Monthly Archives: January 2006

Raul Midon: He Sings What He Saw In His Rural Hometown

【故郷で見た景色を歌うラウル・ミドン】 風景。 「僕はニューヨークに3年半くらい前に引っ越してきた。僕が生まれたニューメキシコのエンブードーという街は、人口が250人くらいしかいないところ。ニューヨークとは大違いだ。東京ともね。川があり、星が輝き、いろんなものがあった。ある時、ニューヨークから戻って、そこは本当に素晴らしいところだということに気がついた。エンブードーの街に対して僕が描く風景(picture)も、それ以外のところも、自分にとっては想像でしかないんだけど、すべて、僕の心の中にある。これはそんな曲です」 こうして歌われたのが「オール・イン・ユア・マインド」だった。 注目の盲目のシンガー、ラウル・ミドンの正式初ライヴ・コンサート・ツアー。10月末のショーケースも素晴らしかったが、今回のフルショウも見事だった。人気でこの日は追加のライヴ。たったひとりで、ギターを弾き、マウス・トランペットを披露し、歌う。声が実によく通る。引き込まれる歌声だ。 冒頭に書いたMCを聞いて一瞬我を疑った。ラウルは故郷の風景を見たことがあるのか、と。じっくり歌詞を読んでみると、ラウルがあたかも、その街の片隅で歌いそうな雰囲気さえ持っていた。こんな歌いだしだ。 「川岸に佇むと、ひんやりした風が僕たちの頬をなでていく。この二人きりしかいない寂しげな小さな世界で、君は何もしなくていいんだよ。僕の目を通して、君は世界を見ていくんだ。これから見る物に君は驚くかもしれない。ひんやりした風と暖かい手のぬくもり。すべてが君の心の中にある瞬間」(「オール・イン・ユア・マインド」) 最初、この詞を読んだ時、ラウルは目が見えるのかと思った。だが、クレジットを見ると、ジョン・フォーニエールという人の名前があった。おそらく詞の部分は共作なのだろう。あ~、びっくりした。 ラウルのイマジネーションの世界は、すべて彼の心の中にあるものと等しい。そして、彼のイマジネーションの世界は、聴く我々に充分な実質的な風景をもたらす。彼の「目で見た物」が歌になり、それを聴いた者が、その見た物を映像化する。 ほぼ直立不動で歌い続けるラウルのパフォーマンスは、シンプルゆえにまるでCDを聴いているかのよう。あの早弾きギターもやれば、歌もそのままだ。 中盤、セロニアス・モンクの「ラウンド・ミッドナイト」をマウス・トランペットでやってみせた。途中トランペットだか、トロンボーンだかわからないくらいの音質になる。これも、すごい。 何曲かアルバム(『ステイト・オブ・マインド』)に収録されていない曲を歌ったが、いずれもよかった。これらは新作に入るのだろうか。中盤で歌われた「エイント・イット・ハプンド・イエット」はものすごくグルーヴ感があって、圧巻だった。さらに、「ピース・オン・アース」という曲もよかった。「ラウンド・ミッドナイト」も、その前の「レッツ・メイク・イット・ベター」もよかった。またタイトルは正確にはわからないが、「モア・ザン・アイ・ノウ」という曲もすばらしい。 また、アンコールの2曲もアルバムには入っていないので新曲か。1曲目のブルージーな曲、そして、2曲目のバラードは、「イフ・ユー・ドント・ノウ・ミー・バイ・ナウ」をシンプルにしたような素晴らしい曲。これはポップ性もあってはやくまた聴きたいと思った。一体次のアルバムはどんなアルバムになるのだろうか。ひょっとして、ファーストを超えるアルバムになるのか。今回のこのライヴでの新曲の充実振りを聴くと、期待に胸が膨らむ。 それにしても、ギター1本で、この音楽的許容量の広さには驚く。ポップ、ソウル、レゲエ、フラメンコ、バラード・・・。曲間のトークでのアリーフ・マーディンの話もおもしろかった。 それにしても、1曲ごとの観客の熱い熱狂ぶりと拍手はなんだろうか。ラウルは間違いなく愛されている。ラウルも素晴らしいが、素晴らしい観客だ。 それにしても、日本盤の『ステイト・オブ・マインド』がリリースされたのは10月5日、たった4ヶ月でこんなにも愛されるスターになれるのか。見事なスター誕生物語である。 ■ラウル・ミドン関連記事 October 25, 2005Raul Midon: From Donny To Stevie To Raul前回ショーケース・ライヴの模様http://blog.soulsearchin.com/archives/000603.html Setlist (incomplete) show started 19.2801. Everybody02. Sunshine (I Can Fly)03. If You’re Gonna Leave04. … Continue reading

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Philly Great Gene McFadden Dies At 56

【ジーン・マクファーデン死去】 デュオ。 「エイント・ノー・ストッピン・アス・ナウ」の大ヒットを送り出したマクファーデン&ホワイトヘッドの二人組のうち、ジーン・マクファーデンが2006年1月27日(金)、癌のためフィラデルフィアのマウント・エアリーにある自宅で死去した。56歳。パートナーのジョン・ホワイトヘッドは、2004年5月、何者かに銃撃され殺されている。マクファーデン&ホワイトヘッドはこれで2人とも死去したことになる。 2004/05/13 (Thu) John Whitehead Shot Dead http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200405/diary20040513.html 娘のカサンドラ・マクファーデンによると、ジーンは、2004年10月、肝臓と肺に癌が発見され、以後闘病生活を送っていたという。 ジーン・マクファーデンは1949年ノース・キャロライナ生まれ。幼少の頃フィラデルフィアに移り住み、ジョン・ホワイトヘッドと同じノース・フィラデルフィアのエディソン・ハイスクールに通った。二人は音楽好きとして意気投合、友人たちと共に4人組エプシロンズを結成。オーティス・レディングに売り込み、オーティスがマネージした。オーティスは67年12月、不慮の飛行機事故で死去。フィラデルフィアに戻り、音楽活動を続け、スタックスから1枚シングルを出したのち、フィラデルフィアで活動するプロデューサー、ケニー・ギャンブル&レオン・ハフと契約。グループは3人組となり、名前もトーク・オブ・ザ・タウンと変え、レコーディング。しかしヒットには至らず二人はソングライターとして活動を始めた。 二人が初めて書いた曲は「バックスタバーズ(裏切り者のテーマ)」で、これは72年、オージェイズによってレコーディングされ大ヒット。これは彼らにとっても、またオージェイズ所属のフィラデルフィア・インターナショナル・レコードにとっても初のミリオンセラーとなり、続くフィラデルフィア・サウンドの大ブームの火付け役となった。 79年、ソングライターだけでは飽き足らず、彼らは自らアーティスト、マクファーデン&ホワイトヘッドとして「エイント・ノー・ストッピン・アス・ナウ(何も、俺たちを止めることはできない)」をレコーディング。これが見事に大ヒット。ニューヨークのラジオ局WBLSのアンセム(テーマ曲)的存在となったり、フィラデルフィア・イーグルスのテーマとなったりした。 マクファーデンは、57歳の妻、2人の息子、2人の娘によって送られる。 ■ニュース素材 R&B songwriter Gene McFadden dies at 56http://www.pittsburghlive.com/x/tribune-review/trib/newssummary/s_418166.html Philly great Gene McFadden dies at 56 Teamed with John Whitehead for a string of hitshttp://www.macon.com/mld/dailynews/news/local/13733963.htm?source=rss&channel=dailynews_local +++++ McFadden … Continue reading

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Fukamachi Jun Live: He Played More Music Than Talking

【おしゃべりより、演奏が長かった深町純ピアノパーティー第61回】 音楽比率。 「この会は音楽会ではありません。ピアノ・パーティーです。ついでにピアノの演奏がついてる、と言う感じ。僕は言いたいことがあります。僕が言いたいことと、演奏で、トータルなエンタテインメントという風に受け止めていただければ嬉しい」 このスタンスで5年。第61回目。 この日が深町さんは仕事始めだそうだ。正確にはその何日か前に亀淵ゆかさんのバックをつける仕事したという。ホリエモンの話題になり、拘置所、留置所、刑務所の違いなどのうんちくを語った。(笑)  「御題拝借」は、毎回その場でリスナーからちょっとだけメロディーをもらい、そこから深町さんがメロディーを即興で作るというコーナー。なんとこの日は、「ネコふんじゃった」のメロディーが寄せられた。メロディーを試行錯誤して探し出し、即興で、ちょっとだけモーツァルト風にやってみた。すばらしい。(笑)  第二部の1曲目が終ると、珍しくアートカフェのオウナー、正勝さんが「久々に素晴らしかった」と声をだした。終って、振り返ってみると、この日はトークがいつもの深町節ほどの切れがなかったような気がした。ということは、トークが今ひとつだとそれに反比例して演奏がぐんとよくなるのか? そんなこたあ、ないか。(笑) いや、あるかも。 と思って、なんと大胆に、深町ライヴ、ピアノはどれくらいのパーセント、演奏されているのかを調べてみることにした。深町さんがステージに立ち、しゃべり始めるか、演奏し始めたところから、第一部、第二部が終るまで、つまりショウタイムを分母に、ピアノ演奏時間を分子にして、その比率を計算する。 すると、驚くべき事実が判明した。今日はトークよりも音楽の比率が第一部で58パーセント(トータル時間÷音楽演奏時間)、第二部でさらに驚嘆の67パーセントを超えていたのだ!! 近来稀にみる音楽比率の高い会となった。だから、よかったのか。(笑) まあ、快挙ですね。(ちなみに、12月は第一部で39.86パーセント、第二部で58.91パーセント)  第二部では坂本九さんの娘である大島花子さんが飛び入りで登場。深町さんはしばらく前に、ここアートカフェで大島さんのライヴのバックをつけた。あの名曲「見上げてごらん夜の星を」が歌われた。会場がみな彼女に釘付けになった。深町さんは、「『上を向いて歩こう』なんて曲は(弾くのに)たわいない曲なんですよ。でも、彼女(大島花子さん)やそのお母さん(坂本九さんの奥さん・柏木由紀子さん)の目の前で弾く時のプレッシャーったらないんですよ(笑)」と吐露した。 ちょうどライヴが終ると、何度もこの会に飛び入りされているR&Bシンガー、円道一成さんが現れた。「ちょっと遅かったですね(笑)」  円道さん、2月15日に渋谷ジェイジー・ブラットでライヴをやるという。そのフライアーをもらった。 円道一成、平井光一、新井武士、平松加奈、はたけやま裕らの出演。2月15日19時半と21時半の2回。ジェイジーの電話は03-5728-0168。 「ウィルソン・ピケットが亡くなったんで、そのトリビュートも少しやってみようかと思ってます」 そういえば、円道さんがかつてデビューした時、日本のウィルソン・ピケットなんてキャッチコピーで売り出されたっけ。「円道さんは、ルー・ロウルズの曲は?」 「ルー・ロウルズはねえ、実は同じステージに上ったことがあるんですよ、シカゴで。オーティス・クレイの前座をやらせてもらって、それで、シカゴに行ったんですよ。どこかの野外の、でも黒人ばっかりの地域でやってたチャリティー・フェスみたいなのかな。そこでルー・ロウルズがでてて、ちょっと歌いました。オーティスの前座をやったということで、シカゴではずいぶんいい思いをさせてもらいました」 「79年くらいですか?」 「そうですね、その頃だと思います」  ルー・ロウルズと同じステージですか。こりゃまた、貴重な体験。思わぬソウル談義になりました。 ■深町純・ピアノ・パーティー 日時・毎月最終土曜日午後7時半から。(2月は25日)場所・恵比寿アートカフェ。〒105-0022 東京都渋谷区恵比寿南1-10-7 第5森田ビル1F 電話番号・03-3716-5559 http://www.enjoytokyo.jp/OD003Detail.html?ODEKAKE_ID=1&SPOT_ID=l_00000376すべて即興演奏。お代は見てのお帰り 深町純・オフィシャル・ホームページhttp://www.bekkoame.ne.jp/~cisum/ Setlist 1st set show started 19:3701. 2006年1月28日19時37分の作品 (16.32)02. 2006年1月28日20時13分の作品(ホリエモン)(12.20)03. 2006年1月28日御題拝借作品1.(ネコふんじゃった)(2.20)04. 2006年1月28日御題拝借作品2. (海を眺めて)(2.41)05. 2006年1月28日御題拝借作品3. (カッコー)(2.00)show ended 20.38(approximately performing time: 35.53 of … Continue reading

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Coldfeet: Intoxication Of BPM 130

【BPM130の陶酔】 陶酔。 二人組ダンスユニット、コールドフィートが代官山エアーでCDリリース、ライヴ。しばらく前に、担当A&Rから強力に売り込まれ、CDも聴き、ライヴにのぞんだ。エアーは、確かオープンした時に行ったが、その後、何で行ったかよく覚えていない。近くに着いて歩いていたら、コートを着た若い人に「エアー(語尾上がりで発音)ですか?」とそっと声を掛けられた。「はい、そうです」と言うと、「この辺、ご近所さんがうるさいので、入るまでぜひお静かにお願いします。また、帰られる時も外ではお話なさらないようにお願いします」とのご注意が。なるほど、近隣へのお気遣い、大変ですねえ。 中に入ると、ものすごい人と熱気と煙草の煙。地下二階に下りていくと、ベースの大爆音が身体を直撃! 空腹で行ったら、絶対気持ち悪くなると思うような、まさに四つ打ち、ハウス系のバスドラの短調なリズムが、心臓に突き刺さる。1時5分、彼らがステージに登場。完璧に打ち込みだけに音は、CDと同じ。そして、リードシンガーのローリーが歌い始めた。 アルバムタイトル曲「ボディーポップ」から始まり、そのBPM130のリズムは延々と続く。この日はギターで助っ人が参加し、ステージの上は3人。ダンスフロアは、リズムに乗って踊る人たちが爆音の中で陶酔。 ボディーソニックの比ではない、圧倒的なバスドラの音には現実逃避の魔力があるかもしれない。まるで、スピーカーの前で音楽を聴いてるというよりも、スピーカーの中で音楽を直接感じている、いや、このハウス・ミュージックの中に浮遊している感さえした。 僕はこのBPM130の音楽は、79年頃のまさにソウルではなく、ファンクでもない典型的なディスコ(・ミュージック)に思えた。その後、こういうタイプの音楽は80年代に入り、ハウスへ発展していくわけだが、ハウスよりも一歩プリミティヴな無機質に徹底的に朝まで、いや、アフターアワーズまで躍らせ続ける79年のニューヨークのディスコを彷彿させた。 ライヴ後、上でお茶をしていると、彼らがあがってきて、一瞬立ち話できた。「これは、ハウス?」 「なんでも呼び名はいいですよ。ハウスでも、ディスコでも。まあ、(こういうリズムで)踊らにゃ損損という感じです」とワツシさんが言った。ヴォーカルのローリーさんは、近くで見るととても綺麗。最近は、ジル・スコット、ミッシェル・ンデゲオチェロなども聴いているという。一時期二人ともベースメント・ボーイズなんかもよく聴いていたそうだ。 彼らの新作『ボディーポップ』は曲が変わっても全編BPM130で続く。それはまさに「BPM130の陶酔」だ。 そうそう、外に出たらその興奮を押さえもちろん、大声をださずに静かに歩いた。 Setlist: 1st set show started 01:0501. Bodypop02. On Your Own03. Boomerang04. Slow Down Say It Again05. Shake06. Superthingshow ended 01:39 2nd set 01. Boom, Clang, Bang02. Oowee03. Uptight04. Mop Me … Continue reading

