Monthly Archives: November 2008

◎マイケル・ジャクソン「バッド・ツアー」再現

◎【マイケル・ジャクソン「バッド・ツアー」再現】 完コピ。 今年(2008年)3月、約60分のショーを見たマイケル・ジャクソンの完全コピー・ユニット、「MJスピリット」の単独公演(!)が六本木モーフ(Morph)で行われた。今回は2時間近い「バッド・ツアー」の完全再現だ。 6時過ぎにモーフの前を駐車場に向かって車を走らせているとなんと、行列ができていた。すごい。この日はモーフも立ち見でほぼ満杯。観客が圧倒的に若い。おそらく、1987年に日本で行われた「バッド・ツアー」の時点でまだ生まれてない人さえいるのではないかと思われるほど。これだけ若いファンがいるということに驚く。つまり、彼らはなんらかのきっかけでマイケルを知り、しかし生のマイケルを見る機会はなく、こうしてMJスピリットにやってくるらしい。 前振りがあって、「マイケル・マイケル」の掛け声からビデオ、そして「スタート・サムシン」へ。照明から小物、衣装まで実に細かく再現。もちろん、踊りと振りは完璧だ。「スムース・クリミナル」なんてちゃんとダンサーがみんな斜めに倒れる。「シーズ・アウト・オブ・マイ・ライフ」では、観客席から女の子を1人ステージに上げてマイケルがその彼女のために歌う。もちろん「ビート・イット」「ビリー・ジーン」もハイライトだ。帽子の投げ、ムーンウォーク、「ビート・イット」のカメラ目線、「ダーティー・ダイアナ」のときの下からの扇風機、幕を使ったステージ奥からのシルエット、「アイ・ジャスト・キャント・ストップ・ラヴィン・ユー」ではシェリル・クロウが、「ザ・ウェイ・ユー・メイク・ミー・フィール」では、モデルのイマニが登場する。「ビート・イット」他でスラッシュも出てくる。おまけに、「電話して呼んだ」というスティーヴィーまで出てきたのは愛嬌か。このスティーヴィー、本物より痩せてて、目が見えてるみたいに動いていた。(笑) このマイケルを見ていると、まるで21年前に見た「バッド・ツアー」を再度見ているかのような気になってくる。時は流れ、残念なことに今はマイケルのこうした勇姿は見られない。曲が流れ、こうしたさまざまな演出がそのまま再現されると僕などは当時がフラッシュバックする。1987年、マイケルは29歳。このブルー・トゥリーは今、31歳。まさに油が乗り切っている時期なのだ。しかし、よく研究してるなあ。バックダンサー5人、コーラス4人に、ギターとベース、そして、マイケル・ジャクソンという12人がオンステージだ。 この日は僕はブルー・トゥリーに頼まれて数台あるカメラの一台で撮影を担当した。舞台左下で撮影したのだが、まあ、とにかく動きが速くて何度もカメラのパンのタイミングが遅れたものだ。ファインダー越しにこのマイケルを見ていると、本当にマイケルのパフォーマンスを撮影しているような錯覚に陥った。そして、口パクなのに、本当にその歌を聴いているかのようにさえ思った。たぶん彼は歌詞を覚え、それを歌っているのだろう。 ライヴ後、全員がファンと写真撮影会などもやった。その前後で彼がスタッフを紹介する中で、ビデオ撮影者として僕のことを紹介した。そうしたら、後で以前からマイケル・ファンという方々からお声かけいただいた。もちろん、彼女たちは「バッド・ツアー」から追いかけてきた方たちだが、「私たちの世代はあんまりネットやらないんですよ。たまたま私たち(3人)はやるんで、知り合ったんですけどね」と笑う。なるほど、確かにそうなのかな。隔世の感がある。彼女たちの話によると、「たとえ虐待なんかの報道でも、マイケルが踊っているところのシーンが少しでもでると、それを見て若い人たちが反応してファンになるんですよ」ということらしい。スキャンダルの報道でも、ちゃんとライヴ映像なんかが出ていれば、ポジティヴに捉えられるんだ。そこまで考え、及ばなかった。本当に、しかしここまで徹底してやれれば、お見事だ。 ■MJ-スピリット過去記事 March 22, 2008 MJ-Spirit Live: Michael Is Here http://blog.soulsearchin.com/archives/002404.html April 07, 2008 Talk About MJ With Nishidera Gota, MJ-Spirit http://blog.soulsearchin.com/archives/002437.html ■ メンバー マイケル・ジャクソン blue tree バックダンサー rei, kei, taka, shunsuke, yuta コーラス&ダンサー … Continue reading

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○本とか雑誌とか

○【本とか雑誌とか】 雑誌。 先日、渋谷に出むいたときいくつか本などを見ていて、DJ高橋透さんが書いた本を入手した。『DJバカ一代』というもの。これは彼が六本木の「エンバシー」「アフロレイキ」から新宿のディスコ、さらに、ニューヨークの「セイント」「パラダイス・ガレージ」、そして、日本に戻り「ゴールド」などいくつものディスコでDJとして活躍してきた半生を書いているもの。 1970年代初期、彼が最初は「エンバシー」に客で来ていたことを知った。最初からDJだったような記憶があったからだ。多分彼が正式にDJというか、当時は従業員になったのは、僕が出入りするようになってからまもなくだと思うが、勝本さんの写真などもこの本にはでてくる。「ゴールド」の終焉までを描く。 この本にせよ、先日ご紹介した江守藹さんの『黒く踊れ』にせよ、1970年代から1980年代にかけての、日本におけるソウル・ミュージック・シーンあるいはダンス・ミュージック・シーンのことを書いた本がぼちぼち出始めたのはとてもいいことだ。数えればもう40年近くの歴史があるわけだから、やはりまとめる作業は必要だ。 さて、テレビか何かでオバマ氏のCD付き演説集が出て瞬く間に売り切れたとか言っていた。アマゾンで見たら12月3日入荷だって。 ■オバマ演説集 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/425500451X/soulsearchiho-22/ref=nosim/ ということで、高橋透著『DJバカ一代』はこちら。↓ ■DJバカ一代 高橋透著 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4845614219/soulsearchiho-22/ref=nosim/ ここ数日、これも先日創刊号が出たニューヨークの雑誌「ワックスポエティックス」第二号の翻訳などをちょこちょこやっている。第二号は12月26日発売。今回はアイザック・ヘイズの訃報記事を担当した。このほかにおもしろい記事として、12インチ・シングル・レヴュー、「カットアウト盤研究」などがある。「カットアウト盤研究」は、実におもしろい記事だ。レコードにいわゆる「カット」(切り込みや穴あけ)をして、定価より安価に放出するもの。レコードの不良在庫などを処分するときにレコード会社が、定価盤と区別つけるために、ジャケットなどに「カット」するものだ。この「カット」にもいろいろありそれを紹介するという、まあ、実にマニアックな話だ。 ■ ワックスポエティックス第一号 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4861134145/soulsearchiho-22/ref=nosim/ BOOKS & MAGAZINES>

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◆ピカロ・タロー展:真鍋太郎ネコを描く~ネコと本と川の風~

◆【ピカロ・タロー展:真鍋太郎ネコを描く~ネコと本と川の風~】 ネコ。 イラスト、本の装丁などさまざまなテーマで作品を作る現代アートの真鍋太郎(ピカロ・タロー)さんが、約1年ぶりに中央区茅場町の「森岡書店」で個展を開いている。(2008年11月17日日曜から11月29日土曜まで)このソウル・サーチン・ウェッブでは、「車窓を奏でるメロディー」のイラストでお世話になっている。 ちょうど昨年は、僕は『フィリー・ソウル・イン・ギンザ』の準備などで忙しかったので拝見できなかったが、なんとソウルメイト松尾潔さんが真鍋さんと親しく、真鍋さん個展の後に『フィリー・ソウル』にいらしていただいた。そこで今年は一緒に行きましょう、ということにあいなった。 この会場となっている「森岡書店」の入っているビルは、昭和2年築というからもう81年の歴史を持つ建物。なんとここにはコミュニティーFMの「中央FM」のスタジオが入っていて、随分前に何かでこのビルに来たことがあった。本当に「昭和の建物」で風情がある。窓を開けると川が流れている。 真鍋太郎さんとネコたち 昨年のテーマは「犬」だったが、今回のテーマは「ネコ」。約30点が額装されて展示されている。再び、洋雑誌を切り抜いて、そこに自由自在にネコをリキテックスというアクリル絵の具を使いいろいろな色で描く。ネコの中には、笑っているネコ、怒っているネコ、のんびりリラックスしているネコなどいろいろいる。太郎さんの描く絵はどこをとってもすぐに太郎さんとわかる個性的なもの。 昨年(2007年)は多くの犬の中に一匹だけネコを描いた絵が紛れ込んでいた、という。今年は、一匹だけミッキー・マウスのようなネズミが紛れ込んでいた。ひょっとして来年は、ネズミがテーマか? (笑) (興味ある方は、今日、明日まで。オリジナルも販売しています。またオリジナルをスキャンした複製も30部限定ナンバー付きで販売しています) ■ 開催場所ウェッブ http://www.moriokashoten.com/?pid=10598080 http://www.moriokashoten.com/?mode=f4 住所 〒103-0025東京都中央区日本橋茅場町2-17-13第2井上ビル305号 森岡書店 電話 03-3249-3456 営業時間: 月-土 13:00-20:00 入場無料 アクセス 地下鉄東西線、日比谷線茅場町駅下車3番出口。3番出口でてスターバックスを通り過ぎ、永代通りを霊岸橋の手前を右へ、すぐの左側にある古い戦前のビル3階 ■真鍋太郎さんプロフィール http://www.soulsearchin.com/event/manabe/index.html ■車窓を奏でるメロディー http://www.soulsearchin.com/periodical/l&g/index.html (1999年4月号から2000年10月号まで連載。イラスト=真鍋太郎) ■『夜の凹み本~366のココロの風船』(藤原ようこ著=大和書房=2008年1月15日初版発行=571円+税)。 January 13, 2008 The Book For The Night Feel Down http://blog.soulsearchin.com/archives/002258.html ENT>ART>EXHIBITION>Manabe, Picaro, Taro

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★80年代サーファー・ディスコの「ナバーナ」明日オープン

★【80年代サーファー・ディスコの「ナバーナ」明日オープン】 伝説。 1980年代初期に、いわゆる「サーファー・ディスコ」として六本木で話題を集めたディスコ「ナバーナ」が、約25年ぶりに当時とまったく同じ場所に明日、2008年11月28日(金)オープンする。26日に内覧会がありのぞいた。 この「ナバーナ」は、1979年5月から1980年8月までオープンし衝撃的な店となったサーファー・ディスコ「キサナドゥー」の跡地に,1980年8月に出来たディスコ。「キサナドゥー」は、当時のソウル、ブラコン、ディスコだけでなくAOR、ロックなどもかけていた。その後を受けての「ナバーナ」も、ほぼ同路線で当時の六本木のディスコ・シーンでも大いに話題を集めた。「サーファー・ディスコ」とは、当時流行だったサーファーをする若者、サーファー・ファッションでいかにもサーファー風に見える若者などが多く来たディスコという感じ。 今回の「ナバーナ」では、もちろん当時「ナバーナ」に通っていた現在40歳代後半の人たちを軸に、新しい若いファンも獲得しつつ、「大人のディスコ」を再現するようだ。「ナバーナ」では23歳未満の入店を断るという。内装は落ち着いた雰囲気で、黒と赤が基調。DJブースの前にダンスフロアがあるところは、ちょっと「キサナドゥー」を思わせる。 入り口のところには、ソウル・イラストレーターとして数多くのレコード・ジャケットを描いてきた第一人者、江守藹氏の1.6メートルx7.0メートルの壁画が描かれた。これは鉄板にペンキで描かれたもので、江守氏が下絵を描いて、約7日かけて作製した力作。 (ソウル・バカ・トリオ=吉岡、江守藹氏、松尾潔氏) DJは、Chu-sha, Masako, Akira, Kawabata, Kiyomi, Katsumi, Osshy, Atom, Kounoらが日替わりで参加。当時のダンス・ヒット(1980年代のヒット)を中心にかける。 Nirvanaという英語のスペルだと、最近はロック・グループのニルヴァーナと読む人も多いかもしれない。英語の発音は別にして、「世俗の脱却の境地、極楽. 仏教用語で涅槃(ねはん).」の意味。 ■オフィシャル・ウェッブ http://www.nirvana08.net/index.html (ここにシステム、DJ予定表なども) ■ディスコ・ナバーナ Disco Nirvana 郵便番号106-0032 東京都港区六本木3-13-12 B1 電話番号03-5771-2760 六本木交差点から東京タワー方向へ向かい、二つ目、佐世保バーガーの角を左折。突き当たりの右手地下。 入場料金は、月曜から木曜と土曜が女性1500円、男性2500円、金曜と祝日前日が女性2500円、男性3500円。18時~25時の営業。 2008年11月28日(金)19時オープン。 ENT>DISCO>Nirvana

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▲江守藹の『ストリートダンス講座』

▲【江守藹の『ストリートダンス講座』】 講座。 ソウル・イラストレーターで最近『黒く踊れ!』を出版した江守藹さんが講師となって、「ストリートダンス」とその周辺の事柄や歴史を教える特別講座その名も「ストリートダンス講座」が、目黒のダンス・スタジオ「スタジオ・ハーツ」で毎月開催されている。江守さんにお願いしてその第2回を見学させてもらった。 これは江守さんがスタジオと話をして、同じダンスを踊るのでも、その誕生の背景、それに関する歴史を知って踊るのと知らないで踊るのでは全然違うからそういうことを教える講座があってもいいのではないか、という話になり、昨年から始まったもの。基本は月1回で1時間半の講義、休憩を挟んで1時間半が踊りの実技だ。現在10月からシーズン2(セカンド・シーズン)が始まり、OHJI / EIJI(オージ、エイジ)のダンスのカリスマが実技を指導する。 たまたま先日江守さんと話をしている中で、最近はこんなことやっていると教わり、そこで見学したいということで行くことになった。僕はただ生徒と一緒に座ろうと思ったら、江守さんから「吉岡もこっちに座れよ」と言われ、オージさん、江守さんと並んで講師側に座ることになった。 毎回8~10ページくらいのペーパー資料を作って、生徒に配布し、それに基づいて話を進める。パソコンを使い、必要な場合曲も聴かせ、こういう曲だから、こういう踊りができてきたんだ、ということを立体的に教える。これはありそうでなかった講座だ。第2回の今回は「ブラック・ヒストリー&カルチャー」と題して、黒人の歴史とそのカルチャーにスポットをあてて話をした。 江守さんやオージさんがアメリカに行って実際に感じたこと、知ったことなども交えながら、いろいろな話をするが、生徒のみんなが、海外に行き黒人と友達になったとき、こうした「基礎教養」を知っていると、お互いの理解がより深まるということを教える。 そして、後半はオージさんがリーダーとなり、生徒にいかにかっこいいステップ、振り付けができるか、などを教える。江守さん曰く「ただのハウ・ツーはやらない」そうだ。いかにグルーヴ感を出せるか、そうしたものを教えたいという。生徒も、すでに自身で生徒を持って教えている人や、セミプロのダンサーとして活躍している人などもおり、ダンスに関して言えば初心者ではなく、上級を相手にしているような感じがした。 興味がある方は、ぜひ一度見学でも。 月1回、次回は2008年12月23日(火・祝)講義13:30~ 講師:江守、実技15:00~ 講師:江守、OHJI  その次は、2009年1月12日(月・祝)講義12:30~ 講師:江守、実技14:00~ 講師:江守、EIJI。 詳細、問い合わせはスタジオ・ハーツへ。電話03-5423-4980.目黒駅徒歩1分。 スタジオ・ハーツのウェッブ http://www.s-hearts.com/school/index.html ストリートダンス講座のブログ http://ameblo.jp/st-hearts/ ENT>ANNOUNCEMENT>Street Dance, Lectures

