Monthly Archives: July 2004

Harlem Nights III: Bring Your Cake For Lonnie’s Birthday

伝統。 ハーレムというより、どこか南部の小さなクラブあたりで行われる黒人バンドが、昔懐かしのソウルヒットをこれでもかこれでもかとやって、観客を圧倒的に楽しませるエンタテインメント。そんな印象を持ったライヴ・イヴェントだ。日本での知名度はそれほどないにもかかわらず、横浜ランドマークのホール(収容人数約350)で行われるライヴ6回はほぼ売り切れだというから、びっくりだ。しかも、観客層がふだんいわゆるソウル系のライヴに来る人たちとちょっと違っている。年齢層も幅広く、親子での参加も多く見受けられる。告知は、若干の新聞とホームページなどとクラブなどへのフライヤーの配布程度で、おそらくリピーターの人たちが多いのだろう、という。 10年前の1994年に第1回が、そして、昨年第2回が開かれ、今年で3回目になる『ハーレム・ナイト』。自ら「ハーレムのプリンス(貴公子)」と言うロニー・ヤングブラッド(サックスとヴォーカル)を中心に、女性ヴォーカルにミッツィー・ベリー、そして、タップダンサー、オマー・ア・エドワーズらが繰り広げるエンタテインメントショウだ。 セットリストをご覧いただければわかるように、ソウル、R&B、ゴスペル、ブルーズといわゆるブラック・ミュージックの歴史がコンパクトに凝縮されているライヴだ。1部が71分、2部が80分とヴォリュームもたっぷり。 おもしろかったのは、第1部で前日レディー・キムも歌っていた「ホワット・ア・ディファレンス・ア・デイ・メイクス」と「サマータイム」が歌われていたあたり。2日続けて、これらを違うヴァージョンで聴くとは思わなかった。 タップダンサーを見て、セヴィアン・グローヴァーのほうがもっとかっこいいなあ、などと思っていたら、なんとその弟子で、ヒットミュージカル『ノイズ&ファンク』にも出演していた、という。雰囲気が似ていたのだ。もちろん、彼のタップダンスもなかなかのものだ。 休憩をはさんでの第2部は、歌われる作品にレイ・チャールズのものが3曲、さらに、「ニューヨーク・ニューヨーク」、そして、ま、ま、「マイ・ウェイ」まではいり、かなり日本向けの選曲で、単純に楽しめた。 サザン(南部)の香りが漂うそのショウは、とてもフレンドリーで温かみと楽しさにあふれるもの。こういうショウをやってくれるなら、別に有名なアーティストでなくても、まったくかまわない、という気にさせられる。 最後は「ホワッド・アイ・セイ」を、ロニーとミンツィーの歌にオマーのタップダンスを含め、さらに途中には「シャウト」のフレーズなどもいれ、大盛り上がりだ。 ライヴが終るやいなや、メンバーたちはCD即売とサイン会のために、入口にでてきた。それを見て、かつて本牧にあったアポロ劇場でのアーティストたちのサイン会を思い出した。こういう小さな会場でのライヴは、フレンドリーな環境なので、こうやってファンとどんどん交流するのはいいことだと思う。そうした小さな積み重ねが次回の公演へつながる。 そして、タオルで汗を拭きながら立っていたミンツィーさんとちらっと話すことができた。「あなたは、何歳頃から歌っているのですか」 「5歳からよ。それ以来ずっと歌いつづけてるわ」 「最初は教会で」 「そう、もちろん」 「たくさんゴスペルを歌ったんでしょうね。ゴスペルのレパートリーは何百曲とあるのでしょうね」 「オオ・イエー~~。なんでも歌えるわ。影響を受けたシンガー? たくさんいる。サラ、エラ、アリーサ、(何人かゴスペルシンガーの名前を列挙したが、忘れてしまった)・・・」 彼女は今、フロリダ州のマイアミから約2時間のところの街に住んでいるという。そして、小さな彼女(身長150センチ弱)が胸を張って言った。「わたしは、何でも歌えるわ」 楽屋に行って、ロニーと話す機会があった。開口一番彼は言った。「オレがやっているのは、伝統的なソウル、伝統的なR&B、伝統的なジャズ、伝統的なゴスペル、伝統的なブルーズ・・・。そうしたものをみんなミックスして、みんなに見せるということだ。今、若い連中はヒップホップ、ラップを聴くだろう。だが、それはこういう音楽をルーツに持っているんだ。だからそういう新しい音楽を聴いている連中に、元々はこういう音楽がそこにあったんだよ、ということを教えるのがオレの使命なんだな。わかるか」 充分、わかります。 「サックスと歌は、どちらを先に始めた?」と聞いた。すると「サックスだ」との答え。「なぜ?」 「母親がルイ・ジョーダンのレコードを好きで集めててね、その母親を喜ばせるために、サックスを吹くことにしたんだよ(笑)」 そして、彼もありとあらゆる音楽を聴く。ジョン・コルトレーン、ジュニア・ウォーカー、エルヴィスもビートルズも。ジェームス・ブラウン、ジャッキー・ウィルソンなどさまざまなブラックミュージックのアーティストたちのバックも勤めた。ハーレムの名物店「シルヴィアズ」で22年間演奏していた。明日(8月1日)が、彼の63歳の誕生日になる、という。1941年生まれだ。そして笑いながらこう言った。「日曜日には来るかい? 来るなら、ケーキを持ってきてくれ!」 関連ウェッブ。http://www.landmark.ne.jp/index_event_hall.htmlまだ31日と1日にショウがあります。 Setlistshow started 19:01 01. Take The A Train02. Way Back Home03. What A Difference A Day Makes04. Summertime05. Teach Me Tonight06. Stormy Monday07. Amazing Grace08. … Continue reading

Posted in Uncategorized | Comments Off

70s Trio Backed Up Lady K

握手。 この日、成田から到着したばかりの老練な職人ミュージシャン3人が位置についている。いろいろとセッティングに時間がかかる。新宿の老舗ジャズバー、ダグ(DUG)。35席で超満員となるこの店はすでに牛詰状態だ。この夜の主人公は新人レディー・キム。しかし、僕はロイド・メイヤーズ74歳(ピアノ)、ポール・ブラウン70歳(ベース)、クラレンス・ビーン72歳(ドラムス)というこのトリオに、まずは目を奪われた。 彼らがウォームアップの一曲を演奏する。彼らにとって「音楽を演奏するとは」どういう意味を持つのだろうか。本当に朝飯前のように、それぞれがプレイしている。このトリオで演奏するようになったのは、ここ3年程度だという。ただし、それぞれはいろいろなセッションで30年以上の知り合いだ。ドラムのビーンがそう話してくれた。この70ズのトリオは、強力だ。3人の間のミュージシャンシップという絆の強さははかりしれない。 そして「ハウ・ハイ・ザ・ムーン」でレディー・K登場。意外と声は細い。かなり緊張しているのだろうか。でたばかりの新作『レフト・アローン』からの作品を中心に1部、2部に分けて歌った。笑顔がなかなか素敵だで、確かに絵になるシンガーだ。今度は、シャウト系のソウルを聴いてみたい。 終った後、店頭で売られていたアナログ30センチアルバムやCDにサインをしていた。帰り際、ちらっと話をした。「ジャズ以外も歌いますか?」 「え~、今は以前ほどジャズ以外は歌いませんが、ソウル、R&Bも歌っていました。一時期、チャールズ・ネヴィルのバンドにいたこともあるのよ」 「ええ? じゃあ、ニューオーリンズに住んでた?」 「いや、彼らは奥さんと子供たちとボストンにいるの」 別れ際に「ナイス・トゥ・ミート・ユー」と言って握手をしたときの、手の握り方が強かった。 Setlist (incomplete) 2004.7.29 Lady Kim Live At Shinjuku DUG First set show started 20:13 1. (Instrumental)2. How High The Moon3. Since I Fell For You4. Exactly Like You5. Left Alone6. (Instrumental)7. Softly As In A … Continue reading

Posted in Uncategorized | Comments Off

War Of Set Up Of Temperature In The Room

戦争。 最近あちこちで勃発している戦争。その名は、室温設定温度戦争だ! まあ、大企業の大部屋ともなれば、ビル全体のエアコンの室温設定が決まっているので、どうしようもないだろうが、ちょっと小さな部屋でエアコンがあった場合、その温度を何度にするかで、大変な戦いが繰り広げられるのである。 そこにいる複数の人々の体感温度、何度を暑く感じるかは、千差万別だ。だから、あるX度を暑いと思う人は、冷房の設定温度をX-3度くらいにするかもしれない。一方、X度でも寒いと思う人は、設定温度をX+3度くらいにするだろう。これははっきり言って、それぞれの死活問題である。 そんな戦争は、きっと、このうだる暑さが日本列島を覆う中、あちこちで繰り広げられていると思う。実は、そんな戦争が身近なところで起こっている。毎週日曜のスタジオの中だ。(笑) 約2名がかなり涼しいのを希望、設定温度は21度くらい、一方約2名が暖かめを希望で設定温度28度くらい。これはね、妥協ができないんですねえ。(笑) 僕は21度派でして・・・。なんかいつの間にか「むすなあ、暑いなあ」とかって思って温度を見ると、いつのまにか設定温度が28度くらいになっている。もちろん、その場で22度くらいに下げる。すると、どこかの時点で相手派閥が「寒いなあ」って思うのだろう。そして、ふと見ると設定が22度になっているので、さくっと28度に戻す。すると、しばらくしてこっちが「むすなあ、暑いなあ」と思い・・・。と延々、この繰り返しだ。エアコンのスイッチも忙しい忙しいで、きっと大汗かいていることだろう。 で、ふと思うわけですよ。じゃあ、間とって25度にでもしておけば、って。なんで、そうしないんだろう。まあ、人間なんて、そんなに賢くないんだよね。ちなみに、香港なんてあほみたいに寒くて、設定はなんと18度という途方もない温度だそうだ。あれは僕でも寒いと思う。 この戦争に終わりはない。なぜなら人間は賢くないから。過去から学ばないゆえに戦争をするのだ。そして、ここには暑さと寒さの連鎖があるから、戦いは終わらない。宗教問題と同じくらい根は深く、決定的な解決策は見当たらない。

Posted in Uncategorized | Comments Off

Tribute To Stratocaster: Guitar Album

ギター。 ストラトキャスターというギターが誕生して今年で50年だそうだ。そこで、ストラトを使う世界のギターの名手が集まって、ストラトキャスターへのトリビュート・アルバムを作った。その名も『トリブュート・トゥ・ストラトキャスター』(ビクターVICJ61229、2004年8月4日発売)。いろいろな人や、なにか災害などの被災者へのチャリティーなど様々な企画はあるが、ギターに対してのトリビュートはおそらく初めてだろう。 登場ギタリストは、ハイラム・ブロック、ジェフ・バクスター、スティーヴ・ルカサー、バジー・フェイトン、デイヴィッド・T・ウォーカーなど。全15曲。僕が個人的に気に入ったのは、曲でいうと「アイ・キャント・ターン・ユー・ルーズ」と「ア・トリビュート・トゥ・キング」と「リスペクト」。いずれもスタックスのヒット。最初がオーティス・レディング自身のヒット、次がオーティスが亡くなって彼へのトリビュート作。ヒットさせたのはウィリアム・ベル。そして、アレサ・フランクリンの大ヒットでも知られる曲。書いたのはオーティスといった具合だ。 「アイ・キャント・・・」と「ア・トリビュート・・・」は、スティーヴのメインのギターのほかに、デイヴィッドTがサイドをプレイする。「リスペクト」は、ディーン・パークスとデイヴィッドTが参加。そして、ハモンド3をブッカーTジョーンズが弾いている。 このストラトキャスター企画、元々は邦楽アーティストで企画が進んでいたところ、洋楽アーティストでも編集しようということで制作が進んだ。まあ、欲を言えば、これにエリック・クラプトン、ジェフ・ベック、ナイル・ロジャースなどをいれてもらえれば、さらに最高になっただろう。(笑)