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Prince New Album Will Be Out On March 15th In Japan

【プリンス新作、日本発売は世界先行で3月15日予定】 先行発売。 プリンスの待望の新録による新曲シングルのタイトルが決まった。「ブラック・スウェット」で、アルバムはすでに報じられている通り、『3121』。日本盤は、3月15日に発売されることが決まった。アメリカでの発売は3月21日の予定なので、日本のほうが早くリリースされることになる。日本のユニバーサルが発表した。 またシングルは、「ブラック・スウェット」と「ビューティフル・ラヴド・アンド・ブレスド」で、これらはアメリカでは1月31日からデジタル配信され、CDサンプル盤はアメリカの放送局に2月7日までに到着する。 「ブラック・スウェット」は、すでにしばらく前のシカゴのライヴで披露したようだ。 同アルバムに先がけてのシングル「テ・アモ・コラソン(Te Amo Corazon)」は、日本ではデジタル配信のみだけで12月13日からリリースされている。ゆったりとしたスロー調の曲。 このニュー・アルバムの発売後、プリンスはワールドツアーにでるという話だ。もし日本に来ることになれば、2002年11月以来約4年ぶりのことになる。 プリンス・ライヴ『孤高のファンク詩人』 http://www.soulsearchin.com/entertainment/music/live/prince20021115.html また、プリンスは現在テイマーという女性シンガーを押しており、彼女のライヴのバックでサポートしたりしている。ツアーには、テイマーも同行するものと見られている。 ENT>MUSIC>ARTIST>Prince

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Excello/Shizuoka Ya @ Shimokitazawa: Soul Oden Restaurant

【しずおか屋~下北沢のソウル・おでん屋】 老舗。 青山のソウルスナックOAが3月で閉店するニュースをお伝えし、さらに、三宿のソウルナッツの寿ネタをご紹介したが、今日は下北沢のもうひとつの老舗ソウルバー、「しずおか屋」をご紹介しよう。 「しずおか屋」は、昨年4月に現在の下北の本多劇場の向かいに引っ越してきた。そもそも、この店は1974年10月、杉並区方南町にオープンしたソウルバー「エクセロ」にルーツを持つ。この頃は、ひじょうに場所も辺鄙(へんぴ)ではあったが、熱心なソウルマニアが集まってきた。その中には、デビュー前の鈴木雅之さんなどもいた。 「エクセロ」は、方南町から81年に下北沢に引越し。その後お店で出していたマスター富田さんの奥さんのおでんが評判となり、おでん屋の部門を「しずおか屋」として97年東北沢駅近く、環7ぞいに独立。しばらく「エクセロ」と「しずおか屋」のふたつの店が続いた。その後2003年3月に、再び二店を統合、ソウルおでん屋「しずおか屋」として下北沢で営業。ちょうどもうひとつのソウルバー、リトル・ソウル・カフェの前だった。2005年4月、より駅に近い現在の場所に移転した。 このおでんは、奥さんの出身地静岡でのおでん。だしがひじょうに黒いものだが、味はあっさりしているというユニークなもの。ぜひここに来たら、食していただきたい。値段も60円から120円程度で安い。 僕は方南町時代に何度か行ったが、しばらくご無沙汰していた。実は引越しをしてからの新店に行ったことがなく、やっと先日、訪れることができた。新しい店は本多劇場の前ということで、かなりわかりやすく、人通りも多いいい立地だった。富田さんによると最近はすっかり食べ物屋さんになってしまったが、ソウルマニアもときどきやってくるという。かけるのは、富田さんがソウル曲を編集したCDや、アナログのレコード。 なんと言っても、昔のソウルアーティストのライヴ・コンサートのチケットを額装したり、写真が所狭しと貼られていたりするので、ソウルっぽさが充分でている。 いろんな話になったが、そんななか、富田さんからレス・ポール&フレンズのアルバム『アメリカン・メイド・ワールド・プレイド』を教わった。この中に収録されている2曲を、とりあえず聞いて、といわれ聞かされたのだが、ぶっとんだ。なんと、声はサム・クック、しかし、バックバンドは今の新しい音ということで、サムの声だけを抜いて取り出し、今のバンドで録音したものだった。1曲「サムバディー・イーズ・マイ・トラブリン・マインド」はバックをエリック・クラプトンが、もう1曲「エイント・ザット・グッド・ニュース」はジェフ・ベックが参加している。60年代と21世紀が、見事にクロスオーヴァーしていた。これは近いうちに、番組でかけたいと思います。 現在まで続いている都内ソウルバー最古参3店は、ジョージが64年オープン、OAが71年5月、エクセロが74年10月ということになる。今はなくなった四谷の「ライヴ」という店は73年にはあったと記憶するが、正確なオープン年はちょっと今確認できない。どなたかご存知でしたら、教えてください。 日曜日はお店はお休みだが、仕込みで昼間来ていろいろやっているという。そしてそのときは必ずインターFMの『ソウル・ブレンズ』を聴いていただいているそうだ。イエ~~!  ■「エクセロ・しずおか屋」に関する記事 2003/04/03 (Thu) As the boy, so the man http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200304/diary20030403-1.html 2003/12/19 (Fri) Synchronicity @ Shizuoka-Ya & Little Soul Cafe http://www.soulsearchin.com/entertainment/soulbars/diary20031219.html ■EXCELLO しずおか屋 (エクセロ しずおかや) 住所: 東京都世田谷区北沢2-6-6 澤田ビル202 電話: 03-3465-6154 営業時間: 18:00~24:00 定休日: … Continue reading

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Soul Nuts Will Have Winter Vacation Between Feb.1 Through Feb.12: And Why?

【三宿・ソウルバー、ソウルナッツ、2月1日から12日まで臨時休業】 休業。 基本的には年中無休の三宿のソウルバー、ソウルナッツが来る2月1日から12日まで臨時休業する。先日店主のマイケル鶴岡氏と別件で電話で話してた時に、「こんど(2月の)1日から12日までいないからさあ」と言う。年中無休が随分大胆な休みを取るとは何事かと思い、「なんでそんなに長く休むの? またどっか、海外旅行でも行くのか?」と尋ねると、「ハワイで結婚するんだ」との爆弾発言。おっと、これは聞き捨てならぬ。「で、相手は誰誰?」 「ケイコだよ」 おおおおっと、ソウルナッツのDJケイコ! まじっすか。 発表です。ソウルナッツのマイケル鶴岡氏と、DJケイコが2月にハワイで結婚しま~す。おめでとうございます。僕は、さすがにハワイまでいけませんが・・・。ということで、このソウル・サーチン・ダイアリー始まって1000本以上記事書いてますが、ソウル梨本になって初のゴシップ・ネタいってみましょう。さっそく、ソウルナッツに取材にかけつけた。 恐縮ですが、いろいろ聞きました。そもそものきっかけは二人が白金ダンステリアで2001年頃、出会ったことに端を発する。当初は、ケイコはDJのみならず、ウエイトレスなどもやっていたが、彼女は基本、毎日入っていた。その頃、マイケルは、ダンステリア・オウナー勝本氏の要請で週末、金・土に自分の仕事を終えてからやってきてDJやらホールなどを手伝っていた。 ダンステリアの店が閉まるのは大体4時すぎ。なんやかんやで帰りが5-6時くらいになる。その頃、マイケル氏は荻窪に住んでおり、ケイコは新宿あたりだった。そこで、帰りマイケル氏が途中なのでケイコを送るようになった、という。「ほら、俺、送り狼だからさあ」(笑)とマイケル。 ケイコはその後ダンステリアが週末になり、ウイークデイは恵比寿のソウルバー、ブラウンシュガーでDJをするようになった。ケイコはレコードをどんどんと買い集め、自分のコレクションも増え続けた。いつかは自分の店をやりたいという夢を持つようになったが、紆余曲折あって2005年4月、マイケル氏とともに、三宿にソウル居酒屋ソウルナッツをオープンする。そういえば、ブラウンの店が終わりごろ、マイケルがよく来ていたようなこともあった、と今思えば、思い当たる節はあったが、もともとそういうあたりに鈍い僕はまったく何も感じなかった。鈍感だ。 「で、なんで、このタイミングで結婚に?」とケイコに聞いた。「わたし、こう見えても、(来月の誕生日で)もう30なんです」 ケイコの誕生日は2月17日である。やはり、女性は30の節目あたりで、結婚というものに心動くものなのだろうか。(神妙)  ソウルナッツの壁には「2月1日から12日までわけありで休業します」という張り紙がある。なんだよ、この「わけあり」って。(笑)  というわけで、ソウルナッツ・ファンのみなさん、こんどナッツに行く時にはハッピー・ウェディングとでも言ってお祝いにシャンパンでも開けてあげてください。 そして、1日から12日までお店、休みなので、注意してね!  ソウルナッツのウェッブhttp://www2u.biglobe.ne.jp/~hirakei/index.htm DJケイコのブログhttp://soul217.blog13.fc2.com/ マイケル鶴岡氏ブログ(ワイハ好きのSoul Man)http://soul523.blog13.fc2.com/ ENT>SOUL BARS>Soul Nuts

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Soul Snack “OA” Will Be Closing March 15th

【青山のソウルバー「OA(オーエー)」3月15日でクローズへ】 閉店。 青山学院・西門の向かいにあるソウル・スナック「OA」が3月15日で閉店する。スナック「OA」は、1971年5月に現在の地にオープン。35年弱の歴史に幕を降ろす。ママがソウル好きだったことから、徐々にソウルのレコードをかけるようになった。昼間は青学の学生などが多かったが、夜になるとソウル好きが集まるようになった。店内にはオーティスを始めとするソウル・シンガーたちの写真やポスターが貼られている。 レコードだけでなく、古くからのソウル・ミュージシャンたちの映像なども集めていた。また毎年12月10日のオーティスの命日は、音楽評論家の桜井ユタカ氏らが音頭をとり、オーティスのレコードを聴くレコード鑑賞会が開かれていた。同じく毎年4月1日は、アーティストの岡伸昭さんがマーヴィン・ゲイのレコード・ビデオ鑑賞会を開いているが、今年は開催できなくなった。 閉店の経緯は、どうやら、この場所が地上げにあい立ち退きになるため。新しいビルが出来る時には、新たに新装OAとしてビル内に入居もできたが、ママも年齢的に潮時だと判断したらしい。 3月15日までは、OAゆかりの人々、常連の人たちによってさまざまなお別れイヴェントが行われる予定だ。 +++++ OA: Another Place Time Stood Still 【時が止まっているもうひとつのソウルスナック】 停止。 OAに初めて行ったのはいつ頃だったか。正確にはよく覚えていない。おそらく70年代の中頃か後期だと思う。その頃は、ソウルを聴かせる店と言えば、六本木のジョージ、下北沢のエクセロ(現在のしずおか屋)、テンプスの前身ラヴィング・パワーくらいだったか。今のようにどこにでもソウルバーがあるわけではなかった。 それからずいぶん経って96年にベリー・ゴーディーの自伝『モータウン、わが愛と夢』を翻訳出版した時、本を置いていただいた。 先日、アーティストの岡さんと打ち合わせをするので、このOAですることにした。ここも、ジョージ同様、時が止まったかのような場所だ。まるでタイムマシンに乗って70年代に戻ってきたような錯覚に陥る。昔と同じテーブル、椅子、昔と変わらぬ写真、ボトルの数々、変わらぬママ。しいていえば、以前はアナログのレコードが多数あったが、最近はCD棚が増えたくらいだろうか。3月までに何度か足を運ぶことにしよう。 【ソウルスナック OA(オーエー)】  東京都渋谷区渋谷2-3-5電話 03-3400-9519営業時間 深夜12時まで定休日 日曜・祭日 ENT>MUSIC>SOULBARS>OA

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Luther Number 1 Ichimura: The Way He Was…

