Monthly Archives: June 2004

Who Played Drums On “Spirit”?: Fred or Maurice or Ralph?

謎。 今、アース・ウィンド&ファイアーの『スピリット(魂)』の原稿を書いているのですが、思い入れもひとしおのアルバムだけに、あれも書きたい、これも書きたいで、なかなか進みません。すいません。 このアルバムを入手したのは、76年10月。まず輸入盤だった。オレンジ色のジャケットに白いピラミッドがみっつ。その前でモーリス・ホワイトや他のメンバーが、独特のポーズを取って、立っています。 アルバムに先がけてシングル「ゲット・アウェイ」が76年7月からヒットし始めていました。最近車の宣伝に使われてました。トヨタのハリアだったか。 さて、アースのこの『スピリット』のアルバムで、今、僕が注目しているのが、誰がドラムを叩いているのか、という点です。アースのこの時期、実はモーリスの弟フレッド・ホワイトのほかに、ラルフ・ジョンソンもドラマーをしていました。また、モーリス自身もドラムを叩きます。元々ドラマーですから。アルバムのクレジットには、ラルフとフレッドの名前があるのですが、曲ごとに誰が叩いているのかは書かれていないのです。 なので、「ゲットアウェイ」や「サタデイ・ナイト」のドラマーが誰なのか、ひじょうに気になります。ラルフは、それほどドラムをやらないので、おそらく、少なくともこの2曲はフレッド・ホワイトが叩いていると推測しているのですが。たぶん、他の曲もほとんどフレッドではないかと思っています。ただ、モーリスとフレッド、そして、ラルフのドラムの音の違いがわからないんですよ。CDだけからでは。ラルフはパーカッションだったとすると、フレッドとモーリスの違いはいかに。 もちろん、参考資料としてダニー・ハザウェイの『ライヴ』も聞き比べます。これは、フレッド。でも、やはりわからない。ワーナーからでたアースの2枚のアルバムがあります。ここでのドラムは、おそらくというか、確実にモーリスです。『地球最後の日』も。しかし、『暗黒への挑戦』からドラムにフレッド・ホワイトがクレジットされました。ここから全編、フレッドになったのでしょうか。 79年3月の初来日の時は、フレッドが来ていました。88年の時は、ソニー・エモリーだったように記憶しています。(要確認)  てなことを考えているときりがないので、この手のことに詳しいハリー・ワインガーにメールで尋ねました。すると、まもなく、それならリオ・サックスにきいてみてはどうかと、リオを紹介されました。リオにメールをしました。すると、彼はハーブ・パウエルという人物を紹介してくれました。リオもハーブも、これまでにアメリカのアースのライナーを書いている人です。ハーブからは、モーリスとラルフ、そしてフレッドに確認するのでしばらく時間をくれという返事がきました。 さて、『スピリット』の全曲を叩いているのは、やはり、フレッド・ホワイトなのでしょうか。はっきりわかるといいですねえ。謎はとけるでしょうか。

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What Will Happen To 9-Year Old Boy 10 Years Later: “Feel ‘N’ Soul” At Gifu FM

公開録音。 いやいやいや、すでにBBSに書き込まれてしまったので、書いてしまいましょう。(笑) ほんとは、アースのアルバム『スプリット』について書こうと思ってたのですが。(アースについては明日あたり書きます。締め切り、待って!(笑)) 昨日(28日)は岐阜・日帰り往復してまいりました。岐阜は初めてでしたが、おもしろかったです。名古屋から在来線で岐阜まで移動したんですが、たまたま乗った車両が一番前で、運転席から前がよく見えて、僕はやりませんが、まるでテレビゲームの「電車でGO」みたいでした。(笑) 前日に岐阜でライヴをやったゴスペラーズが、岐阜にある「マーサ21」というショッピングモールの中にある岐阜FMのサテライトスタジオで『フィール・ン・ソウル』の公開録音を行ったわけです。 夕方6時からの収録で、メンバー黒沢さんと酒井さんが登場するや大歓声。観客席は約80人が座り、サイドの通路は何分かごとに入れ替え制で収録を観覧してもらうというもの。トータルで4-500人はいたということです。すごい。 しかし、酒井さんは、芸人ですねえ。曲がかかってる間も、いろいろコネタかましてくれます。それを受ける黒沢さんとのコンビも完璧だ。その度に観客席は大爆笑ですね。 録音は、普通に「マジックソング」のコーナーや、メールのコーナーなど。それと会場でとったアンケートに書いてもらったメッセージなどを読みながら、快調に爆笑のうちに進みました。 個人的におもしろかったのは、ちょうどたくさんのアンケートの中から9歳のケイゴ君だったかな、の質問を見つけて、それを酒井さんに読んでもらったときのこと。彼は酒井さんへの質問として「どうやって口で音楽を作るのか教えてください」と、たどたどしい字で書いてありました。 それに酒井さんが丁寧に答え、実際ギターの音を試しにやってみるのですが、その質問をした彼の顔を見るなり、黒沢さんが、「君はちょっと村上に似てるなあ」と言ったところからいきなり、会場ヒートアップ。言われてみると、確かに似てる! ブース内もみなバカ受けしました。今、サッカーをやっている彼に、二人が「サッカーがんばってな」と声をかけたわけですが、彼は絶対にこの日のことを忘れないでしょうね。(笑) 彼の写真が紹介できないのが、残念なほど。  今9歳の彼、サッカーが上手になって例えば10年後(19歳)あたりに、また彼らの前に戻ってきてくださいな。「岐阜の公開録音の時に、黒沢さんと酒井さんにサッカーがんばれって言われて、サッカーの選手になりました」とか言って。そうなるとまたいい話が生まれます。(笑)  この模様は今週土曜日7月3日午後10時から東京FM系で放送されます。 (2004年6月28日月曜、岐阜マーサ21=『フィール・ン・ソウル』公開録音) ENT>RADIO>Feel ‘N’ Soul>2004.07.03

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A Ticket Bind Between Today & 18 Years Ago

(ライヴ評、若干ネタばれになります。これからごらんになる方はあなたのリスクにおいてお読みください) チケット。 1986年6月27日、鈴木雅之はこの渋谷公会堂でソロとしての第一歩を踏み出した。そのことを忘れまいと、彼は自分で1枚だけその日のチケットを自分のために買ってずっと大事にしまっていた。 まさにそれから18年後の2004年6月27日。彼は再び渋谷公会堂のステージに立っていた。ラッツのメンバーとしてもこの場に立った。以後もソロとしても立った。歴史が18年かけて一回転した。 その彼が自分のために買ったチケットが、スクリーンに映し出された。今日、その席と同じ席に座っている人。席番号が呼び出され、そこに座っていた人が、歓喜の声をあげ、ステージにあげられた。そして、鈴木はその彼女にスペシャルなプレゼントを贈った。18年前、アーティストである自分が自分の記念のために買った同じ席に、18年後に座ったひとりの観客。同じ席の上で18年の歳月が点から線になって結びついた瞬間だった。 渋谷公会堂は、老朽化が進んでおり、来年あたり内装工事がはいるという話がある。そうなると、席番号は変わってしまう。おそらく、タイムマシンにじっくりと保存されていた未来へのメッセージを受け取る日は、2004年の今日、6月27日しかなかったのかもしれない。18年前、まさかそのチケットに書かれた席の人に会ってプレゼントを渡すことなど夢にも思わなかったであろう。彼の想いが込められた未来のファンへのプレゼントになった。 実は、18年前の同じ日に渋谷公会堂に立っていたということに気付いたのはほんの昨日のことだったらしい。スタッフがあわてて東急ハンズに「今日の主役」のタスキを買いに行ったという。なんという運命のめぐり合わせだろうか。 アンコールの一曲目は、ブリリアント・ヴォイス、ミスター・ケイ・グラントの司会にメンバーが導かれ、歌うは「エイント・ノー・マウンテン・ハイ・イナフ」だ。う~~~む、やられた。(笑) もちろん、『永遠のモータウン』のエンディングを彷彿とさせるアレンジだ。 この日は、特別に飛び入りでコーラスグループ、アジの5人、さらに、「ランナウェイ」でクワマンさんが登場。ひとしきり感動的なやりとりがあって、最後にマーチンはクワマンに言った。「来年、お前と同じステージにいるかもしれないな」 クワマンは直立不動になって答えた。「酒の量を控えます!」 「同じステージ・・・」。それは予告か。 そして、「18年と言わず、これからもずっと歌い続けます」と宣言してアンコールの最後の最後に歌われたのが、「君の未来、僕の想い」だった。アルバムでも最後に収録されている妹尾武・作の名曲だ。そのメッセージは、今日渋谷公会堂に来ていた多くのファンの未来へむけての、彼のメッセージだったのかもしれない。 マーチンは、今日の渋谷公会堂のチケットは買っていただろうか。 (2004年6月27日日曜、渋谷公会堂=鈴木雅之ライヴ) ENT>MUSIC>LIVE>Suzuki, Masayuki

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Doesn’t Really Matter What The Genre Is

大海阿故郷。 定例深町純コンサートはこのところ、毎月、誰かしらゲストがやってくる。今月は、70年代から活躍しているプリズムというグループのギター奏者、和田あきらさんと、もうひとり、中国人の歌手ユウエンさんがきた。和田さんは、すこし歪のかかったロック風ギターを深町さんと披露。既存曲とアドリブでもやった。二人でアドリブの場合、船頭はやはり深町さんだということだ。 それはさておき。 和田さんの後に登場したのが、ユウエンさんという中国の歌手の方。その彼女が歌ったのが、「大海阿故郷」というタイトルの曲。正確には阿の左横に「口」偏がつき、故郷の郷の字は右側の作りの部分がない文字になる。いくら変換を探してもでてこなかった。(笑) あと、手書き入力も試みて、口遍つきの「あ」という文字はでたが、うまく変換できなかった。中国語はむずかしい。 それはさておき。 この曲の意味は「うみよ、ふるさと」ということ。発音は、da hai a gu shang.正確には音の上下の印がついているが、やはり、ぼくのワープロ技術ではだせない。北京語。中国語はむずかしい。深町さんは今日この曲を初めて見て、その楽譜どおりに弾いて、彼女が歌うということだった。深町さんが彼女をピアノの前に呼んで紹介し、若干の曲の説明があった。 「この曲は、かつて私の母が歌ってくれた曲です。もしかしてご存知の方もいらっしゃるかもしれません。私のふるさとは海です、大人になっても、私はふるさとを忘れられない、という歌です」とマイクを持ってユウエンさんが解説した。「聴いてください」というと、深町さんがピアノを弾き始める。すると、彼女はその持っていたマイクを前の机の上に置いた。 イントロが奏でられると、まもなく、彼女が声楽のようなよく通る声で歌い始めた。ピアノと歌声がアートカフェに力強くこだました。ユウエンさんは、会場の右側のお客さんに向けて、そして、正面に向けて、体をゆっくりと回転させながら歌った。美しい声だった。かつて、『ディーヴァ』という映画があったが、あんな雰囲気だった。でも、それがクラシックではなく普通のポピュラーな楽曲として歌われた。 それはさておき。 これは、クラシック? それとも、ポピュラー? 彼女によると、これは北京語の歌だそうだ。「中国語講座なんかで、よく歌われたりしている曲です」とのこと。しかし、本当に、世の中にはいろいろな音楽があるものだ。深町さんの音楽自体がジャンルを超越しているだけあって、このサロンには様々なアーティストたちがやってくる。毎月最終土曜のこの空間にいると、それがクラシックだろうが、ポピュラーだろうが、ロックだろうが、ジャズだろうが、ソウルだろうが、そんなことがどうでもよくなってくる。 ユウエンさんのウェッブ。スケジュールなどもでています。http://www.youyan.jp/ (2004年6月26日土曜、恵比寿アートカフェ、深町純ライヴ。ゲスト、ユウエン、和田あきら) ENT>MUSIC>LIVE>Fukamachi, Jun