Posted in Uncategorized | Comments Off

Anita Baker: Freezed Ten Years Time Is Now Defrosted

解凍。 アニタ・ベイカーがブルーノートに移籍http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200403/diary20040307.htmlしての第一弾アルバムがいよいよ発売される。前作『リズム・オブ・ラヴ』(94年9月発売)以来ちょうど10年ぶりの新作タイトルは、『マイ・エヴリシング』。全米で9月7日発売、日本で9月29日発売。全編のプロデュースはバリー・イーストモンド(ビリー・オーシャン、フレディー・ジャクソンなど)、一曲ベイビーフェイスがてがけた。 全9曲、いずれもかつてのアニタ・ベイカーとまったく変わらないサウンド、歌声を聞かせる。ほとんどすべてのバック演奏は、リアル・ミュージシャンたちとともに同時にヴォーカルをレコーディング。生の音楽を作り出している。そして、生まれたサウンドは10年の年月を瞬時に忘れさせてくれる。それは聴く者を1986年頃に引き戻してくれる。 最初のシングル「ユーアー・マイ・エヴリシング」からいきなりアニタ節全開だ。また、将来的にシングルカットが期待されるベイビーフェイスとのデュエット「ライク・ユー・ユースト・トゥ・ドゥー」も、ベイビーフェイスとのからみが抜群だ。 86年から94年までにエレクトラ・レーベルからリリースされた4枚のアルバムは、いずれも最低プラチナム・ディスク(100万枚以上)のセールスを記録、『ラプチャー』は全米だけで500万枚以上を売った。今度の新作も最低ゴールド(50万枚)、うまくいけばプラチナムになるだろう。アルバムチャートでもベスト3内に初登場しそうだ。 次々とヒットを放った彼女が、94年で音楽活動を休止したのは、1993年に第一子(男)が生まれたため。さらに、約1年後、第二子(男)が生まれ、彼女は子育てに専念。その子供たちが、いまや11歳と10歳になり、彼女は再びキャリアに挑戦し始めた。新譜発売とともに、全米にプロモーションで出向く。さらにヨーロッパへのプロモーションも計画されている。 先週、アニタ・ベイカーに電話で話を聞いた。「今まで、これほどまでのワールドワイドな(同時)リリースはなかった。だから、とても興奮している。と同時に、ちょっと怖くもある。なにしろ、これほど大規模にいっせいにプロモーション活動がされたことはないので」  過去10年彼女は、「家のことで手一杯だった」という。両親が病気になり他界し、子育てがあった。そこから解放された今、新たな第一歩を踏み出す。10年間、音楽の冷凍庫に冷凍保存されていたアーティストが今、解凍されてフレッシュに世にでていく。

Posted in Uncategorized | Comments Off

Fictitious Bill For Both Sides

空手形。 金曜夜、マイ・ソウルブラザーHから飯を誘われる。六本木の牛タン屋が麻布十番の焼き鳥になり、そこでニューヨークみやげのプリンスのコンサート・パンフレットをもらう。かなりの写真がはいった立派なもの。Hは、マジソン・スクエア・ガーデンを2日見たのだが、えらく感激していた様子。前座はなかったという。かなりの良席を確保したようで、「オレの後ろにニコール・キッドマンがいた」と自慢していた。そこでは、キャンディー・ダルファーとメイシオ・パーカーが登場していた、という。 彼は学生時代ドラムをやっていたのだが、最近、なぜか無性にドラムが叩きたくなり、音のでない電子ドラムセットを買い込んだ。次に行った店が西麻布のライヴハウスのような店。ここはちょっとユニークで、ハコバンド(その店専属のバンド)があって、希望の楽器をそのハコバンドの演奏をバックに演奏できる。そこで近々ドラムを叩いてみたいとのことだ。そのハコバンドは6人でヴォーカルもいる。自分がドラムを叩きたいときは、ドラム以外がそこのプロのミュージシャンたちが演奏し、自分で好きにドラムを叩ける。カラオケの楽器ヴァージョンみたいなものだ。 リクエストできる曲がメニューになっていて、そのリクエスト曲と希望楽器をリクエストカードに書いて出すと順番が回ってきて、演奏、あるいは歌えるというシステムだ。ちょうど、その日は女性ヴォーカルや、ドラム希望者がそれぞれの曲を歌ったり、演奏していた。女性ヴォーカルは、ロバータ・フラックの「キリング・ミー・ソフトリー」を歌う。バンドは楽譜を見ながら、簡単にプレイする。そして、次がおそらく40代後半か50代前半のサラリーマン風の男性がドラムで、ドゥービー・ブラザースの「チャイナ・グルーヴ」を叩いた。いやあ、やりますねえ。(笑) そしてまた、次が同じようなタイプの男性で、クリームの「ホワイト・ルーム」のドラムをやった。けっこう、やりなれてますね。(笑) サラリーマンの余興としては、充分すぎるくらい立派です。40代も50代も、充分音楽に親しんでいるなあ、と痛感した。 そして、ソウルブラザーHは、近いうちにここでドラムデビューをするつもりだという。だが、人に見られたくないので、店を身内だけで固めたいとこぼす。そこで、まだ存在しない「前売り券」を買う約束をさせられた。「OK,アリーナなら、4枚くらい買ってやるよ(笑)」 「よし、わかった」と彼。「良席じゃないとダメよ」と僕。席数20くらいの店で、どこが一番良席なのだか・・・。ま、どっちも「空手形」ってことか・・・。(笑)

Posted in Uncategorized | Comments Off

Genius Loves Company: Ray Charles Last Recording

集結終結。 ゴスペル、ジャズ、ソウル、クラシック、ブルーズ・・・。あらゆる音楽がここに集結する。それにしても、ここで歌うシンガーたちみなが、レイのような雰囲気で歌うというのは、やはり影響だろう。 いよいよレイ・チャールズの遺作『ジーニアス・ラヴ~永遠の愛(原題、Genius Loves Company)』が8月18日に日本発売される。結果的にこの作品は遺作となってしまった。アイデアとしてはまったく新しいものではないが、レイがやるという点でなかなかの企画ものだと思う。これだけのデュエット相手を集めたのは、さすがにレイ・チャールズならではだ。 ノラ・ジョーンズは言う。「私はレイ・チャールズのすべてが大好き。彼はなんだって歌えるし、何を歌っても彼の歌になってしまうところが不思議。私の歌を聴いてもらえればわかると思うけど、彼から受けた影響はとても大きい。そんな彼と歌えたなんて、信じられないほど光栄なこと」 ナタリー・コールが言う。「私はレイの音楽を聴いて育ったの。彼は本物のソウルマンだと思う。私の父、ナット・キング・コールが生粋のジャズマンだったように」 ノラが「here we go again~」と歌い、そこにレイの声がかぶさる「ヒア・ウィ・ゴー・アゲイン」からアルバムは始まる。以後、ジェームス・テイラー、ダイアナ・クラール、ナタリー・コール、BBキング、グラディス・ナイト、ジョニー・マティスなどケイ12アーティストとの共演。さらに、隠しトラックにテイク6と歌う「アンチェイン・マイ・ハート」が収録される。アメリカの音楽業界のまさにフーズフーにふさわしい歌手たちがせいぞろいした。おそらくこういうプロジェクトだったら、アメリカのシンガーなら、いや世界中のシンガー、誰もがここに参画したいと思っただろう。それはこのアルバムがヒットするしないにかかわらず、そうしたアーティストが「あの」レイ・チャールズと一緒に歌を歌ったという経験だけで、充分後世に自慢できることだからだ。 レイの葬儀で流された「虹の彼方に(オーヴァー・ザ・レインボウ)」はジョニー・マティスとのデュエット。その意味でも今改めて聴くと、葬儀の模様が、その場に行っていないにもかかわらず、思い浮かぶ。ライナーに書かれたジョニー・マティスの言葉がすべてのアーティストの声を代弁している。 「多くの人が(このアルバムを)大切なものとして、そばにおいておきたくなるだろう。私が得た大切なものは、レイと同じスタジオでレコーディングしたという経験だ。それは私の人生のハイライトになった」 多くのシンガーたちにハイライトを与えたレイ・チャールズの人生は、このアルバムを最後に終結した。

Posted in Uncategorized | Comments Off

Play Without Words: Well Crafted Play With Message

シルエット。 「プレイ・ウィズアウト・ワーズ」をもう一度見た。(2004年7月16日付け日記・参照) 一度目では少しわかりづらかったところも、2度目となると落ち着いてみているため、けっこうわかったりすることもある。細かいところで、ああ、こんな動きをしていたのか、とか、へえ、あそこはこうなってたんだとか、再発見はいろいろある。 しかし、なんと言ってもこの舞台のおもしろいところは、3人1役という設定だ。時に、ひとりのキャラクターを3通りに演じたり、あるときは、2人が演じたり、ひとりになることもある。その時、その時で感情が複数あれば、複数の役者が演じ、この時はこういう思考しかないという時には、ひとりになっていたりする。 そして、細かい動きがひじょうにちみつに計算されている。唯一この中で声が出るのが第二幕のテレビを見ているシーン。そのテレビの音がテープで流される。これらはすべて60年代のテレビ番組だという。そして、そのテレビ番組の内容が、舞台右で演じられる。ゴーゴーにのったダンサーたちが、踊るのだ。テレビ画面は観客席からは見えないが、そこに映っていることが、舞台で演じられている。 一番かっこいいなと思ったのは、最後のシーン。トランペットを台の上に上って吹くのだが、そのシルエットが舞台下からスポットライトが当てられ、じつにきれいに壁面に映し出されるのだ。3人一役だと、一瞬誰を見ていいかわからなくなるときがある。そして、3人の動きを見ていると、目がちかちかしてきたりもする。だが、それでも興味の集中が途切れない。やはり、とてもよく出来た作品だと改めて思った。 そして、言葉のないプレイ(劇)だが、メッセージはしっかりあるプレイだ。 (2004年7月22日・渋谷シアターコクーン=プレイ・ウィズアウト・ワーズ) ENT>MUSIC>LIVE>Play Without Words

Posted in Uncategorized | Comments Off

Now It’s Revealed Who Played Drums On “Spirit”

意外。 ところでこの日記でしばらく前に話題にしたアース・ウィンド&ファイアーのアルバム『スピリット』の各曲で誰がドラムを叩いているのか、という謎でしたが、ついに返事がきました。 http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200406/diary20040630.html アルバムのクレジットには、ラルフ・ジョンソン、フレッド・ホワイト、そして、モーリス・ホワイトの名前があります。僕は、ラルフはほとんどパーカッションにまわるので、それほどドラムは叩いていないでしょう、と考えました。残るはフレッドとモーリスですが、クレジットの書き方からすると、フレッドの方が主たるドラマーのように見えます。また、70年代のライヴ映像などを見ても、ちらっと瞬間垣間見られるドラマーは、フレッドです。だいたいモーリスはライヴではほとんどリード・シンガーとなります。そこで、僕はほとんどの曲はフレッドが叩いているのではないかと推測しました。 返事をくれたのは、ハーブ・パワーズ氏。アースのアルバムのライナーを書いている人物であり、そのハーブがモーリスに確認してくれました。確認に手間取りもうしわけない、と一言あって、送ってくれたリストは—-。 MAURICE PLAYED GETAWAYSATURDAY NITEEARTH, WIND & FIRESPIRITIMAGINATION FRED PLAYED ON YOUR FACEBIYO じゃ~~~ん、ほとんどモーリスじゃないですか!!! 僕がお気に入りの「ゲットアウェイ」のドラムスも、「サタデイ・ナイト」のドラムスも、フレッドではなく、モーリスですかあ。ということは、僕が気に入っていたのはモーリスのドラムということになる。これがわかったから、どうなるってものでもないんですが。(笑)  それにしても、な~~るほど。そうですかあ。これは感慨深い。いや、意外だった。以前、スティーヴィーの「ドゥ・アイ・ドゥ」のドラムスが、スティーヴィー本人だと知ったときと同じくらい衝撃を受けました。こうなると、全アルバムの正確なクレジットが知りたくなりますねえ。でも、一枚一枚聞いたらあきれられますよねえ。ま、とりあえず、今日のところはここまでにしておきますか・・・。

