Monthly Archives: April 2003

Knocking on Father’s Door

扉。 春眠暁を覚えず・・・。昼間も眠いし、夜も眠い。さすがゴールデンウィークです。いい天気です。さてそんな前置きはおいといて。この日記では、自分が日々ソウルを捜し求めて探したものについて書いたり、ニュースでこれはというものを書いたりしていますが、今日はしばらく前からずっと書きたいと思っていたこんなネタを。 レイラ・ハザウェイがこのところ、ダニー・ハザウェイのアンソロジーのアルバムを聴きまくっているらしい。このアンソロジーはまもなく発売されるもので、35曲ほどダニーの作品が収録されているもの。未発表曲なども収録されている、という。 そして、このアドヴァンス・コピーを手に入れたレイラはずっと聴いている、という。レイラは自らのホームページで、このアルバムを熱心に聴き、父親のことを誇りに思い、これまでに聴いたどのアルバムよりもすばらしいものだ、としています。 http://www.lalahhathaway.com/cgi-bin/viewmessage.cgi?r=15639&l=level2 レイラのオフィシャルホームページのGumboというコラムの4月17日付にのっています。そして、なんと、その次の4月27日付けでは、最近の自分のトップ10アルバムも発表してます。ほかにも、トップ10映画とか、いろいろあっておもしろい。 http://www.lalahhathaway.com/cgi-bin/viewmessage.cgi?r=15642&l=level2 ベスト10は以下の通り。 I reserve the right to change it tomorrow!!!! 1. Donny Hathaway- Extensions of a Man (original version)2. Donny Hathaway ・The Anthology3. Miles Davis ・Kind of Blue4. Donald Fagan ・The Nightfly5. John Scofield … Continue reading

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Funk Brothers Live

スポットライト。 「赤いジャケットに身を包んだ6人の男たちが、金曜夜、ハマーステイン・ボールルームに現れた。だが彼らはヒットメイカーであったにもかかわらず、これまで決してスポットライトを浴びたことはない男たちだった・・・」 ドキュメンタリー映画『スタンディング・イン・ザ・シャドウズ・オブ・モータウン』が去る11月に公開されたファンク・ブラザースが、4月11日にニューヨークでライヴを行いました。そのレポートが4月15日付けニューヨークタイムス紙に掲載されています。その書き出しが冒頭の文です。 http://www.nytimes.com/2003/04/15/arts/music/15FUNK.html?ex=1051539748&ei=1&en=2733ebbbbdcc537a 映画については、12月2日付け日記で書きました。以下に12月分の日記がありますので、そのほぼ一番下の2日付けを参照ください。 http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/soul-diary-200212.html ポイントは、ファンク・ブラザースというモータウン・サウンドを支えたミュージシャンたちが、30年以上もの年月を経て注目を集めている、ということでしょう。ファンク・ブラザースをバックに、ゲストのマキシ・プリーストや、ジョーン・オズボーンやダーレン・ラヴなどがマーヴィン・ゲイやスティーヴィー・ワンダー、ダイアナ・ロス、テンプテーションズなどでヒットした作品を次々歌いました。 ファンク・ブラザースの面々は、デトロイトで数々のモータウンのヒット曲のバックを勤めました。よって、様々なモータウン・アーティストの裏話を知っています。ステージではそんな話がいくつか語られたようです。 パーカッション奏者のジャック・アシュフォードは、ある時、偶然マーヴィン・ゲイの靴箱をひっくり返してしまったら、そこには山ほどマリファナがはいっていた、という秘話を紹介しました。 モータウンのプロデューサーで、マーヴィンの「アイ・ハード・イット・スルー・ザ・グレイプヴァイン(悲しい噂)」などのヒットを作ったノーマン・ウィットフィールドは彼らを評価してこう言ったそうです。「君らのビートなら、その上に鳥の鳴き声をのっけるだけでも、ヒット曲になるだろう」と。少々誉め過ぎの感もありますが、つまり、それほど、彼らのビートはすばらしかったという意味です。 はやいところ、映画も見たいし、ライヴも見れるものなら見たいですねえ。スポットライトが当たらなかった人々にスポットライトを当てる、というところが、とても僕好みです。そうですね、これを機に彼らの新録などが作られたらいいですね。         +++++ Out From the Shadows, in the Name of Motown April 15, 2003By JON PARELES The six men in red jackets onstage at the HammersteinBallroom on Friday night were … Continue reading

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About Schmitd: Another Soul Searchin Story

(映画『アバウト・シュミット』についての感想文です。それほど大々的ではありませんが、若干、ネタばれがありますので、これからご覧になる方で、中身を絶対に知りたくないかたは、充分ご注意ください) +++ 孤独。 66歳の男が一流の保険会社で定年を迎えた。細かい点では気に入らないこともあるが妻もいて、娘もいる一見幸せそうな男。だが、ひとたび定年になると、自分で何をしていいかわからない。主人公はジャック・ニコルソン演じるウォーレン・シュミット。会社に行っても、邪魔者扱いされ、家でも小言を言われ尊敬されず、結婚間近の娘からも煙たがられる。八方塞のシュミットは、そんなとき、テレビの宣伝で知ったフォスターペアレンツ(毎月一定の額を支払い、孤児の親代わりになるというシステム)になることを決意する。 淡々と進む日常で、妻が急死。自らの定年、妻との別れ、娘の結婚という激動が襲う中、彼は大型トレーラーで自分を見つめ直す旅にでる。妻の死後、遺品の中からシュミットの親友だった男と妻が20年以上前のことだったが、関係を持っていたことを知り激怒、待ち伏せしてパンチを食らわす。旅の途中、公衆電話からその親友のもとに電話をかけるが、相手は留守番電話だった。 シュミットはテープに吹き込む。「いろんなことがあって、今、私はソウル・サーチンの旅にでているんだ。あの件は、もう許すよ。20年以上も昔のことだからな。じゃあ、元気でな」 字幕では「いろいろ考えているんだ」というような雰囲気だったと思うが、ニコルソンの口から「ソウル・サーチン」の言葉がでてきたときには、驚いた。それまで映画のストーリーを追っているときに、「ああー、これもソウル・サーチンだなあ、まさに」と思っていたところだったので、どんぴしゃのタイミングだった。 シュミットが、養子にした子供へ手紙を出しに行く途中、ファーストフードの店にはいるシーンがある。注文をするときに、バックで流れていたのが、ホット・チョコレートの「ユー・セクシー・シング」。ほんの数十秒で、しかも、バックにかすかだったが、聞きとれた。 娘が結婚する男の母親役にキャシー・ベイツ。これがまた、個性的。 この映画『アバウト・シュミット』は、66歳の定年後、妻と死別後、娘が結婚し離れていくというあらゆる点で孤独になっていく男のソウル・サーチンの物語だ。後半じわっときて、後に深い味わいが残る映画だ。エンディング・シーンも見事にうまくまとめた。 アメリカ人は、ソウル・サーチンの意味を知っている。日本ではまだなじみがない。なんとか広めたい。でも、この言葉に「自分探し」という訳がつくのは、死ぬほどいやだ。近いニュアンスなんだが、どうも、その響きがねえ。「ソウル・サーチン」は、「ソウル・サーチン」でその意味を知ってもらいたい。 (2003年5月から全国東宝洋画系にてロードショウ)

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About good at piano

上手。 ピアノがうまいということについて。それは一体どういうことなんでしょう。上手に弾けました、と人が言うとき、それは何を基準に上手に弾けた、というのでしょうか。別の人より上手に弾けた、さっきの演奏より上手に弾けた、ってこと?  まあ、一般的には練習の積み重ねによって「滑らかに弾けた」とか「指がひっかからずに弾けた」とか、「感情がよくこもっていました」とか、「ミスタッチがなかった」という状態になると、だいたいの場合「うまく弾けた」ってことなんでしょうね。 ふと、深町純さんのピアノを聞いていて、そんなことを考えてしまいました。というのは、彼の演奏は常に「即興演奏」なんですね。だから次にどんな音が出るのか、だれにも予想はできない。楽譜などもなければ、その曲を「練習」するなんてことは絶対にできない。 彼に、「即興演奏って、どうやって練習するんですか」と聞いた人がいるという笑えるようで笑えない話がある。まあ、せいぜい、指の動きを、運動選手がアップするように、準備運動するとか、スケールをちょこっと練習するとか、基本的な練習というか、そういうようなものはあるでしょう。しかし、即興演奏は、練習できない。練習したら、もう即興ではないわけですから。これができるできないは、本当に彼が言うとおりセンスですね。 で、なんでそんなことを思ったかというと、深町さんが楽譜におこした彼自身の古いオリジナル曲を演奏したのを聞いたからなんですね。もう20年前くらいの時代劇のテーマ曲ということだったんですが、それを聞いていて、「深町さん、ピアノうまいなあ」なんて思ったんです。(すいません、ばかなこと感じて。プロのピアニストに対して失礼ですが) 自分でも、なんでそう思ったのかがよくわからない。彼の場合は非常に特殊で、即興演奏ありきで、そういうのばかり、僕たちは聞かされている。そこにぽっと楽譜曲、既存曲を演奏されると、なにか違うものが生まれる。というか、感じられる。やはり、うまいという概念は、なにか自分(聞き手)が知っているものと比べて、それより上手にできるとうまい、とか考えるのでしょうか。でも、その曲は僕は初めて聞いたんですけどね。あるいは弾き手も何度も弾いていて、あるいは「練習」していて、完成度が高かったのでしょうか。 彼の即興演奏を聞いていて、上手とか、もちろん時にはそう思うこともありますが、あんまり感じない。それ以上に感じるのは、すごい、とか、イマジネーションを広げてくれる演奏だ、とか、そのときの、こちらの感情とか、あるいは弾き手の感情なんかが伝わってきます。それは悲しみであったり、怒りであったり、遊びだったり、あらゆる種類の感情のような気がする。 もちろん、彼が「喜び」を感じながら弾いているメロディーを、聞き手が「悲しみ」を感じながら聞くことだってあるかもしれない。それはそれでまったく自由だ。ひとつだけ確実なことは、彼のピアノには聞き手のイマジネーションをくすぐる、刺激する「余白」が非常に多い、ということです。CDになっているような既存曲にはなかなかそうした「余白」がない。 ところが既存曲を弾いていた彼を見て、聞いて、ああプロの職業ピアニストだな、と感じた。うまいな、と思った。当たり前といえば当たり前ですか。何をいまさら、ですかね。 深町さん本人も「即興と楽譜のある曲は、何か違うよね」と言っています。違うんですよねえ。何が違うんでしょう。 楽譜を見ながら弾いているところを見て、僕が驚いちゃったのかな。やはり既存の枠の中で弾いていると、うまい下手というのが、感じられるのかな。いつも知らない即興曲を聴いているからうまいか、下手かなんて感じないのだろうか。よく知ってる曲を弾かれたら、あ~うまい~~なんて思うのでしょうか。うまいって一体何? あ~よくわからなくなってきた・・・。 今日はまとまりません。

