Monthly Archives: August 2003

So Many Promo Clips, So Little Time

DVD。 話は変わりますが、最近はMTVが比較的簡単に見られて、最新のアーティストのヴィデオクリップに触れる機会も多くなっていますね。それにDVDになってオムニバスが発売されたり、レンタル店に行っても借りられる。 そんな中で、「クリップ・クワイエットストーム#1」なるデジタルグラフィー社から2000年12月に発売されているDVDを入手しました。8曲入ってるんですが、これがほとんどソウルものでも今まで見たことがなかったプロモヴィデオで編成されているんです。こんなのあったのか、っていう感じ。 収録曲は「ラヴィン・ユー」(シャニース)、「ラヴ・ミー」(トレイシー・スペンサー)、「ユー・ドント・ノウ・ナッシン」(フォーリアル)、「ユー・センド・ミー・スウィンギン」(ミントコンディション)、「ザ・クローサー・アイ・ゲット・トゥ・ユー」(フォー・ラヴァーズ・オンリー)、「ミー・アンド・ミセス・ジョーンズ」(フレディー・ジャクソン)、「スカウンドレス・ゲット・ロンリー」(DRS)、「アット・ユア・ベスト」(アリーヤ)の8曲。 一番びっくりは、フォー・ラヴァーズ・オンリーです。もちろん他のもほとんど見たことはなかったんですが。フォー・ラヴァーズ・オンリーはモータウンのテンプテーションズの肝いりでデビューしたグループですが、アルバム1枚で消えてしまいました。90年代のロストソウルの一組です。(1月の『フィールン・ソウル』でもご紹介しました) おそらくほとんど日本のテレビ(ケーブルなども含めて)ではプレイされていないのではないでしょうか。 曲は最近ルーサー・ヴァンドロスとビヨンセがデュエットしてカヴァーしたロバータ&ダニーのヒットですが、高原でメンバー3人が歌っています。CDジャケットに似た感じのロケーション。こういう一発ヒットで消えていったアーティストの動く姿って本当に貴重です。しかもあまり大ヒットしていない曲のプロモクリップはなおさら目にする機会はありませんからねえ。 アリーヤのおなじみの曲は「ギャングスター・チャイルド・リミックス」で収録。こんなのもあったのか、とためいきです。シャニースも海辺であの「ラヴィン・ユー」を歌います。 もう1枚同社から発売されている『クリップR&B#1』というDVDには、オージェイズの「エモーショナリー・ユアーズ」なんかがはいっています。これは、全編モノクロの映像でスタジオにオージェイズの3人が円形に置いた3本のマイクに向かって歌うシーンと海辺の波が砕け散るシーンなどが適度にクロスされて作られています。これも初めて見ましたが、元々超大好きな曲なので、感動しましたね。オージェイズかっこいい。エディー・リヴァート、渋い。 もし中古屋さんなどで見かけたら、チェックしてみてください。改めて知らないプロモクリップもたくさんあるんだな、と痛感しました。こんなにあったら、いくら時間があっても、見切れませんね。

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I Have A Dream Speech Celebrated 40th Year

名演説。 今からちょうど40年前、1963年8月28日、マーチン・ルーサー・キング牧師はワシントンDCで演説をしました。それが後世に残る名演説『アイ・ハヴ・ア・ドリーム(私には夢がある)』です。今年はそれからちょうど40周年。これを記念して去る土曜日(23日)ワシントンDCのリンカーン・メモリアル公園に、多くの人が集まりました。 同様の集会は、過去1983年、1993年に行われ、今年は3回目。この『アイ・ハヴ・ア・ドリーム』は、非暴力による公民権運動の盛り上がりに大きく貢献しました。なにより象徴的だったのは、63年このスピーチを聞いた25万人の人々のうち5分の1は白人だったということです。 この全文をじっくり読んだことはなかったのですが、ネットで探したら、原文がありました。下記に載せておきます。また一部訳ですが、それもありました。キング牧師の本などを購入すれば、全文なども載っているでしょう。 これを読んでいると、まるで、歌詞のような、そして、彼の演説を聞いたりすると、まるで質のいいラップを聴いているかのように錯覚します。話のもってき方が実にうまい。教会の牧師の話、説教も非常に陶酔性があるように思いますが、もともと牧師で話のうまいキング牧師が、ソウルを込めて語る演説は圧巻です。 一部訳がでている「私には夢がある・・・」以降、さらに「ニューハンプシャーの豊穣な丘の上から,自由の鐘を鳴らそうではないか」のライン、その繰り返しはすごいですね。これをその現場で聞いていたら、間違いなく気持ちが高揚してくるでしょう。 キング牧師は、68年4月4日、メンフィスで暗殺されます。80年10月、スティーヴィー・ワンダーがアルバム『ホッター・ザン・ジュライ』を発表。そこに、キング牧師の誕生日を国民の休日にするための応援歌「ハッピー・バースデイ」が収録されました。そして、1983年、キング牧師の誕生日が国民の休日に決定。86年から実施されることになりました。 今、1月の第3月曜日はキング牧師誕生日の祝日です。それにしても、この『アイ・ハヴ・ア・ドリーム』というフレーズは、今でも有効な普遍的な言葉です。 “I Have A Dream” by Martin Luther King, Jr, ——————————————————————————– Delivered on the steps at the Lincoln Memorial in Washington D.C. on August 28, 1963. Source: Martin Luther King, Jr: The Peaceful … Continue reading

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Jim Puter To Casey Kasem: That’s A Required Subject

必修科目。 もう一回だけDJネタ行きましょうか。ケイさんもBBSで書かれていたジム・ピュ-ター・ショウ。これは、オールディーズの番組でしたよね。30分番組だったか。ひたすら、ソウル、ロックを問わずオールディーズがかかっていました。まさにウルフマンの時代です。1955年から60年代までのヒット曲。これもよかったなあ。僕はこの番組で、オールディーズをけっこう覚えましたよ。この番組の雰囲気はまさに『アメリカン・グラフィティー』でした。 それと、もうひとり、これはロックのDJなんですが、今名前が思い出せない。夜中の4時~5時だったか。彼はロックグループ、「シカゴ」のことを「チカゴ」としゃれて発音していました。でも、何度かそう発音していたので、ひょっとしたら、彼独特のなまりだったのかもしれない。 シカゴとかBSTとかよくかかっていました。彼のショウのテーマがA.Bスカイというグループの「キャメルバック」という曲で、それがめちゃくちゃかっこよかったので、輸入盤を探しまくりましたね。トランペットがアップテンポでイントロを奏でる曲です。らくだの背中っていう意味ですね。http://www.allmusic.com/cg/amg.dllp=amg&uid=CASS80305190557&sql=Amroibkd96ak0 それとFENだとローカル(東京)制作の番組も若干ありました。夕方4時から6時くらいまでの番組は、アメリカ本国から送られてくる録音番組ではなく、こちらで生放送されていました。DJの名前が思い出せませんが、やはりヒット曲がどんどんかかるので、よく聴いていました。その中のコーナーで日本人女性の窪田ひろこさんの「リトル・ランゲージ・ゴーズ・ア・ロング・ウェイ」という3分くらいのコーナーはおもしろかった。 要はアメリカ人に簡単な日本語を教えるというコーナー。グッドモーニングだったら、「おはようございます」というのを教える。これがちょっとした言い回しをいろいろ紹介していて、逆に英語の勉強になりました。 そして、FENで決定的に覚えているのが、『ケイシー・ケイスンのアメリカン・トップ40』です。たしか、僕の記憶が正しければ、FENでは72年4月から放送が始まりました。このときは、土曜の昼間の1時05分から2時まで。「トップ40」と言っても、一番最後の55分間、つまり、下からカウントダウンしてきて、最後の12位か13位くらいから1位までを紹介していました。 それから、半年後の72年10月から、これがラジオ関東(当時=現在のラジオ日本)で、湯川れい子先生の解説つきで、土曜夜10時から3時間にわたって放送され始めました。そのときはまだFENで上位13曲程度だったのが、40位からカウントダウンするので、超びっくり。毎週ノート片手に聴いたものでした。 徐々にFENも、放送時間を1時間から2時間、3時間に伸ばしました。そうすると、『アメリカン・トップ40』を原語ですべて聴けるようになったわけです。これはめちゃくちゃ楽しかったですね。もちろん、その頃は英語が全部わかったわけではなかったですが。そうは言っても、ケイシー・ケイスンの英語はかなりわかりやすかった。はっきりした発音、それほど速くないしゃべりかた。そして、このオリジナル・ヴァージョンには実に豊富な情報がはいっていました。どうしても日本語版だと、たくさんのことが省略されてしまいますから。昼間FENで聞いて、夜ラジオ関東を聴く、なんてことが当たり前になりました。 いわゆるポップス、洋楽の基礎はかなりこの番組で教わりました。FENと『アメリカン・トップ40』。これは、当時の洋楽好きの必修科目だったかもしれませんね。 (明日こそ、8月28日とキング牧師の話を書きましょう)

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What Would Roland Bynum Say At The End Of His Show?

閉め言葉。 しかし、糸居五郎さんからウルフマン・ジャック、ドン・トレイシー、ローランド・バイナムまでDJネタがこんなに盛り上がるとは。(笑) いいですね。FENは、70年代には無くては欠かせないものでした。 70年代のFENには、毎日2本のソウル番組がありました。ひとつが昨日ご紹介した『ドン・トレイシー・ショウ』、もうひとつが、『ローランド・バイナム・ショウ』です。これは、確か昼の2時くらいから1時間(正確には頭5分にニュースがあるので、55分)だったように思います。夜か夜中にも再放送があったかもしれません。(夜11時くらいだったか) で、ドン・トレイシーのほうが、比較的若者向け、シングルヒット中心、バイナムのほうが、LPからの曲もかけたり、トーク自体も落ち着いた今で言うFM風という感じで、そのスタイルは極めて対照的でした。僕は両方好きでしたね。そして、なんと言ってもこのバイナム・ショウの最大のキャッチはテーマ曲です。彼はオープニングとエンディングに同じ曲を使っていました。ギター中心のインストゥルメンタルのゆったりしたウォーキングテンポの曲、そう、デイヴィッド・T・ウォーカーの「ホワッツ・ゴーイング・オン」です。 2時5分、デイヴィッド・Tの「ホワッツ・ゴーイング・オン」が流れてきたら、もはやソウルの世界にようこそ、です。この曲を聴くだけで、もう反射的にローランド・バイナムの声がよみがえります。最初のうちは、誰がやってるかわからなかったんですが、何かのひょうしにわかって、すぐ買いましたね。これは、ほんと、CD化しないとね。(笑) ローランド・バイナムもロスを本拠にしたブラックDJです。KJLHとかKGFJなどあちこちでDJをしていました。愛称「ソウルフィンガー」っていうんですね。その名前の由来とかは知らないんですが。そして、70年代のソウル系のレコードの裏にときどきライナーノーツを書いていました。何を書いていたのか覚えてなかったんですが、ウィスパーズあたりかと思ったら、ヤングハーツでした。 ヤングハ-ツの68年のアルバム『スイート・ソウル・シェーキン』(ミニット) http://www.allmusic.com/cg/amg.dll?p=amg&uid=CASS80305190557&sql=Ahajgtq8z9u43 でした。裏ジャケットの中央にハートのマークがかたどられ、ローランドの文章がそのハートの中に書かれています。文章の段落の間には、なんとハートマークが。最近の携帯メールも真っ青です。 (笑)  内容はヤングハーツの紹介ですが、この頃はアメリカのLPにもライナーノーツがけっこうついていましたね。 今発見したんですが、横のミュージシャンクレジットのギターのところに、デイヴィッド・T・ウォーカーの名前があるではありませんか。へええ。ドラムはポール・ハンフリー。 バイナムは今でも現役でDJをしているのかな。KJLHあたりで。ちなみに、7月のバリー・ホワイトのお葬式では、MCをやったそうです。きっと親交があったんでしょうね。 バイナムの番組のエンディング(閉め言葉)はいつも決り文句でした。bop-gunさんもご指摘の通り、「グッド・バイナム」です。かっこいいったらありゃしない。「グッド・バイナム」と言った瞬間またまたかかるのが後テーマ、デイヴィッド・Tの「ホワッツ・ゴーイング・オン」! PEOPLE>BYNUM, ROLAND

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What Would Roland Bynum Say At The End Of His Show?

