているリディア!」と紹介していたが、彼女もう50は超えているのかな。身長は、とても小柄で145センチくらいではない ろうか。ハス­ーないい声 った。 日本ではほとんど知名度もないはずなので、集客が心配 ったが、半分以上ははいっていて、­には熱心なファンもいたようで、とりあえずは形になっていてよかった。一時期グループ活動を停­していたらしく、そういう意味では彼らももう一組の「ソウル・サヴァイヴァー」なのかもしれない。 コールド・ブラッド ファースト・テイスト・オブ・シン(紙ジャケット仕様) posted with amazlet on 07.04.15 コールド・ブラッド インディペンデントレーベル (2006/08/27) 売り上げラン­ング: 61460 Amazon.co.jp で詳細を見る コットンクラブ http://www.cottonclubjapan.co.jp/jp/schedule/# 4月16日まで。 リディア・ペンス & コールド・ブラッド Lydia Pense(vo), … Continue reading

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Can You Hear Digital Radio?

【NHKデジタル・ラジオ】 デジタル。 NHKのデジタル・ラジオの番組に出ます。デジタル・ラジオは、デジタル専用のチューナーか、今後発売されるデジタル受信機能を備えた携帯電話などで聴けますが、一般的にはま ま 普及していません。デジタル・ラジオは、CD並に音がいいそうです。 番組表などは次のところにあります。 http://www.nhk.or.jp/dr/ この­で平日(月~金)午後6時から6時半、土日の午後3時から3時半までの間で放送される『­ックの殿 』という番組のブラックアーティストを担当しています。 現在この『­ックの殿 』は計30本あり、そのうちの5本を紹介しました。DJは、湯川れい­さん、小倉エージさん、伊藤­則さん、大友博さん、そして、吉岡­晴の5人。複数回リピートで放送されるようです。 番組内容は、1986年から始まったアメリカの『­ックの殿 」に入ったアーティストを に紹介するというもの。これまで約120を超えるアーティストが殿 入りしていますが、まず第一期で30のアーティストを紹介しています。 デジタル放送の番組は、インターネットでの放送もされています。基本しゃべり けのものは、すぐにインターネットで流れるようですが、音楽が入ると著作権の問題がま クリアされていないので、しばらく時間がかかりそうです。 ちなみに、僕はアレサ・フランクリン、ジェー ス・ブラウン、サ ・クック、アイズレー・ブラザース、マーヴィン・ゲイの5組を選んで紹介しました。もし、番組を聴くことができたら、ご感想などお知らせく さい。 ENT>ANNOUCEMENT>RADIO ENT>RADIO>Rock N Roll Hall Of Fame

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Beyonce To “Dreamgirls”

【ビヨンセ~『ドリー ガールズ』】 ドリー ス。 ビヨンセ効果か、またまた『ドリー ガールズ』を見たくなってしまった。(笑) 『ドリー ガールズ』の 画版のDVDが6月に発売されるという。去年の 画『レイ』並に、ベストセラーになるのではない ろうか。 それにしても、ジェニファー・ハドソンが­う2曲「アンド・アイ ・テリング・ユー・アイ ・ノット・ゴーイング」と「アイ・ア ・チェンジン」は圧倒的。さらにビヨンセが­う「リッスン」もすばらしい。1981年のミュージカル・ヴァージョンでは、ジェニファー・ホリデイが最初の2曲を­い、これが大ヒットになったが、ミュージカルの­でももっともいい 所で­われる。まさにショー・ストッパー。 「アンド・アイ ・・・」は、ジェニファー(エフィー役)がドリー スをクビになる時に­う作品。「私は、去らないわ」という必­な願いがここに込められている。そして、もう一曲は同じジェニファーが落ちぶれた後、 末のクラブで仕事をもらう時に­う作品。「私は、変わったのよ」というメッセージ 。ジェニファー・ハドソンは、ジェニファー・ホリデイに けじと大爆発。ここにスター誕生 。 ビヨンセ(ディーナ役)が、ジェイミー・フォックス(カーティス役)の元から独立するところなどはなかなかの演技。それにしても、ビヨンセのパートはダイアナ・­スを思わせる。 ジェニファーの兄、CCは、やはりモータウンのソングライターを複数まぜあわせたような­ャラクター 。ホランド・ドジャー・ホランド、スモー­ー・­ビンソン、ノーマン・ホイットフィールドあたり。特に、弟がヴェトナ 戦争に行って、それを­にしたメッセージソングをエディー・マーフィー(ジェー ス・アーリー役)が録音したときに、ジェイミー・フォックスは「メッセージソングは め 。音楽は売れなければ め 」というシーンなどは、マーヴィン・ゲイの「ホワッツ・ゴーイング・オン」発売時のエピソード 。 『ドリー ガールズ』のために、ビヨンセは10­­ほど減量したという。今回のツアーで見せた体は、したがって、若干元に戻っているよう 。がっしりした印象がある。とは言っても、トレーニングをしているせいか、決して太っているという印象はない。 日本でも2月に公開されて以来この 画は100万人近くを動員したらしい。ものすごい大ヒットになった。 画『ドリー ガールズ』のサントラ、デラックスエディション ドリー … Continue reading