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■ライアン・ショウ・ライヴ@AX

■【ライアン・ショウ・ライヴ@AX】 落ち着き。 ライアン・ショウの衝撃のデビュー・ライヴは、2008年3月。まだ8ヶ月前だ。随分前のような気がする。時が流れるのは早い。いやあ、前回コットン・クラブはほんとすごかった。今回はぐっと大きな渋谷AX(アックス)。1階は座席を作っていたが、始まるとみんな立っていた。しかも観客が圧倒的に若い。クラブ系、アパレル系が多いように思えた。オープニング・アーティストを二組従えてのライヴだ。 バンドは、ドラムス、ギター、ベースの3人。編成は同じだが、ギターが変わっていた。オープニングは3人のジャム、そして、彼はジミー・クリフの「メニー・リヴァース・トゥ・クロス」から始まった。続く、ボビー・ウーマックの「ルッキン・フォー・ア・ラヴ」はなんとなく前回よりテンポが遅く、ゆったり聴かせる。ふ~~ん。 全体的に、踊る音楽ではなく、完全に聴くための音楽になっていた。ゆったり、じっくりという感じだ。なので、前回と比べると「落ち着いたなあ」という印象が強い。また、音楽的にはソウルというより、ロック系シンガーという感じがした。バンドのせいか。ちょうどベン・ハーパーとか、ロックのジョン・メレンキャプとかの路線を思わせた。あるいはちょっとどこかイギリスのシンガーのような空気もあった。なぜだろう。しかし、もちろん、鉄の喉は相変わらず強力で魅力的だ。もちろん、歌もうまいし、見せるのだが。 どうも物足りないなと思っていろいろ考えるとわかった。前回のセットリストと比較するとソウル曲が減った今回のセットリストだからだ。いまだったら、オバマも大統領になったのだから、「ア・チェンジ・イズ・ゴナ・カム」から始まって欲しかった。最初のインスト曲もいらない。また、オーティス、ウィルソン・ピケット、アーマ・フランクリンなどがセットリストから落ちているからソウル度は大幅に減って物足りない。しかも、パフォーマンス時間も3組でたために、ライアンはコットンでの87分から今回63分に短くなっていた。これじゃ、物足りなく感じてもしょうがない。会場も大きいのかもしれない。やはりイヴェント的に複数アーティストのライヴにしないと集客できないのかな。 ライアンのアンコールが終わると、DJがマーヴィン・ゲイの「ホワッツ・ゴーイング・オン」をかけた。ナイスな選曲で印象に残った。 盛り上がるには短すぎた。 ■前回来日ライヴ評 March 02, 2008 Ryan Shaw: The Great Real Soul Man http://blog.soulsearchin.com/archives/002363.html March 03, 2008 Sensational Ryan Shaw Talks About His Secrets Of Strong Voice http://blog.soulsearchin.com/archives/002364.html ■ デビューアルバム 『ライアン・ショウ・ディス・イズ・ライアン・ショウ』(ビクター、2008年4月23日発売) ディス・イズ・ライアン・ショウ http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0014GUA7M/soulsearchiho-22/ref=nosim/ ライアン・ショウ ビクターエンタテインメント … Continue reading

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●忌野清志郎、MGズに3度目の登場

●【忌野清志郎、MGズに3度目の登場】 ガットガット。 木曜日の初日がかなりよかったので、日曜日、再度、ブッカーTに挑戦。金・土とデイヴィッドTだったので、BTがDTをはさんだ形。日曜夕方、『ソウル・ブレンズ』終わりに銀座の山野楽器へ直行し、ブッカーTの2枚組みベストCD(全30曲入り)を入手。スタックスのボックスやヒット集などでバラバラになっているのがめんどうなので、ベストをドライヴのお供にした。『ソウル・ブレンズ』では赤坂・ミラクル、川畑さんご登場。ありがとうございます。 さて、日曜のセカンドというとそれほど満席になったりしないことが多いのだが、この日はかなりぎっちり。時間ぎりぎりに行ったら整理番号110まで来ていた。開演も10分押しとのこと。すごいな。中に入るとかなり若いファンが増えていて、一体どうしたのだろうと思った。忌野清志郎さんが、初日の木曜と金曜にも飛び入りしており、その情報でも流れて、清志郎効果なのか。ひょっとして今日もという淡い期待感があるのか。満席でしかも観客が熱い。ブッカーTたちってこんなに人気あったのか。認識不足だった…。(3連休中日で翌日も休みということもあったかもしれない) それにしても、スティーヴ・クロッパーのギターのカッティングといったら、実に軽快かつかっこいい。そして、ブッカーTのファンキーなオルガン。彼の後ろの扇風機がくるくる回る。今回のお気に入りは、「ソウル・ドレッシング」や「ハング・エム・ハイ」。このビートにこのオルガン。もうたまらない。このインスト・バンドは最高だ。 イントロが流れ一番「ウォーッ」と来るのが、やはり最大のヒット「グリーン・オニオン」。さて、「ハング・エム・ハイ」(邦題、『奴らを高く吊るせ!』クリント・イーストウッド主演=1968年)が終わると、ブッカーTが言った。「スティーヴ、今日は、キヨシロウは見かけたかい? もし見かけたら、ステージに引っ張り出そう。日本のファイネスト、キヨシロウ・イマワノ!」 「うぉおおおおっ」観客から一斉に歓声が上がり、みんなが座席から立ち上がる。しばし大拍手が続く。忌野清志郎、最初から「今日は出て歌うぞ」のオーラがでているではないか。(笑) 「やる気満々」だ。「イン・ザ・ミッドナイト・アワー」で幕開け。木曜より、より歌い慣れた感じで、しかも、当たり前にこなす。 あっという間の「イン・ザ・ミッドナイト・アワー」。再び大歓声。スティーヴ・クロッパーのギターが、有無を言わさず「ソウル・マン」のイントロを弾きだす。清志郎、叫ぶ!「ごきげんだぜ~」「最高だぜ、ブルーノート! アイム・ソウル・マン」 メロディーに乗せてキヨシロウが歌う。「ブッカーT! &MGズ! 一緒に、やってる。おとといも、初日も、ここで、歌ったんだ~ ソウル・マン」 見事にリズムに乗って、ス・バ・ラ・シ・イ。「イエス、スティーヴ」の掛け声とともにスティーヴのギター・ソロへ。 曲のエンディング、「イエーッ 最高だぜ」 観客の熱狂が爆発する。清志郎がシャウトする。「ブッカーT&ザ・MGズ! どうもありがと、ガット、ガット!!」 「ガット、ガット!!」オーティス・レディングばりの「ガット、ガット」だ。最高だぜ。すると、それを聴いてスティーヴがいきなり、オーティスの「アイ・キャント・ターン・ユー・ルーズ」のイントロのギターリフをやりバンドがついてくる。おおっ、3曲、歌うか。と思いきや、清志郎さん、舞台袖にはけてしまった。すると、ギターリフ見事に、ぴたり、あたかも清志郎のエンディング・テーマのように、決めて終わった。見事だなあ。こんなにちょいとやって、びしっと終われるなんて。 そのまま、「アイ・キャント…」とほぼ同じような「タイム・イズ・タイト」へ。これは、そのオーティスの勢いを受けてか、いつもよりテンポが速くなって演奏された。清志郎効果で熱くなったミュージシャンたちが、勢いづいた結果だ。まさに、これは「ブッカーT&ザ・MGズ・フィーチャリング・忌野清志郎」と銘打ってもいいのではないかと思われるほどの出方のショーだ。 音楽は人を癒す。彼がMGズをバックに楽しそうに歌っているのを見ると、彼の病をMGズの音楽や、サム・ムーア、あるいは、ブルース・ブラザースの音楽が治療薬になっているのではないかと強く思わされる。Music heals Kiyoshiro. 彼にとっての復活の特効薬、それはメンフィス・ソウルだ。ガット、ガット!!  ■ 過去関連記事 November 15, 2006 We Want More Moore, Not Some Moore http://blog.soulsearchin.com/archives/2006_11_15.html (サム・ムーア2006年来日ライヴ評) (ここに過去記事一覧も) November 18, 2006 Sam Moore With Surprising Finale: Sam, You Are … Continue reading

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⊿ゴスペラーズ@シアター・アプル

⊿【ゴスペラーズ@シアター・アプル】 座長。 彼らのルーツであるアカペラと芝居を融合させたゴスペラーズの劇場公演「アカペラ・シリーズ」。これまでに、1997年「アカペラっぽいの好き」、1999年「アカペラ人」、2000年「アカペラ門」、2001年「アカペラ街」、2004年「アカペラ港」の5本を新宿のシアター・アプルにかけてきた。新宿歌舞伎町の再開発の波を受け、このシアター・アプルが今年(2008年)12月で取り壊しとなり、ここでの「アカペラ・シリーズ」は最終回となる。取り壊された後に同じような劇場ができるかどうかも未確定だそうだ。 今回は彼らにとって初めてという「一部・二部」制。途中で15分の休憩をはさむ。特に他意はなく、このシアター・アプル、あるいは隣のコマ劇場という場所がらを考えて、試しにやってみたそうだ。休憩のアナウンスがあったら、観客席から驚きの歓声があがった。 一部は全曲5人のみのアカペラと俳優柏原直人の語り。ゴスペル曲「ノア」を独自に日本語に直したヴァージョンが、日本語のゴスペルということで印象に残る。これに限らず、アカペラだと北山さんのベース・ヴォーカルが実に効果的。やはりゴスペラーズにはアカペラが似合う。 第二部は3人のバンド・メンバーが彼らをサポート。サックスのナオのサポートをしたり最近よく見る上條くんがギターにいたので驚いた。それはさておき、この日一番観客を持っていったのは酒井さん。村上さんから「座長」の名称をもらい、次々とアドリブで小芝居、小ネタを披露。それがどれもバカ受けした。思い切りはじけまくりで実におもしろかった。呆れた村上さん、「あんまり素質出すなよ」と一言。それがまた受けた。 基本的には、MC部分は最初の語りだしと締めの部分だけを決めておいて、中はすべてフリーだそうだ。酒井・安岡・黒沢の悪人・役人・町の小娘のアドリブ小芝居、めちゃおもしろかったなあ。よくあんなのその場の思いつきでできるねえ。(笑) 酒井座長公演になると、コマ劇場正面に酒井さんの大きな絵の看板が出ることになる、なんて話もしていた。 シアター・アプルがなくなった後は、今後こういうのはどこでやるのだろうか。やはり1000人弱の会場でやらないと難しいだろう。ぜひとも続けていただきたい。「座長公演」も見てみたいな。(笑) ■メンバー ゴスペラーズ 柏原直人 (第二部サポート・ミュージシャン) 本間将人 (キーボード) 上條頌 (ギター) 坂東慧  (ドラムス) ■ セットリスト ゴスペラーズ・コンサート2008、2008年11月19日@シアターアプル Setlist : (第一部) show started 18:35 01. When You Were Sweet Sixteen 02. 賛歌 03. 或る晴れた日に (旧題・アカペラっぽいの好き) 00. ~「思い出してごらん」~「セプテンバー」のリフ=アドリブ 04. Noah 05. One More … Continue reading

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△デイヴィッド・T・ウォーカー、ビルボード・ライヴ

△【デイヴィッド・T・ウォーカー、ビルボード・ライヴ】 紳士。 ギターの吟遊詩人。ギターのストーリーテラー。ギターの魔術師。デイヴィッド・Tのことをそう呼びたい。ライヴの感想は過去記事に多数書いているので、そちらをごらんいただくとして。メンフィス・ソウルのブッカーTに続いては、フュージョン・ソウルとも言えるデイヴィッドT、Tつながりだ。 ここ1年ほどですっかり日本でも一般的人気を獲得したギタリスト、デイヴィッド・T・ウォーカー。13年ぶりという新録アルバム『ソーツ』を出し、またまたドリカム・ライヴのサポートで来日し、そのドリカムのスケジュールをぬってビルボード・ライヴ各地でライヴを行っている。メンバーは前回と一緒。 東京初日セカンドに出向いた。彼のライヴは約11ヶ月ぶり。2007年5月、12月、2008年11月とこの1年半で3回の来日はかなり多いと言えば多い。 今回のセットリストは全12曲中7曲までが11月にでたばかりの新作からの作品。(下記セットリストで*印をつけた) とは言うものの多くのソウル・カヴァーが収録されているだけに、同アルバムを聴いていなくても、曲は知っているという方も多いだろう。 定刻からステージにあがり、打ち合わせでもしているのだろうか。しばし間があって、「ザ・リアル・T」からスタート。デイヴィッドはずっと座っている。デイヴィッドがどれだけ集中して、のりにのっているかを知るバロメーターをソウル・サーチャーは、演奏中、彼が椅子から何回立ち上がるかを数えることによって計ることにした。 さてこの日は~。「ゴーイング・アップ」の後、少ししゃべるために立ち上がったが、この日は演奏中の立ち上がりは、4回であった。1回目は「ラヴィン・ユー」の途中。2回目はほんの一瞬「ストリート・ライフ」で、そして、「ホワッツ・ゴーイング・オン」で、3回目、4回目と立ち上がった。やはり、彼が立ち上がると、ぐぐっと演奏自体が盛り上がる。 あの静かな紳士のデイヴィッドが立ち上がるというのはよほどのことなのだ。(笑) ずっと彼を凝視していると、立ち上がりそうで立ち上がらない「フェイク立ち上がり」が何度もある。 この日僕は会場一番上の5層目からちょうど舞台向かって右手のジェリー・ピーターズの上から見ていたが、オペラグラスを使うと(準備周到)、ジェリーがキーボードの上に置いてあった楽譜がよく見えた。すると、どの曲も頭の部分が白いことに気づいた。何を意味するかというと、最初の何小節か、ここはデイヴィッドのフリーのアドリブなのだ。たぶん、好きにデイヴィッドが弾いて、キューを出し、本編の曲に入っていく。同じことをピアニストのジョー・サンプルがよくやっていた。だからこのイントロ部分は、おそらく毎日、毎回、違うものになっているのだと思う。 前回も思ったが、ミディアムテンポ以上の曲で、若干、ドラムスのレオン・チャンスラーが出すぎる嫌いがある。いわゆる「俺が、俺が」になってしまう。それを長老デイヴィッドが「まあ、お前まだ若いな…」という風に暖かく見守っているようにも見えるが。 デイヴィッドのギターの音色を聴いていると、本当に癒される感じがする。癒し効果満点。Healing guitarか。 ライヴ終了後、サイン会をするというアナウンスがあるとたちまち長い行列ができた。ざっとみて70名くらいが列を作った。よってこの日は一緒の写真撮影はなかったが、メンバー全員が丁寧にサインをしていた。デイヴィッドも、メンバーもいつでも紳士である。 ■ 最新作 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B001G6RBB8/soulsearchiho-22/ref=nosim/ ■過去関連記事 May 11, 2007 David T Walker Live: Real T Sings, Crying, And Talks http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200705/2007_05_11.html (前々回のデイヴィッド来日ライヴ評) May 12, 2007 David T’s Fingers Are … Continue reading

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▽忌野清志郎、ブッカーT&ザ・MGズライヴにまたまた飛び入り