閉め言葉。 しかし、糸居五郎さんからウルフマン・ジャック、ドン・トレイシー、ローランド・バイナムまでDJネタがこんなに盛り上がるとは。(笑) いいですね。FENは、70年代には無くては欠かせないものでした。 70年代のFENには、毎日2本のソウル番組がありました。ひとつが昨日ご紹介した『ドン・トレイシー・ショウ』、もうひとつが、『ローランド・バイナム・ショウ』です。これは、確か昼の2時くらいから1時間(正確には頭5分にニュースがあるので、55分)だったように思います。夜か夜中にも再放送があったかもしれません。(夜11時くらいだったか) で、ドン・トレイシーのほうが、比較的若者向け、シングルヒット中心、バイナムのほうが、LPからの曲もかけたり、トーク自体も落ち着いた今で言うFM風という感じで、そのスタイルは極めて対照的でした。僕は両方好きでしたね。そして、なんと言ってもこのバイナム・ショウの最大のキャッチはテーマ曲です。彼はオープニングとエンディングに同じ曲を使っていました。ギター中心のインストゥルメンタルのゆったりしたウォーキングテンポの曲、そう、デイヴィッド・T・ウォーカーの「ホワッツ・ゴーイング・オン」です。 2時5分、デイヴィッド・Tの「ホワッツ・ゴーイング・オン」が流れてきたら、もはやソウルの世界にようこそ、です。この曲を聴くだけで、もう反射的にローランド・バイナムの声がよみがえります。最初のうちは、誰がやってるかわからなかったんですが、何かのひょうしにわかって、すぐ買いましたね。これは、ほんと、CD化しないとね。(笑) ローランド・バイナムもロスを本拠にしたブラックDJです。KJLHとかKGFJなどあちこちでDJをしていました。愛称「ソウルフィンガー」っていうんですね。その名前の由来とかは知らないんですが。そして、70年代のソウル系のレコードの裏にときどきライナーノーツを書いていました。何を書いていたのか覚えてなかったんですが、ウィスパーズあたりかと思ったら、ヤングハーツでした。 ヤングハ-ツの68年のアルバム『スイート・ソウル・シェーキン』(ミニット) http://www.allmusic.com/cg/amg.dll?p=amg&uid=CASS80305190557&sql=Ahajgtq8z9u43 でした。裏ジャケットの中央にハートのマークがかたどられ、ローランドの文章がそのハートの中に書かれています。文章の段落の間には、なんとハートマークが。最近の携帯メールも真っ青です。 (笑)  内容はヤングハーツの紹介ですが、この頃はアメリカのLPにもライナーノーツがけっこうついていましたね。 今発見したんですが、横のミュージシャンクレジットのギターのところに、デイヴィッド・T・ウォーカーの名前があるではありませんか。へええ。ドラムはポール・ハンフリー。 バイナムは今でも現役でDJをしているのかな。KJLHあたりで。ちなみに、7月のバリー・ホワイトのお葬式では、MCをやったそうです。きっと親交があったんでしょうね。 バイナムの番組のエンディング(閉め言葉)はいつも決り文句でした。bop-gunさんもご指摘の通り、「グッド・バイナム」です。かっこいいったらありゃしない。「グッド・バイナム」と言った瞬間またまたかかるのが後テーマ、デイヴィッド・Tの「ホワッツ・ゴーイング・オン」! PEOPLE>BYNUM, ROLAND

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The Adventures Of Don Tracy On The Wheels Of Steel

DJ。 ドン・トレイシーのことを覚えてらっしゃる方がいましたか。そうでしたねえ。朝方だったですね、放送時間。ただ放送時間はずいぶん、昼夜変更になりました。ドンと僕が親しくなったのは、80年前後だったか、彼が日本にやってきて、そのときどこかのフリーペーパー用にインタヴューしたのがきっかけでした。話もおもしろく、まあ、意気投合したというか。その取材の後も東京を案内したりして、親しくなりました。 その後彼が1-2度来日したような記憶があります。いつも赤坂東急ホテルに滞在していました。そして、僕がロスに行ったときなど、まあ一回は会う感じになりました。彼が当時DJをやっていたKDAYというのは、AM局なんですが、いわゆるブラック、ソウル、R&Bのステーション。しかも、AMなのに、ロスでかなり初期からラップをたくさんかけていたぎんぎんに黒いラジオ局でした。その後フォーマットがカントリーかなにかに変わってしまい、今はブラックではないはずです。 ドン・トレイシーはFENのソウルショウのDJを何年も勤めました。彼の番組の場合テーマ曲は、なし。いきなり一曲目から始まります。しかしエンディングテーマがありました。 later lovers! (じゃあね、みんな) と言って毎日かかるのが、リズムヘリテージのインスト曲「シーム・フロム・SWAT(スワットのテーマ)」でした。 東京のFENで放送されていた番組は、なんとテープではなく、番組が録音されプレスされた30センチのLPだったのです。これを初めて知ったときには、びっくりしました。時々、レコード盤なので、番組の針が飛ぶのです。普通の曲がかかっている時に飛べば、ああ、レコードが飛んだな、ということがわかりますが、実はDJのしゃべりも何度も同じところが繰り返されたりしたこともあるんです。声が何度も同じことを言って、飛んでるのには笑いました。そして、その頃、東京のFENを見学に行く機会があり、そこで番組はほとんどLPになって送られてきている、という説明を受けました。よって、ドン・トレイシーのDJ自体そのものが、ターンテーブル(The Wheels Of Steel)の上にあったわけです。 さて、東京のFENには、毎週5枚の30センチアルバムが本部から送られてきます。片面に約27-8分、番組が録音されたLPです。表と裏で55分の番組がパッケージになっています。たしか、ある日の前半でかかる曲が7曲あるとすると、その同じ曲が翌日の後半にそっくりそのままかかっていました。最初は気がつかなかったのですが、自分でこの番組でかかる曲目をノートに書き写すようになって、ふと前日の前半と次の日の後半が同じ選曲だということに気が付いたのです。あれはいつまでそうだったかなあ。大好きな番組だったから、かかさず聞いていました。 ドンはあの番組を週に一回、ハリウッドにあったモータウンが入っていたビルと同じビルの中にあるスタジオで録音していました。一回で5本分だったと思う。その録音スタジオにも遊びに行きました。小さなスタジオで、エンジニア一人とドンの二人ですべてをやっていました。レコードは、ドンが自分でターンテーブルを回していました。そのマスターテープを米軍に納品し、そこで、世界各国用にLP盤がプレスされ、配られ、そして、世界各国でオンエアされていたわけです。 ドンは家の倉庫に、自分の番組のレコード盤を全部とってありました。1日1枚で数年分あったので、千枚単位だったと思う。ものすごい量でした。たしか記念に1枚もらったような気がしますが、はたして、どこに行ったのか。かなり貴重ですね。 ドン・トレイシーのDJは、AM系、のりのいいブラザー系のDJでした。そして、FENにはもうひとり対照的な実に渋いソウルDJがいました。ローランド・バイナムです。バイナムの話は、また明日にしましょうか。 PEOPLE>TRACY MALLOY, DON

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The Day I Made Radio Debut

デビュー。 ウルフマンジャックは、まさに伝説のDJですが、彼が『アメリカン・グラフィティー』の中で放送していた放送局というのは、いわゆるワンマンスタジオでやっていました。DJひとりが曲をかけ、しゃべり、CMをだし、というのをすべてひとりでやることができるスタジオです。放送局自体も小さい。でも、アンテナはでかい。 で、その昔、FEN(当時)で「ドン・トレイシー・ショウ」というソウル番組を毎日やっていたロス在住のDJドン・トレイシーと縁あって仲良くなり、彼がDJをしているロスのラジオ局KDAYのスタジオを見学することになりました。指定された住所を捜すと、なんだか、山の中のな~~んにもなさそうなところだった。 山道をどんどん登っていくと、ど~~んとたか~~~いアンテナが立っていた。そしてその横に小さな一階建ての木造の家があって、それが放送局だった。ラジオ局はみな、小高い山の上にあるみたいです。都心にある場合は、アンテナは別のところにおいてある場合もありますが。 まさにウルフマンの放送局みたいで、その外観だけで、感動した。扉をあけてくと、ほんと誰もいなくて、さらに中にはいっていくと、ドンがひとりでDJをしていた。あの瞬間は映画の中のカートみたいだった。「やあ、よく来たな・・・」みたいなやりとりがあって、しばらく、彼の仕事ぶりを見ていました。 ほんとうにワンマンスタイルで、曲をかけ、しゃべり、CMをだし、ジングルをだし、そして、そうそう、キューシート(オンエアした曲を時刻、曲名、アーティスト名をすべて書いた紙)も手書きで書いてた。もうその様が、ウルフマンとダブリましたねえ。「へえ、アメリカの放送局ってみんな、こんななんだ」って思いました。 すると、そのドンがいきなり、「何かマイクでしゃべれ」と突然言い出したんですね。えええっ? 英語しゃべれないよ。焦ったんですが、「日本語でもいいじゃないか」と言うので、意を決して、一言しゃべりました。確か「みなさん、こんにちは、あなたがお聞きの放送局は、KDAYロスアンジェルスです」なんてことをもちろん日本語で言ったような気がします。聴いていた人はびっくりしただろうなあ。 ドンが「マサハル、今日が君のレイディオ・デビューだな。ははは」と言い、そのときの同録カセットをくれました。同録テープは、そこではエンドレステープが回ってるんですね。それから、彼の仕事が終わり、ドンの家に行くと、奥さんが「マサハル、you were on the air, today(オンエアしてたわね、今日)。聴いたわよ」といきなり言ってきて、てれました。 しかし、ホントに気楽なものです。ディレクターもいないし、プロデューサーもいないし、いいなあ、ああいう放送局。あの体験以来、僕の夢は自分の好きな曲ばかりをかけられる放送局を持つことです。83年8月のことでした。『アメリカン・グラフィティー』のウルフマンのシーンを見るたびに、僕はあのドンとKDAYのスタジオのことを思い出します。

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9th Annual (2003) Soul Train Lady Of Soul Awards WINNERS:

勝者。 第9回ソウルトレイン・レディー・オブ・ソウル・アワードが去る23日(日本時間24日)カリフォルニア州パサディナのパサディナ・シヴィック・オーディトリゥムで発表された。ネオ・ソウルのデュオ、フローエトリー、ラッパー、ミッシー・エリオットなどが受賞した。 フローエトリーは、シングル、アルバム、さらに新人賞と3部門を独占。この夜の話題をさらった。一方、ミッシーはベストソングと、ビデオ賞の2部門を獲得。 また、エリカ・バドゥが「ベスト・ソウル・ソング」部門を獲得。彼女はまた、アレサ・フランクリン・エンタテイナー・オブ・ジ・イヤー賞も獲得、さらにヴィヴィアン・フォックスがリナ・ホーン賞を獲得した。 司会は、アイシャ・タイラー、アルシニオ・ホール、ヘザー・ヘドリー、タイリースら。 ノミネートと勝者は次の通り。+++で示されたのが勝者。 The 9th Annual (2003) Soul Train Lady of Soul Awards Winners (winners are indicate with +++) CATEGORY TITLE ARTIST Best R&B/Soul Single, Solo +++”Love Of My Life (An Ode To Hip Hop)” Erykah Badu … Continue reading

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Route 158: As stepping down a stairway, there is a soul bar.

ネーミング。 階段を降りて扉を開けるとそこはソウルバーだった。(「雪国」風に) その名は「ルート158」。横浜体育館のまん前。地下一階。カウンター8席に、丸テーブルが6人がけと4人がけ程度。計18席。こじんまりとしたお店です。アルバムはアナログが約1000枚。80年代を中心に、70年代少々、90年代も少々、新譜も少々。まあ幅広くそろえています。 オウナー兼DJ兼バーテンダーを兼ねるのは鈴木誠一さん。これまで、シュガーシャック6年、テンプス8年とまさにソウルバーの保守本流を歩んできて、いよいよ独立した期待の星といったところでしょうか。このお店、ソウルバー巡りのプロ、高畠さんに教わりました。 アニタ・ベイカー、ポール・ジャクソン、リヴァート、キース・スウェットあたりが、うまく流れが作られてかかっていました。一応CDプレイヤーも一台あるそうです。 店自体は、以前はダーツバーだったところを少し改造して、ソウルバーにしました。いわゆる「居抜き」です。オープンは2003年2月17日。ちょうど半年たちました。えらいのは、日曜日も休まず、週7日間営業しています。体大丈夫ですか。心配です。(笑)  さて、『ルート158』って、そのネーミングの由来は? 「ええ、実はここの住所が1の5の8なんです」と鈴木さんが説明してくれました。なるほど。お近くにおよりの際はぜひ。 ルート158Soul Bar Route 158神奈川県横浜市中区翁町1-5-8地下1階電話 045-663-1580営業時間 20時~4時休業日 なしドリンク500円~フード軽めのもの500円~チャージ500円 ENT>SOULBARS>ROUTE 158

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Diana Ross’ “Diana” Deluxe Edition Reveals Unreleased Version

未発表。 モータウンからいわゆる「デラックス・エディション」の新作がでました。今回はマーヴィン・ゲイの『アイ・ウォント・ユー』、リック・ジェームスの『ストリート・ソングス』などに加えてダイアナ・ロスの80年の大ヒット作『ダイアナ』がでました。シックのナイル・ロジャースとバーナード・エドワーズがプロデュースした作品です。 このアルバムからは、「アップサイド・ダウン」と「アイム・カミングアウト」の大ヒットが生まれ、ダイアナは久々にチャートのトップに踊りでました。ところが、このアルバム、元々のミックスをモータウンのラス・テラーナがミックスし直してリリースしたという作品なんですね。このあたりの話は『ソウル・サーチン』の第4章「シック」に書いたのですが、今度でた『デラックス・エディション』にその日の目をみていなかったシックがミックスしたオリジナル・ミックス・ヴァージョンが収録されているのです。 これは、おもしろい。ここにはどちらも8曲ずつ収録。つまり、シックが録音し、ミックスしモータウンに渡したファイナルミックスと、その後新たに手を加えられ、世に出された、つまり僕たちが聞き親しんだヴァージョンの両方が聞き比べられるのです。 早速、オリジナルの「アップサイド・ダウン」「テンダネス」「アイム・カミング・アウト」「マイ・オールド・ピアノ」の4曲をリリース・ヴァージョンとオリジナル未発表ヴァージョンを聞き比べました。 なるほど、こうなっていたのかあ。全体的にはオリジナルのほうが長いんですね。「アイム・カミング・アウト」なんかオリジナルは6分01秒あって、発売されたヴァージョンは5分25秒しかない。よって後半の演奏部分がとっても新鮮。それとヴォーカルも違う部分があるみたいですね。これらのミックス違いを文字で表現するのは至難の業です。 たとえば、「アイム・カミング・アウト」だとオリジナルのほうが、ナイルのギターがちょっと前にでてるような感じがします。一方、テラーナ・ミックスは、ドラムスの音をかなり派手に作っています。そして、ヴォーカルがさらに一歩でてる感じかな。「マイ・オールド・ピアノ」はテラーナ・ミックスのほうがいいですね。イントロとかも作ったんですね。オリジナルはイントロなしでいきなり歌がはいります。 まあ、微妙には違いますが、シックのミックスが世に出たらヒットしなかったのでしょうか。いいえ、きっとヒットはしたでしょう。音楽の本質的には変わらないですから。結果的には、なんとも言えませんが。でも、23年を経て埋もれていた音が聴けるんですから、これは非常に興味深かったです。