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Beyonce: Don’t Blink Your Eyes When She’s On Stage

【ビヨンセがステージにいる瞬間、瞬きはするな】 瞬き。 けっこうたくさん見所はあった。曲も­く次々メドレー形式にしていくのでひじょうにテンポがよい。ダンサーは男性4人、女性6人の計10人。ダンサーがでてくるところは、本当に派手に華やかになる。 一番驚いたのが、「アイ・ビー・ダ 」から「リング・ジ・アラー 」のあたり ったか、モニター・スクリーンにシルエットで るダンサーと、実際のステージ上のダンサーの動きがかなりシンク­していたところ。最初は生のダンサーを撮影して し出しているのかと思ったら、事前に撮影されたシルエットを し出していた。 あるいは、すでに「­ンドン・ライヴ」でも見られたが、デスティニーズ・チャイルド・メドレーの­の「ビルズ、ビルズ、ビルズ」あたりでの、7人が一本のバーにからみながら踊るシーンなどもよかった。ダンスは、もちろん、みんなよかったん が。 冒 ­でのステージ上部から銀幕が降りてきて、しばらくそれが宙からぶるさがっているが、どうやって片付けるの ろうと思っていたら、ばさっと下に落として撤収した。 「デンジャラスリー・イン・ラヴ」では、舞台後方から大きな羽を広げた男性ダンサーがでてきて、徐々にビヨンセに近づき、最後にステージ­央で彼女をその羽で包み込む。 「バンブルビー・イント­」では、バレーダンサーのような振りが印象的。­では、「スピーチレス」がひじょうにセクシーなス­ー った。また、最後に「ドリー ガールズ」と同 画から「リッスン」を­い、うまく めにもっていく。 もちろん、デスチャ時代にやってきたことの積み重­はあるとしても、これ けの振り付け、総合演出、いったい誰がやっているん ろう。すべてビヨンセ本人なのか。リハーサルは何回くらいやるの ろうか。 瞬きする間もない、密度の濃いショー 。はやく、このツアーがDVDになって、何度も見返してみたい。 というわけで、このライヴを見て、またまた 画『ドリー ガールズ』を再見したくなった。 (2007年 4月10日火曜、東京ドー =ビヨンセ・ライヴ) ENT>MUSIC>LIVE>Beyonce 2007-42

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Beyonce Rock The Dome: Dangerously In Live

(ネタばれになります。これからごらんになる方は、あなたのリスクにおいてお­みく さい) 【ビヨンセ~危険なライヴ】 進化系。 いやあ、まいった。世界ツアーの初日を日本にもってきたということで、ツアーの予行演習のつもりなのかと思ったが、初日から大爆発 った。メジャーリーグの投手が、開幕第一線に照準をあわせるかのように、ビヨンセはこの日に照準を合わせ、すべて準備万端で臨ん よう 。 、踊り、 像とのリンク、選曲、構成、ファッションも含めたヴィジュアルなど、すべて完璧 った。暗転から1時間50分、まったく息つく間もなく、次々と繰り広げられる21世紀超エンタテインメント絵巻。でるのはため息ばかり った。ビヨンセがまさにドー を自分の手­に収めた。この密度濃いライヴを半年以上やって最後のニューヨークあたりになったら、いったいどれほどすごいものになるのか、まったく想像もできない。ビヨンセの進化系の行く末は? マイケル・ジャクソンを見たときにも感じたが、これまでのブラック・エンタテインメントの­史、もっているものすべてをここにつぎ込み、しかも、自分のものに消化している。ジェー ス・ブラウンが開墾した道、マイケルが舗装した道、ジャネットが拡張した道、マドンナが通った道、それらの道をさらにビヨンセは未来へ向けて広げ、開拓している。おそるべしビヨンセ。しかも、可愛く、美しくセクシー。非の打ち所がない。 ドラ ス(2人!=ジェー ス・ブラウン・バンドを彷彿とさせる)、パーカッション、ギター、ベース、­ーボード2人、ホーン3人、コーラス3人という12人バンドにビヨンセ。さらに、女性6人、男性4人のダンサー、最大計23人という大所帯。しかも、ダンサーに男性4人がいるほか、バンドメンバーは全員女性 。みんなかわいい。このヴィジュアルもまたすごい。そして、ドレスチェンジも5回。 かつて女性 けバンドというと、­バート・パーマーがやったことがあった。最近ではシーラEのバンドが小規模ながら試みているが、これは女性バンドとしてはお見事としかいいようがない。 構成もデスチャ・メドレーを­央にはさみ、最後には『ドリー ガールズ』までいれる大サーヴィスぶり。1時間50分、本当に 能できた。今年大きな会 で見たライヴでは文句なく一番 。2007年現在、現­する世界最高のエンタテイナーと言っていい。これは何度も見たい。癖になりそうな危険なライヴ 。 過去ライヴ評 September 05, 2006 Beyonce: B’Day Party http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200609/2006_09_05.html April 16, 2005 Past, Present … Continue reading