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Sydney Harbor at 5 AM

『シドニー・ハーバー午前5時。』 誕生日。 深夜、その薄暗い六本木のバーに、彼は一人でやってきた。DJや客と顔見知りらしく、挨拶をしながらカウンターに座った。 突然スティーヴィー・ワンダーの「ハッピー・バースデイ」が流れた。そのカウンターの友人たちが、サビの部分を大合唱した。その日は彼の誕生日だったのだ。そして、まもなくDJは彼のたってのリクエスト曲をかけた。アニタ・ベイカーの「スイート・ラヴ」だった。彼にとって、この「スイート・ラヴ」は特別の思い出がある曲だった。 この曲が流れると、彼はグラス片手に話し始めた。それはオーストラリア、シドニーのオーシャンフロントのアパートの話だった。 1988年6月シドニー。 その大きな一枚ガラスの窓の向こうには左手にシドニー・タワー、右手手前にオペラハウス、そしてその向こうにハーバーブリッジが見えた。それほど広くはないオーシャンフロントのアパート。シャワーひとつしかない4階の部屋。彼がオーストラリアにやってきて借りたところだ。 目指す大学に三浪していた彼を見かねた父親が言った。「これからは、英語だろう。三浪してても次に入れる保証なんてないんだから、外国にでも行って(英語でも)勉強してきたらどうだ」 父の友人がシドニーで日本食レストランを開いていたので、英語を覚えるため、社会勉強、修行のつもりで、彼はこの地にやってきた。 2週間で家賃110ドルというその部屋からは、かもめやアホウドリなど様々な海の鳥が飛ぶのが見えた。一枚ガラスの大きな窓を開けると、海の香りがしてきた。夜はライトアップされ、見事なハーバーライトが瞬いた。 仕事が終わったり、休みの日になにげなくつけていたMTVから、そのゆったりしたミディアム調の少しジャズ風の曲は突然流れてきた。何かしていて初めてこの曲が流れてきたとき、思わず引きつけられ、背中がぞくっとした。テレビの画面に映し出されていたのは女性シンガーのプロモーション・ビデオだった。だが、そのときは誰のなんという歌かを見逃してしまった。何日かして、また、同じ曲がかかったとき、今度はしっかりと曲名とアーティスト名を書きとめた。 それがアニタ・ベイカーの「スイート・ラヴ」だった。彼はすぐにレコード店に買いに走った。当時あまりお金がなかったので、その曲の入ったアルバム『ラプチャー』を、レコード盤より少しだけ安いカセットで買った。 そして、以来この曲はその部屋に幾度となく流れた。シドニー港のさわやかな朝も、太陽が輝く昼も、そして、星とネオンライトが光る夜も、「スイート・ラヴ」はその風景のサウンドトラックになった。 「しいて言えば、夜明けのイメージかなあ。一人で窓際に座ってそれは綺麗な夜景を見ながら、酒を飲んでいるときなんか、アニタの歌声にはやられました。特にこの『スイート・ラヴ』は聴いていると、どんどん曲の中に入ってっちゃうんですよ」と彼は言う。 1989年4月24日シドニー。 シドニーに来て10ヶ月。仕事も慣れ、職場の連中とも仲良くなった時期だ。4月24日の彼の誕生日を仲間たちが祝ってくれることになった。ちょうど、その頃、ちょっとばかり気になっていたゲイルというかわいい女の子がいた。店が終わり、仲間内で「ハッピーバースデイ」が歌われた。なんとゲイルがショートケーキを手作りしてくれた。みんなが酒を飲み、おいしいものを食べ、話ははずみ、パーティーは続いた。 ゲイルもずいぶんと酔っ払ってしまった。ゲイルは本来なら車を自分で運転して帰ることになっていた。だが彼は言った。「そんなに酔っ払っていたら、運転は危ないから、うちにおいでよ」  彼のアパートは、歩いてすぐのところだった。ゲイルは彼のアパートにやってきた。二人ともかなり酔っ払っていた。彼はいつものカセットをかけた。アニタ・ベイカーの「スイート・ラヴ」が、美しい夜景が広がる暗い部屋に鳴り響いた。 「心から愛してるわ。ベイビー、一緒にいればわかるはず。私の腕があなたを抱きしめるのよ。甘い、とろけるような恋に夢中。大声であなたを呼んでも恥ずかしくない。甘く、とろけるようなスイートな恋に夢中なの」 惹かれあう男と女のサウンドトラックとしては完璧だった。 彼はグリーンカード(永住権)が取れるまでの2年間は最低シドニーにいるつもりだった。ところが、その途中の89年暮れ、東京から連絡が入った。父親が癌で大きな手術をするから帰って来い、とのことだった。あと半年いれば、永住権というところまで来ていたが、彼は日本に帰った。 父親は癌になってから2年ほど存命した。 2003年4月24日東京六本木。 そんな話を聴いたDJが「スイート・ラヴ」を再びかけた。 「この曲を聴くと、本当にあのシドニーのアパートからの風景がよみがえりますねえ。あの夜中のハーバーライトが見える夜景やなんかが」と彼は振りかえる。 シドニー・タワー、オペラ・ハウス、シドニー・ハーバー・ブリッジ、帆を揺らすヨット、大きな軍艦・・・。彼の心は、そのとき「スイート・ラヴ」とともに夜明けのシドニー・ハーバー午前5時に飛んでいた。 Music: Between The Lines Of Time

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Luther Vandross’ Condition Critical, But Stable

ルーサー・ヴァンドロスが危篤。 外電などを総合すると、ソウル・シンガー、ルーサー・ヴァンドロスが16日(水)、心臓発作を起こしニューヨークのウェイル・コーネル・メディカル・センターに運ばれた。22日現在、同病院によると「危篤ではあるが、安定した状態」と発表されている。ヴァンドロスは20日(日)に52歳になった。 ヴァンドロスは長い間体重の増減を繰り返しており、若干糖尿病気味だった、という。身長約187センチながら体重が150キロから85キロくらいまでの間を行き来していた。 2001年に新作『ルーサー・ヴァンドロス』を出したときは、約100キロだった。その頃、ヴァンドロスはテレビ番組『オプラ・ウィンフリー・ショウ』に出演した際、およそ55キロの流動食ダイエットの成功を祝っていた。 ヴァンドロスは、6月17日にジェイ・レコードから新作『ダンス・ウィズ・マイ・ファザー』をリリースする予定になっている。このアルバムには、ビヨンセ(デスティニー・チャイルド)、クイーン・ラティーファ、スティーヴィー・ワンダーなど豪華ゲストが参加している。また、5月22日、23日、25日、26日の4日間ロングアイランドで行われるウェストバリー・ミュージック・フェアに出演することになっていた。 Luther Vandross Said Critical After StrokeTue Apr 22, 1:31 PM ET Add Health – Reuters to My Yahoo! LOS ANGELES (Reuters) – Grammy-winning singer Luther Vandross, who suffered a stroke last week, is in a … Continue reading

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Nina Simone Dies At 70

ニーナ・シモン、南フランスで死去 ジャズ・シンガー、ニーナ・シモンが21日(月曜)現在本拠としている南フランスの自宅で死去した。70歳だった。死因は発表されていないが、長い間癌をわずらっていた。シモンは、娘のリサによって召される。 「ジャズ・グレイト」として高い評価を得ているニーナ・シモンは、1933年2月21日サウスキャロライナ州トライオンという街の生まれ。本名ユニース・カサリーン・ウエイモン。ピアニスト、シンガー、ソングライター。シモンは、もともとニューヨークの名門大学ジュリアード音楽院でクラシックを学び、クラシックのピアニストを目指した。生活を支えるために、クラブなどでピアノを弾いたり、ピアノを教えたりしていたが、あるとき、歌も歌えれば仕事があるといわれたことを機に弾き語りをするようになった。以後、1950年代からソウル、ジャズ、ポップ、ゴスペルなどひとつのジャンルにとらわれずあらゆるタイプの音楽に挑戦するようになった。したがって、「ジャズ・グレイト」とひとつの枠に入れられて評されることも彼女は嫌がるだろう。 1958年頃、キング・レコード傘下のベツレヘム・レコードと契約。59年にジョージ・ガーシュウィンの名作「アイ・ラヴ・ユー・ポーギー」を録音したところ、これがR&Bの部門で大ヒット。R&Bチャートで2位を記録し、一躍メジャーな存在になった。 ところが、彼女はこのシングルヒット路線を追及することはなかった。以後もジャズ、フォーク、スピリチュアル、ゴスペルなど様々なタイプの音楽を歌い、シングルではなく、むしろ「アルバム・アーティスト」としての地位を確立していく。当時の黒人女性シンガーとしては極めて珍しかった。 60年代に入ると、彼女は積極的に公民権運動などに参加、黒人としてのプライドを声だかに主張するようになった。そうした主張は、「オールド・ジム・クロウ」、「ミッシシッピー・ゴッダム」といった自作自演曲に如実に現れている。 シモンが70年に発表した「トゥ・ビー・ヤング・ギフテッド&ブラック」は、アレサ・フランクリン、ダニー・ハザウエイなどによってカヴァーされ、高く評価されている。 70年代、80年代もコンスタントに活動はしていたが、決して恵まれている状況ではなかった。ただそうした中でも、87年イギリスで、彼女の作品「マイ・ベイビー・ジャスト・ケア・フォー・ミー」がシャネルのコマーシャルに使われて大ヒットした。 70年代にアメリカを離れ、フランス、アフリカなどを転々とし、現在はフランスに住んでいた。気難しく、扱いにくい人という評判もあったが、最近ではフィオナ・アップル、ジェフ・バックリー、ノラ・ジョーンズなどに影響を与えたシンガーとして再評価されていた。91年に自伝『アイ・プット・ア・スペル・オン・ユー』を発表している。同タイトルは65年の彼女のアルバム・タイトルでありヒット作品から取っている。 APニュース かなり詳しい評伝を掲載しています。 http://story.news.yahoo.com/news?tmpl=story&u=/ap/20030422/ap_on_en_mu/obit_nina_simone_36 Jazz Great Nina Simone Dies at 70 Tue Apr 22, 1:17 PM ET By NEKESA MUMBI MOODY, AP Music Writer NEW YORK – Like her husky, soulful voice, … Continue reading

