Monthly Archives: August 2005

Non Chords, Non Genre, Non Nationality

【コードなし、国籍なし、ジャンルなし】 グルーヴ。 パーカッションの斉藤ノブ、ベースの後藤次利、サックスの藤井尚之のたった3人のユニット、ノン・コーズが新作をまもなく発売し、それにさきがけてツアーを始めた。その初日、東京リキッドルームでのライヴを見た。全10曲、なかなかのりのいいサウンドを聞かせた。コードのない楽器だけの3人で作るユニット、ノン・コーズ。その音は、どこか無国籍、そして、ジャンルも飛び越えているユニークなものだ。 リキッド(恵比寿)は初めて来た。まん中に座席を作り、収容約300人くらいか。なかなかいい会場だ。まだ初日ということもあって、これからどんどん形が固まっていくのだろう。興味深かったのは、どんなにアップテンポの曲でもお客さんは椅子にじっと座って、彼等の演奏を見ていたことだ。みんな藤井さんや、後藤さん、ノブさんに見入っているのかもしれない。 さて、この日のちょっとしたハイライトは、以前、ソウルサーチンダイアリーでも御紹介したが、われらがマーヴィンがこのノン・コーズのレコーディングに参加していて、その曲でライヴでラップを披露したのである。それが、「ハイパーシェイク」という曲だ。マーヴィンは登場するなり、観客を立たせ、煽りに煽った。いつも一緒に仕事をしている仲間がこうして晴れ舞台に立っているのを見るのは実に嬉しいものだ。 ところで、全体的なサウンドだが、パーカッションのノブさんとベースの後藤さんのグルーヴがかなりのものなのだが、その屋台骨というか、土台が打ち込みのリズムなのだ。だから、上ものがいくらグルーヴがあっても、土台にグルーヴがないので、どうしても、立ち上がって踊るというものにならないのではないかと感じた。CDは、聞くという意味で打ち込みでもいいのかもしれないが、ライヴはグルーヴ感のある生のドラマーのほうがいいのではないかと思った。そうしないと、ノブさんのパーカッションや後藤さんのベースのグルーヴが生きてこない。なんかものすごくもったいないような気がした。ドラムだれかって? 大槻カルタさんでしょ。(笑) あるいは沼沢さんか。彼等の演奏が最高に熱いのに、打ち込みの無機質さが温度を下げる。 楽屋でノブさんに尋ねた。「生のドラムを使うという可能性は?」「ない」ときっぱり。う~~む。3人ユニットでひとつの確固たるイメージができあがっているようだ。 Setlist show started 19:1301. New World 02. Caravan03. Round 704. Nail Of Nile05. Tracing06. Sub Stage07. Hyper Shake (rap by Marvin Dangerfield)08. 禁じられた遊びEnc. PocoEnc. Tideshow ended 21:01 (2005年8月30日火曜、恵比寿リキッドルーム=ノン・コーズ ライヴ) ENT>MUSIC>LIVE>Non Chords PS、ジェラルド・オルブライトのライヴ評は明日以降に掲載する予定です。

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Kishita Kohshi At “Soul Blends”: Blind Ain’t Nothing, But A Word.

【「盲目」とはただの単語】 ゲスト。 『ソウル・ブレンズ』に木下航志くんがやってきた。キーボード持参、スタジオで生ライヴを見せてくれる、という。1時過ぎにやってきて、本番前にセッティングをすませ、ちょこっとだけ音の感じをリハーサルして、2時からは番組が始まり、彼の出番は2時40分過ぎ。 ルイ・アームストロングの「ホワット・ア・ワンダフル・ワールド」がかかっている間に、木下くんスタジオに入る。いつも、彼はにこにこしている。 歌う曲は、1曲はオリジナルで、九州地区だけでシングル発売となる「通り雨」。もう1曲はなにかソウルのカヴァーをやろうということで、結局、ダニー・ハザウェイの「サムデイ・ウイル・オール・ビー・フリー」になった。ただし、ダニーの曲、放送時間が短かったため、少し短いヴァージョンでお願いすることにした。 キーボード1本と彼の歌声。このシンプルな音と声は時折メロディーがぶれたり、発音がちょっとこもったりするが、実に力強い。声そのものにソウルがあるところが、すごい。 そして、DJマーヴィンやちさとらとのやりとりもおもしろい。「好きな食べ物は?」 「ペペロンチーノとか・・・。おしゃれなところで・・・」 「好きな女の子のタイプは?」 「可愛い声の人、これに尽きますね! へへ」(スタジオ内爆笑) 「次のライヴへ向けて新しい曲は、何か練習してるの?」 「マーヴィン・ゲイの『ホワッツ・ゴーイン・オン』とか」 「あれ。もうやったじゃない」 「まだまだなんで、磨きをかけようかと・・・。全体的に、まだまだですねえ」  楽器演奏のゲストは、あのナイル・ロジャースがギターを持ち込んで飛び入りライヴを見せた時以来と記憶する。 最近、彼を見ていて、そして、歌声を聴いていて、彼が「盲目」であることをほとんど意識しないようになっている自分がいて驚く。それだけ彼が普通に音楽をやっているところをたくさん見ているからだろう。彼と音楽が一体となっている、というか、自然にキーボードの前に座り、弾き、歌いという姿が当たり前になってしまったからなのだろう。航志くんのキーボード裁きなどを見ていると、彼が目が見えていないということをすっかり忘れてしまう。 だから、彼を紹介する時も、「鹿児島出身の16歳のシンガー・ソングライター」といったことで充分のような気がしている。まあ、もちろん、「16歳」でこれだけやられると、そのことだけで驚嘆してしまうが、いずれ、この「年齢」も気にならなくなるのだろう。 Age Ain’t Nothing, But A Number.(年齢なんて関係ない、ただの数字さ) そして、僕はこんな言葉を航志くんに捧げたい。Blind Ain’t Nothing, But A Word. (盲目なんて関係ない、それはただの単語) 航志くんに尋ねた。「航志くんの将来の夢は何?」 「将来、ずっと音楽をやっていくことです」  (拍手) (2005年8月28日・日曜、『ソウル・ブレンズ』ゲスト=木下航志・ライヴ) ENT>MUSIC>LIVE>Kishita, KohshiENT>MUSIC>ARTIST>Kishita, KohshiENT>RADIO>Soul Blends>Kishita, Kohshi

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Fukamachi Jun Live: 8th Wonder Of The World

【行列ができないライヴ】 八不思議。 そう、毎回キャパおよそ70人くらいの恵比寿アートカフェで行われるこの即興ライヴ。初めてこのパーティーに来られた方、挙手か拍手を、というと、半分くらいの人たちが手を挙げたりするわけです。半分が初めて、半分がリピーター。ひとりの人が翌月ひとりか二人連れてくれば、2-3ヵ月後には恵比寿の駅まで人が並ぶようになるはずなのだが・・・。深町さんもそう言います。僕もそう思う。(笑) ところがそうはならない。世の中、ちゃんとうまくできています。キャパ70人くらいのところでやっていて、ちょうど毎回それくらいがほどよく入っているのです。 話半分、音楽半分というこの会は、深町さんの即興音楽同様、その即興トークも聴かなければなりません。ひょっとしたら、「10割そば」ってのに習って、音楽10割(全部)(ノートーク)にしたら、毎回観客も倍増するかもしれません。そうして70-140-280-560-1120-2240-4480と増えていけば、4ヵ月後には国際フォーラムのC(約1400弱)、6ヵ月後には国際フォーラム・ホールC(5000弱)でできるようになります。深町さんが目の敵にする加古隆打倒も夢ではありません。 しかし、深町さんはしゃべり続けます。「僕がこの会をパーティーと呼ぶのは、ひとつの理由は、これがコンサートではないからです。ライヴではない、と僕は思っている。僕はしゃべります。ひどい時は3分の1くらいしゃべります。(注釈、ほんとは半分以上しゃべります=(笑)) で、あなたたちは、これを聞かねばなりません。僕のトークとピアノの演奏とセットでこのパーティーだと思ってください。料金は基本的には設定してありません。商業音楽っていうのが、僕は嫌いで、でも、まあ、それで食べてきてはいるんですが、音楽がビジネスになった時から失ってしまったものがあるような気がしてるんです。この50年ほどですけどね。せめて、ここでピアノ・パーティーをやる時は、そういう感じではしたくない。つまり、チケットを売って、宣伝して、とやるのではなくて、すぐ近くの飲み屋のおばちゃんが来てくれたり、八百屋のおじちゃんが来てくれたら、いいなあと思う。入口で何千円っていうのを取ると、そういう人たちってはいれないじゃない。だから、そういうのはなしにして、物々交換なんて望ましいですね。例えば、畑で取れた大根を持ってきて、これとか言って差し出して、お米を一升とか・・・。御代は見てのお帰りで、という、ある種健全な見世物だと思うのですが・・・」 話は止まりません。フォーレスト・ガンプがずっと走りつづけるように、深町さんはしゃべりつづけます。 そして、このピアノ・パーティーに行列ができない不思議。それは、世界の七不思議を越えた8番目の不思議です。 ■2005年7月31日付け日記 July 31, 2005Fukamachi Jun Live: Here’s A Setlist即興曲のセットリストとはhttp://blog.soulsearchin.com/archives/2005_07_31.htmlここに過去記事一覧があります。 +++++ Setlist: Fukamachi Jun Improvisation Live #56August 27, 2005 at Art Cafe, Ebisu 1st setshow started 19.351. 2005年8月27日午後7時37分の作品(13.01)2.2005年8月27日午後8時16分の作品(月)(11.34)3. 2005年8月27日御題拝借作品1(1.28)4.2005年8月27日御題拝借作品2(狂気の月、Lunatic)(1.16)5. 2005年8月27日御題拝借作品3(オペラ歌手とともに)(2.20)6. 2005年8月27日御題拝借作品4(1.59)show ended 20.46 (performing time: … Continue reading

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Sonny Rollins Additional Live Concert

【ソニー・ロリンズ追加公演】 小会場。 11月に来日するモダンジャズの巨匠、ソニー・ロリンズ(サックス奏者)の東京での公演が売り切れとなり、急遽追加公演がでることになった。ソニー・ロリンズは、今回のライヴを引退ライヴとしており、最後の来日公演になるかもしれない。ただし、ロリンズはこれまでにも何度も「引退」を表明しているので、数年後に引退を撤回することは充分に考えられる。ただし、1930年生まれの今年9月で75歳になるだけに、やはり、今後ひんぱんにライヴを見るチャンスは少なくなるだろう。 しかも、今回の追加公演の会場は、最初のライヴ会場である国際フォーラムのホールAよりはるかに小さいホールCとなる。Aの収容人数が約5000であるのに比べ、Cは、約1000弱。ジャズを見るには、むしろAよりもこちらのほうがいいということになる。 ロリンズの来日は2003年11月以来約2年ぶり。 ソニー・ロリンズ追加公演 2005年11月11日(金) 東京国際フォーラム ホールC。開場18時、開演19時。チケット 7500円。詳細問合せ先 JECインターナショナル  インターFM『ソウル・ブレンズ』内で、特別先行予約を4時半から5時半まで受け付けます。受け付け番号など詳しくは番組をお聞きください。 『ソウル・ブレンズ』内、「山野ミュージック・ジャム」では、2001年9月15日に録音されたソニー・ロリンズの新作『ウィザウト・ア・ソング(9.11コンサート)』を特集します。 なお、今回のジャパン・ツアーの予定は次のとおり。 <SONNY ROLLINS ラストコンサート LIVE IN JAPAN 2005> ■2005年10月31日(月) 愛知県芸術劇場 コンサートホール開場6:00PM/開演7:00PM SS席¥7,000 S席¥6,500 (税込)【問】CBCプレイガイド 052-242-1181/ボトムライン052-741-1620 ■11月2日(水) 大阪厚生年金会館 大ホール開場6:30PM/開演7:00PM S席¥6,800 A席¥6,000 (税込)【問】YUMEBANCHI 06-6341-3525 ■11月4日(金) Zepp Fukuoka開場6:00PM/開演7:00PM 指定¥9,000 立見¥8,000 (税込)【問】B.I.C. 092-713-6085 ■11月6日(日) 東京国際フォーラム ホールA (売り切れ)開場4:30PM/開演5:30PM S席¥7,000 A席¥6,500 (税込)【問】JECインターナショナル 03-5474-5944 ■11月8日(火) 北海道厚生年金会館開場6:00PM/開演6:30PM S席¥7,000 A席¥6,000  B席¥5,000(税込)【問】BOSSA 011-271-5410 【総合問いあわせ】JECインターナショナル 03-5474-5944 +++++ ENT>LIVE>ANNOUNCEMENTS>Rollins, Sonny

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New Ponta Box Live

【ストレート・トーク炸裂】 自己主張。 一言で言えば、ポンタ氏は、ひじょうに自己主張の強いミュージシャンだなあ、ということ。一部がニュー・ポンタ・ボックス。二部がそこにいろいろなゲストを迎えてのライヴ。第一部で、ハービー・ハンコックの作品を何曲かやっていて、東京ジャズでハンコックのすごさを感じたが、ここでも改めてハンコックのすごさを感じた。太平洋を越えた日本のミュージシャンがこうやってリスペクトしてカヴァーするんだから。 二部はまずサックスの小林香織。そして、ヴォーカルのティナ。インストの中にヴォーカルが入ると、圧倒的。エスター・フィリップスの影響大とも言えるヴォーカルは、それまでの演奏曲をすべて前座にしてしまうほどだ。ティナがこういう英語曲を歌うのは初めて聞いた。エスターの持ち歌でもある最初の「ホワット・ア・ディッファレント・ア・デイ・メイクス」がよかった。やはり、ヴォーカルは強い。 しかし、おもしろいと思ったのは、ポンタ氏の毒舌トーク。「ハービーの曲は聴いてるとものすごく気持ちいいんだが、実際にやると、ウザイ。譜面なんて真っ黒だ。何でこんなむずかしい曲、俺たちやるんだろ。TKYなんてのと全然違うな。(笑) トクなんて、世界で一番軟弱なやつだ。でも、お友達で~す。日野賢二なんて、5歳の時から知ってる。親父(日野皓正 )はたいしたことないんだけどね、賢二はいい」 はっきり言ってとまりません。ストレート・トーク炸裂です。 Setlist 1st Set 1. Overjoyed2. Footprints3. Seven Steps4. Butterfly5. Sly6. Jaggler7. Actual Proofshow ended 20:40 Second Set show started 21:141. Solar (with Kobayashi Kaori)2. Tell Me A Bedtime Story (with Kobayashi Kaori)3. Sunset Ocean … Continue reading

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Sweet Sweetback’s Baadasssss Song & “Baadasssss!”