Posted in Uncategorized | Comments Off

The Blues Movie Project: The Hot Summer Of The Blues

ブルーズ。 まさにブルーズの暑い夏、といったところか。この日記でもすでに何度か紹介しているマーティン・スコセッシ総指揮のブルーズのドキュメンタリー作品の公開日、劇場などが決まった。 2003年9月28日付け日記。http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200309/diary20030928.html 2004年4月14日付け日記。「ソウル・オブ・マン」を見て。http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200404/diary20040414.html 繰り返しになるが、ちなみに、7本の作品は次の通り。 『フィール・ライク・ゴーイング・ホーム』(マーティン・スコセシー監督)『ザ・ソウル・オブ・ア・マン』(ヴィム・ヴェンダーズ監督)『ザ・ロード・トゥ・メンフィス』(リチャード・ピアース監督)『ウォ-ミング・バイ・ザ・デヴィルズ・ファイアー』(チャールズ・バーネット監督)『ザ・ゴッドファーザーズ・アンド・ソンズ』(マーク・レヴィン監督)『レッド・ホワイト&ブルーズ』(マイク・フィギス監督)『ピアノ・ブルーズ』(クリントン・イーストウッド監督) それぞれの作品の公開場所、時期は次の通り。 8月28日よりヴァージンシネマズ六本木ヒルズにて公開『ソウル・オブ・マン』 監督:ヴィム・ヴェンダース <関西地区>秋、梅田ガーデンシネマ他にて公開決定 8月28日より吉祥寺バウスシアターにて、レイト公開 ※4本の特集上映となります <ブルース天国> 8月28(土)~9月10日(金) 『レッド、ホワイト&ブルース』 20:45~22:18   監督:マイク・フィギス9月11日(土)~9月24日(金) 『ロード・トゥ・メンフィス』 20:45~22:17   監督:リチャード・ピアース9月25日(土)~10月8日(金) 『デビルズ・ファイヤー』 20:45~22:18   監督:チャールズ・バーネット 10月9日(土)~10月22日(金) 『フィール・ライク・ゴーイング・ホーム』 20:45~22:07   監督:マーティン・スコセッシ 10月下旬、シブヤ・シネマ・ソサエティにて公開『ゴッドファーザー&サン』 監督:マーク・レヴィン また、劇場公開はされないクリント・イーストウッドの『ピアノ・ブルース』は8月15日にWOWOWでのオンエアが決定している。 +++ プリミティヴ。 7本のうち、『フィール・ライク・ゴーイング・ホーム』を見た。これは、スコセッシが監督したもの。これは1969年生まれのブルーズ・アーティスト、コリー・ハリスがガイドして、アメリカ南部のデルタ地帯から、はるか西アフリカのマリ共和国まで飛ぶ。もともとフランス領だったマリでは人々はフランス語を話す。そこで見せられる音楽はひじょうにプリミティヴ(原始的)だ。こういう音楽を見ていると、アフリカへ行きたくなる。ブルーズのルーツを辿って、アフリカへ旅するというところが、なかなかいい感じ。 広大なコットン・フィールズ(綿畑)に多数の黒人労働者が必要だった、そこでブルーズが生まれた、という簡単な説明は、その綿畑を見せられると簡単に納得できる。おそらく文字からはわからないことが、そこに行けば一瞬にして体感できるのだろう。そして、それを映像で見せられると理解が簡単になる。ドキュメンタリーの力だな、と思った。 昨年(2003年)、アメリカの上院が「イヤー・オブ・ザ・ブルース」と認定した。これは1903年にブルースの作品が初めて楽譜化されたときから百周年、というためだ。その一環で、ブルースに関する様々な企画が世にでた。このドキュメンタリー・プロジェクトは、その中のひとつ。関連CD、DVDなどもたくさんでた。こういうことに税金を使うのは、大賛成だ。ブルーズやブラックミュージックのルーツや歴史に興味ある方は是非。アカデミックにお勧めです。

Posted in Uncategorized | Comments Off

Lady K Sings Lady D

レディーK。 それにしても、39度超えですか。半端じゃない暑さです。なんにもしなくても、だるくなって疲れるような気がしますね。こんな時は、クールなジャズ・ヴォーカルでもCDプレイヤーにいれて、涼をとりましょう。 このところ密かにヘヴィーローテーションになっている一枚のCDがある。(別に密かに聴く必要なんかないんだが=(笑)) レディー・キムという名の女性ジャズ・シンガーの『レフト・アローン』(ヴィレッジ・レコード VRCL18818, 2004年7月22日発売)というアルバムだ。 なにに惚れたかというと、実はまずそのジャケットなのだ。彼女が正面を見ているシンプルなアートカヴァーなのだが、この色合い、雰囲気、すべてが一昔前の「ジャズの名盤アルバム」の匂いがするジャケットになっているのだ。ジャケットからして、名盤の資格をもつ、というか。 レディー・キムは本名キンバリー・ゾンビックといいアメリカ、メイン州の生まれ。20代後半から30代と思われる。ソロとしては、これがデビュー作となる。これまでに、友人と組んでいたグループ、スタッシュ、ライヴ・オン・ザ・プラネットなどでレコーディングしインディで発売している、という。90年頃からライヴ活動を始め、2001年にミュージカル『レディ・デイ・アット・エマーソンズ・バー&グリル』の主役に抜擢され、ビリー・ホリデイの作品を歌った。 彼女の歌声、そして、レパートリーがレディー・デイのものがあり、ビリー・ホリデイを彷彿とさせる。オープニングの「レフト・アローン」からいきなりやってくれる。「シンス・アイ・フェル・フォー・ユー」のクラシックもいい感じ。声も実に落ち着いていて、表現力もあって、聴きやすい。 バックはドラムスがクラレンス・ビーン、ベースがポール・ブラウン、ピアノがロイド・メイヤーズのトリオ。「ルック・アット・ミ~~~」という歌から始まるのはおなじみ「ミスティー」。途中のトリオの演奏も、大人の夜の雰囲気を醸し出す。僕は彼女をレディーK(ケイ)と呼ぶことにしましょう。ジャズ系女性ヴォーカルがお好きな方にはお勧めです。

Posted in Uncategorized | Comments Off

Taxi Driver In Okinawa Talks: There’s No Longer A-Sign Bar

象徴。 「『Aサイン・バー』というのは、もうないんですか」 タクシーの運転手さんに尋ねると、彼はまくしたてた。「ああ、今はもうないよ。あれは、昔のものだからね」 沖縄の郷土料理を食べた後、若干飛行機の出発時刻まで時間があったので、市内をタクシーで回ってもらうことになった。沖縄・国際通りを走らせながら、運転手さんは沖縄の話を続けた。 「あれは、アメリカ軍の兵隊たち用のものだからね。昔は円が安かったろう。(1ドルが)300円時代は賑わってたよ。兵隊たちも街にでて遊べたんだけどさ。(1ドルが)200円を切ったあたりから、だんだん来なくなったよね。もう今は、120円かい、だめだよ。だから、そういうバーはみんな店をたたんだか、日本人向けに変えたりしてね。兵隊目当ての女とかもいてね。そういう怪しげな店もあったさ」 「Aサイン・バー」という言葉を知ったのは、武蔵小山のソウルバー「ゲッコー」でのこと。看板のないその店の唯一のサインが、Aと書かれた裸電球だ。マスターに尋ねたら、沖縄の「Aサイン・バー」のことを教えてくれた。簡単に言えば、アメリカ兵用のバー、ということ。そこで、タクシードライヴァーにそのことを訊いたのだ。 タクシーの窓は閉めきってクーラーが効いているが、外気はむっとした湿度と温度で、完璧なアジアそのものだ。「野球の〇〇ね(実際は実名)、あれはアメリカの兵隊とこっちの人間との間に生まれた子なんだよ。奴はお父さんに会いたくてメジャーリーグ行ったんだ。むこうに行って有名になれば、父親が会いに来るんじゃないかって考えたんだ。で、2年目かなんかに、会いに来たらしいじゃないか。アメリカの兵隊が父親で、母親がこっちのそういう店で働いてたっていう話はたくさんあるよ」 へええ、それはまったく知りませんでした。 国際通りの店の雰囲気はどこか、タイとかシンガポールとか、アジアちっくな感じとアメリカ的雰囲気が交差する。ところどころ、英語の文字が躍る看板などもあるせいか。「この辺は、観光客向けの店ばっかりだよ。地元の人は、ここら辺じゃ買わないね」 地元に根付いたタクシー・ドライヴァーの話は、いつもおもしろい。ちょっと古めの店の並びに、ぽっかりとスターバックスがあった。これもまた、アメリカの現代の象徴。 瞬間の沖縄体験、それは、七夕の強行日帰りの一幕だった。