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Tears of God

夜行バス。 今日ライヴがあるので行こう、と友人に誘われて足を運んだ西麻布アムリタ。月曜なのにけっこう混んでいた。まあ、そのライヴはうるさくて心地よくなかったのだが、そこでボストン生まれのシンガーという23歳の男性を紹介された。日本人だが母国語が英語だという。 マーヴィン・ゲイとかスティーヴィー・ワンダーが好きだというので、カウンターの前で立ち話になった。「やっぱり、ホワッツ・ゴーイング・オンとかね。(自分も)歌いますけど、マーヴィンみたいにはとうてい歌えないですよ。ええ、ダニー(・ハザウエイ)のライヴ盤はすごいですよね。ダニーも大好きです。あの曲は、マーヴィン以外だとダニーくらいでしょうか。あのライヴの『ユーヴ・ガッタ・ア・フレンド』ね、すごいですねえ」 マーヴィン→ホワッツ・ゴーイング・オン→ダニー・ライヴという話の流れは、もう完璧に定番だ。どこでも誰でも、初対面でも、ある程度聞いてる人だとこうなる。それは話の共通項。 彼は他にもたくさん好きな曲があるが、スティーヴィーの「アズ」が好きだと言った。いずれも彼が生まれる前の作品ばかりだ。そんな彼に、曲を聴いたときの風景が記憶にある曲はないか、尋ねた。するとこんな話をしてくれた。 ちょうど彼がボストンに住んでいる頃のことだった。友人を訪ねてニューヨークに行こうとしていた。そのときは、飛行機ではなく、往復約60ドルのグレイハウンド・バスでニューヨークに向かった。飛行機だと高いので学生の彼がバスで行くのは珍しいことではなかった。 彼はCDウォークマンにスティーヴィーのアルバム『ソングス・イン・ザ・キー・オブ・ライフ』をいれていた。2枚組みのCDで、そのときはディスク2がかかっていた。1曲目の「イズント・シー・ラヴリー」が流れた。ニューヨークまで夜行バスでおよそ4時間半の旅。ボストンの街からバスが遠ざかっていくと、ちょうど街の光が地平線と重なるあたりで、ぼんやりとろうそくのように見えた。まさにそのときかかったのが、2曲目の「ジョイ・インサイド・マイ・ティアーズ」だった。 それまでにも何度かアルバムは聴いていたが、真剣に集中して聴いたのはこのときが初めてだった。「イズント・・」がカットアウトで終わり、すぐに「ジョイ・・・」の重厚なイントロが始まる。なんとも言えぬ感情が彼の中に巻き起こった。バスのエンジン音もほとんど聞こえず、ヘッドフォーンからスティーヴィーの声が直接彼の耳元にささやいた。夜の国道を走るバスは一定のリズムを刻み続け、少しだけ彼の体に振動を与えていた。 曲が流れる間、彼は無意識のうちに右手も左手もきつく握りこぶしを作っていた。車窓の向こうに見えるろうそくのような光がゆらゆらと揺れる。6分29秒の夢のような曲が終わって手を開いてみると、じっとりと汗をかいていた。一体何が起こったのか、彼にはわからなかった。だが、そのときの光の風景と「ジョイ・インサイド・マイ・ティアーズ」は見事に融合していた。 「『イズント・シー・ラヴリー』は、僕はまだ子供もいないので、それほど感じるものはなかったんです。でも、この『ジョイ…』はものすごく衝撃でしたねえ。あの時の景色は今でもよく覚えていますよ」 スティーヴィー・エイス・ワンダーはこう歌う。「『でもね』という言葉は、なにかとても大事なことを言うための言い訳だと思うんだ。だから僕はできるだけ、『でもね』とは言わないようにしている。でもね、僕の心の中に今思っていることはなんとしてでも君に知ってもらわないと。ベイビー、君が僕の人生に歴史を与えてくれたんだ。君は、僕の涙の中に喜びをもたらしてくれる。君は誰もが不可能だと思ったことを成し遂げたんだよ。つまり、僕の涙に喜びを与えてくれたんだ」 「明日という日は、昨日という日が足かせになっている人のためにある。永遠の瞬間は、はるかかなたから、しかも、めったに訪れない。だから君がもたらしてくれたその喜びについて君にはっきり言っておかなければならない。君こそが僕の人生に歴史を与えてくれた、僕の涙に喜びをもたらしてくれたから」  この曲を聴いて、彼は何を感じたのだろうか。バンドが出す雑音の中でしばらく考えてこう言った。「神は女性だってことでしょうか。すべて。子供を産むこと、母としての役目、やさしく人を包み込むということ。神は女性なんだな、と思いました」 雑音と神の音の話。そのあまりの落差が妙に印象に残った。 ひょっとしたらボストンからの夜行バスの中で、神の声がスティーヴィーを媒介として、彼の元に届いたのかもしれない。両手の握りこぶしの汗は、神の汗だったのか。あるいは神の嬉し涙だったのか。 +++++ Joy Inside My Tears Lyrics & Music : S. Wonder I’ve always come to the conclusion that ‘but’ is the wayOf asking for permission … Continue reading

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Charles “Cholly” Atkins Dead At 89

チョリー・アトキンス死去。 モータウン・レコードをはじめ多くのソウル系アーティストの振り付けをしてきたダンサー、コレオグラファー(振り付け師)の第一人者、チョリー・アトキンスが4月19日ラスヴェガスの病院で死去した。89歳だった。 チョリー・アトキンスは、本名チャールズ・アトキンソン、1913年(大正2年)9月30日アラバマ州プラットシティー生まれ。10歳のときに、チャールストンのコンテストで優勝したことをきっかけにタップダンサーとしての道を歩み始める。 1929年までにアトキンスはバッファローのカフェなどで「シンギング・ウエイター」として評判を得るようになり、いくつかのダンスユニットなどを結成。1940年代から50年代にかけて「コールス&アトキンス」というダンサーとして活躍、ライヴショウ、映画、テレビなどで一世を風靡。彼らはカウント・ベイシー、キャブ・キャロウエイ、ルイ・アームストロングなどのバンドで踊った。ミュージカル『紳士は金髪がお好き(ジェントルメン・プリファー・ブロンズ)』(1949年)では彼らのダンスが大々的にフィーチャーされ、オリジナル・サウンドトラックでも歌っている。このミュージカルは2年にわたるロングランとなり、彼らの名声も決定的になる。 彼ら二人は「クラス・アクト(上品なダンサー)」と呼ばれた。これは彼らの動きが優雅で洗練され、二人が同じ動きをして、あたかも一人で踊っているように見えたためである。 その後彼はダンススクールでダンスを教えたりしていたが、ドゥワップグループ、キャデラックス(1956年『スピードー』の大ヒットで有名に)の振り付けをてがけたことを機に、R&B系のアーティストの振り付けを担当することになる。それまで彼は、主としてクラシック、ジャズなど歌のない作品で踊ったり振り付けをしていたが、キャデラックスへの振り付けは「ヴォーカル・コレオグラフィー」というまったく新しいジャンルを開拓。以後のR&Bグループの振り付けの基盤となった。 65年頃から72年頃まで、モータウンのスタッフ・コレオグラファーとなり、同社のアーティストの振り付けを多数担当。彼が振り付けをてがけたアーティストは、グラディス・ナイト&ピップス、コントゥアーズ、テンプテーションズ、フォー・トップス、マーサ&ヴァンデラス、スプリームス、マーヴィン・ゲイ、ミラクルズなど数え切れない。その後もフィラデルフィア・インター・レーベルのオージェイズなどの振り付けを担当した。中でもテンプスの「マイ・ガール」などは特に有名。 長年の功績に対し様々な賞を獲得しているが、1989年には振り付けを担当したミュージカル『ブラック&ブルー』でトニー賞を受賞している。 多くのタップダンサー、ダンサーに影響を与えているが、『ブリング・ダ・ノイズ、ブリング・ダ・ファンク』を生み出したダンサー、サヴィアン・グローヴァーもその一人。             +++ 振り付け。 96年、デトロイトにモータウン・ミュージアムを訪ねたことがあった。そのときはたまたま近くのフォード・ミュージアム(自動車のフォード社の博物館)でも、『モータウン特集』のような形で、モータウンの展覧会をやっていて、それも見ることができた。 その中で、テンプテーションズのモノクロの「マイ・ガール」にあわせてみんなで踊ろうという教則ビデオのようなものが流れていた。この振り付けをしていたのが、チョリーである。比較的簡単で、でも、かっこいい。そのビデオの前で、一般の人々が「マイ・ガール」の振り付けを踊ろうとしていたのが、とても印象に残っている。 黒人R&Bヴォーカルグループといえば、振り付けも大きな魅力のひとつだが、それをほとんど一手に引きうけていたのが、このチョリーだ。動きが優雅でかっこよく品があるというのが特徴。その洗練された動きは、恐らく、ジャズ、クラシックの素養から生まれたものだろう。いわゆるストリートから生まれたものではないように思える。 昨年もオージェイズに振り付けをしていたというニュースが伝わっていたので、最後まで現役のコレオグラファーだった。お葬式には錚々たるメンバーが集まるのではないだろうか。それこそ、ソウルミュージック界のフーズフーが集合だろう。 ご冥福をお祈りしたい。            +++++ (参考資料=チョリー・アトキンスについて) http://www.asha.com/Articles/cholly.asp Cholly Atkins: Jazz Hoofing & Hip-Hop Heritage Whenever the tongue gets too tangled, or poetry reaches an impasse and other creative … Continue reading

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Shake Your Booty in Vulgar Way

お下品。 KC&サンシャイン・バンドの大ヒットのひとつ「シェイク・ユア・ブーティ」を直訳すると、「振って、振って、お尻を振って」ということになります。その旨を紹介したら、お上品なシロガネーゼのリスナーからメールが来ました。 「あんまり、お下品な放送、なさらないで」 そ~~んなこと、言われてもねえ、マーヴィン。そういう風に歌っているのは、KCたちですからねえ。僕たちは彼らが歌っていることを、忠実にみなさんにお知らせしているだけなんですよ。ま、言ってみれば、ただの媒介者にすぎないわけですよね。(笑) 「シェイク・ユア・ブーティー」と言ってるのは、KCであって、僕たちではない・・・。 「ゲット・ダウン・トゥナイト」は、直訳すると、「今夜、盛り上がろうぜ」とか「今夜、はじけようぜ」、「今夜ぱっとやろうぜ」といったところですね。「ザッツ・ザ・ウエイ」は、「そんな感じが好きなのさ」といった意味ですね。これは性的な意味合いも含みます。しかしまあ、どれをとっても、たいして深い意味はありません。どれをとっても同じようなものです。そこが、マイアミ一(いち)底抜け能天気なパーティー・バンドたる所以であります。頭使っちゃあいけません。頭使わず、腰使う音楽です。 思わず、シロガネーゼにメールを返してしまいました。「リスナーのレヴェルにあわせてるんです」 そしたら、速攻返ってきました。「マーヴィンと、君のレヴェルでしょ」って。ひえ~~~。次回からお上品な紹介を心がけましょう。元々僕は、お上品ですから。 Shake Your Booty in Elegant Wayってな感じでね。しかし、シェイク・ユア・ブーティーのどこがお上品にできるんでしょうか。(苦笑)  無理だ。やっぱりKCって腰で聴く音楽なんですよねえ。どこをどう切っても。で、そこがいいんじゃないねえ。文句あっか。(笑) 