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Look Out For Number One: Ai Live At Duo

一番。 「やりましたよ! アルバム、オリコン初登場3位ですよ! ミーシャ、今井美樹のベストに続いて3位!」 事務所社長の興奮した声が電話から伝わってくる。「ええっ、それはすごい」 思わず、こちらもびっくり。すばらし。おめでとう。(6月28日付チャート) 「私は一番目指します!」 はっきりした声でアイ(アーティスト表記はAI)は宣言した。そのアイが通算3作目新作の『2004 A.I.』を6月16日にリリースして、名古屋、大阪、そして東京の3か所で招待ライヴを行った。 普段は席とテーブルが置かれている渋谷デュオは、この日は席、テーブルなどをとりはらい、スタンディングに。外は雨が降り、湿度も高くじとじとしているのにそこが超満員になっている。 今回のライヴは、ひじょうにシンプル。DJ、キーボード、コーラス2人にアイ本人。ダンサーなし、バンドなしで、一挙に歌をじっくりと聴かせる。曲間のトークもすっきりしていい感じ。(笑) 今回はなによりも、新作からの作品のお披露目が目的。観客が、みな約10日前に発売されたばかりの新作をよく知っている。これは、すごい。観客も7-8割は女性ファンか。まあ、とにかく歌がうまい。まいう~~、ピリオド! まちがいない。 それから途中のアフラのヒューマンビートボックス、かなりすごかった。ナチュラリー7の衝撃が一足先にあったが、彼もなかなかすばらしかった。それに乗ってメアリーJブライジの「ラヴ・アット・ファースト・サイト」のフレーズを歌ったあたりなんか、もう完璧。しかも、それをアイのものにしているからすごい。 何に驚いたかというと、このライヴの空気感が、完璧に「ブレイクしたアーティストの空気感」になっているということだ。いやあ、見事だ。 アイは、まちがいなく着実に階段を昇り続けている。次は9月の全国ツアー。がんばって。 ニューアルバムについての詳しい情報は下記に書きました。http://www.universal-music.co.jp/defjam/microsite/ai/official_interview.html Setlist show started 19.31 1. Intro2. E.O.3. 100%4. Alive5. エンジェル6. After The Rain7. Listen 2 Da Music8. Watch Out!9. Dreaming Of You Encore. My FriendEncore. Thank U show ended 20.33 (2004年6月25日金曜・渋谷デュオ(DUO)、アイ・ライヴ) … Continue reading

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Melissa Manchester’s “A Mother’s Prayer”

祈り。 なぜかここ一週間くらいメリサ・マンチェスターの新作『ホエン・アイ・ルック・ダウン・ザ・ロード』を聴きこんできました。実はライナーノーツを頼まれたからなんですが。メリサは白人ながら、ニューヨーク生まれということもあってか、自然のうちにどこかソウル的なものを持っています。この類だと、キャロル・キングとか、ローラ・ニーロとかと同じタイプのシンガー・ソングライターという感じかな。 新作情報などは、こちら。↓http://www.melissa-manchester.com/ 82年の大ヒット「ユー・シュド・ヒア・ハウ・シー・トークス・アバウト・ユー」のプロデュースはかのアリフ・マーディンだった。アリフは最近ではノラ・ジョーンズですが、その昔はチャカ・カーンの一連の作品からビージーズ、そして、アレサ・フランクリンまで、なんでもヒットさせてしまう魔術師のごとくヒットメイカー。あの曲は、ディスコでもかかるほど、ソウルフルでした。それに、彼女の78年のトップ10ソング「ドント・クライ・アウト・ラウド」を最初にヒットさせたのは、モーメンツだったし。あまりヒットしなかったですが。 このアルバム、けっこういい曲がはいってるんですが、最後にボーナストラックで収録されている「ア・マザース・プレイヤー(母の祈り)」という曲がかなりしみじみきます。これは、1999年4月20日、アメリカ・コロラド州コロンバイン高校で起こった銃撃事件に衝撃を受けて作った作品。二人の高校生が13人の生徒・教師を銃で殺し、自殺した前代未聞の事件です。 メリサは当日、ロスの空港でこのニュースを知ります。ちょうどその時、ソングライターのパートナーであるカレンの住むナッシュヴィルへ向かうところでした。そこで、彼女はナッシュヴィルに着くやいなや、この曲を書き上げました。 「私が夢路につこうとするとき、神様、あなたは聴いてくれているはず。お願いすることは、私ではなく、私の子供たちのソウルが生き長らえるようにということ。あなたが万人に愛を降り注ぐように、私たちに愛の施し方を教えてください。これが母の祈りです」と歌います。 これをライヴでやると、かなりの人々が涙を見せるそうです。確かに、コロンバイン事件や911や、そうした事件があるときにこの曲は普遍的な力を持っていますね。

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Talk About “Only The Strong Survive” At Relocated Soul Bar Sugar Hill

公開決定。 『永遠のモータウン』に続く強力なソウル・ミュージックのドキュメンタリー映画『オンリー・ザ・ストロング・サヴァイヴ』の公開が、いよいよ11月に決まった。映画会社はこれから本格的に宣伝活動などを行い、盛り上げていく。一度本日記(2004年2月17日付け)でもご紹介したが、メンフィス、スタックス、シカゴなどで活躍したいわゆる「ロスト・ソウル」アーティストたちのドキュメンタリーとライヴ。特にライヴのシーンはソウルファン必見だ。 映画の感想文はこちら。↓http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200402/diary20040217.html これからも公開までに、個人的にも応援したいので、何度かご紹介することになると思う。 +++++ 美音。 打ち合わせのために、ちょっとソウルバーに行きましょうということになり、六本木のソウルバー「シュガーヒル」に出向いた。この「シュガーヒル」は、ご存知のかたも多いかもしれないが、以前飯倉にあった店がこの4月、新たに六本木7丁目へ引っ越したもの。以前の店は物件に水まわりの問題がでてクローズしたという。新店は、六本木ジョージの前の細い道(ガソリンスタンド横)をちょっと入ってすぐ右側のビル。六本木の交差点から来ると、青山方向に向かい、旧防衛庁前ガソリンスタンドの先を左折、すぐ右側の2階。 初めて足を踏み入れると、アースのCDが流れていた。ソファーと椅子席で約20席のいかにもソウルバーという雰囲気にJBLの4343という大きなスピーカーがど~んと置かれ、かなりすばらしい音でソウルが流れていた。ここまではぎれのいいサウンドを聴かせるソウルバーは初めてだ。ジャズバーには、相当な資金をオーディオにつぎ込んだ店があるが、ソウルバーではなかなかない。これはちょっと驚きだった。 店のオウナー、越川さんと話した。中音、高音が完璧だったが低音がそれほどこなかったので、ウーハー(低音をだすもの)は、置いてないのですかと尋ねると、「実はまだアンプがきてなくて、それにあわせてこれからウーハーも揃えるんです」とのこと。しかも、CDプレイヤーからは、ミキサーを通さずダイレクトにアンプにつないでいる、という。ちょうどその時は、ご自分で編集されたCDをプレイしていた。「ミキサーを通すと、やはり(音が)悪くなりますからね。音が落ちないミキサーですか? それは、こんな(と言って両手を広げる)大きなミキサーを買わないと。(笑) 100万じゃきかないですよ。逆に、そういうのを通すと通したほうが音がよくなったりします」 ただ週末などディスコ曲をアナログで大音量でミックスしてプレイするときは、ターンテーブル、CDプレイヤーを使いミキサーを通して音をだす。 レコードがあまり見当たらなかったので訊いた。「いやあ、実はレコード棚をここ(DJブースの上部あたり)らに作りつける予定だったんですが、オーディオのほうに資金をつぎ込んでしまって、まだそっちまで手が回らないんですよ。(笑) 店は4月に開けたんですが、まだ、スピーカーなんかもほんの一週間前くらいに揃ったばかりで」 オウナーの越川さんはちょっとユニーク。本職というか、昼間は授業数は多くないが東大で哲学を教えている先生。本も出されているという。ちなみに、この新店舗の物件は、赤坂ミラクルの川畑さんの紹介だそうで。 「シュガーヒル」の店名の由来は、ニューヨーク・ハーレムの西に位置する地名。この地は、1800年代後期には白人の中流クラスが住んでいたが、1920年代頃から、成功した黒人層が住み始めるようになった。シュガーヒルは、文字通り、「甘い丘」。ある意味で「成功の甘い丘」といったニュアンスで、この名が定着した。高級住宅地で言えば、例えば、ビヴァリーヒルズやエンシノなどと同じようなもの。もちろん、ソウル、R&Bラヴァーズにとっては、世界で初めてのラップレコード「ラッパーズ・デライト」を生み出したシュガーヒル・ギャングの名前もおなじみだろう。 この「シュガーヒル」の隣のビルには、「トウキョウ・ア・ゴーゴー」、さらに道をはさんで日本最古のソウルバー「ジョージ」がある。徒歩1分圏内に3軒のソウルバー。この一角は日本一のソウルバー密集地かもしれない。 ジェームス・イングラムの「ワンハンドレッド・ウェイズ」がかなりの音量で実に気持ちよく流れていた。美音で聴くイングラムは、やはりいい。さくっと一杯だけ飲んで、次に移動。行く先は・・・赤坂ミラクルしかない。 +++++ シュガーヒルSugar Hill東京都港区六本木7-3-14六本木東海ホワイトビル2階03-3408-1218 営業 20時から3-4時くらいまで。定休 日曜チャージ 700円ドリンク 700円~ ENT>SOULBARS>Sugar Hill

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Tribute To Uncle Ray, Vol.2?