【ルーサー・ナンバーワン・イチムラ・ライヴ】 最低音歌手。 土曜日は築地の新喜楽にて、友人の三味線・発表会があり、それを覗いてからいよいよルーサーさんの4回目のソロライヴに出向く。しかし、この日東京は朝からずっと雪だ。築地に行くまでになぜか、前日聞いたマーク・マーフィーのCDが流れていて、東京の雪景色にあっていた。マークのCDは、車をゆっくり走らせようという気持ちにさせてくれる。そして、日本のお三味線とその唄は、さらにゆったりとした気持ちにさせられた。 首都高に乗り、一路府中へ。雪は降り続け、車はのろのろ運転気味。途中カーヴで見事に滑ったが、冷静に車をたて直し大事には至らなかった。 場所はすぐにわかった。しかし、なんでまた府中などで? ルーサーさんはステージで言明した。「なぜ府中か、と。それはうちが近いからです。雪でも、私は、自転車でここまで来れます! (その姿は)あんまり人にはお見せしたくはありませんが・・・(笑)」  ほぼ定刻にオープニングのキョウコさんが登場。ファンキー・ビューローの「クラップ・ユア・ハンズ」からスタート。アリシアの「イフ・アイ・エイント・ガット・ユー」(2004年1月のヒットでした、キョウコさん)、そしてなんと日本人シンガー、アイ(AI)の「ストーリー」を歌った。 彼女が退いてから披露されたのが、ルーサーさんの秘蔵映像。なんとかつてルーサーさんがクラシックシンガーだった時代に出演したテレビ番組『題名のない音楽会』(司会・黛敏郎、テレビ朝日系)の映像だ。黛氏の名調子の司会があり、『ウエストサイド・ストーリー』の中の「トゥナイト」が歌われた。ルーサーさん、ちゃんとソロを取り、そのときには「市村宏」という名前もテロップで出た。髪の毛もたくさんあるその顔がアップになった瞬間、会場は爆笑。ルーサーさんの使用前の姿・・・。 映像が終わり、ライヴが始まった。ルー・ロウルズの「ユール・ネヴァー・ファインド・・・」からだ。歌い終えて、ルーサーさんはルーの死去に触れこう語った。「私の夢は、『モノマネ王座決定戦』で自分が歌っている後ろからご本人に登場してもらうというものでしたが、それは叶わぬことになりました」 (笑) それにしても、曲間に入るトークがことのほかおもしろい。「間」の取り方が抜群にうまい。 それはさておき、オープニング3曲は、よく考えてみると、奇しくもみな故人となっている人たちの作品だ。(2曲目ジョニー・テイラー、3曲目ブルック・ベントン) 4曲目、ライチャス・ブラザース(2人組)も1人は故人だ。オープニングは「ご愁傷様シリーズ」か?(笑)  「重低音歌手」と呼ばれるルーサーさん。ネットなどでは、しばしば「重低温」と書かれてしまう、というネタ。おもしろい。クラシックの世界では、「最低音(バス)」を担当。時に、「音」が落ちて「最低歌手」と書かれたこともある、という。さらに、それに輪をかけて「最高の最低歌手」とも。最低なんだか、最高なんだか、どっちなんだ。受ける。 そこで、その最低音歌手氏は、このライヴでテンプテーションズの「ゲット・レディー」を通常より2オクターブも下げて歌ってみた。しゃべり声も低いが、歌声も低い。選曲がどれも重低音歌手向けで、なかなかあった選曲をしてるなと思った。その中で、コステロの「シー」や「ビューティフル・サンデイ」は意外だった。 今回のチケットは、みなルーサーさんの手作り。すごく凝っていた。チケットにちゃんと名前が入っているのだ。こだわりの人、ルーサーさんならではのライヴだった。前回のソロライヴの時は雨だったそうだ。そして今回は雪。では次回は? 雷か、雹(ひょう)か、はたまた地震か? 何かが起こるルーサーさん、ソロライヴ! 次回は都心でいかがですか? (笑)  Setlist (original artist) Opening Act: Kyoco show started 18:3101. Clap Your Hands Together (Funky Bureau) 02. If I Ain’t Got You (Alicia Keys)03. Story (Ai)04. Roots show ended … Continue reading

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Mark Murphy Live: The Urban Singer

【都会派マーク・マーフィー・ライヴ】 ビートニク。 「観客がスラギッシュ(sluggish=緩慢、反応がにぶい)時には、僕はより動いたり、(観客に)働きかけないといけないんだ」 マーク・マーフィーはショウを終え、チョコレート・アイスクリームを食べながらそう言った。伝説のジャズシンガー、マーク・マーフィーは1932年3月14日ニューヨーク州生まれの73歳。とても、そんな年には見えない。せいぜい50代か、くらいの印象だ。既存曲を独特の解釈で、まったく違ったヴァージョンにすることで類稀な才能をみせ、1950年代からニューヨーク・ジャズ界で知られるようになった。日本での知名度が低いゆえに若干観客が少なく、たまたまそれについての話題になった時に冒頭の言葉がでた。 初めてそのライヴを見たが、ニューヨークのヴィレッジあたりのコーヒーハウスでやっていそうなラウンジ・ジャズ、それにポエトリー・リーディングを挟み込んだようなステージだった。ひょっとしてジャズというより、フォークの弾き語りにジャズのエッセンスを加えた、ビートニク、ヒッピー世代のアーティストという感じがした。1曲トリオがインスト曲でラウンジ風にこなし、マークが赤ワインのグラスを片手にステージに上がった。ジャケットに赤いシャツ、そして白いネクタイというおしゃれないでたち。 今回のマーク・マーフィーのステージには若手グッドルッキン・トランペッター、ティル・ブレナーが客演。マークの芸風とティルのトランペットのコンビネーションがまったく異質だったので、興味を覚えた。どのような経緯でティルとは? 「数年前だったか、ティルがやったチェット・ベイカーの作品集『チャッティング・ウィズ・チェット』を聞いたんだ。それをとっても気に入ってね。ティルは昔の世代のものを、今の世代に持ち込んだ。で、ベルリンで会った。それで一緒にやることになったんだ」  そして、マーフィーの最新作はそのティルがプロデュースしている。ティルのトランペットは、マイクも通しているが、ときどきマイクから離れると生でダイレクトに耳に入ってくる。小さなライヴハウスならではの感触だ。西のおしゃれなアーティストがマイケル・フランクスなら、東のちょっとソリッドな都会派がこのマークという感じだ。 マークは90年代になって、イギリスのDJジャイルス・ピーターソンに再評価のきっかけを与えられた。ピーターソンがマークの古いレコードに注目したためだ。その流れか日本のユニットUFOからも注目され、UFOとレコーディングし、そのときに来日もした。 マークのステージから、途中ポエトリー・リーディングを彷彿させるものがあったので、「ポエトリー・リーディングはやるんですか」と尋ねると、横に座っていたピアノのジョッシュア・ウォルシュが「彼が始めたんだよ」と口を挟んだ。「時々、やるよ。ジョシュアとはシアトルで会ったんだ。彼がシアトルのライヴハウスでやっている時にね」 「絶対音感はありますか?」 「ないよ、そんあもんあったら、気が狂うぞ(笑)」  歌は決してうまいとはいえないが、味のある、すごくニューヨーク的なアーティストだ。「へたうま」っていうのかな。今はニューヨークから電車で2時間ほどのペンシルヴェニア州に住んでいるという。「あなたは、アメリカではたくさんライヴパフォーマンスはするんですか」と問うと、「いや、僕が住んでるところでは僕はあんまり人気がないんだ。僕は都会で受けるアーバン・アーティストらしい」 ジャズ、ポエトリー・リーディング、アーバン・・・。やはり、ビートニクだ。話をしているとちょっと耳が遠いので、質問なども大きい声で言い直さなければならなかった。 マークと話をしていると、なんとトクちゃんが登場。ずっとライヴを見ていたらしい。トクは、ティル・ブレナーとはすでに旧知の仲で、ティルのモーション・ブルーでのライヴに飛び入りしたりしたそうで、ティルといろいろ話をしていて、マークのところにもやってきた。そういえば、マークの「マイルストーン」をKミックス(静岡のFM局)で放送中のトクの番組『キー・オブ・ライフ』でもかけていた。 +++ 独特の世界観を持ったマークのライヴから一夜明けて、土曜日は東京が一面雪景色になっていた。車を出すと、前日からマークのCD(『ワンス・トゥ・エヴリ・ハート』=最新作)が入っていてそのまま彼の歌が流れてきた。彼のけだるい歌声と時間が止まったようなテンポが雪景色に異様にフィットしていた。 (ライヴは、日曜22日までティル・ブレナーと、月曜23日と火曜24日はデュオ。場所はコットンクラブ) ■マーク・マーフィーウィズ・スペシャル・ゲスト・ティル・ブレナー Mark Murphy (vo)/マーク・マーフィー (ヴォーカル)Till Bronner (tp)/ティル・ブレナー (トランペット)Joshua Wolff (p)/ジョシュア・ウォルフ (ピアノ)Seward McCain (b)/スワード・マケイン (ベース)David Rokeach (ds)/デヴィッド・ロキーチ (ドラムス) Setlist (songwriter, year) show started 21:3101. I Hear A Rhapsody … Continue reading

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Wilson Pickett Dies At 64

ウイルソン・ピケット死去 シャウト。 独特のシャウト唱法で知られるR&Bシンガー、ウィルソン・ピケットが去る(2006年)1月19日アメリカ東部ヴァージニア州レストンという街の病院で死去した。64歳だった。代表曲は「イン・ザ・ミッドナイト・アワー」(65年)、「634-5789(ソウルズヴィルUSA)」(66年)、「ランド・オブ・1000ダンセス(邦題、ダンス天国)」(66年)など。この一年ほど体調を崩していたという。現在はヴァージニア州アッシュバーンに在住。ニックネームは「ウィックド・ピケット」(邪悪な、いたずらな、わんぱくな・ピケット)。 アレサ・フランクリンは「同じデトロイト育ちの仲間として、ウィルソン・ピケットは、あらゆる時代において最高のシンガーのひとりでした。ひじょうに残念です。しばらく前に彼と直接話ができてよかったです」とコメントした。 最近の彼が動く映像としては2002年発表の映画『オンリー・ザ・ストロング・サヴァイヴ(邦題、ソウル・サヴァイヴァー)』での出演がある。同映画をプロデュースしたロジャー・フリードマンは、「ピケットは、まさにジェームス・ブラウンに対するアトランティックからの回答だった」とコメント。 フリードマンは先週、ピケットと話した。それによると、「健康問題は、彼はそれほど気にしているようではなく、カンバックすることを考えていた」という。 ウィルソン・ピケットは、1941年3月18日アラバマ州プラットヴィル生まれ。デトロイトに移り住み、ゴスペルグループ、ファルコンズに在籍。ここには、のちに「ノック・オン・ウッド」などの大ヒットを放つエディー・フロイド、あるいはサー・マック・ライスなどが在籍。ファルコンズは「アイ・ファウンド・ラヴ」(62年)のヒットを放ち、ピケットはその後独立。63年、ダブルLからだした「イフ・ユー・ニード・ミー」が小ヒット。その後65年、アトランティックのプロデューサー、ジェリー・ウェクスラーに見出され、彼とともに南部スタックスのスタジオへ行き、レコーディング。移籍第一弾「イン・ザ・ミッドナイト・アワー」が大ヒットし、以後次々とヒットを放つようになった。 以後、「634-5789(ソウルズヴィルUSA)」、「ランド・オブ・1000ダンセス(邦題、ダンス天国)」、「ムスタング・サリー」、「ファンキー・ブロードウェイ」、「エンジン・エンジン・ナンバーナイン」などヒット多数。1991年、ロックンロール・ホール・オブ・フェイム入り。2002年、ソウルミュージックのドキュメンタリー映画『オンリー・ザ・ストロング・サヴァイヴ』に登場した。 激しくシャウトし、ステージ処狭しと派手に動き、観客を圧倒するパフォーマンスが持ち味。またかなり自由奔放なキャラクターが、時に話題を提供した。91年には恐喝などの容疑で逮捕されたり、また飲酒運転で捕まったこともある。ピケットは、「もし自分が歌手出なければ、何をしていたかわからない。だが神様が(自分に)歌う才能を」と振り返る。映画『ソウル・サヴァイヴァー』の中では、自分の6000ドルのスーツや、シャツに1000ドルを払ってもいいなどと話している。 日本には74年、コンサートで来ている。 ENT>OBITUARY>Pickett, Wilson / March 18, 1941 — January 19, 2006

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EWF: “That’s The Way Of The World” Should Be The Last Song

閉め。 なんと7時ちょうどに暗転。前日の17分押しからはちょっと考えられないような遅れなしのスタート。びっくりした。アンコールはやったかって? やりました。でも、途中で1曲なぜか「ヘッド・トゥ・ザ・スカイ」が抜けていました。結局ショウの長さはほとんど同じだった。 「ザ・ヴォイス」ことフィリップ・ベイリーの声は、今回はなかなか力強かった。 オープニングから「サーパンティン・ファイアー」までの30分弱の一気演奏は、否が応でも観客席を盛り上げる。また、後半「ファンタジー」から最後までも、アース・ウインド&ファイアーの力、すべてを出し切る感じで気持ちいい。 だが、全体的に見ていると、やはり、各楽器のソロパートがちょっと長い。 モーリスに代わってフィリップ・ベイリーがカリンバ(アフリカの楽器)を操る「カリンバ・ストーリー」、さらに「エヴィル」でもトランペットなどのかなり長尺ソロパフォーマンスが繰り広げられた。「ファンタジー」のイントロへの導入部のキーボードもちょっと長い。 「レッツ・グルーヴ」から、「ラヴ・ダンス」「ゲットアウェイ」は、メドレーでつながっていた。昨日はどうして「レッツ・グルーヴ」をぴったり演奏して終えられたのだろう。最初から「レッツ・グルーヴ」で終わることが決まっていたのだろうか。今日の演奏を見て、逆に謎に思ってしまった。機材トラブルというのは、思い違いかなあ。 やはり、アース・ウインド&ファイアーのライヴは最後、「ザッツ・ザ・ウェイ・オブ・ザ・ワールド」で閉めてもらわないと。 ■Setlist (++ denotes songs from new album “Illumination”) show started 19:0101. Rock That02. Lovely People ++03. Shining Star04. This Is How I Feel ++05. Saturday Nite (Including riff of “On Your Face”)06. Sun Goddess07. … Continue reading

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Earth, Wind & Fire: Live At Budoukan, Why They Didn’t Play Encore Song?