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Rainbow

虹。 昨日、夕方、虹を見ました。いつぶりでしょう。去年一度初夏にあったような気がします。雨がさっと降って、太陽が残っていると虹ができるんですね。 虹といえば、『レインボウ・チルドレン』でしょうか。プリンスの昨年のアルバムですね。アルバムタイトル曲は10分を超える大作です。最高にかっこいい曲です。 クラシックに「オーヴァー・ザ・レインボウ(邦題、虹のかなたに)」がありますね。いろんな人がやっています。100や200はありそうですね。ジュディー・ガーランドのものが一番有名なのでしょうか。ピアニスト、サヤもインディで98年に出した『シンプル・ポエム』の中でカヴァーしています。 マライア・キャリーも『レインボウ』というアルバムを99年にだしてました。ジャケットも虹色がアピールされてましたね。 ジョー・サンプルのアルバム『レインボウ・シーカー』は強力でした。あの名曲「メロディーズ・オブ・ラヴ」がはいっている78年のアルバムです。全曲インストゥルメンタルですが、曲タイトルが、全体的なストーリー風のものをもっています。タイトル曲は、虹を探す者、ということになりますね。 そのアルバムにはジョーが書いたちょっとした詩のようなものがあります。全文を訳すと長くなってしまいますが、最後の一文はシンプルです。「生涯、愛の翼で空を飛ぶ。それが続く限り、私はレインボウ・シーカー。もし、あなたが虹を探すなら、きっとみつかる」 緑色のジャケットに映るジョー・サンプルの姿の縁取りが虹色になっています。 虹は、さまざまな曲の題材にできるかっこうの素材です。

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Back Chorus on Midnight Train To Georgia

バックコーラス。 バックコーラスというのは、ソウル、R&Bの世界では特に魅力的なもののひとつです。一人のリードシンガーのバックを3ー4人のコーラス隊が歌ってひきたてる。コーラスがかっこよければ、リードも当然引き立ちます。特にドゥワップの時代からブラック・ミュージックのコーラスは、聞き逃せません。 そんなバックコーラスが見事な曲の一例として、73年のグラディス・ナイト&ピップスの大ヒット「ミッドナイト・トレイン・トゥ・ジョージア(邦題、夜汽車よジョージアへ)」があります。で、このコーラスがどうなっているか、ちょっと研究してみましょう。 ちなみにこの曲については、ご存知の方も多いかと思いますが、一応『車窓』で書いてあります。 http://www.soulsearchin.com/periodical/l&g/l&g01.html この歌詞を探したんですねえ。すると、グラディスが歌ってる部分が書かれている歌詞はいくらでもでてくるんですが、ピップスのコーラス部分も含めた歌詞カードはなかなかでてこないですねえ。でも、探しました。 http://www.angelfire.com/tv2/mwsounds/mttg.html +++ “Midnight Train To Georgia” by Gladys Knight & Pips(written by James D Weatherly) L.A. proved too much for the manロスは男にとっては、あまりに荷が重過ぎた (too much for the man) (he couldn’t make it)(男には重すぎた、彼は成功できなかった) So he’s leaving … Continue reading

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Finally “Jan” was heard

ジャン。 結局、前日「ブラウンシュガー」で「ジャン」を聴けなかった僕と、U田氏はそれぞれ自宅に戻り自分のレコードで、マーヴィンの「ジャン」をかけて気を紛らわせたわけです。 しかし、それでは、まあ、今ひとつ納得しないわけでして。(笑) 昨日は、月曜日のシックのライヴがよかったので、再度見に行きました。月曜日はそこそこ席が空いていたのに、この日は超満員で立ち見まででていました。週末に向かってどんどんお客さんが来ている感じです。 ブルーノートでは10年ぶりの友達とばったり会ったり、なんか、この日はやたら知り合いに会いました。みんなこのシックとか、ちょうど青春時代だったからかな。 そのシックが終わった後、「ブラウンシュガー」に出向いたわけです。「ジャン・リヴェンジ」ですね。ここもけっこう混んでました。DJ恵子さん、今日はわざわざ『マーヴィン・ゲイ・ライヴ』を持ってきていました。「イントゥルーダーズ先にかけて、そのあとにマーヴィンの『ジャン』をよろしく」と伝えます。 何曲かかかって、いよいよイントゥルーダーズ登場。そして、続いてマーヴィン登場。いやいややっと聴けました、お店で。 マーヴィンはイントロでこう語っています。「みなさん、僕が書いた新曲です。本当にすばらしい女の子の歌です。どうも。彼女が僕にこの曲を書いてくれと頼んできました。書くって約束しました。それがこんな曲です」  そして、「ジャニス・イズ・マイ・ガール(ジャニスは僕の彼女)」と歌い始めるわけです。なんとストレートな表現でしょうか。 そして、この「ジャン」の次にかかったのが、コモドアーズの「ナイトシフト」。マーヴィンへのトリビュートソングですね。なるほど。さらに、USAフォー・アフリカの「ウィ・アー・ザ・ワールド」と来ました。 この日は家にあった7インチ・シングルを適当に見繕って持っていきました。エグゼクティヴ・スイートとかウィンディー・シティーとか。自分でも覚えてなくて。それにしても、選曲の流れを作る技がなかなかのものです。ダニー・ハザウエイの「ユーヴ・ガット・ア・フレンド」のライヴをリクエストしたら、それをかける前にダニー&ロバータの「ホエア・イズ・ラヴ」かけてから、その曲に進むのですね。 帰り際、オウナーの白川さんに言われました。「濃い二日間でしたね」 たしかに。

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Looking for “Jan”, All The Way

濃縮還元。 渋谷の小さなライヴハウスでで某ミュージシャンの仲間が一堂に会した集いがあり行ってみました。いやあ、一言で言って楽器ができるっていいな、歌が上手に歌えるっていいな、ってことに尽きますね。軽いパーティーっていう感じで次から次へといろいろな人がでてきて。 中でも印象に残ったのが、今出宏さんがバンドを従えてやった「ホワッツ・ゴーイング・オン」。彼はハーモニカも吹くんですが、「こういうご時世でもあるんで、今日は『ホワッツ・ゴーイング・オン』でもやろうと思います。みなさんも、我と思わん方は、ぜひ。みなさんも、トゥゲザ~で・・・」といいながら、かなりいい感じで歌ってくれました。途中のハーモニカがいいですね。この曲にハーモニカをいれるというアイデアは、すばらしい。ちょっとスティーヴィー風というか、トゥーツ・シールマンス風というか。後半どんどんのりがよくなっていって。 Adya(アディア)さんは、ボニー・レイットの「アイ・キャント・メイク・ユー・ラヴ・ミー」を、新人の朝比奈亜希さんは、スティーヴィーの「アイ・ウィッシュ」を、そして、リリコさんはホイットニーの「グレイテスト・ラヴ・オブ・オール」を熱唱。一青窈(ひととよう)さんも登場して「もらい泣き」を篠原ともえさんなんかも含めて大合唱。みながみな、好き好きにエンジョイして音楽をやっている、という感じでした。 その後、まだ果てしなく続きそうなジャムセッションに後ろ髪を引かれつつ上大崎の「ミッドナイトアワー」に移動。ここでイントゥルーダースのアルバム『エナジー・オブ・ラヴ』がかかっていました。そして、流れてきたのが「ジャン」という曲。名曲です。大好きな曲でもあります。これは元々、マーヴィン・ゲイが74年1月のライヴで歌った曲で、マーヴィンの新しい恋人ジャニス・ハンターのことを歌い、捧げたもの。 当時、マーヴィンは書類上はモータウン・レコード社長ベリー・ゴーディーの姉アンナ・ゴーディーと結婚していたのですが、もうすでに心はジャニスのほうに行っていました。ゴーディー社長は、この曲に激怒し、モータウンはシングル発売はおろか、アルバムの中の一曲としてもリリースすることを許さなかった、といういわくつきの作品なのです。そこで、この曲はライヴで歌われただけとなり、いわゆるスタジオレコーディングのヴァージョンは世にでていないのです。 イントゥルーダーズは、その「ジャン」をカヴァーしていたのです。これを聴いたら、当然、マーヴィンのライヴ・ヴァージョンも聴きたくなるのが、世の常、人の常、ソウルマンの常。マスターに「マーヴィンのライヴはありますか?」と尋ねると、「う~ん、ないんですよ~~」との答え。う~む、残念。まもなく閉店となったので、ソウルマンU田氏ともう一軒行ってマーヴィンの「ジャン」を聴こうということになったわけです。 行きついた先は、恵比寿の「ブラウンシュガー」。入るなり、オウナー白川さんから「どうもどうも」とお声がけをいただくのもつかのま、ドリンクの注文もせずにいきなり「マーヴィンのライヴある?」。「あ~~ないんですよ、今日は。うちから持ってきてないんですよ~」と残念そうなDJ恵子さん。ソウルマンU田氏「こりゃあ、マーヴィンの『ジャン』を求めて3000里ですかあ」と一言。 マーヴィンはなかったんですが、恵子さんのDJ、すごい選曲です。オスカー・トニー、サム&デイヴ、オーティス、サム・クック、アーサー・コンレー、ボビー・ウーマック、テンプリーズ、フリームーヴメント、キャンディ・ステイトン・・・(順不同)。聞きしに勝るDJぶりですねえ。ソウルマンU田氏、おもわずこぼしました。「おやじ殺しの選曲だなあ」 こちらも、車に載せていたCDを持ってきてしまいましたよ。トータス、マーヴ・ジョンソン、ガーネット・ミムズ、ファイヴ・キーズなんかをかけてもらっちゃいました。そして、最後に、サヤの「ホワッツ・ゴーイング・オン」を流してもらいました。なんだかえらく音楽的に濃い1日でした。濃縮還元ミュージカルライフでした。はい、すばらしい音楽を提供してくれたミュージシャン、シンガー、DJのみなさんに感謝です。サンキュー! ゴッドブレスユ~~!! 