第二弾。 さて、スティーヴィーの問題の新作『ア・タイム・トゥ・ラヴ』はしばらく前まで7月末の発売に設定されていた。しかし、先週末、この設定がアメリカでは一度はずされることになった。新しいリリース日は未定である。一週間ほど遅れるのか、一月遅くなるのか。まったくわからない。 昨日、スティーヴィーのレイ・チャールズの葬儀の模様を書いているときに、ひょっとしたら、レイ・チャールズの死去に伴い、レイへのトリビュート作品でも作ってレコーディングするのではないだろうかと思い始めた。スティーヴィーだったら、やりそうなことである。アルバムのコンセプトにあわせるために、その曲を書くか、その曲を書いたら、アルバムのコンセプトにあわないから、それまでの曲はすべてペンディングにするか。極端な話、何が起こるかわからない。ひょっとして、アルバム全編を急遽、『トリビュート・トゥ・アンクル・レイ VOL.2』なんかにしてしまうかもしれない。かつて『ジャングル・フィーヴァー』のプロジェクトは、『カンヴァセーション・ピース』の発売の前に割り込んで、制作、リリースされた。あの時も、なんども『カンヴァセーション・ピース』の発売日が変更になっていた。 実質的なスティーヴィーのデビュー・アルバムとなった『トリビュート・トゥ・アンクル・レイ』は1963年7月に全米で発売された。これは、当時のモータウンがスティーヴィーをどうやっていくか、試行錯誤していた時期の作品だ。スティーヴィーが61年から62年にかけてレコーディングしたのは、『ザ・ジャズ・ソウル・オブ・リトル・スティーヴィー』というアルバム。ところが、これはジャズの作品を歌ったのだが、どうもしっくりこなかった。スティーヴィーの魅力を最大限に出すことができなかった。 そこで、生まれた企画が、先に盲目のシンガーとして人気を得ていたレイ・チャールズの作品をカヴァーするというものだ。スティーヴィーも盲目だったので、レイと同様黒いサングラスをかけさせ、第二のレイ・チャールズとして売り出そうという計画だ。しかし、これも当時の音楽の流れでフィットしなかった。スティーヴィーのあの爆発的な魅力は、そのレコードからは飛び出てこなかったのだ。 そして、同じ時期、スティーヴィーがライヴで大変人気を集めていたことに注目したベリー・ゴーディー・モータウン社長が、そのライヴを録音し発売することにしたのだ。ここから、「フィンガーティップス」の大ヒットが生まれる。そして、このシングルのヒットに乗じて、63年7月に先の未発表となっていた2枚のアルバムも含め、『12歳の天才』のアルバムを出す。以後、コンスタントにヒットを出すようになるのである。 スティーヴィーは、レイ・チャールズが盲目であることを知らなかった。しかし、レイ・チャールズの大ファンだったので、彼の作品をカヴァーすることに文句はなかった。そして、作られた作品が『トリビュート・トゥ・アンクル・レイ』だ。 41年前スティーヴィーがシンガーとしての第一歩を記した『トリビュー・トゥ・アンクル・レイ』の第二弾が、レイ・チャールズが死去し、彼に捧げる作品として録音されたとしても、まったく自然の話である。さて、どうなることやら。

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Stevie Talks About Ray: Sung “I Won’t Complain”

スピーチ。 18日にロスアンジェルスで行われたレイ・チャールズの葬儀の模様は大きな感動を巻き起こした。この模様の一部は、次のウェッブで映像とともに見ることができる。 http://cf.nbc4.tv/la/sh/videoplayer/video.cfm?id=3435441&owner=la ここでは、スティーヴィーのスピーチ、そして、彼が歌ったゴスペル曲「アイ・ウォント・コンプレイン(私は文句を言わない)」、ウィリー・ネルソンのスピーチと「ジョージア・オン・マイ・マインド」、BBキングの何度も目をぬぐいながらのスピーチと「プリーズ・アクセプト・マイ・ラヴ」の様子が映し出される。 ぼくはまだ2時間にわたる全編を見たのではないが、この3つのシーンを見るだけで胸が熱くなる。それも英語がすべて理解できるわけでもないのに。そのスピーチのテキストを探したが、見つからなかった。そこでスティーヴィーの部分だけヒアリングでとって試しに訳してみる。完璧ではないが、だいたいこういった感じだろう。もしまちがいなどがありましたら、お知らせください。 レイチャールズの息子さんがかつては「リトル・スティーヴィー」だったが、今は「ミスター・スティーヴィー・ワンダー」となった彼を紹介する。そして、スティーヴィーが登場。バックにおごそかなオルガンの音が流れる。彼はゆっくりと言葉を選びながら話し始めた。 「この言葉を神に捧げたいと思います。神はレイチャールズという天才を私たちのもとに送り届けてくれました。私は、まさか、自分の人生においてレイ・チャールズに会うことができるなんて夢にも思いませんでした。しかし、神はそれ以上のことを与えてくれました。私は、まさか、自分がレイ・チャールズが歌うことになる曲を作るなどとは夢にも思いませんでした。しかし、神はそれ以上のことをしてくれました。私は、まさか、こんな胸一杯の気持ちで私たちがこうして参列するこの場に立つことなど想像できませんでした。神はいつでも私たちに想像以上のものを与えるものです。 私は、この場を借りて、私自身のレイ・チャールズとの想い出を振り返ってみたいと思います。私たち(レイとスティーヴィー)に多くの共通点があることを知るはるか以前から、私は彼という人物は私の心に感動を与えてくれる声の持ち主だと思っていました。彼の声を聴いていると、自分ももっともっと世界に愛の手を差し伸べなければならないと思わせられるのです。また、彼の声を聴いていると、自分は決して行くことができないような所にさえ行けるような気になってきます。 子供の頃から、私は私の声を通して、いつの日にか(レイのように)世界の痛みを和らげ、(人々を)苦しみから救うことができるようになれればと思っていました。私は彼が盲目であることを知りませんでした。『君は、レイ・チャールズの(曲を集めた)アルバムを作るべきだ』と言われ、僕は『なぜ』と聞きました。すると『彼が盲目だから』と言われました。私が知っていたのは、ただ彼が『すばらしい(人物、歌手)』ということだけでした。(拍手) 天才、ソウルの王様、レイが肉体的に亡くなったことと同じくらいに私の心が痛むのは、レイをしても彼は憎しみを(この世界から)なくし、正義を行うことはできなかったということです。また、選挙権がない人々がいまだいる時代の終焉を彼が見届けることができなかったことも心残りです。 私はレイ・チャールズのこの魂(スピリット)が、レイから直接常に愛された人々だけでなく、この国や世界の人々に対して、そうしたことを変革するようにと願ってやみません。 愛しています、レイ! 私が死ぬまで」 そして、「アイ・ウォント・コンプレイン」へ、突入した。 スティーヴィーが熱唱した「アイ・ウォント・コンプレイン」という曲は初めて聴いた。伝統的なゴスペル曲だという。その内容をご紹介しよう。歌詞は若干、スティーヴィーのヴァージョンと違う。スティーヴィーは前半部分を歌った。 +++++ 「アイ・ウォント・コンプレイン」 いい時もあった。苦しい時もあった。涙にくれた時もあった。眠れぬ夜もあった。 だが終ってみて振り返れば、良かった時の思い出が、苦しかった時の思い出を凌駕する。だから、私は不平不満など言わない。 時には雲が低くたちこめ、進むべき道がわからないこともある。そこで神に尋ねる。「なぜ、こんなに苦しまねばならないのですか?」だが神はそれが私にとっての最高の試練だということを知っている。涙にあふれた目からはわからないが、私は神にありがとうと言う。私は、不平不満は言わない。 +++++ スピーチと歌は約8分半続いた。 +++++ I Won’t Complain I’ve had some good daysI’ve had some hills to climbI’ve had some weary daysAnd some … Continue reading

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Another Hell For Men: Selecting Songs Is Hard To Do

早熟。 今日の『ソウルブレンズ』は、クリスタル・ケイちゃんがゲストに登場。クリちゃんは、この番組のなかでも以前「聴いてミルク」というコーナーを毎週持っていて、その頃はほとんど毎週のようにやってきていたが、最近は彼女の新譜のタイミングの時くらいしかやってこない。今回は、これまでのヒット曲を集めたベストセレクション作品『CK5』を出すというので、久々にやってきた。ハイスクールも卒業し、いよいよ10月からは大学(ソフィア=上智)に入る。まだ18歳だ。 それはさておき。 『CK5』の「5」は、デビュー5周年の5だそうで。もう5年ですか。なんかあっという間ですね。彼女が選んだモータウン・ヒットはジャクソン・ファイヴの「アイル・ビー・ゼア」。 曲がかかっている間に、「マイケルはこのとき、いくつなの」と聞かれたので、70年だから11歳か12歳と答えた。正確に言えば70年9月のヒットだから、マイケルが12歳の時のヒットということになる。もっとも、レコーディングしたのは誕生日の8月より前だから、11歳の時。すると、彼女は、「私、コントラクト(契約)したの12歳だったわ」という。それを聞いて、ぼくがびっくり。12で契約し、13歳でデビュー! マイケルのデビューは11歳、スティーヴィー12歳、たしかテヴィン・キャンベルも11歳でデビューしている。ということは、クリスタル・ケイは、マイケル、スティーヴィー、テヴィンなどと並ぶ早熟スターではないか!? (笑)  マイケル、スティーヴィー、クリスタルって並びはどーよ。(笑) そして、このリストに木下航志君がはいる。こんな並べ方するの、おそらく日本でSoul Searchin Diaryだけでしょう。(笑)  それはさておき。 選曲。 『山野ミュージックジャム』では、ソウルバーのコンピレーション・アルバムを4枚紹介した。以前2003年6月に『ブリオ・ソウルバー~アーバンR&Bセッション』と『同・スタンダード・ソウル・セッション』がでたときにもちらっと紹介した。2004年3月に、その続編『ミッドナイト・パッション』と『デイライト・メロー』がでたので、これらから選曲した。したのだが・・・。聴くためにきちっとかける曲は2曲、その他にBGMで4曲程度を選ぶのだが、ここらへんのコンピに入ってる曲だとみんないいんですよねえ。(笑) 選曲は、ちなみにソウルバー、赤坂ミラクルの川畑さん。 で、選んだのはレオン・ウェアの76年のアルバム『ミュージカル・マッサージ』からそのタイトル曲と、83年のファイナス・ヘンダーソンの歌う「クラッシュ・オン・ユー」。「クラッシュ・・・」は、すっかり忘れていた一曲。スティーヴィーが彼にプレゼントした曲で、スティーヴィー自身は録音していない。ひさびさにスティーヴィー節を感じた。ちなみに、これファイナスと紹介しましたが、CDでの表記はフィニスになってます。これは、この表記が誤り。次以降にでるときには直してもらいましょう。まあ、チ・ライツ→チャイ・ライツ、メアリーJブリッジ→メアリーJブライジ、という例もあるし。なんか、山野のコーナーまで「スロージャミン」みたいになってしまった。(笑) しかし、このレオン・ウェアの後、CMはさんで最後にマーヴィン・ゲイの「アイ・ウォナ・ビー・ホエア・ユー・アー」なんかがかかる「流れ」なんぞは、すばらしい。(マーヴィンを選曲したのはオッシーですが、あわせて自画自賛・気味) それはさておき。 今日でた結論はこうだ。50曲以上の中から、たった2曲プラス4曲、選ぶのって、やっぱり「男の地獄」。でも、その地獄も楽しいんだけどね。ははは。 ENT>RADIO>SOUL BLENDS>2004.6.20

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Everybody Can’t Stop Loving Ray