【映画『スウィート・スウィートバック、バッドアス・ソング』再公開】 メイキング。 ブラック・ムーヴィーの歴史に残るユニークな映画『スウィート・スウィートバック、バッドアス・ソング』(1971年)がかつて93年に日本でも公開されたが、これがデジタルリマスターされ、2005年10月1日からリヴァイヴァル公開されることになった。また、同時に、この映画のメイキングとも言える『バッドアス!』(2003年)も日本初公開される。これにともない、両作品の監督、前者がメルヴィン・ヴァン・ピーブルス(1932年8月21日生まれ=73歳)、後者がその息子のマリオ・ヴァン・ピーブルス(1957年1月15日生まれ=48歳)、が来日、インタヴューする機会を得た。この模様は近く『ソウル・ブレンズ』内でご紹介する。このインタヴューには、日本語版字幕を監修されたオーサカ=モノレールの中田亮さんも同席され、僕を含めて4人で話をした。 二人は、さすがに宣伝しに来てるだけあって、おそろいで『バッドアス!』のTシャツを着ていた。マリオはかなりかっこいい。あの『黒豹のバラード(Posse)』(1993年)、そして、『ニュージャック・シティー』(1991年)でも有名。 父親が作った、ブラック・ムーヴィー史上に残る作品『スウィート・スウィートバック、バッドアス・ソング』、そして、その息子が作ったメイキング『バッドアス!』という組合せはなかなかおもしろい。オリジナルが制作された70年、マリオは13歳だった。71年に発表されてから32年後に、そのメイキングを作ったわけだ。 マリオが振り返る。「歴史に残るこの作品のメイキングを作るのもいいと思った。そこで、父にこのメイキングを作ってもいいか、と尋ねた。そしたら、父は『もちろん、いいよ』と言ってくれた。だがその後に『でも、お前は、私から権利を買わなきゃだめだ』と言われたんだ。(笑) もちろん、買ったよ。(笑)」  父親メルヴィンは映画『バッドアス!』(メイキングのほう、2003年作品)を、試写会まで見たことがなかったが、試写の席で、父親が画面を見ているのを見て、息子のマリオも感無量だった。つまり、父は、息子が演じている自分の姿を見ている、からだ。 映画『スウィート・スウィートバック、バッドアス・ソング』は、いわゆるブラック・ムーヴィーが盛り上がり始める1972年より前にリリースされた。そうしたブラック・ムーヴィーの歴史の出発点にある作品とも言える。内容は、シンプル。いろいろな状況から白人警官を殴ってしまった黒人が、彼らからずっと逃げ続けるというもの。 メルヴィンは、この映画の製作資金をすべて自分で集め、製作し、音楽を作り、配給した。まったくハリウッドの資本に頼らず、独立性を持って作り上げた。ハリウッドの製作スタジオから、売れるためにはこうしたほうがいい、この要素をいれろ、といったことはまったくなく、完全にクリエイティヴ・コントロールを得ての作品だった。 メルヴィンが熱く語る。「当時(1971年頃)、ブラック・ムーヴィー・シーンなんてものはなかった。ハリウッドが作る映画の中にちょっと黒人のことを描いた作品がある程度だった。私は『ウォーターメロン・マン』をコロンビア・ピクチャーズで作った。まあ、悪くはなかった。ゴードン・パークス(黒人監督)が作り、オージー・デイヴィス(黒人監督、俳優)も作っていた。だが、どれも黒人コミュニティーの『ソウル』を描ききれていなかった。そこで、そうした『ソウル』を描いた作品を作る決意を固めたんだ。そして、ひじょうに興味深いことに、私は『ソウル・ミュージック』は、黒人コミュニティーにおいてとても重要な位置をしめると考えていたので、映画の中においても音楽はものすごく重要なものだと思っていた。だから、この映画では音楽を重要視した。だから、この映画は『スウィート・スウィートバック』ではなく、映画『スウィート・スウィートバック、バッドアス・ソング』と、『ソング』がくっついているんだよ。以来、黒人映画、白人映画問わず、音楽というのは映画において、ものすごく重要な位置に置かれるようになった。映画『スウィート・スウィートバック、バッドアス・ソング』を理解するのは難しいかもしれないが、これなしに(あとに続くブラック・ムーヴィー)、『シャフト』や『スーパーフライ』はでてこなかっただろう」 彼はそれまで音楽を本格的に作ったこともなかったが、この映画のために音楽を作ろうとした。もちろん、楽譜も読めないし、どのように音楽を作っていいかもわからなかった。そこで、彼はピアノの鍵盤に数字を振り、自分が作るメロディーを数字で書き、自分の音楽を作った。そして、自分の思い通りの音を作ってくれる新人アーティストを探した。すでに名前があり、自分たち独自のサウンドを追求するアーティストではなく、メルヴィンが言うことをすべて言った通りに再現してくれるミュージシャンを探した。たまたま秘書のボーイフレンドに、当時はまだ無名だったアース・ウィンド&ファイアーのメンバーがいて、相談するととんとん拍子に話が進み、彼らが音楽を付けることになった。 メルヴィンは「そう、私は86の鍵盤に数字をつけた。88(ピアノの鍵盤は88)じゃないんだ。2つほど、音がでないキーがあったんでね」と笑う。 いかにもインディ映画という趣のB級作品だが、メルヴィンが言うブラック・コミュニティーのソウルを描いた映画という意味で、また、ブラック・ムーヴィーの歴史の出発点という点で大きな意義のある作品と言えるだろう。 ++++ 映画『スウィート・スウィートバック、バッドアス・ソング』(1971年作品)2005年10月1日(土曜)からユーロスペースでレイトショー公開 映画『バッドアス!』(2003年作品)(映画『スウィート・スウィートバック、バッドアス・ソング』のメイキング)2005年10月1日(土曜)からシネセゾン渋谷でレイトショー公開 ともに配給宣伝・ミラクルヴォイス +++++ ENT>MOVIE>”Sweet Sweetback’s Baadasssss Song” & “Baadasssss!”

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Kishita Kohshi Live At Duo: Power To The Listener

【聴く者に元気を与える木下航志・ライヴ】 第3回。 今年の4月以来の正式なワンマンライヴ。ソウル・サーチン・ダイアリーをお読みの方には、「ソウル・サーチン・トーキング」(6月26日)以来のライヴということになる。フルライヴは、僕は3回目。いやあ、書きたいことはいっぱいあるなあ。どこから行こうか。渋谷デュオ、この日は1階も2階もテーブルを全部はずし、椅子だけ。300近くは入っているのではないか。次回あたりは、このクラスで2デイズできるような気がする。 今回は、前半がカヴァー曲、休憩をはさんで第二部がオリジナル中心となっている。やはり、圧巻は前半。「重大発表があります」って、この日は二度も言った航志くん。MCおもしろすぎ。この親父のりのMCは、誰譲りなんだろう。重大発表1で、歌われたのが、なんと、山下達郎の歌「潮騒(しおさい)」。もちろん、オリジナルも何度も聴いたが、航志ヴァージョンはもちろん初めて。これは、きっと何度かやってるうちに、彼の「もの」にするな。間違いない。 「レイ・チャールズ、昨年お亡くなりになって、映画が出たり、本がでたり。『わが心のジョージア~レイ・チャールズ物語』が出て、大ベストセラーになって・・・多くの方に読んでいただいて・・・。(少し笑) 僕が書いたんじゃないんですけど (笑)」 宣伝、ありがとう、航志くん。(笑)  ヴォーカル・テクニックでも、今回はちょこちょこ裏声を使うようになっている。まだまだ音程的にはあまいところがあるが、何度もやるうちに、かなり確固たるものになるだろう。「ジョージア・オン・マイ・マインド」あたりは、ずいぶん歌いこんできているので、前回よりぐっと密度が濃くなっている。 「ユーヴ・ガッタ・ア・フレンド(君の友達)」は、元々キャロル・キングが書いて、ジェームス・テイラーの歌で1971年に全米ナンバー1になった歌である。しかし、キング、テイラーの歌だけを聴いたのでは、こんなにソウルフルに魂が込められた歌にはならない。航志くんが下敷きにしているのは、ソウル・シンガー、故ダニー・ハザウェイのヴァージョンだ。航志くんのファンになられた方は、ぜひ、彼がカヴァーする作品のオリジナルに耳を傾けて欲しいと思う。スティーヴィー・ワンダー、レイ・チャールズ、ダニー・ハザウェイといったアーティストたちだ。 そして、今回のカヴァーの最大の目玉は、マーヴィン・ゲイの「ホワッツ・ゴーイン・オン」。「いやあ、それにしても歌詞を覚えるのが本当に大変でした。2番なんてやっと覚えました」と言っていたのがこの曲。そして、曲紹介をした。「それでは、マーヴィン・ゲイで『ホワッツ・ゴーイング・オン』!」 キーボードのイントロが流れ出した。すると、これまたダニー・ハザウェイ・ヴァージョン! いや、確かにマーヴィンの曲ですが。(笑) 航志くんも、これを歌いこめばどんどん深みのある作品にしていくことだろう。 メンバー紹介を、オリジナルの「月ふたつ」に乗せてやったところなど、なかなかいい感じの演出だ。ただオリジナル曲は、楽曲自体なのか、アレンジなのかその理由ははっきりわからないが、これからもっと磨きをかけたいところ。とりあえず、オフィシャル・デビュー前の、助走期間といった趣だ。 オリジナルの中では、前回ライヴでも、また、「ソウル・サーチン」でも歌った「通り雨」が10月5日、九州限定でシングル発売される、という。ただ、インターネットでの通販はあるので、結局はどこでも買えるということになる。これが重大発表2だった。 「午前4時」という曲は、なかなかソウルフルな感じの曲で、僕にはちょっとボビー・ウーマック風の曲のように思えた。また、やはり、バンドとの曲だけでなく、彼のキーボード単体でのソロがもう少し聴きたい。アンコールの「絆」はベースとドラムスだけになり、次の「竹田の子守唄」は彼ひとりになったが、この他にも彼ひとりのものをセットの途中にいれてもいいだろう。 それにしても、航志くんの名司会ぶりはおもしろい。メンバー紹介で、自分で自分を紹介したり、「疲れてしまいました。年のせいではないと思いますが」とか、かなり笑える。 そして、航志くんは何よりも、キャラが明るいからいい。あの明るさと元気さを見ていると、見ている側もほんとにがんばらなくちゃ、というような感じで元気をもらう。音楽的にどうのこうのというより、彼のあのキャラクター、存在そのものが、聴く者に元気を与えるという点で、すばらしい。 木下くんを初めて見た尾臺順子さん(NHKの『ソウル・ミュージック』のDJ担当)は、かなり興奮、感激した様子。「『サムデイ・ウイル・オール・ビー・フリー』なんか、ほんとすごいですね。天才ですね! ぜひ、年末のライヴ特番に出て欲しいわ」。 アンコール2曲目の「絆」について、木下航志くんは言った。「バラードの王様とも言える典型的な曲です。(笑) これは僕とおかあさんの絆をテーマに作った曲です。みなさんも、人と人との絆を大切にしながら聴いてください」 航志くんのソウルから生まれた曲は、間違いなく人の心を打つ。 ■木下航志くん、『ソウル・ブレンズ』(インターFM76.1MHZ、日曜午後2時~5時)にゲスト生出演  木下航志くんが、来る8月28日、インターFMの日曜午後の定番番組『ソウル・ブレンズ』に生ゲストで出演する。当日は、キーボードをスタジオに持ち込む予定なので、生演奏が聴かれるはず。番組へのおたよりは次のアドレスへ。 marvin@interfm.co.jp メッセージ、ライヴの感想などがあれば、メールをお送りください。出演は、2時40分前後から約15分ほどの予定。 ■「ホワッツ・ゴーイング・オン」についての解説 2002/10/20 (Sun) What’s Going On http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200210/diary20021020.html 2002/10/21 (Mon) What’s Going On -2- http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200210/diary20021021.html 2002/10/22 (Tue) What’s Going On -3- http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200210/diary20021022.html … Continue reading

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Soul Bar Searchin’ : Bar “Ali Ollie” 