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Dance, Dance, Dance

ダンス。 『フラッシュダンス』という映画は、1983年の作品です。ということは、もう20年も前の映画なんですね。久々にビデオで見ました。う~~む。一言で言えば、「懐かしい」、そして「古い」。この映画は、やはり青春映画としては、王道を行くストーリー展開ですね。夢を持ち、その夢に向かって途中なんらかの挫折がありながらも進む、というパターン。そこにちょっとラヴ・ストーリーを絡ませて。単純で、話の次の展開さえわかっていても、ぐいぐいとスクリーンに引きこまれてしまう。そんな映画ですね。 この場合、ジェニファー・ビールスという極めて魅力的な女優にそれを負うところが大きいわけですが。ジェニーファー・ビールスは1963年12月19日シカゴ生まれ。83年映画公開時点ではまだ19歳だったんですね。アイヴィー・リーグの名門、エール大学の女子学生。アメリカ文学を学んでいたそうです。頭いいんだあ。(笑) なんと言っても、映画・映像と音楽が、非常にうまく結びついたのが、この映画の最大の特徴です。「フラッシュダンスのテーマ」、「マニアック」などがかかる部分でのダンスシーン。MTV時代の申し子とも言えるような映画でした。それはまるで、ミュージシャン、シンガーたちのプロモーション・ビデオをオムニバスにしたような映画だったわけです。ただしダンスシーンは、吹き替えだったりしますが。 この『フラッシュダンス』が映画館で初めて見た映画だった人。この映画を見て、ダンサーを志した人。この映画が、『お気に入りナンバーワン映画』の人。このサントラが好きで好きで聴いた人。みんなそれぞれの思いがあるのでしょうね。 夢に向かう青春映画の王道、音楽映画のプロトタイプとなった映画、そんな作品です。そして、こうしたタイプの映画は、手を変え品を変え、いつでもでてきます。 『フラッシュダンス』は、今はDVDで3980円で発売されています。

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Chic Chic Chic

グッドタイムス。 「オレは東京がファンキーか確かめたいんだ。もしみんなが気持ちよかったら、『ホー』っと言ってくれ!」  ナイル・ロジャースが、叫びます。「セイ・ホ~~~」 「ホ~~~」(観客) 「ブルーノート・イズ・ファンキー!」 今までのどのアーティストよりも、ブルーノートがダンス・クラシックになった夜です。シックのナイル・ロジャースが、仲間のミュージシャンを引き連れてど~~んと躍らせるライヴをかましてくれました。ステージにトランペット、サックス、コーラスなどを含めて10名。 いきなり「おしゃれフリーク」で幕をあけたステージは一曲スローの「アット・ラスト・アイム・フリー」(アルバム2作目『セ・シック(邦題、おしゃれフリーク)』に収録)を除いて、ダンスヒットばかり。「セ・シック」では、延々とメンバー紹介をします。バックコーラスは、ひたすら「シック、シック・・・」と歌います。 「テナーサックスは、オハイオ出身のビル! そう、グッドモーニング(オハヨ~)の国からやってきたんだ。このバンドは、インターナショナルなバンド。ニューヨークからの者、ノース・キャロライナからの者、プエルトリコからの者、そして、彼は~~」とビルを指差すと、観客から「オハヨ~~」!  「彼とは、もう十代の頃から知ってる」 こう解説しながら紹介したのはドラムスのオマー・ハキム。「彼は、これまでに、マドンナやスティングや、デイヴィッド・ボウイ、ウェザー・リポートなんかと一緒にプレイしてきた。だが、彼が一緒にプレイした最大のスターは・・・」と言って、一息つくと、「ナイル・ロジャースだあ!」と言い放ちます。 そして、ベースのジェリー・バーンズとギターのナイル・ロジャースのバトルは壮絶ですばらしかった。もうちょっと見たかったな。 ダイアナ・ロスでヒットした「アップサイド・ダウン」、「アイム・カミング・アウト」、シスター・スレッジの「ウィ・アー・ファミリー」、「グレイテスト・ダンサー」なども披露し、アンコールでは、「グッドタイムス」の途中に「ラッパーズ・デライト」をいれてラップまでして見せるサーヴィスぶりでした。 ブルーノートがファンクとダンスクラシックに染まったグッドタイムスな92分でした。 (2003年4月14日から19日まで東京ブルーノート)

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Dawn with favorite songs

ドーン(夜明け)。 金曜夜。キーボード奏者、松本圭司さんのライヴを目黒ブルースアレーで見る。ゴスペラーズの黒沢さんがスティーヴィーの「ユー・アンド・アイ」と、ダニーの「サムデイ・ウィル・オール・ビー・フリー」を歌う。なかなか盛り上がる。松本さんと黒沢さんは、もう息があっているので、安定している。スティーヴィーの作品は「リボン・イン・ザ・スカイ」を以前に聞いているが、これもいい感じ。「ユー・アンド・アイ」は、アルバム『トーキング・ブック』に収録されている。それにしても、松本さんと黒沢さんのトークは、おもしろいなあ。あの松本さんの飄々(ひょうひょう)としたキャラが最高です。 次の渋谷ジェイジー・ブラットのサヤのライヴの時間が迫っていたので、後ろ髪を引かれつつ途中で抜ける。サヤ・トリオは、あいかわらずかな。終わったあと、ジェイジーのハウスDJ、トミーがまわしていて、そこでまずサヤの「リボン・イン・ザ・スカイ」をかける。スティーヴィーをボサっぽくカヴァーした曲とスティーヴィーの「センド・ワン・ユア・ラヴ」のインストの方をかけた。うまい選曲。「スティーヴィー特集、いいねえ」と声をかけると、「わかってくれた?」とトミー。 そのあと、マイケルの「ロック・ウィズ・ユー」の誰かのカヴァーをかけた。誰かと思って訊いたら、ビー・ザ・ヴォイスという日本人二人組みだという。CDを見ると、ソウルボサトリオ・プロダクションとある。ゴンザレスさん絡みなのかな。これ、なかなかよかった。今度、ジェイジーでライヴやるそうだ。チェック。 日本のタック&パティーといわれるフライドプライドみたいだが、それより英語の発音がはっきりしていた。これならよろしい。ミュージシャンとしての力はライヴを見なければわからないが。 その後、中目黒のジャズバー「A列車」に行く。初訪問。78年オープン25年の歴史のあるかなり渋い店だった。ターンテーブル2台とCDプレイヤーがあった。アンプはお約束のマッキントッシュ。ちょうど入ったときには、アーマッド・ジャマルのピアノのCDがかかっていた。店が2時までで、最後に「テイク・ジ・Aトレイン(邦題、A列車で行こう)」がかかった。その後音がなくなった。つまり、この曲が店の営業終了のテーマなんですね。 そういえば、昔、先のトミーが西麻布でやっていたトミーズ・ハウスの営業終了曲は山下達郎の「ラストステップ」だった。(違ったかな) 六本木のディスコ、キサナドゥの終了曲は、ローズロイスの「ラヴ・ドント・リヴ・ヒア・エニモア」だった。DJオッシーは番組最終回の最後の曲はいつもヒートウエイヴの「オールウェイズ&フォーエヴァー」と決めているそうだ。ラストソングは、大事です。 さらに友人M氏と彼の自宅近くのオーズネストにちょっと寄る。ちょうど自分で焼いたコンピCDを持っていたので、かけてもらう。ここのマスターも音楽好きなので、いろいろ話が盛り上がる。OVライトの「プレシャス・プレシャス」のあとに、リフレクションズの「スリー・ステップス・フロム・ラヴ」をいれているのだが、この流れが妙に最高。 外にでると、はやくも少しばかり明るくなっていた。ずいぶんと日が長くなった。フェヴァリットソングで迎えた夜明けか。あ~~あ、またやっちゃいました。

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Rain & Umbrella

傘。 昨日(12日)も東京は雨だった~。よく言われますが、日本人はちょっとした雨でもすぐに傘をさします。でも、アメリカ人やイギリス人はめったなことでは、傘をさしませんよね。霧雨くらいだったら、平気で普通に歩いています。まあ、国民性でしょうか。 日本人には「置き傘」という習慣がありますが、ロスの人にそんな習慣はあるでしょうか。あるわけはありません。だいたい「置き傘」って英語でなんていうんでしょうね。kept umbrellaとか。通じないですよね。南カリフォルニアには雨が降らないので、みんな傘を持ってませんよね。It never rains in southern California.(by Tony! Toni! Tone!) 相合傘なんていう表現も英語にはないでしょうね。辞書引くと、share an umbrella (with)とでています。なるほど。傘をだれそれとシェアする、ってことね。そうか、傘の文化っていうのは、やはり雨がたくさん降る国のものなのね。日本とかイギリスとか。でもイギリスに相合傘とかのコンセプトはあるのだろうか。イギリス事情に詳しい人いたら教えてください。 傘といえば、「シェルブールの雨傘」ですか。傘っていうと、なんとなく、僕はロンドンのイメージかなあ。そうだ、ありましたね、『刑事コロンボ』の初期の作品に「ロンドンの傘」っていうのが。コロンボがロンドンに出張で行く話ですね。 http://www5b.biglobe.ne.jp/~madison/columbo/col_3/c_3_5.html これは、傑作でしたねえ。『コロンボ』の中でもおもしろかった一本です。 雨といえば、ドラマティックスの「イン・ザ・レイン」ですね。雨の中で泣けば、涙を流しているのがみんなにはわからない、というわけですね。最近も似たような曲がありました。この手の状況でいろんな失恋ソングがありましたね。雨関連では、レイ・グッドマン&ブラウンの「ヘヴン・イン・ザ・レイン」は、かなりいい曲でした。それに、雨のときに必ずかかるのが、ラヴ・アンリミテッドの「ウォーキング・イン・ザ・レイン(邦題、恋の雨音)」でしょうか。そして、最後は、オラン・ジュース・ジョーンズの「ザ・レイン」。 雨の曲をメドレーでご紹介しました。

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Little Eva Dies

リトル・エヴァ死去。 「ロコモーション」などのヒットでおなじみのシンガー、リトル・エヴァが10日(木曜)ノース・キャロライナ州キンストンで死去した。彼女のフルネームは、エヴァ・ナルシサス・ボイド。長い間闘病生活を送っていたが、病気については発表されていない。彼女は一般的には1943年6月29日ノース・キャロライナ州生まれといわれているので、これが正しければ59歳だったことになる。生年に関しては43年から46年まで諸説ある。 リトル・エヴァは、元々60年代から活躍するソングライター・チーム、キャロル・キング、ジェリー・ゴーフィン夫妻のベイビーシッターだった。キング/ゴーフィンが書いた「ロコモーション」のデモテープで、エヴァに歌ってもらったところ、評判がよかったために、そのままシングル発売。見事なヒットになり、全米ナンバー・ワンを記録、一躍スターダムにのしあがった。 「ロコモーション」は、その後ロック・グループ、グランド・ファンク・レイルロードによって74年にカヴァーされ、再び全米ナンバーワンを記録。さらに、88年にはカイリー・ミノーグもカヴァーした。 彼女は、3人の子供、15人の孫、9人のひ孫たちによって召される。 +++ Friday, April 11, 2003 12:30AM EDT ‘Little Eva,’ singer of “The Loco-motion, dies in Kinston The Associated Press KINSTON, N.C. (AP) – Eva Narcissus Boyd, a teenager known as Little Eva when her first … Continue reading

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Purple Pain

殿下。 美智子妃殿下の実家である正田邸が取り壊されていますが、海の向こうのミネアポリスでは2週間ほど前に殿下ことプリンスの有名な「パープル・ハウス」が取り壊されました。ミネアポリスにあるプリンスが広大な敷地に建てた家です。 プリンス・ファンはみな、一度、ここに「巡礼」に行きます。(笑) 僕も86年に行きました。といっても、もちろん、中には入れないので、家の前まで行って、フェンス越しに遠めにそのパープル・ハウスを眺めるだけです。写真とったんですけど、いいカメラではなかったので、現像したら家が小さくしか映ってなくて、使えませんでした。 フェンスの向こうに、小さくですが、確かにパープルの家がありました。しかし、本当にパープルの色の家なんですよねえ。後にも先にもパープルの家を見たのは、それっきりです。(笑)  ここにはずっとプリンスのお父さんが住んでいたそうです。お父さんは2001年8月に亡くなられています。そして、お母さんも2002年2月に死去しています。そんなことも、古い家を取り壊すことへの布石になっているのかもしれません。正確なことはわかりませんが。 この敷地自体は、依然プリンスのものだそうで、新しく家を建て直すのではないか、ともいわれています。 このニュースソースはイギリスの音楽誌ニュー・ミュージカル・エキスプレスでした。 http://www.nme.com/news/story.htm?ID=104728 記事は、パープル・ハウスが取り壊されてファンが抗議している、というもの。記事タイトル「パープル・ペイン(パープルの痛み)」がうまいですね。 +++ さて、昨日のクイズの正解は・・・ キャメオCameoです。ラリー・ブラックモン率いるファンク・バンドです。keikoさん、おめでとうございます。よくそんなこと知ってますねえ。見事に正解です。morishimaさん、残念。SOUL OZさん、まにあいました。正解です。 ++++++ (2003年4月9日、ロンドンNew Musical Express発) PURPLE PAIN! (パープルの痛み!) PRINCE fans have spoken out after the star demolished the family home which inspired his famous 1984 album and film … Continue reading