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Wolfman Jack: Another Legendary DJ

猪突猛進。 日曜日『ソウルブレンズ』で映画『アメリカン・グラフィティー』のサウンドトラックを紹介するので、近くのツタヤでDVDを借りて、それを見ながら、原稿を書いていた。この映画は、何度もテレビなどでも放映されているだろうが、まあ、改めて見ても、なかなかいい映画だなと思う。ちょうど、しばらく前に紹介した『スタンド・バイ・ミー』とちょっと似たような香りがある。時代的にもほぼ同じだし。 『アメリカン・グラフィティー』で一番好きなシーンは、東部の大学への奨学金を獲得したカートが、DJウルフマン・ジャックのスタジオに行くところ。車を放送局のところにつけると、そこには高いアンテナが立っている。カメラはそのアンテナを下からずっとなめる。アメリカの放送局は必ずそういうアンテナが立っている。 深夜の生放送のスタジオは、男がひとりだけ。ポプシクルというアイスキャンディーをなめながら、彼はDJをしていた。だが、突然の訪問者にDJは、自分はウルフマンジャックではないと正体を隠す。カートは一瞬街で見かけた美女ともう一度連絡を取りたくて、ウルフマンに頼みに来る。 彼女に、電話をしてくれるよう、ウルフマンに放送でしゃべってもらいたいのだ。そして、彼はカートに、そんなにご執心なら、きっとウルフマンならこう言うだろう、と言ってアドヴァイスする。「Get your ass and gear」 ケツに蹴りでもいれて、突き進め、っていうあたりが直訳なのかな。うまく訳せないが、たとえば「猪突猛進(ちょとつもうしん)で行けよ」ってなかんじだろうか。 そして、カートが「明日、東部の大学に行ってしまうから」と言うと、ウルフマンはこうもらす。「There’s a great big world out there」(外の世界はすばらしいぞ) この映画も西部カリフォルニアあたりのどこか小さな田舎町を舞台にしているので、そういう小さな街からすると、外の世界、大きな都市なんかは、本当に輝くところなんだと思う。この田舎対大都市っていうのは、アメリカのいつの時代でも、日本でも同じかな、いいテーマだ。ウルフマンがもらすこのセリフはいい。 「あなたも行けばいいじゃない」とカートが言うとウルフマンは、「もう若くないからな」と情けないことを言う。でも彼は今の自分の仕事がとても気に入っているのだ。そのDJは、「じゃあ、これをウルフマンに伝えておくよ」と言ってカートと別れるが、帰り際、そのDJが実はウルフマンジャックだったことを知る。このあたりのやりとりは、なかなかいい感じだ。 ウルフマンジャックは、70年代初期に日本のFENでも番組が放送されていた。アメリカから録音されたものが毎週送られてきて、それがオンエアされていたのだが、よく聴いたものだ。糸居さんも伝説のDJなら、ウルフマンジャックもまさしく伝説のDJである。 ENTERTAINMENT>MOVIE>AMERICAN GRAFFITI

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Roy Ayers Live At Motion Blue: Music Makes Him Young

舞。 「いつから電子ヴァイブラフォンを使ってるかって? 70-71年頃からだよ。オレは一番最初の頃から、電子ヴァイブを使ってるんだ。でもな、初期の頃のは、音はひどいし、すぐ壊れるし、使い物にならなかった。今は、フランスのマッサー社のものをよく使ってる。全部で8台持ってる。本物(アコースティック)もあるよ。オレはものすごくハードに叩くんだ。だから、機材のあちこちを糊なんかで張り付けたりして補強しておかないとだめなんだ。ゲイリー・バートン、ライオネル・ハンプトン、いろんなヴァイブ奏者がいるけど、オレが一番ハードに叩くよ」 またまた立て板に水のミュージシャンでした。まあ、もっとも激しくアドレナリンのでるライヴの後に楽屋に行けば、みんなこうなっているのかもしれません。(笑) 今回が11回目の来日(本人・談)というヴァイブラフォン奏者、ロイ・エアーズです。 ドラム、ベース、キーボードにボーカル2人、そして、ロイ本人の計6人がオンステージ。しっかりしたリズムにグルーヴのあるヴァイブラフォンの演奏が響きます。ヴァイブラフォン、わかりやすく言えば、鉄琴ですね。日本では「ビブラホン」と発音されることもあるようですね。 鉄琴を叩く棒のことをマレットと言います。モーションブルーのフライヤーに「至高のヴァイブ奏者による華麗なマレットの舞が極上のグルーヴを弾き出す」とありますが、その通りでした。音楽性は、一言で言えばレコード、CDで聞かれるような70年代風ジャズファンク。 ロイは4本のマレットを同時に操っていました。その早業は、目にもとまりません。なかなかかっこいいです。時々音色やなにかを調整しているようです。76年のヒット「エヴリバディー・ラヴズ・サンシャイン」などは、クラブで人気があるせいか、観客からもかなりの拍手喝采を浴びていました。 「私は、これまでに88枚のLPやCDを出してきました。まあ、ほんの少しだけどね」とMCで言うのですが、88枚もでてたら、ねえ、すごい数です。どういう数え方したのかわかりませんけど。(笑) 「11回も日本に来ているんですか。じゃあ初めて日本に来たのは?」と尋ねると即座に「チコ・ハミルトンと来た。66年だった。オレがまだ26歳でね。今、オレは62なんだが。まだまだ若かったよ。ははは」と答えてくれた。「62ですかあ。もっと若く見えますよ」というと、きっぱりこう答えてくれました。「ははは、サンキュー、music makes me young 音楽がオレを若くしてくれるんだよ」  その通り。おっしゃる通りです。確かに音楽をやっている人なんかは若く見えます。ところで、なぜ、音楽は人を若くしつづけてくれるんでしょうねえ。 (2003年8月20日水セカンド・横浜モーションブルー=ロイ・エアーズ・ライヴ) ENT>MUSIC>LIVE>AYERS, ROY

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Groovin In The Midnight

深夜放送。 ではせっかくですので、糸居五郎さんのお話でも。糸居さんの『オールナイト・ニッポン』は、毎週月曜日だったように記憶しています。67年10月から始まったそうです。月曜深夜1時。今風に言うなら月曜25時から、29時(朝5時まで)。もうひたすら音楽ばかりかかるんで、かなり異色でした。それから1時~3時に短くなったのかな。で、3時~5時に移動だったか。糸居さん以外の曜日も聴いてましたね。60年代後期から70年代初期の頃のことです。『オールナイト・ニッポン』の頭のナレーション、今でも覚えてます。 他の深夜放送がみなおしゃべり中心で、1時間にせいぜい3-6曲くらいしかかからないときでしたから、ノンストップで音楽が流れている糸居さんの番組は貴重でした。彼は自分がしゃべるときもなにかBGMをひいてましたね。ジャズっぽいインストものだったようです。よく考えると、ああいうBGMもしっかり選曲してたんですよねえ。元々糸居さんはジャズ好きでいらしたし。他のDJは、素でしゃべっていた。そうそう、これは確かじゃないんですけど、糸居さんの時はターンテーブルを3台にしてやっていたって聞いたような気がする。普通にかける2台に、もう1台BGM用というわけですね。他の曜日だったら、ターンテーブル1台でもやってけますけどね。(笑)  そして、この『オールナイト・ニッポン』と別に73年から始めたのが『ソウル・フリーク』という番組でした。これは確か日曜の夜11時台とか12時過ぎの30分番組だったように記憶しています。ちょうど、スリー・ディグリーズなんかがでてきたり、ジェームス・ブラウンが来日したりで、いわゆるソウル・ミュージックがちょっとした動きを見せ始めたので、ソウルの専門番組をやろう、ということで始まったときいています。 日曜夜は確かTBSテレビの『ソウルトレイン』があったので、『ソウルトレイン』、『ソウル・フリーク』という流れがあったような気がします。『ソウル・フリーク』では、糸居さんがアーティストにインタヴューしてましたね。なぜかよく覚えているのがブラザース・ジョンソン。たださすがに話の内容は覚えてませんが。 糸居さんは、イントロにのせてアーティスト紹介、曲紹介をするかなり初期のDJだったと思います。当時だと八木誠さんが同じようにイントロにのせて紹介していました。糸居さんのあの独特の節は、『糸居節』と呼ぶにふさわしいですねえ。 「夜更けの音楽ファン、こんばんは! 朝方近くの音楽ファン、おはようございます! ・・・ ゴーゴーゴー、アンド、ゴーズ・オン!」  英語なら簡単にのりがだせますが、日本語ではなかなかイントロに乗せるリズムが生まれない。それを糸居さんは試行錯誤して考えました。体言止め。いつでも、曲紹介が終われるように、かっちり単語を切っていくんですね。ワンセンテンスが短い。当時の同録でもあったら、また、聴きたいなあ。今でこそ、そういうことを考えるDJがいなくもありませんが、言ってみれば糸居さんは日本で一番最初にグルーヴを考えたDJかもしれません。その頃、グルーヴなんて言葉は市民権を得てなかったですが。 もっとも糸居さんで僕が個人的に覚えているというか、最大の思い出は僕の友人夫婦の結婚式の司会を糸居さんにお願いしたということですね。80年くらいだったかな。快く引き受けてくださいました。で、なにがぶったまげたかというと、まあ、通常の司会が進んではいたのですが、途中で、大きなラジカセを取り出して、その音楽にあわせてDJを始めだしちゃったんです。ちゃんと、曲のイントロでしゃべるときは、曲のヴォリュームさげて、紹介終わると、がっとあげて、歌がガツンとはいる。もう、ラジオのDJそのものです。あれには、びっくりしましたね。で、何をかけたんだろうか、今思い出せないのがはがゆい。(笑) しかしねえ、DJ入りの結婚式の披露宴っていうのは、初めてでしたねえ。 ヘイ、ミスターDJ、あなたは、真夜中のグルーヴDJ。 PEOPLE>ITOI, GORO

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Standing In The Shadows Of Legacy: Finally, Lalah Sings…