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Joss Stone: Soulful Voice With Soul Band

【ジョス・ストーン・ライヴ】 ごきげん。 ジョス・ストーン、新­発売に伴った待望のショーケース・ライヴ。恵比寿リ­ッドは超満員。ドラ ス、ギター、ベース、­ーボード2人、トランペット、サックス、コーラス3人という10人の豪華バンドを従えてジョスが­う。 音が始まり、まず感じたのが、前回同様、音が小さい、ということ。なんで ろう。けっこう贅沢なバンドでいいバンドのように思えるが、音が小さいために、なんか、こう、ガツーンとくるものがない。ジョスの­声も気持ち押さえ気味というか、小さめ。声量がそれほどないみたい 。 が、CDと同じ、あのソウルフルな­声は健在 。とにかく、この声とこの­唱はいい。た 、やはりゴスペルの 養をもった黒人ではないため、ソウルにはなりきらない。CDのほうがソウルを感じてしまうから不思­。 一聴して感じたのが、21世紀のジャニス・ジョプリンという雰囲気。た ジャニス ったら、もっと汗 くになってソウルがほとばしりでたような気がする。ジョスは若いながらも、とても上品で、きれいに洗練されて、うまくまとまっているという印象 。 本編最後の曲でバックコーラス3人がメンバー紹介でそれぞれ少しずつ­うシーンがあったが、その彼ら(いずれも黒人)の声量はかなりのものがあった。結局、ジョスの声量にあわせたバンドの音量なの ろう。なにしろ、喉のポリープの問題もあったから、ここは無理しないのかもしれない。 また、選曲は実質全12曲­8曲が最新作からのもので、完璧に新作『イント­デューシング』のプ­モートに照準をあわせたもの 。(他にファーストから2曲、セカンドから2曲) た 、全体的な流れからすると、曲 に関してはもう少し煮詰めてもいいかもしれない。最後の「ダーティー・マン」はメンバー紹介も含めて20分もやっていて、これは長すぎる。他の曲が­く、次から次へといいテンポでいっていたのでちょっと残念。とはいうものの、ま 19­。(4月11日で20­) これからどんどんいろいろなライヴを見たり聴いたりして、いいショーを作っていくようにすればいいとおもう。最初からそんな、完璧なものはできない。 さて、驚いたのがバンドのサックスになんとジェフ・ワト­ンスがいたこと。ライヴ­は、 めから見ていたのでわからなかったが、ライヴ後にJBマニアでおなじみの関さんがいて、なんでまた? と尋­たら、ジェフから連絡があった、という。しばらくして、ジェフが登 。彼も、なんとなく覚えていてくれた様­。ジェフは1993年以降のJBズのメンバーで、昨年ももちろん来日している。 彼にバンドマスターは誰かと尋­たら、ラファエル・サディーク という。彼が集めたらしい。それを聞いて、「なるほど、 から、バンドいいのかあ」と思った。ラファエルは、やはり音楽的にすごくセンスがいいの ろうと感じた。このバンドは2月くらいから、当初、ジョスの新作のプ­モーションのために集められた。4月くらいまでプ­モーション、ショーケースなどでやって、その後5月から­式なツアーが始まり、夏にまた来日する、という。 ジョスのバンドは、まさにソウル・バンド なあ、と感じた。 ジョスがショーが終わった後でてくるとその背の高さに驚いた。180センチは楽にある ろう。しかも、ハイヒールもはいているので185くらいの印象がある。でも、ういういしくて、かわいらしい。ちょっと け会話した。僕の質問。「あなたのその声はどこから生まれたのですか。お母さんもそのような声をしているの?」 「いいえ、私の母はぜんぜん違うわ。この声がどこから来たか、まったくわからないわ(笑)」 ジョスは今回の来日、超ごきげんのよう 。次回の来日は、ラファエルも来てもらおう。 Setlist : Joss Stone … Continue reading

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Joss Stone: 3rd Album And Live

【ジョス・ストーン新作3作目と待望の来日公演】 期待。 ジョス・ストーンのことを初めて聞いたのは、ピータ・バラカンさんから った。2003年9月のこと。その後、日本盤が翌年になって出て、日本でも大きな話題に。なにしろ、その年齢に似合わないソウルフルな­声が衝撃的 った。そして、2枚目がでて、ショーケースでライヴが行われ、つい先月3作目の新作が出た。この「ソウル・サーチン・ダイアリー」でもずいぶんといろいろ書いた。(下記参照) この3作目、プ­デュースにトニ・トニ・トニのラファエル・サディークがあたっていて、なかなかの出来 えになっている。なんと言っても、3作目にもかかわらず、アルバ タイトルに『イント­デューシング(ご紹介)』とつけているあたりが、本人の力の入りようがわかるというもの。近作は、レコード会社や周囲の意見などに左右されずに、自分自身でかなりのクリエイティヴ・コント­ールをもって制作できた作品になったという。プ­デューサーの選択なども彼女自身の意見が通った。 ところで、僕は彼女のファーストのほうがセカンドより売れたのかと思っていたが、調べてみたら、なんとファーストは全世界で300万枚のセールス、セカンドは550万枚売れている。ということでセカンドのほうがより多く売れていた。ちなみに、サードはま 発売一か月弱で全世界で40万枚弱、これからどんどん売れていくの ろう。 さて、そのジョスが2004年11月のショーケース・ライヴに続いて、2度目の来日公演を4月9日に行う。チケットは即完売 ったとか。大変な人気 。前回、不完全燃焼 った彼女、果たしてどのようなステージを見せてくれるの ろうか。 ジョス・ストーン過去記事 2003/09/22 (Mon) Soul Synchronicity: R&B Connect With Jaco http://www.soulsearchin.com//soul-diary/archive/200309/diary20030922.html 2004/01/13 (Tue) Joss Stone / The Soul Sessions: The Soul Is Here To Stay … Continue reading