【なぜ、アンコールがなかったのか】 ノーアンコール。 アース・ウインド&ファイアーの2004年9月以来、1年4ヶ月ぶり11度目の来日コンサート。モーリスはいないが、とりあえず、現存のR&Bセルフ・コンテインド・グループとしては、実力ナンバーワンといっていいだろう。 アフリカ風のオープニングから「ロック・ザット」で観客を立たせ、新曲「ラヴリー・ピープル」~「サーパンティン・ファイアー」まで一気にまくしたてる。このノンストップの無駄のない選曲とパフォーマンスは、アースならではのもの。 ピンクの上下という随分と目立ついでたちで登場したべースのヴァーディン・ホワイトは、とにかくエネルギーいっぱいで飛び跳ねる。メンバー紹介で、「エナジー・オブ・アース・ウインド&ファイアー」と紹介されていたが、本当にその通りだ。 ほぼ満席の武道館は、アリーナは1曲目「ロック・ザット」から総立ち。「ピュア・ゴールド」あたりでやっと少しずつ座り始めるという感じで、スロー以外はリズムにあわせて腰を揺らし、腕を振り踊る。おもしろかったのは、新作に収録の「ザ・ウェイ・ユー・ムーヴ」。最近の人たちにはアウトキャストのヒットのカヴァーということで、大受けしそうな曲なのだが、このセットリストの中ではスローを除いては、一番のりが悪かった。観客が「こんな曲しらないぞ」という感じでほとんどリアクションがないのだ。アメリカでのリアクションはどうなのか知らないが、アース・ウインド&ファイアーがこの曲をカヴァーする必然性があるかどうか、議論の余地のあるところだろう。しかし、そんな観客も「ファンタジー」以降のヒット曲連続のところは、これ以上ないというほど盛り上がる。ディスコでもここまで踊らないだろうというほどののりだ。武道館の気温が一挙に3度くらい上昇!  ちょっと細かい点で言うと、「リーズンズ」のギターソロは長すぎ。なくてもいいかも。「ファンタジー」の導入部のキーボードソロも長すぎ。全体的に、各楽器のソロ部分がけっこうフィーチャーされるのだが、ちょっと長いような気がした。前半のたたみかけるところがいいだけに、このあたりがちょっともったいない。 事前に今回はセットリストをもらっていたので、「レッツ・グルーヴ」の後にアンコールが来ると思っていたのだが、なんと突然客電がついて、「本日のコンサートは・・・」のアナウンス。大阪では「ラヴ・ダンス」「ゲットアウェイ」「ザッツ・ザ・ウェイ・オブ・ザ・ワールド」の3曲をアンコールとしてやっていて、この日も演奏するはずだった。では、なぜアンコールがなかったのか。 観客ののりが悪かった? いや、そんなことはない。観客ののりは最高だった。疲れた? いやあ、あれだけの体力があるバンドメンバーだ。それも考えにくい。というところで、謎が残ったまま外に出た。 実は、「レッツ・グルーヴ」を演奏している最中、どうやらキーボードのどれかがトラブルになったようなのだ。途中から演奏をやめてしまっていたという。ちょっと僕は気がつかなかったのだが、後で会ったこのライヴを見ていたミュージシャンのひとりが、それを指摘していた。つまり、3台あるうちのどれかが壊れ、そのために、残る3曲のデータが入っていたりすると、当然演奏できない。よって、アンコールなしになってしまったというわけだ。機材トラブルのためアンコールなし、ということになったらしい。 さて、2日目は無事アンコールまで行くだろうか。ところで、久々に武道館、1階南で見たのだが、いつもブルーノートのような小さなところで見るのに慣れていると、ステージが遠い。(笑) ライヴが始まってすぐに忘れ物に気づいた。それはオペラグラス。今度は忘れないようにしなきゃ。 ■Setlist (++ denotes songs from new album “Illumination”) show started 19:1701. Rock That02. Lovely People ++03. Shining Star04. This Is How I Feel ++05. Saturday Nite (Including riff of “On Your … Continue reading

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James Ingram (Part 2) : He’s An Aquarius & B-Positive & Character & Dude & Excellent…

【プロフェッショナル・シンガー】 準備。 フィリップ・ベイリーを始め、アースのバンドメンバーが7-8人、そして、ジェームス・イングラム・バンドの面々が集まって、いろいろ立ち話を始めた。その中に、二人のバックコーラスがいた。ロレインは、みんなにローリーと呼ばれている。そして、デルタ。ローリーは97-8年からジェームス・イングラムのショウに参加しているという。デルタは93年からだという。「ということは、『ハウ・ドゥ・ユー・キープ・ザ・ミュージック・プレイン』はもう数え切れないほど歌ってきたわけですね」 「そうね、13年くらいかしら。もう勘定できないほどね」 「すばらしいコンビネーションでした」 「ありがとう」 「あなた自身のアルバムは?」 「今、作ってるところ」 『ベスト・デュエット』と感じたこのパフォーマンスは、まさに、ジェームスのソウルとデルタのソウルが徐々に近づき、ひとつのソウルに融合し、白く光を放っていたような気さえした。おそらく曲の理解度、歌唱力、演技力、コンビネーションそうしたものが、すべてうまくいき奇蹟のデュエットを生み出したのだろう。 「ベイビー・カム・トゥ・ミー」を一緒にデュエットしたローリーは、フィル・ペリーなどと一緒にツアーを周ったりしているという。日本には、何年か前のジョージ・デュークと一緒に来たこともある。ローリーは、すでに自身のアルバム『ロート・ディス・ソング』(ゴー・ジャズ・レーベル)を出していた。 一段落して、ジェームス・イングラムと会えることになった。「以前、インタヴューして、その時だったか、何人かと一緒に高円寺のソウルフード・レストランに行ったんです」 「今、思い出そうとしてるんだ。たしか、あれか、ボビー・アディソンのことかな。彼とは70年代に一緒にバンドをやっていたんだ」「そうだ、確かそんな名前だったような。彼は日本に住んでる人でしょう?」 「そう、ほんの今しがた彼から電話が入って、メッセージが残っていたんだよ」  「あなたの声の大ファンなんですが、それ以上に親しみを感じることがあって。誕生日が同じなんです。2月16日で」 「なんだって? 本当かい? デビー(ジェームスの奥さんに向かって)、ちょっと聞いてくれ」 「なんですか?」 「(ぼくに向かって)デビーに君の誕生日を言ってくれ」 「2月16日です」 「オ~・マイ・ゴッド! 」 ジェームスが言う。「ちょっと聞いてくれ。僕たちの結婚記念日がいつだかわかるかい? 2月16日なんだよ」 「そうなの、32年よ。結婚して」 「ほかに、オールドスクールのマーヴィン・シーズっていうR&Bシンガーが2月16日なんですよ。でも、あまりヒットがない」 「う~~ん、知らないなあ。ヒット曲は何?」 「僕も覚えてない・・・(笑) 確かマーキュリーからレコードをだしていた」 「そうだ、レオン・ウエアが2月16日生まれだよ! あのマーヴィンゲイの『アイ・ウォント・ユー』の」 「あ、そうでしたね! 彼はあんまりライヴ・パフォーマンスをしませんねえ」 「そうだね、あんまりやらないねえ」 「ジェームスさん、あなたは自分の血液型を知ってますか?」 「Bポジティヴだよ」 「えええっ、あなたもB型? 僕も、B型。どちらも、水瓶座のB型だ・・・」 デビーが再び「オー・マイ・ゴッド!」。「俺たちは兄弟かい?(笑) もしかして親が同じで・・・(笑)」  ジェームス・イングラムの次のアルバムは「インスピレーショナルなアルバム」になるということだ。「ゴスペルのアルバムですか」と聞くと、「ゴスペルのフレイヴァーはあるけど、ゴスペルというよりか、インスピレーショナルなアルバムだなあ」 デビーが付け加えた。「その後は、ビッグバンドのアルバムを作るのよ」 そして、さらに「ジェフリー・オズボーン、ピーボ・ブライソンと僕の3人でアルバムを作って、ツアーに出るんだよ」 「わお、それはすごい! 」 LSGというリヴァート、スゥエット、ギルという3人の強力トリオがあったが、21世紀の強力トリオの誕生だ。頭文字を取ると、OBIかIBOかBIOか。お、BIOが語呂がいい!  「どんな曲を歌うんですか」 「スタンダードになるような曲だ、あ、スタンダードということではなく、オリジナルだよ。何かいい曲持ってるかい?」 「いや、僕は曲は書かないんで、でも、隠れたグレイトソングスはたくさん知ってます。つまり、とてもいい曲だけど、正しい歌手によって歌われてなくてヒットにはなってないような曲という意味です」 「よくわかるよ」  今回、ジェームス・イングラムは日曜から始まり、水曜が休み、そして木から土まで。水曜に、この日遊びに来たアースのライヴがある。「あなたは、オフの水曜に、アースのライヴには行くのですか」 「いやあ、多分行かないと思う。すごく行きたいんだけど、6日間の12回のショウの途中だからね。喉を休めないと。ライヴに行ったら、叫んだり、歌ったりしちゃうだろう。(笑) 今日はアースのメンバーたちがやってきて、こうして話をしているけど、ふだんは1日僕はしゃべらないんだ。喉を休めるためにね」 これを聞いて僕は彼がシンガーとしてプロ中のプロだと言うエピソードを思い出した。確か、クインシーが言っていたことだと思うが、朝10時からのレコーディングでもジェームスは6時に起きて、ジョギングして、体調を完璧にしてから、レコーディングに臨むような人物だということだ。スポーツ選手が試合前に充分にアップ(準備運動)をするように、シンガー、ジェームス・イングラムは本番前に充分な準備をする男だ。 まさにシンガーの鏡・・・。 ■ブルーノートウェッブhttp://www.bluenote.co.jp/art/20060115.html (1月21日土曜まで毎日、7時と9時半スタート。1月18日水曜だけ休み) (2006年1月16日月曜、東京ブルーノート・セカンド=ジェームス・イングラム・ライヴ) ENT>MUSIC>LIVE>Ingram, James

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James Ingram(Part 1); He’s The Dude, The Cool 

(ライヴのネタばれになります。これから行かれるかたは、あなた自身のリスクにおいてお読みください) 【粋な男、ジェームス・イングラム・ライヴ】 歌心。 彼は僕が個人的に大好きなシンガーのひとりだ。「ミスター・ジャスト・ワンス」「ヴォイス・オブ・クインシー・ジョーンズ」、その名はジェームス・イングラム。なんと言っても「ジャスト・ワンス」で知った彼の声の大ファン。日本にも81年7月のクインシー・ジョーンズの来日時に、ジェームスは一緒に来ていて「ジャスト・ワンス」「ワン・ハンドレッド・ウェイズ」などを歌った。その後91年頃、汐留のパックスシアター、サイカにやってきてフルショウを見た。さらに、もう一度くらい見ているはずだが、ちょっと正確に記憶していない。 で、それはともかく、90年代に正式にインタヴューしたが、なぜかそのテープが見つからない。その時だったか、日本在住のミュージシャン、ボビー・アディスン(?)と一緒に、高円寺あたりの今はなきソウルフード・レストランに行ったことを覚えている。ボビーとジェームスは、以前一緒にバンドをやっていたとかだった。で、それはともかく、なぜことのほか彼に親近感があるかというと、じつは彼と僕は同じ誕生日だからなのだ。生まれ年は彼のほうがもちろん古いのだが。彼が2月16日生まれといつ知ったか正確には思い出せないが、それ以来、やたらと勝手に親しみを感じている。(笑) さて、2001年頃、日本には来ているらしく、彼にとってはおよそ5年ぶりくらいの来日らしいが、いずれにせよ、久々に見るジェームス・イングラムは、やはりすばらしいシンガーだった。 2曲のインスト(演奏曲)で観客をウォームアップしてからおもむろに登場。いきなり、「ワン・ハンドレッド・ウェイズ」だ。そして、そのイントロにちょっとアースの「ザッツ・ザ・ウェイ・オブ・ザ・ワールド」のリフをはさみこんだ!  ■「ワン・ハンドレッド・ウェイズ」についての記事 2003/09/03 (Wed) “One Hundred Ways”: Very Special Song For A Singer And A Producer And More… http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200309/diary20030903.html しかし、かっこいいなあ。男っぽく、そして、粋。ソウルがあり、ファンキーでもあり、しかも洗練されている。スローバラードを歌うのに、あれほど熱く、よく動いて、グルーヴ感を感じさせるシンガーは他にいない。 「みなさんに、拍手をしていただきたい人たちがいます。すばらしい友人で、世界最高のバンド、アース・ウインド&ファイアー!」 ちょうど、アースのメンバーが会場に来ていたのだ。 続いて「ジャスト・ワンス」。このエンディングが実にもったいぶってていい。床に転げ、たっぷり間をとる。手を頭のところに持っていきフリーズするシーンなどは、マイケル・ジャクソンの「シーズ・アウト・オブ・マイ・ライフ」のパフォーマンスを思い出したほど。 さらに、バックコーラスのデルタ・ディッカーソン(背が高く、編みこんだいる方)とともにデュエット曲「ハウ・ドゥ・ユー・キープ・ザ・ミュージック・プレイン」へ。このデルタとのデュエットが言葉にならないほど素晴らしかった。今までも、CDで多くのデュエットを聴いてきて、ライヴでもシンガーたちのデュエットを星の数ほど聴いてきたが、このふたりほど息のあったデュエット曲を聴いたことがない。デルタの歌がまたうまい。僕が聴いた「ベスト・デュエット・ライヴ・パフォーマンス」と言ってもいい。ハーモニーも見事だし、曲頭の歌詞の歌いだしが、完璧に同期する。目をみながら歌っているので、確かにそうなるのもわかるが、それにしても、この一体感はなんだ。どれほど一緒に歌っていると、ここまでパーフェクトになるのだろうか。 ジェームスの歌心、デルタの歌心。ショーが進むにつれ、本当に純粋に「歌力」だけに引き込まれていくのがわかる。歌手が圧倒的なうまさで歌を歌い、シンプルにそこに惹かれるのだ。そしてその歌だけに感動できることの、心地よいことといったらない。 続いて、ロレイン(ロリー)・ベリーとのデュエットで「ベイビー・カム・トゥ・ミー」。ロレインの声は、デルタより低く太く、これまたいい。二人とも体格もしっかりしていて、いかにもゴスペル上がりということが見るだけでわかる。 全米ナンバーワン・ソング「アイ・ドント・ハヴ・ザ・パート」は、ジェームスが客席に下りてきて、ひとりの女性に向かってずっと歌う。すると途中からサックス奏者がそこに割り込み、歌とサックスでその女性への愛の告白バトルとなる。 多くのシンガーの客演となったクインシー・ジョーンズの「シークレット・ガーデン」では、故バリー・ホワイトのパートを声色を真似てジェームスがやった。と思えば、「ヤー・モー・ビー・ゼア」は、途中からマイケル・マクドナルドの声色をやる。これが、また似てる! うまい。どうしてここまで「歌心」があるのだろうか。シャウト系のR&Bシンガーではない。スムース、スリック、シルキー。なんと表現したらよいのだろう。それにあの高い声で「う~~~」とやられるだけで、まいる、降参だ。 ちょっとした動きに粋を感じさせるジェームス・イングラム。彼のような男をまさに「The Dude」(ザ・デュード=粋男、気取った男、都会人)という。 全12曲(実質10曲)1時間9分(ジェームスの出番は60分を切る)は、ちょっと短い気もしたが、こんな圧倒的な歌を聞かせてくれれば満足度は高い。唯一心残りは、あまりお客さんがはいっていないこと。これはもったいない。ヴォーカル好きの人は、ぜひ足をお運びください。 アンコールが終わりしばらくすると楽屋の入口あたりに、アースのメンバーたちとバンドメンバーたちが集まり始めた。 (続く) ■メンバー James … Continue reading

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Earth Wind & Fire: Paper Sleeve CD Released