影。 今回のライヴは、選曲がいい。マーカス・ミラー、レイラ・ハザウェイ、そしてテイク6。マーカス・グループが約50分ほど演奏した後、レイラはいきなり、すたすたと舞台に登場。その一曲目はなんと「ジェラス・ガイ」だった。う~~ん、そうきたか。 ジョン・レノン作、ダニー・ハザウエイのライヴ盤で歌われる佳曲である。やはり、ダニーで聴きなれた作品をその娘で聴くというのは、感情的になるものだ。はっきり言ってレイラのこの一曲だけでも、聴きにきた甲斐はあったとさえいえる。そして、続いて歌われたのが、なんと、アレサの大ヒット「デイドリーミン」。わお! なんでまた、こんな曲を! ほんとに、レイラの声は低くて太くて、いい。こういう曲にもぴったりだ。 そして、テイク6の登場。マーカス、レイラ、テイク6は、それまでにも充分なつながりがあって、もはやファミリーみたいなものだから、コンビネーションとか文句ない。「メリー・ドンチュ-・ウィ-プ」(トラディショナル)、「グランドマズ・ハンズ」(ビル・ウィザース)、さらに「ラヴズ・イン・ニード・オブ・ラヴ・トゥデイ」(スティーヴィー・ワンダー)と続く。このあたりは、いつもの感じだが、なんと言ってもバックにマーカス&ヒズ・グループがいて、相当タイトな演奏をつけるので、かっこいい。 テイク6ヴァージョンも見事な「ピープル・ゲット・レディー」(カーティス・メイフィールド&インプレッションズ)、「テイキン・イット・トゥ・ザ・ストリート」(ドゥービー・ブラザース)と続く。「ピープル・ゲット・レディー」なんか、完全にテイク6のものになっている。後者は、途中からゴスペル調になっていく。そこにはテイク6の声が圧倒的にうずまく。それはまさに至福の声の洪水だ。途中から入るバンド一無愛想なサックス奏者ロジャー・バイアムの職人的サックスソロが実にクールだ。彼はいい味だしている。もちろんオマー・ハキムのドラムスも最高、ギターのディーン・ブラウンもいい。完璧なバンドである。 いったんはけた後アンコールの1曲目。なんと、「イフ・オンリー・フォー・ワン・ナイト」と来た! ブレンダ・ラッセル作のルーサー・ヴァンドロス歌の名作である。マーカスはここでクラリネットよりもさらに長い初めて見るような管楽器を使っていた。途中でクラリネットに持ち替えるが、そこで、トランペットのマイケル・スチュワートとちょっとしたバトルを繰り広げる。そして、曲が終わりマーカスが「ルーサーの歌で知られる『イフ・オンリー・フォー・ナイト』、彼に捧げます・・・」とアナウンスした。さらっとした紹介だけにじわんとくる。 ルーサーがブレイクしたきっかけが『ネヴァー・トゥ・マッチ』(81年)、それをプロデュースしたのが、誰あろうマーカス・ミラーである。マーカスがやるルーサーの曲というところに大いなる意義がある。そして、アンコール2曲目はレイラが前にでてきて「ホエン・ライフ・ワォズ・ロウ」。あのジョー・サンプルのアルバム『ソング・リヴズ・オン』に入っている名曲だ。CDもよかったが生歌も何度聴いてもいい。本当にレイラは自分の道を見つけたとつくづく思う。 たまたま座った席が一番前だった。そこで、なぜかレイラとものすごくたくさん目があったような気がした。というか、レイラが僕の目を見て歌っているような気になった。目があっていたのは確かな事実だ。彼女は半分は僕のほうを見て、半分は逆側を見る。なんでずっと見つめられるのだろうか。ひょっとして彼女は僕に気でもあるのだろうかと思ってどきどきした。(このあたりが単純というか=苦笑) しかし女性歌手にしっかり目を見られて歌われたことはなかったように思う。よく男性シンガーが女性に向かって歌うシーンは目撃するが。レイラはいつもどこかに焦点を定めて歌うのかな。それとも僕を知っていたから見ていたのか。ただ誰でもよかったのか。確かめないと・・・(笑)  それはさておき、その次に歌われた曲に完璧にノックアウトさせられた。バックバンドのイントロだけで、ぐわ~~と来た。ステージにはもちろんテイク6もいる。レイラがステージ中央でマイクを持っている。イントロから最初のフレーズへ。「hang on to the world…」だ。もうこれだけで胸一杯である。その曲は「サムデイ・ウィル・オール・ビー・フリー」である。もちろん、ダニー・ハザウェイの名曲中の名曲だ。ほんとだったら泣いてもいいシーンだ。 しかし、この日はライヴが始まったのが午後1時。急遽決まった追加公演。しかも日曜日なので僕は個人的には、このあとすぐインターFMに行かなければならない。4時から生放送なのだ。この時点ですでに3時を回っている。よってあんまり落ち着いていられないのだ。それと、会場が寒かったせいか、あるいは、睡眠不足のせいか体調は万全ではなかった。まあ、言ってみれば、ふだんナイターばかりに出向いているのに、この日はデーゲームなので調子よくないのだ。やっぱりライヴはナイターに限る。そう、ナイターのホームゲームがいいな。昼の1時からライヴなんて、オープンエアのレゲエのライヴだったらいいのだが。というわけで泣くまでにはいたらなかったが、これが万全の調子で超集中して聴いていたら、どうなったか保証できない。 というわけで、「サムデイ・・・」に泣くことはなかったが、かなりくるものはあった。レイラはいつの日にか(サムデイ)父の曲にチャレンジするだろうと、99年、2000年に彼女のライヴを見たときに確信というか期待をもっていた。このことは、『ソウル・サーチン』のあとがきに書いた。それから3年。いよいよかな、という思いがこみ上げてきた。 レイラは、やっている音楽こそちょっと違うが、歩み方にナタリーと似ている部分がある。ナタリーがついに「アンフォーゲッタブル」をやったように、レイラがついに「サムデイ・ウィル・オール・ビー・フリー」を歌ったのだ。しかもコーラスが、バックコーラスがテイク6にマーカスである。こんなぜいたくがあるだろうか。 これ一曲だけでも、この日のライヴの価値はあった。(っていうのが、もう2曲目です)     そして、もう一曲テイク6が「ドント・ギヴ・アップ」(ピーター・ゲイブリエル)を歌う。ここではトーキングベース、アルヴィン・チアとマーカスのエレキベースの壮絶なバトルが繰り広げられた。これも見ものだ。 ショウが終わってすぐに僕は会場を後にした。本当はもっと余韻を楽しみたかったのだがしょうがない。今年見たライヴの中で1曲を選べといわれたら、レイラのこの日の「サムデイ・ウィル・ビー・オール・フリー」にするだろう。レイラの次のアルバムは一体どうなろうのだろうか。きっと彼女のキャリアを決定付ける「キャリア・アルバム」になるのではないだろうか。そんな予感が強く強くしてくる。レイラがついにダニーの影に足を乗せている。レガシーの影の上に、そっと片足を乗せている・・・。そして、今回レイラがこれを歌うところを見る人たちは、同時進行のドキュメントの、歴史の目撃者だ。 (2003年8月17日・日曜ファースト・東京国際フォーラム・ホールB7=マーカス・ミラー、レイラ・ハザウェイ、テイク6) (このほかショウは8月18日から20日まで。ただしテイク6がでるのは18日と20日。レイラはすべてに出演。19日はケニー・ギャレットが出演。また週末にはマウント・フジ・ジャズ・フェスにもでます) オフィシャルhp http://www.7daysjazz.jp/http://mtfujijazz.com/index03.html ENT>MUSIC>LIVE>MILLER, MARCUS, HATHAWAY, LALAH, TAKE6 (タイトル: レガシーの影)

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For The Record: The Meaning Of “No, Woman, No Cry”

訂正。 昨日の『ソウルブレンズ』は、ボブ・マーリーをご紹介したのですが、間違いがふたつ。BBSでも指摘されましたが、まず、ローリン・ヒルと結婚したボブ・マーリーの息子はジギ-ではなく、ローハン・マーリーという人でした。そして、「ノー・ウーマン・ノー・クライ」のタイトルの意味を「女の人がいなければ、失恋しなくてもすむので、悲しまなくていい、涙がいらない」というニュアンスをお伝えしたのですが、歌詞をじっくり読むと、違いました。お詫びして訂正です。陳謝。 どちらも、番組中にファクス、メールをいただきました。ボブの息子が何人いるのか、ちょっと調べていたのですが、わかりませんでした。(笑) 最低6人くらいはいるようです。そのローハンの名前はリストの中にはありませんでした。 「ノー・ウーマン・ノー・クライ」は、「ノー・ペイン、ノー・ゲイン」と同じニュアンスの言い回しかと思ったのですね。つまり、「痛みなければ、得るものなし」 すなわち、苦労なくして成果は得られない、という意味です。「ノー・ウーマンなら、ノー・クライ」というわけです。 しかし歌詞の流れからすると、泣かないで、ウーマン、泣かないで、という意味のようですね。ただちょっと僕自身、この歌詞からは、ストーリーの全体像がつかめないので、まだ訳せないです。全体的にボブ・マーリーの歌詞は難しい。彼を取り巻く様々なことを知らないと歌詞の意味がわかりません。 +++ Real James Brown: He’s Real ファミリー。 さて、ボブ・マーリー終わったあとのドン勝本氏のゲストは、めちゃくちゃおもしろかったですね。当初は20分くらいの予定だったんですが、話がはずんでしまったので、40分近くになってしまいました。(笑)  勝本氏とジェームス・ブラウン話をすると止まりません。勝本氏が73年初めて会ったときの話。その後、姫路でリムジンに乗った話。自宅を訪れ、ブラウン自らがいろいろなところを案内してくれた話。リハーサルの時の話。マントをもらったときの話。Ain’t No Stoppin’ Us Nowって感じですね。(笑) それにしても、ミスター・ブラウンはファミリーというものを大事にします。 残念だったのは、井筒監督に出演をお願いしていたのですが、さすがに土曜日公開初日ということでかなりスケジュールがタイトでご出演願えませんでしたが、また、近いうちにチャンスはあるでしょう。金曜日だったか、BSフジの『ロングインタヴュー』(司会テリー伊藤、小島奈津子)という90分番組で井筒さんがいろいろお話してました。たまたま途中から見たんですが、なかなかおもしろかったです。まだ再放送があるようですので、チェックしてみてください。 http://www.bsfuji.tv/top/pub/interview.htmlhttp://www.bsfuji.tv/top/recommend/rcm_variety.html#interview マーヴィンが言ってましたが、確かにジェームス・ブラウンは「リアル(本物)」ですね。追加公演10月3日(金曜)、武道館です。東京2デイズ、ソウルの神様の元気をもらいましょう。 +++ No, woman, no cry;No, woman, no cry;No, woman, no cry;No, woman, no cry. Said – said – said: I … Continue reading

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Ed Townsend Died At 74

エド・タウンゼント死去。 急死。 50年代から活躍してきたヴェテラン・R&Bプロデューサー、ソングライター、シンガー、エド・タウンゼントが8月13日水曜日、カリフォルニア州サンシティーで急死した。74歳だった。 エド・タウンゼントは、1929年4月16日テネシー州フェイエットヴィルの生まれ。本名エドワード・デイヴィッド・タウンゼント。父親が牧師だったことから幼少からゴスペルを歌っていた。アメリカ海軍に入り、朝鮮戦争に従軍。その後、58年、自ら書いて歌った「フォー・ユア・ラヴ」がポップでも13位まで行くヒットになり注目されるようになった。その後は主としてソングライター、プロデューサーとして活躍。 最大のヒット作は、マーヴィン・ゲイの73年の「レッツ・ゲット・イット・オン」。これがエドの作品でプロデュースでもあった。この曲は最近、ヴァイヴ・マガジンから「オールタイム・ナンバー・ワン・ラヴ・ソング」に選ばれていた。 このほかにインプレッションズの「ファイナリー・ガット・マイセルフ・トゥゲザー」、ジミー・ホリデイの「ハウ・キャン・アイ・フォーゲット」、セオラ・キルゴアーズの「ザ・ラヴ・オブ・マイ・マン」など多数の作品をだしている。 また、彼は自らが経験したアルコール中毒を克服するためのリハビリテーション・プログラムを、同様の人たちに積極的に薦める運動も行っていた。2001年、彼はリハビリをテーマにしたミュージカル『(リハビリテーション)ビーン・ゼア、ダン・ザット』を制作、発表している。 最近も様々な活動に従事し、新曲「カウント・エヴリ・グレイン・オブ・サンド」を録音、また、エドの人生をテレビ番組にまとめるプロジェクトや、マーヴィン・ゲイの生涯を描いた映画の企画などもあった、という。 彼の息子のひとり、デイヴィッド・タウンゼントは、ソウル・ヴォーカル・グループ、サーフィスのメンバーのひとりで。サーフィスは、89年「シャワー・ミー・ウィズ・ユア・ラヴ」などの大ヒットがある。 ENT>OBITUARY>TOWNSEND, ED +++ LEGENDARY PRODUCER ED TOWNSEND DIED AT 74 ~Official Press Release~ Legendary Producer/Singer/Songwriter, Ed Townsend, also known as “Big Papa,” died suddenly on Wednesday, August 13th in Sun City, … Continue reading

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Sunny: Bobby Hebb Sings About His Brother

兄。 しばらく前にボビー・へブの「サニー」という曲が話題になりました。たまたまちょっと別の調べ物をしていたところ、この「サニー」の話を知ったので、ちょっとまとめてみようと思います。 ボビー・へブは、1938年7月26日テネシー州ナッシュヴィル生まれ。6歳年上の兄ハル・へブと二人兄弟でした。父はギターやトロンボーンをたしなみ、母はピアノとギターをプレイしていました。兄は一足先にタップダンスを習っていました。ボビーが3歳の誕生日、1941年7月26日にジェリー・ジャクソン・レヴューというヴォードヴィルのステージに、兄に誘われて昇ったのです。3歳ですから、別に歌うというものでもなかったでしょう。適度に音楽にあわせて体を動かした程度だったのでしょう。それでも、3歳のボビーにとっては、初ステージとなりました。 以来、両親とハルとボビーの4人はしばしばステージに立つようになりました。ボビーも徐々に歌とダンスを覚えるようになったのです。 1954年、ボビーはさらに音楽をやりたいとシカゴに行き、チェス・レコード周辺で活動をします。その後、ニューヨークに行くのですが、1963年11月22日、アメリカに運命の銃弾が撃ちこまれます。そう、ジョン・F・ケネディー大統領がダラスで暗殺されるのです。ボビーも、アメリカ国民皆が悲しんでいましたが、悲劇はさらに追い討ちをかけました。ボビーの兄、ハルがその翌日23日に強盗に襲われ帰らぬ人となってしまったのです。31歳くらいだったでしょう。まだこれからというときです。当時25歳のボビーやへブ家にとっては二重の悲しみでした。 そして、ボビーはその亡き兄の思い出を一曲の歌にしたためます。それが、「サニー」という曲になったのです。ボビーはこの曲を66年に録音。6月からヒットし、ソウル・チャートで3位、ポップ・チャートで2位を記録、ミリオン・セラーになりました。 「サニー」は、ボビー・へブにとってのある意味での「キャリア・ソング」だったんですね。自伝的な歌とも言えます。僕はこれは単なるラヴソングかと思っていたんですが、亡き兄を思う歌だったわけです。だから、少し物悲しいんですね。 この曲は、その後200以上のカヴァーがレコーディングされ、真の意味でのスタンダードになりました。そして、ジェームス・ブラウンやマーヴィン・ゲイなどのヴァージョンも生まれ、この「サニー」だけのコンピレーション・アルバムまで制作されています。 このコンピは、ドイツのDJが、パーティーでしばしば「サニー」ばかりいろいろなヴァージョンをかけていたところ、その受けがよく、では「サニー」だけのコンピレーションを作ろうということで作った、ということです。 「サニー」は、ボビーの6歳年上の兄ハル・へブのことなのです。サニーを異性の恋人ではなく、兄として、訳してみました。 *** 「サニー」-ボビー・へブ サニー、昨日、僕の人生は、大雨に降られたよサニー、兄貴が僕に微笑んでくれると、痛みも消えたものだ兄貴が微笑んでくれると、暗い日が過ぎ去り、明るい日がやってくる僕の輝く兄貴の微笑みは、純真そのもの兄貴、本当に愛してるよ サニー、太陽の花束をありがとうサニー、兄貴が僕にくれた愛にありがとう兄貴は、すべてを僕にくれた兄貴のおかげで、10フィート(3メートル)も背が高くなった気分さ サニー、僕に見させてくれた真実に感謝サニー、僕に教えてくれたAからZまでのあらゆることに感謝今、僕の人生は風に飛ばされる砂のようにこなごなだ兄貴が僕の手を握ってくれたとき、二人の絆は硬く結ばれた サニー、兄貴の微笑みよ、ありがとうサニー、兄貴のその優雅なきらめきよ、ありがとう兄貴は僕の燃える火の発火材僕も兄貴みたいになりたいんだ兄貴、本当に愛してるよ *** こうやって改めて読んでみると、なるほどねえ、という感じですね。「昨日大雨」ということは、兄が死んだ翌日にこの曲を書いたのか、あるいは、翌日の気分を曲にしたということなのかもしれません。この曲の持つ魅力が、なんとなく少しわかったような気がします。そして、最終的にそういうものは、歌い手にも聴き手にも伝わるのでしょう。だから200人以上ものシンガーやアーティストがこの作品を録音するわけです。 Sunnyperformed by “Bobby Hebb” Sunny, yesterday my life was filled with rain.Sunny, you smiled at me and really eased the pain.The dark … Continue reading