【新店ソウルバー、アリ・オリ】 恵比寿は、ソウルバー激戦区になってきたのかもしれない。老舗のブラウンシュガー、ソウルシスター、他にSSBのバーがある。そんな恵比寿に去る2005年8月4日、新しいソウルバーが開店した。その名を「バー・アリ・オリ(Bar Ali-Ollie)」。もちろん、アリ・オリと来れば、あのテンプテーションズのリード・シンガーのひとり、アリ・オリ・ウッドソンを思い浮かべる方も多いだろう。 場所は恵比寿の駅から徒歩3分。カフェ好きの人には知られる「ヌフ・カフェ」というカフェと同じビルの5階にできた。ちょうど山手線沿い(山手線、外側)にほんの少し渋谷方面へ向かった場所にある。中にはいると、カウンターはすべてふさがっていて、ボックス席に座ることになった。座っていると、しばらくしてから、マスターが「吉岡さんでらっしゃいますか」という。「ええ、そうですが。あれ、誰かから連絡行ってました? っていうか、なんでわかったんですか」 「顔は存知あげていたんで?」 「うっそー、僕、写真とか出してないんですけど」 「え~、でも知ってました」  そう言うバーのオウナー兼マスターは小野田淳夫さん。ツタヤで10年ほど仕事をした後、店をオープンした。元々ソウル好きで、買ったCDやアナログがどんどん増え、他で仕事をしているとなかなか聴く時間が取れないので、聴くためにソウルバーをオープンすることにした、という。「店を始めれば、聴けるかなと思って」という。CD約2000枚、アナログ1000枚近く。この他に、自宅にももう少しあって、入れ替えていくという。CDJ2台とターンテーブル2台で、いかようにもミックス可能。 カウンター7席、ボックス12席もかなりの余裕の作り。カウンターはつめれば9人くらいは楽勝にいけるのではないだろうか。黒と赤が基調。ただし、壁や天井にソウルのレコードのジャケットは貼られていない。どちらかというと、渋谷の「バー・ルーム」的な大人っぽいバーの雰囲気を漂わす。 小野田さんは、72年仙台出身ということで、最初は「ニュー・ジャック・スイング」の前あたりからリアルタイムで聴き始めたが、その後、60年代後期から70年代初期のディープ系などにもどっぷりとはまったという。そこで、ここでは、80年代後半ものも、70年代前半ものも、比較的なんでもかけるという。 グラディス・ナイトをかけてもらったら、そのアナログが77年初頭に発売された来日記念盤という日本編集の特別編集盤だった。しかも、その帯には77年3月、2度目の来日、とある。あれ、グラディスって2度来日してたっけ。75年のサンプラはよく覚えてるんだが。でも、きっとこう印刷されているのだから、来たのだろう。 小野田さんは中古で買ったそうだが、なんと中にサイン入り色紙がはいっていた。その中でなじみの曲が流れたと思ったら、あの「ジョージア・オン・マイ・マインド」だった。すっかり忘れていた。レイ・チャールズのあの曲をライヴ仕立てにしていた。アルバム『セカンド・アニヴァーサリー』に収録されていた作品だ。ソウルバーに来ると、こうして、すっかり忘れていた曲に再会することがあって嬉しい。 今年3月一杯で会社をやめ、準備をすすめていた、という。その間、アメリカ南部に旅行をして、マラコ・スタジオ、スタックス・スタジオ跡地の記念館、ハイ・スタジオなどに行ってきたそうだ。 奥様と二人で店に立つが、週末はもうひとりスタッフをいれて3人体制になるという。日曜が一応休み。ただ人の流れがまだよくわからないので、しばらくはこれで様子を見るという。食事もできる。ガンボ&ライスは一押しだそうだ。 家に戻って、『セカンド・アニーヴァサリー』を引っ張り出して再聴したのは言うまでもない。 +++++ ■ソウル・バー、アリ・オリ公式ウェッブhttp://www.barali-ollie.com/ BAR Ali-Ollie !!!! (バーありおり)東京都渋谷区恵比寿西1-3-2 東栄第2ビル501電話・ファクス 03-5458-6005営業時間 19:00~5:00定休 日曜チャージ 600円ドリンク 650円~2005年8月4日オープン (行きかた)JR恵比寿駅西口(山手線の外側=バスロータリーがある方)を出て交番の正面、京樽とvodafoneの間を直進。左手に大丸ピーコックが見えたら右正面の豆爺カフェの間を右折し山手線沿いの裏道を道なりに左折。しばらく行った左側のビルの5階。1階がメキシコ料理サルシーター。 +++++ ENT>SOUL BARS>Bar Ali-Ollie +++++ 佐藤さん、情報ありがとうございます。

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Tokyo Jazz 2005: Herbie Is Real Control Tower

【司令塔ハービー・ハンコック】 司令塔。 ハービー・ハンコックが音楽プロデューサーという「東京ジャズ2005」を東京ビッグサイトに見に行った。今までは、どこか府中のほうでやっていたものが、お台場のほうにやってきて、行きやすくなった。とは言うものの、僕がビッグサイトに行くのも、東京ジャズも初めて。2002年から始まり今回は4回目。 2003年急遽来れなくなったダイアナ・クラールのピンチヒッターでシャカ・カーンが来て、すばらしいパフォーマンスを見せたということを後から聞いてものすごく残念な思いをした、あの東京ジャズである。たまたま縁がなかったのだろう。 6時半すぎに現地に到着すると、入口のところで、人がど~~と並んでいる。聞けば、リハーサルが遅れててまだ開場していない、という。 結局約30分の遅れだけで、7時半に第2部のトップバッター、TKYの演奏が始まった。会場は3000人以上入る大きいところで、国際フォーラムAより大きいような気がした。から揚げとかポテトとか、いろいろフードやドリンクを出す出店(でみせ)があったり、長時間滞在用になっているのか。座席の後方に、立見席のエリアがあるのだが、この「東京ジャズ」の観客の方たちは、けっこう年齢層も高いせいか、みんな座り込んでいた。(苦笑) 1部が午後1時から、ライヴが約4時間で、間があいて次が7時から。となると、通し券を買った人は10時半まで9時間半くらいの長丁場になる。これは、見るほうも大変だ。 TKYは、いつも通り。会場がとにかく大きいので、親近感がなかなかわかないが、聴く側も徐々に音への集中度が高まっていく。この日は、ハービー・ハンコックがプロデューサーというせいか、秋田慎治のピアノソロの部分がなんとなくハンコック風に聴こえたような気もする。(笑)  続いてのハービー・ハンコック・グループは、やはり、ハービーに尽きる。一言で言って「たいしたもの」。これだけの若いミュージシャンを実にうまく統率して、サウンドをまとめあげる。並大抵の力量ではできない。彼は今年65歳だが、30代~40代の油の乗り切った若手を、将棋の「歩」から、「金」に変えてしまうかのように、操る。もちろん、「歩」でも、ひとりひとり力のあるミュージシャンなのだが、そうしたミュージシャンの底力を出させて「金」にしてしまう。マーカスのベースも、マニャンゴのパーカッション、ワウ・ワウ・ワトソンのギターなどなど、どれもみな聴き物だ。 クインシー・ジョーンズの手にかかると、どんなミュージシャンも普段以上の力を、火事場のバカ力を出してしまうのと同じだ。彼を見ていると、ミュージシャンの中のリーダーシップといったものを痛切に感じる。司令塔としてのハンコックの力を感じた。 それに、ハービー自身がものすごく若く映る。彼がこの中で音楽をプレイする時、30代の連中と同じ世代のように感じてしまう。音楽は人を若く保つ秘訣を証明している。 それにしても、演奏される曲のどれもが心地よいグルーヴで溢れる。なんと気持ちいいリズムか。最後のスーパーユニットも、大勢のミュージシャンたちをハンコックがうまく統率していた。 ステージ正面、左右に映像モニターが置いてあったが、時に左右で違う映像が流れていた。これはなかなかおもしろかった。あと、映像ではバンドメンバーを上からとる映像がよかった。特にハービーの手元を真上から撮影する映像は印象深い。上手に編集して、いい映像を作ってください。 これはどうでもいい話だが、ステージ正面やあちこちで見かけた「東京ジャズ2005のロゴ」。あれ、どうなんですかねえ。もうすこしかっこいい、ぱっと見のいい、ロゴにしたほうがいいんじゃないかなあ。もう4年も使ってて、変更はできないか。(笑) あとセットチェンジの間の時間をなんとかしたいですねえ。回転ステージにして、Aバンドが終ったら、ステージを回転させて、すぐにBバンドの演奏を開始するとか。 +++++ ■東京ジャズ2005オフィシャルウェッブhttp://www.tokyo-jazz.com/ ■メンバー 2005年8月21日・日曜の第二部 【NIGHT 19:00~19:50】 TKY =TOKU (ヴォーカル、フルーゲルホーン、トランペット)、日野 賢二 (ベース)、小沼 ようすけ (ギター)、秋田 慎治 (ピアノ)、大槻カルタ英宣 (ドラムス) 【NIGHT 20:05~21:05】 ハービー・ハンコック・ヘッドハンターズ’05 =ハービー・ハンコック (ピアノ)、テリ・リン・キャリントン (ドラムス)、ロイ・ハーグローヴ (トランペット)、マニャンゴ・ジャクソン (パーカッション)、リオーネル・ルエケ (ギター、ヴォーカル)、マーカス・ミラー (ベース)、ワー・ワー・ワトソン(ギター) 【NIGHT … Continue reading

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After Kohshi’s Rehearsal Is Over, Soul Food Is Waiting

【リハが終ればソウル・フード】 リハーサル。 「ソウル・サーチン・トーキング」のスペシャル・シークレット・ゲストでも大好評だった木下航志くんが、恒例の夏のライヴを行う。22日に大阪、24日に東京だが、ともに売り切れとなっている。航志くんは、来る28日『ソウル・ブレンズ』(インターFM、76.1Mhz=日曜午後2時から5時)に生ゲストで登場。キーボード持参で来るので、何かを歌って演奏してもらうことになるだろう。 プロデューサーの永島氏から、リハの様子でも見にきませんかというお誘いがあったので、早速、都内のスタジオに行った。まあ、手ぶらでもなんなので、何を持っていこうかといろいろ考えたが、白金のドーナッツ・プラントのドーナツを持っていくことにした。一時期はものすごく並んでいたお店だが、量産体制を整えたこともあってか、今では並ばずに、しかも、制限なく買える。(当初はひとり8個までだった) 久々に行ったら、また種類の違うのがでていた。 さて、スタジオではリハが進んでいた。バンド編成は、ドラムス、ギター、ベース、キーボード、サックス(ハーモニカも)、コーラス2人、そして航志くん。1部と2部で間に10分程度の休憩を挟む構成らしい。前半がカヴァー曲が多めで、2部がオリジナル中心になる予定だという。オリジナルには過去1年で書きためてきた新曲もあるようだ。 だいたい、昼の1時から夜8時くらいまで一週間ほど通しで練習をしてきた、というので、夜あたりになると、さすがの航志くんもくたびれてきているようだ。しかし、念入りに楽曲を作り上げている。 8時過ぎ、メンバー全員でスタジオの広いロビーで夕食を食べる。ゴハンと味噌汁と数点の惣菜が並ぶ。大きなテーブルで食べるところなど、なんとなく、あの映画『ソウル・フード』で家族全員が一緒に食事をする場面を思い出した。これは、いい感じだ。 「航志くんは嫌いなものとか、あるの?」 「いえ、別にありません。なんでも食べます」 「じゃあ、好きなものは?」 「鳥のから揚げとか・・・」 食事が終って一段落すると、最後の仕上げでもうひとリハーサルあった。 うちに戻ると、航志くんから、演奏予定曲目リストがメールで送られてきた。わお!  曲名がていねいにかかれてあったが、一番最後に「マダニッキニハノセナイデクダサイ」とあった。 受けた。 +++++ ■木下航志オフィシャルサイトhttp://www.kishitakohshi.com/ ■ライヴ情報http://www.kishitakohshi.com/Information.html 【大阪公演】日  程:2005年8月22日(月)会  場:学校法人 キャットミュージックカレッジ専門学校     本館CATホール(本館最上階)住  所:〒564-0062大阪府吹田市垂水町3-29-18アクセス:地下鉄御堂筋線「江坂」駅A階段1号出口より徒歩3分開場時間:18:30開演時間:19:00前売チケット:お一人様 2000円(税込)当日チケット:お一人様 2500円(税込) 【東京公演】日  程:2005年8月24日(水)会  場:DUO MUSIC EXCHANGE住  所:東京都渋谷区道玄坂2-14-8アクセス:渋谷駅ハチ公口より徒歩10分。     SHIBUYA109の左横通り「道玄坂」を直進。     右側角の回転寿司「台所屋」を右折 突き当たりを道なりに右折。地図はこちらをご参照ください。http://www.duomusicexchange.com/ 開場時間:18:00開演時間:19:00前売チケット:お一人様 2000円(税込)当日チケット:お一人様 2500円(税込) ※前売りチケットは8月17日18:00を持って終了させていただきました。  当日券は若干枚数販売予定(立見席のみ)です。 お問い合わせ:フィルター・インク 03-5456-8088 ■木下航志君についてのソウル・サーチン・ダイアリー (木下航志君とは何者かと興味をお持ちの方は、日付順にダイアリーをご覧ください) 2003/12/29 (Mon) Stevie Gave Love & Courage To Everybody スティーヴィーのライヴで見かけた少年。http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200312/diary20031229-1.html 2004/04/30 (Fri) Kishita Koushi: 14-Year-Old Genius, I’d … Continue reading

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George’s Re-Opened In Nishi-Azabu

