Monthly Archives: March 2003

The Last Thunder Storm

最終回。 今日が、FM横浜の『サンダーストーム』の最終回になります。ので、まあ、今までいろいろ関係した人たちが集まります。僕も顔出します。84.7、午後4時からお聞きのがしなく。

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One Point English Lesson by Soul Music

迷路。 ハ~イ、ワン・ポイント・イングリッシュ・レッスン・バイ・ソウル・ミュージックの時間で~す。いま思いついてコーナー作りました。 今日のタイトルは「バック・イン・ストライド」。歌っているのはフラキー・ベヴァリー&メイズ。85年のヒットです。 踊りながら、マーヴィンが説明します。「つまり、今まで順調に走ってきたとするでしょう。それが、だんだん疲れてきて走るスピードがよれよれになって遅くなる。それでも、またがんばって、前と同じ歩幅で走るようになる。それが、バック・イン・ストライドなんだよ」 ストライドは、走るとき、歩く時の歩幅のこと。「バック・イン・ストライド」は、元の歩幅に戻る、という意味なのです。元の調子に戻る、といった前向きなニュアンスですね。僕は、「バック・イン・ストライド」って、後ろ向きに歩くのか、と思っていた。確か、プロモーション用ビデオも、後ろ向きに歩いてる映像だったような。 メイズとは、日本語では「迷路」のこと。彼らのジャケットは、いつも迷路がデザインされていました。そうだ、確かあのジャケットは、長岡秀世だったんじゃないかな。いいグループです。日本には二度来ているかな。一度、青山のスパイラル・ビルの上でライヴを見た記憶があります。典型的なセルフ・コンテインド・グループでした。よかったですよ。 たとえば、毎日日記を書いていた。でも、何日か怠けて書かなかった。それでまた心を入れ直して毎日書くようになった。これ、バック・イン・ストライドですね。 曲のタイトルから覚える英語の言いまわしってけっこうありますね。これも、そんな一曲でした。

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Feeble sound of whistle @ Embassy night

年季。 DJブースの上と下のほうにあるアナログ・ディスクのジャケットは、もうぼろぼろです。ジャケットのはじっこがよれよれになっているくらいなら、まだまし。もう3から5センチくらい切れていて、原型をとどめないものさえあります。中にはアナログ年齢40歳を超えるものもありそうです。30歳代はいくらでも。 かなり年季の入ったテクニクスのターンテーブルにクール&ギャングの「ファンキー・スタッフ」を乗せました。バリー・ホワイトの「キャント・ゲット・イナフ・オブ・ユア・ラヴ」がフェードアウトしてきたので、がつんと、「ファンキー・スタッフ」を送り出しました。イントロのホイッスルの音がダンスフロアに鳴り響きます。 し、し、しかし。そのホイッスル音、本当ならがつ~んと「ピ~~~」となるはずなんですが、なにせ、何千回とかけたレコードゆえに、溝がすれていて、音まで薄くなっています。もちろん、途中の曲の間も、チリチリした音がかぶさり、しかも、低音も気持ちはりがないように思えます。それほど、かけたレコードという意味です。すごいなあ。 「ファンキー・スタッフ」は73年のヒットなので、このレコードも30歳か。レコード自体を買いなおしていれば、ちょっと違いますが。さて、次に「モア・ファンキー・スタッフ」をつなげようかとも思いましたが、ここは、少しテンポを変えて同じクールたちを「ジャングル・ブギー」で、ダブルプレイすることにしました。タランティーノが映画『パルプ・フィクション』でも使った曲ですね。これだけステップがそろって踊られるという場所は、世界中どこを探しても、この店と数軒しかないでしょう。 この日は、前のDJがMFSBの「TSOP」で交代したので、僕はそれに続ける曲としてハロルド・メルヴィン&ブルーノーツの「バッド・ラック」を一曲目にもってきました。クールたちは、1時間のDJタイムですでに中盤です。なぜかアースの「シャイニング・スター」があまり人気がなかったので、マーヴィンの「ホワッツ・ゴーイン・オン」で、客足(!)を再度つかみ、同系統のブラックバーズの「ウォーキング・イン・リズム」をはさんで、ブルーノーツの「ラヴ・アイ・ロスト」でしめてみました。結果、ハロルド・メルヴィン&ブルーノーツの「バッド・ラック」で始まり、同グループの「ラヴ・アイ・ロスト」で終わるというよくできた締めになりました。 70年代に一世を風靡した六本木のディスコ「エンバシー」にちなんだ「エンバシー・ナイト」というイヴェントでした。 そこでDJをやるのは、僕は初めてだったので、前のDJの方が横についてレコードを探すのを手伝ってくださいました。それがエモリ・アイ氏です。観客のみなさんは、びしっとステップを踊り続けてくれました。ミラーボールに、赤、青、緑などの照明の点滅。鏡に映る自分の姿を見ながらみなと同じステップを踊る10代から50代までの人々。髪がグレイになった人が汗を拭きながら、戻ってきます。10代の子は、ミネラル・ウォーターのペットボトルを手に取ります。こうして、白金「ダンステリア」の夜はいつもと同じように更けていきました。 ソウルの元に年代を超えてワンネーション。

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Simultaneous interpreting

同時通訳。 このところ、家にいるときは、CNNのWar in Iraqを見ています。そんな中で、何に気が行くって、同時通訳に耳が行っちゃうのです。CNNにひとり、異様にうまい人がいます。開戦以来、その彼女の同時通訳ぶりに感心して、すごく気になっていて、ずっと名前がわからなかったんです。というのは、同時通訳者の名前って、ほんの始めにちょろっとしかでないでしょう。だから、なかなかわからないんです。そうしたら、今日、ついにわかりました。その人の名前は松浦世紀子さんといいます。読み方わかりません。せきこさんか、よりこさんか。 数ある同時通訳者の中で、彼女は群をぬいてうまい。何がいいって、日本語がしっかりしているところがすばらしい。同時通訳者は、NHKがやはり比較的安定してますが、他は、だいたい「う~~ん」って感じなんですが、この松浦さんは、見事です。彼女はだいたい、午前11時すぎくらいから、5時くらいまでやってるのかな。よくわからないですが。 他の同時通訳者の何がだめか。日本語がだめ。日本語の発音がだめ。かつぜつがだめ。これは、偏見と受け取ってもらってもいいけど、ニュースを訳すわけでしょう。きちんとした標準語で日本語、しゃべってもらいたい。訛りがある人は、まず、はずせ。それから、なんか妙な英語訛りの日本語しゃべる帰国子女系しゃべりの人もはずせ。基本的に、きちんとした日本語のしゃべりを勉強してもらいたい。やっぱり、ニュースは訛りがあったら、だめよ。花粉症も、できればはずせ。(笑)  で、先のCNNの松浦さん。日本語、しっかりしています。かつぜつもいいです。標準語です。声も安定していて、聞きやすいです。これは言いすぎ、誉めすぎですが、日本語のニュースを聞いてるようです。(ちょっとオーヴァー) 声の良さは、非常に重要です。どんなに上手でも、声が悪いと残念ながらだめです。 究極の同時通訳というのは、今言ったように、日本語のニュースを聞いているように聞ける、というものだと思うのです。うまい人のを聞いていると、すっと頭に入ってくる。でも、下手な人のだと、ぜんぜんはいってこない。もちろん、これはかなり高度な要求だと思う。 だいたい英語の通訳ができる人が1万人いたら、同時通訳できる人は100人もいないでしょう。通訳と同時通訳はまったく別の技術ですからねえ。同時通訳の中でも抜群にうまい人ってきっと、その100の中のひとりかふたりのような気がします。 つまり、すばらしい同時通訳の条件はこうだ。 1)英語が完璧に理解できる2)日本語が完璧に理解できる3)英語→日本語の通訳ができる  4)日本語→英語の通訳ができる5)英語→日本語の同時通訳ができる  6)日本語→英語の同時通訳ができる7)日本語を、きちんと日本人がしゃべるように標準語で話すことができる8)日本語を、アナウンサーが話すようにきちんとした発音イントネーションで、安定した速度でしゃべることができる9)声が良い 今回(英語から日本語へ)は、4)と6)以外で、上記9条件をクリアしなければなりません。だいたいの同時通訳が5)止まりなんですね。ちゃんとした日本語を話す人も多いのですが、いわゆる同時通訳者独特の日本語をしゃべる人が多いのです。それは帰国系のしゃべり方、というか。9)は生まれながらのものだから、これは努力とかそういうものではありませんね。 まあねえ、結局は才能なのかなあ。でも、これは才能プラス努力だと思うなあ。とてつもない、努力が必要な職業だと思う。5)までの人でも、大変な訓練をして、努力していると思う。でも、21世紀の同時通訳は、さらにレベルアップをお願いしたい。 前にも書いたかもしれないですが、WOWOWのグラミー賞、アカデミー賞の同時通訳がほんとにひどいんです。ないほうがいいくらい耳障り。ちょっとだけ日本語ができる外人を使ったりして。結局、上記で言えば5どまりなわけね。いや、下手すると5まで行ってないかもしれません。 それから、あまり指摘されませんが、話すスピードの安定感は大事です。同時通訳は、どうしても後半はしょるから早口になる。これを、堂々と同じスピードでやると、すごいと思う。当然、次の会話にかぶりますが、それも同時に並行して遅れていけばいいと思うのです。速度を一定にするだけで、ずいぶんと聴きやすくなります。まあ、原語より遅くなっていったら、どんどん遅れてしまって、訳せなくなったら、これはこれで、だめなんですが。 最近実験的に、同時字幕通訳みたいのがでてきたけど、これは意外といいかもしれません。これなら、声質、訛りなんか関係ないですからね。 The Soul Searcher@同時通訳評論家。

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Living Legends: Toots Thielmans