▽【忌野清志郎、ブッカーT&ザ・MGズライヴにまたまた飛び入り】 飛び入り。 メンフィスの名門ソウル・レーベル、スタックス・レコードのハウス・バンドとして幾多のヒット曲でプレイしてきたブッカーT率いるMGズのライヴ。MGズからブッカーT(1944年11月12日メンフィス生まれ)、スティーヴ・クロッパー(1941年10月21日=9歳ごろからメンフィス在住)、ドナルド・ダック・ダン(1964年ごろから参加=1941年11月24日メンフィス生まれ)とほぼオリジナル3人に、オリジナル・ドラマー、アル・ジャクソン(1935年11月27日~1975年10月1日)が死去しているために、スティーヴ・ポッツというドラマーで、メンフィス・ソウルをこれでもかと披露する。スティーヴはアル・ジャクソンのいとこという。 グループが結成された1962年、そのとき、ブッカーTは17歳、スティーヴとドナルドはブッカーTより3歳年上。スティーヴは「彼と知り合ったとき、ブッカーTはまだ16歳かそこらだった」とステージでも言っていた。休止時期もあったが、もう46年もこのグループをやっていることになる。 ブルーノート、ほぼ満員で、しかも、客層はクラブなどで遊んでる風若いファンからミュージシャン志望系、昔聴いていた風の年配者、さらに外国人の人々など、まさに人種のメルティング・ポット(るつぼ)だ。しかも、みなこのグループの音楽を聴きに来ている感じで、初日にもかかわらず、観客の温度が高い。 個々のメンバーは何度も来ているが、ブッカーT&ザ・MGズとしては僕は初めて見る。MGズ名義での公演は日本初だそうだ。たった4人(ドラムス、ギター、ベース、オルガン)で繰り出す音楽が、表現が当たり前すぎるが実にファンキーで、グルーヴィー。全体的なサウンドがさすがに1960年代風で、どこかブラック・エクスプロイテーション映画のサントラにでもなりそうな実にいい雰囲気。メンフィスのジューク・ジョイントあたりで聴いたら、もっと気分が高揚するだろう。やはり、ブッカーTのオルガンが出ると、ファンキー度がぐっと高まる。もちろん、これにギター・ソロ、ベース・ソロ、ドラム・ソロもふんだんにバランスよく組み込まれる。ブッカーTはなんでこんなにオルガンがかっこよく弾けるのだろう。実質的な名義とは別に、グループのリーダー格というかボスは年上のスティーヴ・クロッパーなのかな。インストでこれだけ聴くものを飽きさせないというのはさすがだ。 さて、一番の大ヒット「グリーン・オニオン」が大受けしたところで、ブッカーTがアナウンスした。なんとまたまた忌野清志郎さん、登場だ。さらに熱狂の渦。お客さんは清志郎さんの登場を知っていたのだろうか。スタッフによれば、ファーストで1曲歌って帰ったと言っていたので、セカンドには出ないのかと思ったら、セカンドもいたのだ。清志郎さんは、サム・ムーアで2度、ブルース・ブラザースで1度飛び入りを見ているからこれで4度目。 秋色のジャケットにストールを巻いて、帽子はかぶらず、髪の毛もしっかりあって、顔色もよく何よりひじょうに元気そうだ。彼の登場とともに客席は一斉に立ち上がり、いきなり温度が急上昇。ウィルソン・ピケットでおなじみの「イン・ザ・ミッドナイト・アワー」を熱唱。熱いなあ。サム・ムーアのときも熱かったがこれも素晴らしい。ブルーノートがいきなりソウル・ハウスになる。1曲だけかと思ったら、曲終わりと同時にMGズが「ソウル・マン」のイントロを弾き出す。うおおおおっ。それまでのMGズのクールな演奏が、一気にホットなものになる。 清志郎さんは「ミッドナイト・アワー」の途中で「ブッカーTと一緒にやるのは16年ぶりです。(メンバーを見て)元気そうでよかった。何も変わってない。ゴキゲンダゼ!!」と言った。それは清志郎さんを見ているこちらも同じだ。メロディーに載せて「俺はソウル・マン、君はソウル・マン、君は少年…」 彼は自由自在に「ソウル・マン」を操る。さらに言った。「暗い道を今夜ここまでやってきた。MGズと一緒にやってるんだ」これぞ日本語のソウルだ。「ソウル・マン」を終えて、彼は一言言った。「何とかできた!」お見事、拍手。 もちろん、彼らをバックにレコーディングもライヴもしている仲だから、息もぴったりだ。2曲を歌った後も観客は総立ちのまま。バンドはそのまま大歓声の中「タイム・イズ・タイト」、さらにアンコールへなだれ込んだ。やはり歌があると、強烈に印象が残る。 清志郎さん、見事なカンバックおめでとうございます。しかし、この日来ていた観客は、清志郎さんの飛び入りを知っていたのだろうか。どこかで情報でもでていたのかな。 ところで、MGズっていうのは、何の略かご存知だろうか。メンフィス・グループの略だ。まんまです。 (ブッカーT&ザ・MGズは、11月24日(月曜)まで東京ブルーノートで) ■ メンバー ブッカー・T・ジョーンズ(オルガン)Booker T. Jones(org) スティーヴ・クロッパー(ギター) Steve Cropper(g) ドナルド・‘ダック’・ダン(ベース) Donald ‘Duck’ Dunn(b) スティーヴ・ポッツ(ドラムス) Steve Potts(ds) ■セットリスト ブッカーT&ザ・MGズ @ブルーノート東京 Setlist : Booker T & The MG’s @ Blue Note Tokyo, November … Continue reading

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☆ジャネット・ジャクソン7年ぶりの日本ツアー

☆【ジャネット・ジャクソン7年ぶりの日本ツアー】 7年ぶり。 R&Bの女王の貫禄さえでてきたジャネット・ジャクソンの来日が決まった。2009年2月14日(土)から2月22日(日)まで、全国4都市5公演を行う。ジャネットの初来日公演は1990年5月。以来、1990年11月、1994年、1999年、2002年1月と来て7年1ヶ月ぶり6回目の来日公演となる。(プロモーション来日は除く) ツアー名は次の通り。 1990年5月、11月、リズム・ネーション・ツアー 1994年3月 ジャネット・ツアー 1999年1月 ヴェルヴェット・ロープ・ツアー 2002年1月 オール・フォー・ユー・ツアー 2009年2月 ディシプリン・ツアー ジャネット・ジャクソンは1966年5月16日、インディアナ州ゲイリー生まれ。兄たちは、ジャクソン・ファイヴから名前が変わったジャクソンズ。マイケル・ジャクソン、ジャーメイン・ジャクソンらは兄。 子供時代からテレビなどに出て人気があったが、1982年、16歳でレコード・デビュー。2枚のアルバムを出すもののそれほどのヒットには至らなかったが、3作目のアルバム『コントロール』をミネアポリスのジミー・ジャム&テリー・ルイスのコンビのプロデュースで作り、これが1986年に世界的大ヒット。以後、『リズム・ネーション』『ジャネット』『ヴェルヴェット・ロープ』などヒット作を送り出している。日本ではJALのCMにも登場し注目を集めた。強烈なリズムと兄マイケル譲りの激しく切れのいいダンスで人気を集めている。最新作は2008年の『ディシプリン』。今回のツアーはすでに全米を回っているもの。かなり作りこまれているショーになりそうだ。 【公演概要】 ■ 開催日/会場 2009年 2月14日(土)18:00開演 さいたまスーパーアリーナ 2009年2月15日(日)16:00開演 さいたまスーパーアリーナ 2009年2月17日(火) 大阪城ホール(大阪府大阪市) 2009年2月19日(木) 日本ガイシホール(愛知県名古屋市) 2009年2月22日(日) マリンメッセ福岡(福岡県福岡市) ■チケット料金 プレミアムシート¥22,000/S席¥9,800(全席指定・税込)※3歳以上有料 ■ チケット発売 2008年12月14日(日)から ■ チケットのお問い合わせ先 株式会社キョードー横浜 TEL: 045-671-9911 神奈川県横浜市中区本町4-40 横浜第一ビル9階 http://www.kyodoyokohama.com/ +++++ Jamie Aaron Kelly Will Be At Yakult Hall On 12/12 … Continue reading

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◎「アフター・ザ・ダンス」終了~バブルガム新曲PV

◎【「アフター・ザ・ダンス」終了~バブルガム新曲PV】 撤収。 月曜日(11月17日)夕方、ゴスの村上さんが『アフター・ザ・ダンス』をごらんになるというので、岡さんとともに向かえるために新宿ビームス・ギャラリーへ。しばし、作品群を見ていただいた。いろいろソウル談義に花も咲いたが、この日はちょうど新宿で、火曜から始まる新宿シアター・アップルでのライヴのリハーサルだそうで。今回は曲の間に、けっこうセリフがあって、小芝居がかっているらしい。 そのフットペインティング展も昨日(11月18日・火曜)で終了。展示をごらんいただいた方、みなさんありがとうございます。18日午後8時から撤収作業。カメラマン木下(きのした)さん、美術品運搬のプロ富田さん、そして、ビームス・ギャラリー藤木さん、そして、岡さん、おつかれさまでした。そして撤収作業、ご苦労様でした。 さて、このところ仕事が渋滞気味で少しライヴ行く本数を減らそうという感じで、月曜日は本当だったらほいほい行ってるフランク・マッコムを泣く泣く断念。集中し、缶詰仕事をしようと意を決していた。ビームスだけは行って、翌日の撤収打ち合わせと、村上さんと久々に話をして、戻ろうと思い、岡さんとコーヒーのみながら別件打ち合わせしていると、木下航志(きした・こうし)君からメール。「今日は何してるんですか。ライヴかソウルバーに行ってみたいんですが」と。 デビュー。 これは、思わぬ展開。そこで、三宿のソウルバー「ソウル・ナッツ」に出向くことに。あららら。航志君ソウルバー初体験ということで、ソウル・バー・デビューを飾った。ここは、すでにご存知だと思うが、「ファンキー居酒屋」というキャッチの元、いろいろとゴハン系も食べられる。崎陽軒のシュウマイ、ファンキー・チキンなどなど。もちろんかかっているのは、アナログ中心にした70年代が多いソウル。カーティス、ダニー、ボビー、ウィンディ・シティー、マージー・ジョセフ(永島さんのリクエスト)、スティーヴィー…。航志君はファンキー・チキンが気に入ったみたい。 PV。 しばらくすると、テレビ・モニターから、なんとバブルガム・ブラザースの新曲のプロモーション・ビデオが! はやい。タイトルは「ダディーズ・パーティー・ナイトDaddy’s Party Night(懲りないオヤジの応援歌)」。これが、実にぜいたくなPVになっていた。冒頭出てくるのは、この「ソウル・ナッツ」の主人マイケル鶴岡さん。用務員風にモップで床を拭いている。そして、コーンとトムの二人がファンキーに登場。しかもほんのワンシーンだけでもでてくるゲストが超豪華。鈴木雅之、久保田利伸、江守藹、木梨憲武、ダンテリのユキなどなど、ソウル界、ヒップホップ界のオールスターが勢ぞろい。ちょっと瞬きでもしようものなら、見逃してしまう。一度しか見てないので、全部を覚え切れなかった。これは、すごいPVだ。(笑) そして、このPVは、このシングル(12月3日発売)のスペシャル・エディションに、マイケル先生のステップ講座とともに収録される。講座を見ると、バブルガムの二人が踊るステップを覚えられるというもの。 そうこうしているうちに、今度は聴きなれたギターの響きが。おっと、これはまちがいなくデイヴィッドT! ジャケットを見れば、こんどユニバーサル・ドリカムのレーベルから出た新作だ。今週・金・土ビルボードだ。 デイヴィッドTの新作を聴きたい、バブルのプロモ・ビデオを見たい人は、ソウル・ナッツに直行だ。(笑) あ、デイヴィッドTのCDはもうリリースされてます。 ■ デイヴィッド・T・ウォーカー ソーツ(Thoughts) 新作 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B001G6RBB8/soulsearchiho-22/ref=nosim/ ENT>MUSIC>ARTIST>Bubblegum Brothers ENT>MUSIC>ARTIST>Walker, David T

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○ルーファス(パート5)~ヴァル・ヤング語る

(昨日の続き) ○【ルーファス(パート5)~ヴァル・ヤング語る】 ファンク。 今回のルーファスのバンド編成は実に強力だ。ヴォーカル陣にインコグニートでおなじみのメイサ・リーク、キーボードに白人ながらファンクを演奏するブライアン、そして、コーラスにヴァル・ヤング、パーカッションはタワー・オブ・パワーなどでもおなじみのレニー・カステロ。そしてオリジナル・メンバー、ケヴィン・マーフィーも来ている。 ヴァル・ヤングは、メリー・ジェーン・ガールズの一員として紹介されている。ところがメリー・ジェーンたちのアルバムを見ると、ヴァル・ヤングの名前はない。 ヴァルは1958年6月13日生まれ。ギャップ・バンドのツアーやレコーディングで活躍、ヴァルによれば、ギャップ・バンドでは「イエーニング・フォー・ユア・ラヴ」などたくさんのヒットを歌っている。ギャップ・バンド時代に、来日もしている。ギャップのアルバム4-5枚は、レコーディングに参加しているという。 その後、リック・ジェームスに認められ、リックのツアーなどにつきあうようになった。リックのところに来たのは1981年。『ストリート・ソングス』が出た後のようだ。その後、リックのツアーでバック・コーラスで参加。リックが1983年、女性4人組、メリー・ジェーン・ガールズをデビューさせるが、このオリジナル・メンバーにはいなかった。その後、リックがプロデュースしてソロ・アルバム『セダクション』で1985年、デビュー。これがそこそこ評判になった。 彼女は、ファンク女性シンガーの王道を来ているが、それもあってか、ラッパーたちからの熱いラヴ・コールが多いシンガーだ。中でも2パックとのコラボレーションは多く、「トゥ・リヴ・アンド・ダイ・イン・LA」ではヴァルが大々的にフィーチャーされている。このほかにもトーン・ロック、ウォーレンG、ネイト・ドッグなどでもバック・ヴォーカルを担当している。他に、ロイ・エアーズでも参加している。 彼女がメリー・ジェーン・ガールズに入ったのは意外と遅く2005年になってのことだそうだ。 「最近は、この夏にギャップ・バンドをやったわ。今でも、タイミングがあえば、ギャップのツアーにもでるわ」 「ルーファスは、ファンク・バンドでしょう。だから、もっとファンキーにならないと」とヴァルは言う。「もちろん、今のでもよいけど、昔の70年代のファンク・グループって、もっとファンク・ファンクしていたでしょう。ああいう感じ。泥臭くて、ファッションなんかも、こうちょっとスペーシーで。襟が立ってるような服でね」 ところで、いろいろ調べてみると、ヴァルは、元々ジョージ・クリントンのところから出てきたと書いてある資料があった。一時期彼がてがけたブライズ・オブ・ファンケンシュタインに参加していたというのだが、やはり、レコードにはクレジットはないので、やはりツアーでのコーラスなのかもしれない。この部分は確認しそこねた。次の機会に確かめてみたい。 +++++ リーダー。 今回のルーファスのライヴだが、いろいろとメンバーと話をしてバンド・マスター、音楽ディレクターであるトニー・メイデンの素晴らしさがよくわかった。 今回の厳選メンバーは、基本はトニーが選んでいるのだが、みないい連中なのが特徴的だった。ミュージシャン、シンガーだと、「俺が、俺が」あるいは「私が、私が」タイプの自己主張が強い人が多い。また、ある程度の年齢差がある場合、先輩に対する尊敬の念も必要になってくる。 もちろん、単にライヴの一観客にしてみれば、「どんなにそのミュージシャンの性格が悪くても、演奏が超一流だったらそれでもいい」という見方もある。そもそもそのミュージシャンの性格なんて、90分のパフォーマンスからはなかなかわからないからだ。「どんなに性格がよく、人がよくても、歌が下手だったり、パフォーマンスが二流だったらだめだ」というのも当然ある。 だがやはり、ある程度のレベルを持っているミュージシャンたちだったら、みんなが気持ち良くできて、その中で切磋琢磨し、ある部分勝負し相手より少しでもいいパフォーマンスをしようと努力できる環境を作るのが、バンド・リーダー、バンド・マスターの役目だ。それが今回のバンドにはできたいたような気がした。 最終日のライヴが終わったあと、メンバー有志がトニーのホテルの部屋に集まり、木曜日に収録した録画映像のラフカットを見ていた。そこでは、みんながあーだ、こーだ「このカットはビューティフル、パフォーマンス素晴らしい」など和気藹々で楽しんでいた。 トニーが言う。「このバンドは、別にひとりのスーパースターがいるバンドではない。全員でルーファスというバンドを作っていて、その全員で作ったバンドがいいものになっている、というのが理想だ。僕もいろいろなバンドに入って演奏する。あるミュージカル・ディレクターに『このラインを弾いてくれ』と言われたとする。だが、それは他の楽器がすでにいくつも同じラインを弾いているから、ぶつかってだめだから出来ない、と説明する。だが、その人物は怒って『俺が、ミュージカル・ディレクターなんだから、やれ』と叫ぶ。そこには、ミュージシャン同士のリスペクトも何にもない。(一般論として)最近の若いミュージシャンたちは、先輩ミュージシャンに尊敬の念を持つことが少ないと思う。それだと、いいバンド・サウンド、いいユニットにはならない。みんながひとつにならなければいい音楽はできないからね」 「僕も、バンドにとってもっとも大事なことは、ひとつの音楽イメージを全員が同じように共有することだと思う」と向けると、「その通りだ」とトニーは言う。お互いある程度の力量があれば、そこにひとつの共通イメージを描けば、ミュージシャン全員のヴェクトルがそれに向かい、徐々に固まりいいものが出来ていくのだ。何年も同じメンバーで、同じ曲をやっていると、音が強固になっていくのはそのためだ。 バンド・リーダーは、その共通イメージをメンバーに提示し、それを各ミュージシャンにわかりやすく理解させ、技術が未熟であればそれを教え、ひとつのものを作り上げていく環境を作るのが仕事なのだ。たぶん、クインシー・ジョーンズなどは、そういうことが天才的にうまいのだろう。 トニーもその人柄から、メンバー全員からの人望を集めている。そこから生まれるバンドとしてのサウンドは確実にきっちりしたものになっていく。ギタリストとして素晴らしいだけでなく、バンド・リーダーとしても素晴らしいということが今回はよくわかった。 翌日帰国を控えたトニーが「パッキングは大嫌いなんだ」と笑った。 「But you have to pack your bags」というと、「pack’d my bags and put em at the door」と歌って返してきた。 ■ライヴ サヴォイでストンプ … Continue reading