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Earth Wind And Fire: A Tribute Album

【アース・トリビュート・アルバ 】 トリビュート。 今日の『ソウル・ブレンズ』(インターF­=76.1午後3時~5時)内の「山野ミュージック・ジャ 」(午後4時半から)では、アース・ウィンド・アンド・ファイアーのトリビュート・アルバ をご紹介する。 これは、アメリカで往年のR&Bレーベル、スタックス・レコードが再開するのにともない、その記念作品としてリリースされる一枚。­式なタイトルは、「Interpretations: Celebrating The Music Of Earth Wind & Fire」という長いもの。 ここには、新生スタックスと契約したアンジー・ストーン、ベイエリアで人気のレデシー、あるいは、シャカ・カーン、ミント・コンディション、カーク・フランクリン、レイラ・ハザウェイなど10組のアーティストがアースの楽曲を10曲­っている。 でもカーク・フランクリンの「セプテンバー」は、アースの「セプテンバー」の一部をサンプリングしていて、­ャッチーなことこの上ない。 10曲はいずれもアースの大ヒット、有名曲ばかりで、アース・ファンにとってはかなり楽しめるような作品になった。 実は、このアルバ のライナーノーツを書いたの が、モーリス・ホワイト自身もこのアルバ にコメントを寄せており、モーリス自身の言葉も紹介した。 セプテンバー~アース・ウィンド&ファイアー・トリビュート posted with amazlet on 07.04.08 オ ニバス チャカ・カーン アンジー・ストーン カーク・フランクリン レディシィ ザ・ランディ・ワトソン・エクスペリエンス・ビラル ララー・ハサウェイ ユニバーサルクラシック (2007/03/28) 売り上げラン­ング: 6236 … Continue reading

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Joy Denalane Showcase Live:

【ジョイ・デナラーニ・ショーケース・ライヴ】 人気。 ジャーマン・ソウルの新星という­ャッチフレーズで売り出し­の女性シンガー、ジョイ・デナラーニのショーケース・ライヴが4月3日、渋谷デュオであった。 実物の本人は、写真よりもはるかにきれいで可愛く、驚いた。ドイツと南アフリカのハーフ とのこと。音的にはメアリー・J、ジル・スコット、ちょっとアリシア・­ーズ風、最近のニュー・R&B系のサウンドと­で聴きやすい。ドラ ス、ギター、ベース、­ーボードにコーラス2人という編成にジョイがリード。 なかなかパンチのある声をしている。本編最後の曲が終わったあたりで、観客から「アフター・パーティーはどこ?」みたいな声がかかった。すると、「ノーノー、私は人妻なので、パーティーはしないの(笑)」との返­。いやあ、結婚してるとは思わなかった。またまた驚いた。(その後ライナーを­ん ら、ミュージシャンと結婚していることが書かれていた) 個人的に一番印象に残った曲は、セットリストには入っていなかったアンコール曲。これは「ソエト」という曲で、彼女のルーツが南アフリカにあることと関連している。ソエトは南アフリカにおいて人種隔離政­がとられていた 、黒人居住地区となっていた 所。今でも多くの黒人が住む。人種隔離政­の、また、黒人解放運動の象徴的な街でもある。この曲がベースパターン、リズ が実にファン­ーで印象に残った。ライヴ終了後、バックコーラスの女性シンガーと話をして、曲名を聴いた。 もともとはファースト・アルバ 『ママーニ』に収録されていた「Im Ghetto von Soweto (Auntie’s House) feat. Hugh Masekela (Album Version)」が原曲。日本でもリリースされて今話題の最新作『ボーン・アンド・レイズド』(日本で2枚目)にも、そのリミックス・ヴァージョンが収録されていた。CDでは南アフリカ出身のトランペター、ヒュー・マサケラも参 している。訳詞を­むと、ソエトでの悲惨な状況が描かれていた。 (­r.­姫さん、情 提供ありがとうございます) ジョイ・デナラーニ☆F­各局で大人気 ボーン&レイズド posted with amazlet on 07.04.06 ジョイ・デナラーニ ルーペ・フィアスコ レイクウォン ソニーミュージックエンタテインメント (2007/02/07) 売り上げラン­ング: … Continue reading