葬儀。 11日・金曜日(日本時間12日土曜日)、ソウルマンを送る儀式がおごそかにロスアンジェルスのファーストAME教会で行われた。スティーヴィー・ワンダー、B.B.キング、ウィリー・ネルソンら多くの友人たちがスピーチをし、歌い、ウィントン・マルサリスがトランペットを吹いた。 レイ・チャールズの息子のひとりロバート・ロビンソン・サー司教はこう語った。「父の人生は日曜朝のお祈りと土曜夜のパーティーに匹敵します。今は、泣く時(「クライング・タイム」=チャールズのヒット曲のひとつ)かもしれません。しかし、手を叩いて、足を踏み鳴らして神を賞賛してください。私たちにレイ・チャールズを与えてくれた神に対して」と語った。 このスピーチに教会内の人々だけでなく沿道でこれを聞いていた多くの一般の人も熱狂的に反応した。 ローリング・ストーンズ、ヴァン・モリソン、アイス・キューブ、オークリッジ・ボーイズ、ビル・クリントンなどからの献花、メッセージがあふれた。 チャールズの友人であり女優でもあるシスリー・タイソンはこうスピーチした。「チャールズの力強かったところのひとつは、視力なしに人生の価値を見ていたところです。レイに代わる人物は決していません。彼の暗闇を通して、彼は私たちの人生に光を与えてくれました」 B.B.キングはチャールズの家族への献身についてのスピーチを語りきるのに大いに苦労した。彼の目の前にはその家族たちが座っていたからだ。チャールズの長年の友人であるキングは途中で何度も感極まり、そのことへの許しを乞った。すると、客席からは「あなたの味方よ、BB」「ゆっくり時間をとって」といった声がかかった。キングは、彼がチャールズとポーカーをやったことを話した。しかし、キングはなんどやっても勝てなかった。ついにキングはその謎を知った。そのカードには盲人用の点字がついていたのだ。そして、キングは強い声でギター片手に「プリーズ・アクセプト・マイ・ラヴ」を歌った。 多くのスピーチが、チャールズのユーモアのセンス、人となりを称えた。ウィリー・ネルソンは、こんな逸話を披露した。「私はチャールズとよくチェスをやったものだ。でも、いつも彼は私を負かしてしまう。そこで、ぼくは彼にお願いしたものだ。次の試合は、明かりを点けてやろうぜ」  金曜のセレモニーではチャールズ自身の「アメリカ・ザ・ビューティフル」も教会に響いた。 スティーヴィー・ワンダーは、クリント・イーストウッド、ウィリー・ネルソンらの後に登場。ゆっくりとスピーチを始めた。「私はずっと彼の声に惹かれていました。深い感動を呼び起こされるその声に。彼の声のように世界中の人々に感動を与えるような歌を歌いたいと思いました。そして、彼の音楽を知ってずいぶんたってから私たちは共通点があるということを知るのです。それは、『君はレイ・チャールズへのトリビュート・アルバムを作るべきだ』といわれたときのことです。『なぜ?』と聞きました。『彼は(君と同じく)盲目だからだよ』 私はそれまで彼が盲目であることを知りませんでした。私は、彼の音楽がすばらしい、その点だけでアルバムを作ることにしました」 スティーヴィーは、スピーチの後、「アイ・ウォント・コンプレイン」を歌った。マイクを一本だけ持ち、ストライプのスーツを着たスティーヴィーは同曲の途中からマイクを叩き、ミディアム調のリズムを刻み、教会の参列者の足を鳴らさせた。 イングルウッド墓地へ続く長い車列が出発する前に、マルサリスがトランペット・ソロでチャールズとチャールズの一家を送り出した。そして、それに続いてレイ・チャールズ本人の最新レコーディングでもあるジョニー・マティスとのデュエット曲「オーヴァー・ザ・レインボウ」が流れた。ステージからその曲にナレーションが重なった。「(虹のかなたに)そこが今、彼がいるところです・・・」

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Hell For Men Turns Heaven For Him

地獄。 金曜夜7時、西麻布のシカダ(Cicada)。友人夫婦らと会食。ここは、しいていえば地中海沿岸の料理ということで、かなりヨーロッパ色が強い。スペイン風タパスから、ギリシャ風料理などいろいろでてくるが、金曜の夜のせいか広い店内も超満員になっている。最近はなかなか予約が取れないらしい。昔は洋服屋さんがやっていたイタリアンだったところだ。インドのナンのようなパンがちょっと塩気が効いていておいしい。 で、その夫婦はつい先ごろ結婚式をあげたばかりなのだが、そのなれそめやら、どこで気持ちが傾いたかなどという、まあ、新婚さんにありきたりな話がどんどん飛び出すわけである。彼はひじょうにやさしい、知的で物静かな男性だ。彼はイギリス人で彼女は日本人。彼女はどちらかというと彼を尻に敷きそうなタイプ。(笑)  そんな数ある話の中で、知り合ってお互いメールのやりとりをするようになって、ひとつえらく彼女が受けたメールがあったという話がおもしろい。彼はイギリス人ながら日本語でメールが書ける。漢字もだ。日本に初めて来たのは20年近く前になる。 二人が知り合って、まもなく彼がイタリアへ出張となった。そこで、おみやげに何がいいか、という話になった。ところが、彼女はまだ知り合って一月も経っていなかったので、遠慮して欲しいものをはっきり言わなかった。そこで、彼は彼なりにいろいろ考えてみたのだが、知り合ってまもないから彼女の趣味など皆目わからない。何日かショッピングを試みたがギヴアップしてメールを送った。そのタイトルは—。 「男の地獄」! 英語では、Hell For Men。男が女性へのプレゼントを選ぶのは、地獄だあ、ということだ。彼女は最初、こんなタイトルが来て、一体なんのことかと思ったのだが、結局、その男の地獄をかわいそうだと思い、トッズ(Tod’s)の靴が欲しいな、とメールを送った。ところが、日本の靴のサイズとイタリアのサイズでは表示も違うし、同じだとしてもさらにブランドによって違うこともある。そこで、彼女は渋谷の西武に行って、わざわざ、そこでは買わないのに(笑)サイズだけ計りにトッズで試着したのだ。彼女がそのとき試したのは、ローファーだった。そして、そこで計ったサイズをメールで送った。 何日か後、彼がイタリアから戻りおみやげを手渡した。大きな包みを開けると、そこにはトッズのローファーではなく、ブーツが入っていたのだ。彼女はそれがローファーではなくブーツだったことで、またびっくり。果たして足が入るか試したが、無事入り、めでたしめでたし、となった。確かに男性にとって、女性へのプレゼントを買うのは地獄かもしれない。(笑)  とはいうものの、Hell For Menは、確かに「男の地獄」ではあるが、ニュアンスを付け加えれば、「男にとっての地獄」って感じだろうか。しかし、メールのタイトルが漢字で「男の地獄」だったら、そりゃあ、インパクト強い。 エアコンはついているがドアは開け放され、ときおり、地中海通りから風がはいってくる満員の店内はその話し声でかなりうるさい。隣のテーブルは12人の外国人のグループだ。他にも外国人のお客さんが多い。シェフが外国人だからか。 そして、彼らは付き合い始めるのだが、その後こんな泥酔事件が起こる。友人たちと飲んでいたときのこと。たまたまそこには日本酒と焼酎しかなかった。彼女が珍しく焼酎を飲んだら、かなりよっぱらってしまい、記憶がなくなるほどになった。彼のところに帰る途中、気持ち悪くなって戻してしまったが、戻ってもまだすっきりしなかった。そして、頭もがんがんする中、寝てしまう。朝、ふと気が付くと、自分はパジャマを着ていて、鏡を見ると化粧も落ちていた。 彼女は尋ねた。「昨日の夜、一体どうしたの、私?」 すると彼は答えた。「寝ちゃってたから、パジャマに着替えさせて、それから、顔の化粧をタオルで拭いて取ったんですよ」 おおおおっ。着替えさせて寝かせつけるあたりまでは思いつくが、化粧を取るところまで気が回る男性はいるだろうか。う~~~ん、なかなかやるな!(笑)  そして、この事件を機に、彼女の気持ちは彼の方へ徐々に傾いていて行ったという。まさにターニングポイントだった。 この話から得る教訓は、こうだ。彼女が酔って寝てしまったら、化粧を落とせ。(ちがうか)(笑) 男の地獄を経験したからこそ、今の天国のような幸せがあるということである。(笑) 「男の地獄、転じて天国となる」ってところだろうか。ご結婚、おめでとうございます。まちがっても「天国転じて地獄に」ならないようにね。ははは。(笑)  あ、そうそう、「尻にしく」って英語でなんていうのだろうか。彼にきいた。「あ、それはちょっと違うけど、英語ではこう言います。She wears the trouser. 彼女は(彼の)ズボンを穿く、っていうこと」 この表現は「ボス的存在になる」ことを意味する。な~~~るほどね。ワンポイント・イングリッシュ・レッスンでした。

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Footsteps Of The Master Of Dance, Nick Okai Explode

足跡。 ダンサーが激しく踊るとき、その足元はどうなっているのか。動きはどうなのか。その動きをキャンバスの上に塗料で固定したい。そう思ったのが、ペインター・アーティストの岡伸昭さんだ。ソウル・ミュージックが大好きで、ステップの踊りも覚えていた彼が、そのステップの神様ニック岡井氏が踊る姿を作品にしたいと熱望した。 そして、できあがったのが前代未聞の、キャンバスに青い塗料で塗られた作品群である。これは、ニックが靴に塗料を付け、それぞれの曲にあわせて決まったダンスステップをキャンバスの上で踊ったもの。ニックの足跡が青い塗料の跡となって豪快に残されている。大きな作品(1940x3909mm)から小さな作品(1580x1180mm)まで二十数点、今日から新宿ビームス他で展示・即売されている。タイトルは、「アフター・ザ・ダンス/ノブアキ・オカ・エクスヒビション・フィーチャリング「ザ・マスター」ニック・オカイ」。6月17日(木)から8月17日(火)まで新宿ビームス6階のBギャラリー、渋谷区神南のタイムカフェ、福岡市中央区のルセント・カフェの3か所で同時開催される。 ぱっと見ると、青い塗料が確かに足跡となって、キャンバスを走っている。大きい作品はかなりのインパクトだ。岡さんは言う。「前々からダンスが好きで、そのダンサーの足元というのに興味があったんです。いろいろなところでみんながかっこよく踊ってるのを見ると、リアルタイムで知らなかった僕は、そういうのをリアルタイムで知っている(自分よりも年上の)人たちがとってもうらやましく思えたんです。まあ、確かに足フェチかもしれませんね。(笑) で、踊る人の動きを何か作品にしたいと思った。そして、どうせ踊る人を頼むのだったら、一番好きなニックさんにお願いしたいな、と」 ニックが言う。「最初(話を)きいた時は、なんだろな、と思って。別に僕じゃなくてもいいんじゃないかと思ったけど(笑)、岡君が『これは絶対ニックさんじゃないとだめなんです』って言われて、やる気になったんだ。ペンキ付けるとさ、(足が)すべらないんだよ。(笑) けっこう大変だったけどね」 当日はスタジオで約4時間半にわたってレコードをかけ、踊った。例えば、一番大きな作品「ポップコーン」は、ジェームス・ブラウンの「マザー・ポップコーン」のライヴ・ヴァージョンを使って踊った。約5-6分で3枚のキャンバスに「足跡」を残した。それらの踊っている模様は、ヴィデオに収録され、大型の作品を購入される方にはついてくる。値段は最大のものが90万円、最小のもので6万円など。 その足跡は、色鮮やかのブルー。岡さんが言う。「ブルーが大好きなんです」 作品の天地がわかるように、岡さんとニックがそれぞれサインと、タイトルを書き入れた。「NO04」と書かれた文字。「ナンバー・フォー」かと思ったら、違った。伸昭・岡の頭文字、「NO」と2004年の「04」だそうだ。 「昔から、この新宿3丁目(ビームスのビルがあるところ)は、ダンスのメッカというか始まったところだという雰囲気があるんですよ。ニックさんがやってた(ディスコ)ゲットは、すぐこの近くでしたしね。で、ここからダンスの歴史みたいなものが始まったとすると、それをこの作品の中で表現したいなと思いました」と岡さんが言う。 大きく飾られたキャンバスに残された青い足跡をじ~~と見ていると、ニックが踊りつづけた50年の足跡に見えてくる・・・。かな?(笑) ニックが言う。「踊った後には、それを見るだけじゃ、どの踊りで踊ったのかもうわからなくなっちゃうんだよ(笑)。だから、すぐダンスの名前を書いとかないとね。(笑)」 ニックと一緒にキング・オブ・ソウルで活躍のマイケル曰く「オレがやっても、ニックがやっても、違いはわかんないと思うよ(笑) ははは」。 芸術的に動いているものの瞬間を捉えて、一枚の作品に固定すれば、それ自体が芸術品になる。ダンスマスター、ニックの足元が芸術的に動く瞬間、その足跡は芸術になる。芸術は爆発する。キャンバスのブルーの飛沫(しぶき)は、ニックの足の爆発の記録だ。 関連ページhttp://www.beams.co.jp/beams/b_gallery/b_gallery_sheet/oka.html ENT>ART>Nick Okai / Oka, Nobuaki