【アース・ウインド&ファイアー、紙ジャケで6作リリース】 帯。 いよいよ大阪公演が始まったアース・ウインド&ファイアー。東京は18日(水曜)と19日(木曜)。11回目の来日コンサートとなるが、これにあわせてアース・ウインド&ファイアーの70年代から80年代の6作品が、紙ジャケットになってリリースされた。今回は『ベスト』、『ベストVOL.2』、『黙示録(アイ・アム)』、『フェイセス』、『天空の女神(レイズ)』、『創世紀(パワーライト)』の6枚。これまでに、以前の作品群が紙ジャケットになっていて、ソニー時代のアース・ウインド&ファイアー作品はほぼ紙ジャケットになった。 今回の紙ジャケットの制作のこだわりは、なんと帯も当時のものを出来うる限り再現しようという点だった。昔の日本盤アナログ・ディスクには、必ず帯というものがかかっていた。ところが、レコード会社には、ジャケットのフィルム・パーツ(印刷する時のジャケットのネガにあたる部分)は保管されているが、さすがにこの帯の部分は残っていない。 当時のアナログのサンプル盤が残っていれば、それを参考にすればいいが、20年以上前のものはもう残っていない。仮にあったとしても、ジャケット本体は残っていても、帯は捨てられてていたりする。僕の周囲のレコードコレクターたちも、日本盤を持っていても、帯は意外と捨てる人が多いのだ。 そこで、2ヶ月ほど前、この制作担当者から連絡があって、アース・ウインド&ファイアーの日本盤を持っているかと尋ねられた。幸い、僕はほとんどのものを持っていて、しかも日本盤の帯も大事に保存していたので、そのまま貸すことになった。なかなか物を捨てられない性格が、唯一役に立つ瞬間だ。 細かく見ると、今回ライナーを書き直したりして、リリース当時のライナーの筆者と変わっている部分などは、しっかりこのCDの筆者の名前になっていたり、値段部分などは、ちゃんと変更されているが、キャッチコピーやタイトルの字体などそっくりそのまま再現されている。それに加え、CDのレーベル面も、当時のレーベルをそのまま印刷している。 ところで、『黙示録(アイ・アム)』の英文ライナーの中で「結局私たちのパートは半分にカットした」という日本語があったが、意味がわからなかったので英文に戻ったらこうだった。I think we cut our parts in about an hour-and-half. うむ、誤訳だった。ここでいうcutは、単純にrecorded の意味。正しくは、「私たちは自分たちのパート(コーラス部分)を1時間半くらいでレコーディングしたと思う」ということになる。 ENT>MUSIC>ALBUM>Earth Wind & Fire

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Oen I Ost: Musical

【ミュージカル『ウーエン・イ・ウースト』】 ロボット。 オリジナル・ミュージカル「ウーエン・イ・ウースト」を新宿シアター・アップルにて観劇。ダンスと歌と若干の演劇が混ざったミュージカル仕様のもの。エンタテインメント業界大手のアミューズの大里会長が、もともとロボットをテーマにしたエンタテインメントを作りたいという考えを持っていたところ、昨年、デンマーク人のスティーン・カーナーと出会い、このミュージカルが作られた。 観劇前にはプログラムは買わなかったが、見終わった後、あらすじなどがわからなかったので買ってみた。どうやら、舞台は1867年と2067年らしい。2067年の世界ではロボットが人間を支配しているという。そんな世界に反旗を翻すというストーリーのようだ。ストーリーのスタートは、1867年で、その次に2067年になり、最後また1867年に戻ったのだが、このあたりがよくわからない。 ま、ストーリーのわからなさはおいといて、一言で言うとパニクルーというダンスチームのダンスがうまかった。他に女の子のグループ、バジー(?)たちが歌って踊っていたが、これはアイドルみたいだった。セリフはつらい。また、最近大ブレイク中の演劇ユニット、チーム・ナックスから2名が参加。また、本格的なバレーを踊る人、本格的なロボットダンスを踊る人などが舞台にでているが彼らはさすがにうまい。ストーリーとか歌を聴くのではなく、単にダンスを見る、ということにしたほうがいいだろう。 なによりも感心したのは、約2時間10分の舞台が終って、キャストたちが舞台に勢ぞろいし、それぞれのグループが挨拶をしたところ。みんなトークがうまい。彼らのトークを生かすものができたら、これはいいだろう。パニクリューの代表のトークなんか、一気に観客たちをつかんだ。 (2006年1月13日金曜、新宿シアターアップル=ウーエン・イ・ウースト公演) ENT>MUSICAL>Oen I Ost 2006-004

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The Show Must Go On: The Story Must Go On (Part 2 of 2 Parts)

【いつの日にか「グッド・タイムス・ストーリー」を~】 出会い。 僕はふだん、あまり郊外に行く機会がない。たまプラーザも、あざみ野も名前は聞くが実際訪れたことはなかった。住所と地図を頼りにマルターノを目指した。万一、大西さんがいないと話ができないので、行く前に念のため電話をしてみた。店は今日は営業しているか、大西さんはいらっしゃるか、ホームページのストーリーを読んで感銘したので、ぜひ会いたいと電話にでた女性に伝えた。その場に大西さんはいなかったが、ほんのすぐ後に折り返し電話があり、いらっしゃればお会いするとのことだった。 その時に大体の場所を聞いた。一応地図でめぼしはつけていたのだが・・・。電話では、あざみ野と江田の中間くらい、駅では江田が近いと言われた。東名で東名川崎で下りてたまプラーザを目指すことにした。しかし、車に乗っていた地図はかなり古いものだった。なんと、その地図にはまだ「青葉区」がなかったのだ。(笑=相当古い地図です) 東名川崎で下りた時に料金所の人にあざみ野に行くのにはどういったらいいのか尋ねたら、小さな一枚の地図をくれ、これをこういって次を左折して突き当たりを右に行けばたまプラーザ、その道にそっていけばあざみ野です、と言われた。 その指示どおりに行くとすぐにたまプラーザについた。しかし、そのまま道を進むと行き止まりになってしまい、感覚でこっちのほうかなという方向に走らせた。ところがどうやら違っていたようで、新百合丘の表示がでてきて、まちがえたことに気づいた。途中のコンビニで地図を買い、店の人にあざみ野にはどうやっていったらいいかを尋ねると、この道をまっすぐ行って、左に洋服の青山があったらそこを右折です、と言われた。その指示どおりに行くとあざみ野の駅についた。地図は買わなくてもよかったわけだが、まあ、一冊新しい地図を持っていてもいいだろうと自分に言い聞かせた。今度の地図には「青葉区」は載ってるし・・・。 そして、あざみ野からホームページからとってきた地図を頼りに行ってみたが、見つけられず、駅に戻りお店にもう一度電話して、駅前からの行き方を尋ねた。するとその道を坂を登る感じにまっすぐ進んでください、二個目の信号の角です、と言われその指示どおりに行くと、左手にマルターノが忽然と姿を現した。住宅街の中に一軒、ぽつりとイタリア風ピッツェリアがあった。 お店は天井が高く、ホームページで見た感じと同じだった。壁に絵が書かれていて、その大きな男の絵がマルターノ氏かと思った。メニューを見ながらオーダーを決めていると、大西さんがやってきた。「大西さんですか、吉岡です」 彼は一瞬けげんそうな顔をしたが、名刺を交換すると、「あの、ソウル・サーチンの吉岡さんですか」、ということで、すぐにわかっていただいた。ちょっと驚かれているようだった。 前日にマルターノのホームページのストーリーにいたく感銘して速攻で飛んだきたことなどを話した。すると、大西さんによると、このストーリーはほんの2週間前にアップしたばかりだという。僕が、本を検索していてこのページに当たったことを話したが、もし3週間前だったら、この出会いはなかったことになる。それにしても、インターネットとは、なんというドラマを演出するものだろうか。ヤフーあなどれずだ。 すでにホームページに大西さんが書かれているが、実はこのストーリーの中でマルターノに関する部分はフィクションなのである。それは、お店のホームページを作る時に、当たり前のものは作りたくなかった、それなりのストーリーが欲しかったということでこの物語が生まれた、という。「(ストーリーを書くのには)随分かかりましたよ。79年のあたりから、ディーラーやって、ブルーノート行ってという実際のストーリーの骨格はできていて、そこにピッツァということで、あのマルターノのキャラクターができてきたんです。それ以外は全部実際の話ですけどね」と言う。 「僕は、あの 『俺は一人でピッツァを喰う奴が好きなんだ』というセリフがものすごく気に入ったんですよ。あと、ピッツァは5分で、という部分」 「あれは、僕自身の思いですね。5分で食べて欲しいという僕自身の考えですね。あ、でも(チェーン店の)ゴッドファーザース・ピッツァはよく行きましたよ」  「ライヴハウスをおやりになりたい?」 「ライヴハウスということよりも、まず、レストランとしてしっかり地に足のついた足場を固めなければと思っています」 このマルターノは30坪弱。大西さんによれば、何軒かこのマルターノを成功させて、何年か後にもっと広いお店を出し、そこでとてもおいしい料理といいライヴ音楽を提供してグッド・タイムスを演出したい、という。そして店の名前は「グッド・タイムス」と決めていると告白してくれた。柿落としはナイル・ロジャースにお願いしたい、とも。 それまで彼がずっとヴァーチャルな仕事ばかりをしてきたので、なんとなくリアルな仕事をしたくなっていたとも言った。 この田園都市線沿線は、高級住宅街と言ってもよく可処分所得が多い人たちが住んでいるという。音楽への理解も高いなど、この地域の特性などから、彼の音楽へのこだわり、ピッツァ自体へのこだわりなど、話題は多岐にわたった。僕はこのような夢のある話が大好きだ。 そして大西さんは「ぜひ、シックの話の続きを書いて欲しいですね」と言った。『ソウル・サーチン』を書き終えた時には、まさかこんな展開が起こるなど夢にも思わなかった。話が続くということさえ考えもしなかったが、2004年5月にジョン・ホワイトヘッドの死去のニュースを聞いた時に、これはなんらかの続編を書かなければならないな、とうっすら思い始めていた。しかし、大西さんの夢を聞いた時、これは大河ドラマの第二部がまだまだあるぞ、という気にさせられた。前書きで書いたように次の主人公がでてきたのだ。そう、ソウル・サーチンの次の主人公は大西さんだ。 話は尽きず、マルターノはいつのまにか閉店時刻になった。大西さんが近くの行きつけの和食レストランに行きませんかと誘ってくれた。徒歩でほんの5分ほどのところにある「カルタ(Karuta)」という店に行った。ご主人と名刺交換をすると、僕の名刺を見てそのご主人も驚かれた。大西さんから話を聞いて、シックのストーリーを読んでいたのだ。このカルタでも話は続いた。 大西さんは外為のディーラーをやっていた頃の話、今後の店の展開、ライヴハウスへの展望などいろいろと話してくれた。そして、ぽつりと言った。「2009年くらいですかねえ、希望としては」  「ここは東名の横浜青葉(インターチェンジ)のほうが近いんですよ。その入口までお送りします」 大西さんの案内で帰り道はあっという間に東名に乗ることができた。それにしても、おもしろい出会いだ。 物語に終わりはない。物語は続く。「マルターノ・ストーリー」からいつの日にか「グッド・タイムス・ストーリー」へ。夢に限りはない。夢は持ち続ける者にこそ叶う。 ■マルターノ・ストーリーhttp://www.martano.jp/story/1.html ■ソウル・サーチン:第4話: シック~友情という名のメロディー~ http://www.soulsearchin.com/soulsearchin/4-1.html ENT>MUSIC>STORY>Chic

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Like The Show Must Go On, The Story Must Go On (Part 1 of 2 Parts)

【シックの「グッド・タイムス」が結ぶ点と線】 検索。 物語に終わりはない。物語は続く。夢に限りはない。夢は持ち続ける者にこそ叶う。 僕は『ソウル・サーチン』を2000年6月に書き上げた。7組のアーティストの栄光と挫折を描いた物語だ。その前書きでこう書いた。 「ここではたまたまミュージシャン七組をとりあげているが、『ソウル・サーチン』をするのは、別にミュージシャンに限ったことではない。エンタテイナーであれ、スポーツ選手であれ、起業家であれ、あるいはまったく無名のひとりの市民でもいいのだ。この本にインスパイアーされて、次の『ソウル・サーチン』の主人公となるのは、あなたかもしれないのだ。もし本書がそんなあなた自身のソウル・サーチンの手助けになれば、筆者としてはこれほどの喜びはない。」 そんな続きを描いてくれそうな人が登場した。1979年夏、アメリカにいっていたひとりの学生がシックの「グッドタイムス」を聴いていた。84年その彼は再び一年間留学のためにアメリカに渡っていた。その後外資系金融関係の仕事をしていた彼は、2003年4月18日、たまたま前日にJウェイヴのラジオ番組『ソウル・トレイン』で、シックがブルーノートに来ていると聞き、ブルーノートを訪れた。 その日は、シックのナイル・ロジャースにとっても特別な感情の混ざる日だった。相棒のバーナード・エドワーズ7回目の命日だったのである。バーナードは、7年前の同じ日、ここ東京で亡くなっていた。ナイルは、「グッド・タイムス」をアンコールで演奏した。それを聴きながら彼も、79年の夏を、そして、それからの24年間の自らの人生をかみしめていた。彼は自身の人生の転機を感じ取った。 彼はグッドタイムス、グッドミュージックをひとつのビジネスにまとめたいと思った。夢はどんどん膨らんだ。いつの日か、おいしい食事ができ、グッドミュージックが流れるような店をやりたい。店の名前は密かに決めていた。「グッド・タイムス」だ。そして、その柿落とし(こけらおとし)にはぜひナイル・ロジャースに来て演奏してもらいたい。今は、夢の夢だ。そして、その実現のためには何段階もステップが必要だということもわかっている。 シックをブルーノートで見てからほぼ1年で彼は田園都市線沿線・あざみ野におしゃれなピッツェリアをオープンした。そのホームページを作り、オープンまでの物語を自ら見事な筆致で描いた。そして、その中で「ソウル・サーチンのシックの項」にリンクを張っていた。ピッツェリアの名前はマルターノ。オウナーの名は大西さん。 先日、僕はたまたま自著『ソウル・サーチン』をインターネットで検索していた。出版社にも在庫はなくなり、増刷もしないという決定を聞いており、しかし欲しい人はいるので、中古で買えるなら自分で買っておこうというつもりだったのだ。以前も一冊、友人に中古を紹介したことがあった。そして、その検索過程で、驚いたことにこの中古本が定価より高く販売されていることを知った。評価されていることは嬉しいというか、しかし、定価より高くというのはあまり嬉しくはなく複雑な心境だ。これは、早いところ文庫化しなければ、と思っていた。そんな中で、偶然僕はこのマルターノのウェッブに出会った。 マルターノのウェッブ・トップページhttp://www.martano.jp/ ここに「マップ」、「ブログ」などともにストーリーという項があり、僕はそこをクリックして読み始めた。ストーリーのトップにはシックのアルバムジャケットが飾られていていやがおうでも興味を誘われた。 マルターノ・ストーリーの1ページ目。10ページまである。http://www.martano.jp/story/1.html それは79年、この物語の主人公オオニシが短期留学しているところから始まる。79年から84年、90年、96年、そして2003年と時系列に沿った見事なストーリーで思わず全部を一気に読んでしまった。興味深かったので文字数を勘定すると、13000字以上(400字詰原稿用紙にすれば40枚近くになる)もある大作だ。(興味ある方はぜひ、そちらを先にお読みください) 僕がまずやられたのは、オオニシとエンツォ・マルターノが出会うシーン。マルターノは、オオニシに「俺は一人でピッツァを喰う奴が好きなんだ。」と言う。まるでアメリカ映画のようではないか。そして、紆余曲折あって彼がブルーノートに磁石に吸い寄せられるように向かう。 シックの「グッド・タイムス」は大西さんにとっては、タイムカプセルを開けるきっかけとなった。そして、僕にとっては「ソウル・サーチン:シック~友情という名のメロディー~ 」を書くために何度も何度も聞いた曲でもあった。大ヒット曲は、聞く人それぞれに思い入れや思い出が宿るものだ。大西さんにとっての「グッド・タイムス」という点と、僕の「グッド・タイムス」という点が線になって交差したような気がした。 この物語を深夜に読み終えて、僕はこのお店に行ってみたい、この人に会うしかないと思った。そして、翌日、夕方仕事を終えてから、あざみ野に向かうことにしたのだ。 (パート2へ続く) ■ソウル・サーチン:第4話: シック~友情という名のメロディー~ http://www.soulsearchin.com/soulsearchin/4-1.html ENT>MUSIC>STORY>Chic ++++++++++++++++++++++++++