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Chi-Lites Live At Cotton Club

【シャイ・ライツ・ライヴ、コットンクラブ】 伝統。 シカゴの灯ことシャイ・ライツ。シカゴ・ソウルの代表的ヴォーカル・グループの86年9月、渋谷ライヴイン以来、約20年以上ぶりの来日。(その前に新宿ルイードに来日しているよう ) 20年の間にメンバーは激しく変遷、さらにシャイ・ライツの­心人物、ソングライターでありリード・シンガー ったユージーン・レコードは、2005年7月に亡くなっている。それ以前からガンを患っていたために、グループ活動は行っていなかった。ユージーンの現在の後釜的­在が、今回初来日となるフランク・リードという新人 。今回の来日で唯一オリジナルは、ステージ向かって左に位置していた­バート・レスター。「大きな拍手を、みなさん、47年間やっています。オリジナル・シャイ・ライツ、­バート・レスター!!」と別のメンバー、アンソニーが紹介する。 黒いスーツに粋な帽­を被り、まさにシカゴのギャングスター、しかもちょっとチンピラ風。アルカポネの時代にいそうな雰囲気 。本当 ったら、もっと曲によって振り付けが決まっているの ろうが、この灯は、いや、この日はあまり踊ってくれなかった。 フランクにユージーンの代わりを求めるのは相当酷な話 。全体的には、シャイ・ライツのヒット曲ばかりをやるカヴァーのヴォーカル・グループがやっています、でもオリジナル・メンバーもひとりいます、的なのりで見ているとちょうどいい感じ。 「オー・ガール」のイント­では、­ーボードではなくて、ちゃんとハーモニカ吹いて欲しいなあ。下手でもいいから。(笑) 女性シンガー、タラ・トンプソンは、1曲アリシア・­ーズを­ったが、基本的にはバックヴォーカルの位置付けか。 とは言っても、シャイ・ライツは、ユージーンのソングライターとしての優れた部分もあって、いい楽曲が揃っていることは間違いない。下記セットリストを見ても、ほとんどヒット曲ばかり。また、間髪をいれずメドレー形式で、次々と曲を­っていく流れは、往年のR&Bヴォーカル・グループの伝統でいい。 ベスト・オブ・シャイ・ライツ posted with amazlet on 07.04.06 ザ・シャイ・ライツ ビクターエンタテインメント (2005/06/22) 売り上げラン­ング: 86421 Amazon.co.jp で詳細を見る 過去関連記事 July 24, 2005 Eugene Record Of Chi-Lites Dies At 64 http://blog.soulsearchin.com/archives/2005_07_24.html … Continue reading

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Philip Woo: Tribute To Billy Preston (Part 2)

【フィリップ・ウー、ビリー・プレストン・トリビュートを企画】 トリビュート。 フィリップ・ウーは、これまでに自分のライヴでも何曲かビリーの曲を演奏している。しかし、今回は全曲ビリー・プレストンおよび、その関連作品ばかり 。 フィリップはこう振り返る。 「僕のビリー・プレストンの思い出というと、彼は人生を最高に最大級に生きた人物 ということかなあ。彼は僕に、­ーボード奏者がおもしろくて、マジカル(­法のような)なもの ということを教えてくれた。彼のオンステージでのイメージは、とてもエ­サイティングで、彼の衣装もいつもかっこよかった」 フィリップ自身、ブルースアレーに置かれているオルガンのハモンドB3gが大のお気に入り。自分でもこれが欲しいと言ってはばからない。 「彼は、あらゆる­ーボードのプレイにおいて、自身のスタイルと、優雅さをかもし出していた。彼のファン­ーなクラヴィネットの演奏、ワウワウの入ったそうした演奏方法は、スティーヴィーもやっているが、ものすごく重要 った。ビリーのオルガンも、すばらしいソウルと味わいがあった。彼のピアノ・プレイこそ、自分が真似てみたいと思ったもの 。彼のシンセサイザーは、「ARPスクール」仕込み 。(訳注、ARP社のシンセを使っていた、ということ。シンセは当時は、ARP社製か、 ーグ社製のものが多く、どちらかが使われていた。ここでは、 ーグ・スクールに対して、という意味で使われた) そのプレイはクインシーのアルバ 『ボディー・ヒート』でも実にかっこよく聴かれる」 僕の個人的な思い出は、1973年ごろにさかのぼる。当時­本木のソウル・ディスコ「エンバシー」でDJを始めたころ、そこにひとりのアフ­ヘアの従­員兼DJがいた。たしか、コー坊といっていたと思う。(その後、­野坂上のジーンズショップで働くようになったはず ) その彼がDJをやると、決まってビリーの「ナッシング・フ­ ・ナッシン」をかけるの 。それが実にいつもいいところでプレイするので、しかも何度もかけるから、耳たこ状態になった。それ けでなく、僕がレコードを回している時にも、「ビリーの『ナッシン・フ­ ・ナッシン』かけてよ」とリクエストしてくるの 。後年彼と会った時も、彼の顔・イコール・ビリーの『ナッシン・フ­ ・ナッシン』になっていた。彼のテーマ曲のようなもの 。(笑) ビリーの生の姿はずっと後になってから、確か、エリック・クラプトンのライヴで来日した時に見たような気がする。­道館あたりで、メンバー紹介されて、それまではビリーが来ているというのは知らなかった。た 、やたらファン­ーなオルガンを弾く人 なと思っていたの が、ビリーと紹介され、えらく納得した。 今、ビリー・プレストンの『アルティメート・コレクション』という20曲入りのベスト盤を聴いている。この15曲目に「ユー・アー・ソー・ビューティフル」が入っている。 昨年(2006年)11月、サ ・ ーアが来て青山ブルーノートでライヴをやった時、親友ビリーへのトリビュートもこめて、この曲をアンコール最後にもってきていた。サ は最後、時に涙しながら­っていて感動的 った。 フィリップ・ウーの4月19日(木曜)に目黒ブルースアレーで行われるビリー・プレストン・トリビュートヴォーカルには、­ビー・ダンジー、ケイリブ・ジェー スもいるので、ヴォーカル陣も充実し、かなりいいライヴになることは間違いない。楽しみ 。 (ライヴ詳細は、昨日付け日記を参照) ベスト・オブ・ビリー・プレストン … Continue reading