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The Night The Lights Went Out In New York

大停電。 CNNなどが、今日、ニューヨークで大停電が起こっているニュースを伝えています。前回の大停電は1977年のことでした。26年前のことですね。今回は昼間に停電が起こったので、とりあえず、皆歩いたりして家路についているようです。 停電っていうのは、いまどき起こったら本当に困りますね。こうしてパソコンも使えなくなるし、ネットにもつなげなくなる。地下鉄に乗っていた人たちが閉じ込められているかもしれないそうです。非常用の電気はつくのでしょうか。 停電になったら、テレビが見られなくなりますね。そうなると、電池で聴けるラジオの出番です。 77年、ニューヨークに大停電が起こった後、ディスコグループ、トランプスが曲を出しました。それが「ザ・ナイト・ザ・ライツ・ウエント・アウト」という曲です。軽快なディスコソングです。同じようなタイトルで、ヴィッキー・ローレンスというシンガーの曲があります。「ザ・ナイト・ザ・ライツ・ウエント・アウト・イン・ジョージア」です。これは73年の全米ナンバー・ワン・ソング。まあ、停電ソングというところでしょうか。 ニューヨークのラジオ局は放送を続けているようです。早いところ回復するといいですね。

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It Wasn’t Me Who Said That, Shaggy

視点。 「顔に知性がな~~い、1パーセントも。がはは」 感想第一声がこれかよ。(笑) マキシー・プリーストががんがんに盛り上げたあと登場したシャギーを見ての同行ソウルメートAのセリフ。「でも、それがいいのよねえ~~~。えっ、フォローになってない? ありゃあっ」 1人でボケと突っ込みするな。(苦笑) あるひとつのライヴを見ても、皆見るところ、視点、焦点を絞るところは違います。顔を見る人もいれば、お尻を見る人もいれば、ミュージシャンの手の動きを見る人もいます。声や歌を目をつぶって聴く人もいれば、シンガーの指先だけを見る人もいるでしょう。ライヴには、本当に大量の情報があります。そして、そのどれを入手するかは、行った人間に選択権があります。 もちろん、最大の情報は音楽そのものですが、そこには、ミュージシャンのルックス、着てるものなどのヴィジュアルもあれば、演出上のパフォーマンスや、仕掛けなどもあり、色、空気、匂い、そこにいた観客、会場まですべてがそのライヴを形作る一部です。だから、ライヴのCDとか映像ものは、そのライヴのほんの一部の情報しか捉えていないわけです。 僕なんか、ライヴ行ったらできる限りたくさんの情報を入手しよう、というか、まあ、楽しもうと思うわけですが、一回だけで理解できないほどの大量の情報があるライヴも時としてあるわけです。まあ、見所満載っていうやつでしょうか。そういうのは、見てても楽しいですね。 で、マキシーは何度も見てるので、簡単に触れると、相変わらず元気。のりのり、そして、知ってるおなじみの曲ばかりで、1曲目から観客を立たせ、レゲエパーティーを盛り上げてくれました。しかも、ドラムが叩くリズムはレゲエというより、ポップ、R&B系に近い。 そして、シャギーは最初サングラスをかけてて、ちょっと最近のベイビーフェイス風、マックスウェル風でかっこよかった。で、サングラス取ったら、冒頭の発言が飛び出す始末です。でも、悪い意味じゃないんです。(なんで僕がフォローするんだ) 何も考えずに超楽しめますよ、これは。このライヴ見に来た人はみんな満足して帰るでしょう。 大体ジャマイカでは物事を深く考えたりしません。マキシはちょっと苦労の跡が顔にでているが、シャギーは苦労もなさそう。(マキシはロンドンが長いからだろう)(どういう理屈だ?)  ほんとうにハッピーゴーラッキーで、仲良くなったら絶対楽しそう。悩みなんかぶっとぶに違いない。 暑い国に哲学者は生まれるのだろうか。暑い国で自殺者はいるのか。地球温暖化が進むと、全世界がジャマイカ化するのか。それは果たしていいとこなのか。いいことです。きっと、そうしたら戦争なくなるかも。(なわけないな。アフリカで戦争あるもんなあ) 大ヒット「イット・ウォズント・ミー」は、最高! お笑いレゲエです。「女の子とバスルームでタオル一丁でいたら、彼女がやってきて目を丸くしてる。そうだ、彼女に合鍵渡したの忘れてた。俺じゃない、俺じゃない」っていう浮気現場を目撃された歌。これをシャギーと一緒に歌ったちょっと小柄なシンガー、テヴィン・キャンべルに顔も声も似てた。同行ソウルメートB曰く「あの彼、前来た時は、腕折ってて、包帯でつってたんだよ。直ったんだね」。へえええ~~。(トリヴィア風) Aは顔を見て、Bは腕を見てたわけだ。音楽聴いてるの僕だけか? ってこんなこと、ジャマイカじゃ誰も考えない…。 それにしても「知性がない」なんて言ったのは、僕じゃないよ。It Wasn’t Me! Shaggy! (2003年8月13日水曜ブルーノート東京・ファースト=マキシ・プリースト、シャギー・ライヴ) ENT>MUSIC>LIVE>SHAGGY, PRIEST, MAXI Shaggy feat. Ricardo Ducent – It’s Wasn’t Me=============================================== (Yo man) Yo(Open up man) What do you want man?(My girl just caught me)You … Continue reading

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Luther: Because It Has His Soul In His Song

魂。 こんなメールをいただきました。 「実は、私の友人が最近自分でいろいろな曲を集めたオムニバスのCDを焼いてくれて、そのトップにルーサー・ヴァンドロスの『ダンス・ウィズ・マイ・ファーザー』という曲が入っていました。で、なんどもそのCDを聴いているうちに、なぜかわからないのですが、この曲がものすごく物悲しくせつないなあ、って感じがしてきたんです。 私はこのルーサーというシンガーを知らなかったのですが、そのCDには3曲ルーサーの歌が入っていて、とてもお気に入りになりました。でも、他の2曲(『ザ・クローサー・アイ・ゲット・トゥ・ユー』と『シンス・アイ・ロスト・マイ・ベイビー』)はもちろんいいことはいいんですが、『ダンス…』ほどのせつなさや、悲しさは感じないんです。同じシンガーの歌なのにね。 いつもうちで、比較的大きな音でそのCDをかけていたら、母まで『この曲はせつないわねえ』なんて言いだすんです。もちろん、母はルーサーなんて知らないし、母も私も、それほど歌詞の意味とかはわからないんですが。で、なんでこの曲はこんなにせつないんだろう、ってずっと疑問に思っていたんです。 そうしたらたまたま友人がこのホームページのことを教えてくれて、そこにルーサーのことが詳しく書かれていて、それを読んだら、すべてが超納得いったんです。歌詞を読み、その背景を知って、なるほど、って。それにしても、他の曲には感じない何かってなんなんでしょうね。音楽ってすごいですね。ルーサーのこと、教えていただいてありがとうございます」 すごいですねえ。やはり、ルーサー本人の自分の父、母に対する思いが込められているから、それが結局伝わるんでしょうね。もちろん、ルーサーは歌はうまい。でも、この「ダンス・ウィズ・マイ・ファーザー」には、うまい以上の、ルーサーの思いいれ、魂、ソウルがはいってるんでしょうね。それを感じられる感性というのもすごい。 こういうキャリアソングを、一生に一曲でいいから作れたら、本当にシンガー冥利につきますね。つくづく思います。真の意味で魂が入った曲、これはなかなかめぐりあえません。 ルーサー関連の日記。 4月25日http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200304/diary20030425.html、5月5日http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200305/diary20030505.html、5月15日http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200305/diary20030515.html、5月22日http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200305/diary20030522.html、5月29日http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200305/diary20030529.html、6月13日、http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200306/diary20030613.html6月14日、http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200306/diary20030614.html6月20日、http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200306/diary20030620.html6月21日、http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200306/diary20030621.html ++

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Stand By Me: Friendship Was Developed Without Cell Phone nor Email

友情。 オレゴン州キャッスルロック、人口1281人。物語は、1985年9月4日付けの地元の新聞が座席に置かれた車内から始まる。そこには、ある弁護士が些細な喧嘩の仲裁に入ったことで、喧嘩をしていた連中にナイフで殺されたと書かれていた。その弁護士は、運転席で呆然としている主人公の親友だった。彼は26年前のことを回想し始めた。 1959年、彼らは12歳。その夏休みのことだった。主人公ゴーディーのほか、クリス、テディー、ヴァーンは仲良し4人組。とある高校生が汽車にはねられ死んだという情報をつかんだ彼らは、32キロ先の現場にその死体を見に行くことにする。一泊二日の大冒険が始まった。 ベストセラー作家スティーヴン・キング原作の映画『スタンド・バイ・ミー』(1986年)の冒頭のシーンだ。日曜日のインターFM『ソウル・ブレンズ』(76.1mhz,午後4時から6時)で紹介するために、DVDを借りてきて再度見た。やはり、いい物語だ。 スティーヴン・キングは、1947年9月生まれ。だから、59年には12歳になっている。まあ、正確には59年の夏休みは11歳だが、細かいことは言わないことにしよう。(笑) 彼の自伝的物語である。映画は、少年の頃から物語を書くのが好きだったゴーディーが回想するスタイルで進んでいく。ただ小説はクリスの回想で話は進む。 冒険の途中でゴーディーが、大食い競争の話を友達に聞かせるところで、彼らから「そのエンディングじゃつまらないよ」という意見がでてくる。ゴーディー(すなわちスティーヴン・キング)はきょとんとするが、ひょっとしたらこのあたりで、ゴーディーは、ストーリーの組み立て方のちょっとしたコツを学んだのかもしれない。 そして、12歳の彼が書くストーリーに両親はまったく気にもとめないが、兄貴だけはちゃんと読んで「おもしろかったぜ」と感想を言ってくれる。その兄は弟思いで、兄が大事にしていたニューヨーク・ヤンキーズの帽子を釣りに行く弟にくれる。ところが両親の関心は優秀な兄にばかりいく。 舞台は本当に小さな街、そこでは、誰もが誰もを知っていて、秘密などない。たぶんこの街に生まれた人のほとんどは、一生をこの街か近くのもう少し大きな街で過ごして終わるのだろう。彼らにとっては、その街をでるということがものすごく大きな意味を持つ。そして、12歳の少年にとっても、この冒険はそんな街を初めて出るというところに意義があるのだ。 この小さな冒険の途中で、4人それぞれが持つ悩みが明かされる。危険を伴う冒険を共有することによって深まっていく4人の友情の絆。最後、その後の3人のことが少し語られ、85年に戻ったところで、作家になったゴーディーは、ワープロに向かってエンディングを打つ。「あの時のような友達を持つことは、二度とできないだろう」 画面がフェードアウトして流れ出てくる曲が、ベン・E・キングの「スタンド・バイ・ミー」。元々は恋人である君が横にいてくれれば、どれほど心強いかというラヴソングだが、ここでは、友人たち、親友たちが横にいてくれればどれほど素敵かという普遍的な友情ソングになっている。まさにこの映画のテーマに完璧な一曲だ。     *** 「スタンド・バイ・ミー」 闇が訪れ、地が漆黒になるとき、月明かりだけが唯一の頼りそんなときでも、君が傍らにいてくれれば、何も怖くはない ダーリン、僕の横にいておくれ 万一見上げる星空が落ちてきて、山が海の中に沈んでしまっても君が傍らにいてくれさえすれば、僕は絶対に泣かない ダーリン、僕の横にいておくれ 君に何か嫌なことでもあったら、いつでも僕の横においでよ僕のとなりにおいで     *** この物語の後に、この曲が流れてきては、涙を抑えるのに苦労する人も多いだろう。原作者のスティーヴン・キングでさえ、映画を見て泣いたという逸話があるのもうなずける。こんなに物語と曲のテーマが一致する例というのも珍しい。しかも、既存曲でありながら。サウンドトラックがゴールドディスクになるのも納得だ。 昔の歌詞はシンプルだ。昔のメロディーもシンプルだ。そして、昔の生活もシンプルだった。携帯がなくても、電子メールがなくても、厚い友情は、培われた。 ENTERTAINMENT>MOVIE>STAND BY ME *** STAND BY MEBen E King(Ben E. King/Jerry Leiber/Mike Stoller) When the night has comeAnd the land is darkAnd … Continue reading