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Kunimoto Takeharu (Part 2): New Wave Of Roukyoku: Trying To Find Soul Of Shamisen

【浪曲のニューウエイヴ~国本武春さん(パート2)】 ニューウエイヴ。 こんなおもしろい芸をやってくれた人に話を聞かないわけにいかない。とりあえず、もろもろ終ってからいろいろお話を聞いた。武春さんは、1960年11月1日千葉生まれ。高校までにフラットマンドリンなどを演奏。その後、民謡ブームが巻き起こった80年代に三味線をやるようになった。両親が浪曲や三味線をやっていたことから、比較的子供の頃から見ていたが、このころから徐々に真剣に勉強するようになった。とは言っても、こうした三味線は師匠の元でいろいろやるものの、基本的には独学。 いわゆる寄席演芸に興味を持ち、浪曲の師匠に弟子入りするが、その頃も今も、浪曲の道に進もうなどと思う人はめったにいない。武春さんはその師匠にとって15年ぶりの弟子だったそうだ。そして、武春さんの次に弟子が入るのはその10年後だそうで、言ってみれば25年で2人くらいしか弟子がこないというひじょうに珍しい世界だ。それを聞いて、「じゃあ、武春さんは、10年にひとりの逸材ですね!」というと、「ま、他にいませんから(笑)」。 武春さんによれば、ざっくり言うと浪曲の歴史は150年、落語は300年、講談は500年だそうで、講談、落語家などからは、ちょっと見下ろされる感じの位置にいるそうだ。「しかし、浪曲は何でもありで、しかも、やるたびに毎回違う」というそのアドリブ性が大衆から大変支持された。おもしろいことに、落語、浪曲、講談はそれぞれひとつの派閥であり、この三者は原則的に同じ舞台には立たないそうだ。 「基本的には、浪曲でやる三味線はワンコードです。僕はB♭(フラット)です。最初から最後までB♭。その中で何でもできますよ」「今日は、三味線と『うなり(歌うこと)』をひとりでやりましたが、古典をやる時は僕はうなりで、別に三味線をやる人がいます。もちろん、うまい三味線の人と一緒にやれば、うなる方ものってきて、うまくアドリブができたりします」  ワンコードで最後まで押し切るところなどは、ブルースや一部のソウルの楽曲と同じだ。ジェームス・ブラウンのワンコード・ファンクと三味線のワンコード音楽の共通点はいかに。ルーツ的な音楽は、その一番下の根っ子のところ、どこか地球の奥深くの地下水脈でつながっているものである。アメリカ南部のブルースと日本の浪曲も、案外地球の下のほうでつながっているのかもしれない。 彼のアップテンポの曲にグルーヴ感を感じて驚いた僕はその秘密が知りたかった。「多分、僕がブルーグラスやブルースなど洋楽を聴いていたから、ユニークな三味線が弾けるようになったのかもしれません」 確かにその通りだ。三味線でグルーヴを出せるかというテーマは、結局は演奏者の体内にグルーヴ感があるかどうかにかかってくるということの証明だ。 このパーティーに武春さんを招いたオウナーシェフの田辺さんは「彼のようなプロの仕事を見るとね、本当に勉強になるんですよ。僕の仕事にもヒントになるしね。こう究極でしょう。突き詰めてる。料理も突き詰めることがね、大事でね」と言う。田辺さんと武春さんは、テレビ番組の取材で知り合った。武春さんが、ヌキテパにやってきて、その料理について即興で浪曲を作って披露するという内容だったそうだ。 武春さんは、2002年ブロードウェイ・ミュージカル『太平洋序曲』でニューヨーカーたちの前で、ストーリーテラーとして浪曲をナレーション的に披露した。そのときアメリカ人から大喝采を集め、「なんでこんなにバカ受けするんだろう。そんならもう一度アメリカ、行ったろか」と思った、という。そして、文化庁の招待で2003年9月から1年間テネシー州に行き、文化交流をはかった。その時の経験は現在の三味線プレイ・スタイルにずいぶんと影響を与えているという。武春さんは、CDも数枚リリースしている。 圧巻だった最後の「ザ・忠臣蔵」は、この日はまだパート1くらい。この物語の続きがまだまだある。10年以上前、作ってやり始めた頃は、このパート1だけでももっともっと長かったという。それが徐々に無駄がそがれ、いい形になってきた。この日聞いた「ザ・忠臣蔵」は、実にうまくコンパクトにまとまっていたという印象を持った。「忠臣蔵に限らず、今の話でもそこに起承転結のあるドラマが三味線にいれこめれば、何でもできると思います」 確かに、浪曲師イコール・ストーリーテラー(語り部)である。そのメッセージの伝え方が、浪曲なのか、朗読なのか、落語なのか、歌を歌うということなのか、その違いだけだ。 浪曲と言っても、まさに今風のアレンジがなされ、武春さんの浪曲は浪曲のニューウエイブという感じだ。新しい日本の文化スタイルのひとつと言っていいだろう。アメリカでは、基本的には日本語で歌い、アメリカ人観客は外国語ミュージカルを見るように舞台の上部に出る字幕を読んで理解する。今度は、ひょっとして三味線プレイに英語でもうまく乗せてみたら、さらにバカ受けするかもしれない。あの「ブルース」ネタなど絶対にアメリカ受けする! 武春さんには、ぜひとも三味線のソウル(魂)をアメリカ人たちに教えて欲しい。 ■国本武春さんオフィシャル・ウェッブhttp://homepage2.nifty.com/ts-sonic/ (2005年12月26日月曜、島津山レストラン・ヌキテパ=国本武春・ライヴ) ENT>MUSIC>ARTIST>Kunimoto, TakeharuENT>MUSIC>LIVE>Kunimoto, TakeharuENT>MUSIC>ESSAY>Shamisen

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Kunimoto Takeharu (Part 1): Live At Ne Quittez Pas

【浪曲のニューウエイヴ~国本武春さん(パート1)】 浪曲。 島津山のフレンチ・レストラン・ヌキテパで、年に一度行われる忘年会。そこにフランクリンの幸三さんが出るというので、ちょっとのぞきにいった。みなさん、食事を終えてからジャズの演奏を楽しむ。オウナー・シェフの田辺さんが「よこはま・たそがれ」他1曲をワンコーラスだけ歌って、受けていた。歌詞カードを置いていた譜面台のあたりに照明が当たっていなくて、ちらちら歌詞カードを見ていた田辺さんに、「暗くて、読めなくなかったですか」と尋ねると、「だ、大丈夫、大丈夫。見えたよ。でも漢字が読めなくて~~(笑)」。田辺さんが簡単に司会っぽくやっていたが、けっこうこれがおもしろい。 さて、そのライヴに続いて登場したのが、浪曲の国本武春さん。初めて浪曲というジャンルを見たが、これがすっっっごくおもしろかった。最初に浪曲の簡単な見方というか、観客の合いの手の入れ方の講釈がある。 「三味線が3回、チャンチャンチャンって鳴ったら、『たっぷり!』といれてください。『た』と『ぷ』の間に小さな『っ』をたくさ~~ん、いれて、『たっっっっっっぷり!』っていう感じでお願いします。それから、私がひとっぷし、うなった後は『名調子!』です。じゃあ、やってみましょう」  こういって観客にリハをつける武春さん。「そして、最後は『日本一!』あるいは、『いい男!』、これはそのまんまということで(笑)。で、時々、いいところで、『よ~~』(ちょっと甲高く、裏声っぽく)といれていただくと、なおよろしいか、と。はい、そこ、メモ取られてる方いらっしゃいますね。(笑) (註、ソウル・サーチャーのことです。たっぷり、名調子、日本一と言わなきゃならない言葉をメモしてました) くれぐれも、順番をお間違いないように(笑) では、ちょっとやってみましょう(笑)」 完璧に、エンタテインメントのコール&レスポンスである。 浪曲を歌うことを「うなる」という。そこで、彼の自らのキャッチコピーは「うなるカリスマ」~~。この枕だけで、充分笑えた。 で、それ以後、三味線の簡単な歴史やら、種類、沖縄音楽でおなじみの三線(さんしん)から変化して三味線になったとか、沖縄の三線はゆったりと弾くが、津軽三味線はすごく早いのはなぜか、などという話が次々とでてくる。元々こうした三味線パフォーマンスは、「門付け芸(かどづけげい)」と呼ばれた。家の門のところでやる芸のことだ。獅子舞なども、門付けというわけだ。津軽は、とても寒いので家の外で演奏したりする時に、ゆっくりやってると、凍ってしまうから早く弾く。(笑) てな話を、誠か嘘か、実におもしろおかしく話してくれる。これだけで、充分に学べた。 武春さんは、アメリカに行って演奏する機会があった。もともとブルーグラスなどを演奏していたことから、そうした音楽や世界各地の音楽と三味線のクロスオーヴァーを試みる。三味線でロックンロールをやるとどうなるか、三味線でブルースをやるとどうなるか。ブルーグラスは? フラメンコは? これがまたまたおもしろい。これだけで、充分にエンジョイした。 そして、最後に彼の十八番のひとつという「ザ・忠臣蔵」という演目を披露した。歌に入る前に、簡単な浅野対吉良のストーリーをおもしろおかしく紹介し、この楽曲に進むので、話がじつによくはいってくる。これが二部仕立てになっていて、しかも、「では」といったら、なんとMDで打ち込みのカラオケの音が登場、それにあわせて三味線と「うなり(歌)」をやったのだ。パート1はアップテンポのロック調、そして、パート2がバラード調。最後のエンディングまでしゃべりとオケがきちっと終ったので、びっくりした。これだけで充分、感動した。 特にアップテンポの曲を三味線で弾く時に、かなりファンキーな感じになっていておもしろかった。トータルで50分余だったが、息つく暇もなく次々とネタを出され、充分満腹になった。フル・ショウは1時間半から2時間、ノンストップでやり続けるという。一度、来年のパルコ劇場でも見に行こうかな。 (この項つづく=明日は武春さんのお話) 【関連記事】 ■ソウル・サーチン・ダイアリー2004/04/21 (Wed) The Tugaru Live: Can Shamisen Make Groove? http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200404/diary20040421.html三味線でグルーヴは作れるかというテーマでの一文。 ■国本武春さんオフィシャル・ウェッブhttp://homepage2.nifty.com/ts-sonic/ ■今後のスケジュール(抜粋) 2006/02/21(火)19:00~ 東京・渋谷パルコ劇場どかーん武春劇場in PARCOVol.3 ~“武春”V.S“国本”~古典の日“武春の日”  ~たっぷり ! 古典浪曲~  国本武春 曲師:沢村豊子 全席指定5,000円 (問)パルコ劇場03-3477-5858 2006/02/22(水) 19:00~東京・渋谷パルコ劇場 どかーん武春劇場in PARCOVol.3 ~“武春”V.S“国本”~ 弾き語りの日“国本の日”  … Continue reading

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Murakami Ruika’s Soul Show Vol.2

【村上ルイカ・ソウルショウ第2弾】 あいさつ。 村上ルイカのソウル・ショウ第2弾が、渋谷デュオで行われた。入口にはセカンドを待つ人か、あるいは、ファーストに入れなかった人か、はたまた上のオー・イーストのライヴに入ろうとする人か、かなりの人ごみ。 前回(2005年10月17日=横浜モーションブルー)で歌われた曲からは6曲、他に新たな曲4曲という構成。その初登場の4曲について、少し。3曲目「スロー・ダンス」は、これまで10年間に書きため、まだ発表していない作品から、今日の「ソウル・ショウにぴったりそうな1曲」として選んだという。スローからミディアム調のなかなかいいソウル曲だ。途中に「グローリア、ステイ・ウィズ・ミー、シャイニング・スター、ディスタント・ラヴァー・・・」などのソウルの名曲の名をさりげなく挟み込んでソウルファンの心をくすぐるあたりがにくい。最後は、ライターで火をつけ、消したところで曲が終るという演出。ところが、ライターが消え、曲が終ってしばし沈黙があり、ルイカが「曲が終りました」というアナウンスで、やっと拍手がきた。(笑)  前回ひじょうによかった「アイム・ユア・パペット」(ダン・ペン作、ジェームス&ボビー・ピューリファイのヒット)を再演したあと、いきなりサム・クックの「ユー・センド・ミー」へつなぐ。ちょうど、僕の隣で見ていたブレンダ・ヴォーンが「私、この曲大好き」といいながら、所々歌っていた。そして、「エボニー&アイヴォリー」に続いてメドレーでてきたのが、ルーサー・ヴァンドロスの大ヒット「ネヴァー・トゥ・マッチ」。イントロからあの西山さんのカッティング・ギターが入り、思わずうなった。そして、「トゥイステッド」はキース・スゥエットのヒット。これら4曲が今回初めて耳にした曲だった。 こういうソウル・ショウ、なかなか楽しめる。ステージでルイカは「また三回目をやりたいですね」と言った。 終った後、ライヴを見ていたソウル評論家の大御所、鈴木啓志さんとともに村上さんに会いにあいさつに行く。僕が「いやあ、キース・スゥエットかあ、だったら、『アイ・ウォント・ハー』とかやればいいのに~」と言うと、鈴木氏「いやあ、ニュージャックはむずかしいでしょう。あののりを出すのはかなり厳しい」。で、同じことを村上さんに言うと、「いやあ、あののりは、厳しいねえ・・・」と同じ答え。難しいかあ・・・。(笑) まあ、確かに難しいが・・・。 鈴木氏「『レッツ・ステイ・トゥゲザー』オープニングから、前よりよくなってて、驚いたよ」。僕は「あの未発表オリジナル、よかったよ」というと「ありがとうございます」。そして別れ際、鈴木氏が村上さんに真面目な顔で「じゃあ、これからもがんばってください」と声をかけたのだが、その言葉があまりに軽く表面的だったので、そこにいた一同が爆笑した。で、僕も真似して、「これからもがんばってください」と言ったら、村上さんが苦笑していた。ははは。 October 18, 2005Ruica Murakami Live: The Kayou Soul Showhttp://blog.soulsearchin.com/archives/000595.html Setlist Ruica Show Vol.2 show started 17:3501. Let’s Stay Together (Al Green)02. Special Lady (Ray Goodman & Brown)03. Slow Dance (オリジナル未発表曲)04. I’M Your Puppet … Continue reading