号泣。 先日の「サンダーストーム」番組内のコーナーテーマで「これを聴いて泣いた曲」というのを、それぞれが持ち寄ったわけです。グループ、ソウル・ボサ・トリオの主宰者であり、スタジオのオウナー社長ゴンザレス鈴木さん。彼の場合は、自分の作品のレコーディングで、トゥーツ・シールマンスにハーモニカを吹いてもらったときの話でした。 彼は、その曲にトゥーツのハーモニカをいれるために、ベルギーに約1週間ほど滞在しました。スタジオは本当に小さなスタジオでした。ドラムスは、マイケル・ホワイト、ベースがエイブ・ラボリエル、彼らはすでにロスで録音をすませていました。そして、ハーモニカにトゥーツ・シールマンス、プロデュースがゴンザレスさん、ということで、ロス、ベルギー、東京とまさにマルチナショナルなプロジェクトなわけです。 楽譜を事前に用意して、ゴンザレスさんが、その曲の雰囲気とか、感じを説明しようとしたところ、トゥーツは楽譜を見るなり、一言「アイ・ノウ(わかってるよ)」と言ったそうです。そして、テープが回され、そのマスターテープに、トゥーツのハーモニカの音が録音されました。ワンテイクで、当然OKです。ゴンザレスさんは、「もう、そりゃ、ベルギーの人間国宝みたいな人に、もう一度お願いします、なんて言えないですよ(笑)」と振りかえります。 そして、そのマスターを持って東京に戻り、ミックスダウンのために、それをスタジオでかけたとき、ゴンザレスさんは号泣したそうです。 わかるなあ。自分のプロジェクト、作品に、あのトゥーツのハーモニカをいれることができるなんて、夢のようなことですもんねえ。トゥーツは言いました。「このスタジオにクインシーも来たんだよ」 ゴンザレスさんは、そのスタジオで、クインシーやトゥーツあるいは、もっと多くの伝説の空気に触れたわけです。うらやましい限りです。トゥーツ、まさに生きる伝説ですね。

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John Shaft: What’s My Name?

ラウンジ。 昼下がり。ときどき行く駒沢の駒沢公園のすぐ隣のカフェに出向いてみました。絵を描くオウナーのセンスの良い趣味が反映したカフェで、まさに、カフェという感じのお店。木漏れ日の中で、外でもお茶ができるようになっています。まだちょっと寒いのでそれぞれの椅子にブランケットが置かれています。カフェの外側だけでなく内側もペット同伴可のお店なので、多くのワンチャンがやってきています。 ただし、ここは朝7時から夕方7時くらいまでしかやっていないので、なかなか僕のような夜型人間は行けないんですねえ。遊歩道ではジョギングしている人、散歩している人などが公園の午後を思い思いにすごしています。 このカフェではたいがいアナログのLPがかかっています。ジャズ系、ボサ系のようなものが多いのですが、そんな中に、聞いたことがある曲が流れてきました。「マッカーサー・パーク」でした。元々68年にリチャード・ハリスで全米2位、その後78年にドナ・サマーで全米1位になった曲です。最近、小柳ゆきがカヴァーしてるね。もう一曲知らない曲をはさんで、また知ってる曲が流れてきました。「シャフトのテーマだ・・・。う? でもアイザック・ヘイズじゃないなあ。誰だろう」 ずいぶん、軽い感じのアレンジ。早速お店の人に、ジャケットを見せてもらいました。シャフトは大好きだし。http://www.soulsearchin.com/entertainment/movie/review/shaft200010.html おおおおおっ。なるほど~~~。そうかあ、あった、あった、こんなアルバム。持ってたかなあ。いやあ、持ってないだろうな。CDあるかなあ、アナログだけかなあ。誰だと思いますか?  な、な、なんと歌っていたのは、サミー・デイヴィス・ジュニア。アルバム・タイトルは「サミー・デイヴィス・ジュニア・ナウ」。1972年の作品です。サミーは、72年3月から「キャンディ・マン」という曲を全米1位に大ヒットさせていましたが、このアルバムは、そのヒットを受けて即席で作ったアルバムです。アルバムとしてはたいしたことありません。(きっぱり) ぜんぜんソウルっぽくないし、ま、イージー・リスニングみたいなもんですね。 http://www.allmusic.com/cg/amg.dll?p=amg&uid=11:37:33|AM&sql=A96bsa9lgy23s 30年前にはとても聞かなかったようなアルバムですが、今時にはちょうどいいかも。カフェ系BGM、ラウンジ系BGMとして。昔はそんな環境はなかったですからねえ。うちに帰って調べたら、やっぱり持ってませんでした。どこかで安かったら買おうっと。

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Chicago

名声。 前から見たかった『シカゴ』をやっと見ることができました。本当はアカデミーの発表(日本時間で24日月曜)以前に見たかったのですが、今回は人気ということで、試写自体が予約制になっていて、なかなか満員で入れなかったわけです。 舞台は1920年代のシカゴ。スターのヴェルマ(キャサリン・ズィータ・ジョーンズ)、最初はそのヴェルマにあこがれているロキシー(レニー・ゼルウィガー)、そして彼らを弁護することになる弁護士ビリー(リチャード・ギア)を中心にした物語。 ロキシーは、夫がある身ながら、自分をキャバレーに売りこんでくれるという男と浮気をしていた。しかしいつまでたっても、店のマネージャーを紹介してくれないその男に詰め寄ると、彼は最初から彼女に紹介するつもりなどなかったといい放つ。激怒したロキシーは銃で彼を撃ち殺してしまう。留置場に行くと、そこで彼女は、スターのヴェルマに出会う。彼女も、夫と姉を殺した罪で留置されていたのだ。そして、二人をそれぞれ弁護する野心家の弁護士ビリーが、さまざまな手を使い、彼女たちを無罪にしようと試みる。果たして、彼女たちは無罪になるのか、有罪で極刑になるのか。人を殺してスターになるという退廃的な時代背景も盛り込みながら、名声への貪欲な戦いが繰り広げられる。 さまざまなシーンで、彼ら3人が思うこと、イメージなどを音楽にしてはさんでいくという構成は、なかなかとっつきやすく、楽しみやすかったです。ちょうど、マンガの吹き出しみたいに、曲が入っていく感じで、とても自然な流れがあります。 1975年に始まったミュージカルを映画化した本作は、表面的にはものすごくスタイリッシュで、おしゃれでありながら、その裏ではどろどろの愛憎劇が繰り広げられています。テンポもよく細かいところも、本当によくできています。 この映画を見て、本物のミュージカルを見たくなりました、きっと、ミュージカルはもっともっと、すごい迫力があるのでしょう。 この『シカゴ』のすばらしい点は、ストーリーがしっかりしていて、ストーリー自体がおもしろいことです。ミュージカルというと、どうしても、音楽を優先するあまり、ストーリーがおざなりになりがちですが、これはまずストーリー自体がしっかりしています。その点で、このミュージカルは『映画のようなミュージカル』であり、『ミュージカルのような映画』でもあります。両者の優れた要素をうまいブレンドで見せます。 刑務所の看守役のクイーン・ラティーファが、実にいい味をだしていました。彼女は、女優としても、今までにも何本かでてますが、行けますね。リチャード・ギアの歌とダンスが、おもしろかった。 (2003年4月19日土曜より丸の内プラゼールなど全国松竹系でロードショウ)

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Sexsual Healing on “I-Spy”

癒し。 エディ・マーフィー、オウエン・ウィルソン主演の映画『アイ・スパイ』の試写を見ました。 ケリー・ロビンソン(エディ)は連戦連勝中の超人気ボクサー。アレックス・スコット(オウエン)は国家保安局のスペシャル・エージェント。アメリカ空軍から最新鋭のレーダーにも映らず、実際に視認もできない戦闘機が盗まれ、それを奪還するという任務が生まれました。盗まれた戦闘機はブダペストの武器商人の手に渡り、最高価格を入札した相手に売ることになっています。その入札が行われる派手なパーティーに入り込むためには、有名人ケリーの知名度が必要になり、彼をアレックスの相棒に抜擢するのですが、やたら目立ちたがりや、プライドの高いケリーとアレックスがうまく立ち舞い、果たして、彼らはその戦闘機を奪還できるのか。 実にテンポのいい、OO7のミニ版みたいな1時間36分の痛快なアクション映画。ブダペストの街がふんだんに登場します。で、この映画の中で、おもしろかったのが、アレックスが同僚の美人エージェント、レイチェル(ファムケ・ヤンセン)を口説こうとするときに、ケリーの手助けを借りるところ。 ケリーはアレックスに、口説き文句を耳元にうめこんだ無線機を通じて、伝授する。それがこんなせりふだ。 Baby I got sick this morning. A sea was storming inside of me. Baby I think I’m capsizing. The waves are rising, rising. And when I get that feeling, (今朝、病気になってしまったよ。僕の中の海原は嵐だ。もうおぼれてしまいそう。波は高く、高く。そんな気分になったときには…) ここまではなんとか、アレックスも言えるのですが、次の一行がどうしても言えないのです。 I want sexual healing.(僕には性的な癒しが必要なんだ) … Continue reading

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First Class Ticket To Burbank