Posted in Uncategorized | Comments Off

Pledges, Fireworks, Lives Over Sleepless Nights

公約。 土曜日映画『モゥモ・チェンガ』上映会の後、なぜか頭痛が激しくなった。次は恵比寿のガーデンプレイス。ジョーのライヴだが、行く途中、マツキヨで頭痛薬を買い、がっとのむも、なかなかすっきりしない。7時半スタートのライヴ、会場に着いたら7時50分くらいだったが、まったく始まる気配なし。客層はだいたいいつもと同じ感じ。R&B好きのBボーイ、Bガール風多し。 しかし、ぜんぜん始まらず、結局始まったのは1時間以上遅れて8時37分。こちらは頭痛最悪で、まったく集中できず。しかし、1時間以上も遅れるな。セットリストはもらったのだが、後半にバラードの連発部分があってひじょうに後ろ髪を引かれたが、次の予定もあったのと、体調不良により9時過ぎに退散。ライヴとしては、基本的には前回と同じ感じ。ギター、ベース、ドラムス、キーボード二人、ダンサー4人にジョーという布陣。今回はけっこう音もでて、彼の歌もよく通っていた。前回のライヴ評でも見てください。これで、新春放談のテーマを思いついたんだった。(笑)  http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200312/diary20031213.html 土曜深夜、1時過ぎ。白金ボヘムのテラスでお茶をしている頃、やっと頭痛がなくなり始めた。薬のんでから6時間以上、かかった計算。きかないなあ。その後帰宅し、FM横浜の『ミッドナイト・ラヴ』を聴きながら、18日付け日記と日曜の準備。そういえば、『ミッドナイト・ラヴ』のマグロ・ブラウンさんがダニー・ハザウェイのライヴを紹介していたので、「ソウル・サーチン」で紹介する曲をダブらないように選ぶ。そして、選んだ曲は「イエスタデイ」と「ヒー・エイント・ヘヴィー、ヒーズ・マイ・ブラザー」。 日曜午前、白金メゾンカイザーでいつも通りいろいろパンを買い込みインターへ。今日はなんとトマト入りのパンとウコンが入ったパンが新製品としてでていたので、思わず買う。最近はスタッフ間でも異様なほどのカイザーパンの人気だ。しかし、おいしいパンだ。 「ソウル・サーチン」のコーナーでダニーのライヴから「イエスタデイ」をかけている間、DJマーヴィンはヘッドフォンをつけ、目をつぶりじっくり聴いていた。そして出た言葉が、「これはいいですねえ。涙がでますね~~」。久々登場アシスタントのYは、「うわあっ、これ、ソウルになってる! 買う買う」 ほんとだね。 昨日、レイラ・ハザウェイの新作アルバムが9月に全米発売されるというニュースを入手。タイトルは「アウトラン・ザ・スカイ」。ジョー・サンプルとの『ソング・リヴズ・オン』が99年なので、5年ぶり。その前の本人名義のアルバムだと94年の『ア・モーメント』以来10年ぶり。なんとこのアルバムの中にはルーサーに捧げる「フォーエヴァー、フォー・オールウェイズ、フォー・ラヴ」が収録されるという。ルーサー自身の82年発売のアルバムタイトル曲でもある。「アウトラン・ザ・スカイ」ってどういう意味なんだろう。直訳すると「空を越えて」「空の範囲を越える」といったところか。意訳すると「空の彼方に」とでもなるのかな。「ザ・スカイ・イズ・リミット(空に限りなし=無限、際限なし)」と似てるニュアンスかもしれない。ルーサーの同曲はしっとりとしたスローバラード。レイラにもぴったりだ。 夕方6時過ぎ、前日と同じく恵比寿ガーデンホール。今度はクリスティーナ・ミリアン。こちらは、ドラムスとDJだけというバンドがないステージでちょっとびっくり。客層は前日と似ているが、若干女子比率が高いか。本人登場したら、ほんと顔小さい。かわいい。4人のダンサーを従え、まるで「ミニ・ジャネット・ジャクソン」。日本語でのMCもなかなかかわいく、これは受ける。 その後、ちょうど急遽夜の予定がキャンセルになったというソウルメイトTとともに、公約の横浜ルーサーへ。向かうはいいが、なんと首都高、この日花火大会でベイブリッジの1キロ以上手前から渋滞中。時折、橋の向こうに花火が見える。う~~ん、まあ、花火見えればいいか。1キロ行くのに30分。ベイブリッジの頂上あたりで、ちょうど花火に最短距離になった。音もどんどんずしんずしん聞こえてきて、かなり花火満喫。本年初花火。しかも、フィナーレの瞬間、一番距離的に近かったようだ。超ラッキー。おそらく、これは計算しても計算できないようなタイミングだった。渋滞もよしとするか。(笑)  軽く本牧で食事をしてルーサーに向かうが、その道も花火の余韻渋滞か、かなり時間がかかる。そして、ようやく到着。ちょうどオッシーがチェンジをかけていた。無事公約を果たせましたです。(笑) タップダンスは出来ませんが・・・。土日は花火、ライヴ2本、映画、公約達成などなどで睡眠不足です。(苦笑)

Posted in Uncategorized | Comments Off

Movie “Moumochennga” : An Old Lady Talks About The Facts Of Life

(映画『モゥモ・チェンガ』の紹介です。若干ネタばれになりますので、これからご覧になられる方はあなたのリスクにおいてお読みください) +++++ 悠然。 チベットという国は、1959年以来、中国が不当に支配している。国連も動いてるようだが、遅々として自由になっていない。チベットに住んでいた人たちの何人かは、隣のネパールに逃げ、難民キャンプでの生活を余儀なくされている。そんな難民の一人である老婆に焦点を当て、その人の日常を淡々に描いた映像作品が『モゥモ・チェンガ』(岩佐寿弥・監督、自由工房・製作、104分、2002年作品)だ。 BBSでフレーテさんが紹介してくれ、昨日見に行った。映画上映の後、岩佐監督のお話もあり、なかなか興味深かった。「モゥモ」はおばあさん、「チェンガ」は満月を意味する。満月という名のおばあさん、ということになる。 岩佐監督によれば、5年ほどまえに奥様とインド、ネパールのほうにトレッキングに行ったときにチベットの人と知り合い、徐々にその国と人々に惹かれていき、この作品を作る決意をした、という。チベット、ネパールというテーマだとなかなか大きなメディアが取り上げてくれないので、このままだと公開されずに終るのではないかとも危惧されている。 内容は、その「モゥモ・チェンガ」が自分の人生、家族、宗教観などをただひたすら語る。ここでは吉行和子さんがモゥモ・チェンガの一人称でナレーションをこなす。40年前に起こった出来事をどのように知ったか、いかにしてチベットからネパールに逃げてきたか、信仰がどれほど大事か、身近な人々の死に接してどう対応するかなど、人生のあらゆる事象(Fact(s) of Life)をひじょうにゆっくりした時の流れの中で、ただ淡々と語る。一言で言えば、この作品は、何人もの候補からこのモゥモ・チェンガを岩佐監督が探し当てた瞬間、勝利の半分を獲得した。このモゥモ・チェンガはしっかり地に足をつけ悠然に人生を生きている。その生き方は多くの現代人にインスピレーションを与える。 僕は、この老婆のすべては信仰が基盤になっていると感じた。そしてその信仰の頂上にダライラマがいる。必ず時計と同じ回りで何度も寺の周囲を歩いて回る朝夕のお寺参り。五体投地(ごたい・とうち)という神をうやまう儀式、一日中唱えるお経のようなもの。 いくつか印象に残るシーンがある。正月の食事のシーン。これなど、この「ソウル・サーチン」的な切り口で言えば、映画『ソウル・フード』の主人公ビッグママが、まさにモゥモ・チェンガだ。 選挙のシーン。モゥモ・チェンガは字が読めない。だが、候補者のことを友人たちに聞き、考え、自分で判断し、ちゃんと「投票」する。ところが投票と言っても字が読めない、書けない。どうするか。投票用紙には候補者の名前、宗教的な印が書かれていて、その印を見ると、誰かわかるようになっているという。(若干、この表記は正確でないかもしれませんが、要は字が読めなくてもわかるようなシステムが出来ているということです) そして、拇印(ぼいん)を押す。一度拇印投票した指にはマジックか何かで投票済の印が書かれる。その投票用紙を投票箱にいれるとき、モゥモ・チェンガは両手を神妙に合わせてお祈りする。選挙がこれほど神妙に見えたことはなかった。先ごろの日本の選挙と比べ、ずいぶんと対照的だな、と感じた。 モゥモ・チェンガの話は基本的にはすべて過去の話、昔話だ。そこから得られる人生の教訓は現代に通じる価値のあるものだ。しかし、たったひとつだけ、未来に思いを寄せる瞬間があった。 モゥモ・チェンガは親戚に誘われ、ダライラマに会いに行くことを決意する。ネパールからインドへ入り、その目的地・インド北部ダラムサラまでの旅は列車、バスなどで4日間かかる。長い長い旅だ。こんな長い旅をしたのは、おそらく彼女がチベットからネパールへやってきた時以来だろう。何百人という人々がダライラマに会うために長い行列を作って待っている。少しずつ進み、ついにモゥモ・チェンガの順番がやってきた。 小さなモゥモ・チェンガにダライラマが優しく声をかける。「チベットには帰ったのか」「一度も帰ってません」 一言二言あってモゥモ・チェンガは言った。「いつチベットは自由になるのでしょうか。私は心が痛んでいるんです」 モゥモ・チェンガの目にはその時、涙が光っていた。 トークショウで、岩佐監督は「こういう作品を作ってきた者として、実は作っている時から、そのことだけはどこかで言って欲しいと思っていたんです。でも彼女は普通に話をしている時は、絶対にそのことを言わない。ずっと思っていたけれど、僕は(彼女にそれを言ってくれとは)結局言わなかった。だから、彼女があの場で言ってくれたときには、本当によかったと思いました」と振り返った。 例えば全編をモノクロの映像にして、あの言葉がでる瞬間だけをカラーにするなんてこともできるくらい、力のある言葉だった。 40分近くのお話の後、質疑応答があったので、「監督がこの作品でもっとも伝えたかったことはなんですか。そして、伝えたかったけれども、伝えられなかったことはなんですか」と尋ねた。「伝えたかったことは、今お話したことすべてなのでそれを繰り返すのはちょっと・・・。ただ伝えられなかったというか、ひっかかっていることは、ナレーションのことです。一人称で、彼女の言葉を、外国人が自分の言葉として話すのはどうなものか。ただ、どうやればいいのか、何がいいのか、まだその点はわかりません」と答えられた。 これは技術的なことになるが、僕は日本語の一人称ナレーションは基本的にはいいと思う。ただ、もうひとり、プログラム全体の進行を担当する男性ナレーションがいてもいいかと思う。あるいは、話の聴き手が表にでてくるという方法もある。監督が質問してもいいし、インタヴュワーを立ててもいい。そのほうがよりフォーカスできる。 岩佐監督はこうも付け加えた。「他の現地のスタッフや出演者は、撮影が進むにつれ、カメラとの距離感も縮まってきたり、慣れてきたりした。だが、モゥモ・チェンガ、彼女だけは最初から最後までカメラとの距離も何もかもすべて同じだった。最初に会った時と同じありのままの姿で。僕は元々なんでも疑り深いタイプなんで、何か正しいことを言われても、『どうなんだ?』なんて思うのですが(笑)、彼女に正しいことを言われると、『本当にそうなんじゃないかなあ』と思わせられてしまうんですよ」 そして、監督はモゥモ・チェンガについてこう一言でまとめた。「彼女は、別に(その地域の)リーダーでも、リーダーとなろうとしている人物でもなんでもないんですよ。でも、誰もが、みんなが彼女のことを尊敬している」 ネパールに仮住まいしているチベットのビッグ・ママ、モゥモ・チェンガ。体は小さい彼女の悠然たる平然とした佇まいは、世界の山脈ヒマラヤと同じくらい大きくて堂々としたものだ。彼女がヒマラヤを越えて再びチベットの街に戻れる日が来るのはいつのことだろうか。彼女がチベットに戻る日こそ、物語が完結する日だ。モゥモ・チェンガの物語にはすばらしい「エンドマーク」がつくか、それとも未完のまま終るか。それはダライラマにもわからない。本日記では、モゥモ・チェンガにこの曲を捧げる。 ダニー・ハザウェイの「サムディ・ウィル・オール・ビー・フリー」(いつの日にか、私たちはみな自由に)。 +++++ 映画紹介 「モゥモ チェンガ」自由工房作品 ・キネマ旬報2004年4月下旬号よりhttp://www.tibethouse.jp/event/2004/kinema_article.html 「モゥモ チェンガ」 製作の動機。(岩佐監督の文章)http://www.jiyu-kobo.com/moumochennga.html (映画『モゥモ・チェンガ』、自由工房、2002年。一般公開予定はなし。映写会などについては自由工房へ) ENT>MOIVE>REVIEW>Moumochennga