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Tuck & Patti Control Time & Space

【時空を支配するタック&パティー】 支配。 ブルーノート東京では2003年5月以来約2年半ぶりのタック&パティーのブルーノートライヴ(前回ライヴ評は下記リンクに)。(来日自体は2005年1月以来) この日は、東京ブルーノートの今年の第1弾ライヴだった。舞台には椅子もなく、中央に綺麗で立派な花があり、その下に水のペットボトルが数本置かれているだけ。実にシンプルで、ステージが広く見える。そこに登場するのはいつも通り、ギターのタックと歌のパティーだけの二人。 彼ら二人は本当に、この空間の空気と時間の流れを支配する。時空支配者だ。彼らと時を過ごすと、時計の秒針の進み方が、タック&パティーの手によってゆっくりと動かされているような錯覚に陥る。そして、彼らと時を過ごすと、その場の空気が、一段とクリアで愛に満ちあふれたものになっているような気持ちにさせられる。 セットリストはあるような、ないような。その場で決める曲もあるようだ。したがって毎回曲が変わる。3曲目に早くもスティーヴィーの「イフ・イッツ・マジック」。う~ん。うなる。観客にも歌わせた「タイム・アフター・タイム」に続いて、ジョン・コルトレーンで知られる「アフロ・ブルー」にパティーが詞をつけたという「アフロ・ブルー」。これは、なかなかすばらしい。以来、何度も頭の中でこのメロディーがまわってしかたがない。(笑)  パティーが一旦ステージを下り、タックだけが残った。「誰でもが知ってる曲をやろうと思います。でも、僕はまあ、ちょっとしてるくらいかな。いや、つまり、知ってるけれど、あんまり人前でやったことがないということで。(笑) 一体どうなるか、とりあえずやってみよう。『ジョージア・オン・マイ・マインド』!」 それにしても、前日のマンハッタンズのアンコールが「ジョージア・・・」で、この日のタックのソロがまた「ジョージア・・・」とは、本当にアメリカの人はレイ・チャールズが好きなんだなあ、と改めて思った次第。そして、それにしても、タックのギターの超絶ぶり。チョッパーあり、叩くことあり、メロディーも弾けば、パーカッションにもなる。音の強弱も自由自在だ。何度見ても、見惚れる、聴き惚れる。彼と一度、やはり超絶ギターのチャーリー・ハンターのギター・デュオ対決というのを見てみたい。 アンコールになってパティーが言った。「何かリクエストある?」 するとすかさず観客から「テイク・マイ・ブレス・アウェイ」の声。パティーが驚いて答えた。「ちょうど、今それをやろうかと考えていたところなの。心を読んでいただいてありがとう。(笑) 驚いたわ。今年、私たちは一緒に音楽活動を始めて28年、結婚して25年。今日が今年最初のパフォーマンス。それをここブルーノートで始められて光栄です」 そしてそのリクエスト曲について説明した。(ちょっと複雑なので自信ないがたぶん、こういうことだったと思う) 「これは、私たちが初期にレコーディングしたとても思い出深い曲。(彼らの88年のファースト・アルバム『ティアーズ・オブ・ジョイ』に収録されている) 私たちがインドへ旅行した時に、オーストラリアから来たカップルからこの曲(テイクス・マイ・・・)を教わったの。そのカップルは、彼らがスコットランドに行った時に、カナダから来たカップルからこの曲を教わったのね。(笑) で、曲自体はイギリスのソングライター、クレア・ハミルが書いた曲です」  アンコールが終って時計を見れば、11時をゆうに過ぎている。1時間41分、たっぷり満腹になった。時の流れのエアポケットに入ったかの如く、タック&パティーたちがパフォーマンスを見せている間、時間は止まっていたのかもしれない。 ■タック&パティー・関連記事 2003/05/14 (Wed) The Moment of Truth: Tuck & Patti Sung for Me http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200305/diary20030514.html 2003年5月のライヴ評。彼らがリクエストを歌ってくれた。 タック&パティー・ライヴ『感動のリサイクル・マシン』【1994年11月28日・青山ラス・チカス】http://www.soulsearchin.com/entertainment/music/live/tuck19941128.html 1994年11月のライヴ評。彼らの音楽の本質については、ここですべてが語られている。 +++++ Setlist second set (January 6th, 2006) show started 21:4301. Comfort Me02. Everything’s Gonna Be … Continue reading

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Manhattans: Brings The Legacy Of Sam Cook, Ray Charles

【ソウルのレガシーを蘇らせるマンハッタンズ】 レガシー。 マンハッタンズの一番の低音を司るウィンフレッド・ブルー・ラヴェットは、ステージに杖をついて登場してきた。それを見て、思わず、時の流れを感じた。彼らが初来日したのは、1981年3月。「キス&セイ・グッドバイ」(76年)以来、ちょうど80年に「シャイニング・スター」が全米ナンバーワンになった後だ。それから25年経っている・・・。あの時は、中野サンプラザのセンターの一番前の列でマンハッタンズを見た。だから個人的にはものすごく強烈なライヴ体験だった。終った後楽屋に行ったら、今回は来日していないソニー・ビヴィンズに「君がメモしてるのがわかったよ」と言われた。そういえば、あの頃からライヴの曲目とかメモすることがあったんだ。(笑) その時、インタヴューもした。 ブルー・ラヴェットはグループのリーダー格、彼は1943年11月生まれだから、今62歳になる。たしかに杖をついてもおかしくはない年齢だ。そして、彼はステージで一番左に位置し、なんと椅子に座りながらパフォーマンスを繰り広げた。腕と腰を振りながら、他の3人に合わせて踊っている。杖をつき、椅子に座りながら踊るという絵柄だけで、「まあ、年をとったんだなあ」と感慨に耽った。 ステージでは一番右に、復活したジェラルド・アルストン。真中の二人、スキンヘッドがトロイ、髭と黒髪がデイヴィッドの4人編成。これにバンド。やはり、ジェラルドが歌い、ブルーが支えれば、これでマンハッタンズだ。ジェラルドのはりの歌声が響くとまさにグループの振り付けとともに、伝統的ソウル・ショウになる。ノンストップで次々と歌われるマンハッタンズのヒット曲。 ピーク時のパフォーマンスからすれば、このライヴは何割か減なのだが、往年のグループがこうして現役として、伝統的・典型的ソウル・ショウをやってくれる、ということだけで感情的に許せてしまう。そして、彼らの場合、ヒット曲が多いだけに、そのヒット曲の思い出が蘇ると何か微妙に熱い物を感じてしまう。パフォーマンスは65点でも、今日、僕の目の前でやってくれることに95点をあげたい気持ちだ。 「キス&セイ・グッドバイ」がヒットしたのは、76年。また、彼らの初のメジャー・ヒット「ゼアリズ・ノー・ミー・ウィズアウト・ユー」は、73年の大ヒット。33年前だ。この7インチシングルを、昔の家の大きなステレオでかけた記憶が蘇る。そして、「ハート」「ウィ・ネヴァー・ダンス・トゥ・ア・ラヴ・ソング」・・・。 白いスーツに身を包んだ彼らは、しばらく前のJTテイラーのライヴ同様、過去からの使者と言ってもいいだろう。しかし、この日のハイライトは、「ミスター・キス・アンド・セイ・グッドバイ」「ミスター・シャイニング・スター」と紹介されたジェラルドのひとり歌いで聞かせたサム・クックの「ア・チェンジ・イズ・ゴナ・カム」だった。もちろん、マンハッタンズ名義でレコーディングもされているが、元々サム・クックのフォロワーとして知られるジェラルドだけに、思い切りサム節を出し切っていた。 サム・クックのライヴを見ることができない今、こうしたサムの影響直系のいわば「サム・クック・チルドレン」のパフォーマンスを見ることによって、サムへの思いを馳せることができる。きっと、サムが生きていたら、こんな風に歌うのだろう、などと。 「キス・・・」が終わり、アンコールになったら、なんと4人でアカペラでとある曲を歌い始めた。「ジョージア・オン・マイ・マインド」だった。これは、言ってみれば勝手に僕の2005年のテーマみたいに思っている曲なので、感慨深かった。途中からバンド演奏が入ったが、サムだけでなく、レイ・チャールズのレガシーもここに宿った。 Setlist show started 21:4001. Crazy02. I’ll Never Find Another (Find Another Like You)03. Tomorrow04. Wish That You Were Mine05. Hurt06. We Never Dance To A Love Song07. It Feels So … Continue reading

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Lou Rawls Dies Of Lung Cancer At 72

【ルー・ロウルズ死去】 低音。 低音の魅力で60年代から活躍してきたヴェテラン・ソウル・シンガー、ルー・ロウルズが1月6日(金曜)朝、ロス・アンジェルスのシーダース・サイナイ病院で肺ガンのため死去した。72歳だった。ロウルズは、先月、脳にも転移していたガンの手術のため入院していた。彼は2004年12月に肺ガンが見つかり、さらに2005年5月脳にもガンが発見されていた。死の床には2004年1月に結婚した妻のニーナさん、子供たちが付き添った。ロウルズは、ルーアンナ・ロウルズ、ルー・ジュニア・ロウルズ、ケンドラ・スミス、エイデン・ロウルズら4人の子供たちによって送られる。 ロウルズは2005年ワールドシリーズ第二戦が故郷シカゴで行われた時、国歌斉唱した。これは、シカゴ・ホワイトソックス(井口資仁選手所属)とヒューストン・アストロスが対戦した10月23日のこと。このシリーズは、シカゴが4連勝してワールド・シリーズを制している。 ルー・ロウルズは、本名ルールス・アレン・ロウルズ、1933年12月1日シカゴ生まれ。(これまで生年は広く1935年とされていたが、今回33年に改められた) シカゴのサウスサイドで祖母によって育てられた。幼少の頃からゴスペルを歌い頭角を現し、当初はゴスペルシンガーとして活躍。その後、ソウル、ジャズ、ポップと芸域を広げていった。ソウル・ジャイアントのひとりサム・クックとは幼馴染で、サムとともにピルグリム・トラヴェラーズというグループで巡業にでていた。そんな58年、交通事故に会う。同乗者の一人は死去、サムは軽症ですんだが、ルーは大怪我を負い、病院へ搬送される途中で一度は死亡を宣告された。しかし、一週間近くの意識不明を乗り越えその後復活。これを機に彼はゴスペルから世俗的音楽(ソウル、ジャズ)などに転向することになる。 ロスアンジェルスに本拠を移し、コーヒーハウス、ライヴ・ハウスなどで歌い始めるが、キャピトル・レコード近くのコーヒー・ハウスで歌っていたところをキャピトルのプロデューサーに見出され、61年、キャピトル・レコードと契約。ジャズ系の作品を歌いヒットを出す。中でも66年の「ラヴ・イズ・ア・ハーティン・シング」はソウル・チャートで1位を記録、彼の出世作となった。さらに、67年「デッドエンド・ストリート」、71年MGMへ移籍して「ナチュラル・マン」などの大ヒットがでた。「ラヴ・イズ・・・」は、アーサー・コンレイの大ヒット「スイート・ソウル・ミュージック」の中で、ルー・ロウルズの名前とともに、歌われている。 そして、彼にとって最大のヒットとなったのが、76年、フィラデルフィア・インターナショナルからリリースされた「ユール・ネヴァー・ファインド・アナザー・ラヴ・ライク・マイン(邦題、別れたくないのに)」。ポップなソウル曲でソウル・チャートで1位、ポップ部門でも2位を記録、ゴールド・ディスクに輝いた。グラミー賞に12回ノミネートされ、「デッドエンド・ストリート」、「ナチュラル・マン」、「アンミステイカブリー・ルー」で3回受賞している。 彼の最大の魅力は、4オクターヴが出るという低音の声。この声だけで、彼とわかり、しかもその渋さで爆発的人気を得た。ゴスペルをルーツにしながらも、ソウル、R&B、ポップ、ジャズとあらゆる音楽ジャンルに挑戦したことも、彼の革新的なところだった。また、70枚以上のアルバム、18本の映画、16本のテレビ・シリーズにも出演、CMでもおなじみになっている。映画の中には『ブルース・ブラザース2000』などがある。アメリカでは76年以来ビールのアンハイザー・ブッシュのCMで彼の存在がよく知られている。 また、ロウルズは様々な慈善事業、社会活動にも熱心だった。特によくしられているのが、ユナイテッド・ニグロ・カレッジ・ファンド(黒人大学基金)への資金集めのチャリティー・イヴェントでの活動。これまでに2億ドル以上を集めたという。 日本には71年、89年、90年と来ている。また、90年にはホンダのCMで「ラヴ・ミー・テンダー」が使われ、日本でも人気となった。 ■ルー・ロウルズ関連記事 2005/01/18 (Tue) Lou Rawls, Daddy Again At 69 http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200501/diary20050118.html この時点では1935年12月生まれということで、69歳で父にとなっている。 ■ルー・ロウルズ公式ウェッブページ(英語) http://www.lourawls.com +++++ Lou Rawls: A Man From Dead End Street 思い出。 ルー・ロウルズには3度インタヴューしていた。調べてみると、89年6月20日、21日、90年9月19日の3回。内容はテープを聴き返さないと思い出せないが、ひとつ強力に覚えているのが、彼がワインを飲みながらインタヴューに応じていたこと。けっこう、いい調子で飲んでいて、かなりのりのいい話っぷりになっていた。 そのときは旧ブルーノートでライヴをして、それを見た。ジャズ曲、スタンダードが多かったと記憶するが、もちろん、十八番の「ユール・ネヴァー・ファインド・・・」は歌った。 同じ来日時だと思うが、夜、車で西麻布の交差点を過ぎたちょうどキャンティの前を通ると、ルー・ロウルズがキャンティから出てきたか、入るところだった。車の中から「ミスター・ロウルズ!!」と声をかけると、こちらによってきて、手を振ってくれた。ルー・ロウルズというと、あのキャンティ前の彼が思い出される。 彼の作品のひとつに「デッドエンド・ストリート」という67年のヒットがある。渋いブルース調の曲だが、この冒頭部分がいわゆる「モノローグ」という語りが入っている。これなど、当時は「語り」と言われていたが、今で言えば、「ラップ」だ。そういう意味で、ラップのオリジネイターということも言えなくはない。また彼のもうひとつの代表曲「ナチュラル・マン」もイントロに長尺の「モノローグ」(語り)が入っている。そして、その語りからいきなり歌に移行するところがめちゃくちゃかっこいい。 この歌はこうだ。「みんなはこの街(シカゴ)はリッチな大都市だという。だが、俺はその中のもっとも貧しい土地に住んでいる。明日の希望などない行き止まりの道に住んでるのだ。心のない街。6歳になる前に喧嘩の仕方を学んだ。行き止まりの道に住んで、生き延びていく唯一の方法が喧嘩で強くなることだ。タフで強くならなければならない。二度とこの行き止まりの道には戻らない」 ロウルズは、そんなデッド・エンド・ストリートから抜け出し、見事成功して、世界を手に入れた。 ワールドシリーズの第二戦はあいにく見逃したが、ホワイトソックスの選手(井口を含む)は、みんなルーの国歌を聴いたということになる。シカゴの4連勝は、シカゴアンのロウルズにとって、大きなプレゼントだっただろう。 … Continue reading