【ジョージ 西麻布に再オープン】 再現。 今年4月に突然閉店となった日本最古のソウルバー、ジョージがなんと突然、西麻布で再開した。8月18日(木)、仮オープンし、24日(水)に正式にグランドオープンとなる。早速、覗いてみた。 場所は西麻布の交差点から六本木通りを六本木方向へ左側を歩き、メンテルスというホテルの1階。入口は、小道を左に入ってのところにあるが、すぐわかる。 それにしても、その入口の前に立っただけで驚く。あのかつて防衛庁横にあった頃の窓とドアが、そこにあった。ただし、かなり新品で綺麗だが。ドアを押して中に入るとさらにびっくり。入ってすぐ右にあの往年のジュークボックスが同じように置いてある。さらに、右側のカウンターが、あのまんま。もちろん、カウンターは新しく作ったものなので、新品のピカピカなのだが、高さまですべて前の店のものを測って同じように再現した。若干、座席の後ろの通路の部分がかつての店よりも少し広いということと、奥行きが若干短いところがちょっと違うだけ。まだ、天井や壁にあの昔のソウル・アーティストたちの写真が一部にしか貼られていないが、けっこう貼ってある。 今回このジョージを再現オープンしたのは、過去12年ほどジョージでママとともに一緒にやってきたともさん。ママの息子さんであるジョーイさんにも了解を取って、移転、再オープンにこぎつけた。ジョージ・レプリカだ。「やっぱりこのカウンターじゃないと、ジョージじゃないですから」とかなりのこだわりをみせた。 当面は彼女ひとりでやっていくという。まだ様子がわからないので、しばらくは日曜・祝日休みで、8時から午前2時くらいまでの営業にしようか、とのこと。週末は朝までやることになるだろう、という。 防衛庁跡地のすぐ隣にあった旧ジョージは、24日までに取り壊されることになった。そこで、24日を正式オープンの日ということにした。 さっそくジュークボックスに100円いれて、101を押した。順番は一見ほとんど変わらない。101は、ご存知の方はご存知だろうと思うが、ジュークボックスの左端・一番上である。マーヴィン・ゲイの「ホワッツ・ゴーイン・オン」である。続けて、107をいれた。「ソウル・サーチン・第6章」でおなじみのミニー・リパートンの「ラヴィン・ユー」だ。 1-0-1をがちゃがちゃと押す。針がレコード盤をこする。そして、あのイントロが流れる・・・はずだったのだが、なんと、B面がかかってしまった。(笑) 「あ、すいません。まだ、シングル、A面とB面が逆になってるのがあるかもしれませ~ん。キャンセルしてください。100円お渡ししますから、B面押してください」とともさんが100円玉をくれた。そして、201を押すと、しっかりとすっかり擦り切れた「ホワッツ・ゴーイン・オン」が流れてきた。 ジョージは1964年(昭和39年)オープンの日本最古のソウルバー。80曲入るジュークボックスが名物。場所を移して営業を続けるということは、やはり「日本最古のソウルバー」という冠は、この西麻布ジョージということになるか。 この店だけは、早くもっと薄汚れて欲しいなと思った。そう言うとともさんが、笑った。 +++++ ■ジョージ最後の日~日本最古のソウルバーの閉店の模様 http://blog.soulsearchin.com/archives/2005_04_24.htmlThe Last Day Of George’s: Part 1 http://blog.soulsearchin.com/archives/2005_04_25.htmlThe Last Day Of George’s: Part 2 ■ソウルバー・ジョージスSoul Bar George’s港区西麻布1-11-6メンテルス六本木1F電話 03-3401-8335 (電話は8月22日以降開通します)2005年8月24日正式オープン日曜・祝日定休 営業 20時から2時、週末は朝までチャージなし 一杯1000円から ENT>SOULBARS>George’s PS、James Carr さん情報ありがとうございます

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Trying To Digging The Failure Story In Successful Person

【成功者の中に失敗談を探す】 失敗。 この7月から東京FMで『モテカフェ』(毎週土曜日午後8じから8時半)という番組のインタヴューをしている。ただし、僕の声はオンエアには乗らない。ナレーターの服部さんの声が聴き手役になっている。毎週ひとり、若き起業家、社長を迎えて、「モテる」という言葉をキーワードにその人なりのモテる秘訣などを聞こうという番組だ。 モテるといっても、単に異性にモテるというだけでなく、会社が取引先からモテれば社員の士気もアップ、社長が社員からモテれば業績もアップ、すべてうまくまわっていくというわけで、モテるためには何をすべきか、成功の秘密はなにか、そうしたものを紹介しようというもの。 これまでに、若手起業家として、多くのメディアに露出している方たちが次々と出演を快諾され、毎週短い時間だが、そうした起業家たちと話をする機会を得ている。詳しい内容は、番組のウェッブをご覧ください。 http://www.tfm.co.jp/motecafe/archive/index.html やはり、登場されるみなさんに共通しているのは、話が上手ということ。さすがに会社を設立し、仕事を作り、取引先を説得し、それを遂行するには、多くの人たちを説得、納得させないといけない。強い信念と、話のうまさが際立っている。 社長側からすれば、何度も同じ質問をされ、答えるのにも飽きているにちがいない。それでもそうした退屈かもしれない同じ質問にみなさん丁寧に答えていただいている。 強く感じるのは、成功者たちの共通点だ。実は会社を作るだけなら、誰でもできる。つまり、今の時代、誰でも社長にはなれるのだ。だが、そこから成功するかどうかは、大変な競争を勝ち抜けなければならない。 多くの社長たちは、全員例外なく、まず、自分の目標を作ること、何をしたいか、そのために何をどうすべきかをしっかり把握する。そして強い信念を持って、それに邁進する。大きな行動力を持ってつき進む。それと最近では、行動のスピードが以前よりもより重要になっている。ここに登場する方々は、全員この方程式をしっかりとつかみ、実行している。一言で言って、目標・ヴィジョンと行動だ。目標だけでもだめだし、先走りの行動だけでもだめ。その両者をバランスよく動かすことが大事だ。 そうした成功者たちの成功の話は、たくさんの本やインタヴューで書かれているが、僕は、そうした人たちの「失敗談」のようなものを聞いてみたいと思っている。なかなかそういう話は表にでてこないものだが。 そんな中、今日オンエアーされる藤田晋・サイバーエージェント社長の話で、興味深いものがあった。社歴の中に、2001年7月にレコード会社を起こし、1年半ほどで解散、とあった。その失敗の原因は何かと尋ねた。すると藤田社長は、「けっこういいところまで行ったんですが、レコード業界の市場規模がどんどん縮小している中でいろんな会社が淘汰されていたんですが、インターネットを駆使しても、業績を急拡大することはできなかった、ということでしょうね。伸びてる産業だととりあえず始めてなんとかなっていったりするんですけど、やはり、(音楽業界のような)右肩下がりになっている業界だと、かなりしっかりした事業プランを持って参入しないと痛い目に会うということを学びましたね(笑)」と言った。 ある意味、時期が早かったのかもしれない。アイポッドの強力な普及や、150円でのダウンロードなど、ネットと音楽を取り巻く環境は4年前とは劇的に変化している。となると、再び将来、音楽業界に足を踏み入れる可能性はあるのだろうか、と尋ねると、「実は、もうすでに準備をしてまして・・・」という答えが返ってきた。 一度失敗しても、また、機が熟したと見れば、再度チャレンジする。そのあたりの決断の早さに大変感心した。この番組は、勉強になる。そして、彼らの話を聞いていると自分も早く起業しなければならないんじゃないかとさえ思えてくる。(笑) それほど彼らには「熱」がある。 というわけで、藤田社長のモテる秘訣は、土曜日午後8時、東京FM『モテカフェ』でお聞きください。 +++++ ■藤田晋社長のブログhttp://shibuya.ameblo.jp/?bid=shibuya(1日4万件ものアクセスがあるという人気ブログ) +++++ ENT>RADIO>Mote CafePEOPLE>Fujita, Susumu

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Surprise, Surprise: The New Sound Quartet(NSQ) Live

【ニュー・サウンド・カルテット・ライヴ】 サプライズ。 お台場入口から首都高に乗ると、けっこう急坂になっていて、夜空に続く滑走路のようになる。一番高いところになると、お台場の美しい夜景が左手の眼下に入る。すると、後部座席に乗っていたジョージ君が「俺、レインボウ・ブリッジとベイ・ブリッジの区別がつかないんですよね~~」と言った。たしか、レインボウ・ブリッジは、遠くから見ると、橋自体のライトアップが、七色に変化していたような記憶がある。いつも、そうなるわけではないが・・・。 向かう先は、渋谷のJZ(ジェイジー)ブラット。アーティストは、ザ・ニュー・サウンド・カルテット。ニューヨークを本拠とするピアノ奏者ジェフリー・キーザーとヴァイブラフォン奏者ジョー・ロックを中心とした4人組だ。昨年『サマー・ノウズ(おもいでの夏=サマー・オブ・42)』を出し、さらに2005年7月に新作『サマータイム』を出した。この編成ゆえに当初は、「ニュー・モダン・ジャズ・カルテット」としたかったそうだが、「モダン・ジャズ・カルテット(略して、MJQ)」の遺族から了承がもらえず、ではシンプルに「ニュー・サウンド・カルテット」になったそうだ。 なんとこの日は、東京FMの番組『トランジット』(月曜から木曜20時30分から21時55分まで)内の「スタイル・カフェ」というコーナーの生放送をしている、という。9時からだという。つまり、JZで演奏されるものがそのままFMの電波に乗るということだ。 首都高は若干混み目だったので、高樹町で下り、一目散にセルリアンへ。JZに駆け込むとすでに9時を若干回っていて、演奏が始まっていた。そして、ステージに目をやると、な~んと、トクがトランペットを吹いているではないか。へ~~、スペシャル・ゲストだったんだ。こりゃ、知らなかった。サプライズ。 ドラムスが黒人。なかなかシャープで渋いドラムスだった。ベースが日本人の河上修さん。そして、ピアノのジェフリーとヴァイブのジョー。全員初めて見た。舞台正面にヴァイブを置き、両手で操る姿は、実にかっこいい。マレット(鉄琴を叩く棒のこと)をそれぞれに2本ずつ持ち、縦横無尽に動かす。目にも止まらぬ速さで叩いている様は、どの瞬間にどの音がでているのかまったくわからない。ヴァイブだとあの、ロイ・エヤーズを思い出す。 2003/08/21 (Thu) Roy Ayers Live At Motion Blue: Music Makes Him Young http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200308/diary20030821.html トクのヴォーカルが入ってくる。「night and day…」 ヴァイブのソロ、そして、再びトクの今度はトランペットが入ってくる。ドライヴ感あふれるトランペットソロから、ドラムソロへ。なんと、彼の名前がジミー・スミスというからおもしろい。今年2月に亡くなったハモンドオルガンの名奏者と同姓同名だ。しかも、終った後、ちょっと話をしてみると、何年も日本に住んでいて、店もやっているという日本ベースのドラマーだった。名前にもサプライズだが、ずっと日本にいるというのもサプライズだった。 この日は壁に映し出される映像がいつもと違って多彩でいいなあ、と思っていたら、番組のホームページでライヴの様子を流していて、その映像をカメラ数台でとっていた、という。FMでこのライヴが聴こえ、ネットで動く映像が見られれば、もうテレビと変わらない。 観客は番組のリスナー招待とのことだが、こういう風に生の音楽を聴かせる番組はとてもいい。こうした質のいい音楽を聴かせる、良質の音楽番組が増えると、良い音楽ファンが増える。ゆっくりだが、確実に増えるのだ。それはここ何年か音楽業界やレコード業界が忘れていることでもある。この日の招待で生の音楽に初めて触れた人は、「年に1回か2回くらい、どれがいいかわからないけど、何か生のジャズを聴きに行こう」「誰かに聞いてちょっと感じのいいジャズのアルバムでも1枚買ってみよう」と思うようになるだろう。それでいい。 音楽以外の娯楽が増えた、携帯電話、パソコンに可処分所得を取られた、と言ってみても始まらない。音楽業界は、ただひたすら「聴きに行きたいと思ってもらえる良質の音楽を作る」しかないのだ。それでだめなら、それだけのこと。 さて、この番組の司会者がジョージ・カックルさんだった。これまた、知らなかった。サプライズ。一度お会いしなければならないと思っていた人だった。そう、昨年暮れ、例の『レイ・チャールズ物語』の翻訳で、訳をチェックしていただいた方である。出版社の編集担当の方がジョージさんと知己があり、そのつてでいろいろアドヴァイスをいただいたのだが、すべて編集者経由のメールだけで作業が進み、直接お会いすることはなかった。本が出た頃に、一度お疲れ様会でもやりましょう、という話があったものの立ち消えになっていた。 番組が終って、名刺交換をし、しばし立ち話をした。ジョージさんもご自身の著書を出されている。『ジョージ・カックルのロックン・サーフィン・メッセージ』という本だ。ジョージさんは鎌倉生まれの現役サーファー。音楽が1日24時間流れていないとがまんできないというほどの音楽好き。そんな彼の旅の体験や、音楽談義などが書かれた本である。 この日は、サプライズ尽くしだが、実は最初のジョージ君、すなわち、フランクリンでピアノを弾いてくれたフランクリンズのジョージ君が月末から2年間ほどアメリカに留学に行ってしまうので、サプライズ送別会をやっていた中の一こまであった。 ■メンバー TOKU(vo,flh)Joe Locke(vibe)Geoffrey Keezer(p)河上 修(b)ジミー・スミス(ds) (2005年8月18日木曜、渋谷JZ[ジェイジー]ブラット=ザ・ニュー・サウンド・カルテット・ライヴ) ENT>MUSIC>LIVE>The New Sound Quartet

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The Glenn Miller Story

【映画『グレン・ミラー物語』】 クラシック。 今度の日曜日に『ソウル・ブレンズ』内「山野ミュージック・ジャム」のコーナーで、グレン・ミラー・オーケストラのベストアルバムを紹介するので、久々に映画『グレン・ミラー物語』(1954年)を見た。 グレン・ミラーは、トロンボーン奏者として活動を始めるが、なかなか仕事がなく、いつも質屋に行ってはお金を借りていた。その頃の彼はなんとか自分の楽団のサウンドを作り上げようと必死になっていて、そのためにもっとも大事なことは編曲だと考えていた。周囲の力添えもあり、念願のグレン・ミラー・オーケストラを編成するが、幾多の苦労が待ち受ける。それでも、彼の夢は徐々に実現していく。 グレン・ミラーのサウンドは、いわゆるビッグバンド、オーケストラで、当時のもっともポピュラーなヒップなダンス・バンドだった。人々はみな、グレン・ミラーで踊っていた。「真珠の首飾り」、「ムーンライト・セレナーデ」、そして、「ペンシルヴェニア6-5000」などのヒット曲が次々と登場するが、これは、今で言うダンス・ヒットだ。 『グレン・ミラー物語』でグレン・ミラー役を演じるのはジェームス・スチュワート。強引に結婚を迫るところなど、なかなかほほえましい。いくつもの曲とそのエピソードなどもおもしろい。そして、霧の空港を小さな飛行機に乗って旅立つシーンは、余韻を残す。 グレン・ミラーは、1944年12月15日、イギリスからパリに飛行機で向かった。しかしその飛行機が消息をたち、結局、墜落し死亡したとされた。グレンはまだ40歳だった。音楽映画、伝記映画としても、クラシックと言える作品だ。 この作品は長さが90分余で、最近の映画と比べるとかなり短い感じがする。きっと、この映画を今リメイクしたら、120分くらいにはなるのだろう。今作るとしたら、誰がいいだろうか。30歳から40歳くらいまでの俳優ということになる。(演じる期間は20歳くらいから40歳まで) 奥さん役はキャメロン・ディアスやグイネス・パルトロウあたりでいいような気がするが、グレン・ミラー役がなかなか思い浮かばない。ジェームス・スチュワートが印象強すぎるからかな。(笑)  ENT>MOVIE>Glenn Miller Story