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Gregory Hines Dies at 57

グレゴリー・ハインズ癌で死去. タップダンサーとして人気の高かったグレゴリー・ハインズが9日(土曜日)、ロスアンジェルスの病院で癌のために死去した。57歳だった。 ハインズは、1992年、ミュージカル『ジェリーズ・ラスト・ジャム』でトニー賞を獲得している。ハインズは、もともと兄とともに二人組のダンスデュオとして売り出し、78年、映画『ユービー』で一躍脚光を集めた。さらに、ブロードウェイの『ソフィスティケーテッド・レイディー』、さらに84年、映画『コットン・クラブ』などで人気を決定づけている。 85年、ロシアのダンサー、ミハエル・バリシニコフと共演した映画『ホワイト・ナイツ』では俳優としても注目された。 グレゴリー・ハインズは、1946年2月14日ニューヨーク生まれ。母親が兄と彼にタップダンスをするように強く勧めたという。それは、ダンスで成功し、一家でゲットーを抜け出したいと考えたからだ。グレゴリーが5歳のときから踊りだし、6歳のときには、アポロ劇場に2週間連続で出場し、8歳でブロードウェイ・ミュージカルに出演した。十代の頃は、「ハインズ・ハインズ・アンド・ダッド」というグループ名で、兄弟二人と父でステージを見せていた。 +++++ 粋。 今、今日の日記を書こうとしたら、グレゴリー・ハインズ死去のニュースが飛び込んできたので、急遽、彼について書くことにした。 グレゴリー・ハインズで僕がまずよく覚えているのが、85年の映画『ホワイト・ナイツ』http://www.stingray-jp.com/allcinema/prog/show_c.php3?num_c=00021781だ。ライオネル・リッチーが歌うテーマ曲「セイ・ユー、セイ・ミー」の歌声とともに大ヒットした映画である。アメリカに亡命したロシア人ダンサー(バリシニコフ)が、飛行機の不慮の事故でロシア領内に不時着することによって始まる手に汗握る物語で、二人のダンサーの友情が徐々に芽生えていくところなどが、なかなかいい作品だった。 その後86年、彼はルーサー・ヴァンドロスとデュエット曲「ゼアリズ・ナッシング・ベター・ザン・ラヴ」を録音する。これは、ブラックチャートでナンバーワンを記録。初めてグレゴリーの歌を聞いた。意外といい声で、ルーサーとの相性もよかった。二人とも生粋のニューヨーカー。 そして、90年代に入ってグレゴリー・ハインズが来日して、その公演を渋谷のパルコシアターで見た。パルコシアターは小さくて、あの時は前から何番目かのけっこういい席だった。その目の前であのグレゴリーがタップダンスを踊る。生のタップダンスを見たのはあの時が初めてだった。圧倒された。真っ暗な広いステージに彼だけがぽつりと立っている。そこに一本のスポットライトがあたっている。そしておもむろに踊りだす。 最初、どうしてあんなにかっこいい音が出るのか不思議だったが、床にマイクが仕込んであると後から聞いて納得した。タップを踊る靴、タップシューズが時々照明に当たって、その反射した光が一瞬僕の目に入った。グレゴリーのタップは、「粋」そのものだった。つまり、まったくなんら難しそうになく、軽くタップをやってしまうのだ。優雅で洗練されていた。たかがタップだけで、これだけ人の目を惹きつけることのすごさを思い知らされた。 今年見た『ブリング・ダ・ノイズ』http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200303/diary20030322.htmlでも、かなり圧倒されたが、その出演者たちも、グレゴリーにはリスペクトの気持ちを表していた。 今、ルーサーとのデュエット曲を聴いている。そして、ライオネルの「セイ・ユー、セイ・ミー」を聴いて、彼に追悼の意を表しよう。 今日書こうと思った、映画「スタンド・バイ・ミー」の話、シンガー、AI(アイ)の話はまた明日以降に。 ENT>OBITUARY>HINES, GREGORY +++++ Gregory Hines, Tony Award Winner, Dies at 57By THE ASSOCIATED PRESS Filed at Aug 10, 2003 12:32 p.m. ET(Aug 11, 1:32 a.m. … Continue reading

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Saya: She’s No Chicken, She’s Great Chick

チキン。 「ヘイ、ユーアー・チキン」といえば、「おまえ、弱虫!」っていう感じですが、ジェームス・ブラウン・ファンにとって「チキン」といえば、彼のインストゥルメンタル曲「チキン」ですね。シングルとしては69年5月にでた同じくインスト曲「ザ・ポップコーン」のB面に収録されていました。その後、ジャコ・パストリアスがカヴァーしたりして、隠れた人気曲になっています。 で、この曲、南部のミュージシャンたちは誰でもプレイするそうです。ちょっとしたリハーサルや遊びのセッションで「軽く調整」するときなんかにみんなで演奏するというわけです。つまり、みんな誰もが知っていて、しかも、のりがいいから、いい練習曲になるんですね。 ところが、ウエストコーストのミュージシャンとかは、意外とこの曲をやらないらしい。というような話を教えてくれたのが、ニューオーリンズのファンクバンド、ネヴィル・ブラザースのキーボード奏者としてツアーにでていたサヤ(Saya)です。そして、彼女はこの「チキン」を堂々と自分でも演奏します。 彼女の日本での1作目『ダンス・ユア・ハート』(2001年7月)に、その「チキン」は収録されています。初めて聴いたときには、かなりびっくりしました。なかなかこのグルーヴをピアノで表現するのはむずかしいのですが、よくやっています。 ちょうど、日本での3作目『ビューティフル・デイ』の新作発売と関連したツアーの最終日が渋谷JZ Brat(ジェイジー・ブラット)で行われました。そのセカンドショウの最後の曲が「チキン」だった。アコースティックのベース奏者(魚谷のぶまさ)のベースののりもいい感じ。っていうか、この「チキン」をレパートリーにいれるっていうだけで、拍手ものですよね。いつもだいたいこの曲で彼女はメンバー紹介をします。 ちなみに、アンコールは新作『ビューティフル・デイ』の中で、僕が一番気に入った「モー・ベター・ブルーズ」。なんかいいんだよねえ、これ。あと、新作ではマーヴィン・ゲイの「ホワッツ・ゴーイング・オン」もやっています。これは、エレキ・ピアノで軽いタッチのウエスト・コーストサウンド。ちょうどクルセイダーズあたりのサウンドを軽くしたような感じです。 サヤ、10月再び来日して、横浜モーション・ブルーに10月1日、2日と登場。さらに、関西圏のブルーノートにも登場です。一度、チャンスがあったら、CD聴いてみてください。サヤ本人のサイトで試聴できます。 サヤがチキンかって? ぜんぜんそんなこと、ありません。強いです。(笑)  ちなみに、タイトルChickは、「いい女」の意味です。 (2003年8月8日渋谷ジェイジーブラット、セカンドショウ=サヤ・ライヴ) サヤのオフィシャルサイト http://www.saya.com/ モーションブルーのサイト http://www.motionblue.co.jp/schedule/index.html ENT>MUSIC>LIVE>Saya

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ジェームス・ブラウン自伝・文庫で9月発売(速報)

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Brother Ray Cancels Concerts First In 53 Years

レイ・チャールズ、53年のライヴ人生で初めてツアーをキャンセル 生涯初。 ヴェテラン・ソウル・シンガー、レイ・チャールズがプロとして歌いだし53年のキャリアの中で初めて体調不良のためにコンサート・ツアーをキャンセルした。チャールズは7月29日のヴァージニア州アレキサンドリアで行われたショウを最後に、以後のツアーを約2週間分キャンセルしていたが、そのキャンセルが今年いっぱいまで続くことになった。彼は急性の股関節障害がでてその治療をしている。 「本当に残念で心が痛む。私の人生は、ツアーをし、パフォーマンスを見せるためのものだったから。それが私がすべきことだからだ。だが、医師がしばらくは休息し、治療に専念しなさいと言うので、それに従うことにした」という声明を発表した。 現在72歳のレイ・チャールズは、過去53年間のライヴ人生でツアーをキャンセルしたことは一度もなかった。去る5月には通算10000万回目のショウを行っていた。 医師は休むよう言っているが、レイは事務的な仕事は依然こなしている、という。 +++ 基本。 ソウル・ミュージックの誕生を語るときにはずせないのが、レイ・チャールズ。たまたま出向いたソウル・バー、ミッドナイト・アワーでレイ・チャールズの作品が何曲かかかった。 そんな中に『星空』という1965年の映画のサントラがあった。原題は『バラード・イン・ブルー』。そこにあったのは、なんと日本盤でその解説を読むと、映画がおもしろそうなのだ。アルバムとしてはそれまでのレイのヒット曲などがけっこう入っていて、映画と関係なくとも、ベストアルバムの一枚としても捉えられる一作。 映画の内容は、レイ・チャールズがロンドン公演に出向いたとき、そこでつい最近盲目になってしまった少年と仲良くなる。レイはパリの眼科専門の先生を紹介する。少年に目が見えるようになるための手術をしてもらうよう、取り計らう。手術の成功率は100分の1。親は反対するが、周囲の説得もあって、その手術を受けることになるのだが・・・。というもの。 そのライナーノーツには、当然ストーリーは途中までしか書いていない。で、それを読んでいたらなかなかいい話そうに思えて、先が知りたくなってしまったほどだった。だが、その映画、今ビデオで入手可能なのかどうか、わからない。さっと見たところ、やはり現状、日本では無理のようだ。あとは、アメリカからVHSでも取り寄せるという手くらいしかない。 レイのヒット曲を聴いていると、本当に「ソウルの基本」という感じがしてくる。改めて例のボックスセットでも聴いてみるとしますか。 それと、早く元気になって欲しいところです。 Edited By Jonathan Cohen. August 06, 2003, 11:00 AM ET Charles Cancels All 2003 Tour Dates Aggressive treatment for acute hip discomfort has led Ray Charles … Continue reading

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Kip Hanrahan’s Conjure: It’s Soooooo New York

魔術師。 前回ブルーノートで見たのは2001年5月なので、2年以上前のことになる。そのときは多数のパーカッション奏者を並べた非常にユニークな実験的な演奏だったのでよく覚えている。それがキップ・ハンラハンの「ディープルンバ」の公演だった。 今回はキップ・ハンラハンの「コンジュアー」としての公演。キップは、言ってみればバンドマスターで、様々なメンバーを集めて、違うユニットを組む。これもそのひとつということになる。 「コンジュア」とは、まじない、魔法、呪文といったような意味。「コンジュラー」は、まじないをする人、魔術師、といった意味になる。 キップ・ハンラハンという人物はものすごく異端だ。今回のこのユニットの最大の目玉は「ポエトリー・リーディング」、つまり詩の朗読だ。先鋭的な黒人詩人、イシュメール・リードの詩作の朗読に、音楽をつけたりしている。 ブルーノートの階段を降りていくと、すでにライヴはスタートしていて、誰かが歌っているのが聴こえた。ヴォーカルがいるとは思っていなかったので、少し驚いた。そして、まもなくリードの詩の朗読が始まった。音楽をバックに読む。 「戦争という状況の中では、そんなことが起こる・・・」というサビが何度も繰り返され、戦争が起こるときの悲惨な例が次々と紹介される。すべてを聞き取ることはできなかったが、なにかを言ったあと、ヴォーカルのアルヴィン・ヤングブラッドが「戦争という状況の中では、そんなことが起こる・・・」というセリフを繰り返しているのが非常に印象に残った。まさにコール&レスポンスの世界だ。 これを聴きながら、以前ニューヨークのカフェかどこかで体験したポエトリー・リーディングを思い出した。まさに、Sooooo New Yorkな空気がぷんぷんしていた。しかも、アップタウンではなく、ダウンタウンのヴィレッジあたりのヒッピー、モッズ風のカフェだ。ニューヨークのポエトリー・リーディングの会って、聴いてる人は聴いているけど、聴いてない人は自分たちで勝手にしゃべってるので、けっこう騒々しい。もちろん、シーンとしてるのもあるのかもしれないが。 英語の詩は、たぶん、かなりわかりにくいと思うが、一遍日本語の詩を作って読んでいた。それが「アザブ・カフェ」というタイトルの詩だ。「麻布喫茶店、毎晩ここに座る。ゴハンは、タバコ。水はウイスキー。(あなたに)手紙を書きます」 これを英語、日本語で繰り返す。最初日本語がよくわからなかったが、何度か繰り返されるうちに意味がわかった。全体的には、非常にカルチャー的におもしろいライヴだった。でも、きっと、来ているお客さんの8割は、なんなんだろう、これは、と思っていたのではないだろうか。なんとなく、キップ・ハンラハンを見にきたというより、ブルーノートにやってきました、という人が多かったのではないだろうか。(笑)  逆にいえば、なかなか滅多に見られないソ~~~・ニューヨークのキップ・ハンラハンのライヴを東京で見られるのだから、ラッキーだ。コンジュアー、まさに、呪文、魔術。そのグループ名が音楽を表していた。 ライヴが終わったあと、ヴァイオリン奏者のビリー・バングという人物がたまたま近くに来てはなすことになった。「日本に初めて来たのは81年。キップとは昔からの知り合いだ。彼はオレと同じブロンクス生まれだからね。日本には3-4回目かな。ヨコハマ知ってるぞ。ヨコハマギンバエ知ってるんだ」  なぜ横浜の話になったか、思い出せないが、まあ、とにかく横浜の話になった。「な、な、なんで横浜銀蝿なんて知ってるの?」と尋ねると、そのいきさつをこう説明してくれた。「初めて来日したとき、なぜかどこかでスーツケースがなくなってしまったんだ。で、着るものなんかなくなって途方にくれていたんだが、みんながいろんなTシャツとかをたくさんくれたんだよ。そんな中に、一枚のTシャツがあって、気に入って着ていた。そこに書かれていたのが、ヨコハマギンバエって字だったんだよ。日本のロックンロール・グループなんだろ。聴いたことはないんだけどね。(笑) ギンバエってどういう意味なんだ?」 「シルヴァー(銀)・フライ(蝿)かな。ぶ~~ん、て飛ぶような」 「ほんとか?」 「ほんとだよ。で、あなたはいつもヴァイオリンを弾いてるの」と尋ねると、一言「サムタイムス(時々な)」(笑)。「サムタイムスかあ。ははは」 「彼はミスター・サカイ、彼はシンガーなんだ。彼のグループは、100万枚も日本でCDが売れるんだよ」 「ワオ! それじゃ、オレは彼のグループでプレイしなきゃ。(笑)。グループの名前はなんていうんだ?」 「ゴスペラーズっていうんだよ」 「何だって? オレは歌ってたよ、子どもの頃」 「いや、そうじゃなくて、彼のグループの名前がゴスペラーズっていうんだ」 ビリーはものすごく驚いた顔を見せて、「なんでそんな名前をつけたんだ?」 「僕たちゴスペルが大好きで、テイク6というグループが大好きだったからんなんですよ」とミスター・サカイが答える。 「へえ、君の音楽は今、もってないのかい?」 「今は、ないなあ」 「じゃあ、ぜひ送ってくれ」と言って彼が名刺を出してきた。 そして、話はポエトリー・リーディングになり、「君は、こういうのに興味があるのか」とビリーが尋ねてくる。「あるよ。でも、よくわからないんだ。英語だから。(笑)。しかし、今日のライヴはものすごくニューヨークを思わせたよ」 ミスター・サカイも言う。「僕も、そう思った」 僕が続けた。「しかも、1969年くらいのニューヨークのヴィレッジって感じだ」「ははは、それは、おもしろいな。そう思ったか」 「ちょうど、ブラックパワーの頃、セイ・イット・ラウド、アイム・ブラック・アンド・アイム・プラウドの頃を思わせたよ」 「あんた、おもしろいな。ははは、ジェームス・ブラウンだな。じゃあ、アミリ・バラカって知ってるか。彼はこの前の911の事件についての詩を書いたんだが、ユダヤ人たちからものすごく反発をくらってるんだよ。ああ、このアミリは、昔リロイ・ジョーンズっていう名前だった男だよ。みんな、ムスリムで名前を変えるんだ」 「カシアス・クレイがモハメド・アリになったみたいに?」 「そうだ、そうだ」といいながら、彼がなぜヴァイオリン奏者になったのか話始めた。 とにかくこのビリー、よくしゃべる。年の頃、40代後半か50代前半のアフリカン・アメリカンと思って調べたら、1947年9月20日アラバマ州モービル生まれ。55歳だ。昭和22年生まれ、いのしし年です。 つい先月はカナダのモントリオール・ジャズ・フェスティヴァルに出演してきた、という。「生まれはモービル・アラバマだけど、すぐにニューヨークに移り住んだ。オレの名前はもともとビリー・ウォーカーだったんだけど、政府がオレのウォーカーって名前をどこかに捨ててきやがってな。オレのパスポートにはウォーカーって名前がないのさ。オレは昔はバイオリンなんて、大嫌いだった。だってとても男がやるようなものじゃないだろう。途中でパーカッションをやったこともあるんだ。子どもの頃はゴスペルだな」  このあたりで、スタッフが彼らミュージシャンたちを呼びにきた。帰りのバスの用意ができたのだ。「そうかあ、もう、行かなきゃならんのだ。オレたちは、この話の続きをせにゃあかんなあ。今週、また来ないのか。あるいは、ホテルのほうに来て貰ってもいいぞ。お茶でもしながら話をしよう。we should finish this conversation」 何がなんだかわからないうちに、というか、嵐が去るようにビリーは出て行った。で、なんで、彼はヴァイオリンを弾いているのか。その話は、トゥ・ビー・コンティニュードだ。あああ。謎はそのまま残った。Mystery still remains…  ニュー・エディションはアップタウンのアポロ劇場から、そして、このハンラハンはダウンタウン・ヴィレッジのカフェ。この日は一日でニューヨークのアップタウンとダウンタウンを経験してしまった。 (2003年8月6日水曜・東京ブルーノート・セカンド=キップ・ハンラハンズ・コンジュア) ENT>MUSIC>LIVE>HANRAHAN’S, KIP, “CONJURE”