Music: Between The Lines Of Time And Place “First Class Ticket To Burbank” 電撃。 1982年10月、ロス郊外バーバンク、トルーカ・レイク。 その朝、ロスの大学に留学していた彼女は、トルーカ・レイクという静かな住宅街にある一軒家のキッチンにおいてあったラジカセをいつものようにつけた。ダイニング・テーブルの上に置いたラジカセの反対側には、大きな窓があり、そこからは外の木々や隣家の垣根が見えた。彼女が姉とロスに住んだ6年間で一番気に入った家がここだった。 あわただしく学校に行く準備をしていると、その曲がラジオから流れてきた。「まさに、体の中に電流が走った感じ。体に雷が落ちたような、そんな感じだった。もっとも雷が落ちた経験はないんだけどね」と彼女は振り返る。鳥肌が立ち、涙目になり、ちょっとしたパニック状態になった。彼女はしばし、「一体これはなんなの?」という面持ちで、その小さなラジカセに見入ってしまった。 初めて聴く曲だったにもかかわらず、あたかもデジャヴーの如く、昔、どこかで聴いたことがあるように無性に懐かしく感じられた。その曲を長い間ずっと待ち焦がれていたような錯覚にさえ襲われた。本当はもう学校に行かなければならない時刻だったが、曲名とアーティスト名を聞き逃すわけにはいかなかった。DJの曲紹介が待ちきれなかった。 曲がフェードアウトされDJが言った。「『セクシュアル・ヒーリング』、マーヴィン・ゲイの新曲です!」 彼女にとっては衝撃だった。「ホワッツ・ゴーイン・オン」は知っていたが、そのマーヴィンとこの歌手が同一とは思えなかったのだ。彼女は心の中でつぶやいた。「お帰りなさい! 待ってたよ!」 遅れそうな学校に飛んでいった彼女はクラスメートに、開口一番興奮しながら尋ねた。「ねえ、聴いた? 今朝のマーヴィンの新曲?」  以後、彼女はこの曲を聴くたびに、胸がキュンと締め付けられるような思いになった。何か特別なものがあるのか、まるで黙示録の如く。 1982年10月、東京・市ヶ谷。 その曲をどこで初めて聴いたのか。それを思い出せる曲は限られる。しかし、いくつかの曲は、その曲を聴いた場所、情景を思い出すことができる。 マーヴィン・ゲイの「セクシュアル・ヒーリング」を僕が初めて聴いたのは、82年10月、市ヶ谷のCBSソニーのオフィースだった。たぶん、そのときのマーヴィンの担当者のところに行ったときに、カセットか7インチ・シングルで聞かされたのだと思う。1メートル40センチくらいの高さのロッカーの上に、普通のステレオコンポがあって、そこでプレイされた。初めて聴いたときは、「これ、デモ・テープ?」って思った。あまりに音がチープだったからだ。「いや、本物のマスターですよ」というような返事がきたと記憶する。だが、その声は紛れもなく、マーヴィンの声だった。すでに、同曲はビルボードのソウル・チャートを急上昇中だった。たぶん、登場1週目か2週目だった。瞬く間にナンバー・ワンになった。 1984年4月1日。ロスアンジェルス。 運命の日。マーヴィン、父親の銃弾に倒れ死去。享年44歳。翌日が45歳の誕生日だった。 彼女は、今、この「セクシュアル・ヒーリング」を聴くとき、嬉しさと同時に悲しさも感じる。彼女は言う。「マーヴィンには極めて世俗的な世界と、神聖な世界の狭間で苦しんだ人というイメージを持ってしまうの。そして、まちがいなく宇宙規模的な天才ね」。彼女は、マーヴィンのあの空虚な目を見つめていると、「自分の死をずっと昔から見据えていたのかな」とも思ってしまう。 マーヴィンがこの曲を歌うとき、彼女は映画『グレン・ミラー物語』のラスト・シーンと同じように、いつも感動するという。そして、マーヴィンの「ゲッタップ・ゲッタップ…」という歌声が、ラジオからでも、歩道からでも、どこかの店からでも流れてくると、今だにバーバンクの家のあの朝の情景が走馬灯のように脳裏に浮かぶ。マーヴィンのこの歌声は、彼女をいつどんなときでも、瞬時にバーバンクへ旅させることができるファースト・クラスのチケットなのだ。そのチケットはまた、彼女を1982年という年にも連れていく。 音楽は時と場所の架け橋。 Music: Between The Lines Of Time And Place.

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Thunder Storm Again

3月26日(水曜)、また、サンダーストームにお邪魔します。今回は、浪岡さん、ゴンザレス鈴木さんとともに、でます。浪岡さんがロックの話、ゴンザレスさんがジャズの話、僕がソウルの話だと思います。 FM横浜84.7MHZ、午後4時から6時です。サンダーのメールアドレスは、 ts@fmyokohama.co.jp です。

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Singer’s choice

総合商社。 「こういう小さな会場でライヴができるといい。お客さんに近くて、あなたたちの匂いをかげ、そして、あなたたちに触れることができる」 アル・ジャロウはそんな話をしながら、次々と歌います。 ヴェテラン・シンガー、アル・ジャロウは声のデパート、いや、声の総合商社(!)です。およそ人間の声とは思えないほどさまざまな声を出します。今でこそ、ヒップホップ系のユニットには「ヒューマン・ビート・ボックス」という担当者がいますが、アル・ジャロウは76年にデビューしたときから「ヒューマン・ビート・ボックス」でした。 楽器が買えない黒人たちは、ア・カペラで歌い、足を踏み鳴らし、手を叩いて音楽を作り出しました。アル・ジャロウは、自分の声の可能性を自ら知り、それを無限大に広げました。 事前に歌う曲を決めず、その場の雰囲気で次々と歌う曲を自由自在に変えていくアルのそのスタイルは、ライヴたたき上げ、ステージたたき上げのヴェテランならではの味わいです。アルのトークから、じゃあ、この曲をやろうと言ったとき、それについていくことができるミュージシャンたち。あうんの呼吸とはまさにこれ。 「一年ほど前に南アフリカ(長くアパルトヘイトという人種隔離政策がとられていた国)に行ったんだ。そこで、ジャカランダの木とブーゲンビリアの木が一緒に育っているのを見た。まったく違う二つの木が一緒のところに育っていて、黒人も白人も一緒に住めればいいのにと思って作った曲を歌います」と言って歌い始めたのが、彼の現時点の最新作『オール・アイ・ガット』(2002年9月)からの「ジャカランダ・ブーゲンヴィリア」というポップで明るい曲。気に入りました。 アル・ジャロウを見るのは何年振りでしょうか。確か前回のブルーノートの前は、どこかのコンサートホールだったはず。NHKホールか、中野サンプラザか。2000人のコンサートホールで見るのと、300人のブルーノートで見るのでは親近感が圧倒的に違います。 アンコールでステージに戻ってきたアルは、次に何をやるか一生懸命考えています。「さて、何をやろう。歌手の選択(singer’s choice)は…」 後ろのミュージシャンに一言何かを伝えて始まったのは、ジャズのスタンダード曲「テイク5」でした。デイヴ・ブルーベックのヴァージョンで有名なインストゥルメンタルです。これを彼はスキャットで歌います。しかも、曲間に「ミッション・インポシブル(スパイ大作戦)」のフレーズまでいれて。 アル・ジャロウは声が楽器の人です。というより、体が楽器の人でした。いや、人間そのものが楽器の人ですね。 (2003年3月9日から15日、東京ブルーノート)

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Bring In ‘Da Noise, Bring In ‘Da Funk: Soul explosion!

ビート。 音楽はドラムのリズム、ビートから始まった。そして、太古からドラムが刻むビートは人々を高揚させてきた。ビートに酔いしれ、踊り、歌い、興奮し、ハッピーになった。そして400年余におよぶビートの歴史を2時間に凝縮したこのミュージカル『ノイズ&ファンク』は、恐るべきパワーと知性と肉体の可能性を見せつけた。これを作った男の名はセヴィアン・グローヴァー。 17世紀、アフリカからたくさんの奴隷がアメリカ大陸に連れてこられた。そのときの奴隷船の名前が、次々と連呼される。虐げられた黒人たちは、ドラムが生み出すビート、ビートが生み出す音楽に救いを求める。しかし1739年、サウス・カロライナ州で起こった黒人暴動をきっかけに、ドラムが禁じられた。唯一の娯楽を禁じられた黒人たちは、足を踏み鳴らし、手を叩き、ビートを、リズムを生み出すようになる。これがタップダンスの始まりだ。抑圧、そして、そこからの創造がタップを生む原動力となった。 叩けるものは、なんでも叩いた。フライパンをたくさん集めて、二人で叩けば立派なビートを刻めた。第一部の「パン・ハンドラー」のシーンは、まさにそんな彼らの真骨頂を見せる。 しかし、まだ南部には恐るべき人種差別が残っていた。黒人がリンチされ殺された。南部にはあまり仕事もなく、貧しかったので、人々はみな、景気のいい北部(シカゴ)に向かった。シカゴの工場で働く黒人たち。リズムにのって、仕事が続く。1920年代、景気のよくなった黒人たちは、人種差別はありながらも、「ハーレム・ルネッサンス」と呼ばれる独特の文化を生み出す。ダンス、歌、ジャズ・・・。ありとあらゆるエンタテインメントが生まれ、それを黒人たちも楽しむようになった。 黒人のタップに注目したハリウッドは、タップを映画の中にとりいれようとする。しかし、ハリウッドは、ビートのきいた強烈なタップを受け入れようとせず、笑顔と見栄のいいタップをやらせた。真のタップ・ダンサーにとって、それは『白人向けの骨抜きにされた』タップだった。白人向けに演じて大金持ちになった黒人をセヴィアンは、強烈に批判する。 このシーンは、主人公セヴィアンが本作でもっとも強調したい『黒人対白人』の構図だろう。僕は今まで、黒人のタップと白人のそれが、これほど違うとは知らなかった。それは、ストリートのタップと、ハリウッドのタップが著しく違うということだ。ここでは、付け加えて、白人寄りの黒人への批判も展開する。マイケル・ジャクソンまで槍玉にあがっているのには驚いた。セヴィアンは間違いなく、映画界のスパイク・リーと同様の地点に立っている。 このミュージカルの中で最大のハイライトが、セヴィアン・グローヴァーが尊敬する4人の過去の偉大なタップ・ダンサーに捧げるシーンだ。たった一人でステージ中央に立つセヴィアン。その前に3枚の鏡が置かれ、本物のセヴィアンと鏡に映る3人の彼の計4人が同時にタップをやっているかのように見える。 グリーン、チェイニー、バスター、スライドの4人のそれぞれの特徴を語りながら、彼は鏡の前でひたすらタップを踊る。その瞬間、その瞬間、過去の先達がセヴィアンにのり移ったかのようだ。このシーンを見るだけでも、本作を見る価値があると言ってもいい。言葉は要らない。 時代は流れ、それでも、ビートは続く。ヒップ・ホップが登場し、ストリートでのバケツ叩きがノイズをかもし出す。ノイズはファンク。ファンクはノイズ。ジャレッドとレイモンドのバケツ叩きは、それが単純であるだけに感動的だ。ドラムを禁じられても、そこにバケツがあれば、ビートは生まれる。ビートを作り出すのは、ドラムではない。人間そのものなのだ。そして、その人間の可能性は無限大だ。 最後、バケツ叩き2人と4人のタップダンサーが、よくストリートなどで見られるタップ・バトルを繰り広げる。セヴィンが踊り、ドーメシアが踊り、みな競いあって、我こそ相手を打ち負かそうとタップを踊る。 そして、いかなることがあろうともの後に、[There will always be](いつでも)と大きな文字がでて、画面が変わり[Da Beat](ビートは永遠にありつづける)と映しだされる。この[Da Beat]の文字が浮かびあがったとき、僕は胸が一杯になった。 17世紀にアフリカから奴隷として連れられてきた黒人たちが、一時はドラムを、ビートを禁じられたものの、体を使うことによってビートを生み出す方法を考え出し、そのビートは、今日まで脈々と受け継がれ、そして、これからもずっとあり続けるという事実を目の当たりにしたとき、400年以上もの間刻み続けられているビートのパワーに圧倒させられた。 ビートは人々を高揚させ、戦いを起こさせることにもなりえるだろう。しかし、その同じビートは人々をひとつにまとめ、戦いをやめさせる力にもなりうるだろう。まさに両刃の剣だ。ドラムが禁止された所以だ。 強烈な歴史観と主張。たかがタップ、されどタップ。肉体だけが生み出すことができる主張。言葉ではなく、体から放たれる喜び、怒り、悲しみ、魂の叫び。黒人の尊厳とプライドが、たった二本の足元から発信される。ブルーズ、ゴスペル、ジャズ、ソウル、そして、ダンス。すべてのブラック・カルチャーの要素と歴史をここまで貪欲にこれでもかこれでもかと凝縮したミュージカルを他に知らない。 もっとも、ニューヨークで字幕なしで見たら、恐らくここまで理解できなかっただろう。プログラムの解説と字幕によって、このショウへの理解が深まり、感動できたのだと思う。日本で見ることができて感謝だ。 タップがこれほど力強いものとは思わなかった。セヴィアン・グローヴァーがこれほど黒人意識の強い男ということも知らなかった。そして、僕はミュージカル形式のものを見てこれほど感動したことはなかった。 あらゆる出演者にビッグ・リスペクトを! ソウルの爆発を体言した夜になった。こんなソウルの爆発はめったに味わえない。再演を望む。 (2003年2月27日から3月23日まで。赤坂ACTシアター。邦題、『ノイズ&ファンク』)