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Musical “Stomp”: Hitting Everything And Became Hit Worldwide

【『ストンプ』、あらゆる物を叩いて世界的ヒットへ】 ヒット。 <a href=”http://blog.soulsearchin.com/archives/gifs/2005-0816-2108.jpg”><img alt=”2005-0816-2108.jpg” src=”http://blog.soulsearchin.com/archives/gifs/2005-0816-2108-thumb.jpg” width=”200″ height=”244″ border=”0″ / align=left></a>ストーリーなし、ダイアログ(セリフ)なし、そして、もちろん、メッセージなし。なんと素晴らしいことか。舞台で行われているのは、人間がただひたすら物を叩いている行為だけ。8人のパーカッション奏者が、日常生活で我々が使うような普通の物を打楽器に変身させ、そこから、生き生きとしたリズムを生み出す。 物を叩く行為は、音楽の最も原点だ。それに近いところにタップダンスがある。一応、ミュージカルというジャンルで紹介されているが、なんと言ったらいいのか、パーカッション・パフォーマンスとでもいうべきか、そんな作品がこの『ストンプ』だ。『ストンプ』にもタップダンスの要素が多々ある。タップに様々な道具をクロスオーヴァーさせてできたのがこの『ストンプ』と言っていいかもしれない。 既に何度も来日している『ストンプ』、今年は品川プリンスホテル内にできたステラ・ボールというホールでの公演になった。僕も初めて来たが、キャパは約1000人。日本にきているのは、ロンドン・キャスト、ニューヨーク・キャストなどの混合組。 箒(ほうき)、棒、ゴミ箱、ドラム缶、巻尺、椅子など、日常生活で使う様様な物をひたすら叩く。音を出す。それも、数人であわせて叩く。ただの打楽器の音が、リズムとなり、リズムに命が吹き込まれ、そこにソウルが注入される。音階が基本的にはないので、パーカッションによるノン・コーズのサウンドだ。ドラム、パーカッション好きの僕にはたまらない。 それにしても、パフォーマーたちの生き生きとした動き、そして、斬新なアイデアが見事だ。ただ物を叩くだけで、1時間40分、息をもつかせぬ展開で見る者を圧倒した。しかも、パフォーマーと観客の間に、ちゃんとコール&レスポンスまである。大道具から小道具まで、ヴァリエーションたっぷり。 全19演目で圧巻だったのは、8人がポール(棒)を使ったパフォーマンス。まるで、これは日本の殺陣のように思えた。かなりのリハーサルをした後がうかがえる見事なパフォーマンスだ。なんと、これを見たビートたけしが映画『座頭市』で、同じようなパフォーマンスをやったという。 壁に吊るされた様々なフライパンなどを、同じく上から吊るされたパフォーマーたちが叩くシーン(下記で14番目)も、見ごたえがあった。バスケット・ボールから始まり、竹馬のようにドラム缶に乗った連中が音を出しながら歩くシーン、18番目のゴミ箱の蓋とゴミ箱を激しく叩くシーンは、和太鼓のライヴを思わせた。後でプログラムを読むと、これの原案者たちは、和太鼓のパフォーマンスを見て、影響を受けたというから、納得した。 それにしても、ただ物を叩いて音を出すだけで、興奮してくるのはなぜか。人間の動物的本能が呼び起こされるからか。『ストンプ』は、これまでの一連のドラム系パーフォマンス(映画『ドラムライン』、ミュージカル『ノイズ&ファンク』、シーラEライヴ、和太鼓タオのライヴ、オマー・エドワーズのタップ)の中でしっかりとした位置に記憶された。これらのパフォーマンスは、それぞれは点だが、すべて線でつながる。もちろん、その線の先にはソウル・ミュージックが、そしてリズム&ブルースが見えてくる。 最後ひとつだけリクエストが。一番最後アンコールのパフォーマンスが終った後、ロック曲がエンディングテーマとして流れるが、ここはこのロック曲でなく、ブラザース・ジョンソンの「ストンプ」をかけてもらいたい。どんぴしゃだと確信する。『ストンプ』はあらゆる物を叩いて(ヒットして)、世界的なヒットになった。 +++++ ■これまでのドラム系パフォーマンス、関連の日記 2004/04/21 (Wed)The Tugaru Live: Can Shamisen Make Groove? 津軽三味線はグルーヴを作れるかhttp://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200404/diary20040421.html 2004/05/02 (Sun) Movie “Drumline”: Another Field Of Dreams 映画『ドラムライン』~もうひとつの『フィールド・オブ・ドリームス』http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200405/diary20040502-1.html 2004/03/22Bring … Continue reading

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Nile Rodgers & Chic: DVD

【シック・ライヴDVD】 モントルー。 日本にもナイル・ロジャース名義で来日しているナイル・ロジャースとシックが2004年7月モントルー・ジャズ・フェスティヴァルで行ったライヴの模様がDVD化され日本でも発売された。 オリジナルのベース奏者、バーナード・エドワーズ(96年死去)に代わっては、ジェリー・バーンズ、ドラムスは、トニー・トンプソン(2004年死去)に代わってオマー・ハキムが担当している。コーラスは、シルヴァー・シャープ、ジェシカ・ワグナー。いずれも来日したことがあるメンバーたち。 演奏曲は、だいたい日本で行ったライヴと同じ。「シック・チアー」における長尺のメンバー紹介は、ちょっと長いが圧巻だ。 シックは70年代後期に「ル・フリーク」「グッドタイムス」などのディスコ大ヒットで一世を風靡した。シックは、基本的にはギターのナイル・ロジャースとベースのバーナード・エドワーズのグループ。ドラムのトニー・トンプソンも主要メンバー。ナイルとバーナードは、20代からの親友同士。彼らはシックとしての作品が大ヒットしだすと、プロデューサーとしても数多くの作品をてがけた。ナイルのはぎれのいいカッティングのギターと、バーナードののりのいいグルーヴ感あふれるベース、そして、トニーのシャープなドラムスが作り出すユニークなダンス・サウンドが魅力だった。 しかし、オリジナル・メンバーのバーナードが96年4月、来日公演を終えた後東京で急死。グループは活動を休止した。その後、ナイルは心機一転メンバーを集め、シックを復活。ナイル・ロジャース&シックとして4度来日している。(ブルーノートに2回、マウントフジ=2003年8月、一般公演レッツグルーヴ=2004年5月) 2004年5月は、ディスコ系グループ3組のライヴの一組として来日。ここに収められたDVDのライヴとほぼ同じ。ちょうど、来日の2ヵ月後に行われたライヴだ。 ■関連記事 2003/04/15 (Tue) Chic Chic Chic シック・ライヴ評http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200304/diary20030415.html 2003年4月シック来日時のブルーノートのウエッブhttp://www.bluenote.co.jp/art/20030414.html 2003/11/20 (Thu) Chic Drummer Tony Thompson Dies At 48 トニー・トンプソン死去http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200311/diary20031120.html 2004/05/17 (Mon) Nile Rodgers Explosion! ナイル・ロジャース、ゲスト出演http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200405/diary20040517.html 2004/05/20 (Thu) Let’s Groove 2004, Live At Kokusai Forum: … Continue reading

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Strange Avocado & Shrimp Burger

【不思議なアヴォガド&シュリンプ・バーガー】 ハンバーガー。 しばらく前のことだが、都内某所のいわゆるアメリカン・ダイナー系の店で「アヴォガド&シュリンプ・バーガー」というのをオーダーした。ほかに、チーズ・バーガーやハンバーガーもあったのだが、なんとなく、アボガドとシュリンプに惹かれたのだ。フランクリンのアヴォガドに及ぶことはないだろうとは思ったが、とりあえず、お試しだ。 しばらしくして比較的大きなハンバーガーがやってきて、トマトとかたまねぎとか若干の野菜ものがお皿の外に飾られていた。食べる者が自由にそれらをいれて作るというスタイルだ。中にたっぷりアヴォガドとシュリンプがはいっている。 まあ、野菜を全部のせるとかなり食べるのに苦しくなるのは目に見えていたが、こちらは、フランクリンで鍛えたハンバーガー・イーターである。少々の厚さ、具の多さではへこたれない。ちゃんとバーガーのパンの間にはさんで、ナイフできれいに二つに切り分け、両手でしっかりと持ち、具が落ちないようにしながら、がぶっと食べる術を知っている。 そして、すべてを挟んで、二つに切って、両手で持って、がばっと大きく口をあけて、そこにいれこんだ。アヴォガドとシュリンプとの微妙なコラボレーションが口に広がる・・・。たしかにひろがった。だが、「あれ? なんか変?」  よ~~く見てみると、な~~~んと、いわゆるハンバーガーの肉のパテ自体が入っていないではないか!!! そ~~んな、バーガーな。(失礼) ほんとは、いれるはずの肉のパテをシュランプリンしていれなかったのか? (再び失礼) 思わずお店の人に尋ねた。「え~~と、あの~~、これ、アヴォガド&シュリンプ・バーガー、肉のパテがはいってないんですけど・・・」 「あ~、これ、もともとはいってないんですよ。でも、オプションでおつけすることできますよ。お持ちしましょうか」 う~~ん、もう一口がばっとやってしまっていて、後からパテだけくると、丸いパテと一口噛み切られたパンの形があわなくなるし~~。悩んだ末、「じゃあ、けっこうです」と丁重にお断りした。 ハンバーガーの定義は、ハンバーグ(ひき肉などを焼いたもの)をパンで挟んだものである。そのハンバーグなしのハンバーガーで、ハンバーグの部分がオプションとは、これいかに? どこかおかしくないかい? (笑)  しかし、こんなのありか? 確かに、「アヴォガド&シュリンプ・バーガー」で、アヴォガドとシュリンプははいってるのだが、肉がない・・・。ハンバーガーのバーガーは、パンの部分か? じゃあ、ハンは何? なんてバカを言ってる場合じゃない。違うだろう。ハンブルグ→ハンバーグ→ハンバーガーとなったはず。つまり、ひき肉部分がバーガーのはずだ。 しかもだ、この不思議なアヴォガド&シュリンプ・バーガー、1500円もしたんだよ~~。(泣) フランクリンでこれより安く、もっとおいしいアヴォガド・バーガー(もちろん、肉パテいり)が食せる。メニューに、「肉のパテははいっておりません」って明記して欲しい・・・。こういうバーガーは、正しいのか、ありなのか、フランクリンのオウナー幸三さんに今度きいてみよう。 ちなみに、アヴォガドと書いていますが、正しくはアヴォカドと、「カ」は濁らないそうです。 DINING>RESTAURANTS> ESSAY>

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EWF’s New Album Will Be Out On September 21

【アース新作は9月21日に】 イルミネーション。 これも、スティーヴィー同様、出る出るといわれながら、なかなか発売日が決まらなかったアース・ウィンド&ファイアーの新作が9月21日に日本でも発売されることになった。アルバム・タイトルは、『イルミネーション』で、日本ではBMGファンハウスから。アメリカ原盤は、サンクチュアリーというレーベルから9月20日に発売されることになっている。 昨日、白盤(テスト盤)が届いたので、これは本当にでそうだ。今作の最大の特徴は、これまで基本的にはモーリス・ホワイトがプロデュースしてきたアースが、外部プロデューサーを大々的に起用している点。外部プロデューサーを単体で起用するのは、71年アースとしての2作目『ザ・ニード・オブ・ラヴ(邦題、愛の伝導師)』以来34年ぶりということになる。(他にデイヴィッド・フォスターなどが共同プロデューサーになったことはあるが、常にモーリス・ホワイトがメイン・プロデューサーだった) 今回のプロデューサーには、ジャム&ルイス、ラファエル・サディーク、オーガナイズド・ノイズ、そして、ブライアン・マクナイト、ウイル・アイ・アムなどの名前まである。一聴したところ、全体的には、いかにも90年代のニュー・クラシック・ソウル的な雰囲気をだしていて、これまでのアースサウンドとは、相当変わっている。アースのサウンド・クリエイターとしてのピークは70年代後半だが、この新作を新人アーティストのデビュー作として聴いたら、これはこれで、かなり話題になるのではないだろうか。そんなサウンドにしあがっている。 ブライアン・マクナイトがプロデュースした「トゥ・ユー」は、70年代のデイヴィッド・フォスター的なニュアンスの作品にしあがっている。曲調は「アフター・ザ・ラヴ・ハズ・ゴーン」を思わせる。また、6曲目「ディス・イズ・ハウ・アイ・フィール」で女性の声がしたと思ったら、ケリー・ローランド(デスティニーズ・チャイルド)だった。アースに堂々と女性の声が入るのも79年の大ヒット、エモーションズとの共演「ブギー・ワンダーランド」以来のこと。そういう意味で、久々ずくめの新作ということになる。 アルバムからの最初のシングルは、5曲目の「ショウ・ミー・ザ・ウェイ」。ゆったりとしたスローバラード。トップ40入り果たせるか。 「9月21日の夜のことを君は覚えているかい?(Do you remember the 21st night of September?)」と歌うのは「セプテンバー」。9月21日発売のこのアルバムが、多くの人々にとっての思い出となるか。 トラック・リスティングは次の通り。 01. Lovely People 02. Pure Gold03. A Talking Voice Interlude04. Love’s Dance [prod. by Jimmy Jam & Terry Lewis]05. Show Me The Way [prod. … Continue reading

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Stevie Declared New Album’s Release Date At The Apollo