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◆ルーファス(パート4)~マダム・ディー語る

◆【ルーファス(パート4)~マダム・ディー語る】 迫力。 ルーファスのライヴの中でも、ド迫力の歌唱を聴かせ観客の度肝を抜いたマダム・ディー。野太い声と最近のジェニファー・ハドソン風の派手なパフォーマンスで存在感を見せ付けたが、彼女はまだレコード契約もない無名のシンガーだった。アメリカ・エンタテインメント界の底力を見せた格好だ。彼女はルーファス・ショーでは「エヴァーラスティング」(ルーファスの1977年のヒット)と「ゴーイング・イン・サークルス」(フレンズ・オブ・ディスティンクションの1969年のヒット)の2曲を堂々と歌ったが、特に後者はそれを歌い終えた後、あまりの素晴らしさに観客が立ち上がって拍手をする「スタンディング・オヴェーション」が巻き起こったほど。 そのマダムに話を聞いた。マダムは、ノース・キャロライナ州ダーナムに1964年6月24日生まれた。兄がひとりいる2人兄弟。「兄は、歌えるけれど、歌でキャリアを築こうとはしなかった。私のバンドで歌っていたことはあるけど(笑)」と彼女は言う。 マダムの本名はドゥワナ・パーカー(Dwanna Parker)という。子供の頃は教会でゴスペルを歌っていたが、ゴスペルだけでなく、ポピュラーな世俗音楽も歌いたがった。ゴスペルの師匠が、ある時「ゴスペルを歌うか、世俗を歌うか、どちらかを選びなさい」と彼女に言った。マダムは、両方歌いたがったが、結局、ひとつしか選べないということで、ゴスペルを去り、ポピュラー音楽(ソウル・ミュージック)に進む事にしたという。20歳頃のことだった。父方も母方の家族も歌うことが上手だったそうだ。 ちなみに従兄弟のひとりにデブラ・ヘンリー(Debra Henry)といい歌手がいて、パティー・ラベルのバックコーラスを20年以上やっている、という。そのデブラ・ヘンリーを調べてみると、なんとパティー・ラベルだけでなく、コン・ファンク・シャン、リンダ・ロンシュタッド、ブルース・ホーンズビーなどのバックも務めていた。 ハイスクール卒業後、ビューティー・カレッジ(美容学校)に通い、歌とは別に美容師(ヘア・スタイリスト)の道を歩み始めた。ここを出た後は、ビューティー・サロンさらに、ネイル・サロンに就職、ついには独立して、自身のビューティー・サロンも持った。そこでやっている内に、もっと大きな成功を夢見るようになった。オウナーが「だったらLAに行ったらどうだ、その気があるなら、(LA行きの)チケットをあげるよ」と背中を押してくれた。意を決し、1996年5月にロスアンジェルスへ引っ越す。 ロスでヘア・スタイリストをやったり、洋服のデザインをしたり、クラブなどで歌い、最近ではカリフォルニア州エンシノにある「スティーヴィーズ」という店で歌ったりしている。実際、ここで歌っているときにトニー・メイデンが見ていて、声をかけられ、ルーファスのライヴに参加するようになった。昨年のこと。影響を受けたシンガーは、アレサ・フランクリン、ヴァネッサ・ベル・アームストロング、カレン・クラーク・シアードなど。「私はパワフルなシンガーが好きなのよ」と彼女は言う。 ルーファス・ショーでの「エヴァーラスティング・ラヴ」は、彼女が入る前はドラマーのドーネルが歌っていた。トニーらのアイデアで彼女が歌うことになったようだ。ちょうど、ミラクルではDJキヨミさんが次々とルーファスの曲をかけている。ちょうど、「エニー・ラヴ」がかかっている。続いて「シェアリング・ラヴ」が流れると、みんな大合唱だ。 「その声は、両親譲りなのですか」 「さあ、母はすごく低い声よ。私はソプラノ。あ、でも、母はものすごく声が大きいわ。(笑)」 いいシンガーの条件、それは声が大きいことか?(笑) 彼女は声も大きく、よく通る。体格もがっしりしている。 ところで、なぜ、マダム・ディーなのか。本名は、ドゥワナ・パーカー。実は、この本名をみんながなかなか正確に発音ができなかった。「ある時、ニグロ・カレッジ・ファウンドの会合で歌うことになったの。司会者が私の名前を聞いてきた。私は、ドゥワナ・パーカーと答えた。どうもわかってそうもなかったので、紙に書きましょうか、と言った。するとその彼は、『大丈夫、大丈夫』と返事をしてきた。さて、本番になって、いよいよ私の出番になった。すると、その司会者は大きな声で言った。『さあ、ご紹介しましょう! タワンタ・パークス!』 オ~マイ・ゴッド! こりゃあ、この名前じゃダメだわ、と思ったわ。そこで、名前を考えることにした。ノース・キャロライナ時代にヘアーのことを学んだビューティー・スクールの先生がいるんだけど、その人がマダム・ディシェイザーと言ったの。その人はダーハムで初めて黒人のビューティー・カレッジを作った人なんだけど、私が学校にいる間に亡くなってしまった。そこで、そこから名前を取って、マダム・ディーにしたのよ。これ以来、名前をステージで間違って呼ばれることもなくなったわ。気に入ってる。たぶん、私は24歳以降、マダム・ディーとしてやっているわ」 「あなたはCDは出していないんですよね。なぜですか」 「さあ、わからないわ。私は今まで(レコード会社から)アプローチされなかったということね」 ところで、「ゴーイング・イン・サークルス」は、その「スティーヴィーズ」でよく歌っていたという。もちろん、フレンズ・オブ・ディスティンクションのヴァージョンも知っている。 マダムの横で、金髪のヴァル・ヤングがトニー・メイデンやドラマーのドネールと話している。一段落したところで、ヴァルと話をした。 (この項続く=次回はヴァル・ヤングなどについて) (2008年11月12日水曜、東京ブルーノート=ルーファス・ライヴ) ENT>MUSIC>LIVE>Rufus 2008-186

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★ルーファス(パート3)~ケヴィン・マーフィー語る

★【ルーファス(パート3)~ケヴィン・マーフィー語る】 歴史。 ケヴィンは日本に来るのは3回目だという。1回目がルーファスで東京音楽祭に出た時。シャカと同時に来日した。1976年6月のこと。次がデビュー当時14歳という女の子のブルーズ・ギタリストとして話題を集めたシャノン・カーフマンのバックで来日。ケヴィンは2000年ごろだと思うと言ってたので調べてみると、2000年5月のブルーズ・フェスだった。そして、今回が3回目。 ということは、84年のムゲンには来ていない? 「うん、来ていないなあ」 「ムゲンですか、懐かしい」と入ってきたのは、今回のもうひとりのキーボード奏者ミチコ・ヒルさん。東京出身のミチコさんは、とにかくソウル・ミュージックが好きで昔ムゲンに入り浸っていたという。その後80年代(1981年頃)になって本場のソウル・ミュージックを求めて、アメリカに渡った。アメリカでキーボード奏者として活動を始め、あちこちのライヴハウスなどでプレイするようになり、ミュージシャン界隈で知られるようになった。そして、今回来日しているベースのロバート・ピーウィー・ヒルは、彼女の夫。すでにグリーンカードではなく、アメリカ市民権も獲得し、従ってパスポートはもはやアメリカ、もちろん、選挙もできて、今回の大統領選にはオバマに一票を投じた一人。 さて、ルーファスは、ある意味でケヴィンが作ったバンドと言っていい。そこに何度かメンバーチェンジしているうちに、トニー・メイデンが入ってきて、以来、トニーとケヴィンはルーファスの核となった。お互い36-7年知っているということになる。 彼らは木曜のライヴ後、赤坂のソウルバー「ミラクル」に遊びに行った。もちろん、川畑さん、DJキヨミさんらも大歓迎。六本木のソウルバー「ワッツアップ」のマスター、カツミさんもいて、アナログ・レコードにサインをもらっている。そこで、ケヴィンに話の続きを聞く。 ケヴィンが言う。「僕は、元々ミネソタ州ミネアポリスの生まれだよ。1943年の9月21日生まれ。その後、シカゴに10年ほど住んでいた。そこでアメリカン・ブリードに入った。もっともグループの終盤だったけどね。69年くらいかなあ。ちょうどシカゴのラッシュ・ストリートという繁華街のようなところで、プレイしていた。ナイトクラブなんかがたくさんあるところだ。僕はそこで、ダンサーのバックでキーボードを弾いていた。そこに彼らが来て、プレイを気に入ってくれ、バンドに誘ってくれたんだ。で、そのアメリカン・ブリードに入るんだが、しばらくして、僕はグループを辞めた。すると他のメンバーもほぼ同じ時期に辞めてしまったんだ。で、僕が新しいバンドを作ることになったとき、その辞めた連中がみんな僕のところにやってきた。アンドレ・フィッシャーやアル・サイナーだ。これがルーファスの始まりだよ」 アメリカン・ブリードは、1967年暮れから「ベンド・ミー・シェープ・ミー」というポップの大ヒットを放ったポップ・グループ。リーダーは、ゲイリー・ロワイザーと言って、彼だけ新しいグループに入ってこなかった。ゲイリーは、この動きを不満に思ったらしい。ただケヴィンによれば、自分が辞めただけのことで残りの連中はケヴィンとは関係なく勝手に辞めたのだという。ただ彼らは、「あなたと一緒に行きたい」とケヴィンには言ったそうだ。つまり、アメリカン・ブリードのリーダーに人をひっぱる力、人徳がなくて、ケヴィンに人徳があったということなのだろう。それは、実際に彼に会って話すとよくわかる。ハッピーでとても人生を楽しんでいる人物だ。 このグループは当初はスモークと言っていたが、この最初のリード・シンガーは、ポーレット・マックウィリアムスという女性シンガーだった。バンドはシカゴのナイトクラブなどでけっこう人気となり、これを気に入った当地の若き女性シンガーが毎日これを見に来ていた。それがシャカ・カーンだった。 「ポーレットが辞めるときに、シャカがやってきて、オーディション受けさせてもらっていいかしら、と言ってきた。もちろん、といい受けるんだが、彼女は毎日来ていたから、すべての曲をもう知っていたんだ。だから、彼女が辞めた後、シャカはすぐに次のリード・シンガーになったんだよ。71年~72年あたりかな。その頃、彼女には大きな虫歯が2本あってね。それがすきっ歯みたいになって、そこに彼女はダイアモンドみたいなものをいれたがった。僕は言ったよ。『歯にダイアモンドはやめておきなさい』ってね(笑)」 「シカゴに引っ越したのは、ディック・クラークのキャラヴァンに参加することになってからだ。これは、ディック・クラークの(テレビ番組)『アメリカン・バンドスタンド』の地方巡業もの。3年ほどやった。1960年代だな。1965年くらいから3年くらいかな。だいたい毎回10組くらいの歌だけのグループがいて、それぞれが2-3曲ずつ歌うんだが、僕らはそのバックバンドだった。オルガンを弾いて、アナウンサーをやった。次に出るアーティストの紹介をしてた。大体1回で3ヶ月ツアーに出る。バスで全米を回るんだよ。それはそれは大変だった。バックをつけたアーティストに、シュープリームスがいた。確か、最初のヒット、何だっけ。『ホエア・ディド・アワ・ラヴ・ゴー』、それが出た直後、彼女たちは10組いる内の一番最初にでるアーティストだった。だが、ツアーが終わる頃には彼女たちは、トリ(一番最後にでるアーティスト)になっていたよ。ほんと大きくなっていた。他には、ジーン・ピットニー、ブライアン・ハイランド、チャッド・ジェレミー、ゾンビーズ…。コースターズ、ドリフターズ…。名前が思い出せないアーティストがたくさんいるな…」 「バスでの移動は本当にきついんだよ。ろくに寝るところなんかもなかった。荷物室で寝たこともあった。僕は、これを3回やったんだ。それで、もういいという感じになって、本拠を定めることにした」 バスツアー時代のおもしろいエピソードを何か教えてください。「いやあ、あまりに多すぎて。でも、話せる話はない。(爆笑)」 ケヴィンの声はライヴでもMC、いや、CM宣伝でさんざん聴かれたと思うが、実に深いいい声、マイクのりのする声だ。DJでもやっているかと思うほど。「DJはやらないのですか」と尋ねると、「DJはやってないな。音楽をプレイするほうが好きだから。(笑)今の人生でとてもハッピーだよ。好きな音楽をプレイできて、時々、こうやって日本にも来られて。日本の人たちはみんなよくしてくれる。あ、DJはやってないが、ヴォイス・オーヴァー(声のナレーション、CMの声などのこと)はやったことがあるよ。ナントカカントカ(英語で早口でCM風にやってくれたがわからず)~~」 ルーファスっていうのは、解散していたんですか、と訊くと「ルーファスは一度も解散していない。トニーと僕でずっとやっている。トニーのことは、彼が結婚している期間より長く知ってるんだよ(笑)」 「(ルーファス以外の活動?) 僕は今、孫の世話なんかしてるよ。(笑) 結婚して44年。僕にとって人生とは、ゆっくり楽しむものなんだ。これ(今回の来日)なんか、僕の人生にとってのグレーヴィー・ソースみたいなものだ。(人生をおいしく味付けるソース、といったところか。グレーヴィー=思いがけない利得みたいなもの) 素晴らしい家族と、仲間がいて、とても楽しんでいるよ」 (この項続く=次回はマダム・ディー、ヴァル・ヤングなどについて) (2008年11月12日水曜、東京ブルーノート=ルーファス・ライヴ) ENT>MUSIC>LIVE>Rufus 2008-186