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Manhattan, New York

摩天楼。 松井関連で、マンハッタンのことを思い浮かべつつ昨日の日記を書いたら、なんと初めてのホームゲームでいきなり満塁ホームランだって。なにか、そこしれぬ強運を持っていますね、彼は。 そんな前置きはおいといて、ニューヨークつながりで肝心なグループを忘れていることに気がつきました。マンハッタンズです。スイートソウルのグループとして、日本でもかなりの人気を獲得しているR&Bヴォーカル・グループです。何度も来日していますが、彼らの大ヒットと言えば、「キス・アンド・セイ・グッドバイ」と「シャイニング・スター」です。リード・シンガーは、ジェラルド・アルストン。サム・クックの流れをくむ正統派シンガーです。 ポップの分野ではマンハッタン・トランスファーがいますね。多数のアルバムをだしているアカペラも歌うグループです。さらに、一発ヒットですが、ニューヨーク・シティーというグループがいます。曲は「アイム・ドゥーイン・ファイン・ナウ」。フィラデルフィア・サウンドのポップな曲で、73年にヒットしました。 それではここで問題です。ニューヨークやマンハッタンといった言葉を使ったグループはいくつかありますが、74年頃のバンド結成当初「ニューヨーク・シティー・プレイヤーズ」と名乗っていたグループがいます。このグループはレコードデビューまでには、その名前を変更し、数多くのヒットを放つようになります。さて、そのグループとはなんでしょうか。(正解は明日)

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Sometimes It Snows In April

雪。 テレビのニュースが、ヤンキーズに行った松井選手のニューヨーク・デビュー戦が雪のため延期になったと伝えています。4月に雪ですか・・・。となると思い浮かぶ曲は、プリンスの「サムタイムス・イット・スノウズ・イン・エイプリル」(ときには4月に雪が降ることもある)。彼のアルバム『パレード』(86年)に収められている秀逸な一曲。昨年11月のプリンス来日のときも、確か1日だけライヴでやってくれたスロー・バラードです。ミラーボールに当たった照明が客席に降り注いで、まるで武道館に雪が降っているかのでようでした。松井の映像、4月の雪のニューヨークのバックに、この曲が流れたら最高にセンスいいのにね。まだ見てません、そんな映像。 New York State Of Mind by Billy Joel まあ、プリンスを上級編としたら、中級編はこのあたりでしょうか。ご存知ビリー・ジョエルの76年のアルバム『ターンスタイルス』(邦題、ニューヨーク物語)収録の一曲。これも多くのシンガーにカヴァーされています。 「休暇にニューヨークを出たいと思う連中もいる。飛行機でマイアミやハリウッドに行く連中。でも、オレが行くならグレイハウンドでハドソン・リヴァーを渡りたい。なぜって、オレの心はいつもニューヨークにあるからさ」 ニューヨークを愛するニューヨーカー、ビリー・ジョエルのニューヨークへの愛情がほとばしりでた名曲です。グレイハウンドは、ご存知かと思いますが、全米をくまなく結ぶ長距離バスです。飛行機で旅にでるのでは、ニューヨークから瞬時に離れてしまいます。でも、バスならば、マンハッタンと隣の州を分かつハドソン河を渡るとき、ゆっくりとマンハッタンの摩天楼が小さくなっていきます。そこにニューヨークへの別れを惜しむ旅情がかもし出されます。このあたりの描き方が抜群に上手ですね。 New York, New York by Frank Sinatra ま、ニューヨークの映像にもっともBGMとして使われるのが、これでしょう。フランク・シナトラの「ニューヨーク、ニューヨーク」。 「この街で成功すれば、世界中のどこでも成功できる。それは自分次第。僕は決して眠らない街で、朝起きてみたいんだ。そう、ニューヨークの一部になりたいんだ」 これも実にカヴァーが多いですが、ソウル系ではオリータ・アダムスがカヴァーしています。それとバーブラ・ストライサンドのヴァージョンも見事ですね。 New York, New York by Grand Master Flash そして、絶対かからないであろう曲が、ラッパー、グランド・マスター・フラッシュのこれ。83年のスマッシュヒットです。やっぱりソウル・サーチャーとしては、フランク・シナトラで終わるわけにいきません。 というわけで、ニューヨークつながりで、4曲続けてご紹介しました。あなたの気持ちはマンハッタンに飛びましたか?  ++++ For Your Information: Sometimes It Snows In … Continue reading

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Marvin’s Influence

離婚。 マーヴィン・ゲイに影響を受けたシンガーってたくさん、いますね。歌唱法、声の出し方など、さまざまな曲を聴くとき、ふと、マーヴィンが頭をよぎることはよくあることです。 そんなシンガーのひとりに、ブライアン・マクナイトがいます。ブライアンの新作『U Turn(ユーターン)』の中の一曲「ソー・ソーリー」については、一度3月4日付け日記でも書きました。同アルバムの中に「バックシート」という曲があります。この曲では存分にマーヴィン節がでています。 飛行機でロスに戻ってくる彼女を待っている男。月曜まで休みで金曜夜から月曜日までべったり彼女と過ごすことができる男。それが主人公です。う~ん、モントレーまでドライヴして、週末旅行ですか。海岸沿いのパシフィック・コースト・ハイウエイをポルシェでも飛ばしていくのでしょうか。うらやまし。 ここで歌われる「バックシート」は車のバックシートのこと。「僕たちは会ったらすぐに車のバックシートで愛し合うことだってできる」というわけです。 ところで、このアルバム、やたら未練たらたらの曲が多いなと感じたのです。続く「シュッダ・ウッダ・クッダ」なども、「僕たちがもうだめだということはわかっている。でも君が行ってしまう前に、どうしても知って欲しいことがある。僕はもっといい男であるべきだった」と告白。「ソー・ソーリー」(僕の個人的お気に入り)も、「今までのあやまち、すべてごめんなさい」と謝ります。タイトルソング「ユーターン・ガール」に至っては、「僕が探しているのはユーターン・ガール。つまり、別れてももう一度またよりを戻せるガールがいいんだ」とまでいいきります。 というところで、ふと、思いつくことがありました。昨年のブライアンのライヴのときの「僕は、今、シングル(独身)だからね」という一言。そうか、離婚していたんですか。知りませんでした。そして、このアルバムは、まさに別れた彼女へのアルバム、もしくはそのことを歌った作品集のように思えてならないのです。 そういう点で、まさに、アルバム自体がマーヴィン・ゲイの『離婚伝説(ヒア・マイ・ディア)』を彷彿とさせるような作品でもあるわけです。ブライアンとマーヴィンを結びつけたときに、ふとそんなことがわかったのです。ブライアン本人は否定するかもしれませんが、マーヴィンから歌唱だけ影響を受けたのではなく、アルバム・コンセプト自体、『離婚伝説』の影響にあるといえるのかもしれません。

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Talk About Diana

心機一転。 昨日の『ソウルブレンズ』(インターFM、毎週日曜午後4時~6時)内「山野ミュージック・ジャム」は、ダイアナ・ロスでした。コーナーの時間が先週までの1時半から4時半へと後ろにずれましたが、昨日はみんなテンション高かったですねえ。同録を聞いたところ、いつもながら、話したいことがたくさんあると、本当に早口になってしまいますねえ。 ま、それでも、いろんな話題が出ました。ぜんぜん予期していなかったのですが、ダイアナの「ザッツ・ホワイ・アイ・コール・ユー・マイ・フレンド」は、日本でもテレビドラマの主題曲になり、ヒットしましたが、これは日本人作曲家、日向敏文さんの作品。なぜ日本人アーティストの作品がダイアナというアメリカのビッグスターによって歌われたのかとか、映画『レディー・シングス・ザ・ブルーズ』の話など、そこからダイアナ・バッシングの話、さらに、黒人俳優がなかなかオスカーを取れずに、やっと昨年ハル・ベイリーがオスカーを獲得したといった話まで、めちゃくちゃ話が飛んでしまいました。 ベリー・ゴーディーとダイアナの関係なども、非常におもしろい話でしたね。さすがに昨日は、時間が足りなかったです。まあ、また機会があったらやりましょう。 『ソウルブレンズ』は、徐々に4月からマイナーチェンジしていきます。ご期待ください。

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Soul Blends starts at 4pm

今日から『ソウル・ブレンズ』、午後4時スタートです。「ミュージック・ジャム」は4時半から。76.1mhzです。お間違えのないように。本日は、ダイアナ・ロスをお送りします。

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More “What’s Going On” @ Soul & Funk Bar: Duke