Posted in Uncategorized | Comments Off

Live Music By The Sea: Acoustic Is The Key

借音。 雨が降ったかと思えば、晴れたり、雨が降りつつ日はばりばりに照っていたり。よくわからない天気だったが、首都高湾岸線は順調。目的地は、葉山の海の家「ブルームーン」。ソウルメイトNがなんとそこでライヴをやるというので、ソウルメイトMとともにライヴへドライヴ。 東京からちょうど1時間。高速が混んでいないので実にはやい。逗葉新道から134号にはいり、しばらく走るとボンジョルノのところを右折した。懐かしいなあ。ほぼ現着というところで、Nから電話。「あの~~、近くに薬屋さんがあったら、虫刺されのムヒかなんか、買って来てもらえませんか? すっごい刺された」 ちょうど斜め向かいに「ドラッグストア」が忽然と登場。ムヒをさくっと買い、少し戻って車をいれるは駐車場。 近くの人に店の場所を聞くと、海に降りてすぐのところにある、という。ゆっくり歩いていくと徐々に海の音が聞こえてきた。それまでまったく波の音がしなかったのに、階段を3段くらい降りると砂浜が広がり、いきなりその横に大きな海の家が忽然と姿を現した。すでに日が暮れ始め、100席はあろうかという海の家も混み始め。 海からの風が実に気持ちいい。あまり大きな音が出せないということで、アコースティック系のライヴが多いようだが、ちょっとした発見。それはここでの最大の音のスターは、なにあろう、波ということだ。ちょっとステージから離れたところに座っていると、演奏、歌は魅惑的、間断なく岸に寄せる波の音がかぶさって、実に効果的。 Mが言う。「いやあ、気持ちいいねえ。昔大学時代一年くらいハワイにいてさ。毎日、こんな感じよ。ちょうど同級生の別荘がハワイにあってそこで、サーフィンやっちゃあ、てれてれして。でも一年で飽きたね。(笑) っていうか、こういう感じだと、何にもしたくなるでしょう。なんでもよくなってきてさ~。これは、人間だめになっちゃってヤバイと思ったよ」 おっしゃる通り、こんな海風にあたって、ぼ~としていたら、労働意欲というものはまったくなくなる。なんでもよくなってくる。いやなことも忘れられる。海風当たれば波風立たず~。 N曰く「日没のころ、最高に気持ちよかったですよ~~」。 確かに、これは日が暮れるあたりは、サイコーの感じだろう。今度来る時は4時着くらいがいいのかな。海の家でライヴ音楽・・・。ミニー・リパートンが「ラヴィン・ユー」をスタジオで録音していた時、どうしても何かが足りないと思った。それは、自宅でその曲を何度もかけていた時に聞こえていた庭から聞こえてくる鳥の鳴き声がはいっていないことに気付いたのだ。鳥の鳴き声を加えたその作品は見事にヒットした。この海の家で流れる音楽はすべて波音という最高のアコースティックのオーケストラを従えている。借景ならず、借音だ・・・。

Posted in Uncategorized | Comments Off

Play Without Words: Watch It With Three Eyes

三重眼。 ひとつの現象を裏と表で見る。それがダブルサイド・レヴューなら、このダンスショウは、ひとつのレンズで3つの絵が見える特殊レンズを通して見ているライヴのようだ。 ロンドンで演じられ、人気を集めたダンス・ライヴ・ショウ『プレイ・ウィズアウト・ワーズ』。これを演出・監督しているのが、ロンドンで注目の振付師マシュー・ボーン。トークショウを含むマチネを見た。 僕はこのあたりにはまったく知識がなく、たまたまダンサーのソウルメイトTに強力に勧められたので行ったのだが、一言で言うとクラシックダンスとモダンダンスの中間的な雰囲気。そして、タイトル通り、演技者(つまりは、ダンサー)のセリフは一切ない。ストーリーを知るために、会場に着くなりパンフレットを買い求めた。 簡単に言えば、イギリスの青年貴族アンソニーとそのフィアンセ、グレンダ、そしてアンソニーのところにいる召使いたちの物語。イギリスは階級社会が厳しく、その階級間には越えられない溝があるが、それが男女間の性によって崩れていくという展開だ。二部構成で、特に第二幕のセンシュアルなシーンは息をのむ。 そして、このプレイのもっとも特徴的な点が、一人の役を3人が同時に演じるということだ。アンソニー役も、グレンダ役も、召使い役も、みな3人いる。つまり、一人の違う心模様を複数の演技者が同時に演じる。しかも、そこに時差もある。アンソニーのある瞬間の心模様をAが演じているのと同時に、Bが少しその後の心模様を演じていたりするのだ。 最初一役3人というのが、どういう風になるのかまったく見当がつかなかったが、舞台を見れば、その違いが一目瞭然だった。なるほど、としかいいようがない。 これは、1963年の映画『召使』を見たマシュー・ボーン監督が、それにインスパイアーされて作った作品。したがって雰囲気が60年代の空気になっている。 この日はショウが終わり、出演者たちのトークショウがあった。観客との質疑応答もあったが、「この作品を2度以上見ている人」という質問に、20人位の人が挙手をしたのには驚いた。かなりコアなファンがいるようだ。 質問の中でおもしろかったのは、とあるシーンについてのこと。そのシーンとは、一人が洋服を脱ぎ、もう一人が洋服を着るという部分。この二人が同時にやる。一人はスーツを着ていて、徐々に洋服を召使に脱がされ最後下着一枚になる。一方もう一人は、下着一枚から徐々に洋服が着せられていく。これを同時進行でやるというおもしろい演出だ。そして、洋服を脱いだ方がシャワーに入るのだが、その時、彼は靴下を履いたままシャワーに行くのは、なぜか、という質問だった。 この質問には出演者、会場からも笑いが漏れた。答えは「それがイギリス式なんだ(笑)」というジョークから、「出演者の足が臭いんでね(笑)」といった答えもでたが、なかなかおもしろいやりとりだった。 しかし、一人の役を3人が演じるというこのアイデアは、ひじょうにおもしろい。それと音楽は5人組のバンドが生演奏していた。 (7月25日まで。公式ウェッブ↓) http://pww.jp/index2.html (2004年7月15日木曜、シアター・コクーン=ダンスショウ『プレイ・ウィズアウト・ワーズ』) ENT>LIVE>DANCE>Play Without Words

Posted in Uncategorized | Comments Off

Receiving Spam Mail About Get Rid Out Of Spam Mails

スパム。 ほんの1週間前から急に、携帯のメールアドレスに、いわゆるジャンクメールが来るようになった。ほんとに突然、という感じだ。似たりよったりのメールなのだが、1日2-30通は来る感じ。前回、こうしたメールがあまりに多くなって半年ほど前の1月22日にアドレスを変えた。それから半年持たずに、またこれか、というところ。もう変えようとは思っているのだが、そのお知らせがめんどくさくて、まだやっていない。一日に一回ひたすら削除しているが、それすらめんどくさい。 一方、パソコンのアドレスには、それこそ星の数ほどのジャンクメール、スパムメール、そして、ときにウィルス付きのメールが来る。一応、ウィルスソフトをいれているので、ウィルスは基本的には削除されているようだが、完璧かどうかはわからない。なんか最近、パソコンの動きが遅いような気がしないでもない。 ジャンクメール、スパムメールはフィルターで「めいわくメール」に自動的に仕分けされているから、まあいいが、今度はときたま、ちゃんとしたメールがそっちに仕分けされてしまったりすることもあるので、一応は差出人くらいはそれも見なければならない。 それと、最近は自分の知らないうちに、迷惑メールを送っているということもあるみたいだ。たまに、自分のアドレスからのメールが「あて先不明」で戻ってきてたりする。もちろん、送った先に記憶はない。僕のアドレスを勝手に使われたのか、あるいは、僕のPCが踏み台にされて大量にジャンクメールもしくはウィルスメールが発信されたのか、わからない。万一、僕のアドレスからそのような怪しげなメールが届いたら、削除してください。 ま、このスパムメールというのには、本当に悩まされているのだが、これもネットの利便性を享受するための必要経費かとも考えているのだが、先日、おもしろいメールが届いた。 それは、こんなメールだ。 Better than all other Spam filters – Only Delivers The Email You Want! This is the ultimate solution that is guaranteed to stop all spamwithout losing any of your important email! This system … Continue reading

Posted in Uncategorized | Comments Off

Earth Wind & Fire: The Video Collection: Live By Request

リクエスト。 アース・ウィンド&ファイアーのヴィデオ・クリップなどを集めたDVDが来日にあわせて9月に発売されます。タイトルは『ザ・ビデオ・コレクション』で、DVD2枚組。全部見るとおよそ162分、33曲というかなりのヴォリュームですが、これがなかなか楽しい。 1枚はこれまでのいわゆるPV(プロモーション用ヴィデオクリップ)集。「サーパンティン・ファイアー(太陽の戦士)」から、「ブギワン」、「ヘリテージ」などまで。さらに81年から83年の間に行われたと思われるライヴから「リーズンズ」などの映像も含め計17曲はいってます。ここにはモーリス、ヴァーディンを始め、ラリー・ダン、ローランド・バティスタなどの顔も見えます。 一方2枚目は、アメリカのケーブルテレビ局A&E(アーツ&エンタテインメント)チャンネルで99年7月に放送された番組『ライヴ・バイ・リクエスト』(約92分)をそのまま収録してあります。これは、初めて知ったのですが、音楽ファンにとってはかなりいい番組です。進行は、ひじょうにシンプル。 http://www.livebyrequest.com/ ニューヨークのスタジオから生放送。アーティストを招き、そこに観客をいれ、全米から電話などでリクエストを募り、リクエストをしてきた視聴者と電話でつなぎ、彼らのリクエストをその場で生演奏するというもの。ラジオ、インターネットでも同時放送しています。というわけで、番組名がずばり『リクエストによるライヴ』。 ちなみに、このときのアースは、フィリップ・ベイリー、ヴァーディン・ホワイト、シェルドン・レイノルズ、ラルフ・ジョンソンの4人。ここにはモーリスは残念ながらいません。バンドメンバーは、モリス・プレッシャー(キーボード)、ロバート・ブルッキンズ(キーボード)、ゴードン・キャンベル(ドラムス)、ゲイリー・バイアス(サックス)、レジー・ヤング(トロンボーン)など。しかし、モーリスは電話で途中で参加します。 びっくりしたのは、リクエストのコメントの中で、なんと今は亡きバリー・ホワイトの姿がでてきたこと。彼がアースの大ファンだと言い、『セプテンバー」をリクエストするのです。 モーリスがいないのはひじょうに残念なのですが、ダンサーの3人が激しく踊るので、とても華やかです。(笑) あと、DVDは5.1チャンネルになります。この番組、他のも見てみたいですね。すでに20本以上、放送したようです。

Posted in Uncategorized | Comments Off

Syreeta To Eva Cassidy: Only The Good Die Young

若死。 スティーヴィー・ワンダーのファンのひとりが、ここ一週間ほどシリータの初期の3枚のアルバムばかりを聴いていて、奥さんに何事かと言われたというメールを見て、思わずおんなじことをしてる人が世界のどこかにいるんだなあと思いました。彼はイタリアに住む人物ですが、特にその中で「アイ・ラヴ・エヴリ・リトル・シング・アバウト・ユー」を何度もリピートでかけながら、彼自身がギターを弾いていたそうです。彼は奥さんにシリータの死去を伝え、シリータとスティーヴィーの関係についても説明しました。 まず、驚いたのが彼がこの「アイ・ラヴ・リトル・・・」をリピートでかけていたということ。日曜日に「ソウル・サーチン」で選曲したのが、この曲でした。彼女のファースト『シリータ』(72年)の1曲目に収録されている作品です。そして、彼はシリータ、ミニー・リパートン、さらにエヴァ・キャシディーが同じ病気で亡くなったと書いていました。 ここで、エヴァ・キャシディーの名前がでてきたことで、再びびっくり。エヴァ・キャシディーは、ワシントンDCを本拠として活躍していた女性シンガーで、「ゴー・ゴー・サウンド」で知られるチャック・ブラウンのところに一時期いたシンガーでもあります。ジャズっぽいシンガーで、しかし、なんと黒人ではなく白人シンガー。それほど黒っぽくなく、白人ジャズシンガーというジャンルでしょうか。 友人から彼女のヴァージョンのスティングの「フィールズ・オブ・ゴールド」がとてもいいと勧められて聴いて、さっそくCDを探して輸入盤を入手したのです。ところが、彼女はすでに故人。彼女もまた30代の若さで乳がんのためになくなっているのです。 このエヴァ・キャシディーについては、もう少しCDを集めてから何か書こうかと思っていたのですが、まさか、そのスティーヴィー・ファンから彼女の名前がでてくるとは夢にも思いませんでした。まちがいなく、エヴァにもソウル・サーチンの物語があるのです。もちろん、そうしたストーリーなしに、予備知識なしに聴いても、この声は人をひき付けるものがあります。エヴァの声は、透き通った、くせのない癒し系のもの。歌う曲がスタンダードが多く、夜などに聴くにはじつにいい感じのアルバムです。 僕が今持っているのは『ソングバード』というアルバムで、ここに「フィールズ・オブ・ゴールド」、「ウェイド・イン・ザ・ウォーター」、そして、「ピープル・ゲット・レディー」なども収録されています。 ちょっとシリータとは雰囲気が違いますが、さらっとした感覚は似たものがあるかもしれません。エヴァは、それまでまったく無名だったのですが、96年11月2日に33歳で亡くなったことによって、地元以外のメディアからも注目されて、話題になりました。 死をきっかけに、あるアーティストを知るということは、過去も、これからも多々あるでしょう。それは少し寂しいことではありますが、それでも、そのアーティストのことを知らずに、あるいは埋もれたままで終ってしまうより、はるかにいいことです。 ここで得られる教訓は、これですね。「私のグラスには、半分しか水がはいっていない、のではありません。半分も、はいってるんです」 ハーフ・エンプティーではなく、ハーフ・フルというわけです。もちろん、ミニー・リパートンの言葉です。