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There’s a message in the music

開戦。 1970年7月、エドウィン・スターが歌った。 「戦争の意味ってなんだ? 間違いなく意味なんてない! 戦争とは、オレが軽蔑するもの。なぜなら、多くの罪なき人々の命を奪うものだから。なぜなら、多くの母の目に涙を流させるものだから。戦争の友人は、葬儀屋だけ。戦争は人類の敵…」(「ウォー(邦題、黒い戦争)」より) 1971年2月、マーヴィン・ゲイが歌った。 「お母さん、お母さん、あまりに多くの母親たちが泣いている。兄弟よ、兄弟よ、あまりに多くの仲間たちが死んでいく。今日、ここに愛をもたらすために解決の糸口を見出さなければ。お父さん、お父さん。僕たちはエスカレートする必要なんかない。 ねえ、わかっているでしょう。戦争(戦い)は、答えにはならないんだよ。唯一愛だけが、憎しみに打ち勝つことができるんだ。僕に体罰を与えないで。話あって(僕に語りかけて)、そうすれば、今、何が起こっているかわかるはずだ」(「ホワッツ・ゴーイング・オン」より) 1976年10月、スティーヴィー・ワンダーが歌った。 「友人のみなさん、おはよう、あるいは、こんばんは。あなたの味方の(フレンドリー)アナウンサーです。今日は、あらゆる人々に伝えねばならない重大なニュースがあります。私が言おうとしていることは、世界の大惨事を意味することになるかもしれません。あなたの喜びや笑いを、涙や痛みに変えてしまうかもしれません。 それはつまり、今日、愛が愛そのものを必要としている、ということなのです。遅れてはなりません。あなたの愛を今すぐに送ってください。憎しみが蔓延し、多くの心を傷つけています。手遅れにならないうちに、止めなければなりません。邪悪な力があなたを取りこもうとしています。もし放っておけば、悪の力はすべての人類を破壊してしまいます。ですから、私たちは何か予防策を講じなければなりません。平和と愛を宝物のように思うなら、私の話を聞いてください。 それはつまり、今日、愛が愛そのものを必要としている、ということなのです。遅れてはなりません。あなたの愛を今すぐに送ってください」(「ラヴズ・イン・ニード・オブ・ラヴ・トゥデイ(邦題、ある愛の伝説)」より) 70年8月29日、エドウィン・スターの「ウォー」は、全米ナンバー・ワンに輝いた。 71年3月27日、マーヴィンの「ホワッツ・ゴーイン・オン」は、全米ソウル・チャートでナンバー・ワンに輝いた。 76年10月16日、スティーヴィーの「ラヴズ・・・」の入ったアルバム『ソングス・イン・ザ・キー・オブ・ライフ』は、全米アルバム・チャートで1位初登場の快挙をなしとげた。 ナンバー・ワンは、人々の支持を得たということ。 32年前の3月、世界は「ホワッツ・ゴーイング・オン」を聞いていたはずなのに。 音楽にはメッセージがあります。There’s a message in the music! 今日は3曲メドレーでお送りしました。お相手は、あなたのフレンドリー・アナウンサーでした。 +++++ For your info: here’s a complete lyrics of mentioned above songs. “War”Song written by Barrett StrongSung by Edwin … Continue reading

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Stax Museum

博物館。 60年代から70年代にかけてのソウル・ミュージック・シーンを席巻した二大レーベルと言えば、北のモータウンと、南のスタックスです。テネシー州メンフィスに60年頃からスタートしたスタックス・レコードはオーティス・レディング、ルーファス・トーマス、アイザック・ヘイズなどさまざまなアーティストを輩出しました。 そのスタックス・レコードのスタジオがあったところが、新たにスタックス・ミュージアム(博物館)として、来る2003年5月2日正式に一般にオープンします。 926イースト・マクレモア・ストリートにあった建物は、元々映画館でした。それをスタックス創始者であるジム・スチュワートと、エステル・アクストンの兄弟がここにスタジオを作ったのです。どこの映画館にもあるマーキー(歩道にせり出した看板。その日の出し物、アーティスト名などが書いてある)が、非常に特徴的です。 ここにあった建物を一度壊し、更地にして、新たな建物を作り、これをスタックス・ミュージアムとして再オープンします。当初は今年の2月オープンの予定だったそうですが、若干遅れて、5月2日のオープンとなります。 詳細はhttp://www.soulsvilleusa.com 入場料は大人9ドル。スタジオ、レコード、楽譜、写真、楽器などが展示されます。 モータウンのスタジオも、今では「モータウン・ミュージアム」となって一般に公開されていますが、これで、モータウン、スタックスと60年代に一世を風靡した両レーベルのスタジオがどちらも博物館となります。 一度、スタックス・ミュージアムに、ソウル・サーチンの旅に行きたいですね。

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Jackie Wilson Story

ミュージカル。 50年代後期から60年代にかけて数多くのヒットを放ったR&Bシンガー、ジャッキー・ウィルソンの生涯を描いたミュージカルが来る4月3日からニューヨークのアポロシアターで公開されます。 このミュージカルは、元々2001年にシカゴのプロダクションが制作したもの。シカゴで公開され好評を得、それをニューヨークに持ってきたというものです。ジャッキー・ウィルソン・ストーリーのオフィシャル・サイトは、http://www.thejackiewilsonstory.org. 12人の俳優と7人のミュージシャンが登場し、ジャッキーの栄光と挫折を描き出します。ジャッキーは「ミスター・ダイナマイト」の異名を持つ超迫力のR&Bシンガーで、一世を風靡しました。 アポロシアターhttp://www.apollotheater.com/calendar.aspでは、4月3日から13日までショウが行われます。チケットは20ドルから80ドル。 彼がステージで倒れたのが1975年のこと。それ以来約9年、彼は植物人間状態になり、84年1月、わずか49歳で他界しました。「ライズ&フォール」(栄光と挫折)をまさに地で行く人生でした。これは、見てみたいですねえ。

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King is Queen

クイーン。 キングは、クイーンでした。彼女もまた、裸足でステージに立っていました。そして、その裸足で、客席のテーブルに昇り、歌い、腰を揺らし、観客をあおり、彼らを総立ちにさせました。観客をすべて、支配下におくクイーンそのものでした。 このクイーンの名は、キング。ダイアナ・キングです。基本的にはレゲエのシンガーですが、ポップ、R&B、ソウル、ファンク、バラード調、ディスコなどありとあらゆる音楽要素をこれでもかとつめこんだステージです。 プリンスの作品でメリサ・モーガンがヒットさせた「ドゥ・ミー・ベイビー」では、観客の男性を誘惑するかのごとくセクシーに歌います。「あなたの名前は?」 「せいた」 彼女はメロディーをつけて「せいた~~~、せいたちゃ~~ん」と歌います。 「シャイ・ガイ」からは観客が総立ちに。しかし、それにしても月曜日からこの超満員はなんですか、これ。人気です。一体なぜに、こんな人気かというと、ヒット曲の存在です。「シャイ・ガイ」、「小さな願い」など、日本の洋楽シーンでもけっこうヒットがあるので、知名度が高いわけですね。 楽曲がアーティストを作っている典型だと思います。ヒット曲が、観客を呼んでいるのです。78分、たっぷりレゲエ、R&Bなどを聴かせてくれました。 (Diana King Live @ Bluenote 2003年3月17日)