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▲ルーファス(パート2)~トニー・メイデン語る

▲【ルーファス(パート2)~トニー・メイデン語る】 雑談。 ルーファスのファンキーなライヴが終わると、メンバーがサイン会にでてきた。そして、ファンと写真を撮ったり、お話をしたり大サーヴィス。一段落したところで、すでにリーダー格トニーと親しく仕事などもしている松浦さんが紹介してくれた。 名刺を渡すと、夜でもサングラスのトニーが「おおっ、ソウル・サーチンか、これは気に入った。(笑) 今夜はあちこちにたくさんソウルがあっただろ(笑)」といきなり全開。立ち話で他愛もない雑談が始まり、なんとなくマーヴィン・ゲイの話になった。するとトニーが言った。「むかし、マーヴィンが僕に電話してきて、このグループ(ルーファス)を彼のバックバンドにしたいと言ってきたんだ。でも、その時僕はライオネル・リッチー(のバンド)に入っていたので、それはできなかった」 「いつ頃?」 「1980年代のどこかだと思う。かなり昔だよ。マーヴィンの音楽は大好きだよ。彼とは本当に一緒に仕事をしたかったなあ。シーラEがそのとき、マーヴィンとプレイしていた。それで連絡があったみたいだ」 「マーヴィンは1939年生まれで、生きていれば来年70歳になるんだ」 「おおっ、そうか、僕は1949年生まれだよ。来年60だ」 トニーの元にはいろいろな人から電話がかかってくるらしい。 マーヴィンともう一人、トニーが一緒に共演したかった人物がいる。それがなんとあのジャズの巨匠マイルス・デイヴィス(1926~1991)だった。「あの時も突然電話がかかってきた。僕はそれまでいわゆるジャズ・ギタリストではなかった。だから誘われたことはとてつもなく嬉しかったよ。たぶんファンキーなギターが欲しかったんだろう。(マイルスから誘われた後)僕をジャズに導いてくれたのは、アル・ジャロウだ。アルとのライヴは素晴らしかった。レニー・キャストロ、ジョー・サンプル、アンソニー・ジャクソン、ラリー・ウィリアムスなどと一緒にやった。たしか、90年代に大阪のブルー・ノートでやった。他には、ハーブ・アルパートともやった」 好きなギタリストは、と訊くとすぐに「ウェス・モンゴメリー、BBキング、そして、ジミ・ヘンドリックス」と答えた。「おおっ、ウェスはジャズ、BBはブルーズ、ジミはロック、オール・ジャンルをカヴァーするんですね」 「そうだな。ウェスのシンプリシティーとオクターヴ奏法が好き。BBも、シンプルだ。あらゆるタイプの音楽のコンビネーションが好きなんだ。グッド・メルティング・ポット(いいるつぼ)だろ。もちろん、マイルスのところのジョン・マクラフリンも好きだよ」 「一度、スムース・ジャズでソロ・アルバムを作ったことがあるんだけど、どうも、僕の趣味じゃなくてね(笑)。僕はいろんな人と一緒にプレイできて幸せだよ。僕はいつかティナ・ターナーと一緒にやりたいんだ。(彼女は)たぶん、今はパリに住んでるんじゃないかな。ツアーを始めたはずだ」 「あれ、引退したんじゃないかな」 「あらゆるアーティストがみな、引退って言うんだよ。アーティストが引退して、毎日テレビでも見てると思うかい?(笑) そんなのすぐに飽きるに決まってるじゃないか(笑)シェールも、ローリング・ストーンズも、みんな、決して終わらないんだよ。もちろん、僕たち(ルーファス)もね。BBキングが言うように、死ぬまで止めないよ、って感じだな」 「BBには会ったことある?」 「もちろん、僕の古いギターにBBからサインをもらったんだ。古いエスクワイアーね。宝物だよ」 「ひょっとして、BBからギター・ピックもらった?」 「おおっ、もらったよ!」 「僕ももらった。彼は会う人みんなにあげられるように、いつもピックをたくさん持ってるんだ。でも、BBからギター・ピックをもらったら、みんな大喜びするよね」 「イエ~~ッ!」 「彼は、本当にナイス・ガイだよね。あ、そうだ、信じられるかい。僕が昔ポーラ・アブドゥールのツアーをやっていた時、BBは、なんとそのオープニング・アクト(前座)だったんだよ」 「ええええっ???(腹の底から驚く) BBがオープニングっ??」 「どういうコンビネーションだか、まったくわからないが、実際そうだったんだ。ほんと奇妙な組み合わせだ。たぶん、プロモーターのアイデアだろうな。BBはブルーズ・キングだからねえ。ほんと不思議だ。まあ、ただそのライヴは『フェスティヴァル』のようなもので、いろんなアーティストが出るんで、そんな組み合わせになったのかもしれないな」 「ポーラは、ほとんどリップシンク(口パク)って聞いたけど、本当かな」と僕が言うと、彼はにやっと笑い、一呼吸おいて答えた。「その通りだ(笑) ま、彼女は本当は歌えるんだ。でも、(歌うことに)自信がないんだね。だから踊ることに集中するときには、踊りに集中したいんだろう。彼女は元々レイカーズ・ガールだったからね。それから振り付け師になって、ジャクソンズ、ジャネットの仕事をするんだよね」 トニーが続ける。「おもしろい話があるよ。ポーラのライヴは、実は僕にとってはとても退屈でね。(笑) というのも、ほとんどシークエンス(打ち込み)でやっているから、ミュージシャンの自由なアドリブとかのパートがまったくないんだ。きっちり、すべて作りこまれている。あるとき、『ザ・ウェイ・ユー・ザット・ユー・ラヴ・ミー』をやっている時だった。LAのフォーラムでやった時だ。そこで、シークエンスを飛ばして、この曲の途中でブレイクダウンして、観客の参加を求め自由な感じのやりとりをしたんだ。みんなそれについてきてくれて、すごくうまく行った。そうしたら、マネージャーが終わった後やってきて、『あれ、毎晩やってくれ』って言うんだよ。『ちゃんとリハーサルして、毎晩やろう』とね。僕はマネージャーに言った。『これは、ひとりでに自然にそうなるもんで、リハーサルとかするものじゃない。やる晩もあれば、のらずにやらない晩もある』とね」 もちろん、今回のルーファス・ライヴでは、「テル・ミー・サムシング・グッド」で観客にそのサビを歌わせたり、「エイント・ノーバーディ」ではミュージシャンを紹介し、いくつかのソロをいれたりしている。木曜のセカンドでは、なんと前者で我らがブレンダ・ヴォーンと、広尾やブルースアレーでライヴを見せたアンドレア・ホプキンスが客席にいて、見事に歌い、満員の観客を驚かせた。スポンテニアス(自然にアドリブ)は、ライヴのカギだ。 「(アブドゥールの)バンドは素晴らしいよ。ドラマーは、ソニー・エモリーだった」 「ソニー・エモリー! 最近彼はどうしてるの?」 「え~と、確か、シェールのツアーじゃないかな、ちがう、ベット・ミドラーだ! 彼女がラスヴェガスでビッグショーをやっていて、それをずっとやっている。ベースはサム・シムズだった。サムはジャネットとやったり、スティーヴィー・ニックスとやっている。ダリル・スミスがキーボード…だったかな」 トニー・メイデンは1949年6月17日生まれ。現在59歳だが、ギタープレイ、パフォーマンスなど実に若くてかっこいい。ちょっとベースのピーウィとともに、ナイル・ロジャース&バーナード・エドワーズ・コンビを思わせる。 その横にオルガンを弾いていたケヴィン・マーフィーがいてニコニコしている。ケヴィンも語るべき多くのストーリーを持っている人物に違いない。 (この項続く) ■ ルーファス @ ブルーノート東京 ライヴ November 13, 2008 Rufus @ Blue Note (Part 1)  http://blog.soulsearchin.com/archives/002732.html (2008年11月12日水曜、東京ブルーノート=ルーファス・ライヴ) ENT>MUSIC>LIVE>Rufus ENT>MUSIC>ARTIST>Maiden, Tony 2008-186

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■ミリアム・マケバ死去~「パタ・パタ」の大ヒット

■【ミリアム・マケバ死去~「パタ・パタ」の大ヒット】 訃報。 サウス・アフリカ出身のシンガー、ミリアム・マケバが去る2008年11月10日、出張先のイタリア南部ナポリ近くのカセータの病院で心臓発作のため死去した。76歳だった。 マケバは、作家ロバート・サヴィアーノのためのコンサートに他のアーティストと出演した後に、体調が悪くなり、病院に運ばれ死去したという。ステージで「パタ・パタ」を踊った後、舞台袖に戻り、関係者の腕の中で倒れた、という報告もある。 ミリアム・マケバは「ママ・アフリカ」の愛称で知られるシンガー。1932年(昭和7年)3月4日、南アフリカ国ヨハネスブルグ生まれ。1959年、同地のグループ、マンハッタン・ブラザースの一員としてアメリカ・ツアーを行うが、翌年帰国しようとしたときに、母国で「アパルトヘイト(人種隔離政策)」が勃発。マケバの市民権が剥奪され、彼女の音楽も禁止されてしまった。その結果、彼女は以来ずっと南アフリカに帰れないまま「亡命生活」を余儀なくされる。 1964年から1966年まで、同じ南アフリカ出身のトランペター、ヒュー・マサケラと結婚していた。 1966年、マケバはその前年にハリー・ベラフォンテとともに出したアルバム『アン・イヴニング・ウィズ・ベラフォンテ/マケバ』で、グラミー賞「ベスト・フォーク・レコーディング」部門を獲得した。 1967年、自国のダンスをモチーフにした楽曲「パタ・パタ」がアメリカを始め世界で大ヒット。一躍有名になった。ニーナ・シモン、デージー・ガレスピーなどとともに共演。また、ジョン・F・ケネディー、ネルソン・マンデラらの前でも歌った。 「反アパルトヘイト」活動家として、2度国連でスピーチをしたり、積極的に活動していた。 しかし、彼女の生涯は決して恵まれたものではなかった。1985年、彼女の一人娘が36歳で急死したとき、マケバには棺を買う現金もなく、多くの友人たちが協力したという。その後、アパルトヘイトが終わり、ネルソン・マンデラが解放されると晴れて母国南アフリカに戻った。 現在葬儀をどうするか検討されているが、遺体を南アフリカに戻すように手配中。また、孫娘のゼンジ・ミヒゼさんは、「遺灰を海にまいてほしいと願っていた」と述べている。 ■ ミリアム・マケバ死去・記事の1本 http://www.iol.co.za/index.php?set_id=1&click_id=139&art_id=nw20081111093036343C388466 ENT>OBITUARY> Makeba, Miriam (3/4/1932- 11/10/2008, 76)

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●ルーファス・ライヴ@ブルーノート

●【ルーファス@ブルーノート・ライヴ】 タイト。 1970年代に多くのヒットを放ったブラックのセルフ・コンテインド・グループ(自分たちで曲を書き、演奏し、歌う、すべてを自給自足でやるグループ)のひとつとして大きな人気を放ったルーファス。グループとしては、アース、クール&ザ・ギャング、コモドアーズ、オハイオ・プレイヤーズらと並んで人気となったが、リード・シンガーからソロに転じ大きな成功を収めたシャカ・カーンのいたグループとしても有名だ。 前回のシャカ・ソロ・ライヴ(2008年6月、ビルボード・ライヴ)で実にかっこいいギターを聴かせたオリジナル・ルーファス・メンバー、トニー・メイデン率いる強力バンドだ。今回はもうひとりのオリジナル・メンバー、ケヴィン・マーフィー(いい味でハモンドを弾く)も帯同していて色を添える。ルーファスとしては、1976年6月(東京音楽祭)、1984年12月(赤坂ムゲン)以来、3度目約24年ぶりの来日。 今回は、ドラムス、ギター2人、ベース、キーボード3人、パーカッション、歌4人という最大12人がオンステージという、まさに大型バンド。基本的には、トニーがバンドマスターで、全体的にはよくまとまったリズムとグルーヴを生み出し、なかなかタイトなバンドとなっていた。 いくつも見所があるが、ヴォーカル4人の中で一番強力だったのが、マダム・ディーというシンガー。それはそれは迫力あるパンチの効いたヴォーカルを聴かせる。一方、トニーの娘というアマンダが一番多くリードを取るがマダムあたりと比較すると若干力不足の点は否めない。他にシンガーは、インコグニートなどで有名なメイサ・リーグ。ヴァル・ヤングは、「オール・ナイト・ロング」のヒットを放ったメリー・ジェーン・ガールズの一員でもあり、『セダクション』というアルバムも出しているシンガー。メイサもヴァルでさえも、マダムの前にひれ伏す感じだ。このマダム、トニーがロスアンジェルスのライヴハウスで見つけてスカウトしたシンガーで、まだCDなどはだしていない、という。 白人のイケメン・キーボード、ブライアンも自身のアルバムを出したところで、そこからブッツィー・コリンズとの共作曲などをがんばって演奏した。かなりのエンタテイナーで、サックスのデイヴ・コーズに対してキーボードのブライアンという立ち位置になりそう。彼は彼で、ソロでのライヴも楽しみ。 この中ではトニーの技量がずば抜けているのは間違いないが、ドラムス、ベースとのリズム隊はかなりいい。ドラムスは最近ではジョディー・ワトリーで来ていたという。なので、バンドとしてかなりまとまり、ヴォーカル陣の弱点をカヴァーする。 僕はシンガーの主役をマダムにすると一番いいと思う。いわゆる1970年代風のシャウト系ヴォーカルで、いかにもシャカ・カーン系なヴォーカルだ。リハーサルなどの時間的制約で、他のシンガーが歌わざるを得ないようだが、バンド・サウンドがまとまっているだけに惜しい。ひとついえるのはシャカのバンドは、かなりひどいので、このバンドにシャカ・カーンが入ったら相当いい感じになるだろうということ。あっちを立てれば、こっちが立たず。そううまく行かないのが、この音楽業界の難しいところ。 ルーファス曲としては、他に「At Midnight」、「Hollywood」(これは他の日にやった)、「Tonight We Love」「Pack’d My Bags」「 I’m A Woman (I’m A Backbone)」なども聴きたい。 アンコールでメイサがスティーヴィーの「オール・アイ・ドゥー」をカヴァーして歌ったが、これは彼女の最新アルバムに収録されていて、イギリスでヒットしているためだそうだ。ヴァル・ヤングは他の日には、メリー・ジェーン・ガールズの「オール・ナイト・ロング」を歌ったそうだが、そうなるとブライアン、メイサらも含めてそれぞれのショーケース的な雰囲気もでてくる。それはそれでひとつの方向性ではあるだろうが、ルーファスに焦点を集めることも重要だ。ま、難しいところではあるが。 僕はシャカ・カーンの日本での人気を10とすると、ルーファスは8くらいの人気や知名度があるのかと思っていたが、それは若干楽観的すぎたようで、実際は5くらいしかないのかもしれない。ただし、しっかりとこれくらいのライヴをやっていればリピーターもつくはず。シャカとルーファス、いわゆる人気、ヒット曲の数、というものの差を感じた。シンガー陣を立て直して、また来て欲しい。 ライヴ後、彼らはすぐにサイン会。そこで、トニーらと少し話す機会があった。その模様は明日以降に。 ■ 関連記事 June 03, 2008 Chaka Khan Live @ Hi Energy Performance http://blog.soulsearchin.com/archives/002552.html 2008年6月2日(月)ビルボード・ライヴのライヴ評 ■メンバー トニー・メイデン(ヴォーカル、ギター)Tony … Continue reading

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⊿バーナード・プリティー・パーディー&チャック・レイニー

⊿【バーナード・プリティー・パーディー&チャック・レイニー】 ジューク・ジョイント。 昨年12月以来、一年も空けずの再度ライヴ。ドラムス、ギター、ベース、キーボードにヴォーカルというシンプルにて最強の布陣のバンド。手練手管(てれんてくだ)とはこういう連中のことを言うのだろう。主人公は、バーナード・パーディー(ドラムス)とチャック・レイニー(ベース)。今年は昨年とは違うキーボード、ジョン・コルバが参加。けっこう歌っていた。ブルース・ブラザース・バンドの一員でもあるロブ・パパロッツィは、歌とハーモニカで大活躍だが、ハーモニカを12台以上持ってきていた。 なんと言っても、バーナードのドラムスの機材数は少ないのに、表現力のありようはもう文字では表せない。たまたまこの日、新進気鋭のドラマー小笠原さんが来ていたのでちらっと話しをすると、「もう影響受けまくりです。あんなに少ないのに、『(ドラムの)歌わせ方が全然違いますよ』」と大興奮ぎみ。そうかあ、ドラムスを歌わせるんだ。なるほど。さすが、優秀なドラマーは言うことが違う。 昨年のセットリストと比較するとわかるが、今年もセットリストを大幅に変えている。レパートリーが多く、また自由自在に曲を入れ替えられるわけだ。 曲を始めるキューはいつもパーディーが出す。「1-2-3!」 そして、めくるめくグルーヴの世界が始まる。しかし、パーディー・シャッフルとはうまいことを言ったものだ。 パーディーの確固たるファットバックなドラムスとレイニーのポンピン・ベースは、六本木のビルボードを、どこかアメリカ南部のジューク・ジョイントに変貌させるかのようだ。 (ジューク・ジョイント=ダンスも出来るような酒場。バンド演奏やジュークボックスで音楽がかかるところ) ■過去記事(前回ライヴ評) December 04, 2007 Bernard Pretty Purdie & Chuck Rainey Live http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200712/2007_12_04.html ■ メンバー バーナード・“プリティー”・パーディー / Bernard "Pretty" Purdie(Drums/Vocals) チャック・レイニー/Chuck Rainey(Bass/Guitar) ロブ・パパロッツィ/Rob Paparozzi(Harmonica/Vocals) ジョージ・ナーハ/George Naha/(Guitar) ジョン・コルバ/John Korba(Piano/Vocals) ■セットリスト バーナード・パーディー&チャック・レイニー 2008年11月11日 Setlist : Bernard Pretty Purdie … Continue reading