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Latest Edition of New Edition Live Report

全身全霊。 ニュー・エディション、二日目。前日よりお客さんの数が多い。7時24分、真っ暗になったステージにバンドメンバー4名が登場。白いスーツを着た5人がまもなくステージに現れ、マイクを握る。一曲目の「N.E.ハートブレイク」ですでに会場から「ジョニー! ジョニー!」の掛け声がかかる。会場が熱気にあふれている。「ボーイズ・トゥ・メン」ではすでに前面にジョニー・ギルがでて歌う。 レコーディングのスケジュールがうまくあき、突然来られることになったゴスペラーズの黒沢氏、始まる前から「ジョニー、何歌うの? はやくジョニー、見たいなあ」と、すっかりジョニー熱にうなされていたが、会場の多くの人も同じだったようだ。なぜか「ラルフ~~~」の声はかからないが、「ジョニー、ジョニー」の掛け声はあちこちでかかる。恐るべし、ジョニー人気。 「ハードコアなニュー・エディション・ファンにお送りしよう」と言って歌い始めたのが、83年彼らの初ヒット「キャンディ・ガール」から始まるヒットメドレー。「ミスター・テレフォン・マン」「クール・イット・ナウ」など、83年から85年にかけての大ヒットが次々と飛び出す。当時を知る人にとっては、もうたまらない怒涛の選曲だ。 「ロスト・イン・ラヴ」はジョニーがリードを取るが、”stay with me tonight”のトゥナイトというところを、ジョニーはあのジョニー節で伸ばす。もうそれだけで、会場がジョニーのものになる。観客の手渡すハンカチで汗をぬぐい、それをまた返すというサーヴィスも忘れない。 基本的にはラルフがソロ・リードを取ることが多いが、BBDの3人、ジョニーにもしっかり出番がある。「イズ・ディス・ジ・エンド」は、舞台右手で椅子のうえに4人が座り、その前にラルフがひざまずいて歌う。ティーン(当時)の失恋ソングをこうやってサーティー(30代)になっても歌えるというあたりが、ラヴソングの普遍性か。もっとも恋や愛に10代も20代もないが。70超えて父親になる役者もいるわけだから。 ニュー・エディション・メドレーが終わると、ロニーが一人ひとりメンバー紹介して、ジョニーのパートへ。「ラブ・ユー・ザ・ライト・ウェイ」でいきなり全開モード。ジョニーの歌いっぷりはいつものことながら、なんでまた、あんなに弾けているのだろう。全身全霊で、自分が出せる最大の声と、自分が動かせる最大の体の動きを見せる。どちらも自分のマックスで勝負という感じで、余裕を持ってなんてことはしない。一言で言えば、熱い。 「ラブ・ユー・・・」が終わると、「さあ、どうだ」と言わんばかりに、両手を広げる。う~~ん、まさに「ジョニー・ウィズ・アティテュード(Johnny with attitude)」。しばし拍手の嵐が続き、その中で次の曲のイントロが始まる。イントロだけで、観客はその曲を知る。お待ちかねの「マイ・マイ・マイ」だ。こんなスローバラードなのに、めちゃくちゃ熱い。このライヴでの燃え滾る(たぎる)ジョニーを見ると、レコーディングのとき、どうやってその欲情を抑えていたのだろうかとふと疑問に思う。 そして、今度はベル・ビヴ・デヴォーの時間。「ドゥ・ミー」「ポイズン」・・・。「ドゥ・ミー」はそんなに今回はいやらしさを感じさせなかった。リッキーのソロで「スマイル・アゲイン」(BBDのCD『ポイズン』収録)、さらに続いてはラルフのソロ「センシティヴィティー」へ。この間ジョニーは、後ろでギターを弾いている。まあ、シンガー多数いれど、あのジョニー・ギルをバックコーラスやバックのギターで使うことができるグループはこのニュー・エディションだけだ。 彼らの振り付け(コレオグラフィー)には、大変感心した。どの曲にも徹底して振り付けが決まっている。どの曲もなかなかだったが、最後から一曲前の「イフ・イット・イズント・ラヴ」の振り付けは、最高だ。何度も見たくなる、やりたくなるような、振り付けで、実によくできている。こうした決まった振り付けで満たされた保守本流のR&Bライヴをみていると、いつしか渋谷のAXがニューヨーク125丁目のアポロシアターになったかのような錯覚に陥る。 ライヴ終了後、黒沢氏、酒井氏らと楽屋におもむく。汗を拭き、着替えてやってきたメンバーの中で、ジョニーはちょっと小柄。頭にターバンのようなものを巻いてサングラスをしていたので、最初ちょっとわからなかった。楽屋には昨日も来ていたFM『ソウル・トレイン』のリュウ夫妻もまた来てた。「優子がこんなにきれいなアルバム、持ってるんで、サインもらうんだ」と2枚のアルバムを見せてくれた。確かに、ジャケットは傷もなくきれい。中古レコードのレーティングで言えば、「ミント・コンディション」だ。 黒沢氏がジョニーに言う。「大ファンで、あなたの歌もラジオの番組で歌いました」 ジョニー。「おおお、それはありがとう」 そして、サインをもらう。もってきたCDは、88年の『ハートブレイク』。ライヴのオープニングで歌われた「N.E.ハートブレイク」「イフ・イット・イズント・ラヴ」なども収録されているアルバムだ。「ほら、これ、(ボビーが抜けて)ジョニーがリードになった作品だから。完璧でしょ」と解説。とはいうもののちょっと上がり気味か。 石島さんは、ジョニーに「3G」のグループの謎を尋ねている。結局、この「3G」はジョニー・ギルではないと言われたらしい。酒井氏はその間もにこにこしている。みんなでジョニー、ラルフと写真をとったあたりで、メンバーはもう帰るというので、他の3人とゆっくりしゃべることもできずに解散となってしまった。ジョニーに、いつからギターを弾き出したのか聞くのを忘れた。 前日より、曲目は同じなのにショウは10分も長く、のりもよかった。「昨日は、昨日着いたばかりのメンバーもいたんで、やっぱり疲れてたんじゃないでしょうか」と、スタッフの人が言った。とはいうものの、やっぱりこういう保守本流のR&Bヴォーカル・グループは、いい。 (2003年8月6日水曜・渋谷AX=ニュー・エディション・ライヴ) ENT>MUSIC>LIVE>NEW EDITION

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New Edition Live At AX

保守本流。 淡いブルー系のスーツに身を包んだ5人がステージに登場すると、いきなりそこには光が広がった。5人組R&Bヴォーカル・グループ、ニュー・エディションの初来日コンサート。メンバーは、ジョニー・ギル、ラルフ・トレスヴァント、リッキー・ベル、マイケル・ビヴィンズ、ロニー・デヴォー。 彼らは、これまでに日本でもジョニー、ラルフはそれぞれソロ・ライヴを行ったことがあり、また、後者3人もベル・ビヴ・デヴォーとしてライヴをやっている。しかし、彼らがまとまって登場するのは今度が初めてということになる。おしむらくは、もうひとりのリード・シンガー、ボビー・ブラウンが一緒に来日すれば、という感じはある。 しかし、全体的には典型的なR&Bヴォーカル・グループの系譜をしっかりと歩んできた姿を見せてくれた。たとえば、そこにはテンプテーションズの粋があり、ジャクソン・ファイヴの香りが漂い、マンハッタンズの洗練がにじみ出ていた。一番感心したのは、かなり多くの曲にしっかりした振り付け(コレオグラフィー)がなされているという点。70年代風というか、一昔前風という感じはするのだが、いかにもヴォーカル・グループはこう踊るんです、という保守本流を行っている。この踊り、振り付けはなんと言っても最高だ。 全体的な構成は、最近のニュー・エディションのヒット、初期のヒット、ジョニーのソロ、ラルフのソロ、ベル・ビヴ・デヴォーとしてのパート、といったところで、さすがにボビー・ブラウンのソロ・ヒット・パートはなかったが、まあ、だいたいのところはすべて網羅した感じ。 おもしろいことに、10数年前のあのニュー・ジャック・スゥイング系のヒットが歌われると、時代が古く感じられる。さすがに、あれほどの大ブームだと、ある時期に特化して記憶が焼き付けられるのだろう。 選曲はヒット曲を網羅しているのでファンにとってはだいたいいいと思うが、個人的には彼ら自身もヒットさせた「アース・エンジェル」「ティアーズ・オン・マイ・ピロウ」あたりのドゥワップ・ソングをさりげなくいれて欲しかった。 さて、一番個人的に盛り上がったのは、ジョニー・ギルのソロパート。「マイ・マイ・マイ」を約10分に渡り、赤いバラを配りながら歌った。驚いたのは、彼が途中でギターを持ってそれを弾いたところ。前回の時もこんなシーンはあったっけ。覚えてない。いつからギター弾くようになったんだろう。サビの「マイ、マイ、マイ・・・」というところは、観客が大合唱する。こういうのは気持ちいいだろうな。 やはり、ジョニーとラルフがシンガーとしては一歩抜き出ている感じ。観客層はちょっと年齢層高く、いかにも10年前ニュー・ジャック・スゥイングで踊り倒しました風の人も多かったように思える。ただし、急な来日ということもあり、客の入りは半分より少々多い程度でした。ちょっとかつて、BBDやラルフの単独ショウを見た今は亡き有明MZAのすきすきライヴを思い出した。大雨の中出向いた1時間31分のライヴ、外に出ると雨は小ぶりになっていた。 (2003年8月5日火曜・渋谷AX=ニュー・エディション・ライヴ) ENT>MUSIC>LIVE>NEW EDITION

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Greatest Mystery Of All: Why Two Versions?