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Stars Would Sing For Ray Charles

葬儀。 6月10日(木)に死去したアメリカのソウル・シンガー、レイ・チャールズの葬儀が17日、18日にロスアンジェルスで行われる。17日は、ロスアンジェルス・コンヴェンション・センター内サウスホールで、棺は一般の人の弔問と記帳を受け付ける。 翌日18日午前10時からは、ハーヴァード・ストリートにあるファーストAME教会で近親者のみで葬儀が行われる。この葬儀は招待状を持っている人しかはいれない。ここにはスティーヴィー・ワンダー、ウィリー・ネルソン、BBキング、クリント・イーストウッド、グレン・キャンベル、シシリー・タイソン、ビリー・プレストンなどアメリカ・エンタテインメント界の錚々たるメンバーが参列する予定。 約2時間の葬儀の後、棺がチャールズのスタジオ(2107ワシントン・ブルヴァード)の横を通り、イングルウッド墓地へ行き埋葬される。このスタジオは去る4月にロスアンジェルスの記念建造物に指定され、その儀式にチャールズも出席。これが公にでた彼の最後の姿となった。チャールズは、その時、「私はこの場所が大好きだ。ここは長いキャリアの多くの時間を過ごした、私が唯一ホーム(我が家)と思える場所だ。私はここを決して去ることはない」とスピーチしていた。 18日(日本時間19日)に行われる葬儀で、スティーヴィー・ワンダー、ウイリー・ネルソン、BBキングは、トリオでチャールズに捧げる歌を歌う、という。チャールズの家族によれば、「このトリオによる演奏は、『感動的なお別れ』になるだろう」とのことだ。この他にも、クインシー・ジョーンズ、クリントン元大統領、ビル・コスビーなどが事前に録音されたもので、挨拶などをする予定。 ++++++++++++ 弔問。 今週のロスアンジェルスはレイ・チャールズのメモリアル・ウィークのようだ。木曜日には棺が一般の人にも公開され、記帳することができる。金曜は招待客のみの葬儀。参列者の名前を見るだけで、ためいきがでるほど。さすがに生中継などはないのだろうか。スティーヴィー、BB、ウィリーのトリオによる演奏は、ぜひ見てみたい。名前を聞くだけで、泣けてきそうだ。 話はまったく変わるが、スティーヴィーの新作『タイム・トゥ・ラヴ』がいよいよ7月21日に発売と発表されている。その発売に向けて、スティーヴィーは先日(6月8日)、全米の人気テレビ番組『オプラ・ウィンフリー・ショウ』に出演した。その模様については明日以降に紹介する。 ところが、この発売がまたまた遅れそうなうわさがでてきた。現在、スティーヴィーの新作発売に関連したブックレットの制作をしているのだが、さっき留守電に担当者から「発売日に変更がありまして・・・」と入っていた。「変更」か。前倒しは考えにくい。直接話をしていないのでわからないのだが、また遅れるのかなあ。2001年9月頃発売という話からおよそ3年。何度も言うように、スティーヴィーのアルバムは、「出たときが発売日」だ。(笑) このあたりについては、また詳細を報告します。 +++++ Billboardhttp://www.billboard.com/bb/daily/article_display.jsp?vnu_content_id=1000532164Edited By Jonathan Cohen. June 15, 2004, 4:10 PM ET Charles: Public Memorial, Private Funeral A public memorial for Ray Charles will be held Thursday (June 17) in the … Continue reading

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How To Raise Your Latin Ratio

ラテン系。 「ラテン度数」への反応がけっこうあるので、もうちょっと行きますか。(笑) この概念は、経済学者の森永卓郎さんが彼の著書『年収300万円時代を生き抜く経済学』の中で提言しているものです。とはいうものの、僕はその本、持ってないんですけど。テレビで聞いた話から、ネットで調べた。お気楽で~す。(←ラテン的) 曰く、こんな感じ。「日本では年間3万人以上の人が自殺しているが、凄惨な経済危機にさらされているアルゼンチンでは、自殺する人がほとんどいない。こうした前向きな楽天性は、日本人が学ぶべき美徳のひとつだと思う」 さらに。「失業が多いのに自殺が少ない県、すなわち『ラテン度指数』が高いのは沖縄県や大阪府(註:1位沖縄県、2位奈良県、3位徳島県、4位大阪府、5位神奈川県)。イタリア人やアルゼンチン人になるのは難しいとしても、沖縄人や大阪人になら、なれる気がしないだろうか」 一番「ラテン度数」が低いのが、秋田県だそうです。沖縄、大阪の上位って、すっごく納得するんですけど。(笑) 神奈川5位ですか。よ~~、わからん。ま、いいか。(←ラテン的) 要はいかに人生を楽しくすごすか、がこれからはポイントになるってな話なんですが。ひとつには趣味を持つなんていうのは、いいですね。それもお金のかからない趣味ね。スポーツ観戦とか音楽なんていいかもですね。 で、ここからは本から離れて、これを個人レベルでラテン度が高い、低いってことは言えないでしょうかという提案です。僕もどちらかというと今日明日くらいのことしか考えないタイプで、明日はなんとかなるだろう的発想があるんですよねえ。じゃなきゃ、こんな仕事してないでしょうね。ははは。(←ラテン的) 年収3億でもハッピーでなく、眉間に皺(しわ)寄せて生きている人もいれば、年収300万でもいっつもにこにこしていて楽しそうな人もいる。後者のほうが一見ラテン度は高いですよねえ。では、どうしたらラテン度を上げることができるんでしょう。ラテン音楽聴いて、踊ってれば、いいんでしょうかね。(笑) それもひとつかもしれませんが。 まあ、ひとつには前向きに生きるってことでしょうか。そして、細かいことにくよくよしない、些細(ささい)なことに怒らない、逆にちょっとしたことで笑うってことでしょうか。笑う角には福来るっていうし。(←あ~~、ラテン的) あなたもハーフフルなラテン系(C=つきあかりさん)に。さあ。お勧めラテン的生き方。でも、CD聴くのはソウル系。

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The Digital Garden Vol.7: Event For Prince Fans

イヴェント。 プリンス・ファンが集うパーティー・イヴェントです。掲示板で一度紹介しましたが、一応こちらでも。 Tsunaさんらが主催するプリンス誕生パーティーがあります。詳細はこちら。 http://thedigitalgarden.gooside.com/contents.htm http://thedigitalgarden.gooside.com/news.htm The Digital Garden Vol.7 : birthday celebration 2004 Saturday June 26 2004 from 22:00 till DAWN at CURRENT Nishi-Shinjuku2,500yen [1 drink] / 2,000yen [1 drink with flier or coupon printed out] djs : terry ueda … Continue reading

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Candi Staton: Lady Soul Connect Your Heart, Southern Soul Touch Your Soul

琴線。 まさか自分がキャンディ・ステイトンのアルバムを紹介するとは夢にも思わなかった。(笑) キャンディ・ステイトンは、南部を中心に60年代から70年代に初期に活躍したいわゆる「サザン・ソウルを歌うレディー・ソウル」。「レディー・ソウル」は、女性のソウルシンガーのこと。76年に、「ヤング・ハーツ・ラン・フリー」というディスコヒットがあるが、元々はゴスペルを歌っていた人でサザン・ソウル・シンガーとして知られる人物である。ところが、76年のそのディスコヒット以来、しばらくダンス曲をだしていたが、その後、元のゴスペルに戻り、地味に地元でゴスペルを歌っていた。ただその「ヤング・・・」がクラブなどでリミックスが注目を集めたりしていた。 昨日、「山野ミュージックジャム」で紹介したのは、ステイトンの60年代後期から70年代初期にかけての作品群。この頃、彼女はフェイム・レコードというレコード会社に所属していた。フェイム・レコードは、南部アラバマ州マスルショールズという街にあったレコード会社。元々はフェイム・スタジオをやっていた白人のリック・ホールという人物が、ただスタジオだけやっていてもおもしろくない、というので、有望なシンガーを見つけてはレコーディングして、インディで発売するようになった小さなレコード会社である。キャンディ・ステイトンはそんな中で見出されたシンガーのひとりだった。 キャンディは元々ゴスペルを歌っていたが、実に歌心があるソウルシンガーで、その優しさ、包容力、フレンドリーな態度など好感度の高いシンガーだった。そして、彼女はここフェイムでアルバムを3枚録音し、ヒット曲もだすが、契約の関係で長い間CDが発売されていなかった。70年代に一度、日本のPヴァインからアナログが発売されていた時期があったが、もちろん当時はCDなどというものはなかった。 僕は、ずっと輸入盤のオリジナルで聴いていたが、このところすっかりごぶさたしていた。そのフェイム時代の作品がCD化されなかったのは、原盤の権利所有者であるリック・ホールが許可をださなかったためだといわれる。それは、このフェイム盤はひじょうに人気があり、世界各地で海賊盤が出回り、それに嫌気がさしたホールが正規盤の発売を許可しなかったのではないか、などと言われている。ところが、最近になってホールがその原盤の権利をEMIに売却した。そこで、いよいよ『昔のお宝音源』が日の目を見ることになり、その日本盤が堂々と発売されることになったわけだ。 タイトルは、『ベスト・オブ・キャンディ・ステイトン』(東芝EMI、TOCP66924)。70年代初期のよきサザン・ソウルの響きが伝わってくる。サザン・ソウルは、日本人の心の琴線にもっとも触れる種類のソウル・ミュージックで、それはおそらく日本の演歌などと、一番の奥底でつながっているからなのだろう。生活感にあふれた歌詞、やさしい温かみのあるメロディー。そして、ゴスペルに根ざした熱い歌唱。カントリーのもつ、ほんわかしたところをも内包してしまうサザン・ソウルはやはり、リアル・ミュージックだ。 ちなみに東芝EMIからでた日本盤は、ライナーが最近のインタヴューを中心にした原稿(林剛氏)に、鈴木啓志さんのフェイム以前の詳細なストーリーの2本立て、これにフェイム時代のディスコグラフィー、さらに英文ライナーノーツとその対訳、歌詞およびその対訳と完璧なブックレット(40ぺージ)になっている。最近の日本盤でここまで充実したブックレットは久しぶりに見た。しかも、さらにCCCDでないというところもポイントアップ! もろ手をあげて応援します。(笑) アル・グリーン、ジョス・ストーン、ハワード・テイト(彼については書こうと思ってますが、まだ書けてませんね)、そして、このキャンディ・ステイトンと、21世紀のサザン・ソウルが揃った。これを機にどんどんこの時代のものが掘り起されるといいですねえ。 レディー・ソウルはあなたの心を直撃し、サザン・ソウルは、あなたのソウルにぐいぐい来ます。