Posted in Uncategorized | Comments Off

Syreeta: First Wife Of Stevie Helped Him To Be Independent

自立。 このところ、シリータのCDをとっかえひっかえ聴いています。先週、訃報を聞いてから改めて聴いているのですが、どれもいいアルバムです。最初が彼女のファーストアルバム『シリータ』。オープニングトラックの「アイ・ラヴ・エヴリ・リトル・シング・アバウト・ユー」は、クラビネットから始まるファンキーな一曲。これが、よく考えるとまだ『トーキング・ブック』が出る前にできてるんですね。 『トーキング・ブック』からの大ヒットといえば、「迷信(スーパースティション)」ですが、そこで使われるクラビネットのリフは、実に印象的です。それより半年以上前に、スティーヴィーはシリータのこの曲で存分にクラビネットを実験的に使っていたわけです。 同アルバムの最後に収録されているのが、「トゥ・ノウ・ユー・イズ・トゥ・ラヴ・ユー」。最初はスティーヴィーが歌い、途中からシリータがはいり、声が絡んでいく曲ですが、このミディアム調の作品がいかにもスティーヴィーっぽい。このファーストアルバムを制作中は、二人は超ラヴラヴだったわけです。よって、スティーヴィーのあふれでる愛がこめられた1枚ということも言えるのですね。 ところが、正確に言えば、アルバムが72年に発売されるとき、二人は書類上は離婚していたのですね。そして、次のアルバムの制作時には、二人の離婚は現実のものとなっていました。ですから、『シリータ』でのラヴラヴ・ムードから一転して、この2作目『スティーヴィー・ワンダー・プリゼンツ・シリータ』は、彼らの失恋ムードの、かなりけだるい空気が漂うわけです。それにしても、ミニー・リパートン、デニース・ウィリアムスに似ています。このタイプの声は、まちがいなくスティーヴィー好みの声なのですね。 バラードの「コーズ・ウィ・エンデッド・アズ・ラヴァーズ」は、恋人として僕たちは終ったけれど・・・という歌。それにしても、シリータはスティーヴィーより4歳年上。そして、71年という年はスティーヴィーにとって、新たな自立を獲得した年でもありました。そう、その時、シリータは彼の自立の手助けを大いにしたことでしょう。自立権を獲得したスティーヴィーは、その後レコードは自分が出したい時に、出したいようにだす、という暗黙の了解ができるようになりました。 シリータの死に関して、スティーヴィーの落胆は、容易に想像できます。一息深呼吸して、がんばって乗り越えて欲しいと思います。

Posted in Uncategorized | Comments Off

Boys II Men Live At Kokusai Forum A: A Road To Las Vegas 

=Double Side Review==Side B Review= (新企画、ダブルサイド・レヴュー! 同じライヴを違う視点から見て、二種類の感想文を書きます。まずサイドA、そして、サイドB。二つの視点から見ると、そのライヴも立体感を持ってよみがえるかもしれません。今日は、昨日に続きボーイズトゥメンのサイドB) +++++ Boyz II Men: Side B Review ラスヴェガス。 国際フォーラムに向かって歩いてい

Posted in Uncategorized | Comments Off

(お知らせ)明日「ソウルブレンズ」「ソウルサーチン」でシリータ追悼

明日(11日)『ソウルブレンズ』(インターFM、76.1MHZ)内「ソウル・サーチン」のコーナー(午後2時頃から2時20分)で、シリータ・ライトの追悼をお送りします。

Posted in Uncategorized | Comments Off

Boyz II Men Live At Kokusai Forum A: So Many Soundtrack To Everybody’s Life

=Double Side Review==Side A Review= (新企画、ダブルサイド・レヴュー! 同じライヴを違う視点から見て、二種類の感想文を書きます。まずサイドA、そして、サイドB。二つの視点から見ると、そのライヴも立体感を持ってよみがえるかもしれません。今日は、ボーイズ・トゥ・メンのサイドA)            +++++ Boyz II Men: Side A Review エンタテインメント。 この日、国

Posted in Uncategorized | Comments Off

Songwriter/Singer Brenda Russell Live At Bluenote

ソングライター。 「これは、私がファースト・アルバムのために書いた曲で、後にルーサーが録音してくれた作品です。はやくルーサーがよくなってくれるようにお祈りしています」 こう言って歌い始めたのが、「イフ・オンリー・フォー・ワン・ナイト」。僕などはすっかりルーサー・ヴァージョンで聴きなじんでいたが、やはり、オリジナルのブレンダ・ヴァージョンはまた格別な味わいがある。 ブレンダのほぼ6年ぶりになる来日公演。新作が『ビトゥイーン・ザ・サン・アンド・ムーン』がちょうど発売された後の来日ということで、その新作からも2曲を披露した。 ドラム、ギター、ベース、キーボード二人、コーラスという6人編成のバンドにブレンダの歌。このバンドがけっこうしっかりしていて、ブレンダの歌を支えていた。真っ当なミュージシャンたちが、ちゃんとやるべきことをやって、真っ当なソングライターのパフォーマンスをサポートしているという、当たり前だが、きっちりとさりげなくやっている点が尊い。 ソングライター/シンガー、ブレンダは、まずやはりいい曲を書く。まずソングライターとして、しっかりと地に足がついている感じがする。 イヴァン・リンスと書いたと説明して歌った「プリーズ・フェリペ」は、途中観客たちの男性に「オエ~~オ」、女性に「ラララ~~」と歌わせ、盛り上げた。さらに、「ソー・グッド、ソー・ライト」では、後半、いきなりテンポを変え、チャーチ風、すなわちゴスペル風に歌ってみせた。これまで、ブレンダの作品にゴスペル色を感じていなかっただけに、これは嬉しい驚きだった。 やはり、大ヒットした「ピアノ・イン・ザ・ダーク」、そして、オリータ・アダムスの歌で知られる「ゲット・ヒアー」などが心にしみる。空気が透明になったようなすがすがしい、いいライヴだった。 Setlist( ) indicates album show started 21:30 1. Walkin’ In New York (Paris Rain)2. Expect A Miracle (Paris Rain)3. In The Thick Of It (Brenda Russell)4. Make You Smile (new)(Between the Sun and … Continue reading

Posted in Uncategorized | Comments Off

Syreeta Wright, Ex-wife Of Stevie Wonder, Died At 58

不遇。 モータウン・レコード所属のシンガー・ソングライターであり、一時期スティーヴィー・ワンダーの妻でもあったシリータ・ライトが去る7月5日、ロスアンジェルスで死去した。58歳だった。この2年ほど骨のガンをわずらっていた。 シリータ・ライトは、本名リタ・ライト、1946年2月28日ペンシルヴェニア州ピッツバーグに生まれた。4歳の時からゴスペルを歌い始めた。父は朝鮮戦争で戦死、彼女は11歳の時に家族でデトロイトに移住、母と祖母に育てられた。子供の頃の夢は、バレーダンサーになることだったが、それをまかなえるだけの経済的余裕がなかったために、断念。徐々に作詞作曲などをするようになる。 60年代になってデトロイトのモータウン・レコードで秘書としての仕事を得、まもなく、モータウンのプロデューサー・トリオ、ホランド・ドジャー・ホランドのうちのひとりブライン・ホランドに注目され、当初は彼らのセッションのバックコーラスなどを始めた。独特の声と歌唱がベリー・ゴーディー・モータウン社長にも認められ、ソロシンガーとして契約。ブライアンとアシュフォード&シンプソンが元々はダイアナ・ロスのために書いた作品「アイ・キャント・ギヴ・バック・ザ・ラヴ・アイ・フィール・フォー・ユー」(リタ・ライト名義)を録音。67年頃、一部で評判になった。 その後レーベルメイトでもあるスティーヴィー・ワンダーと知り合い、急接近。作詞作曲を一緒に始めるようになり、その仕事関係は、パーソナルなものにもなり、70年9月14日に結婚。この結婚は18ヶ月しか続かなかったが、以後も友人として、また仕事のパートナーとしての関係は続いた。初期のスティーヴィーとシリータの共作には「イッツ・ア・シェイム」(スピナーズ=70年7月からヒット)、「サインド・シールド・デリヴァード・アイム・ユアーズ」(スティーヴィー・ワンダー=70年7月からヒット)、「イフ・ユー・リアリー・ラヴ・ミー」(スティーヴィー・ワンダー=71年8月からヒット)などがある。 スティーヴィーとシリータの結び付きをよく表したのが、71年4月に発売されたスティーヴィーのアルバム『ホエア・アイム・カミング・フロム(青春の軌跡)』。ここでは全曲がスティーヴィーとシリータの共作になっており、二人の蜜月関係が浮き彫りになっている。そして、72年7月、スティーヴィーの全面プロデュースでシリータのデビューアルバム『シリータ』がリリースされる。青い海辺に白のドレスを着たシリータが歩いているというジャケットの作品だ。彼女の作品を聴くと、後のミニー・リパートン、デニース・ウィリアムスなどを思わせる、当時としてはかなり新しいサウンドになっていた。そして、全編にスティーヴィー色があふれている。ただし、この時点で書面上二人は離婚(72年3月)していた。その後、スティーヴィーはシリータの2枚目『スティーヴィー・ワンダー・プレゼンツ・シリータ』をプロデュース、74年6月にリリースする。離婚はシリータにとって大きな痛手となり、彼女は精神的リハビリのために、エチオピアの施設に3ヶ月はいったほどだった。 そして、そうしたことを吹っ切って75年に録音したのが、リオン・ウェアが全面的にプロデュースしたソロとしての3作目『ワン・トゥ・ワン』(77年)だった。この作品はほぼ75年に完成、この時点でスティーヴィーも一曲「ハーモア・ラヴ(愛の鳥)」をプロデュースしていたが、アルバムが発売されたのは77年になってからだった。この作品にリオンとともに共同でプロデュースにあたった人物カーティス・ロバートソン・ジュニアは、シリータの2番目の夫となる。彼はまたカーマ(Karma)というグループのメンバーでもあった。 シリータはコンスタントにアルバムを出すが、79年映画『ファースト・ブレイク』用に提供したビリー・プレストンとのデュエット「ウィズ・ユー・アイム・ボーン・アゲイン」が80年になってポップチャートで4位を記録する大ヒットになり、一躍一般的知名度を獲得した。その後、83年に出したアルバム『スペル』を最後に、音楽界を実質的に引退していた。2人の娘、2人の男子の子育てに専念。しかし、時折レコーディングなどに参加、95年、ミュージカル『ジーザス・クライスト・スーパースター』ではメリー・マクダーレン役を演じた。 シリータは、残念ながらほとんどモータウンからサポートを得られなかったが、その理由について、かつてベリー・ゴーディーがダイアナ・ロスが脱退した後、シリータにスプリームスのリードシンガーになって欲しいと願ったが、シリータが拒否したためという臆測もある。シリータの声がダイアナに似ているというのは、モータウン内部ではよく言われていたことだった。ある意味で不遇のシンガー、ソングライターだったといえるかもしれない。また、スティーヴィーにとっては、レイ・チャールズの死去に続く大きなショックとなるだろう。 ++++++++ Discography Syreeta(1972)Stevie Wonder Presents Syreeta (1974)One To One (1977)Rich Love Poor Love – With G.C. Cameron(1977)Syreeta (1980)Billy Preston & Syreeta (1981)Set My Love In Motion (1981)The Spell (1983) ++++++++++++++++++++++++++++++ Syreeta … Continue reading