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Konishiki’s choice

選択。 昨日の『ソウルブレンズ』のオンエア中にアシスタントのIさんに「この前、雑誌に小錦のお気に入りCDがたくさん紹介されていて、吉岡さんが作ったのがでてましたよ。あの赤い箱にはいったやつと、青いソウルバラードのやつ」と言われました。 それは、ソニーミュージックハウスからでた『ゲット・レディー』http://www.sonymusichouse.co.jp/popular/399979.htmlと『ソウル・バラード~ワン・イン・ア・ミリオン』http://www.sonymusichouse.co.jp/popular/815004.htmlでした。 これが掲載されているのが、雑誌『title』2003年4月号(文芸春秋社)の66ページ。何人かのリスニングルーム拝見という企画ページで、小錦さんの場合は、自分の車がかなりのオーディオルームになっていて、そこが紹介されています。そして、いくつかのCDが選出されていて、その中で、『ゲット・レディー』のボックスセットも選ばれていました。 で、事務所内のCDラックという写真もあって、そこにはしっかり『ソウル・バラーズ』のボックスがありました。いやあ、なんか単純に嬉しいですね。自分が選曲・構成・ライナー執筆など全部をてがけたCDボックスセットに、こういうところで出会うと。 『ゲット・レディー』は、ご存知の方も多いかもしれませんが、やはりベストセラーのダンスクラシックスのオムニバスのボックスセット『レッツ・グルーヴ』の続編です。大ヒットを中心にこれでもか、これでもかと、いい曲目白押しで選曲してあります。 FM局の通販番組などでも、しばしば取り上げられて、毎回そこそこ売れるという、ロングセラーになっています。どちらも、選曲にはかなりの自信ありますので、みなさん、よろしければどうぞ。 ま、小錦の選択というわけです。キャッチコピーはこう書き換えましょうか。 「小錦も愛聴している『ゲット・レディー』、『ソウル・バラード』」 小錦に会ったら、話の種ができました。

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Sara Vaughan: The Divine One

神。 サラ・ヴォーンの愛称は、「ザ・ディヴァイン・ワン」。神唯一の、とか、神の人、といった意味でしょうか。 今日の『ヤマノ・ミュージック・ジャム』は、サラ・ヴォーンを特集します。彼女が歌う「枯葉」なんか、まったく驚きです。1940年代から死去する90年まで、彼女はビリー・ホリディ、エラ・フィッツジェラルドなどと並んで、戦後のポピュラー・シーンでもっとも人気を得たシンガーです。 日本でも「ラヴァーズ・コンチェルト」なんかがポップに大ヒットし、人気が高いですね。じっくりご紹介しますので、お楽しみに。

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Album in the Key of Life

The day he fell in love with music ご褒美。 1976年10月、ジョージア州アトランタ。「レコード・バー」。 まだ十代になったばかりの彼は、近くにあった「レコード・バー」というレコード・チェーン店で、そのアルバムの存在を知った。そのレコードの大型ポスターが店の壁に貼られていたのだ。音楽好きだった彼はそのポスターを見た瞬間に「このアルバムを手に入れなければ」と強烈に感じた。その隣には、当時やはり人気を集めていたブラザース・ジョンソンの大きなポスターが貼られていたことを、今でも鮮明に思い出す。レコードラックからそのアルバムを取りだし、しげしげと眺めた。 それは、スティーヴィー・ワンダーのニューアルバム『ソングス・イン・ザ・キー・オブ・ライフ』だった。その頃、地元のラジオ局でスティーヴィーがかからない日はなかった。それも、R&Bのラジオ局だけでなくロックの局、トップ40をかける局、あらゆるラジオ局でスティーヴィーはかかっていた。地元アトランタの「96ロック」の愛称で知られるWQKI-AMはインストゥルメンタルの「コントュージョン」をへヴィーローテーションでかけていた。すでにアルバムからの何曲かをラジオで聞いていた彼にとって、これは絶対に手に入れなければならないアルバムだったのだ。 しかし、週のお小遣いでは買えるものではなかった。それに今まで自分でアルバムを買ったこともなかった。アルバムは、2枚組プラス・スペシャル17センチ・シングル付きで15ドル以上した。母親にそのアルバムをねだったとき、母は「そんなアルバムは買いません」といい放った。少年は車に一目散に走り、後部座席で泣いた。 1977年1月。ジョージア州アトランタ。「リッチウェイ」。 季節は秋から冬になり、ラジオは依然次々とスティーヴィーのそのアルバムからの作品をプレイしていた。一方、彼は学校で期末試験がありとてもいい成績をとった。両親はその彼のことを嬉しく思った。年が明けて1977年のある休みの日、一家はリッチウェイ(スーパーストア)に行った。そして、その日、母親はついに『キー・オブ・ライフ』のアルバムをショッピングカートの中にいれてくれたのだ。それは、よい成績を取ったことへのご褒美だった。アルバムを欲しいと願ってから、3ヶ月を経て、少年はやっとの思いで夢にまで見たアルバムを入手したのだ。 彼は、生涯最高の喜びを感じた。家に帰るまでが待ち遠しくて待ち遠しくて仕方がなかった。彼は待ちきれずに、車の後部座席で、アルバムのラッピングをはがしブックレットから歌詞を読み始めた。その世界に彼はどんどんと引き込まれていった。 家に戻るなり、彼はステレオの前に行き、レコードをターンテーブルにのせた。母親がキッチンで夕食の準備をしていたので、扉を閉め、レコードに集中した。彼はそれまでにも、多くのヒット曲を聴いてきた。だが、それは小さなラジオで聴いていたに過ぎなかった。この日、彼はちゃんとしたステレオセットで、両親が持っていたアルバムではない、自分が手に入れたアルバムを初めて聴いたのである。 A面の一曲目に針を落とすと、「ラヴズ・イン・ニード・オブ・ラヴ・トゥデイ」が流れ始めた。彼の目には涙があふれた。9月11日のあと、彼にとってはまっさきにこの曲が思い浮かんだ。「ヴィレッジ・ゲットー・ランド」にもノックアウトさせられた。「コントュージョン」もすごかった。今まで小さなラジオから聞いていた同じ曲がものすごい迫力で少年に迫ってきた。 このアルバムを初めて聴いたその日こそ、彼が音楽を真に愛し始めた日だった。 77年2月19日。両親はその少年に就寝時間を超えて起きていることを許してくれた。スティーヴィー・ワンダーがグラミー賞の授賞式にでたからだ。彼はアルバム・オブ・ジ・イヤーなど3部門を獲得する。 ますますスティーヴィーのファンになった彼が初めてスティーヴィーのコンサートに行ったのは、それから11年余を経た88年11月のことだった。アトランタのフォックス・シアターだった。それはもちろん、彼の人生のハイライトとなった。 『キー・オブ・ライフ』は、彼のレコードライブラリーにおける記念すべき最初のアルバムとなった。そんな初アルバムが『キー・オブ・ライフ』のような傑作アルバムであることに、僕は少しばかり嫉妬を覚える。よりによって、最初に買ったアルバムがここまでの傑作なんて。うらやましい限りだ。彼にとっては、このアルバムが『アルバム・イン・ザ・キー・オブ・ライフ』となったのである。

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Music: Between the lines of time

架け橋。 1973年3月。ブエノスアイレス、午前8時。 その彼は、父親の仕事の関係で南米アルゼンチンの首都ブエノスアイレスにいた。13歳、地元のインターナショナル学校に通っていた。通うといっても、毎日車が迎えにやってきて、日本人の子供たちを学校まで連れていくことになっていた。ドライヴァーは地元のアルゼンチン人。道筋の関係で、彼が一番最初に拾われ、その後いくつかの家で生徒を乗せ、学校まで送られた。 ドライヴァーはよくラジオをつけていた。朝8時、彼が車に乗ると、いつものとおりカーラジオから音楽が流れていた。シールズ&クロフツの「サマー・ブリーズ」(アメリカで72年9月からヒット)だった。長くスペインの支配下にあったアルゼンチンは、スペイン語が公用語。しかし、この国の人々はスペイン語を「エスパニョール」とは言わず、「カステジャーノ」と呼ぶ。アルゼンチン人のプライドか。ラジオのDJは、カステジャーノ(スペイン語)でアメリカの音楽を紹介する。アルゼンチンに来たばかりの彼にとってはすべてがカルチャーショックだった。 車で流れていたのは、アメリカのトップ40ヒットをかけるラジオ局だった。続いて、ハリケーン・スミスの「オー・ベイブ・ホワット・ウド・ユー・セイ」がかかった。イギリス人で、元々ピンク・フロイドの初期のアルバムをプロデュースし、ビートルズの作品のエンジニアも担当したことがある人物が、ほとんど遊びで作った曲がこの「オー・ベイブ・・・」だった。アメリカでは72年12月からヒットし、アルゼンチンでもすでにブレイクしていた。 そして、それに続いてDJがかけた曲にその13歳の少年は衝撃を受けた。軽いキーボードから始まるミディアム調の曲。男性ヴォーカルが入り、続いて女性ヴォーカルがからみ、そして、また別の男性の声が歌い始めた。その彼が振り返る。 「いやあ、なんかものすごいことが起こってるなって感じたんです。それまでの音楽とまったく違う、なにか新しいものが生まれてきた、って。誰が歌ってるかなんか聞き取れませんよ。スペイン語っぽいなまりだし。なんとかワンダルーとか、言ってたかもしれない。でも、その時の印象っていうのは、今でも鮮明に覚えてるんです。ブエノスアイレスの朝8時の空気、匂い、気温、車から見た景色も。その曲を聞くと、まさにあの瞬間がよみがえるんです。そのあとに、スティーラーズ・ホイールというグループの『スタック・イン・ザ・ミドル・ウィズ・ユー』(アメリカで73年3月からヒット)っていう曲がかかったんですね。この4曲の流れが、ものすごく印象に残っていたんですが、特にその3曲目がね。抜群に違っていた。何かが変わり始めてることをアルゼンチンで感じたっていうところが、今から考えるとおもしろいとは思うんですけどね」 アルゼンチンは南半球ゆえに、3月というと少しずつ冬に向かっていく時期だった。「徐々に寒くなっていき始めた季節だったと思う。ちょうど3月にアルゼンチンに一家で引っ越してきたんです。ブエノスアイレスに来て、まもなくのことだったから、余計に覚えてるのかもしれません」と彼は言う。そう、その彼が衝撃を受けた曲というのが、スティーヴィー・ワンダーの「ユー・アー・ザ・サンシャイン・オブ・マイ・ライフ」だった。彼にとってその曲は、ブエノスアイレスの冬に移りゆく冷たい空気とともに記憶されることになったのだ。 2003年3月。東京・武蔵小山、午前2時。 二階をぶち抜いたために天井が高くなっている薄暗いソウルバー。その日は他に彼と僕以外に客はいなかったので、少しだけわがままなリクエストができた。彼はちょうどしばらく前に購入したばかりの紙ジャケット仕様のスティーヴィーのアルバム『フルファイリングネス・ファースト・フィナーレ』をマスターに手渡して言った。「この中の『クリーピン』がいいんですよねえ。5曲目からお願いできますか」 こうして、彼はスティーヴィーのジャケットを見ながら、ブエノスアイレスの話をしてくれたのだ。 「当時、僕はスティーヴィーというと『迷信(スーパースティション)』(アルバムは、『ファースト・フィナーレ』の2枚前の『トーキング・ブック』)しか知らなかった。で、最初この『サンシャイン』も誰が歌っているのかわからなかった。その後、スティーヴィーとわかっても、あの『迷信』と同じ人物とはとても思えなかったんですよ。あまりに曲調が違うでしょう」 ソウルバーから心地よい音量で流れる『ファースト・フィナーレ』のアルバムは、「ユー・ハヴント・ダン・ナッシン(邦題、悪夢)」になり、そして、次の「イット・エイント・ノー・ユーズ」になっていた。「これ、これ。これも最高ですねえ。いい曲ですよねえ。涙でちゃいますねえ」 「僕たちはさよならを言わなければならない。バイバイ・・・。どうして僕たちが別れなければならなくなったのか、じっくり考えてみた。つまり僕たちは、燃え尽きたんだ。でも、さよならを言うのは辛い。僕は泣けてくる。うまくいくように一生懸命努力したけれど、うまくいかなかったようだ。さよなら、もう僕は力尽きたみたいだ」(イット・エイント・ノー・ユーズ) スティーヴィーお得意の失恋ソングだ。意味がわからなくとも、悲しい気持ちが伝わってくる。これこそスティーヴィーのマジックだ。 「イット・エイント・ノー・ユーズ」は、「バイバイ、ベイビー」という歌詞できっちりカットアウトで終わる。そして、それが終わるやマスターは「ユー・アー・ザ・サンシャイン・オブ・マイ・ライフ」をかけてくれた。 きっとその瞬間、彼のまぶたには、30年前のブエノスアイレス午前8時の情景が浮かんでいただろう。 音楽は時代の架け橋だ。 Music: Between the lines of time!