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Brother Ray On My Mind: A Tribute To Ray Charles

スタンプ。 映画『ミスティック・リヴァー』の製作の合間をぬって、クリント・イーストウッドはマーティン・スコセッシーの要請で、ブルースの音楽ドキュメント7本のうちの一本『ザ・ピアノ・ブルーズ』を完成させる。このドキュメンタリーのハイライトは、レイ・チャールズだ。http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200309/diary20030928.html 冒頭、イーストウッドがグランドピアノをぽろぽろと弾いている。そこに車から降りて、付き人に手を引かれスタジオ内にレイ・チャールズがやってくる。長身のイーストウッドと比べるとチャールズは、かなり小さく見える。グランドピアノに並んで座り、イーストウッドがインタヴューする。チャールズが昔話を始める。 イーストウッドが「どのようにピアノを始めたのですか」と訊く。レイが答える。「ワシが3歳のときのことだ。近所にいわゆる雑貨店があってな、なんでも売ってるような、そこの主人がピアノを弾いたんだ。で、なぜかわからんが、その彼がピアノを弾くのを見るのが大好きで、ものすごく惹かれたんだ。椅子の上に乗って、なんとか(鍵盤を)叩いたりするんだが、適当にね。するとその主人が『違う、違う。こうやって、こっち(右手)でメロディーを弾くんだ』みたいなことを教えてくれた」 彼の目には、その主人がピアノを弾く姿が鮮明に記憶されている。咳き込みながら、チャールズは語りつづける。(このドキュメンタリーは日本では劇場公開はされませんが、なんらかの形で公開される予定です) 彼はその3歳のとき以来、ずっと70年間、ピアノを引き続けた。チャールズはしかし、その4年後、緑内障が原因で失明。以来、ずっと暗黒の世界に生きてきた。だが、彼には目が見える人にも見えないものが見えていた。 レイ・チャールズの元で働いていたスタッフがチャールズの自伝『ブラザー・レイ』の著者、デイヴィッド・リッツにこんな話をしている。「(レイ・)チャールズさんに何か話をしなければならないときには、いつも、(話すことを)紙に書いてから行ってました。そうしないと、何も言えなくなってしまうんです。彼が私を見ると、私は固まってしまう。まるで、私のすべてを見透かしているような感じがするのです」  リッツも、盲目の人と話をすることのむずかしさを述べている。つまり、普段僕たちが会話をするときは、相手を見て、口から出る言葉以外のもの、ボディーランゲージであったり、目や顔の表情から得る情報が無意識のうちに役立っているのだ。しかし、チャールズと話すときは、つねに黒光りするサングラス相手なので、どうしてもわからないことが多い、という。(デイヴィッド・リッツと、レイについては http://www.soulsearchin.com/entertainment/music/interview/ritz19940509.html へ) レイ・チャールズのライヴは何回か見たことがある。よく覚えているのは89年暮れ新宿厚生年金ホール、ちょうど「いとしのエリー」がCMで使われてヒットした頃のライヴだ。その頃、レイは毎年12月に決まったように来日していた。思ったのは、とても音が小さなライヴだな、ということ。そして、曲が次々と、しかも淡々と歌われるショウだった。ところが、一番最後に「いとしのエリー」をやったときには、なぜか急にぐっときた。それまでの流れでただやってきていたライヴが一瞬にして輝きを見せたのだ。ブラザー・レイは、ほとんど、完璧に自分のものにしていた。おそらくその時点でもたいした回数は歌っていなかったはずなのに。逆にあまり回数歌っていなかったから、新鮮だったのか。 92年2月、レイ・チャールズのドキュメンタリー『ジニアス・オブ・ソウル』の解説を書くために、かなり膨大な資料を読んだ。そのときに、レイ・チャールズの偉大さを改めて知った。これは、その後99年にDVD化されている。(解説は本ウェッブに掲載。内容は、その原稿をじっくりごらんください。http://www.soulsearchin.com/entertainment/music/linernotes/ray19990220.html ) これを書いた時点では、リッツの書いた『ブラザー・レイ』の本を持っていなかったが、同じ年の10月にようやくソフトカヴァーで入手することができた。DVD化されたときに、原稿を若干加筆訂正したが、それはこの本のおかげもあった。 僕は残念ながらレイ・チャールズにインタヴューしたことがない。最高に接近したのは、たしか目黒のブルースアレーでのこと。来日したときに、何かの記者会見かちょっとしたライヴを見せたときだったと思う。お店が小さかったので、すぐ目の前にブラザー・レイがいたのを強烈に覚えている。確かに、あまり大きくなかった。 その後も、ライヴを多分なんどか見たかもしれないが(やはり、ずっと日記を書いておけばよかったと思う=(笑))、最後に見たのは2000年7月のカナダ・モントリオールだった。やはり、音が小さかった。音が小さいので、集中してしまうのだが。 年に300本もライヴを行うということは、ライヴが人生そのものになっている、と言ってもいい。会場から会場へ。しかし、常に一定の水準のライヴを見せる。そのショウは、職人たちのショウとして完成している。 レイ・チャールズの音楽を聴いてもっとも感じること、それは彼がアーティストとして恐ろしいほどの「柔軟性」「吸収性」を持っているということだ。ブルーズだけにとどまらず、それをゴスペルと融合させたり、カントリーやポップを歌ったり、世界中のあらゆる音楽を自分の音楽の中に吸収しようとした。その貪欲さこそが天才の原点だと思う。しかも、それをほとんどすべて、自分の音楽「レイ・チャールズ・ミュージック」にしてしまう。あらゆる音楽に「レイ・チャールズ」というスタンプを押してしまうのだ。 ブルースとゴスペルをあわせて、当時はまだ名前もジャンルもなかったソウル・ミュージックという名の音楽を作った。音楽ジャンルをひとつ作ってしまったのだから、偉大という言葉以外思いつかない。 彼の体は小さかったが、成し遂げたことはあまりに大きい。失明、孤児、黒人、そして貧困。これ以上の四重苦はない。孤独と絶望の淵から世界の頂上に這い上がったブラザー・レイ。そのバネの強さは尋常ではない。彼が持っていた武器はただひとつ、音楽だ。空気を吸い、水を飲み、食事をするように、彼は音楽を栄養にして成長し、それは彼の体の一部になった。そしてその音楽の力で彼は世界を手にしたのだ。 ドキュメンタリー『ピアノ・ブルーズ』は、レイ・チャールズが歌う「アメリカ・ザ・ビューティフル」で幕を閉じる。レイ・チャールズ、ユー・アー・ザ・ビューティフル!  クインシー・ジョーンズがレイに会ったのはクインシー14歳、レイ16歳のときのことだった。それ以来の親友同士。そんなクインシーが言った。「レイはもし10セント硬貨を持っていたら、いつでも私に5セントくれる、そんな奴だった。今、その5セントを返すから、レイを(ここに)戻して欲しい。でも、天国のほうが今では彼にとっていいのかもしれないな」  レイ・チャールズ、人々は親しみをこめて彼のことを「ブラザー・レイ」と呼ぶ。 最後に、レイに捧げる詞を記して、ご冥福をお祈りする。タイトルは「ブラザー・レイ・オン・マイ・マインド」。そう、「ジョージア・オン・マイ・マインド」のメロディーで歌ってください。 “Brother Ray On My Mind” (Lyrics to Melody of “Georgia On My Mind”) Brother Ray……Brother Ray……….the whole day through Just an … Continue reading

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Soul Legend Ray Charles Died At 73