【スティーヴィー、アポロのステージで新作発売日を発表】 9月27日。 スティーヴィー・ワンダーが、去る8月6日、ニューヨーク・アポロシアターでライヴを行った。ニュース記事などをまとめてみる。 これは、1965年8月6日投票権に関する法律が署名された日から40周年を記念して、R&Bスター、チャック・ジャクソンが企画して行われたもの。この中で、スティーヴィーは新作アルバム『ア・タイム・トゥ・ラヴ』について若干のコメントを披露した。 スティーヴィーは、ステージから観客に向かって「わかってる、わかってる。本当にでるよ。彼ら(モータウン)は9月20日に出したいと言ってきたけど、僕は27日と言ったんだ」と言った。 また、モータウン社長シルヴィア・ローンによれば、新作は、「マスタリング」にまわされた、という。これが本当であれば、マスターテープがモータウンに手渡され、マスタリング(マスターテープからプレスするための音を確定する作業)に進んだ、あとはプレスだけ、といった意味を持つ。 ローンにしろ、ユニバーサル・ミュージックのダグ・モリス社長にせよ、発売日が9月20日であろうが、27日であろうが、出れば文句はない。今回のリリースデートに信憑性があるのは、今年度のグラミー賞の締め切りが10月1日だからだ、という。これで本当にリリースされれば、元々2004年6月17日発売というリリース日から約1年3ヶ月を経て、本当のリリースになる。 今回のアポロでのライヴは、投票権の意識高揚からちょうど40周年になるが、この法律が2007年に失効することになっている、という。そのために、何か運動をしなければならないということでのイヴェントだ。 1965年8月6日、投票権の法律が署名された。それまで投票権がなかった人々(主として黒人や有色人種)が、投票権を登録すると投票できるようになるという法律で、黒人解放運動のひとつの象徴的出来事として受け止められている。 一方、スティーヴィーにとっては、この8月6日という日にちはひじょうに特別な日でもあった。1973年の8月6日、彼は交通事故にあい、瀕死の重傷を負って、約2週間意識不明になっていたのである。さらにそれから15年後の1988年8月6日に、彼の息子のひとりクワメ・モリスが誕生している。 スティーヴィーは、約3時間にわたって演奏を繰り広げた。セットリストは次の通り。ただし、1曲目と2曲目の間にチャック・ジャクソンの歌や、何人かのスピーチなど約1時間あった。スティーヴィーは実質的に2時間程度のライヴを見せたことになる。 01. Heaven Help Us All02. Vision (with Savion Glover, tap dancer)03. Did I Hear You Say You Love Me 04. Master Blaster05. Higher Ground06. Golden Lady07. How Will I … Continue reading

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A Friend Of 25 Years Ago Sent Me Email For The First Time

【25年前の友人からの初Eメール】 初メール。 四半世紀以上前に、六本木のエンバシーで知り合ったひとりの黒人がいた。横須賀の海軍にいた兵士で、当時20かそこらではなかっただろうか。週末になると多くの兵士たちと同じように六本木に遊びに来ていた。で、ひょんなことから仲良くなったのだが、彼が兵役を終えて国に帰ってからは、もう連絡がなくなった。たぶん、帰ったのが80年代初期か70年代の後期だろう。 一、二度、手紙のやりとりをしたかもしれない。それから十年以上だってから、突然エアメールのパッケージが届いた。な、なんとその彼がミュージシャンになってCDを出したので、送ってきたのだ。しかも、やっていた音楽はブルースである。 そして、またそのことをすっかり忘れていた。それから15年以上たったと思うが、昨日、1本のメールが入ってきた。なんとその彼からだった。もちろん、メールのやりとりはしたことがない。15年以上前にはインターネットでメールのやりとりなんかしていなかった。(ちなみに僕が最初のメールアドレスを獲得したのは93年、ニフティーだった。その直後、商用プロヴァイダーとしてはほとんど初だったリムネットでアドレスを取った。そのアドレスは、現在まで使っている) 書き出しはこうだった。Hello Masaharu. I hope that you are the right Masaharu. (ハロー・マサハル、あのマサハルであってほしいと願っています) いやあ、驚いた。こんなこともあるのか。 メールのやりとりを1往復してわかった。彼は今、テキサス州サンアントニオに住んでいる。17歳を筆頭に子供が3人もいる。ブルース、ファンク系のバンドをやっていて、なんとかがんばっている。時々、世界を旅している。 先日、当地のスタジオで友人と雑談している時、自分が日本にいた頃の話になった。そして、なぜか僕の名前がでてきた、という。すると、その友人が「じゃあ、インターネットで調べてみればいいじゃないか」と提案して、やってみたら、アドレスがわかった、というのだ。 「25年なんて瞬きをする間のことのように思わないかい?」と彼は書いてきた。自分のブルースバンドで、昨年、1日だけ横須賀のベースの中でライヴをやったが、翌日韓国へ出発だったため、連絡も取れなかったらしい。また、来年の2月に日本にライヴで来る話があり、その時にはぜひ会いたいと書いている。これは楽しみだ。彼の名前はウィリー・ジェイ、バンド名はウィリー・ジェイ&バンドだ。 改めてインターネットの力というか、すごさを感じた出来事だった。

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Luther Tribute Will Be Out On September 20

【ルーサー・トリビュート9月に】 トリビュート。 7月1日に死去したルーサー・ヴァンドロスの所属レーベルであるJレコードが制作するルーサー・トリビュートのアルバムの全容が判明した。新旧の大物が勢ぞろいした。全米で9月20日に発売されることになる。参加アーティスト、楽曲は次の通り。当初収録が噂されていたアリシア・キーズの名前が入っていない。 Fantasia- ‘Til My Baby Comes Home Usher- Superstar Angie Stone- Since I Lost My Baby Wyclef Jean- Always and Forever Janet Jackson- The Glow Of Love Babyface- If Only For One Night Mary J. Blige- Never Too … Continue reading

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Little Milton Dies At 70

【リトル・ミルトン死去】 ブルース。 60年代から70年代にかけて多くのブルース・ヒット、ソウル・ヒットを放ったシンガー、リトル・ミルトンが去る8月4日、メンフィスで死去した。一週間ほど前に心臓発作で入院していた。70歳だった。 リトル・ミルトンの芸名で知られるシンガーの本名は、ジェームス・ミルトン・キャンベル、1934年9月7日ミシシッピー州インヴァーネス生まれ。ミュージシャンだった父親の影響で音楽に興味を持ち、その道に進んだ。当初は、よく聴いていたカントリーのラジオ番組『グランド・オール・オプリー』などの影響を受け、ギターを弾き始める。当初のアイドルは、ギタリストのTボーン・ウォーカーだった。 やはり南部を中心に活動していたアイク・ターナーと知り合い、1953年、彼の紹介でメンフィスのサン・レコードでレコーディングを始める。その後、1950年代、シカゴのチェス・レコード、メンフィスのスタックス・レコードに移籍、ヒットを放った。 中でも1965年、「ウィ・ゴナ・メイク・イット」は、ソウル・チャートで1位になった。71年、スタックスに移籍。72年には「ザッツ・ホワット・ラヴ・ウィル・メイク・ユー・ドゥ」がヒット。また、「ワッツタックス」にも出演している。76年、マイアミのTKプロ傘下グレイズ・レコードに移籍、さらにマラコ・レコードに移籍した。 エレキギターを持ったブルースマンとして、また、ソウル、R&Bの分野でも人気を獲得し、ブルースとR&B、ソウルの架け橋ともなった。 リトル・ミルトンの成功のきっかけを作ったアイク・ターナー(=73歳。アイク&ティナ・ターナーのアイク)は、こう振り返る。「ミルトンが数週間前、電話をかけてきて言ったもんだ。俺たち、もっと仲良くしようぜ。ロスコー・ゴードンが死んだ。そのすぐ前にタイロン・デイヴィスも死んだ。俺たち、子供時代一緒にいったじゃないか。あの頃、俺もミルトンもジミ・ヘンドリックスみたいに痩せてたな。今じゃ、俺の彼女は彼のことを『大きなリトル・ミルトン』と呼ぶんだからな。ちゃんとプレイできるいい連中が皆、木から落ちていくんだ」 チェス時代にレーベルメイトでもあった女性ブルース・シンガー、ココ・テイラーはミルトンの他界に衝撃を受けこう語った。「彼はブルースマンの中のブルースマンだったわ。私がブルースウーマンの中のブルースウーマンであるようにね。素晴らしい人物であり、ブルース・ギタリストであり、シンガーだった。ブルースを知る人間で、今まで一度たりともリトル・ミルトンの悪口を言う人に会ったことがないわ」 ミルトンの友人は、彼の音楽だけでなく、彼の人間としての暖かさ、ユーモアのセンスを口々に言う。 シカゴのソウルマンでありブルースマンでもあるオーティス・クレイはこう述べた。「俺たちにはお互いの呼び名があったんだ。だけど、それは印刷なんかできない言葉なんだ。お互い愛情を込めてそう呼んでいたんだけどね」 リトル・ミルトンは1988年、ブルース界のグラミー賞とも言える「W.C.ハンディー・アワード」を受賞。また、ブルース・ホール・オブ・フェイムにも選ばれている。 また、リトル・ミルトンは3回来日している。1983年4月、渋谷ライヴイン他全国各地、88年10月、東京・簡易保険ホール他全国各地、93年5月、渋谷クワトロ他全国各地で公演した。 +++++Source: Chicago Suntimeshttp://www.suntimes.com/output/entertainment/cst-ftr-milton06.html Little Milton: an R&B great in any era August 6, 2005 BY JEFF JOHNSON Staff Reporter Little Milton Campbell’s five-decade career is the story … Continue reading

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5 Request Songs Were Too Much?

【グリニス・マーティン・ライヴ】 リクエスト。 昨年11月に見たフィリップ・ウー、西山はんこや史翁(ふみお)、グリニス・マーティンのトリオ・ライヴ、四谷のメビウス。この店、しばらく前(2005年5月)に同じ四谷でもちょっと四谷3丁目寄りに引っ越した。新店舗になってから初めて来た。青山一丁目からひたすらまっすぐ四谷3丁目方向に来て、3丁目交差点も越え、右カーヴし、左手にフェアファックス・グリル(Fairfax Grill)というレストランが見えたら、そこの地下。 なんとマスターによると、前の店では近所にひとりクレイマーがいて、音がうるさいとすぐに警察を呼ばれて、どうしようもなくなり新しい場所に移ったという。新店はきれいで、前より天井が高く、しかも、音がよくなった。広さはそれほど変わらないという。40席ほど。目の前で生身のミュージシャンがライヴをやってくれるところがいい。 今日は基本的にはトリオの予定だったが、急遽、ソニー・アンダーソンというミュージシャンがドラマーとして参加、4人編成となった。ソニーは8月一杯恵比寿のウェスティンの22階のバーで弾き語りをやっているという。日本にも長くいるが、月曜が休みということで、この日はメビウスにやってきた。 僕はセカンドから見たが、インストを2曲ほどやってから、グリニスがスティーヴィーの「ユー・アー・ザ・サンシャイン・オブ・マイ・ライフ」、そして、僕のリクエスト曲「リトル・ゲットー・ボーイ」を歌ってくれた。ほんとにスティーヴィーとか、ダニーの曲が彼には向いている。この「リトル・・・」の後半のフィリップのピアノ・ソロはめちゃくちゃのっていた。 リクエストは、グリニスの分厚いレパートリー・ブック(歌詞カードが入ったクリアファイルで、曲がABC順に並べられている。フィリップが曲を決めると、グリニスはそのブックの中から歌詞カードを取り出して歌う)から5-6曲ペーパーナプキンに書いて渡しておいた。普通は1曲くらいだが・・・。(笑)  サードセットでも、2曲インストの後、スティーヴィーの「オーヴァージョイド」、「ドンチュー・ウォリー・アバウト・ア・シング」、そして、ビリー・ジョエルの「ニューヨーク・ステイト・オブ・マインド」と歌った。この後半では、グリニスはそれまで持っていたベースを、ソニーに手渡し、ドラムスのところに座り、ドラムを叩きながら歌った。なかなか器用だ。 グリニスの声は、少し高め。彼によれば、4オクターヴはでるという。ファルセットを使えば5オクターヴ。「じゃあ、フィリップ・ベイリーみたいに歌える?」ときくと、「もちろん」と。「ラヴィン・ユー」も歌えるらしい。 帰ってきて、前回のライヴ評を見たら、次回やる時には事前にお知らせしましょう、なんて書いてある。すいません、事前にお知らせできませんでした。フィリップは金曜のソイソウル以来だから、中2日で会ったことになる・・・。 「リトル・ゲットー・ボーイ」以外のリクエストは、「ダンス・ウィズ・マイ・ファーザー」(ルーサーだ! これはまじで聴きたかったな)、スティーヴィーの「アズ」(まあ、3曲もスティーヴィー曲あったからよしとしよう)、「ハピネス・イズ・ジャスト・アラウンド・ザ・コーナー」(メイン・イングレディエントのヒット。誰も絶対こんな曲リクエストしないだろう=(笑)、ブックに発見して思わずびっくりしたので書いてだした)、あと1曲なんだっけ、忘れた。しかし、リクエスト5曲は書きすぎたかなあ~~。ははは。 +++++ Setlist 2nd set show started 21:281. (Inst)2. (Inst)3. You’re The Sunshine Of My Life4. Little Ghetto Boyshow ended 22:01 3rd set show started 22:441. (Inst)2. (Inst)3. Overjoyed4. … Continue reading

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Rude Phone Caller Never Disclose Their Sources