再会。 エドウィン・スターの急死やニューオーリンズ話で若干横道にそれてしまったんですが、「しずおか屋」さんに行った後の話の続きがあるんです。 帰り道、細い下北の道を走っていると、Soul & Funk Bar: Dukeの名前が。これはなんだ、と車を横に止め、さっそく入口を見てみると、なかなかよさそうなので、はいってみました。 黒基調のアメリカンスタイルのバー。カウンターの中に、ターンテーブル2台とCDプレイヤーが1台。かけているレコードのジャケットをカウンターの前に飾ります。そのDJブース前のカウンターに座りました。若い人がまわしていました。79年生まれの23歳。「いつくらいのレコードが多いんですか」 「70年代から80年代のソウル系ですかねえ。なにかリクエストがあれば、おかけしますよ」  しばし考えて、彼がかける曲を聴きながら思いました。23歳にしてはずいぶん古い曲をかけるのです。「けっこう古いの知ってるのねえ」 「ええ、自分はちょっとギター、弾くんで」 「じゃあ、ダニー・ハザウエイのライヴある?」 「ありますよ」 「『ホワッツ・ゴーイング・オン』でもお願いします」 そして、取り出されたるジャケット! うぉ、すご。ジャケットの3方が茶色のガムテープで補強されてる。もう一方は出し入れするところだから、ガムテ貼ってません。当たり前ですが。原型とどめてないでしょう。端っこの文字なんか読めません。ジャケットの紙自体もなんか薄くなっているような、そんなヨレヨレ感が漂います。ダンステリアのジャケットもかなりヨレヨレですが、ここのダニー・ハザウエイ『ライヴ』のはすごいな。これは。年季が入ってるというか。今まで見た中でも、「もっともヨレヨレのおんぼろジャケット賞」をさしあげたい。そういうジャケット写真ばっかり集めても、おもしろいだろうな。 「『ホワッツ・ゴーイング・オン』ってマーヴィン以外のありますか」「え~、クインシー・ジョーンズとオハイオ・プレイヤーズがありますよ」と店のマスター、甲賀さん。「ほ~~、オハイオ・プレイヤーズですか。じゃあ、それ、お願いします」 オハイオ・プレイヤーズのヴァージョンは『クライマックス』のアルバムに入っていました。74年秋リリースのアルバムで、彼らがマーキュリーに移籍して「ファイアー」などの大ヒットを飛ばす以前の作品です。帰宅してチェックしたら、しっかり持ってました。でもすっかり忘れてましたねえ。少しまったりした感じの「ホワッツ・ゴーイング・オン」が約6分。それでも、マーヴィンのとは一味違ったファンク風の香りも漂わせています。 このアルバムにはもう一曲、CCR、アイク&ティナ・ターナーでおなじみの「プラウド・メアリー」も収録されています。かなり遅いテンポのブルージーなアレンジです。「ファイアー」などの洗練されたファンクのイメージからすると、かなり泥臭いアーシーな感じです。 ま、ソウルバーなどに行くとすっかり忘れていた昔のアルバムなどに再会できて、それはそれでまたうれしいですね。昔のアルバムの中にシングルヒット以外の曲で何がはいっていたかなんて、やっぱり忘れてしまうものですからねえ。最近つくづくそれを感じます。(笑) 

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Plants at New Orleans

植物。 一昨日(3日)の深夜フジテレビ系で「ルーツ・オブ・ミュージック、ヴォリューム4」という番組をやっていました。ヴォリューム4ということは、3までがあったんですねえ。ぜんぜん知らなかった。途中から見たのですが、今回カメラはニューオーリンズを取材していました。 僕はこの地は行ったことがなくて、一度なんとしてでも訪れたいと思っています。番組には、アラン・トゥーサン、ネヴィル・ブラザース、ワイルド・マグノリアス、そしてそのバンドマスターこと我が山岸潤史などなどが登場。ライヴハウスでのライヴの様子や、各ミュージシャンのインタヴューなどをまとめていました。 ニューオーリンズというと、一般的には「ジャズの発祥地」みたいに捉えられていますが、もちろんそれも正しいのですが、僕なんかはブルーズ、リズム&ブルーズなどの発祥地のように感じてしまいます。ミーターズ、ネヴィルズ、ワイルド・マグノリアスなどのいわゆるニューオーリンズ・サウンドと呼ばれる独特のリズムは、非常にオリジナリティーが高いものです。グリッティーな(脂っこい、べとっとした)サウンドです。 山岸さんと最後に会ったのは、2年ぐらい前かな。誰のライヴについてきたのだろうか。ワイルド・マグノリアスだったか。番組内の彼のインタヴューは、相変わらずとてもハッピーなキャラを映し出していました。 番組最後に、いろいろなアーティストに「ニューオーリンズの街とは」と質問し、それぞれが答えたのですが、アラン・トゥーサンのまとめの言葉がかっこよかった。彼はこう言いました。 「ニューオーリンズは、私にとってはすばらしい庭(ファビュラス・ガーデン)のようなものだ。そして、私はニューオーリンズの庭に咲く植物(プランツ)だ」 うまいですね。いかなるミュージシャンも、庭の植物。ひょっとしてDJなんかも、庭の植物ですね。ディスコという庭にぱっと咲いて、人々をなごませ、ときには盛り上げる。うむ、そうなると植物というより、ガーデナ(庭師)のほうが、あってるかな。ニューオーリンズというすばらしい庭には、すばらしい植物がたくさん咲いています。その植物をもっともっと輝かせる素敵な庭師もいます。 そして、番組進行のナレーション、誰かと思ったら、谷啓だったんですね。では、ワイルド・マグノリアスでもひっぱりだそうかな。

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To The Music Lovers in Shizuoka Area

静岡地方の方へお知らせ。 今日4月4日(金)から、静岡K-mix-FMで、新番組が始まります。70年代、80年代の洋楽ヒットを中心にした『ブギー・ナイツ』という番組です。DJは新人の服部敦士くん。その中で、「ブラック&ホワイト」というコーナーを担当します。毎週一組のアーティストをとりあげて、エピソードなどをご紹介します。一回目はマイケル・ジャクソンです。静岡地方の方もしいらっしゃったら、お聞きください。 放送時間は、午後7時から8時まで。周波数は、地域によって違います。番組名は『ブギー・ナイツ』。 またこの番組では、毎週一曲、リスナーから思い出の曲を募集して、放送します。コーナータイトルは、「メモリー・レイン」。その曲をどこで初めて聴いたとか、あるいは、聴いたときの思いでとか、その曲を聴くと、何々が思い出される、とか。なんでもけっこうです。メールをお寄せください。静岡地方以外の方でも、大歓迎です。採用の際は、同録テープを差し上げます。(笑) っていうか、それぐらいしかお礼はできませんが。(笑)

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War & Stop The War Now

戦争。 エドウィン・スターが「ウォー」を歌ったのは、1970年、ヴェトナム戦争が激化している頃のことでした。いわゆる反戦ムードが盛り上がり、さまざまなアーティストが反戦歌を歌っていました。 それから33年たった今、再びアメリカは戦争をしています。開戦のときに、さまざまな反戦歌が話題になりましたが、それらは、みな60年代から70年代の作品ばかりでした。「ウォー」はまっさきに注目された一曲です。 考えてみると、では、なぜ今のアーティストは反戦歌を歌わないのでしょうか。シンガーたちに主張がなくなったのか。アカデミー賞授賞式でドキュメンタリー部門を受賞したマイケル・ムーアがブッシュに対して、「恥を知れ!」といい放ったシーンは、痛快でした。そういうガッツがある歌手はどこへ行ったのでしょうか。 そして、エドウィン・スターが他界したことによって、再び「ウォー」がたくさんかかるようになり、それが反戦ムードを盛り上げることにでもなれば、彼が歌った「戦争なんてまったく意味がない」というメッセージが30年の月日を経て、人々に到達することになります。エドウィン・スターが自らの死をかけて、「ウォー」のメッセージを広めることになれば、その死もさらに尊いものになります。戦争中にエドウィン・スターが他界するというところが運命的なのかもしれません。 スターには一度来日したときに会った記憶があります。70年代だったはずですが、今、正確な年月が思い出せずにいます。少し調べてみたんですが、資料がでてきませんでした。どこかにあるはずなんですが。すごくやさしい人だったような気がします。「ウォー」のヒット、あるいは、「ヘル・アップ・イン・ザ・ハーレム」の怖い印象とはまったく違っていたのです。 「ウォー」に続くエドウィン・スターのヒットは、「ストップ・ザ・ウォー(戦争をやめろ)」という曲でした。2曲続けてかけてご冥福をお祈りします。

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Edwin Starr Dies at 61

エドウィン・スター死去 (2003年4月3日、ロンドン=東京) AP、ロイター電などによると、「ウォー(邦題、黒い戦争)」などのヒットで知られるソウル・シンガー、エドウィン・スターが2日(水曜)、イギリス・ノッティンガムの自宅で心臓発作のため死去した。61歳だった。エドウィン・スターは前週末、ドイツでテレビ番組用収録のライヴを行ったばかりだった。 エドウィン・スターは、1942年1月21日テネシー州ナッシュヴィル生まれ。本名チャールズ・ハッチャー。弟のロジャー・ハッチャーもソウル・シンガー。57年、自己のグループ、フューチャー・トーンズを結成、その後、3年間の兵役後、65年本拠をデトロイトに移し、同地のインディ・レーベル、リック・ティックと契約。リック・ティックから65年に発売された「エージェント・ダブル・オー・ソウル」がソウル・チャートで8位を記録するヒットになり、一躍人気ソウル・シンガーの仲間入りを果たした。(「エージェント・ダブル・オー・ソウル」は、「エージェント・ダブル・オー・セヴン(007のこと)」のもじり) その後、リック・ティックがベリー・ゴーディーのモータウン・レコードに買収され、自動的にモータウン入り。69年「トゥエンティー・ファイヴ・マイルス」がソウルで6位を記録。いずれも、パンチのある男性的な歌唱で人気を集めた。 ヴェトナム戦争真っ只中の70年、モータウンのプロデューサー、ノーマン・ウィットフィールドとバレット・ストロングが書いた作品「ウォー」が全米ポップチャートでナンバー・ワンを記録。これは彼の代表曲となるだけでなく、数ある反戦歌の中でももっとも象徴的な作品になった。この曲は元々は、テンプテーションズ用に書かれ、提供されたが、その反戦的な内容がソフト路線を目指すグループに適さないとのレコード会社の判断で、エドウィン・スターにまわされた。その後もノーマンが推し進めるファンク路線の作品を歌った。 75年インディのグラナイト・レーベルに移籍、さらに、77年20世紀レーベルへ移籍。ここではディスコ路線になり、「コンタクト」(79年)、「ハッピー・レイディオ」(79年)などのヒットを放った。最近では、オールディーズを歌うショウなどに登場、また、イギリス、ヨーロッパで人気が高かったため、イギリスに本拠をおいていた。70年代に一度来日している。 また、彼の「ウォー」は、85年9月、ブルース・スプリングスティーンがライヴでカヴァーし、翌86年にヒットを記録。スプリングスティーンは今回の開戦後に行われたライヴで、この曲をコンサートの一曲目に歌った。 (吉岡正晴)               +++

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Edwin Starr Dead at 61(News Bulletin)

元モータウンレコードのソウルシンガー、エドウィン・スターが4月2日、イギリス・ノッティングハムの自宅で心臓発作のため死去した。61歳だった。70年の大ヒット「ウォー」は、代表的反戦歌のひとつとして、現在も強く支持されている。(詳細はのちほど)