創始者。 「ソウルのオリジネイター」「ソウルの創始者」など様々な異名を持ち、アメリカの黒人音楽シーンに最大級の影響を与えたヴェテラン・ソウル・シンガー、レイ・チャールズが6月10日(木曜)午前11時35分、カリフォルニア州ビヴァリーヒルズの自宅で家族、親しい友人らに看取られながら肝疾患のため死去した。73歳だった。レイ・チャールズは、2003年7月、過去53年のエンタテイナーとしての歴史の中で体調不良を理由に初めてコンサートをキャンセル。以後、入退院を繰り返していた。同年5月には、10000回目のコンサートを行っていた。http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200308/diary20030809-1.html レイ・チャールズが最後に表舞台に出たのは去る4月30日、チャールズが40年前に建てたスタジオが、ロスアンジェルスの記念建築物になった式典でのこと。このときは、映画俳優クリント・イーストウッドとともに車椅子で登場した。また、チャールズは、イーストウッドが監督したテレビ・ドキュメンタリー『ピアノ・ブルーズ』http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200309/diary20030928.htmlに、イーストウッドと並んで登場している。 現在、レイ・チャールズの生涯を描いた映画『レイ』が製作されており、これは10月頃に公開が予定されている。この主演はジェイミー・フォックス。 レイ・チャールズは今年までレコーディングを続けていた。最新作は8月にリリースされる『ジニアス・ラヴズ・カンパニー(天才は仲間が大好き)』で、ここにはウィリー・ネルソン、ノラ・ジョーンズ、BBキングなどがデュエットで参加している。ネルソンは先月チャールズと、フランク・シナトラのヒットでおなじみの「イット・ウォズ・ア・ヴェリー・グッドイヤー」をレコーディング。「私は最高の親友の一人を失った。彼がしのばれる。(レコーディングの)一日、彼とは本当に楽しいひと時を過ごした」とコメントしている。 +++ レイ・チャールズは、1930年9月23日、アメリカ深南部ジョージア州アルバニー生まれ。7歳で失明、15歳で孤児となり、苦労を重ねミュージシャンとして自立。1949年、18歳のときに自身が組んだ「マキシン・トリオ」としてレコーディングした「コンフェッション・ブルーズ」が初ヒット。その後、55年、レイ・チャールズとして「アイヴ・ガット・ア・ウーマン」の大ヒットで一躍注目された。以後、「ホワッド・アイ・セイ」(59年)、「ジョージア・オン・マイ・マインド」(60年)、「ヒット・ザ・ロード・ジャック」(61年)、「アイ・キャント・ストップ・ラヴィング・ユー」(62年)など多数のヒットを放ち、世界的なスターとなった。 特に黒人教会音楽であるゴスペルと黒人の世俗的音楽であるブルーズを融合させ、新たに「ソウル・ミュージック」と呼ばれる音楽を生み出した最大の功労者でもある。さらに、ひとつのジャンルにとらわれず、ロック、ソウル、カントリー、ジャズ、ビッグバンドなどさまざまなタイプの音楽を、独自の解釈で歌い、レイ・チャールズ節を聴かせファンを魅了した。映画、テレビ出演も多数。特に映画『ブルース・ブラザース』での演奏ぶりは、大きな注目を集めた。年に300本以上のライヴを行っていた時期もあり、ライヴ、レコーディングと休むひまもなく仕事をしていた。60年代には、ドラッグ中毒になりリハビリテーションのため約1年ほど仕事を休止したこともあった。来日も多数。また、89年暮れ日本のCMのために、サザン・オールスターズの大ヒット「いとしのエリー」を英語でカヴァーし、ヒットさせている。 詳しい評伝は、次へ。http://www.soulsearchin.com/entertainment/music/linernotes/ray19990220.html +++++続々と各界からメッセージが届いている。クインシー・ジョーンズ。「レイほど、音楽ジャンルを超越した人物はいない。これからもそのような人物は現れないだろう。彼は、あらゆる意味で私のブラザー(兄弟)だ」 アレサ・フランクリン。「彼の声は生涯の声(Voice Of A Lifetime)。彼はすばらしい人物であり、ユーモアたっぷりで、そしてもちろん、偉大なアーティスト。世俗的なソウルの歌を世界に広めた人物」 ジェームス・ブラウン。「彼は、やさしく、ゴージャスで、すばらしい人物。彼の音楽、人となりを知るあらゆる人にとって、ロールモデル(模範的なモデル)だった。私は天才を尊敬する」 同業のピアノマン、ビリー・ジョエル。「レイ・チャールズは、真のアメリカのオリジナルだった。彼が、リズム&ブルース、ソウル、オーセンティックなロックン・ロールを確立したのだ」 チャールズは、2度離婚、7人以上の女性との間に12人の子供がいる、という。彼は、その12人の子供、20人の孫、5人のひ孫などによって送られる。葬儀は来週、ロスアンジェルスのファーストAME教会で行われ、その後イングルウッド墓地に埋葬される。 レイ・チャールズはかつて自身の音楽についてこう答えた。「私は、人々を楽しませるために音楽をやっている。なぜなら、人々が私の音楽を愛してくれているからだ。彼らが私の音楽に反応してくれ、私もそれが気に入っている。人々が私をハッピーにさせてくれる、だから、私も人々をハッピーにさせるんだ」 (レイ・チャールズに関する個人的な原稿は明日載せます) ++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++ レイ・チャールズ死去の各紙・記事。http://nsearch.yahoo.co.jp/bin/search?p=%a5%ec%a5%a4%a1%a6%a5%c1%a5%e3%a1%bc%a5%eb%a5%ba&to=0&or=0&b=1&st=n&pt=1 毎日新聞記事。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040611-00001028-mai-peo レイ・チャールズ・バイオグラフィー(評伝)。DVDソフト『ジーニアス・オブ・ソウル』のライナーノーツ。http://www.soulsearchin.com/entertainment/music/linernotes/ray19990220.htmlレイ・チャールズの曲が使われるショートストーリー。http://www.soulsearchin.com/entertainment/music/linernotes/ray20021122.html ENT>OBITUARY>Charles, Ray ++++++++++++++++++++++++++++++++++

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『ソウル・ブレンズ』内「ソウル・サーチン」、レイ・チャールズ追悼

「ソウル・サーチン」でレイ・チャールズ追悼 次回(6月13日)『ソウル・ブレンズ』(インターFM76.1、日曜午後1時から5時)内コーナー「ソウル・サーチン」(午後2時から2時20分頃)では、レイ・チャールズ緊急追悼をお送りします。予定されていたナチュラリー7は翌週にお送りします。ご了承ください。

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(速報)レイ・チャールズ死去

ソウル、ゴスペル、R&Bシンガーとして50年代から現在まで活躍してきたヴェテラン、レイ・チャールズが6月10日(木曜)、ビヴァリーヒルズの自宅で家族に看取られ、死去した。73歳だった。 詳細は、のちほど。 +++++++++++++++++++++++++++++++++++ Grammy-Winning Crooner Ray Charles Dies BEVERLY HILLS, Calif. – Ray Charles (news), the Grammy-winning crooner who blended gospel and blues in such crowd-pleasers as “What’d I Say” and ballads like “Georgia on My Mind,” died Thursday, a … Continue reading

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Curry Soul

カリーソウル。 『フィールン・ソウル』には最近毎週ゲストが来るようになったのですが、先日の収録に登場したのは、カリー番長の水野さん。黒沢さんたっての希望で、4月からずっと出演を依頼していたのですが、まったく連絡つかず、やっと6月19日に登場です。カリー番長というのは、おいしい料理と音楽をお届けするユニット。そのメンバーのひとりが水野さんです。 ま、なんで連絡つかなかったのかといえば、一月ほど、ずっとインドの方にカリー・サーチンの旅に行かれていたそうで。そりゃあ、連絡できないわ。(笑) しかし、改めて思い知らされました。黒沢さんも、水野さんも、ひとつのことを極めるのはすばらしい! マニアックもここまで行けば、立派なもの。マニアもある域に達すると、初心者にもわかりやすくさまざまなことを説明し、しかも、いつのまにか、その世界に入りこみたくなるような気持ちにさせられるというワザをお持ちです。まいりました。 聞き手となった安岡さんも、しきりに感心。僕も、横で「へえええっ~~~」を連発です。カレー奥深いなあ~~。収録後、当然近くにカレー食べに行くことになりますわな。 で、水野さん、なんと無類のソウル好きときた。若干ネタばれになりますが、水野さんが選んだ2曲のうち1曲はアル・グリーンの「レッツ・ステイ・トゥゲザー」。黒沢さん曰く「いやあ、カリーとソウルはあいますよ。特に、こういう軽いのは。他にも、マーヴィン・ゲイとか・・・。あ、ルーサーもあうあう」。 水野さん。「一時期、コンピレーションで『フリー・ソウル』って流行ったでしょう。で、思いついたんですよ。カリーを食べる時にぴったりのソウルを集めたコンピ、『カリー・ソウル』っていうの、作りたいんですよ」  「おおお、それ、いいね、いいね」 『カリー・ソウル』か・・・。いいタイトルだ・・・。黒沢さん「ソウルとカリーはあうんですよ」をさらに力説。ちょうど、そんなところに、マーヴィン・ゲイの「ホワッツ・ゴーイング・オン」が、しばらくして、「レッツ・ステイ・トゥゲザー」が店で流れる。話、聞かれてました。(笑) そして、納得。 そして、僕が前々から思っていた疑問を尋ねました。それは、三田・魚藍坂にある「水をださない」ということを売りにしているカレー屋さんのこと。そこはかなり本格的なカレーを出すらしいのですが、主人の方針で水を出さないというんです。それが、表の看板にでてる。で、一度、行ってやろう、と思ってるわけですが・・・。しかし、辛くて水が飲めないとなると・・・と若干躊躇しているわけです。そこで、思いついた。自分でバッグにそっとペットボトルの水を忍ばせて、辛くなったら密かに飲む、と。 「自分で、ペットボトルもってって飲んだら、どうなるんでしょう」と尋ねました。水野さん、「だめでしょう。許されないと思います(笑)」 へえ~~。ふ~~む。一度、対決に行きたいな。さらに付け加えてこういいます。「食べ終わって、帰るときにも、胃によくないですから、この後しばらく、冷たいもの、お水とかも飲まないでくださいね、って(客に)釘さすんですよ。でもね、その店、カレー出した後に、最後にデザートで冷たいアイスクリームだすんですよ~~。おかしくない? (笑)」 「ほおおおお」 ますます興味、わいた。 よし、わかった。絶対、ペットボトル隠し持って行ってやろうじゃないの。(笑) 水飲んだら、「でてけ」とかって言われるのかなあ。で、激しく喧嘩とかになったら、その時、御代はどうなるのだろう。 +++ 東京カリー番長のウェッブ。blogにとぶようになっています。www.tokyo-curry.com

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Donny Hathaway’s New Album Including Seven Previously Unreleased Materials

未発表曲。 いよいよダニー・ハザウェイの未発表作品を含むアルバムがリリースされる。全米で6月8日に発売された『ディーズ・ソングス・フォー・ユー・ライヴ』がそれ。トラックリストは次の通り。日本発売は未定。 このライヴは、72年のアルバム『ライヴ』と80年の『イン・パーソン』からの作品に未発表作品を加え編纂した。 ダニーのライヴ盤はすでに名盤として知られているが、ここには過去のライヴ盤に収録されていないヴァージョンが6曲収録されている。中でも注目されるのは、スティーヴィー・ワンダーの作品「スーパーウーマン」。ダニーがスティーヴィーの作品を録音しているという点でも興味深い。このほかにビートルズの「イエスタデイ」、ホリーズの「ヒー・エイント・ヘヴィー・・・」などのカヴァーも収録される。また、一番最後にダニーのインタヴューも収録されているが、これは、1973年にニューヨークのラジオ局WBLSで行われたものから。 また、ダニーの作品に関しては、このライヴ同様に未発表音源を含む『アンソロジー』の編纂がほぼ終了しているが、いくつかの理由によって発売が延期されている。その理由のひとつが、ロバータ・フラックからのアプルーヴ(許可)が取れないことらしい。 Donny Hathaway : These Songs For You, Live! Rhino 78075 / Release June 8, 2004 1. Flying Easy – (previously unreleased) 2. Valdez In The Country – (previously unreleased) 3. Someday We’ll All Be Free … Continue reading

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Man On The Wheel Chair Is Still Soooo Funky