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Thin Line Between the Group of Past & Present

流石。 1973年の初来日の予定がつぶれてから丁度30年。ローリング・ストーンズがついにその武道館に姿を現しました。もし、30年前のチケットを持っている人がいたら、そのチケットで今回の武道館の席に限り、入場できたら、とても素敵なことだと思いませんか。30年前売り出されたチケットは、結局ミックの麻薬問題などで来日中止となり、払い戻しされました。もちろん、それを記念にとっておくべく、返金を望まずにチケットを保存した人もいました。 その人たちにとって、30年後、まさか彼らのライヴが同じ武道館で実現するなんて、夢にも思わなかったでしょう。当時3900円くらいだったチケットが今回は22000円です。一体何枚くらいのチケットが払い戻されずにファンの手元に残ったのでしょうか。 そんな前ふりはさておき、僕が見たのは横浜アリーナでした。 それは東京ドームと比べれば、抜群に近いです。しかも、ステージの後ろに縦長6面のスクリーンがあり、そこにメンバーの動き、さまざまな事前に作られた映像が映し出され、ヴィジュアル的にも次々と見せ付けてくれます。昨年11月のポール・マッカートニーといい、このストーンズといい、巨大なヴィデオスクリーンの使い方が本当に上手ですね。 一番印象に残った映像は、ロン・ウッドのギターの先につけられたマイクロカメラからの映像。これは、おもしろい! ギターの上の方からの映像で、ロンの足の動きとか、かなり激しく動きつつ映るのだが、カメラがギターに固定されているために、ギター自体はほとんど動かない。ギターを取り巻くステージ上の映像がめまぐるしく動くのです。このアイデアはいただきだ! それから、「ホンキー・トンク・ウィメン」のアニメの映像もおもしろかった。日本のマンガのような女の子がストーンズのトレードマークのベロの上で、ロデオ大会のように動かされるというもの。なかなかです。 そして、もっとも驚かされたのが、正面のステージとは別に、真中にちょうどセリだした廊下風センターステージが組まれ、アンコールを含め4曲、このステージで歌うという演出。これも、えらく近い。ほんの10メートルくらいのところに、ストーンズのメンバーが歌って演奏しているわけです。その昔、小さなクラブで歌っていたような雰囲気でバンド演奏をするのです。 「ホンキー・トンク・ウィメン」、「サティスファクション」、「ブラウン・シュガー」なんて、もうR&Bですね。 ライヴが始まる前は、ずっとブルーズのレコード(CDか)が流れていました。ローリング・ストーンズという名前は、ブルーズの巨匠マディー・ウォーターズのヒット曲「ローリング・ストーン」から取ったものです。日本人のミュージシャンも、ストーンズを聞いてあこがれたら、今度はストーンズがあこがれたそうしたブルーズのレコードにたっぷりつかって欲しいと思いますね。 それにしても、ひとつ間違えば、オールディーズのグループになってしまってもおかしくない年齢のメンバーですが、彼らは疑うことなく現役です。 現役と過去のアーティストを分断する線は何か。それは、彼らが次々と新しい曲を出しつづけている、という点にあります。いまだに30年以上前のヒット曲を歌っても大盛り上がりになります。しかし、そこに新曲を加えて演奏するということが、元気な現役アーティストとしての誇りとも言えるのです。過去の曲だけをやってしまうのなら、そのアーティストは「オールディーズのアーティスト」として捉えられてしまいます。 継続は力なり。流石。 (2003年3月12日、ローリング・ストーンズ@横浜アリーナ)

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Traveller: Tortoise Matsumoto

旅人。 それが、このアルバムのタイトルなわけです。歌っている人は、トータス松本。ウルフルズというグループのリード・ヴォーカルの人。ソロ・アルバムです。これが、ソウルやブルーズの曲のカヴァーばかりを集めたアルバムになっています。 トヨタの車の宣伝で、マーヴィン・ゲイの「スタバン・カインド・オブ・フェロウ」が流れていますが、あれを歌っているのがトータスさんです。で、その曲を含めていろいろはいっているアルバムがこれ。 いやあ、驚きました。ボビー・ウーマック、アル・グリーン、サム・クック・・・。次から次へとでてくるソウル、R&B,ブルーズのヒットの数々。しかも、バックをつけてるミュージシャンが全員日本人。20年前じゃあ、絶対考えられなかったですねえ。 ここまで、日本人でソウルフルなアルバムを作った人はこれまでいなかったんじゃないかな。今までも、ソウル・ミュージックが好きな日本人アーティストがソウルっぽい曲を歌ったアルバムはたくさんありましたが、日本人が歌ったソウル・アルバムはなかった。 このアルバムって、十分ソウル・アルバムです。マイケル・ボルトンよりソウルフルです。僕が特に気に入っているのが、マーヴィン・ゲイ、アル・グリーンの「タイアド・オブ・ビーイング・アローン」、そして、サム・クックの「ブリング・イット・オン・ホーム・トゥ・ミー」。ボビー・ウーマックもいいなあ。 このソウルの理解度が半端じゃないですね。驚きます。歌手としての基礎体力があるってことなんでしょうねえ。トータスさんは、自筆ライナーのなかで、ここに収められた曲は、自分の栄養になった曲ばかりだ、と書いています。なるほど。まさに。納得。 これらの曲は、彼にとっても栄養になりましたが、聞く人にも、ソウルを愛する人にも十分栄養になります。いま、見事にブラウン・アイド・ソウルの誕生です。いや、ブラック・アイド・ソウルかな。

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8 Mile: The Movie

境界線。 「8マイル」とは、デトロイトに実在するストリートの名前。8マイルを境にその南側は、黒人街、北側は白人街に分かれる。つまり、8マイルは、白人と黒人を分断する境界線でもある。成功を夢見る黒人は、8マイルを超えようとする。そして、そのためには何をすべきか。デトロイト出身の白人ラッパー、エミネム主演の青春映画が『8マイル』だ。 デトロイトは車の街。別名モーター・タウン。その工場で働くラビット(エミネム)の夢はラッパーとしてメジャーのレコード会社と契約し、デビューすることだ。そして、そのために、地元で行われるラップのバトル大会に出場してチャンスをうかがう。 しかし、ラップは元々黒人の文化で、白人のラビットがいくら挑戦し、技がうまくても、なかなか認めてもらえない。それゆえの葛藤が、リアルな黒人社会の現状の中で描かれる。ライヴァル・グループとの対立。本当は実力がありながら、本番のバトルであがってしまって、うまくできなかったことを悩んだり、家に戻れば戻ったで、母親が男に捨てられて、泣き言を言う。彼自身もアレックス(ブリタニー・マーフィー)という女の子と恋に落ちるが、その恋も順調には進まない。そんな八方ふさがりの生活の中で、ラップのバトル大会への出場を拒絶するラビットだが、結局、自分が唯一頼れるものはそのラップだということに気がつき、ついにバトル大会へ出ることを決意する。 エミネムがもっと、はげしくワイルドで悪(わる)かと思ったが、意外とおとなしかったので、拍子抜けしてしまった。昔の音楽映画で言えば、『サタデイ・ナイト・フィーヴァー』、『パープル・レイン』の路線の青春映画。ラビットがなぜラップの世界でバカにされるかは、黒人と白人の対立という視点の理解なしには、わからない。そのあたりの基礎知識を持って見れば、楽しめるのだろう。 ラビットの心模様の変化をもう少し深く描ければ、ストーリー自体に重みがでるのだろうが、なかなか難しいのかもしれない。 日本では一般受けはむずかしいと思う。そのかわり、ヒップホップ、ラップ好きにはぜひ、一度見て欲しいと感じた。果たして、主人公は8マイルを超えられるのか。 (2003年5月下旬、日比谷スカラ座1他全国290館にてロードショー公開)