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As the boy, so the man

おでん。 用事があり下北沢に行ったので、帰りに先月(2003年3月)「しずおか屋」になった元ソウルバー「エクセロ」に足を運びました。「エクセロ」は古いソウルファンなら誰でも知っているかなり老舗のソウルバーでした。昔(70年代)は方南町にあり、その後、下北沢に移ってずっと渋いディープソウルをかけてきた店です。新しいソウルバー・ファンには、「リトル・ソウル・カフェ」の向かいのお店ということでも知られています。 オウナーは富田さん。ソウル一筋30年余。渋めのソウルアーティストのライヴでもよく顔を合わせます。その昔、鈴木雅之さんらが方南町時代にはよく通ったというお店ですが、この3月からおでんやさんになりました。奥様が代田の方で同名のおでんやさんをやっていて、それがこちらに引越してきた感じです。出身が静岡ということで、静岡風のおでんを供します。 初めて食べましたが、おつゆがすごく濃いのですが、味は意外とあっさり。なかなかです。そして、バックで流れている音楽は、やはりソウルでした。いろんな曲がかかるので、尋ねてみると、珍しいソウルのシングルなどをCD-Rに焼いてそれをかけているそうです。さすがです。 年季の入った店のあちこちにふるいR&Bシンガーの写真やポスター、日本でのコンサートのチケットなどが額縁に飾られています。なんだか、タイムスリップしたかのようです。ファッツ・ドミノなんて来てたんですね、そう言えば。チケットが飾ってありました。 後ろに座っていた中年サラリーマン風。「今日は、ソウルばっかりだなあ。エルヴィスもかけてよ~~」と富田さんにぶつぶつ言ってます。すると「ちゃんとあとで、エルヴィスもかかりますから。ロックもかけますから。今、たまたまソウルなんですよ~~」と答えます。へえ~~。最近はジャンル広げたんだ。満点の20へえです。 しかしながら、僕がお店にいる間、結局ずっとソウル、それもかなりのディープソウルばっかりで、ロックのロの字もでてこなければ、エルヴィスのエの字も出てこなかった。(笑) (よかった! やっぱりねえ!) 今日の教訓: 『三つ子の魂(ソウル)百まで』意味: 『3歳の時に聞いたソウルミュージックの魅力には100歳までとりつかれる。営業とはいえ、おいそれと、ロックなんかに趣味を変えることはできない』 これを英語で言うとどうなるか。調べてみました。 What is learnt in the cradle lasts to the tomb.(ゆりかごで習ったことは、墓場まで忘れない) あるいは、As the boy, so the man.(子供の如く、大人もまたしかり=子供の頃に学んだことは、結局、大人になってもそれを受け継ぐ。子供も大人もやることは同じ) な~~るほどね。 帰り際、懐かしい曲がかかりました。インスト曲でBPMで130くらいのファンキーなギターとオルガンをフィーチャーした曲です。ブッカーT&MGズをもう少し洗練させたような曲。昔よく聴いた曲でした。でも、アーティスト名とタイトルがどうしても思い出せません。「なんだっけ、なんだっけ」と一人言をこぼし、がまんできずに富田さんに尋ねました。「これなんでしたっけ」 「ポール・ハンフリー! 懐かしいね」 「そうだ、『クール・エイド』だ!」 「クール・エイド(Cool-Aid)」は、本当は「Kool-Aid」なんですね。これは、いわゆる粉末ジュースのこと。固有名詞です。でも、Kool-Aidと曲名を表記すると、ジュースの発売元フィリップモリスから訴えられてしまうかもしれないので、KをCにしたわけです。ジュースのイメージなのかな。71年のヒット曲でした。 さて、かなり古めのソウルばっかりかかっていた「しずおか屋」。ソウルコーヒーもあれば、ソウル焼き鳥もあるのだから、やっぱり、ソウルおでん、ですね。(謎) (「しずおか屋」世田谷区北沢2-33-12 第二トキワビル202 電話03-3465-6154.日曜・定休。祭日は営業。6時から午前1時まで)

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Mrs. or Mr., That is the Question.

性。 こんな日記でも読まれている方が何人かいらっしゃいます。そうした方の日記を僕も読ませていただきますが、その中のひとりの方が先日バーバラ・メイソンの「ミー&ミスター・ジョーンズ」のことに触れられ、それで正しいの、と書かれていました。インターFM『バーバーショップ』(最終回)でケイ・グラントさん(鈴木雅之のダニー・レイ!)のリクエストで放送された曲です。普通は「ミー&ミセス・ジョーンズ」ですよね。 結論から言えば、正しいです。同じような疑問を持たれる方もいらっしゃると思うので、なぜ「ミー&ミセス・ジョーンズ」が「ミー&ミスター・ジョーンズ」になるかを簡単に説明しましょう。 ビリー・ポールの元歌「ミー&ミセス・ジョーンズ」は、不倫の歌なんです。歌っているのが男性シンガーなので、「私とジョーンズ夫人」の間の関係を歌うわけです。「私とジョーンズ夫人は、毎日6時半にいつものカフェで落ち合う。手を握り締め、さまざまな計画を練る。誰も、私たちがそこで逢っている事を知らない。僕たちは二人ともそれが悪いことだとはわかっているけれど、止められない。私とジョーンズ夫人」 一人の男(ミー=私)と、別の男(ジョーンズ氏)と結婚しているジョーンズ夫人の不倫です。 そして、女性シンガー、バーバラ・メイソンが歌うときには、今度は不倫の相手は男になるので、「私と(男の)ジョーンズ氏」となるわけです。 アメリカの歌の世界では、男性歌手と女性歌手の歌の立場がはっきりしています。男の歌手が女の歌、女の気持ち、女の目線での歌は決して歌いません。その逆もです。だから、その曲が「曲の性」を持っている場合、必ず「歌手の性」と一致させます。というわけで、冒頭の「性」という単語、ジェンダーの性です。セックスの性ではありません。 このほかの例ですと、キャロル・キング作、アレサ・フランクリンなどの歌で有名な「ユー・メイク・ミー・フィール・ライク・ア・ナチュラル・ウーマン」(あなたは私をナチュラルな女に感じさせてくれる=あなたといると、自然な女になれるわ)があります。これを男性シンガー、ジェームス・イングラムが歌うとどうなるか。「ユー・メイク・ミー・フィール・ライク・ア・ナチュラル・マン」になるわけです。「ウーマン」が「マン」に変化するわけです。 もう一例。ボズ・スキャッグスが歌う「ホワット・ドゥ・ユー・ウォント・ザ・ガール・トゥ・ドゥ」(君はガールに何をして欲しいんだい?)を女性のボニー・レイットが歌うとどうなるでしょう。「ホワット・ドゥ・ユー・ウォント・ザ・ボーイ・トゥ・ドゥ」(あなたはボーイに何をして欲しいの?)となるわけです。「ガール」が「ボーイ」に変化です。 日本の演歌は、そのアメリカ的スタンダード(基準)からすると、とても異様です。なぜなら、男の歌手が女の気持ちを歌った作品を歌うことが多いからです。男が男の歌を歌い、女が女の歌を歌うというのが、確かにあるべき姿なのですが。ただし、男が女の気持ちを歌うというものが、日本独自の文化のひとつと考えればそれもよしということになりますが。歌舞伎や宝塚も、男性が女性役をやったり、女性が男性役をやったりするわけですからね。 というわけで、「ミスター」と「ミセス」の変化についてのお話でした。

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The Worst April Fool’s Day Ever

命日。 4月1日は、エイプリル・フールですが、ソウル・ファンにとっては、何をおいても、マーヴィン・ゲイの命日ということで記憶されます。マーヴィンの誕生日は1939年4月2日。命日は1984年4月1日。45歳の誕生日を翌日に控えての他界だったわけです。悪夢のエイプリル・フールです。 そのニュースを知ったのは、日本時間で4月2日の午後ということになります。ちょうど、その日から、テレビ朝日がCNNと提携して番組を放送するようになったんですね。それで、そのニュースで見ました。ですから、僕にはCNNの日本での放送開始と、マーヴィン死去のニュースがいつもワンセットで記憶にあります。それはびっくりでした。 マーヴィンのライヴは、79年9月に来日したときに武道館で2度見ました。これも衝撃だったですが、その後、83年8月にロスアンジェルスのグリークシアターで見ることができて、それも生涯忘れられないライヴのひとつです。8月だというのに、オープンエアの会場は、けっこう寒かったです。ライヴ後、バックステージに行ったら、めちゃくちゃたくさん人がいて、アメリカのコンサートのバックステージはいつもこんなに混んでるのかと思いました。日本のは、そんなでもないんで。 その日はけっこうバックステージにいたので、帰り際駐車場まで行く道が、もうほとんど人がいなくて、暗くて、かなり怖かったのを覚えています。 その前、83年5月に放送されたあの伝説のライヴ『モータウン25』でマーヴィンがピアノの弾き語りで「ホワッツ・ゴーイン・オン」を歌ったのは、今でも強烈な印象があります。 来年は没後20周年になるんですねえ。そうかあ。(しみじみ) ニュースを知ったときには、ロスで見たライヴが最後になってしまったのか、もう永遠にマーヴィンのライヴを見ることができないのか、と思うと、いてもたってもいられなくなりました。 死後19年たった今も、マーヴィンのソウルは、生きています。 その時の朝日新聞の記事の切り抜きがあります。今読み返すと、う~む、と思ったので、ちょっとこのことにも触れちゃいましょう。20行余の共同通信からの配信記事です。間違い探しの例題ということで、記事を転載します。(1984年4月2日付け)  ++++ 米のソウル歌手、マービン・ゲイ氏 撃たれて死ぬ 【ニューヨーク1日=共同】 米ロサンゼルス市警察は1日午後、米国の人気ソウル歌手マービン・ゲイ氏(44)=写真=が、同市内の実家で撃たれ、収容先の病院でまもなく死亡した、と発表した。警察は父親から事情を聴いている。 ゲイ氏は1940年ワシントンに生まれ、3歳で教会に立ち、61年にデビュー。「ホワッツ・ゴーイング・オン」(69年)の大ヒットで一躍、スターの地位を確立した。 83年には「セクシャル・ヒーリング」でグラミー賞を受賞。二度目の夫人ジェニス・ハンターさんと別れた後、ハワイで麻薬自殺しようとしたことがあると、語ったことがある。誕生日を翌日に控えての死だった。  ++++ さて、上記記事にいくつ間違いがあるでしょうか。答えはほぼ2つ(ほんとは3つだと思う)、表記として1つあります。 まず、決定的なのが生年。1939年生まれを40年生まれとしてしまっています。一番最後に「誕生日を翌日に控えて」としているのに、間違えてしまった。( )内の年齢は44歳であっているのに、きっと、記者は計算違いしたのでしょう。 61年にデビュー、という表記。確かにマーヴィンは61年にシングルを出していますが、ヒットには至っていません。彼の最初のヒット曲「スタバン・カインド・オブ・フェロウ」は62年なんですね。この記者がその61年発売のヒットしなかったシングル盤を知っているとは思えないので、どうも怪しい。こういうときは、「62年に『スタバン・・・』が初ヒット」という表記をするのが、一番無難なんですね。 そして、「ホワッツ・・・」(69年)。これは、ないでしょう、いくらなんでも。69年ってどこからでてくるの。正解は71年です。このあたりに本記事のクレディビリティー(信頼性)のなさが現れているので、61年デビューというのも、本当は62年デビューと書きたいところを間違えたのではないかと推測されるわけです。 二度目の夫人、ジェニス。う~ん、これは発音表記の問題なんですが、原語はJanisなんですね。だから、新聞用語的にはジャニスになるんですよ。こんなに短い記事に、これだけ間違いがあっていいんでしょうか。(笑) ま、もう20年近くも前のことなんで、時効にしてあげてもいいですが。でも、新聞とか活字って怖いですね。こうやって、19年後にも文句つけられちゃったりするんですから。あ~~こわ。文字を書くって、本当に後に残ることだから、正確に書かないとね。(これを他山の石としましょう)

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