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DJ Spinna: Using Serato Scratch Live

【アナログ音源を自由自在に操るDJ】 自由自在。 DJスピナが使う「セラート・スクラッチ・ライヴ」を見た。前回日記で書いたニュアンスとかなり違うので、訂正しつつどんなものかを報告してみたい。 この「セラート・スクラッチ・ライヴ」(レーン社製)は、いわゆるインターフェイスだった。つまり、それ自体がハードディスクで楽曲を保存できるものではなく、ラップトップ・コンピューターとアナログディスクプレイヤー、CDJなどとの間にいれて使うインターフェイスだ。曲のデータは、すべてラップトップのパソコンに入っていた。そこに彼の場合は約8000曲のデータがある。 で、何がどうなるかというとー。(うまく説明できるかどうか、自信がないのですが、やってみます。) これが摩訶不思議。(笑)  パソコンに入ってる楽曲データをそのインターフェイスを通し、アナログプレイヤーに載せた「擬似ディスク」からのデータ(スクラッチをしたり、BPMのピッチを変化させたりといったデータ)と合わせて、ミキサー経由で外に出すというもの。使う擬似ディスクからは、音はでない。ちょうど、ヴォコーダーを使う要領と似ているかもしれない。つまり、ヴォコーダーの場合、キーボードからでた音のデータを、口にはさんだホースからでるアナログ信号を混ぜあわせて、キーボードの音データが人間がしゃべっているようになる、という感じ。(もしこの理解が違っていたら、どなたか訂正してください)  DJスピナは、パソコンを見ながら、そこにアーティスト別、アルバムタイトル別で入っているリストから、選曲する。パソコンは、左右の実際のターンテーブルと同期している。 左のターンテーブルからマイケルの「ビリー・ジーン」を出し(実際は、パソコンからの音データ)、パソコン上で次の曲を選び、それを準備。ジャクソン・ファイヴの別の曲を用意し、右の実際のターンテーブルでピッチを合わせたり、曲を出すタイミングを計ったりする。通常のアナログを使うやり方とほぼ同じ。曲出し自体は、ターンテーブルの擬似ディスクを使って行う。 ユニークなのは、同じ楽曲(同じデータ)を、左右のターンテーブルから別々に出すようにできる点。プリンスの「アイ・ウォナ・ビー・ユア・ラヴァー」では、それをやっていた。通常アナログ2枚を使う「2枚使い」をパソコン一台でできてしまうということだ。 また、スピナは、パイオニアのイコライザーを使って高音域、中音域、低音域などを自由自在にカットしたり、強調したりしていた。いきなり、マイケルの曲のボトム(ドラムスの音)とかが消え、コーラスだけになったりといったことをフェイダーひとつでやっていた。 CDJもうまく使っていた。マイケルの「ウォーキン・デイ・アンド・ナイト」のパーカッションになる部分があるが、あそこの部分をリピートにし、繰り返し、次の曲にうまくつなぐ。次の曲の出し方などは、まさにミュージシャンと同じセンス。そして、彼は音源を本当に自由自在に操る。 今回わかったことは、セラートでは、楽曲のアナログディスクを実際に持ち歩く必要はないが、パソコンに入ったデータを自由自在に扱えるようになったということだ。これはこれで、かなりすごいことのように思えた。でも簡単にできるようなものではないということもわかった。(笑)  イヴェント自体は、ものすごくはいっていた。僕が2時過ぎに外に出る時には、なんと入場制限。その時点までで450人くらい入っていたという。冒頭でやっていたマイケルのそっくりさんのあて振りショウが面白かった。これはマイケルイヴェントで使えるね。(笑)  (2006年1月2日月曜、西麻布・イエロー=DJスピナ・ライヴDJプレイ) ENT>MUSIC>EVENT>DJ Spinna

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The Best Of Soul Searchin Diary 2005 (Part 4)

【「ベスト・オブ・ソウル・サーチン・ダイアリー2005」(パート4)】 ベスト。 いやあ、よく読み返した。自分で言うのもおかしいが。(笑) 365本っていう数はかなりの量です。1本平均1000字としても、36万字以上になる。分厚い単行本2冊分にはなる量です。多分、1年分の日記の量は、『ソウル・サーチン』や『わが心のジョージア』以上のものになるんでしょうね。・・・ということを計算してみて、初めて気づいた。 それからもうひとつ、随分前から気づいていること。2002年6月にぼちぼち日記を始めた時は、文字数が少ない。2002年10月6日以降、休みなく連続で書いているが、当初は1日600字程度を目安に考えていたが、どんどん長くなっている。600字というのは、例えば新聞でライヴ評を書いたりする時がそのくらいの量だから。朝日新聞の天声人語も600字強だ。3000字を超えると、ちょっと量が多すぎるので、軽く読む感じではなくなる。そこで、ものによっては2部に分けるようにしているが、どうしたものか。 そういえば、昨年「ベスト・オブ」を選んだ時、手付かずの2003年もいつかやろうと思ったことを思い出した。いつかやりましょう。 <10月の1本> October 02, 2005Eric Benet: A Man At Crossroad (Part 1 of 2 Parts)http://blog.soulsearchin.com/archives/2005_10_02.html October 03, 2005Eric Benet: A Man At Crossroad (Part 2 of 2 Parts)http://blog.soulsearchin.com/archives/2005_10_03.html エリック・ベネイにまつわるひとつの物語。ある人の人生の交差点にいたエリック・ベネイの音楽。エリックの音楽が彼女にどのような人生の転換を与えたのか。2部作。ストーリーが長かったので2部になった。まさに「ソウル・サーチン」物語です。 <10月のその他の候補> October 05, 2005Steve Tyrell Live: The Man Behind … Continue reading

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The Best Of Soul Searchin Diary 2005 (Part 3)

【「ベスト・オブ・ソウル・サーチン・ダイアリー2005」(パート3)】 ベスト。 2005年下半期は、ルーサー死去という衝撃のニュースで始まりました。ルーサーに関しては、彼が倒れてからこまめにフォローしていたので、ルーサー関連記事はこの2年でかなりの量になりました。また、赤坂の伝説のディスコ、ムゲンの話もなかなかおもしろかった。これは雑誌ブリオ用に取材したいもの。機会があれば、さらにつっこんだ取材をしてみたい。 <7月の1本> Luther Vandross Died At 54: Reunited After 46 Years With His Father 2005/07/03 (Sun) http://blog.soulsearchin.com/archives/2005_07_03.html ルーサー死去のニュース。2005年最大の衝撃でした。天国で出会う父と息子という描写がよかった。これを含めたルーサー関連すべてを今月の1本にしたいほど。 <7月のその他の候補> July 06, 2005Luther Vandross Talks In Brooklyn Accenthttp://blog.soulsearchin.com/archives/2005_07_06.html ルーサーへの個人的な思い出。ルーサーと僕の唯一の遭遇。 Mugen: The Legendary Disco 2005/07/07 (Thu) http://blog.soulsearchin.com/archives/2005_07_07.html 赤坂の伝説のディスコ、ムゲン物語。60年代、ムゲンで何が起こったのか。 Hugh Masekela: Signed … Continue reading

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The Best Of Soul Searchin Diary 2005 (Part 2)

【「ベスト・オブ・ソウル・サーチン・ダイアリー2005」(パート2)】 ベスト。 このベストを選ぶために、365本の日記を全部読み返したら、大変なことになるので、タイトルで大体のあたりはつけているのですが、それでも、ちょろちょろ読み始めるとけっこう止まりません。(笑) 本棚を整理したり、雑誌を捨てようと思って、捨てる捨てないの判断をする時に、それらの雑誌を読み始めて結局思いのほか時間が経ってしまう、みたいな感じです。さて4月から6月にかけてのワンクールで選んだ作品群です。もし、読者の方でこれもいれて欲しいなどというご希望がありましたら、日記の日付を明記の上、BBSにお書き込みください。 <4月の1本> April 24, 2005The Last Day Of George’s: Part 1 http://blog.soulsearchin.com/archives/2005_04_24.html April 25, 2005The Last Day Of George’s: Part 2http://blog.soulsearchin.com/archives/2005_04_25.html 日本最古のソウル・バー、ジョージが41年の歴史を持って閉店。その閉店最後の日を描く2部作。ジョージ最後の日に集まった人々の喧騒とそれぞれのジョージへの思いを綴る。 <4月のその他の候補> Nat King Cole Sings “Love” In Japanese In A Beautiful Way 2005/04/11 http://blog.soulsearchin.com/archives/2005_04_11.html ナット・キング・コールが歌う日本語版「ラヴ」の魅力。この日本語詞は、昨年亡くなった草野昌一さんがてがけたもの。 Cutting … Continue reading

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The Best Of Soul Searchin Diary 2005 (Part 1)

【「ベスト・オブ・ソウル・サーチン・ダイアリー」(パート1)】 ベスト。 昨年(2005年)、速報なども含めると365本以上の記事を書きました。ちょうど年初に昨年も「ベスト・オブ・ソウル・サーチン・ダイアリー」を選んだので、今年もやってみました。かなりいろいろと迷いますがとりあえず、選んでみました。選ぶにあたって、さらっと読み返してみたのですが、ほんと、いろいろ書いてますね。早くも忘れてのもあります。(笑) また、みなさんがこれもいれて欲しいというのがあれば、遠慮なくお知らせください。BBSへの書き込みなどでけっこうです。量が多いので4回に分けます。 <1月の1本> Boz Scaggs’ “Silk Degrees” Remind Me Summer Of 76 2005/01/07 (Fri) http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200501/diary20050107.html ボズ・スキャッグスの傑作『シルク・ディグリーズ』と76年夏のロスについての個人的エッセイ。 <1月のその他の候補> Stax Story: Stax Is Answers From Southern To Motown In Northern 2005/01/09 http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200501/diary20050109.html 2005/01/10 (Mon) Stax Story Part 2: After Otis, It’s … Continue reading

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Happy New Year: I Say A Little Prayer

謹賀新年。 新年おめでとうございます。今年もよろしくお願いします。今年も日々ソウル・サーチンに精進いたします。 吉岡正晴-The Soul Searcher +++++ 意気込み。 新年にあたって、いくつか目標を作ってみた。そのいくつかをご紹介したい。紹介するほどのものではないが。(笑) 目標リスト、これらが実現できるように、お祈りします。2006年、小さな願い!  1) 聴いたCDは、そのCDのプラスチックケースの中に必ず戻す。そして、最初にあったところに必ず戻す。  最近、ほんとやばいんですよ。聴いたらそのまま、みたいな。プラケとCDがバラバラというのが、一番たちにおえない。必ず、まず、プラケに返す。 2) 届いた郵便物は3日以内に必ず封を切る。  郵便物は封を切るのがけっこう大変で、すぐに貯まってしまう。毎日やるようにしよう。 3) いらないものはすぐ捨てる。そして大掃除。  とにかく捨てる、を今年のテーマにしてみよう。(笑)  4) しっかりプランを練る。予定や目標や企画を立てて、紙に書く。そして実行する。  やはり、これは大事です。 5) 聴いたこと、見たこと、感じたことは、忘れないうちにすぐ書き記す。  日記ネタになりそうだなあ、などと思ったら、発表するしないにかかわらず、貯めずにすぐ書いておく。時間が経つと本当に忘れてしまう。自分でも一年前の日記を見てて、え~~、こんなことあったっけ、と思うことしばしば。ほんと、人間の記憶力なんて、たいしたことないもんです。去年の訃報記事見て、あれこの人死んだっけ、みたいなことさえある。笑えるようで笑えないです。 以下はソウルサーチャー的に、前々からなんとかしたいと思っていたこと。 6) スタンダード1000曲を覚える。  いわゆる誰もが知ってるスタンダードを1000曲覚えたい。(べつに1000曲以上でもいいんだけど) 「これ、聴いたことある、絶対昔のスタンダードだ」「なんだっけ、なんだっけ」というような曲に出会った時、すぐに曲名がでるようにしたい。すでに何曲かは知ってるのはあるだろうが。最初に、何をもってスタンダードとするかその定義付けもむずかしいが。1955年以前の作品という感じだろうか。1955年以前に限定すれば、ヒット曲という意味で、5000曲あれば、ほぼ網羅できそうな感じだ。 7) オールタイム・ベスト100アルバムを選出する。  ソウル・アルバムで自分的にベスト100と一般的な評価の定まったものを100枚、選んでみたい。時代的に1955年から2005年までの50年間かなあ。これもずいぶん前からのものですが。 8) 50・50・50をなんとか一度は成し遂げてみたい。  これは、去年も書いたかも。ライヴ50本、本50冊、映画50本を見るということ。一番のネックは本でしょうねえ。毎年持ち越しのテーマ。ライヴは楽勝に100本越えてますが。 9) ソウル・サーチン・ウェッブのリノヴェーションをしたい。  ひたすら日記だけの更新になっていて、それだけでかなり大変ではありますが、もう少しコンテンツを充実させたい。日記は2002年10月6日から一日も休まずに続いています。丸3年2ヶ月。1000日以上連続というのはけっこうたいしたもの。(笑) もっともっと続けましょう。 10) ソウル・サーチン・トーキングを充実させたい。  昨年は結局1回だけでしたが、今年は2回はやるつもりです。詳細決まったら、告知します。 +++++

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