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Yahoo to OCN

対応。 ADSL変更しました。YahooのADSLでつないでいたのですが、1月の最終週あたりから、いきなり、自分のホームページ(つまりこれ)がつながらなくなってしまったんですよ。最初はサーヴァがダウンしたのかと思いきや、他の人たちはちゃんと開けていた。そこで、ノート型のパソコンでダイアルアップでつないだら、ちゃんと表示される。 で、クレイムのメールとか電話しまくりました。ところが、ぜんぜんラチあかない。わかりません、の一点張りなのね。たぶん、何らかのYahoo側の設定を、現在大量に顧客を集めているので、それに対応するために、何か変えたのでしょう。そのために、あるところへの情報の伝達が遮断されてしまったんでしょう、と推測されるわけです。 そこでしばらくは、非常に不便ながらそのノート型ダイアルアップでやってたんです。異様に遅い。2-3週間、若干のやりとり、データルートのデータを提供したりはしたんですが、ぜんぜん誠意ないんですね。っていうか、相手も原因がわからないのかもしれないですね。無責任といえば、無責任ですが。 2月も半ばになっても、一向になんら解決せず。しかも、自分ではパソコン(デスクトップ)からはつなげないので、日記もこのHPを管理している長渡さんにお願いして毎日アップしてもらっていたんです。 そうこうしているうちに、別の友人が「じゃあ、ためしにプロキシーサーヴァを使ってみたら」というので、ためしにやってみたんです。そしたら、遅いけど、見事つながった。だから、僕側のパソコンの設定とかまったく関係ないんですね。明らかにYahoo側のどこかの設定が狂ってるわけです。直してもらわないことには困るわけです。 で、もうYahooはだめなので、きっぱり、やめることにしました。そこで、2月中に打ち切って、3月からOCNに変えました。快適です。 今回の対応で、Yahooの対応は、ぜんぜん話しにならない、という感想です。ちゃんとまじめに対応してほしいですね。顧客数、集めればいいってもんじゃないでしょう。すでにいる顧客にちゃんとサーヴィス提供しなさい。今回の場合は、すでにいた、ですけどね。(笑) まあ、別にYahooがだめなら、他いくらでもいるからいいっちゃ、いいんですけど、いろいろめんどうくさいでしょう。変更って。迷惑な話ですよ。 今日は、つまらないグチ話でした。すいません。くだらなくて。(笑) 

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Soul Survivors who make soul survive

兵(つわもの)。 名は体を表す。名は体を作る。名は体を生き長らえさせる。 超つわもの(兵)たちがひとつの空間に集まり、そこで才能を結集させ、ぶつけあう。そんなわくわくするような現場が、彼らソウル・サヴァイヴァーズのライヴだ。つわもの1、ギターのコーネル・デュプリー。つわもの2、ベースのチャック・レイニー、つわもの3、キーボードのレス・マッキャン、つわもの4、サックスのロニー・キューバ、そして、つわもの5はドラムスのリッキー・セバスチャン。彼ら5人が思い思いにジャムセッションを奏でる。5人の集合体の名前が、ソウル・サヴァイヴァーズという。 いずれもが、老練であり熟練。ソウル・サヴァイヴァーズは、料理好き、ジョギング好き、ジャズ好きのスペンサー探偵のお眼鏡にはかなうだろうか。 彼らがボビー・ヘブの大ヒット「サニー」を演奏すると、実にファンキーになる。彼らのパフォーマンスを聞いていると、東京のブルーノートがニューヨークの、もっと天井が低いタバコの煙が蔓延しているような小さなジャズ・クラブになったような気にさえなる。 キーボードのレス・マッキャンはかなりの巨漢だ。ステージを降りるのにもちょっと苦労している。だが、彼が2曲ほどその喉を聞かせた。ファンキーだ、これも。 アンコール前のラストソング「ウェイ・バック・ホーム」は、モータウンのサックス奏者、ジュニア・ウォーカー&オールスターズの代表的ヒット。これを吹いて、家に帰ろう、ということになるわけだ。 まさに、彼らのようなリアル・ミュージシャンがソウルをサヴァイヴ(生き長らえ)させているのだ。生き残った男たち、それが、サヴァイヴァー。 つわものとは、戦争に使う器具、武器をも意味する。そしてサヴァイヴァーたちのつわものは、楽器だ。 (5日東京ブルーノート)

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Justin Timberlake

アイドル。 アメリカで今一番人気のアイドルグループと言えばインシンクということになるのでしょうか。そのインシンクの中でも特に人気者なのが、ジャスティン・ティンバーレイクです。 ジャスティンがプロモーションで来日し、6日(木曜)、新木場のアゲハ・スタジオ・コーストでちょっとしたライヴが行われました。雨の中かなりの長蛇の列が並び、開場も遅れ、しかも、前座もいくつか登場し、ジャスティンが登場したのは、9時20分過ぎ。 3曲だけの、トラック(カラオケ)にあわせての歌でしたが、バックに5人のダンサーを従え、激しく、きれよくダンスを見せ付けてくれました。 ジャスティンの作品は、軒並みブラック系のプロデューサーが起用されており、声を除けば十分R&Bアルバムと言えそうなほどです。なかにはマイケル・ジャクソンを思わせる作品まであります。 そして、ライヴの振り付け、それにともなうからだの動かし方など随所にマイケル・ジャクソンの影響がありました。全体的には、ポップアイドルとして、非常に王道を行ったもので、よろしいんじゃないでしょうか。もう大ブレイクしてしまっているので、初来日コンサートからして、東京ドームになってしまうそうですが、すっごいですね。

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Craig David: Unplugged

アンプラグド。 昨年(2002年)第二弾アルバム『スリッカー・ザン・ユア・アヴェレージ』をリリースし、日本でもかなり人気になっているクレイグ・デイヴィッドがプロモーションで来日中です。 MTVジャパンのテレビ番組「ワールド・チャート・エキスプレス」の収録にクレイグは登場しました。インタヴューを受け、一曲「ヒドゥン・アジェンダ」をギタリストとともに歌いました。これは、以前日記にも書いたように、アルバムの中でも僕がもっとも気に入った曲ですが、彼はこれをアコースティック・ヴァージョンで披露しました。「ヒドゥン・アジェンダ・アンプラグド」といったところです。なかなかいい感じです。ふと気がついたのですが、彼の声ってとっても特徴的。ただ単にいいというより、むしろ、かなり印象に残る声と言えます。フルバンドでも聞きたいと思いました。番組は4月18日放送予定。 「ヒドゥン・アジェンダ」に続く第三弾シングル「ライズ・アンド・フォール」では、スティングの曲をサンプリングしていますが、これは映画『レオン』に使われて知ったそうです。「この曲のデモを送ったら、スティング本人が気に入ってくれて、何かできることはないか、ということになり、結局、この録音にスティング本人が参加してくれた」と彼は言います。すでにビデオは収録し終わっており、まもなくこのプロモーション・ビデオ、日本でも公開されるようです。 今まで見た中でもっとも印象に残ったライヴは何か、と問われ、彼は「テレンス・トレント・ダービーだよ。彼のパフォーマンスは、CDの何百倍もすばらしかったよ」と答えました。 クレイグは、なかなかのナイスガイ。よく回りに気を使い、しかも、誰とでも気軽に話をしていました。今回の日本プロモーションツアーには、イギリスの雑誌が密着取材をしていました。

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Thunder Storm; Soul One Day

一日。 FM横浜の『サンダーストーム』にゲストででてきました。僕が「デイヴズ・ジュークボックス」のコーナーを担当していたのが、2001年3月までだったので、ほぼ2年ぶり。 前半1時間は、マニアックにスタックスレコードからのヒット曲を中心に、後半は、アットランダムにいろいろ選んでご紹介しました。 後半では最近のお気に入りということで、ちょっとこのHPでも話題のトータス松本のアルバム『トラヴェラー』からサム・クックの大ヒット、「ブリング・イット・オン・ホーム・トゥ・ミー」を、さらにスティーヴ・タイレルというシンガーのレイ・チャールズの大ヒット「ジョージア・オン・マイ・マインド」のカヴァーを、紹介しました。それぞれのアルバムについては改めて、なにか書きたいと思います。 スティーヴのほうは、声がどこかルー・ロウルズあたりを思わせる渋いシンガーです。「スターダスト」などスタンダード曲をカヴァーしています。「スターダスト」では、トゥーツ・シールマンスのハーモニカがいい感じではいってきます。そして、ピアニストの中にジョー・サンプルの名を発見したときには、またまたちょっと嬉しかったりしました。 それから、おそらく本邦初・オンエアであろうエプシロンズの「エコー」という曲もかけました。スタックスから68年に出たシングル。あのマクファーデン&ホワイトヘッドの二人が在籍していたグループです。こんな曲が横浜の電波に乗るんだから、たまりませんねえ。

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Hank Ballard: Original Twist Man