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△レイ・パーカー・ライヴ@コットン・クラブ

△【レイ・パーカー・ライヴ@コットン・クラブ】 最後。 「今夜は、最後の夜だ。だから、門限もなければ、何の縛りもない。徹底してやるぞ~~」とレイ・パーカーが叫ぶ。ヘッドフォーン・セットをつけたレイは実に身軽にあちこち動き、ハグしてキスして、大サーヴィス。観客の一部は1曲目から立ち上がって踊っている。 進行は比較的ゆったりまったり、レイが自身のヒット曲を歌っていくのだが、やはりバックがしっかりしているだけに、それなりの演奏になる。ドラムス、オリー・ブラウン(オリー&ジェリーのヒットあり)、ギター、ランディー・ホール(ソロ作品あり)、キーボード、ケヴィン・トニー(元ブラック・バーズでヒット多数)、ベースのフレディー・ワシントンもロスのファースト・コールで多数のセッションをこなす。 はっきり言って、選曲を固め、正しい曲順でノンストップで間髪いれず曲をやっていくスタイルで作りこめたら、すぐ90点くらいのライヴにはなる。なにしろ、曲自体はいいものが多いのだから。今は曲間にだらっとしたレイのトークがあるので、それはそれでのんびりしていいのだが、どうしても間延びしてしまう。そこが実に惜しい。 セットリスト、中盤で、前回来日時にはほんのワンフレーズだったそれぞれのミュージシャン関連の曲を各曲フルサイズで演奏した。例えば、フレディーがベースを弾いたパトリース・ラッシェンの「フォーゲット・ミー・ノッツ」。レイ曰く「例えば、ギターの音や、キーボードの音をこの曲から消してみよう。そして、そこに彼のベースの音だけが残るとする。するとこれだけで、ファンキーなグルーヴが出てくる。フレディー・ワシントン!」 これがなかなかいい企画で、どれも楽しい。僕などは、ブラックバーズの「ウォーキング・イン・リズム」が生で聴けただけで、けっこう嬉しい。このあたりもノンストップでやったら、相当盛り上がるはず。 この日は本編終わったあと、通常だったら、アンコールで「ゴースト・バスターズ」になだれ込むところだが、「ほとんど今回はリハーサルしていないが、ちょっとやってみよう」と言って「ジャック&ジル」を演奏。途中の「ジャック~~」の後、観客が「ジャック~~」と反応し、さらに、「ジル~~」で「ジル~~」と反応するところなど、実に盛り上がった。そして、「ゴースト・バスターズ」では、観客からのりのいい女性たちを舞台に上げ、コーラスまでやらせた。そして、これで終わりかと思いきや、なんと、一度客電もついたが、再び、メンバーが戻ってきて、「これも、全然リハやってないけど…」といいぶっつけ本番で「ジ・ア・ザー・ウーマン」を披露。かなりのサーヴィスぶりだった。 あと、日本で人気の高い「ザット・オールド・ソング」、「ホット・スタッフ」、「トゥ・プレイセス・アット・ザ・セイムタイム」、プロデュース曲でシェリル・リン関係(「イン・ザ・ナイト」)などうまくまぜれば、もっと密度の濃いショーになることまちがいない。 ライヴ後、前回も来ているキーボード、ケヴィン・トニーと再会。彼は元ブラックバーズのオリジナル・メンバー。最近はソロ活動に重点を置いていて、自らの新作をもって来ていた。そのケヴィンとの話は明日以降にご紹介しよう。 ■過去記事 October 24, 2006 Ray Parker’s Raydio Show: Family Reunion http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200610/2006_10_24.html (前回来日時ライヴ評) ■メンバー レイ・パーカー Jr. Ray Parker Jr.(vo,g), Mark Felton(sax,fl), Kevin Toney(p), Randy Hall(g,vo), Fred Washington(b), Ollie Brown(ds) ■セットリストレイ・パーカー  2008年11月10日(月)コットン・クラブ Setlist … Continue reading

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▽ニック・トリビュート@ダンステリア

▽【ニック・トリビュート@ダンステリア】 トリビュート。 ニック岡井氏没後一年のトリビュート・イヴェント第二弾が、11月9日(日)、ニック本人がDJをしていた白金ダンステリアで行われた。この日も、ニックゆかりの人たちが多数集まり、江守藹さん、川畑さんらのDJのもと、ソウル・ヒットでソウル・ステップを踏んだ。 ++++ 始動。 ブラザー・コーンとブラザー・トムのユニット、バブルガム・ブラザースの新録による新曲が12月3日、ユニバーサルからリリースされる。いよいよバブル本格始動だ。タイトルは「Daddy’s Part Night(懲りないオヤジの応援歌)」。新曲のプロモ・ビデオがすでに撮影されている。この撮影は11月第一週に横浜のクラブで行われ、多数のエキストラのほか、ソウル仲間である鈴木雅之、久保田利伸らが参加。また、振り付けは、このところすっかりソウル系振り付けでおなじみになってきたマイケル鶴岡が担当している。 ブラザー・コーン曰く「もう、これで、バリバリ行きますからね!」と鼻息荒い。ちょうど、ダンステリアであったコーンちゃん、11月5日が誕生日ということで、「今週1週間、誕生日ウイークでさあ、昨日も朝までグデングデンになってて、今日はさすがに水でいいです」とミネラル・ウォーターをオーダーしていた。 ++++ ギャラクシー。 このコラムでも何度もご紹介している『ソウル・ギャラクシー』のソウル・コンピレーション。ここから、先日(11月2日・日曜)の山下達郎さんの『サンデイ・ソングブック』で、チャプター・ワンをかけていただいた。大感謝です。そして、発売後の最初のバックオーダー(レコード店からの再注文数)が、ユニバーサルでの発売物すべての中で4位だったそうだ。もちろん、最初の出荷枚数が少ないということもあり、一概に比較はできないのだが、全社的にはまったくノーマークの作品に、ソウル・ファンの力が集結していい反応を見せたといってもいいかもしれない。 この選曲をした赤坂ミラクルの川畑さん、再来週(11月23日)の『ソウル・ブレンズ』にゲストで登場します。山野ミュージック・ジャムでも紹介する。今からどの曲かけるか、超悩み中。(笑) ++++ 先日久々に目黒のライヴハウスで、ソウル・サーチンでコメンテーターとして登場してくれた内田さんとばったり。そのとき、その数日前に見たネヴィル・ブラザース・ライヴの話になり、「ギタリスト、日本人だった?」と聞かれ、ブログに書いた名前(福田真國さん)を言うと、「ええっ、知ってる、昔、一緒にプレイしたことある。彼、うまかったんで、覚えてる」と驚かれた。一緒にプレイしたことあるというのがさすがだ。(笑) その内田さんから、11月2日の『サンデイ・ソングブック』で、フォー・トップスのリーヴァイ・スタッブス追悼でフォー・トップスの曲が2曲もかかり狂喜乱舞してメールが来た。モータウン時代も好きだが、このランバート・ポッター時代も大好きとのこと。一人の追悼で同アーティストが2曲かかるのも珍しい。 ++++ ENT>EVENT>

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☆元モータウン社長、ジェリー・バズビー氏死去

☆【元モータウン社長、ジェリー・バズビー氏死去】 元社長。 伝統的なソウル・レーベル、モータウン・レコードの1988年から1995年まで社長を務めた音楽エグゼクティヴ、ジェリー・バズビーが2008年11月4日、カリフォルニア州マリブの自宅のバスタブで死去しているのが発見された。59歳だった。 ロスアンジェルス郡検死オフィースのエド・ウィンターは、「事故か自然死だろう」と述べている。一応、検死にかけられる。 バズビーは1949年(昭和24年)5月5日ロスアンジェルス生まれ。サウスセントラル地区に育った。ロング・ビーチ・ステート・カレッジに入学、2年で中退後、「バービー人形」を生み出したことで有名なマテル・トイズという玩具会社に就職。1970年代に入り、メンフィスのスタックス・レコードのウェスト・コースト宣伝部入り。スタックスが1976年までに倒産すると、カサブランカ、アトランティック、CBS、A&Mなどのレーベルで宣伝などを担当。多くのヒットをてがけた。カサブランカ時代にはドナ・サマーや多くのディスコヒットを生み出した音楽業界人として頭角を現した。 1984年、MCAレコードのブラック・ミュージック部門のヘッド(社長)に就任、ここでブラック・ミュージックに力を入れ始めたMCAを「ブラック王国」にする。生まれたヒットは、パティー・ラベール、グラディス・ナイト、ジョディー・ワトリー、ニュー・エディション、そこから派生するボビー・ブラウン、ラルフ・トレスヴァント、ベル・ビヴ・デヴォー、ジェッツ、さらに新しい波「ニュー・ジャック・スウィング」のテディー・ライリー&ガイなど多数にのぼる。 1988年、モータウン・レコードの創始者、ベリー・ゴーディーがモータウンをMCAとボストン・ヴェンチャー社グループに6100万ドルで売却。このとき、MCAからモータウン・レーベルの社長に就任した。この時、バズビーは「アメリカのブラック・ミュージック史上において、これ以上(モータウン社長になること)の喜びはない」と興奮をコメントしていた。 ここでバズビーは、ライオネル・リッチー、スティーヴィー・ワンダーらに再度脚光をあびさせたり、ダイアナ・ロスを呼び戻したり、新人アーティストのボーイズ・トゥ・メン、ジョニー・ギルなどでヒットを生み出した。1990年にはR&Bチャートのベスト5をモータウン勢が独占したこともある。 1993年、MCAグループはモータウンを3億100万ドルでユニヴァーサル・グループへ売却するが、バズビーはモータウン社長の座にとどまった。 1995年、バズビーはモータウンと契約でもめ、退社。1998年、ドリームワークス入り、2001年退社。2004年にはデフ・ソウル・クラシック社長、再結成のラベル、アイズレー・ブラザースなどと契約している。その後、プロデューサーのマイク・シティー氏とともにアンブレラ・レコードを設立、ここでリリースしたカール・トーマスのCDは2007年日本でも発売された。 バズビーは1998年にカリフォルニアにおける初の黒人所有の銀行、ファンダーズ・ナショナル・バンクの有力株主となり、死去まで別のワン・ユナイテッド・バンクの役員をしていた。 ++++ バズビーというと、やはりMCAブラックの最大の立役者。本当に多くのヒットが出た。そして、その後モータウンへ。モータウンの社長は以後もいろいろ変わるが、それでも彼が在籍していた時期にボーイズ・トゥ・メンなどがブレイクしたのだから、レコードマンとしては超優秀といっていい。 ご冥福をお祈りする。 ENT>OBITUARY>Busby, Jheryl (5/5/1949 – 11/4/2008=59)

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◎「チェンジ・イズ・ゴナ・カム」から「チェンジ・ハズ・カム」へ~オバマ氏勝利演説

◎【「チェンジ・イズ・ゴナ・カム」から「チェンジ・ハズ・カム」へ~オバマ氏勝利演説】 予言。 長かった大統領選に民主党のオバマ氏が勝利し、2009年1月20日、第44代アメリカ大統領に就任する。そのオバマ氏の勝利演説(11月4日夜)がシカゴで行われた。シカゴはソウル・レジェンド、サム・クックのホームタウンである。(1931年ミシシッピー生まれだが、2歳のときからシカゴ育ち) サム・クックは、1964年暮れ「ア・チェンジ・イズ・ゴナ・カム(変革は訪れる)」(未来形)と録音し、この曲を1965年1月からヒットさせた。 “A Change Is Gonna Come” by Sam Cook I was born by the river in a little tent Oh and just like the river I’ve been running ever since It’s been a long, a long time … Continue reading

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○文化の日の贈り物~39年前の録音から

○【文化の日の贈り物~39年前の録音から】 タイム・カプセル。 先日、郵便物の中にCDらしきものが入っているパッケージがあった。通常のレコード会社から来るものとはちょっとちがっていて、その裏には個人の名前と住所が書かれていた。「また、売り込みのCDかな」と思ったのだが、何か気になってすぐに封を開けた。 すると手書きのメモとCDが1枚はいっていた。それを見て腰を抜かした。手書きのメモは、中等部(中学)時代の同級生西村さんからで、中学3年生のときにみんなでやった演劇の録音がCD化されてはいっていたのだ。メモにはこう書いてあった。 「先日クラス会があり、8月に亡くなった古阪君主演の聴耳頭巾(ききみみ・ずきん)の録音がみつかったので皆さんにお渡ししました。あなたのナレーションも入ってます。よかったら聞いてください。一緒に効果をやった太一も先日亡くなりました。」 太一は、先日訃報を書いた村上太一さんだ。 CDには「木下順二作・放送劇・昔話聴耳頭巾」、昭和44年(1969年)11月3日(月) 幼稚舎自尊館にて とある。すぐにCDプレイヤーにいれた。ピアノの音、効果音、そして、ナレーション。こ、こ、これが僕? 覚えてない…。(苦笑) 必死に記憶の糸を手繰り寄せ、フルスロットルで記憶頭脳を再生しようとするが、何がなんだか思い出せない。しかし、主演の古阪君の声はしっかり覚えている。ナレーションで出演者、スタッフらの名前が次々と紹介されるのだが、もちろん、知っている名前ばかりだ。だが、覚えてない名前もある、同じクラスではない人の名前もある気がする。しかし、クラス変えで同クラスになったのかもしれないがよくわからない。(謎) 次々と疑問が頭を駆け巡る。そもそもなんで、こんな音質のいいものが残っていたのか。マイクはきちんとしたオンマイクで、舞台を遠目のマイクで拾ったものではない。その頃、ピンマイクなんてあるわけないので、このクリアな音はなんだ。それから効果音。明らかに放送劇である。ナレーションのクレジットで「効果、吉岡正晴、西村昭、村上太一」と読まれている。(読んでいる) 太一と西村さんと一緒に効果音を作ったんだ。そうか、作ったかもしれない…。(謎) 鳥のさえずり、水の流れる音、風の音、まさに放送劇の効果音だ。しかし、自尊館でやったとなると、舞台なのかなあ。(謎) 39年前の中学3年生たちが集まって作ったものなのだが、主演の古阪君がけっこううまいのだ。それだけでなく出演者がみなうまい。どうなってるんだろう。(謎) いくら考えてもわからない。メールアドレスが書いてあったので、さっそくメールをしてみた。翌日すぐに返事がきた。衝撃でした。それはまさに39年前へのタイム・スリップだった。 そのメールによるとこうだ。中等部では毎年11月の文化の日に、「演劇の会」というのをやっていた。各学年の有志が集まり、いろいろな劇を演じるというもので、クラスを超えて集まり、稽古をして、当日発表するというイヴェントだった。そして、このCDはそのときの録音だという。 1年生の時に「まねし小僧」(主演は古阪君)、2年が「ベニスの商人」(シャイロック役が古阪君)、3年で「聴耳頭巾」(主演・古阪君)だった。古阪君は毎年何かやっていたんだ。だが、別に演劇部だったわけではない、という。しかも、この「聴耳頭巾」がすごい。何がすごいかって、これを放送劇として、舞台の上でやったというのだ。西村さん曰く、三谷幸喜の『ラジオの時間』(1993年)に先駆けること24年の斬新なアイデアでした、という。これは、当時の国語の先生、仲井さんの発案だったそうだ。それですべてが合点が行く。 僕たちは効果音を作り、放送劇をやった。それを舞台の上で舞台劇としてやったが、放送劇なのでマイクが舞台に何本もあり、それを録音していたものを、西村さんがキープしていて今回日の目を見たわけだ。彼は7インチのオープンリールで保存されていたものを、自分でカセットにコピーし、ずっと保存していたという。彼もずっとオープンリールの機械を持っていたが、以前に処分した。僕も同じだ。また、一度に全員の親御さんが入らないので、午前、午後と2回公演をしたそうだ。2回公演! すごい。(笑) 録音は午後の部のもの。冒頭のピアノはどうやらありもののレコードを使ったらしいが、最後のエレクトーンは鈴木(平尾)美智子さんが弾いているそうだ。 感無量。 西村さんは書く。「中等部の放送室で、いろんな効果音を作りました。木の上を歩く音は、校庭から木の枝を集めてきてこすり合わせ、風の音は、3人が交代で息をマイクに吹きかけて録音したものをテープの再生速度を落として作りました。水の流れる音は、トイレにマイクを持っていって作りました。吉岡さんは当日、調整室で冒頭と終了のナレーションを喋りました。終了後の打ち上げで、東急文化会館のピザ屋に行き、『あの、ナレーションよかったわね』と女子たち(言い回しが古い!)が、あなたに言っていたのを、よく覚えています。」(驚) 僕はまったく覚えていません。(笑) しかし、よく覚えてるなあ。すごい。すごい。風の音、口でやって、テープ速度を落とした? なんで、そんなこと知ってるんだ。(謎) 徐々に記憶が蘇る。国語の仲井さん(先生)、幼稚舎、クラスを超えてのイヴェント…。僕はその劇が終わった後に、なぜか仲井さんに褒められたことだけうっすら覚えてる。何かを片付けていた時の些細なことだ。子供は褒められたことを覚えているものなのか。(単純) 効果音を作ったこと、かろうじて覚えてるかも。でも、ナレーションしたことは完璧に覚えてない。打ち上げに行ったことも覚えてない。もちろん褒められたこともまったく覚えてない。子供は褒められても覚えていないものもある。(単純) ま、とにかく、ないないずくしである。しかし、第三者の証言があるのだから、そして、証拠の音(!)もあるのだから、僕はみんなとそれらをやったことに間違いはない。効果音を作ったのはわかるが、なんでナレーションなんかやったんだろう。それに、そもそも中学生が打ち上げで渋谷のピザ屋に行くのか。(笑) いや、行ったんだね。証人がいるんだから。行ったんだ。(無理やり納得) 放送劇は約32分。冒頭、耳を凝らすと「キュー」という声が入っている。それからピアノの音、ナレーションへつながる。エンディングを向かえ、劇が終わると、エレクトーンの演奏、拍手がきて、ナレーションが入っていた。「これで本日の演劇の会を終わります。指示に従って退場してください」 僕かなあ。…僕ですね。僕の声だ…。証拠が残ってるんだから。声変わり中なのか、風邪ひいてるのか、なんか変な声。 きっと、その頃、ブログなんてものがあったら、事細かに書いてただろうなあ。(笑) 39年前へのタイム・トリップ。ちょうど文化の日。まさに僕にとっての「文化の日の贈り物」。タイム・カプセルを開けた日だ。感無量だ。ありがとうございます、西村さん。そして、改めて古阪英之君のご冥福をお祈りする。 ■ 村上太一さんの訃報 October 16, 2008 Bits & Pieces : Gold Concert, Murakami Taichi… http://blog.soulsearchin.com/archives/002704.html ESSAY>