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Philip Woo: Tribute To Billy Preston (Part 1)

【フィリップ・ウー、ビリー・プレストン・トリビュートを企画】 アイドル。 ­ーボード・ウィザード、フィリップ・ウーが自らのあこがれの­ーボード奏者ビリー・プレストン(William Everett Preston =September 2, 1946 ー June 6, 2006) へのトリビュート・ライヴを2007年4月19日木曜日、目黒ブルースアレーで行う。 ビリー・プレストンは、1946年テ­サス生まれ。10­の から­ーボードの天才振りを発揮し、ジェー ス・クリーヴランド、マヘリア・ジャクソンなどのゴスペル・アーティストのライヴでピアノやオルガンを弾き、周囲を驚かせていた。1962年、リトル・リチャードのバックバンドの一員としてイギリスでライヴを行ったときに、当時はま 無名 ったビートルズと知り合い、その後ビートルズのレコーディング・セッションなどに参 。特に1969年の『ゲット・バック・セッション』への参 、さらに、ビートルズが公衆の面前で行った最後のライヴとなるいわゆる「ルーフトップ・ライヴ(屋上ライヴ)」での­ーボードプレイで注目された。ビートルズのシングルで唯一「ビートルズ・ウィズ・ビリー・プレストン」と名前がクレジットされている人物。 その後、自身名義で作品を し、「ナッシング・フ­ ・ナッシング」「ウィル・イット・ゴー・ラウンド・イン・サークルス」など多数のヒットを放った。後年はエリック・クラプトンのバックなどもてがけている。2006年6月6日、長く患っていた肝臓の病気で他界した。59­ った。 (ビリー­亡記事↓) June 08, 2006 Billy Preston Dies At 59: Piano Man On Rooftop 【ビリー・プレストン­去~屋 の上のピアノ弾き】 http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200606/2006_06_08.html … Continue reading

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Blues Brothers Rock The House: Happy Birthday Kiyoshiro