名脇役。 常に物事には光と影があります。太陽が正面から照ってくれば、後ろに影ができます。表で成功するものもあれば、その成功の影に隠れるものも生まれます。 ハンク・バラードは、そういう意味で、影の中に成功を見出したR&Bシンガーと言えるでしょう。 ハンク・バラードは1927年11月18日デトロイト生まれ。(今回の死去報道の中で、これまで1936年とされていた生年が、出生証明書には27年と書かれていたことがわかりました) 7歳のときにトラック運転手の父親が死に、アラバマ州の親戚のところに預けられるが、15歳のときに家出し、デトロイトに戻ってきます。1952年、ゴスペルグループ、ロイヤルズに参加した後、53年に同グループのリード・シンガーに。54年にはグループ名がミッドナイターズに変更されました。 1953年キング・レーベル傘下フェデラルから「ゲット・イット」が初ヒット。翌54年4月から「ウォーク・ウィズ・ミー・アニー」がR&Bチャートで1位を記録。この曲はそのセクシュアルな内容から一部の放送局で放送自粛となりますが、それでも大ヒット。この曲には、プラターズの「アニー・ダズント・ウォーク・ヒア・エニモア」、エタ・ジェームスの「ロール・ウィズ・ミー・ヘンリー」などのアンサーソングまで登場。さらに、ハンク自身で続編とも言える「アニー・ハド・ア・ベイビー」などをリリース、これも1位になり、スターダムにのし上がりました。 さらに彼の名を決定づける作品が59年2月に発売されます。それは、「ティアドロップス・オン・ユア・レター」というシングル盤です。この曲はR&Bチャートで4位まで行くことになるのですが、実は、ハンク・バラード本人はこのシングルのB面にいれた曲を、シングルのA面にしたかったのです。しかしレコード会社は、それを受け入れず、ハンクが気に入っていた曲はシングルのB面に収録されてしまいました。 その曲こそ、「トゥイスト」という曲でした。そう、60年代を席巻する大ヒットダンスです。このハンクのヴァージョンは、シングルB面であるにもかかわらず、それでも、ヒット。R&Bチャートで16位を記録します。 このハンクの作った「トゥイスト」は、元々1955年、クライド・マクファーター&ドリフターズのヒット曲「ホワッチャ・ゴナ・ドゥ」のメロディーを借りて、新たなリズム、歌詞を作り制作した曲でした。それが、当時はやり始めたリズムとあいまって、ヒットに結びついたのです。 そして、このハンクの「トゥイスト」のヒットに注目したもう一人のR&Bシンガーがいました。それがチャビー・チェッカーという歌手です。 チャビー・チェッカーはもちろん、芸名。一足先に、ファッツ・ドミノというR&Bシンガーが人気となっていて、このチャビーも太っていたことから、ニックネームがチャビー(太っちょの意味)と呼ばれるようになり、すでにファッツ(これも、同じく太っちょの意味)がいるので、チャビーになり、ファッツがドミノなら、こっちは、チェッカーだ、ということで、チャビー・チェッカーという名前がつけられたのです。 そして、チャビーのヴァージョンはさらに時代の波に乗り、60年8月から大ヒット、全米ナンバーワンを記録。この曲のヒットの勢いはとどまらず、一度チャートを消えた後も再びチャート入りし、翌61年に再度全米ナンバーワンを記録する、非常に珍しい例となりました。 その「トゥイスト」のオリジナルがこのハンク・バラードです。彼は、後に63年からジェームス・ブラウン・ファミリーに入り、彼のレヴューの中で活躍するようになります。そんな中では72年の「フロム・ザ・ラヴ・サイド」が中ヒットし、有名です。これは、ジェームス・ブラウン・ファンの間では非常に人気の高い一曲です。 彼のキャリアを振り返ると、その「トゥイスト」の栄誉をある意味で、チャビー・チェッカーに奪われた点で光というよりも、影という感じがします。そして、ジェームス・ブラウン・ファミリーに入ってしまえば、あくまでそのファミリーにおおけるナンバーワンはミスターブラウンですから、やはり光とはなりません。そういう意味では、名脇役、名バイプレイヤーといったことになるのでしょう。ご冥福をお祈りします。 ハンク・バラード、本名、ジョン・H・ケンドリックス、2003年3月2日、ロスアンジェルスで死去。75歳。

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Hank Ballard Died

ソウル・ミュージックのシンガー、ソングライター、エンタテイナー、ハンク・バラードが2003年3月2日(日曜)死去した。喉頭癌をわずらっていた。バラードは、これまでバイオグラフィーなどでは1936年生まれとされていたが、出生証明書には1927年生まれと書かれている、という。その場合、享年は75歳ということになる。 詳細は次のニュースに。 http://www.cbsnews.com/stories/2003/03/03/entertainment/main542481.shtml

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Singer with Class

クラース。 ここ数日、僕のプライヴェート・へヴィー・ローテーションは、ブライアン・マクナイトの新譜『ユーターン(U Turn)』(ユニバーサル、2003年3月19日日本先行発売)からの「ソー・ソーリー」という曲です。ピアノのイントロから始まる見事なスロー・バラード。バックのビル・マイヤーズがアレンジをしたオーケストレーションも、しっとりとした作品をよりドラマティックなものにしています。 今まで彼女にしてきた過ちに対してごめんなさい、と謝るものの、すでに去っていってしまった彼女への想いをはせるという、未練たっぷりの失恋ソングです。ソウルの世界の未練たっぷりソングは、聞き逃せません。 こんな歌です。 「君を一人きりで寝させてしまった夜、すべて。そそくさと切った君との電話、すべて。僕の一言で君を泣かせてしまったこと、すべて。これまでに言ったこと、したことすべて。今、僕はそのすべてについて否を認めよう。 僕が今までしてきたこと、すべてについてごめんなさい。大事な君を傷つけるつもりはなかったんだ、本当にごめんなさい。完璧な二人の計画がときに実現しなくて、ごめんなさい。僕がしてきたことすべてに対して、今、深く、君にあやまりたい。 (中略) 君の涙の数を数えようとしても、それはあたかも雨の中に佇む(たたずむ)かのよう。僕たちの間には何年も暗雲が立ち込めていた。そのすべての責任を僕がとろう。別れてしまった今、二人の人生は二度とかつてのようには戻らない。でも、君がいつの日にか許してくれたら、と願うだけだ」 ブライアンの通算6枚目のアルバムです。もう10年選手なんですね。ブライアンも。この曲に限らず、彼のラブソング、失恋ソング、未練ソング。いずれも、品(クラース)があるところが、素敵です。 SO SORRY FOR EVERY TIME YOU HAD TO GO TO SLEEP ALONE FOR EVERY TIME I TRIED TO RUSH YOU OFF THE PHONE FOR EVERY TIME I SAID SOMETHING TO MAKE … Continue reading

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Guest on Thunder Storm

ゲスト。 あさって水曜日(3月5日)久々にFM横浜の『サンダーストーム』(午後4時から6時、84.7)にゲストででま~す。テーマは、ソウル・ミュージックですが、詳細は、未定。 候補としては、「スタックス・レコード」特集か、「アメリカの地域的なソウル音楽の特徴」(たとえば、メンフィスとか、フィラデルフィア、シカゴなどの特徴とその代表的作品をかけるとか)あたりが考慮中。 番組自体にコーナーがたくさんあるので、実質的には4時ー5時が話の中心になるかと思いますが、当日、車などで移動される方は、カーラジオなどをチェックしてみてください。

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Soul Train Awards 2003 Winners (Final)

賞。 グラミーに引き続き、今度はソウルトレインミュージックアワードです。あんまり注目されてませんが。FMでは、今日深夜JWAVE『ソウルトレイン』で詳細を発表します。日本でもテレビで放送されるといいんですが。     ++++++++++++++++++++ 第17回ソウル・トレイン・ミュージックアワードが、去る3月1日(日本時間2日)カリフォルニア州のパサディナ・シヴィック・オーディトリウムで行われ、10部門の勝者が決定した。アシャンテ、ミュージック、B2Kらが各2部門ずつを受賞した。           ++++++++++++++++++ グラミー賞に引き続き予想したソウルトレインミュージックアワード、全10部門のうち、本命で5部門、対抗で4部門、トータル9割というなかなかの好成績を残すことができました。唯一はずしたのが、ベストR&Bシングル、グループ部門。TLC,ドゥルーヒルを本命対抗にしたのですが、勝者はB2Kでした。 勝者は次のとおり。 17th Annual (2003) Soul Train Music Awards Winners (Final) Best R&B/Soul Single, Female    ”Why Don’t We Fall In Love” Amerie 勝者 本命 ”Foolish” Ashanti 対抗 ”Love Of My Life (An Ode To Hip Hop)” E    rykah Badu … Continue reading

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Let’s settle for Grammy prediction bet

精算。 さてさて、今日の「ソウル・ブレンズ」内「ヤマノ・ミュージック・ジャム」(インターFM76.1=午後1時半から1時50分)のコーナーでは、ジョー・サンプルの『レインボウ・シーカーズ』をご紹介しますが、その前に、しっかりと先週までに予想したグラミー賞の検証をしたいと思います。 とはいうものの、検証といっても、マーヴィンたちに、「ほら、どうだ」と若干鼻高々で自慢するだけの話ですが。(笑) しっかり、精算してもらいましょう。(笑) 一方、ジョー・サンプルですが、このコーナーでいわゆるフュージョンものを紹介するのは、初めてです。『レインボウ・シーカーズ』はご存知のとおり、ジョーの78年のソロ第一弾。ジョーは、ジャズ/ファンク/フュージョン・グループ、クルセイダーズのキーボード奏者です。クルセイダーズの活動と同時に、ピアニストとしてソロ活動もしている人です。 で、このピアノソロが非常にいいです。僕のフェヴァリット・キーボード奏者ベスト3にはいります。このアルバムには、超有名な「メロディーズ・オブ・ラヴ」が収録されています。この曲は、ジョーの名刺代わりの一曲ですが、あまりに有名になって人気となったため、歌詞がつけられ、歌入りのヴァージョンまでできました。 それが、When The World Turns Blueというタイトルになって、まずメリー・クレイトンが録音しました。そして、99年にはジョー自身も、レイラ・ハザウエイで録音しています。まあ、この曲を元々好きな人は、歌なんかないほうがいい、と言いきるのですが、僕はこの歌入りと歌なしは、まったく別物と考えるようにしています。そういう意味ではどちらもいい曲です。 ジョーに関しては、ライヴ評でもとりあげています。99年のレイラとのライヴについて。 http://www.soulsearchin.com/entertainment/music/live/sample19990608.html 2002年4月のライヴについて。 http://www.soulsearchin.com/entertainment/music/live/joe20020409.html まあ、ふだん、ソウルばかり聞いていると、たまにこういうのが聞きたくなります。というわけで、しばし、なごみの20分をどうぞ。

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Soul Train Awards 2003

賞。 今年で17回目を迎えるソウルトレイン・ミュージック・アワードが来る3月1日(日本時間2日午後)、カリフォルニア州パサディナ・シヴィック・オーディトリウムで行われる。全部で10部門。 公式サイトは、http://www.soultrain.com/index.html さて、恒例の予想を。ま、これは、毎回むずかしくて半分もあたらないんですが、今年も目標は本命で5割、対抗で2割はいきたいですね。つまり、5部門は当てる、ということでしょうか。いやあ、グラミーほど自信ないなあ。とはいうものの、これもお祭りですから。予想しないことには、始まりません。 17th Annual (2003) Soul Train Music Awards Nominees: Best R&B/Soul Single, Female    ”Why Don’t We Fall In Love” Amerie 本命 ”Foolish” Ashanti 対抗 ”Love Of My Life (An Ode To Hip Hop)” E    rykah Badu featuring Common    ”Little Things” … Continue reading

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