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◆ベイビーフェイス(パート2): グレイト・ソング・ストーリー:「ファイアー&レイン」

◆グレイト・ソング・ストーリー:「ファイアー&レイン」 火雨。 今週、六本木「ビルボード・ライヴ」でライヴを行っているベイビーフェイスがアルバム『プレイリスト』でカヴァーした白人シンガー・ソングライター、ジェームス・テイラー作の「ファイアー&レイン」。ジェームスの1970年2月発売の2枚目アルバム『スイート・ベイビー・ジェームス』に収録されシングルとしてもヒットした。この作品の誕生秘話。(ベイビーフェイスのライヴ評、セットリストなどは、昨日付けブログで) ベイビーフェイスのライヴで、キーボード奏者のグレッグ・フィリンゲーンズがシンガーから聞いた話としてこんなことを言った。「ジェームスのガール・フレンドがジェームスに会いに行くとき、その飛行機が墜落してしまった。そのことを描いた曲だ」といったことを言うと、ベイビーフェイスが「それは違うんだ」と受けた。へえ~と思い調べてみた。すると~~いろいろわかった。 +++++ 『ファイアー&レイン』(訳詞・ソウル・サーチャー) ほんの昨日の朝、友達が教えてくれた。君が死んだことを スザンヌ、彼らの計画が君の人生を終わらせた(みたいだね) 今朝、散歩に出て、この曲を書いた 誰に向けて書いたのかまだ思い出せない 燃え盛る火、降り注ぐ雨、 決して曇ることない晴れた日々、 たった一人の友達さえいない孤独の日々 そんな明暗の日々があっても、ずっとまた君と会えると思っていた (冒頭のみ) (註、ジェームスのヴァージョンは、スザンヌとなっているが、ベイビーフェイスのヴァージョンはここをlooks like=みたいだね=に変えている) +++++ 解釈。 ジェームス・テイラーはこの曲について、いくつかのヴァージョンの話をしている。イギリスのBBC(放送)に語ったインタヴューでは、この作品は彼自身の精神的鬱(うつ)と友人の自殺について書いたものだという。別のVH1のインタヴューでは彼の友人スザンヌ・シュナーについて書いたものだという。スザンヌはジェームスがロードで出ていたときに、突然他界した。ほぼ同じ時期ジェームスは当時自分がいたバンド「ザ・フライング・マシーン」が成功しなかったことに、大きく落ち込んでいた。「甘い夢とフライング・マシンは、地上で粉々になっている」 彼自身どうしていいかわからない混迷の時期に、彼はスザンヌの死を知らされる。そこで人生、命のはかなさを知り、古い友人の元へ戻る。またこの時期、ジェームスはドラッグ問題も抱えていた。 さらに、2005年のNPRへのインタヴューで、ジェームス・テイラーは楽曲は3つのパートに分かれていると説明する。 1番は、ジェームスがロンドンのアップル・レコード(ビートルズのレコード会社)と契約し、レコーディングをしているときに、スザンヌが死んだことを描いている。友人たちはせっかくのいいチャンスを台無しにしてはいけないということで、ジェームスにショックを与えないために、スザンヌの死をしばらく隠していた。また、スザンヌは友人で、ガール・フレンドではないという。 2番はジェームスのドラッグとの戦い。 3番は、彼が有名になり富を得るまでの下積みの時代。そして、彼のリハビリ時期のこと。 そして、それまでに言われてきたこの曲にまつわる噂が次のようなものだ。「ジェームスは自分の誕生日にどこかの地方都市でライヴの予定があった。仲間がガール・フレンドのスザンヌをその地へサプライズで行かせようと航空券をプレゼントした。ところが不幸にもその飛行機が激しい雨のために離陸直後墜落、スザンヌが死亡。それを知ったジェームス・テイラーはそのことを『ファイアー・アンド・レイン』として書いた。火と雨は、飛行機が燃えてる火、雨はその日の激しい雨を指す」 だが、ジェームス・テイラー本人はこの噂を否定している。 グレッグが話したのは、この噂話の部分だ。実際は、NPRへのインタヴュー内容が近いようだ。ローリング・ストーン誌でのインタヴューもほぼこれに沿った感じになっている。そこで、これがジェームスが否定しているのを知っているのか、ベイビーフェイスもこの話を否定した。 「火と雨」、そして、「太陽=晴れた日」の対比が実にうまい。つらい時も、厳しい時も、楽しい時もあった。でも、いつでも、君に会いたい、メインのメッセージはここにある。そして、その付随説明をする部分にジェームス・テイラーの詳細な自伝的エピソードが散りばめられている。いくつもの説や解釈があるにせよ、この曲がジェームス・テイラーの自伝的作品のひとつであることは間違いない。 それにしても、この曲を左利きのベイビーフェイスがギターを弾きながら歌うところがユニークだ。そして、この曲に興味を持たせてくれたベイビーフェイスとグレッグ・フィリンゲーンズに改めて感謝。 +++++ Fire & Rain (written by James Taylor) (1番) Just yesterday morning … Continue reading

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★ベイビーフェイス、オンステージ3人で経済的

★【ベイビーフェイス、オンステージ3人で経済的】 アコースティック。 ベイビーフェイスの1年ぶり、7回目の来日、5回目の一般公演。初来日は1994年。前回はバンド編成で、90分でヒット曲を30曲歌うという大サーヴィスぶりで、ファンも大喜びだったが、今回はしっとり、ゆったり、まったりアコースティックで聴かせるという若干地味目、何よりエコノミカル(経済的)なショウ。 ベイビーフェイスに、もうひとりギタリスト、そして、キーボードという編成。ただし、このキーボードが超大物グレッグ・フィリンゲーンズで救われる。マイケル・ジャクソン、ライオネル・リッチー、クインシー・ジョーンズ、エリック・クラプトンなどともにやってきたナンバーワン・キーボード奏者だ。 ベイビーフェイスの自宅リヴィングで仲間を集めて軽くノリでジャム・セッションをやってみた、という感じの87分。インティメートな雰囲気はそれなりにある。前回のバンドがいまいちだったから、今回アコースティックの3人編成にしたわけではないだろうが(まさかベイビーフェイス、去年のブログを読んだか?=(笑))、セットリスト5から8までは、打ち込みも併用。7ではそこにはいない女性コーラスまで飛び出てくるのでちょっと…。ケイリブのセリフではないが、リアルではないからねえ。 曲目もあまりがっちり決めていないようで、ノリで曲がでてくるようだ。それはそれで別によいのだが、そんな中、突然グレッグがいくつかのヒットをほんのサワリだけやって、これが一番受けた。バリー・ホワイトはあまり知られてなかったようだが、トトの「アフリカ」さらに「ホールド・ザ・ライン」になると、やんやの喝采が巻き起こった。やはりこのあたりの洋楽ファンが多いのだろう。このコーナー、もう少しちゃんとするといいと思う。 ベイビーフェイスはかなりよくしゃべるが、どうも観客には伝わりにくかったようだ。ただし話はちょっとおもしろい。「ファイアー&レイン」の前にグレッグが友人のシンガーから聞いた話として、「ジェームス・テイラーのガールフレンドが、彼に会いにやってくることになっていた。だが、彼女はそこに向かう飛行機が墜落して死んでしまった。それを歌った歌だ」といったことを説明した。するとベイビーフェイスが「それは違う(that’s not true)」と言う。グレッグは「おお、そうか…」という感じで淡々と受ける。そのやりとりの間がけっこうおもしろかった。ここまでしゃべるとなると、質のいい同時通訳がいたほうがいいのではないだろうか。話の内容が伝わればもっと楽しめるはず。観客の外人には随分と受けていた。「ファイアー&レイン」のエピソードに興味を持ったので帰って調べてみた。するとけっこうおもしろい話があったので、それはまた後日。 こういうアコースティックのしっとりしたゆるいライヴが好きな人にはいいかもしれない。 ■過去ベイビーフェイス関連記事 October 16, 2007 Babyface Sings Tons Of Hits At Billboard Live: Another Human Jukebox http://blog.soulsearchin.com/archives/002081.html 前回来日時ライヴ評。 ベイビーフェイスのインタヴュー記事(2001年8月) 「ベイビーフェイスを育んできたもの」 http://www.barks.jp/feature/?id=52256021(ベイビーフェイスのルーツがよくわかるインタヴュー記事、お勧めです) 2004/11/11 (Thu) Babyface; Just Another One Night Gig: You Owe … Continue reading

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▲ケイリブ・ジェームス&フレンズ・ライヴ・アット・マルターノ

▲【ケイリブ・ジェームス&フレンズ・ライヴ・アット・マルターノ】 サポート。 久々にソウル・サーチャー、ケイリブ・ジェームス本人が友人を集めての藤が丘マルターノでのギグ。マルターノで2007年8月にケイリブ&シャンティが初ライヴをして以来、同店ではコンスタントにライヴを続けてきた。ケイリブは現在もスマップのツアーが続いていて、その合間をぬってのライヴだ。この日は立ち見も出るほどの大盛況。いつも通り楽しいアット・ホームなライヴになった。詳しくは下記セットリストをじっくりごらんいただきたい。[ ] がオリジナル・アーティストである。ほとんど白人ロックのカヴァーではないか。(笑)ビートルズ、ポリース、スティーリー・ダン、トト、ストーンズ、そして、ケニー・ロギンス…。それにしてもケイリブらしいおもしろい選曲だ。 今回は、マルターノ・ライヴにおいて2度目のドラムス入り。今回ドラムスを担当したのは、ジャム・ファンク・グループ、アーブ(URB)のメンバー、山越勉さん。ギターにこのところすっかり売れっ子のマサ・コハマさん、そして、パーカッションはもちろんおなじみゲイリー・スコット。ゲストにニュージーランドからこの4月に戻ってきたという新進気鋭のシンガー、サユリー。 ライヴはファースト・セットもセカンド・セットもつつがなく進み、本編終了後のアンコール1曲目で、ケイリブが最初にピアノで弾き始めた曲だといって、「スパイダーマン」をやりだした。 それを終え、ジョー・ジャクソンの曲を歌ったあと、ケイリブは最後に熱弁を奮った。 「ライヴ・ミュージックを常にサポートしてください。カラオケじゃない。たとえば、ミニ・ディスクをかけて歌っているバーなんかもある。でも、それはライヴ・ミュージックではない。ライヴ・ミュージックは、こうして、リアルなミュージシャンが、その場でリアルに音楽をやり、リアルなシンガーがリアルに歌うことだ。それがライヴです。(拍手)  まず、ここ(マルターノ)の大西さんに感謝をしたい。彼はマサハルがやってる『ソウル・サーチン』やそのほかのギグにやってきて、ライヴをやってくれと頼んできた。彼はこうした音楽をサポートするために、この場を提供してくれた。彼がいなければ、今日のこの会はない、みなさん大西さんに拍手を。(拍手)  横浜にはモーション・ブルーという立派な場所がある。でも、それ以外はかなり…だ。(笑)ここは、値段も高くなく、ちょうどいい。それに、おいしいリアルなピッザ、パスタもある…。ライヴ・ミュージックをサポートするということは、僕の請求書の支払いを助けるだけではないんだ。(笑)あなたたちのためなのだ。 今日、何かとても気持ちいいものを感じたでしょう。(拍手) それがライヴ・ミュージックです。ミニ・ディスクでは感じられないものだ。だから、若い人も、ミドル・エージも、年老いた人も、みんなライヴを見に来てください。(笑) 子供たちも、みなさん、繰り返し来てください。ミュージシャンの演奏に合わせて、手を叩き、足を鳴らし、反応してください。それこそ、ライヴ・ミュージックです。 今、ライヴ・ミュージックは世界的に危機です。そういう意味で、大西さんにこういうチャンスをもらえて、本当に感謝しています。(拍手) そして、ひとつ悲しいお知らせがあります。この『マルターノ』が年末(12月末)で閉店してしまうんです。みなさん、ミュージシャンをサポートするだけでなく、ミュージシャンをサポートする人、大西さんみたいな人もサポートしてください。この『マルターノ』にやってきて、ピッザを食べ、たくさん飲んでいってください。みなさん、ありがとう、感謝しています」 この日はマルターノには随分とミュージシャン関係が集まっていた。こんなにミュージシャンも集まるようになっているのに…。本当に閉店はもったいない。何より、このシックのメンバーのウォール・ペインティングがもったいない。 そして、ケイリブ。「最後に歌う曲はケニー・ロギンスの作品です。『変化Change』がテーマの曲です。まず、あなた自身を変えなさい、そうして世界を変えよう、あなたが変われば、世界も変わる、そんなメッセージをもった作品です。16-7年前に僕の大好きなアーティストのひとり、ケニー・ロギンスが録音したものです。この曲は環境問題や、地球や、人間の健康について歌っています。この曲を今歌うのは、3日後(11月4日)に僕の国ではとても重要な選挙が行われるからです。おそらくアメリカの歴史上、もっとも重要な選挙になると僕は思っています。別にオバマが黒人だからというわけではない。女性も大統領の座にとても近づいた。もちろん黒人も近づいている。今アメリカは大変な時期にいる。アメリカが風邪をひくと、世界がくしゃみをする、といいます。この曲のタイトルは、心の信念、確信(Conviction of the Heart)です」 まさにマルターノにとっても変化の時で、このテーマ曲はマルターノへの賛歌だ。もし、どなたかマルターノ藤が丘店を引き受けてもいい、あるいは、営業したいという希望をお持ちの方がいらっしゃいましたら、ebs@st.rim.or.jp までご連絡ください。(@を半角にしてください) +++++ Conviction Of The Heart 邦題:愛の確信 (written by Kenny Loggins, G.Thomas, intro by Mark Isham) From the Album "Leap Of Faith" Where … Continue reading

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■ワックスポエティックス誌(パート3)~アンドレ・トレス編集長語る~パート2