【電話番号の入手先を明かさない電話主】 慇懃無礼。 先日(3日頃)、筆者のもとに1本の電話がかかってきた。「明日(4日)、アップルのイヴェントがあるのですが、ぜひご参加いただきたいのですが。ご案内は行ってませんでしょうか」という。何日か前の郵便物にアップルの案内があったかもしれないと思い、探してみると、確かに来ていた。「スペシャルイベントにご招待します。8月4日(木)午前10時より 会場:東京国際フォーラム」とだけ書いてある。 イヴェントの内容などが書いてない。そこで尋ねた。「どのようなイヴェントなのですか」 すると、「それはわからない。言えない」という。「そんなのでは行けません。内容によってはおうかがいしてもいいですが、内容がわからないでは話になりません。何か新製品の発表ですか。ところで、僕のこの電話番号はどのように入手されたのですか」 「それもわかりません。申し訳ないのですが、言えません」 言い方は丁寧なのだが、話にならない。「人を朝の10時に呼びつけるのに、何があるかわからない、というのはおかしいと思いませんか。そんなことでは行けません」 「すいません、では来ていただけませんか」 「行きません」  よく不動産の押し売りや、宝石とか、株とかのセールス電話がかかってくる。そういうのは、だいたい「ご主人さまでらっしゃいますか」という最初の一言で、わかる。だから10秒くらいで、「興味ありませんので」と言って切る。今回のマックの電話も、最初は僕を名指しできたので、誰かの紹介か、何か音楽関係者の名簿でも見たのかと思った。(もちろん、セールスでかけてくるのもどこかのなんらかの名簿から番号を入手しているのだろうが)  イヴェントの案内など多数あるわけだし、イヴェントというのはとにかく人が来てなんぼのもの。つまらないイヴェントも多いわけだし、内容を見て判断しないことには話しにならない。記者発表ならまだしも、スペシャル・イヴェントなんていうところがうさんくさい。(笑) しかし、この電話は内容的には、そこらの押し売りセールスと同じなわけだ。内容は言えないが、とにかく来い、しかも午前10時とは、一体どういうつもりなのだろう。かなり不愉快になって電話を切った。それはそれですぐに忘れたのだが・・・。 で、その翌日、新聞を見て、「マック、国際フォーラム」の単語で、なるほどと合点が行った。なんだ、ただのネット配信開始の発表会ではないか。そんなに内容を隠すほどのものでもないだろう。行かなくてよかった。媒体向け発表は比較的午後とか夕方が多い。しかも午前10時の発表だと、その日の夕刊に記事がでてしまう。これは、よくない。ニュースは朝刊に載せてもらわないと。 たぶん、マックがネット配信を開始するとなれば、ニュースヴァリューがあるから、ちょっと変わったことでもやってみようなどと誰かが思いついたのだろう。この手のニュースなら、普通の記者会見で充分である。そのニュースのヴァリューはきっと媒体側が考えるだろう。 まあ、しかし、この慇懃無礼な電話のおかげで、ブログネタがひとつできて、マックも記事露出に成功したわけだから、むこうもしてやったりといったところだろうね。(笑)  ESSAY>

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Soysoul Live At Blues Alley: Hottest Funk Band On A Hottest Day Of This Summer

【猛暑の中、ホットなソイソウル・ライヴ】 夏一番。 日本が誇るファンクバンド、ソイソウルのライヴ。目黒ブルースアレー。「ソウル・サーチン・トーキング」以来、なぜか、より縁があるような感じ。ファーストが1時間、セカンドが1時間48分。超密度が濃い。この日はゴスペラーズの黒沢薫さんゲストということで、立ち見もでて超満員。しかも、この夏一番の暑さとかで、ステージ上は、40度近かったのでは。 ファンク・バンドとして11人の大所帯だが、それぞれのキャラがとてもおもしろい。それにも増して、ケイズとズーコ、ケイオンのトークがおもしろい。平気で10分くらいMCやってる。 生身のバンドが、音を出しているというところが、やはりいい。このむさくるしい男バンドの中でズーコが歌うゆったりミディアム調の曲が清涼剤のように映える。ファーストで歌った「スマイル」のような曲。ゴー・ゴー風の「トゥルー・カラー」もおもしろいアレンジだった。ズーコの伸びのある力強い歌声は、ますます磨きがかかっている。 この日のスペシャルは、黒沢さんとのデュエット。最初がケイズとともにジョーの作品「ノー・ワン・エルス・カムズ・クロース」を。黒沢さんは何度も歌っているせいか、こなれたもの。一方、ズーコとデュエットした曲は「ユア・プレシャス・ラヴ」。マーヴィン・ゲイとタミー・テレルの名唱で知られるクラシック。これは、彼らにとっては初めてのデュエットだという。これもよかった。ショウが始まる前に、黒沢さんに「二人で何を歌うの」と尋ねたら、曲名は言わずに「ソウル・サーチンへのプレゼン曲歌いますから」と言われた。わお!  そして、秋に発売が予定されている黒沢薫初ソロアルバムに収録されるという作品が、初めてお披露目された。ソイソウルをバックに従えたその作品は「ラヴ・ア・フレイヴァ」。僕も初めて聴いた。ゴスペラーズとはまったく違う雰囲気でひじょうにおもしろい。 それにしても、「草原を駆け抜ける黒沢氏」、トークも歌も炸裂だ。(笑) 黒沢さんがトーク炸裂していると、ズーコが「事務所的に今のは?」と気を遣うやりとりも、めちゃおもしろいなあ。この夏一番の暑い夜に、この夏一番熱いライヴバンドの演奏だった。 +++++ これまでのズーコ・ソイソウル関連記事。 2004/01/17 (Sat) Soysoul Live At Shibuya Quatro: Zooco Is A Tamer Of Wild Beasts ソイソウル・ライヴ http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200401/diary20040117.html 2004/07/03 (Sat) “Midnight Love” To Soysoul Live ズーコの『上を向いて歩こう』http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200407/diary20040703.html 2004/09/06 (Mon) Two Places At The … Continue reading

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Soul Survivors Still Survive:

【平均年齢62.2歳、老練のサヴァイヴァーたち】 老練。 『ソウル・コネクション』中の月1コーナーのタイトルは、「ソウル・サヴァイヴァー」。ソウル・ミュージック界の偉人たちを紹介しているが、それとまったく同じ名前を冠するバンドが、このソウル・サヴァイヴァーズ。こちらは、ジャズ、ファンクのジャイアンツが集まったグループだ。 調べてみたら約2年ぶりのライヴ。レス・マッキャン、コーネル・デュプリー、チャック・レイニー、ロニー・キューバー、そして、今回はドラムスにバディー・ウィリアムス。彼らをして、その名はソウル・サヴァイヴァーズ。いずれも、老練熟練の達人たちだ。「ワン・トゥ・スリー・・・」のキューカウントさえいらないのではないかと思えるほどの、息のあいかげん。音楽という共通言語をおもちゃに、テーブルを囲んでディナーを楽しむように、その場をエンジョイしている。 7時開始だと思って7時少し前に行ったら、なんと6時半スタートですでに演奏が始まっていた。ちょうど流れていたのは、「イマジン」。 この演奏、パフォーマンスに対してもう言うことはない。今回のドラマーは、やはりヴェテランのバディー・ウィリアムス。ちょっとエディー・マーフィーを小太りにしたような愛嬌のある人物だ。最長老のレス・マッキャン69歳から、もっとも若いバディー52歳まで、平均年齢62.2歳だ。本当にソウルの世界を生き抜いている連中たちと言える。 アンコール前最後の曲で、レス・マキャンが渋い喉を聞かせた。曲名がわからなかったので、ステージを終え、客席に座っていた本人に尋ねた。「最後のひとつ前の曲はなんという曲ですか」 「あ、あれか、え~と、69年のアルバム、う~~んと、『スイス・ムーヴメント』の中に入ってる「コンペアー・トゥ・ホワット」という曲だよ」  今回もアンコールは、「ウェイ・バック・ホーム」。元々はジュニア・ウォーカー&オールスターズのヒットで、後にクルセイダーズなどもカヴァーしている名曲だ。FENの昔のソウル番組かなにかの後テーマにもなっていたような記憶がある。 ステージを降りる時もスタッフの手助けを借り、歩くのもやっとという感じだったが、レス・マッキャンの握手は実に力強かった。 +++++ 2003/03/09 (Sun) Soul Survivors who make soul survive 前回のソウル・サヴァイヴァーズのライヴ評~ソウルを生きながらえさせる男たちhttp://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200303/diary20030309.html メンバー: レス・マッキャン(キーボード、ヴォーカル)、ロニー・キューバー(サックス)、コーネル・デュプリー(ギター)、チャック・レイニー(ベース)、バディー・ウィリアムス(ドラムス) Les McCann(key,vo),Ronnie Cuber(sax),Cornell Dupree(g),Chuck Rainey(b),Buddy Williams(ds) +++++ Setlist (imcomplete) 00.00.00. Imagine00. Cold Duck Time (Les McCann)00. Mercy Mercy Mercy00. … Continue reading

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Neumann U-87: It’s Kei’s Mike

【ケイ・グラント氏のマイク】 マイ・マイク。 「このマイク、つないどいてくれる?」 スタジオのアシスタントに彼はそう言って、ボックスを渡した。「なんですか、それ」 「あ~、これマイ・マイク」。ほ~~。「ノイマンっていうやつだけど、あるところと、ないところがあるのよ。で、今日はないと思って持ってきた」 ブリリアント・ヴォイス、ケイ・グラントがそう言って、このマイクへのこだわりを話し始めた。 1990年、低音の魅力を爆発させていたソウルフルなDJケイ・グラントの元に1本の仕事が舞い込んだ。サザン・オールスターズの映画『稲村ジェーン』のサントラに収録される1曲のイントロでラジオのDJのようにしゃべってくれという依頼だ。その曲は昔のヒットのカヴァー「愛して、愛して、愛しちゃったのよ」。 レコーディング・スタジオに出向くと、エンジニアが何十本ものマイクを並べて、ケイ・グラントの声を試した。世界の一流メイカーの高価なマイクロフォンが並べられていて、それは壮観だった。いくつものマイクを通した声を聞き、エンジニアは、ケイ・グラントの声に一番ぴったりのマイクを選んだ。「この低い声がもっとも滑らかに鳴り響くのはこれだ」 そう言って選んだのがノイマン社製のU-87という型番のマイクロフォンだった。このマイクは、海外でも、ホイットニー・ヒューストンを始め、マドンナやら著名なシンガーが指定するマイクとしても知られていた。 彼は「ナインティ・ポイント・ナインティーワン(90.91=アルバムの発売日、90年9月1日)」のラジオDJになって、絶妙のイントロ・トークを聞かせた。 以来、彼はラジオ局、テレビ局、ナレーションどりのスタジオなどで、必ずこのマイクをリクエストするようになった。実際このマイクで彼の声を拾うと、低音の響きが格段に違う。このマイクを常備しているところもあったが、ないスタジオもあった。そんな時、ケイ・グラントは、自分でこのマイクを持ちたいと思い始めた。「マイ・マイク」だ。だが、このノイマンのU-87は、けっこう高価だった。1本で約40万円する。しかし、いつかこのU-87を手に入れようと思っていた。 初めてノイマンU-87と出会ってから約10年。2000年1月、100人近くの友人たちが集まって誕生日パーティーを開いてくれた。その席上で、ケイ・グラントにプレゼントが贈られた。包装紙に包まれた大きな箱を開けてみると、そこには、NEUMANNの文字が目の中に飛び込んできた。ま・さ・か・・・。そして、重厚な箱の中にはあのあこがれのU-87が入っていたのだ。その日に集まった友人たちが、少しずつお金を出し合ってこの高価なマイクロフォンをケイ・グラントのために買っていたのである。10年間待ち続けた夢のマイクが、遂に彼のものになった。 こうしてノイマンU-87はケイ・グラントのマイ・マイクとなった。以来彼はどこに行くにもこのマイクの入った大きなバッグを担いでいく。今日もまた、ケイ・グラントはU-87にソウルをこめて語りかける。そしてU-87によって拾われた声が東京中の空に響き渡る。 声の仕事をしている者にとってマイクロフォンは商売道具だ。いかに自分の声をよく響かせるか。そのためには、たゆまぬ努力を惜しまないと同時に機材にもこだわる。「僕の場合、弘法、筆を選ぶ、ですから・・・(笑)」と彼は言った。いやいや、これは達人のこだわりと呼ぶ。 (写真上=ノイマンU-87を前にしたケイ・グラント氏、下=ノイマンU-87とそのキャリアと箱) ケイ・グラント氏オフィシャル・ウェッブ・ページhttp://www.k-grant.com ENT>ESSAY>Grant, Kei

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Private Lounge For Executives Only

【会員制ラウンジ】 超刺激。 とある友人筋から会員制のバーのオープニングレセプションの誘いを受けたので、様子見で行ってみた。レセプションは数あれど、今回の招待状はものすごくリッチでお金がかかっていたので、久々にかなりバブリーなのではないかと思ったが、予想以上だった。  エリアは広尾、店は看板は出さず、会員かその紹介でないと入れない。そのプライヴェート・ラウンジは、まだまだ序の口で、ここと関連したザ・スケープという施設がすごい。ラウンジから車で5分ほど行ったところにある、言ってみれば、プライヴェートなホテルだ。これが広尾の閑静な住宅街にひっそりと何も語らずにある。ベンツの500とか600あたりだと、こすってしまいそうな細い道なのだが、500、600でもちゃんと慎重に運転すれば通れるというくらい本当に細い細い道を通っていくと、いきなりぱ~と視界が広がり、ものすごくモダンな建物が忽然と現れる。これには驚いた。 5階建て。建築設計は隈研吾氏、アートディレクションは浅葉克己氏という豪華キャストで作られたこの建物はたったの12部屋。5階のヴェランダからは、渋谷のセルリアンから六本木ヒルズまでを一望できる。将来的には、会員が予約すると、会員の携帯電話が部屋へのパスポートになる。つまり自分の携帯が部屋の鍵になるのだ。一番広い156平米の部屋など、ヴェランダがあるので50人から100人くらいのちょっとしたパーティーに使える。 これを立ち上げた方々はみな、大人の遊び方というコンセプトをしっかりと持っていて、その徹底振りに感銘を受けた。これは間違いなく話題になる。 いやあ、久々に超刺激を受けた。 LIFESTYLE>ESSAY