Posted in Uncategorized | Comments Off

Kuwaman With Three Bicrees Are Fun Fun Fun

派手。 いやいやいや。まあ、楽しい楽しい。以前一度ライヴを見たが、あのスリー・ディグリーズを下敷きにした女性3人組、その名もスリー・ビックリーズが、あのクワマンこと桑野信義氏に率いられ、CDデビュー。そのお披露目ライヴがあった。まあ、一言で言えば、お笑いソウル・グループか。前回見た時は、カラオケテープだったと思うが今回はフルバンドをバックに登場。いきなりランクアップ! だ。 振り付けやら、化粧やら、衣装やら、節々のセリフやらで、チェリー、ヴァニラ、ハブの3人とクワマンさんはとにかく笑わせてくれる。しかも今回は、ドラムス、ギター、ベース、キーボードに4人のホーンセクションという8人のバックバンド体制。これにスリー・ビックリーズ3人とクワマンで計12人がオンステージだから、派手派手。 オリジナル以外は、タヴァレス・ヴァージョンの「モア・ザン・ア・ウーマン」、スリー・ディグリーズの「にがい涙」(日本語盤)、マーヴィンの「ホワッツ・ゴーイン・オン」、マリリン・マックー&ビリー・ディヴィス・ジュニアの「星空の二人」など。特に、「星空の二人」での、クワマンの声は、ビリー・ディヴィス系の声になっていて、あっているように思えた。「星空の二人」、英語なまりの日本語ヴァージョンでもいいかもしれません。 途中の寸劇というか、コントなんかも、場慣れしてるだけあって、お手の物。トークと歌と踊りと、コントで、1時間20分楽しめます。(笑) 忘年会とかに彼ら呼んだら、絶対受けますね。(笑) お笑いの合間に歌あり・・・。そんなことはないか・・・。(笑)  CDはインディから7月7日に発売されたもので、タイトルは『恋のモーレツラッパ吹き』。今後も、7月はかなりのライヴの予定がはいっています。詳しい予定などは下記で。 http://www.japanmusic.jp/em/k3b ライヴが終った後、メンバーが客席にでてきた。ヴァニラちゃんに聞いた。「それ(顔を3人とも昔のラッツのように黒く塗っている)って、やっぱり靴墨なの?」 「いやあ、ちがうんですよ。さすがに靴墨だと、お肌に悪くて。今ではドーランを何度か塗ったりするんです」 な~~るほど。あと彼女は、ソロとしてもジャズなんか歌ってるんですね。へええ、やはりいろいろやってるんだ。伊達にお笑いだけじゃないんですね。(笑) http://www.art-makoto.co.jp/hitomi/ 趣味で始めたグループがCDまで出して、しかもデビュー・ライヴまでやっちゃうんだから、たいしたもんだ。それにしても、みんな派手派手です。 (2004年7月6日火曜、赤坂Bフラット=クワマン・ウィズ・スリー・ビックリーズ) ENT>MUSIC>LIVE>Kuwaman With Three Bicrees

Posted in Uncategorized | Comments Off

Watanabe Sadao Blows Theme For Yungchen Lhamo’s Voyage To India

邂逅(かいこう)。 チベット出身のシンガー、ヤンチェン・ラモのライヴというのに出向いた。キャッチコピーの「魂を揺さぶるチベットの女神の歌」というのに興味をひかれたからだ。ヤンチェン・ラモは、1989年にチベットから亡命して以来、ニューヨークを本拠に活躍しているシンガー。彼女は伴奏をつけずにアカペラで歌う。今回のライヴは、チベットハウスというところの主催。 http://www.tibethouse.jp/event/2004/040704_concert.html 本人のウェッブ。(英語)http://www.yungchenlhamo.com/ 会場の新宿文化センター小ホールは、収容人数210人。半分くらいの入りか。椅子が並べられ、少しだけ高くなったステージには、青、白、赤、黄などの色の旗が飾られている。マイクが1本だけぽつんと立っている。 司会者の挨拶の後、本人がでてきて、歌いだした。なんと表現したらよいのか、言葉が浮かばない。ひとつ言えることは、あきらかに時間の流れが違う、彼女の周りの空気も違う、ということだ。歌自体は、「な~るほど」と思ったが、魂を揺さぶられるということはなかった。でも、いいとは思う。 また、途中の宗教色がちょっとでたところは、僕にはなじめなかった。純粋に音楽を楽しみたい。チベットの何もない草原とかを思い浮かべながらこの彼女の歌が流れてくれば、ぴったりのように思えた。 しかし、途中で大変なサプライズがあった。なんと、かの渡辺貞夫さんが飛び入りで登場したのだ。ヤンチェンに紹介されてマイクを握った。「1996年に初めてチベットを訪れ、すごくインスパイアーされたんですが、翌年ニューヨークに行ったときに、チベットのレコードを探したんです。まあ、ほとんどがお経とかそういうのばっかりだったんですが、その時見つけたのがヤンチェンのCDでした。(そのCDを聴いて)いつか(彼女と)会えるかとは思っていたんですが、昨日、会えました」 その場で何かをやりたいと言っていたそうだが、それもなんなので、この日のライヴにやってきた、という。そして、「私のすべての愛を」という曲を演奏した。渡辺貞夫さんのソロ・サックス。彼はマイクを通さず、吹いた。もちろん、ブルーノートよりもはるかに狭い会場だから、楽器の音もマイクを通さなくても響く。 3分にも満たない小品だったが、最初の数音だけで、ぞくぞくっと来た。なんなんだろう。この揺さぶられ方は。完璧に、そのサックスの音色に僕の魂は揺さぶられた。彼のライヴは、もう何年も前にブラバス倶楽部かなにかで見て以来だと思うが。音楽の力とは何なのか、ふとわからなくなった。いま再び、レス・イズ・モア・・・。 その後、ヤンチェンとの即席デュオを聴かせた。これもなかなかよかった。そして、一度はけた後、また渡辺さんが登場。映画『新しい風』の音楽を作ったことを説明した。「十勝平野を開拓した依田勉三という人の話なんですが、ま、話は暗いんですが、これに『ラヴ』というタイトルをつけてみました。それをひとくされ、やってみます」 これもものすごくよかった。彼のサックスには、文字通り、ソウルとスピリットがあったのかもしれない。ヤンチェンの声になかったというわけではない。ただ僕の波長とシンクロしなかっただけだと思う。ナベサダさん、よかったあ。次のライヴ、絶対、行こうっと。 ライヴが終った後、ヤンチェン本人がでてきて、CDにサインをしていた。2枚でているCDをとりあえず買って、せっかくだからサインをもらった。その時ちょっとだけ会話した。「89年に亡命以来、チベットには一度も帰ってないのですか?」 「ええ、帰ってません」 「中国の支配が終ったら、帰りますか?」 「わかりませんが、多分・・・。ところで、あなたは、チベット人みたいね」 「あなたも、日本人みたいですよ」 「よくみんなにそう言われるわ」 ナイスな人だった。 89年、ヤンチェンは1600キロのヒマラヤの山道を歩いてインドへ向かった。それは大変な危険に満ちあふれた厳しい逃避行だった。ヤンチェンは「チベットを旅立った時、私はほとんどすべてを失いました。でも、声だけは失いませんでした」と言う。僕には、貞夫さんのサックスがそのヤンチェンのインドへの道(Voyage To India)へのテーマ曲あるいは応援歌のように思えた。インドへの道は、もちろん、彼女にとって自由への道であり、それは音楽への道だった。チベットからインドへ。そして、インドからニューヨークへ。ニューヨークから東京へ。その意味で、ヤンチェンと貞夫さんは、やはり会うべくして会ったのだとも感じた。二人のリアル・ミュージシャンの邂逅である。 (2004年7月4日日曜、新宿文化センター小ホール、ヤンチェン・ラモ、渡辺貞夫・ライヴ) ENT>MUSIC>LIVE>Yungchen, Lhamo / Watanabe, Sadao

Posted in Uncategorized | Comments Off

Mystery Of Donny’s Live Album To One Hit Wonder

一発屋。 ダニー・ハザウェイのライヴ盤についての話題が沸騰ですが、最初の3曲のメンバーについての謎解きはかなり興味深いですね。おそらく、『イン・パフォーマンス』のメンバーがやっているように思えます。今回のCD『ディーズ・ソングス・フォー・ユー』の最初3曲に関してのクレジット表記は、おそらく間違っているのでしょう。というよりか、3曲のクレジットを載せていないというだけのことでしょうか。載せ忘れたというか。さっそくこのコンピを組んだデイヴィッド・ネイサンにメールしておきましょう。(笑) この件に関しては、近いうちになにかまとめてみましょう。 それはさておき。 今日の『ソウルブレンズ』のゲストは、熱帯ジャズ楽団のリーダー、カルロス菅野(かんの)さん。新譜がでたのですが、全曲、総勢17名のミュージシャンたちが「せいの」で始めて、2-3テイクで録音できてしまうそうです。カルロスさん「打ち込みのほうが時間、かかるよ(笑)」と。クール&ギャングの「セレブレイション」、「アイ・ウィッシュ」、「アイ・ウォント・ユー・バック」などのソウル・カヴァーをラテン調にしています。ジャクソン・ファイヴの「アイ・ウォント・ユー」は、かのスリー・ディグリーズをイメージしたスリー・ビックリーズの歌をフィーチャー。これが、また声質がマイケルによく似てるときた。(笑)  それはさておき。 今日の「ワンヒットワンダー(一発ヒット屋)」特集は、なかなか選曲が苦労の連続でありました。というのも、どのあたりまでを「ワンヒットワンダー」と認定するか、というのがむずかしいからです。二発ヒットがあると、まずだめ。しかし、その一発もみんなが知っていることが望ましい。ポップチャートで一発ヒットでも、ソウルチャートではけっこうヒットがあったり、となると、それもはずしたいところ。 それから、ヒット的には一発かもしれないが、その他の実績があってリスペクトされているアーティストなどもはずしたい。(笑) マクファーデン&ホワイトヘッドの「エイント・ノー・ストッピン・アス・ナウ」などは、ポップではほぼこれだけですが、ソウルチャートでは若干ヒットがあって、しかもソングライター、プロデューサーとしては大変な実績があるので、気分的にはいれたくない。それからジャンルでロックのものは、選曲テイストからはずさなければならなくなります。 一番いいのは、ぱっと大ヒットしてすぐ消えたような「今、どこ行っちゃったの」感が強いアーティスト。ミリ・ヴァニリなんかもそうなんですが、意外とヒットが4曲くらいあったりして、一発ヒットの範疇にビミョウにはいらなかったりして。今回の選曲で、なんどスタッフ間でビミョウという言葉が行き交ったことでしょうか。(笑) それはさておき。 ジェイク・シマブクロ、会った人、みんながみんな、彼はすごくいい人だと言います。それから、ライヴの時の指の動きがすごい、と。ウクレレをジェイクみたいにとても弾けないヴァンス・ケイ曰く「僕は、フェイク・シマブクロ!」。