■【ワックスポエティックス誌アンドレ・トレス編集長語る~パート2】 (今では全世界に8万人の読者を持つ音楽誌「ワックスポエティックス」。その編集長であり、創設者であるアンドレ・トレスがその創刊の経緯を語る。アンドレ・トレス・インタヴュー。2001年、アンドレは雑誌創刊のイメージを現実のものとするため、動き始める。昨日の続き。) ■ 32歳の解雇~紙一重の運命 運命。 雑誌創刊の決意を固めた彼はソフトウェアを売るセールスマンの仕事を朝9時から5時までしながら、オフィースのコンピューターに向かって、インターネットでソウル、R&Bについて書いているライターを探し出し、彼らにかたっぱしからメールを送り始める。「これこれ、しかじか、こんな雑誌を作ろうと思ってるんだが、記事を書いてもらえないだろうか」と。何人かから色よい返事をもらうようになり、徐々にイメージが固まってきたが、昼間オフィースでそんなメールのやりとりばかりやっていることがある日上司にバレる。 「お前、毎日、何やってんだ。ちゃんと仕事をしろ。さもなければ、クビだぞ」 単調な仕事に嫌気がさしていたアンドレは「けっこう、クビでもいいよ」と言い放つ。結局、アンドレはその会社を解雇されてしまう。アンドレ・トレス32歳の夏だった。 彼の最後の出社日は2001年8月4日。そして、彼が毎朝9時までに入っていたオフィース・ビルが、ワールド・トレード・センターの「タワー1」、78階だったのだ!!  それから1ヵ月後の9月11日火曜日、世界の運命が変わった。そして、アンドレの人生も変わった。「僕のオフィースは78階、その上階(93階~99階)がもろ突っ込まれたところだ。僕のデスクから振り向くと外が見えるウインドウだ。そこに(飛行機が)突っ込んで来たんだよ。仕事仲間が何人も亡くなった。もちろん紙一重で命拾いした者もいた。ある男は、ちょうど朝のコーヒーを飲みに44階に降りていた。ある男は、ほんの一服タバコを吸いにやはり階下に降りていた。タバコは健康によくない、命を短くする、と言われる。だけど、その彼はタバコを吸っていたおかげで、少なくとも命が倍以上延びたんだ。タバコが彼の命を救ったんだよ。あれからしばらくは、本当に何もできなかった。茫然自失だ」 一息置いて彼は言った。「もし、解雇されていなければ、僕は今頃、死んでるよ」まさにクビが首をつないだわけだ。 「あれから2週間は本当にゾンビみたいに死んでいた。ちょうどその頃、僕は必死に創刊号の準備を進めていた。だが、よく人から言われたものだ。『誰がいまさら、レコードのことを書いた雑誌なんか読むんだ』とね。(ワールド・トレード・センターの)中にいた連中をみんな知っていたんだからね。で、ふと悟った。僕は今、生きている。それには理由があるはずだ。僕は何をすべきか、なぜ生きているのか。あのビルにその日いなかった理由、今、生きている理由、それは今やりかけている仕事を完成させるためなんだ、とね。僕の人生で次のフェーズ(段階)に進んだ瞬間だった。そこで僕は何をおいてもこの雑誌を創刊させようと決心したんだ」 「9月から12月にかけて猛烈に仕事をした。資金をあちこちから集めた。自分の貯金、2人のパートナーの貯金、両親、友人からの借金、クレジットカードでのローン、何でも現金を集め、印刷所と話をつけ、本の配給システムを作った。たぶん2万5000ドル以上は最初の資金としてあったと思う。初版は5000部作った。売れるかどうかはわからない。売れたとしても、書店からの回収は3ヵ月後、遅いところは半年後だ。だから第2号はそれを全部回収してから作ったから、(発行までに)随分と間隔があいたんだ。実際、創刊号を出す時には、どれほどの需要があるのか、音楽、それもレコードについて、人々はどれくらい知りたいのか、読みたいのか、まったくわからなかったからね。でも、出たら結局すぐに反応はあった」 横でこの話を聴いていたDJコンが、「その話は(ワックスポエティックスに)書いたのか?」と尋ねた。「いや、創刊号には、とてもじゃないが、気持ちを整理できずに書けなかった。だが、第2号(半年後)のコラムでちょっと書いたよ」 必然。 「Everything happens for reasons(すべて物事は必然で起こる)をまさに地で行くような話ですね」と僕が言うと、トレスが笑いながら答えた。「母親がいつも、その言葉を僕に言い聞かせていたんだ。まったく同じ言葉をね。ほんと、何かというとその言葉を言っていた。それまでは、何を言ってるんだ、くらいにしか思わず、全然信じることもなかったけど、あの事件以来、母が言った意味が本当の意味で理解できたよ(笑)」 雑誌の編集などまったくしたことがなかったトレスだが、イメージ、ヴィジョンは確固たるものを持っていた。「いわゆるジーン(ファンジン)と呼ばれるモノクロのいかにもマニア向けのミニコミは作りたくなかった。そういうのは本当に一部の人しか読まない。僕はもっと普通の人に読んでほしい。僕は一時期アートスクールに行っていた。だから、写真はこういう写真、レイアウトはこう、そうしたヴィジュアルのアイデアをしっかりもっていた」 「つまらない雑誌だと読み終わったら、みんな捨ててしまう。だが僕はそんな捨てられてしまうような雑誌は作りたくない。しっかりと読者が保存しておきたいと思うものを作りたいんだ」  「それが何冊も集まれば、百科事典みたいになるような雑誌?」  「その通りだ。しかも、記事もある程度アカデミックな内容で、ちゃんとプレゼンテーションされている記事、そうしたものを載せたい。もちろん自分が(雑誌に)載せたいアーティスト、載せたいレコード、そうしたものもはっきりとしている」 こうして、2001年12月11日、ファースト・イシュー(第一号)が世に出た。911からちょうど3ヶ月のことだった。「創刊パーティーをその日にやったから、よく覚えてるんだよ(笑)」 雑誌が出て、しばらくは書店もこの雑誌の取り扱いに困っていたらしい。トレスが言うのは、「ワックスポエティックス」というタイトルゆえに「詩の雑誌」のコーナーに置かれていたこともあったという。ワックスポエティックスは、直訳すると、「レコードの詩論」、つまりレコードで語られている詩を論じる、という意味だ。そこで、彼らは「これは音楽雑誌だから、音楽雑誌のコーナーに置いてくれ」とアピールしなければならなかった。 横からDJコンが訊いてきた。「最初の4号くらいまで、今いくらくらいするか知ってるかい?」 「さあ、高いとは聞いたけど」 「何百ドルってするんだよ」 2号が出るまでには、創刊号の資金を回収しなければならなかったので、半年以上かかった。それからは、しばらくは季刊(年に4回発行)で出した、そして、ビジネスが順調になって現在のスタイル、隔月刊になった。 つい最近、入手困難となっている最初の5号までの記事から秀逸記事を抜粋した『アンソロジーVOL.1』を発行した。その第2弾も予定されている。 「ワックスポエティックス」誌は好評を得て、順調に部数を伸ばし、現在31号まで刊行、毎号8万部を発行するまでに至っている。同誌のオフィースは、今は古いレコードの再発なども行うようになり、ビジネスの幅を広げている。そして、2008年10月27日、ニューヨークから6000マイル離れた極東の地で日本版が発行された。 雑誌の創刊を思い立った。仕事場で、仕事そっちのけでその準備をしていたらそれがばれて会社をクビになった。だがそのクビになったおかげで命拾いした。雑誌「ワックスポエティックス」創刊は911のその瞬間、運命付けられたのだ。もし上司が心優しい上司で彼をクビにしなければ、トレスは911の犠牲になり、この雑誌は誕生しなかったかもしれない。 Everything happens for reasons. すべては必然の元に…。 ■雑誌・ワックスポエティックス・オフィシャル http://www.waxpoetics.jp/ 日本版創刊号、発売中 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4861134145/soulsearchiho-22/ref=nosim/ MAGAZINES>Waxpoetics ENT>EVENT>PARTY>Waxpoetics Release … Continue reading

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●ワックスポエティックス誌アンドレ・トレス編集長語る~パート1

●【ワックスポエティックス誌アンドレ・トレス編集長語る~パート1】 2001年12月ニューヨークで創刊された音楽誌「ワックスポエティックス」の日本版が2008年10月27日発売された。「ワックスポエティックス」誌はヒップホップ系DJらが使うレコードの元ネタにあたるアーティストらのレコードや、そのアーティスト自身への取材記事などで編集されたマニアックな音楽誌。広く浅くではなく、アーティストを絞り込み、深く入り込んだ記事に定評がある。日本版発売記念パーティーが代官山ユニットで31日に行われ、そこに編集長アンドレ・トレスらが参加。そのアンドレから短い時間だったが30分ほど話を聴いた。 ■ レコード盤に囲まれて レコード収集。 アンドレ・トレスは1969年4月26日ニューヨーク生まれ。現在39歳。実年齢より若く見える。父はブロンクスでジャズ、ラテン、ソウルなどを扱うレコード店を経営していた。幼少の頃、一家でフロリダへ移住。大学を卒業するまで、フロリダにいた。DJなどに興味を持ったのがこの頃だ。 代官山ユニットのカフェでウィルキンソン・ジンジャーエールのドライを飲みながら、トレスが早口で語る。「僕の父が以前レコード店をやっていたんで身近にレコードはいつもたくさんあった。子供のころ、ニューヨークからフロリダに引っ越すとき、全部置いていったんだが、(フロリダに)引越してきたら祖父がまたたくさんのレコードを持っていた。だから僕はいつもレコードに囲まれて生きてきたってことになる。(笑) 1990年代初めに(フロリダの)大学に入るまでは、それほどレコード収集に執着はしてなかった。入ってからかな、いろいろと興味を持ち始めたのは。大学の(校内放送の)テレビ局でヒップホップのビデオ・ショーをやっていたこともある。ニューヨークのヒップホップの歴史的なもの、『Bボーイ』『ヒップホップ』『グラフィティー』『ラップ』『ブレイクダンス』などをフロリダの子供たちに紹介していた。今考えてみると、その頃から僕は音楽の歴史的なものに興味があったみたいだね」 横には、今回DJのためにニューヨークからやってきたDJコンとDJアミールがいる。彼らご一行は木曜に来日、金曜にイヴェントに出演しDJをして朝までクラブにいて、土曜日昼帰る。2泊4日の強行軍だ。 そのころDJパーティーなどでレコードを回すようになったり、ブレイク・ビーツを作ったり、そのレコードを作ったりし始めるようになった。ただ毎週どこかでやるレギュラーDJというわけではなかった。頼まれたらやるという感じだ。 そして1995年、ニューヨークに戻ってきた。アンドレ26歳。アンドレが言う。「ニューヨークはヒップホップの歴史そのものみたいだろう。レコード・コレクターもたくさんいる。そして、みんな知識もある。今ではインターネットでいろいろ知ることができるが、その頃はそうではなかった。今はインターネットのおかげで、世界中ありとあらゆるところに住んでいる連中が、同じことに興味を持ったり、情報を共有できる。おそらく1995年や1990年にこの雑誌を作ろうとしたら、きっと、時期尚早だったと思う。1995年96年のころは、ニューヨークでヒップホップが変化してきた時期だ。ヒップホップがおそろしくポピュラーなものになってきていた。パフ・ダディー…。僕が知っていた古いヒップホップはもはや、なくなっていたんだ。そこで2000年になって、そうした変化のあとを受けて、今こそ雑誌を始めるときだと思ったんだ」 それより少し前、1998年、彼はコンピューターのソフトウェア会社に就職、ソフトウェアを販売するセールスマンとなった。仕事は次第に単調になり、ちょっと退屈になり始めていた。2000年頃になると、趣味のDJなどのほうがおもしろくなってくる。 ドキュメンタリー。 「2000年ごろだった。自分が好きなレコード、興味があるレコード、アーティストについてのドキュメンタリー映画でも作ろうと思いついたんだ。レコードを掘る(diggin=レコード箱を漁ること。古レコード屋などで昔の珍しいレコードなどを漁ること)連中とその周辺のカルチャーにもスポットを当てたドキュメンタリーだ。そこで、いろいろ調べていくうちに、自分が興味を持っているアーティストに関する書物や資料があまりないことに気づいた。それこそ、バーンズ&ノーブル(書店)に行っても、ローリング・ストーンズやビートルズに関する本はたくさんあるのに、ジェームス・ブラウンやスライ・ストーン、そのほかのR&Bシンガーに関する本はほとんどない。だから、僕はレコードのライナーノーツを読むくらいしか(情報入手の)方法がなかった。今言ったメインのアーティスト(の単行本)はあることはあるが、マイナーなアーティストについてはほとんど紙に印刷された資料はないんだ。そこで、そういうアーティストについていろいろな情報が書かれている雑誌があればいいのにと思うようになったんだ」 「レコードを収集し始めていた連中にとってロック、ディスコ、ソウルの初期の作品は、ヒップホップのファンデーション(基本、基礎)となったものだ。それから、サンプリングの手法がでてきた。昔の曲のリサイクルの始まりだ。そこで、僕たちはそうしたアーティスト、サンプリングされるオリジナルのアーティストにフォーカスして記事を作りたいと考えた。僕たちはソウル、ファンク、ジャズの古いレコードをヒップホップのレコードを通じて知ることになったんだ。だからのその元のアーティストについての記事を書くということだ」 「僕もDJをするとき、R&Bや古い曲をかけていた。新しいヒップホップの曲で使われていたオリジナル曲をかけると、みんなはよく知っているフレーズの一部だけでなく、全部を聴ける。すると子供たちが興味を持つ。そこでオリジナルも聴くといいよと教えることができるわけだ」 一体彼はどれくらいのレコードを持っているのだろうか。「ある時期は買って買って買いまくるっていう時期があって、5000枚くらいにはなっていたと思う。だがよく使うレコード、そうでないレコードと、2枚あるものは処分したりして、絞り込んで、最近は3000枚くらいかな。彼ら(コン&アミール)ほどじゃないよ。彼らはヘヴィーだよ(レコード中毒が重症だ、の意味)(笑)」 音楽、特にヒップホップに熱中するようになった彼は、その元ネタの音楽にも興味を持つようになる。ジェームス・ブラウン、ハービー・ハンコック、クール&ザ・ギャング、ロイ・エアーズ、ダニー・ハサウェイ…。そこで、自身で雑誌を作ることを真剣に、現実的に考え始める。2001年にはいってのことだ。 (この項続く) ENT>EVENT>PARTY>Waxpoetics Release Party ENT>MAGAZINES>Waxpoetics

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⊿音楽雑誌・ワックスポエティックス誌日本版登場(Part 1)

⊿【音楽雑誌・ワックスポエティックス誌日本版登場】 マニア。 アメリカ・ニューヨークで発刊された音楽雑誌『ワックスポエティックス』の翻訳・日本版が2008年10月27日発売され、その創刊パーティーが10月31日代官山ユニットでアメリカ版編集長アンドレ・トレス氏らを向かえ行われた。 トレスは、元々ニューヨーク生まれで父がラテン、ジャズなどのレコードを集めていた。本人はヒップホップなどに傾注したが、そうしたヒップホップがサンプリングなどで使う元の音楽に興味を持ち始め、それらを扱う雑誌を作ろうと思い立ち、2001年冬、『ワックスポエティックス』誌を創刊した。現在は隔月刊で2008年8月、第30号がリリースされた。 日本版も隔月(偶数月)発売でB5変形版、約130ページ。定価980円(税込み)、編集発行は株式会社グラントスタイル(GruntStyle)、発売元はサンクチュアリ出版。日本版発行数は4万部の予定。全国主要CDショップ、レコード店、書店などで発売。 当初は新しい記事だけでなく、過去7年分のアーカイブ記事から順次翻訳、編集していく。基本は英文の翻訳で日本編集のページも若干作る予定。第一号ではハービー・ハンコック、ダニー・ハサウェイ、ロイ・エヤーズ、ボビー・ハンフリーなどの記事を紹介している。レコード・マニア向けらしく、ジャケット写真、レーベルの写真などもふんだんに使われる。 10月31日に行われた出版記念パーティーでは、ニューヨークから彼らの仲間でもあるDJのコン&アミール、日本からDJムロらが参加しイヴェントを盛り上げた。 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4861134145/soulsearchiho-22/ref=nosim/ ■ ワックスポエティックス・オフィシャル・ウェッブ http://www.waxpoetics.jp/ +++++ 意気。 この創刊号のハービー、ロイ、ダニーなどの記事の翻訳をした。今年6月ごろ、日本版発行に精力的に動いていた編集長の舟津さんから連絡があり、翻訳を頼まれた。この雑誌についてはほとんど知らなかったが、見てみるととてもマニアックでおもしろいと思ったことと、船津さんの意気に感じて引き受けた。 元々DJをやっていた仲間が集まって作り始めた雑誌ということで、普通の音楽誌ではとりあげないようなアーティストの記事なども多数ある。決して一般受けすることはないだろうが、こういう雑誌がアメリカで出て、その日本版が出るということで応援していきたい。 僕はこの種のアメリカ雑誌などの日本版翻訳については、いかに日本人向けにカスタマイズできるかが鍵だと思っている。残念ながら、まだ創刊号ではそうしたことはできていないが、徐々に出来て発行部数が増えることを祈っている。 創刊号ではハービー・ハンコックの記事がいわゆる第一特集記事にあたるカヴァー・ストーリー。18ページにわたる。しかも、現在68歳のハービーがマイルス学校を卒業、『カメレオン』を出すまでのワーナー時代のほんの3年にだけフォーカスした記事だ。こういうのは、まず日本の雑誌では余裕もなければ、編集マインドもないので、できない。かなり読み応えがある。一方、ダニー・ハサウェイの記事もおもしろいといえばおもしろいのだが、書き手のフォーカスが散漫になっていてちょっと残念。といっても、ダニーについての記事が読めるだけでもよしとすべきなのだが。こういうしっかりした記事を翻訳していると、自分が編集者になったような気分で、ここをもう少しつっこんで書いてくれ、とか、ここは無駄、とか思うことが多々でてきて、おもしろい感覚になる。ダニーの記事に関して言えば、ダニーにインタヴューができないので、書き手にとっては気の毒なのだが…。やはり時間をかけて調査し、インタヴューを重ねて書くと立派なものができる。うらやましいと思った。 自分は翻訳者というより、音楽についてのライター、書き手、ジャーナリストなので、こうやって日々雑文を書き散らしているが、ときに俯瞰して、客観的に文章を見ることが改めて大事だなと感じた。 ぜひ、書店、CDショップなどで手にとってごらんください。 そのパーティーで編集長のアンドレ・トレスと会ってほんの少しだったが話ができた。実におもしろいストーリーだったので、明日以降ご紹介する。彼はなぜ、この『ワックスポエティックス』の創刊を思い立ったのか。雑誌創刊へ向けて動き出した彼に訪れる劇的な運命のいたずらとは。Everything happens for reasons(すべては必然で起こる~すべて起こることには理由がある、そうなるべくして、なる)。彼の人生を変えたターニング・ポイントとは。 明日をお楽しみに。 ENT>EVENT>PARTY>Waxpoetics Release Party ENT>MAGAZINES>Waxpoetics

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