謎。 「グレイテスト・ラヴ・オブ・オール」、そんな昔から2ヴァージョンあったんですか。知りませんでした。いやあ、びっくり。本BBSでもおなじみの守島さんが運営なさっているNHK「ソウル・ミュージック」のBBShttp://beam.to/soulmusicで、ホイットニーのファーストアルバムについての話題がでていて、そこで知りました。 アメリカ盤のデビュー・アルバム『ホイットニー』http://www.allmusic.com/cg/amg.dll?p=amg&uid=CASS80305190557&sql=Amzaqoarabijzのジャケットはオレンジ色を基調とした髪の毛も非常に短いかなりエキゾチックなホイットニーの顔のアップの写真が使われています。日本盤は、海辺の水着を着たホイットニーの姿になっています。 当時ジャケットを変えたのは、アメリカ盤がかなりエキゾチックで日本人受けしそうにない、というためだと担当のディレクターから聞きました。 僕はずっとこの日本盤しか聴いていなかったので、その「グレイテスト・ラヴ・・・」に2ヴァージョンあるとは夢にも思っていませんでした。日本盤の同曲はイントロがアコースティック・ピアノで弾かれ、アメリカ盤はエレキピアノで弾かれているとの指摘でした。確かに日本盤はアコースティックピアノです。輸入盤(アメリカ盤)もどこかにあるんですが、ちょっと探したところ見当たりませんでした。 もっとも、2000年5月にホイットニーの『グレイテスト・ヒッツ』というCD2枚組がでましたが、このときの「グレイテスト・・・」のイントロがエレキピアノなんで、ちょっと「あれ?」と思ったんです。なんか音違うなあ、などと思ったのですが、リマスターかリミックスでもしたのか、くらいにしかあんまり気にもとめなかったんですね。この『グレイテスト・ヒッツ』用にね。 しかし今回改めて聞くと、当初の日本盤ヴァイナルはアコースティックピアノです。で、その『グレイテスト・ヒッツ』のははっきりエレピ。録音が違う。イントロの長さも違う。でもヴォーカルは同じです。 でも、よく考えるとちょっとおかしいですよねえ。なんでアメリカ盤がエレキピアノヴァージョンに差し変わってるのでしょう。謎です。最初に出たのがエレキピアノヴァージョンで、日本盤が後から出たときに、アコースティックヴァージョンに差し替えられた。となると、話のつじつまが合わない。これはありえなさそうです。 こう考えられるのではないでしょうか。最初は、アメリカも日本もアコースティックヴァージョンだった。あるいは最初にマスターが日本に来たときにはアコースティックだった。しかし、後に、アメリカでこれをシングルカットするときかなにかに、エレキピアノヴァージョンを録音しなおした。それをアルバムにいれたか、あるいはシングルとしてリリース。アルバムのほうも、それに差し替えた。しかし、日本盤はもうすでに、旧ヴァージョンでプレスが進んでいたので、差し替えることなく昔のままのヴァージョンが残った。そして、アメリカ盤はエレキヴァージョン、日本盤にはアコースティックヴァージョンが残った。 もし仮にこうだとすると、アメリカの初期のプレスにはアコースティックヴァージョンが残っていることになりますね。そうなるとこれは、超レアものになります。一挙にヴァリューがあがるんじゃないでしょうか。しかしジャケットだけからでは初期のプレスかどうかなんてわからない。それとも最初のプレスからエレキピアノだったのでしょうか。 この「グレイテスト・ラヴ・オブ・オール」にはもうひとつ謎というかミステリーがあります。それは、ホイットニーの最初のヒット「ユー・ギヴ・グッド・ラヴ(そよ風の贈りもの)」のシングルのB面に収録されているのです。そして、それからおよそ1年後の86年3月、この曲はこんどはA面扱いで、改めてシングル「グレイテスト・ラヴ・オブ・オール」としてリリースされるのです。このときのシングル盤を持っているかというと、持ってないような気がします。これらのシングル・ヴァージョンはどっちなのでしょう。最初のB面のがアコースティックで、86年に出たシングルがエレピだったりするのでしょうか。これは両方ともシングルを聴いてみたい。 もっとも、当初「グレイテスト・・・」がシングルのB面になったのは、彼女がこれほどまでのスーパースターになるとは予想できなかったためなのです。この曲をシングルにする予定はなかったのです。しかし次々ヒットをだし、アルバムからできるだけ多くのシングルを切りたいと考えたとき、後になってこの曲はいいので、B面で一度使っていたものの改めてシングルカットしたわけです。 アルバム自体はアメリカ盤は85年2月14日発売、日本盤は4月1日発売でした。 ホイットニーのマニアの人たちは、このことを知っているんでしょうか。この謎の答をおもちの方はぜひ教えてください。 早急にどこかに埋もれているアメリカ盤を探さないことには、気になって夜も寝れなくなります。(笑) 

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Whitney Will Turn 40

誕生日。 今日のWBLSの「サンデイ・クラシック」(107.5Mhz-New York=http://www.wbls.com/)では、さかんにホイットニー・ヒューストンがかかっている。と思ったら、そう、ホイットニーは8月9日が誕生日なんですね。ちなみに生まれは1963年、昭和で言えば38年、ということはウサギ年です。 ホイットニーはデビュー前から注目されてました。83年、ポール・ジャバラ(今は亡き)のアルバムで、一曲「エターナティー」という曲をフィーチャード・シンガーとして歌うんですが、これがけっこういい曲でした。そのポールのライナーを書いたので、よく覚えてるんです。そのあと、当時の先鋭的なジャズ・ファンク・グループ、マテリアルでも一曲歌ってました。そして、翌年84年、テディー・ペンダグラスとのデュエット「ホールド・ミー」のヒットです。 84年7月に彼女に会いました。デビュー前です。ニューヨークのお隣コネチカット州にあるプロデューサー、カシーフの家に遊びに行ったときにたまたま彼女が来てたんですね。そのとき彼女が「私、日本に行ったことあるのよ。なにかの音楽祭で母親について」というのでびっくりしました。それが、ヤマハの音楽祭ですね。シシーのバックで、当時16歳のホイットニーが来ていたわけです。 この時期になると、アメリカの業界内ではかなり話題になってましたね。そして、85年2月、満を持してデビューですね。これは衝撃的でした。だけど、日本ではぜんぜん注目されなかったんですよ。日本盤が85年5月くらいにでたのかな。発売当初は。確か、デビュー・アルバムの初回出荷は2000枚程度だったはずです。 その日本盤のジャケットは、アメリカ盤と違っています。84年暮れに日本の雑誌マリークレールがいち早く現地取材をしたのですが、そのときに撮影した水着の写真をジャケットにしました。この頃、よくアメリカ盤ジャケットと日本盤のそれを変更することがありましたから、その流れですね。アメリカ盤のがホイットニーの顔のアップであんまり日本人受けしないと思ったのでしょう。 最初のシングル「ユー・ギヴ・グッド・ラヴ」は、日本ではぜんぜん話題にならず、そして、続く「セイヴィング・オール・マイ・ラヴ」がアメリカで大ヒットしたあたりから火が徐々につき始めました。そして、「ハウ・ウィル・アイ・ノウ」、「グレイテスト・ラヴ・オブ・オール」で完全に大ブレイクですね。 その後は、もはや歴史です。85年夏、ホイットニーのライヴをニューヘヴンだったかで見ました。ジェフリー・オズボーンの前座でした。短かったですが、まあ、よかったです。その後、ライヴ・ショウはどんどんよくなっていきますね。先の「エタニティー」という曲、彼女の初来日時にはステージで歌っていました。 ちょっと最近のホイットニーは、見るのが辛いですねえ。先日ドラッグから立ち直ったっていう告白をしたそうですが、はやく元気のいいディーヴァに戻って欲しいものです。ホイットニー今年の誕生日で、ちょうど40歳。まだ、40歳なんですからもう一花もふた花も咲かせてください。

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PBS will airing “Soul Comes Home: A Celebration of Stax Records and Memphis Soul Music”

スタックス・オープニング・イヴェントのライヴを放映。 2003年4月30日にメンフィスで行われたスタックス・ミュージアムのオープン記念イヴェントのライヴ模様が、アメリカPBSで8月9日に放送される。正式な番組タイトルは『ソウル・カムズ・ホーム: ア・スタックス・レコーズ・アンド・メンフィス・ソウル・ミュージック』。 出演アーティストは、ソロモン・バーク、アル・グリーン、エディー・フロイド、カーラ・トーマス、マイケル・マクドナルド、レンス・アレン、ジミー・ヴォーン、ウィリアム・ベル、リトル・ミルトン、メヴィス・ステイプルスなど。 PBSでは、この模様を収めたCDとDVDを2004年1月の一般発売に先がけて発売する。番組のエグゼクティヴ・プロデューサー、マーク・クロスビーは、「モータウンを思うとき、人々はデトロイトを連想する。このライヴを見る視聴者にも、同じようにスタックスとメンフィスのつながりを感じてもらえればと思う」という。 クロスビーは、この番組とは別にスタックス・レコードのドキュメンタリー番組も制作中だという。 一方、UPNは、今年7月3日から5日までニューオーリンズのスーパードームで行われた『ザ・2003・エッセンス・ミュージック・フェスティヴァル』の模様を2時間にまとめて放送する。登場アーティストは、アシャンテ、エリカ・バドゥ、フェイス・エヴァンス、ジャヒーム、パティー・ラベール、ジェラルド・リヴァート、LLクールJ、シャカ・カーン、タミア、アッシャー、スティーヴィー・ワンダーなど。放映は9月12日、午後8時(東部時間、西部時間とも)から。 +++ ライヴ。 アメリカで、ソウルファンの気になるライヴ映像があいついで放映される。一本がスタックス・ミュージアムのオープンhttp://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200303/diary20030320.htmlを記念して行われたイヴェントのライヴ、もう一本が今年のエッセンス・ミュージック・フェスティヴァルのライヴだ。http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200305/diary20030517.html どちらも、実際に行けなかったライヴ。これは、映像でいいからはやいところみたいもの。出演アーティストがなかなか気になるところがたくさんでている。後者は、DVDにでもなるのだろうか。 All-Star Music Lineups Drive TV SpecialsSat Aug 2, 8:06 AM ET Add Entertainment – Reuters TV to My Yahoo! By Carla Hay NEW YORK (Billboard) – Superstars and all-star lineups … Continue reading

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Lady Of Soul Award Nomination

候補。 第9回ソウルトレイン・レディー・オブ・ソウル・アワードのノミネートが発表された。これは、ソウルトレイン・ミュージック・アワードから派生した賞。女性シンガー、アーティストだけを対象とする。 ノミネートは次の通り。発表は8月23日、カリフォルニアのパサディナ・シヴィック・オーディトリウムで行われる。ノミネートは9部門。エリカ・バドゥ、インディア・アリーなどのグラミー組もノミネートされている。 The 9th Annual (2003) Soul Train Lady of Soul Awards Nominees 1.Best R&B/Soul Single, Solo “Love Of My Life (An Ode To Hip Hop)” Erykah Badu Featuring Common “Emotional Rollercoaster” Vivian Green “He Is” Heather Headley “So … Continue reading

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Crystal Voice: A Living National Treasure

クリスタル。 アーロン・ネヴィルの新譜『ゴスペル・ルーツ』(東芝EMI=8月6日発売)という作品が届けられた。彼はEMIとソロ・シンガーとしての契約を結んでいて、これまでに2枚のアルバム『デヴォーション』(2000年)と『ビリーヴ』(2003年)を出しているが、この新譜はそれら2枚のアルバムからの作品と初公開曲1曲を含む作品。 ところが不覚にもその2枚の作品を未チェックで聴いていなかった。なのでほとんど初めて聴く曲だった。冒頭「アヴェ・マリア」は、以前A&Mからの作品に収録されていて、また日本でもコマーシャルに使われておなじみの曲。初公開曲は、ビートルズの「レット・イット・ビー」。 今回特に胸を打たれたのが、意外な選曲キャット・スティーヴンスの作品「モーニング・ハズ・ブロークン」と、これはいかにも歌いそうなサム・クックの「ア・チェンジ・イズ・ゴナ・カム」。それにしても「モーニング・・・」は、完璧にはまっている。これはシングルカットいけたでしょう。でも、されなかったのかな。まるでアーロンのために書かれたようなヴァージョンにしあがった。 CDの帯には、シルキー・ヴォイスと書いてあるが、むしろこの透明感あふれる声はクリスタル・ヴォイスという感じだ。う~~ん、この声は、人間国宝と言ってもいい。 スピーカーの前の聴き手はその声にひれ伏す。彼の声を浴びると、時の流れが今ここに瞬間冷凍されるような気持ちになる。時間を止める声。The Voice Freeze The Time. そして、その声は長き時の試練に耐え、いつまでも輝きを持ちつづける。The Voice Stands The Time.   +++++ Go For Higher Ground, Crystal クリスタル。 そして、クリスタル・ケイのライヴをブリッツで見た。彼女のライヴは昨年の渋谷AX以来2度目。しかし、17歳でこれだけのことができるんだから、たいしたものです。まあ、バンドとかバックには細かい点で宿題が多いですが。一点だけ。ドラムがロックのそれで、ソウルのグルーヴがないです。バンド全体にも。CDがかなり作りこんでいるので、下手するとCDのほうがグルーヴ感があったりします。沼澤尚さんあたりを起用してほしいな。そんなこと言っても、クリスタル10年後でもまだ27歳ですから末恐ろしいです。(笑) それにクリスタルの場合、楽曲がいいからねえ。キャッチーで彼女の等身大の作品がうまく作られている。がんばれ、クリちゃん。どんどん高い山、めざせ。 (2003年7月31日木曜・赤坂ブリッツ=クリスタル・ケイ・ライヴ) ENT>MUSIC>LIVE>KAY, CRYSTAL

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