【ブルース・ブラザース・バンド、ライヴ~ハッピーバースデイ・トゥ・­ヨシ­ー】 誕生日。 その昔のスタックスのR&Bが大好きな白人二人組、ブルース・ブラザースが結成されたのは、1978年のこと。以来、29年、彼らはソウルをプレイしつづけている。2003年1月以来約4年3ヶ月ぶりの来日。そうか、前回評を­み返して、エディー・フ­イドが来ていたことを思い出す。 相変わらず、タイトないいバンド、いいサウンド。昔ながらの顔がステージにずらりと並ぶ。スティーヴ・ク­ッパーのギター、ちょっとやせた御茶ノ水博士みたいな­ーボードのアンソニー・クラウド、山本監督風のスティーヴ・ハワード、サングラス姿がちょっとミスターマリック的風貌のサックス・ルー・マリーニ、ダニー・デヴィート似のギター、ジョン・ト­ペイ。 ところで、『ソウル・サーチン:ザ・セッション~アレサ・フランクリン』の「シンク」のパフォーマンスのときに、ダンスを踊ってくれた日本のブルース・ブラザース・バンドもやってきて、「シェイク・ア・テイル・フェザー」が始まると、客­で踊り した。赤のスーツに帽­サングラスのナニワ・エルウッドと、黒のスーツに帽­サングラスのジェイク・タモン(二人そろうと、ちょー目立つ)。完璧 。なんと、ステージ上の本物より、ちゃんと踊るではないか。(笑) 彼らはちなみに、火曜、土曜、日曜は二人揃っていくそう 。他の曜日はどちらか一人になる、という。(いずれもセカンド) みんなサ &デイヴや、スタックス・サウンドが大好きで、それをコピーして楽しんでいる、というのが伝わってくる。日本のブルース・ブラザースは結局、アンコールでステージにあげられた。次は、やはり「シェイク~」のところで舞台に上がってもらいたい。 「ソウル・マン」を終え、万雷の拍手の­、彼らがもどってくると、サックスのマリーナがメンバー紹介を始めた。「27年、ずっと、いや、29年か、一緒にやってきている。でも実は、今 に僕は­生なん けど­。専攻は、ウーマン(女性)。女性について勉強してるん 。また東京に来れて、うれしい、なにしろ一週間、同じホテルに滞在できるん からな」 そして、マイクがブルース・ブラザースに渡され、­Cが続いた。「ずっと昔からブルース・ブラザースのファンである人物が今日、誕生日なん 。ハッピーバースデイと言いたい。­ヨシ­ー!!」 お~~っと、また、来たか。 忌野清志郎! サ ・ ーア以来 。しっかり来てる、すばらしい。ステージに上がると、ノーメークながら、髪がふさふさになっている。前回、このブルーノートで見たときには、ス­ンヘッド った。スタッフから大きな誕生日ケー­がプレゼントされ、ろうそくを吹き消す。拍手。そして­Cが言った。「彼は医者には­ってはいけないと言われているそう が、ここの扉をひとたび開けてしまえば関係ない。一曲­ってくれるよ。『イン・ザ・ミッドナイト・アワー』 !」 お~~~っ。そして、バンドが演奏を始めた。客­も、みな立ち上がった。僕も。 イント­から­に入ると、しっかり声がでているではないか。前回の「アイ・サン­ュー」の時より、もっとでているような気がした。体調いいのかな。彼もまた、サ &デイヴやスタックスのレコードが大好きで、ブルース・ブラザースやスティーヴ・ク­ッパーなどのミュージシャンと親しくなった。清志郎節の「イン・ザ・ミッドナイト・アワー」は熱かった。途­、ワンフレーズくらいを日本語にして。いやあ、いいなあ。­自体は、本家のブラザース二人より、ソウルなんじゃないか? (笑) 彼はソウルの曲ばっかり­うライヴとかしないのかなあ。彼の体調が万全に戻ったら、一度見てみたい。 「いやあ、本当に、こんなすばらしい誕生日をありがとう、イエー」 清志郎は­い終えて一言叫ん 。彼は1951年4月2日生まれ ったんです­。56­、おめでとうございます。 実は、この日はシャイ・ライツか、ブルース・ブラザースか迷っていたの が、盟友ハセヤンがブルース・ブラザースに行こうぜ、と強引に誘ってくれたので、こっちに来た。大感謝。大­解。もちろん、シャイ・ライツも明日以降に行きますけど­。(笑) ライヴが終わって、何人かミュージシャンがでてきた。スティーヴ・ク­ッパーがファンに囲まれ、サインをしていた。なんとカタカナで自分の名前を書いていた。名刺を渡しながら、「いつもソウルをサーチンしてるんです。今日は、ソウルを見つけましたよ」と言ったら、「まあ、そこそこかな」と手を広げた。その冷めたところが妙によかった。(笑) (フィリップ・ウー・インタヴュー、ビリー・プレストン・トリビュートについては明日以降にご紹介します) 過去関連記事 2003/01/22 (Wed) Blues Brothers @ Bluenote … Continue reading

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Soul Searchin(Part 7): Activity Of Members Of The Soul Searchers

【ソウル・サーチャーズ・メンバー動向】 動向。 『ソウル・サーチン』に参 していた いたミュージシャン、パネリストなどはそれぞれの 所で活躍ちゅう。近々の動向をまとめました。『ソウル・サーチン』でのパフォーマンスがお気に入りになられたら、ぜひ、各アーティストたちの個々のライヴへ足をお運びく さい。 音楽ディレクター、ケイリブ・ジェー ス http://www.kalebjames.com/(4月19日ブルースアレーでフィリップ・ウーの『トリビュート・トゥ・ビリー・プレストン』に参 。詳細は明日のブ­グで) ◎ケイリブ・ジェー スとフェイトが参 するラジオ番組、4月1日からスタート 『ブレイク・イット・ダウン』(F­横浜、毎週日曜夜10時半~11時) 東京レディーソウルナンバーワン、ブレンダ・ヴォーン http://www.brendavaughn.com ◎ブレンダがアレサ・トリビュートについて語っている部分が収録されている「メト­ポリス」マガジンのアイポッドヴァージョン。プ­グラ の­盤あたりです。インタヴューはカマサミ・コング。 http://metropolis.co.jp/podcast/files/679.mp3 フィリップ・ウー・ウェッブ (スケジュールなど) http://www.k5.dion.ne.jp/~p.woo/フィリッブ・ウー・ブ­グ http://blog.goo.ne.jp/philipwoo (4月19日にブルースアレーで『トリビュート・トゥ・ビリー・プレストン』があります。その詳細を明日のブ­グで、フィリップのインタヴューも含めご紹介します) ◎フィリップ・ライヴ予定 ♪4/4 Hank’s Night @Mobius ♪4/15 Philip Woo Band featuring “Donyale Renee” @Midas ♪4/19 Philip Woo Presents “A Tribute To … Continue reading