Posted in Uncategorized | Comments Off

Donny Hathaway Live: Bits & Pieces

ノイズ。 話題のダニー・ハザウェイのライヴアルバムですが、ちょっとコネタを。3曲目の「サムデイ・ウィル・オール・ビー・フリー」のヴォーカルのところあたりに、ビミョウなノイズがはいってますね。これは、最初気付かなかったんですが、先日の収録のときに、気付いたのです。確かに、何度も聴くとはいっている。 ちょうどソウルメイトSと電話で話しているときに、Sが車にそのCDをいれているので、聴いてもらったら、やはり今まで気付かなかったが、「ああ、確かにはいってる・・・」と。先日のSOULOZさんの書き込みでも、ノイズの件が触れられてました。「どうしたのかねえ、これ」 するとSがおもしろいことを電話の向こうで言ってくれた。「録音してる時、携帯でも使ってたんじゃないの?」 ははは。確かに携帯とかが作動すると、妙なノイズがはいることはある。・・・73年、携帯ないです。 もうひとつは、ソウルメイトUから。このアルバム『ディーズ・ソングス・フォー・ユー、ライヴ!』の最初の3曲はクレジットによれば73年6月30日のニューヨーク・カーネギーホールでの録音。ダニーの80年に発売された『イン・パフォーマンス』の中に「ヌーポー」というやはりカーネギーでの録音があります。こんどの3曲はこの時のセッションのアウトテイクではないか、と。そこまでは、そうなのでしょう。で、彼はこの3曲のメンバーは、ニューヨーク・ビターエンドとロスのトロバドールのメンバーと違うのではないか、というのです。彼によるとちょっとサウンドが軽すぎる、もう少しジャズ系の人ではないかと推測しているようです。僕は、もうわからないです。(笑)  こうなると、フレッド、コーネル、ウィリーたちを捕まえて、じっくりインタヴューして事実を確かめるしかないですねえ。

Posted in Uncategorized | Comments Off

Midnight Love To Soysoul Live

御買上。 昨日は月一の『ミッドナイト・ラヴ』の収録。このところ、プログラム自体の内容がかっちり決まりだし、いい感じ。マーチンさん、トーク全開です。(笑) トークネタの中では、メールも来ていた、かつてマーチンさんが主演したVシネマ『ザップ』にかんする話がおもしろい。このまま行ったら、『ザップ』ネタだけで、コーナーにできてしまうかもしれない。マーチンさんは、映画は二度と絶対にやらない、と断言しておりますが、その撮影時のエピソードならいくらでも語れるぞ、とも言っております。 さて、それが終わり渋谷AXへ。ポニー・キャニオンが売り出す新人サラ・コーナーのショーケース。AXに行こうとすると入口近辺で、「余り券あるよ~~、余り券、余り券・・・」というおにいさんがいたので、変だなあと思って、入口近くの看板をみるとまったく違うイヴェントだった。あわててチラシを確かめると渋谷BOXXとかいてある。また、まちがえました。つい先日東京60ワッツは実は先にBOXXに行き、あれと思ったら、AXだった。どうも、このBOXXとAX、いつも迷う。 さて、このサラのCDは、かなりポップで、例えば、アヴリル・ラヴィンとか、ブリットニー的な雰囲気だったが、ライヴはそこまで派手でキャピキャピはしてなかった。(笑) CDの中に、なんとナチュラリー7とのデュエット「ミュージック・イズ・ザ・キー」が収録されている。これはびっくり。入口で久しぶりにお会いした佐藤社長がライヴ終わりに、最近の音楽業界に熱いメッセージを話された。 さて、ショーケースが終わり、速攻で渋谷オーイースト。こちらは、ソイソウル、さらに、オーサカ=モノレールなどのライヴ。オーイースト主催のイヴェント「グルーヴ・ラボ」。ソイソウルは、相変わらずの大所帯で、最初音がものすごい爆音で聴きづらかったが、徐々にいい感じになっていった。8月にインディからでる新譜からの作品などを中心に披露。このあたりは、ベースはブラックながらもちょっとポップ。 オーサカ=モノレールを見るのは久しぶり。相変わらず、ブラスセクション、リズムセクションはぎれよし。リードヴォーカル、中田さんはますますジェームス・ブラウンぽっくなっていく。 ライヴが終わり、入口でCDが売られていた。ひとりの女性がソイソウルのCDを見ていた。「今、お買い上げになると、メンバーのサイン色紙付き!」とスタッフ。そこにズーコが、「名前もいれちゃうよ!」 「じゃあ、これください」と言ってソイソウルの昨年でた最新盤をお買い上げ。「今日の(アーティストの)なかで、初めて見たんですけど、ソイソウル、とっても楽しかったです」という彼女は一番目に出た森広隆とオーサカ=モノレール目当てにやってきたのだが、ソイソウルを初めて見て気に入ったという。 ズーコがその彼女の名前を書いて渡そうとしたので、思わず、「日付、日付」と言ってしまった。すると、ズーコ「今年、何年だっけ。で、今日何日?」 「2004年7月2日です」 御買上、ありがとうございます。

Posted in Uncategorized | Comments Off

Tokyo 60 Watts @ Shibuya AX

昇天。 友人Tさんから、ひょんなことから「昇天」という曲は誰がやっているのか、と質問され、調べたところ「東京60WATTS(とうきょう・ろくじゅう・わっつ)」というグループだということがわかった。そのウェッブを見ていると、な、な、なんとその事務所、むか~し一緒に仕事をしたことがある佐藤氏がやっていた。 1988年マイケル・ジャクソンが書いた自伝『ムーンウォーク』の翻訳本の編集を佐藤氏がてがけることになり、そのお手伝いをした。翻訳は、現長野県知事・田中康夫氏。そのころ、彼の事務所はまだ六本木のワンルームのマンションだった。その後、ブーム(BOOM)をてがけ大当たりしたということだった。ブームを彼がやっていたということさえ、知らなかった。以後、今では15近いアーティストを抱えるまでになって、かなり大きな事務所となり、音源も原盤制作までてがけるようになっている。東京60ワッツは、その所属アーティストのひとつだった。 ファイヴDのウェッブ。http://www.five-d.co.jp/ 東京60WATTSのウェッブ。http://tokyo60watts.com/index2.htm さっそくメールを送ったところ、30日に東京60ワッツのライヴが渋谷AXであるので、行くことにした。グループは5人組。基本はストレートなロックだが、少しばかりブラック色というか、ブルース色がある。送られてきたCDの中には、「ニューオーリンズ」とか、「サマータイム・ブルース」とか「俺は黒人だ」とか、タイトルだけでかなりそそられる(笑)ものがあった。サウンド的には、最近のベン・フォールズ・ファイヴとか、そういう感じに思えた。 ライヴの感想は、まず曲がみんな短くていい。意外といいメロディーが多い。ポップな曲作りがうまい。しかし、曲間のトークはどうなの、っていう感じ。(笑) トークはつっぱっているのだが、音楽がポップだから、なんとなくアンバランスな感じがした。音楽的には黒人音楽の影響は感じられた。詞の視点がけっこうおもしろい。 当日は次のライヴがあったので、途中ででなければならなかったのだが、帰り間際の9曲目に歌われた「ウイスキーバーブルース」という曲は、はっとさせられた。ゆっくりしたバラードだが、これを聴いてアル・グリーンの「ゴッド・ブレス・アワ・ラヴ」を思い出した。それを元にしたのかな。とても印象に残った。 これは彼らの最新盤『WATTS GOING ON』(2004年3月3日発売、東芝TOCT25326)に入っている。アルバムタイトルもね、そそられます。(笑)  (2004年6月30日水曜、渋谷AX=東京60ワッツ・ライヴ) ENT>MUSIC>LIVE>Tokyo 60 Watts

Posted in Uncategorized | Comments Off

So Far We Couldn’t Say Who Played On “Getaway”

未確定。 ほとんど、昨日の続きである。今日は、まず『スピリット』のドラムは誰かというのを研究するミーティングをマイ・ブラザーHとやった。彼とは学生時代からの友人で、よくライヴに一緒に行ったのだが、アースの初来日時(79年3月)には、日本の全公演を追っかけた筋金入りのアースマニア。前日、電話で『スピリット』のドラムを誰が叩いているか、わかるか、と訊いたら、「そんなもん、わかるに決まってるだろう」と豪語したので、では、アースのCDを持って出向いた。 彼の会社は原宿にあり、ビジネスが大成功していて、社長室もかなりの広さ。そこにラジカセを用意し、まず『スピリット』の「ゲットアウェイ」を聴かせる。じ~~と聴き耳を立てて、「これは、フレッドだ」。「ほ~~、そうなの? その断言する根拠は?」 「口ではうまく言えないけど、ハイハットの音が独特なのよ」 では、続いて「サタデイ・ナイト」。 「これも、フレッドだよ。前(ゲットアウェイ)と同じだろ」  続いてCD2曲目の「オン・ユア・フェイス」。「う~ん、これ違うかも。ああ、でもやっぱりフレッドかも」 さらに3曲目「イマジネーション」。「う~~ん、これフレッドじゃないかも。でも、フレッドかも・・・。で、クレジットはなんてでてるの」 徐々に確定的な答えがおぼろげになっていく。 クレジットには、フレッドとラルフ・ジョンソン、モーリス・ホワイトがドラム奏者として書かれている。我々はどうしても、ラルフのドラムというのが、わからない。つまり、音源が確定できないからだ。ラルフがドラムを叩いているところを見たことがある人があまりいないのも事実。ほとんどパーカッションだ。フレッドは初来日の時にしっかり叩いていた。モーリスも最初の2枚のアルバムではドラムを叩いている。だから、おそらくポイントはアースの『スピリット』のドラムは、フレッドかモーリスなのだろう。で、実際この時期すでにモーリスはドラムを叩いていなかったとすれば、ほとんどすべての曲はフレッドということになる。 そこで、ダニーのライヴ・アルバムを聴かせる。これはフレッドのドラム。そして、「ザッツ・ザ・ウェイ・オブ・ザ・ワールド」を聴く。H曰く「これ、モーリスじゃないかなあ」。 実は僕もこれはなんとなくフレッドじゃないような気がしている。とはいうものの、フレッドとモーリスのドラムの違いがはっきりわからないのだ。 何度もいろいろな曲を聴きなおしているうちに、こういうことになる。これがラルフという決定的な音がないから、まずラルフは除外しましょう。するとどれがフレッドでモーリスかということになる。時期的に言えば、『スピリット』はほぼ全面フレッドにおまかせではないかと推測する。しかし、フレッドとモーリスの違いは微妙。モーリスが兄なので、フレッドが兄の真似をしたり、影響を受けることは十分にある。また、モーリスがこういう風に叩いてくれとフレッドにいい、それを実践すればモーリスのスタイルでフレッドが叩くこともありえる。 さんざんやった後、「アメリカに聞けばいいじゃない」とH。「今、訊いてるのよ」 そして、「結論は・・・。わからんということだな・・・。すまん」とH。おいおい、なんだよ~~、昨日のあの豪語は。(笑) でも、「ゲットアウェイ」と「サタデイ・ナイト」は、フレッドということにしよう。 ところで、こんなネタを友人Cより。「ゲットアウェイ」の途中(0分57秒あたりから)、英語歌詞「I know we can, I know we can…」のところ。ここね、「アオモリケン(青森県)」に聴こえるよ~~って。確かに! お試しあれ。空耳ネタでした。

Posted in Uncategorized | Comments Off