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Dexter Redding Talks

【デクスター・レディング語る】 ジェントルマン。 デクスターは、オーティス・レディングの長男である。そして、ゴスペラーズの面々は、以前、オーティスの墓参りに行ったことがあり、その時にオーティスの妻、ズレマさんに会っていた。そこで、今回7月頭に彼らがニューオーリンズに行ったときに、再びズレマさんに会った。そこに長男であるデクスターがやってきて、メンバーといろいろ話をするうちに意気投合。特に北山さんがデクスターに「こんど、じゃあ機会があったら、日本にでもきてください」と、比較的社交辞令的に言ったところ、本人が本当に来てしまった、というわけだ。そして、デクスターは、先週土曜日のモーションブルーでのクリヤマコトさんのライヴに飛び入りしたり、31日(日)の『メローライダーズVOL.2』に遊びに来たりしている。 デクスターは、オーティス・レディングの長男である。オーティスは、まさに「ソウル・ジャイアント」である。となると、これは、「ソウル・サヴァイヴァー」に登場してもらわないわけにはいかない。というわけで、急遽、彼が「ソウル・サヴァイヴァー」にゲストで出演することになった。(この模様は、8月27日の『ソウル・コネクション』内「ソウル・サヴァイヴァー」で放送されます) デクスターは、オーティス・レディングの長男である。オーティスは、まさに「ソウル・ジャイアント」である。となると、聞きたい話はいっぱいある。オーティスには4人の子供がいた。長男がデクスター、1960年10月17日生まれ。次男がオーティス・レディング・サード(3世)、1964年12月17日生まれ。第3子がカーラ(女性)で、65年生まれ。そして、4番目が養子にとったディミトリー。 父オーティスが不慮の事故で他界した時(1967年12月)、デクスターはまだ7歳だった。だから、デクスターは父のアーティストとしてのことはそれほど覚えていないという。ところで、前々から不思議だったのが、彼は長男なのに、デクスターで、弟がオーティスを名乗っているという点。普通、父親の名前は、長男が引き継ぐことが多いのだが。それを聞くとデクスターは笑いながら「それは、母親に聞いてくれ」との答え。 父のことをミュージシャンとして、音楽的にすごいなと思い出したのは16歳か17歳、彼がハイスクールにいた頃だという。回りのみんなが父親のことをいろいろ言っていたのを聞くようになって、すごいということを認識し始めたようだ。 デクスターとオーティス3世は、もうひとりのメンバー、マークとともに3人組、レディングスを結成。このレディングスは、80年、CBS配給のビリーヴ・イン・ア・ドリーム・レコードからデビュー。「リモート・コントロール」が大ヒットになり、一躍有名になった。デクスターが20歳、オーティスはまだ16歳の頃だ。彼らは、CBS~ポリグラムで計6枚のアルバムを発表。この第3のメンバー、マーク・ロケットは当時の情報では彼らの「従兄弟(いとこ)」と紹介されていた記憶があった。 「確か、あの3番目のメンバーはあなたたちの従兄弟でしたよね」と言うと、デクスターは笑いながら、「いやいや、実は違うんだよ。いとこでもなんでもないんだ。ははは」 「え~~? 兄弟と従兄弟だったように記憶してましたが」 「いや、あれはレコード会社が適当に作り上げたんだよ。彼は今フロリダで音楽関係の仕事をしてるようだ」 な~るほど。いかにもありそうな話だ。 デクスターと初めてちょっと話をしたのが、31日のルーサーだったが、昨日(2日)、収録で再度会ってまた話をした。そこで、レディングスのアルバムをスタジオに持参した。うちでレコードを探すと発売された6枚のうち5枚があった。そして、3枚目のアルバム『ドック・オブ・ザ・ベイ(原題、スティーミン・ホット)』が日本盤だったので、中をあけてライナーを見ると、なんと、僕がライナー書いてました。1982年8月8日のこと。すっかり忘れてた。(笑) デビューまでのいきさつなどが詳しく書かれていて、話を聞くのに、とても参考になった。(笑)  スタジオでその話をすると、大笑いになった。ジャケットには3人の写真が映っていて、デクスターはわかるが、残るオーティスとマークの区別がつかないので、それを尋ねたりしていた。(写真参照) 5枚のうち、2枚にサインをもらうことにした。23年前のレコードだ。今回の来日でいろいろ世話役になっている日本在住のブレンダ・ヴォーンさんが、「まあ、なんて若いの?」とめちゃくちゃびっくりしていた。 「6枚のアルバムの中で、一番思い出深いのはどれ?」と聞くとほとんど迷わず最初のアルバム『ジ・アウエイクニング』を選んだ。そのタイトル曲「ジ・アウエイクニング(パート2)」は、彼がベースを弾いている曲で、後に誰かフュージョン系のグループがカヴァーしたという。(その時、彼は「プロミス」とかいうグループじゃなかったか、と言ったが、記憶はおぼろげらしい。かなり調べてみたが、でてこなかった。ただし、同名異曲がたくさんある) 最後のアルバムが88年のアルバム『ザ・レディングス』。この後グループは自然解散。最近では、たまに弟のオーティスとともに、オーティス・レディング・トリビュートのショウなどをやっているという。「二人ということは、サム&デイヴみたいな感じですか?」と聞くと、「そう、そう。そんな感じで父親へのトリビュートをしているよ。きっと、君は気に入るよ」とのこと。 一年ほど前、メイコンで行われたオーティス・トリビュートのイヴェントで、そこのオーケストラをバックに、オーティス・メドレーを13曲ほど歌ったという。「たしか、去年の父の誕生日あたり(9月9日)だったと思うな」 ところで、オーティスのことを書いた『ジ・オーティス・レディング・ストーリー』(スコット・フリーマン著・セント・マーティンズ・グリフィン、2002年=日本未発)という本がある。これについて尋ねた。「この本は読んだ?」 「あー、これか。読んではないけど、内容は知ってる」 「この著者にインタヴューはされた?」 「いや、僕はされてないが、母親はされてる。ただこの本はオーティス(父親)を直接知らない人の話がでてくるんだ」 「なるほど、ということは、まあ、お父さんについての違う視点からの本、ということね」 「ははは、そうだよ。違う視点からの本だ!」  それにしても、デクスターはものすごくいい人で、にこにこしていて、しかも謙虚。「君が持っていない唯一のアルバムを、帰ったらコピーして送るよ」とまで言ってくれた。本当にジェントルマンだ。 デクスターは、オーティス・レディングの長男である。オーティスは、まさに「ソウル・ジャイアント」である。そして、ソウルの神様である。デクスターと話をして、握手をしたということは、間接的に神様に触れたということでもある。神様に触れると、感激するのである。 (写真は、『ジ・アウェイクニング』の裏ジャケ。上がマーク[22歳頃]、下の左がデクスター[19歳頃]、右がオーティス3世[15歳頃]。) (現在のデクスター・レディング) ENT>MUSIC>ARTIST>Reddings

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Mellow Ridaz Vol.2:  Why Dexter Redding Is In Japan?

【メロー・ライダーズVOL.2:なぜデスクスター・レディングが日本に?】 メロー。 日曜は『ソウル・ブレンズ』が1時間だったので、ひじょうに楽だったのだが、一度家に戻り、軽く選曲などをして9時40分頃、横浜に到着した。途中でオッシーから電話が入り、店の近くの駐車場に車を止めて選曲している、という。で、そこに行ってみると、荷台を開け、ダンボール箱を路上の歩道のところに数箱だして、いろいろ選んでいる。 ちょうど僕の車のスポットライトがそこにあたり、降りるなりの僕の挨拶。「レコードの露天商ですかあ?」 大体10箱くらい乗っていて、その中から実際に使いそうなレコードを3箱くらいにして、現場に持っていくらしい。 その日は僕はもう完全にCDのみ。一足先にルーサーに行くと、ものすごい混雑。今回はもろもろの事情で、多くの問合せが来てしまったため、混乱を避けるため急遽イヴェント自体がチケット制になっていた。すでに、DJナミが比較的今風のR&Bで、がんがんに盛り上げている。立錐の余地は~~少しだけあるが、かなり満員。 CDをいれた重いバッグを持って、DJブースのところに進み、ファーストセットでかけようと考えていたCDを出し、CDJの使い方をおさらいした。とはいうものの、2月にやったのに、もう忘れてる。(笑) 話にならない。大体、曲の頭出しをどうするのか、覚えてないんだから。右と左のCDJが違うので、やり方が違ったのも、しばらくして思い出した。(苦笑) 10分押しくらいでスタート。オープニングは、デイヴィッドTウォーカーの「ホワッツ・ゴーイング・オン」。これは、もうテーマということで。しかも、超メローでしょう、これ。この日は少しインストと大人向きの選曲をしようということで、最初4曲をインストにしてみました。ゆる~い、マーキーズの「プランテーション・イン」、このマーキーズも、僕からするとかなりメロー。最近のマーカスのアルバムから「ブギー・オン・レゲエ・ウーマン」、スティーヴィーつながりで、「イッツ・ア・シェーム」、そして、スティーヴィー本人の「アズ」と、アレサのヒットで有名なスティーヴィー作品「アンティル・ユー・カンバック・トゥ・ミー」へ。 ここで趣を変え、ジョー・サンプルで「フィーヴァー」、歌はレイラ・ハザウェイ、同じくジョーでレイ・チャールズの「メス・アラウンド」(インスト)、そして、レイ・チャールズ(アイヴ・ガット・ア・ウーマン)へ。このあたりのジャジーなのりと、レイ・チャールズの流れはまず普通のソウルバーやクラブではかからないでしょう。(笑) イメージはあったが、実際にかけてみて、なかなかいい雰囲気だったのでよかった。本当はスティーヴィーの後にフランク・マッコムの「シャイン」をかけようと思っていたが、時間の関係でカットになった。いわゆるばりばりのダンス曲、クラブ用の曲ではないが、こういう曲でお客さんが踊ってくれているとひじょうに嬉しい。 第二部のテーマは、この前亡くなったユージーン・レコード・トリビュートもかねて、シカゴVSフィリー。シカゴからシャイ・ライツとカーティス・メイフィールド、フィリーからは、ウィスパーズ、テンプリーズのフィリー録音、オージェイズ、スタイリスティックスのフィリーサウンド。2部の最後は、スタイリスティックスの「アイム・ストーン・イン・ラヴ・ウィズ・ユー」に決めていた。この踊れそうで、踊れない、踊れなさそうで、ブラザーなら踊ってしまうというゆるいリズム感が最高で、この「メロー・ライダーズ」のタイトルにふさわしいのではないかという1曲だった。 僕の最後の曲を受けて、次のDJルイカ氏がもってきたのは、なんと、同じくスタイリスティックスの「キャント・ギヴ・ユー・エニーシング・バット・マイ・ラヴ(愛こそすべて)」だった。マイクを持って、僕を紹介してくれた後、あのトランペットのイントロが始まった瞬間、ルーサー観客から歓声が。しかも、ルイカ氏、曲のサビ、ヴォリュームを落して、客に歌わせる歌わせる。この時点で、けっこうルイカ氏よっぱらっていたようで、かなりごきげんにまわしていた。MCものりのり。あおります。 さて、少し話は前後するが、第1部のオッシーDJの時、ちょうど、今来日中のデクスター・レディングが会場にいて踊っていた。デクスターは、あの偉大なるオーティス・レディングの長男である。そこで、急遽、デクスターのいたレディングスの曲をかけようということになった。しかし、曲調から、そのレディングスへもっていくまでに、何曲か流れを作らなければならない。オッシーがレディングスへもっていく流れを作る。エイティーズの作品を何曲かつなぎ、ルーサーの「スーパー・レディー」が流れてきた時、そろそろかと思ったら、レディングス来ました。そして、マイクで紹介。観客からも、大拍手!  さて、なぜ、デクスターが日本に来ているか。そのお話は、明日へ続く。 (2005年7月31日日曜、横浜西口・ルーサー=メロー・ライダーズ・VOL.2) ENT>MUSIC>EVENT>Mellow Ridaz Vol.2

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Mellow Ridaz Vol.2

【メロー・ライダーズ第2弾】 来場多謝。 今年2月に行われた『メロー・ライダーズ』のイヴェントが、7月31日、横浜・西口のソウル・クラブ、ルーサーで行われた。事前のタイムテーブルは次のようなものだったが、後半、時間が徐々に押した。日曜夜というところ、ご来場の皆様は本当にありがとうございます。 19:00 八巻20:00 八巻21:00 Nami22:00 吉岡22:40 ルイカ23:40 OSSHY0:40 吉岡1:20 ルイカ2:20 OSSHY3:20 Nami4:20 八巻5:00 end 僕の2度目のセットの冒頭、またまたCDJにいれたCDが読み込まず、摘出できずで、しばし、アナログでしのいだ。その間にオッシーが試行錯誤して、CDを出そうとしてくれたが、遂にちょっとしたコツで出せるようになった。 満員のお客さんは適度にのりのりで、大変盛り上がった。ルイカ氏、僕の直後に交代した時はマイクを持ってのりのりでMCまでしてくれた。メロー・ライダーズとは名ばかりで、前回同様、DJナミ、DJオッシーも、がんがんにR&Bで躍らせる。 僕の第一部の選曲のテーマは、ちょっとインスト多めの古めで大人目みたいなもの。第二部はシカゴVSフィリーを考えていたのだが、その前にCDJにCDが挟まってでてこない事件があり、急遽冒頭は棚にあったアナログから、ジェームス・ブラウン特集になってしまった。(笑) ルイカ氏、けっこうマイクを使ってしゃべったり、歌ったりもした。特にアリシャ・キーズの「イフ・アイ・エイント・ガット・ユー」では、彼が一緒に歌ってしまった。 外出たら、もうがんがんに明るかった。みなさん、おつかれさま~~。お声がけいただいた方、ありがとうございます。 とりあえず、僕がかけた曲のセットリストです。 Setlist 01. What’s Going On / David T Walker02. Plantation Inn / Markays03. Boogie On Reggae Woman / … Continue reading

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