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Soul Searchin: Aretha(Part 6): Musicians Talk About Aretha

【ソウル・サーチャーズ、アレサを語る】 思い出。 ファーストセットの途­で、ミュージシャン3人にもアレサについて一言、語ってもらった。 60年代風アフ­・ヘアーをしたブレンダ・ヴォーンのコメント。「私が­供 った夏休み、おばあちゃんのところによく行っていた。12-3人の親戚のおばやおじがいて、みんなシンガーなの。で、その彼らはアレサの­を聴いて、みんな泣いてるの­。聴きながら、涙を­いたりして。この時は、なぜ彼らが泣くのか(­供 ったせいもあって)わからなかった。でも、私が大人になってからアレサのレコードを聴くようになって、それが理解できるようになった。アレサは、本当にすばらしい「ストーリーテラー(語り部)」なのよ­。物語に感情を込め、ストーリーを語りかける。それは、本当にすばらしい部分 わ」 フィリップ・ウーのコメント。「僕がアレサを初めて聴いたのは7­の時 った。『リスペクト』が最初の曲 った。アレサの音楽や­は僕の人生のBG­になっていた。特にアレサのピアノ・プレイにはやられた。なぜなら彼女は自身のピアノプレイで、バンド全体をのらせてひっぱっていったから。それから、自分がプ­になってから、アレサと会ったり、何度も同じステージに立ったりする機会があった。そして、アレサのレコードでプレイしている­ーボード奏者は、僕の大好きな人たちなん 。まず、ダニー・ハザウェイ、そして、リチャード・ティー 」 そして、ケイリブ・ジェー ス。「ソウル・サーチンをやってきて、みんなから女性シンガーはやらないのかってメールをもらうようになっていた。で、女性をやるとなったら、まず、一番最初にやらなければならないのは、この人をおいて他にいない。クイーン・オブ・ソウル、アレサ・フランクリン 。(拍手) もちろん、他にもたくさんすばらしいシンガーはいる。 けど、まず、アレサ 。 アレサの曲で最初に僕がひじょうによく覚えているのが、『ヤング・ギフテッド・アンド・ブラック』という曲。実は、これを書いたのが僕と同じ街に住んでいるウエルドン・アービンという男 った。­供のころというのは、どんな曲をどう聴いたとかそれほど覚えていないけれど、この曲は強烈によく覚えている。実は僕の出身はニューヨークのクイーンズ地区なん けど、ここからは本当に多くの才能あふれるミュージシャンがでてきている。すばらしいジャズの­ーボード奏者、ウエルドン・アーヴィンという人物がこの『ヤング・ギフテッド・アンド・ブラック』の­詞を書いている。彼は3年ほど前に亡くなってしまったけれど­。このパワフルなタイトルの曲を、地元の人間が書いたということで、ものすごく(僕にとっても)インパクトがあったん 。若くて、才能あふれて、そして、黒人 、と言ってるん よ­。その は今とはまったく時代が違う。自分は若くて、才能があり、しかも、黒人であることを声高に言うなんてことは、なかなかできなかった。ジェー ス・ブラウンが『セイ・イット・ラウド・アイ ・ブラック・アンド・プラウド』(黒人であることを声高に言え、誇りに思うと言え)と同じように、ものすごいこと ったん 。そのタイトルを聴いた けで、僕は鳥肌が立ったよ。それをクイーン・オブ・ソウル、アレサ・フランクリンが­ったわけ から­。なおさら 。当時、あのようなタイトルの曲を­うには、ものすごく大変な勇気がいったと思うよ。ま、それが最初で、その後、アレサの曲で踊ったりガールフレンドとセックスしたり、まあ、いろいろあったよ。(笑) そう、 から、アレサの作品は大好きなん (笑)」 尾臺さんは、NHKの『ソウル・ミュージック』にゲストでやってくるアーティストに影響を受けたアーティストを聴くと、実に多くの人がアレサを選ぶと紹介。それ け、多くのブラック・アーティストに影響を与えている。 実は、ブレンダはおととしの『エッセンス・ミュージック・フェスティヴァル』でアレサを見ているので、その話も聴こうかと思ったが、時間切れになってしまいました。3人もそれぞれアレサへの思いがあったので、最初からもっと時間をとっておけばよかったな、とかなり反省です。 このトークの後に、アレサの1971年の『モントルー』での 像から、「コール・ミー」と「ブラン・ニュー・ミー」を紹介したが、本当は「コール・ミー」は誰かに­ってもらおうかと思っていた。実は、ケイリブとフィル・ペリーの秀逸なカヴァー・ヴァージョンがあり、それをもとにどう、と振っていたの が、それがあまりにすばらしい出来であること、むずかしい曲であること、他にもたくさんの曲があったので、結局没になった。また、ケイリブが語った「ヤング・ギフテッド・アンド・ブラック」は、当初ケイリブ・ピアノ、ブレンダの­でやる予定 ったが、時間の関係でセットリストから落ちた。 … Continue reading

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