生生粋粋。 舞台中央と右手に新しいハモンドのオルガンが2台。左手に旧式のハモンドが1台。3台がど~んとおいてある。新しいものは、最新式だそう。まず登場したのが、ドラムスとギターと一番目のオルガン奏者、ジョーイ・デフランセスコ。白人の大柄なジョーイは、アニメのキャラクターにでもなりそうなほど。ブルースブラザースとか、ZZトップとか、なんかそんな南部のロッカーのような雰囲気。 いきなり中央のハモンドの前に座って演奏を始める。いい感じのファンキーだ。途中ドラムソロなどをはさみ長い一曲。その間、ジョーイのオルガンプレイが存分に。やはりオルガンの音がいい。 次に登場したのが、黒人のルーベン・ウィルソン。今までジョーイが座っていた同じオルガンに座る。サックスのメルヴィン・バトラーが加わる。そして、指が鍵盤に触れた瞬間、驚いた。これまでと同じオルガンを弾いたのに、なにかまったく違う音が飛び出してきたのだ。スイッチを変えて、音質を変えた、とかそういう類のことではない。触れた音が違うのだ。不思議。設定とか音源とかを変えるのかなあ。いや、そんなことは関係ないんだろうな。 今までも、同じ楽器を違うミュージシャンがやって、その音の違いに驚いたことはあった。ギターやピアノでそんなことを見てきた。しかし、このオルガンでもそういうことが起こるんだ。まあ、最初の数秒、ほんとにびっくりした。一体なんなんだろう。結局、音楽は楽器ではなく、ミュージシャンということなんでしょう。 ルーベンのオルガンは、一番ファンキーで、しかも生き生きしてて、しかも、粋粋してる。(冒頭の四文字熟語は、これからとりました。イキイキイキイキ、と読んでください) かっこいいなあ。 この2曲目が終ったところで、22時15分。ほぼ43分経過。一曲、長い。でも、全然飽きない。演奏力があるから、ずんずんこっちにくる。そして、いよいよ本日のメインイヴェント、ジミー・マグリフ! スタッフに抱えられて、舞台左手の旧式ハモンドオルガンまで座らされる。かなり足が弱っているようだ。 だが、指先の動きはしっかりしていた。ルーベンほどの速さと切れはなかったが、十分にファンキーで、洗練されていた。ここからは、3人がオルガンを弾く。3人のインタープレイは、誰がどの音をだしているかわからなくなるほど。これにサックス・ソロまではいる。サックスもオールドファッションで、しかし、いかにもジャズミュージシャンというびしっと決まったスーツでかっこいい。 しかし、このオルガン奏者を3人も集めるなんて企画、一体誰が考えたんですか。まいった。やはり、ミュージシャン力があるミュージシャンたちの生演奏は、まちがいない。 アンコールが終わり照明がついた。ジミーが又スタッフに抱えられて、ステージを下りようとしていた。ふと見るとその先は、車椅子に乗って店内を移動していた。ジミーは車椅子のオルガン奏者だったんだ。彼は68歳。リューベンは69歳で実は元気なルーベンの方が年はひとつ上ということになる。すごいな、車椅子に乗って、世界中演奏し歩くんだ。車椅子のミュージシャンでも、ソ~~~~・ファンキーに演奏できるわけです。 Setlist (曲名はブルーノートのウェッブより) show started 21.32 1. TAKE THE COLTRANE (From Joey DeFrancesco CD “Ballads and Blues” – 2002)2. DR. NO SHUFFLE (From Masters of Groove CD “Masters of Groove Meet … Continue reading

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Soul To Soul Fighting: French Open Final

このところテレビを見る時間がなくて、今回のフレンチオープン・テニスもそれほど見てなかったんですが、コリアの試合は一度見ていました。えらく強いな、とは思ってたんですが。決勝はアルゼンチン同士の戦い。第3シード、コリアとなんとノーシードからの勝ちあがりガウディオ。どちらが勝ってもアルゼンチンに優勝が行きますが、これは77年のギレルモ・ヴィラス以来27年ぶりのことだそうです。 当然、僕はコリアが勝つと思った。セットカウント・コリア2-0で、第3セット・4-4のあたりで「やはり」と思って、このまま行くのかな、と。そしたら、ちょうどこの時、コリアの足が痙攣(けいれん)したらしいんですね。コリアの動きが極端に悪くなった。結局、第3、第4とガウディオが取り、勝負は第5セットにもつれこむ。第4セットの途中で、コリアはトレーナーを呼んでいる。流れはガウディオへ。 第5セットはまさに死闘ですね。奇跡的にコリアが徐々にまた盛り返してくる。これには驚いた。第3、第4で完全に流れがガウディオに行っていて、動きも全然違う。このまま押し切っていきそうな気配だったのに。 第5セット。一進一退の5-5からコリアがガウディオのサーヴィスをブレイク。コリアの6-5でサーヴィスゲームへ。あと4ポイントで念願のフレンチオープン優勝。一体、日曜日、ローラン・ギャロスで何が起こったのか。二人の選手の脳裏に去来したものは—。『勝利の女神の優柔不断』第二弾。 +++++++++++++++++++++++++++ 『勝利の女神の優柔不断・Vol.2』~魂の戦いのゆくえ~ あこがれ。 フレンチオープン、男子決勝戦。のぞんだのは第3シードのコリアとノーシードで勝ち上がってきたガウディオ。二人ともアルゼンチン出身のテニスプレイヤーだ。どちらが勝っても、アルゼンチン出身としては77年のギレルモ・ヴィラス以来、27年ぶりということになる。アルゼンチンは大騒ぎになっていることだろう。ヴィラスが77年フレンチオープンに、79年オーストラリアオープンに優勝したとき、コリアはまだこの世に生を受けていない。ガウディオでさえ、まだ0歳だ。しかし、二人とも幼少の頃からアルゼンチンのスター・テニス・プレイヤー、ヴィラスにあこがれてテニスを始めた。 一人は、どんどんと強くなり、世界ランクもベスト10にはいる。だが、2001年、彼はドーピング疑惑で6ヶ月間の出場停止となる。この期間は、彼にとってまさにソウル・サーチンの日々だった。トレーナーに勧められるがままに飲んでいたヴィタミン剤に禁止された薬品がはいっていた。検出されたものはしかたがない。そのどん底の日々に、彼は「必ずグランドスラムを取り、自分は無実だということを世界に宣言する」と誓ったのだ。 もう一人は少しずつランクは上がっていくもののなかなかベスト10にははいれず、グランドスラム大会もこれまで4回戦まで行ったのが最高だった男。トーナメント・プロに若干の自信を失い、ここ1年はスポーツ心理カウンセラーとともにスランプ脱出を試みていた。前者は、若き22歳、その名前をヒーローからもらったギレルモ・コリア、後者はギャストン・ガウディオ25歳。 下馬評。 試合前の下馬評は、圧倒的にコリアだった。コリア(1982年1月13日アルゼンチン・ラフィーノ生まれ)は前年(2003年)ローランギャロス(フレンチオープン)で、準決勝に進出している今大会第3シード。今年は一歩進み決勝までやってきた。2週間前フレンチオープンが始まるまで今年は28勝6敗の成績を残し、世界ランクも生涯最高の3位という絶好調ぶりを見せていた。しかも過去1年、クレイコートではたった2度しか負けていないという。 一方、ガウディオ(1978年12月9日アルゼンチン・ブエノスアイレス生まれ)は、世界ランキング44位。グランドスラムでも最高が4回戦に進んだことが一度あるだけ。今年の成績も15勝13敗で、特筆されるものはなかった。もちろん、決勝まで進んできたということは、ラッキーだけではない。しっかりと実力を持ち、自ら最高のパフォーマンスをしてきたからこそ、この舞台に上ることができたのだが・・・。 試合は、大方の予想通り、圧倒的にコリア有利に進んだ。最初の2セットをコリアがわずか61分でとり、2-0となった。ある意味、力の差は歴然だった。このままコリアが押し切りあと30分で試合も終るかと思われた。第3セット、ガウディオ4-3で、ガウディオがサーヴィスゲームを失い4-4となり、大きく流れがコリア優勝に傾いた。勝利の女神がコリアの肩をそっと叩いていた。だが、ここで異変が起きた。 ターニングポイント。 コリアが振り返る。「僕は(第3セットで)、以前(僕に)ヴィタミン剤を飲ませた連中のことを思い出していた。で、すこしナーヴァスになってしまった。僕は自分の心の奥底にあるものをすべて忘れ去るためにも、この試合にどうしても勝ちたかった。僕は連中に復讐したかったんだ」 彼は、セットカウント2-0、第3セット4-4の自らのサーヴィスゲームで40-0となったときに、はっきりと優勝を意識した、という。 しかしそこで、コリアの足に痙攣(けいれん)が起こったのだ。急速にコリアの動きが悪くなる。必死にボールを追いかけるが、最初の2セットの動きとはまったく違った展開になってしまった。 ガウディオはまた別の意味でターニングポイントを感じていた。「ターニングポイントは、第3セット、4-3から僕がサーヴィスゲームを失ったときに、ウェイヴが起こったことだ。僕も(それまで)プレッシャーがあった。それまでボールをうまく捉えることができないでいた。そこまではテニスをまったく楽しめないでいた。だが、あれを見て、試合を楽しめるようになったんだ」 ガウディオはそのウェイヴを自分への応援と感じた。 コリアは、過去3年間の様々なことが脳裏をかすめ、それがプレッシャーとなり、体に異変を起こしていた。ガウディオは、それまでのプレッシャーが観客のウェイヴひとつでふっきれ、体の動きがみちがえるようになったのだ。 53分かかったこのセットは結局、ガウディオが6-4で取った。勝利の女神が少し迷いを見せ始めていた。 続く第4セット1-1のところで、コリアはトレーナーを呼びマッサージを受ける。このとき、薬をもらう。トレーナーは「15分程度で薬が効いてくるだろう」と言った。コリアは第4セットをあまりボールをおいかけず、体力を温存し、復活を待った。容赦なくたたみかけ、勢いづいたガウディオは第4セットもあっさり6-1で取り、セットカウント2-2に追いついた。 この時点で、圧倒的にガウディオ有利に試合は傾いた。コリアの動きは精彩を欠き、ガウディオのミスは少なくなっていた。今度はこのままガウディオが押し切るかにみえた。勝利の女神は、ガウディオのコートに佇んでいた。 しかし、ここでまた奇跡が起こる。コリアの動きが徐々に復活してきたのだ。タイブレイクなしのファイナルセットは、コリアの奇跡の復活とともに一進一退となった。お互いがサーヴィスをブレイクし、それぞれがどうしてもあと一歩とどめを刺すことができず、10ゲームまでで5-5のがっぷりよつの戦いになった。 死闘。 きわどいボールが赤土に映える白いライン上の粉を巻き上げる。第11ゲーム、ガウディオのサーヴィスゲームを再びコリアがブレイクし、コリアの6-5。コリアのサーヴィン・フォー・ザ・チャンピョンシップ。次にコリアがサーヴィスをキープすれば優勝だ。一ポイントごとに観客が固唾をのんで見守る。コリアは、足にトラブルがあることなど忘れて無我夢中でボールにくらいつく。超人的なパフォーマンスで、得意のダウンザラインを決め、コリアはついにチャンピョンシップ・ポイントを握る。あと一ポイントで優勝。トロフィーに片手がかかった。 チャンピョンシップ・ポイント一度目。ガウディオはこの瞬間、負けを覚悟したという。しかし、ガウディオにかわされデュース。もう一度コリアがポイントを取り、2度目のチャンピョンシップ・ポイント。しかし、再び、ガウディオが執念でポイントを取る。今度はガウディオがデュースから2ポイント連取し、ガウディオはこのゲームをブレイクして取り返し、6-6と試合を振り出しに戻したのだ。 解説の松岡修造が静かに言った。「もう、心技体といったものを超越してますね。そんなものは関係ない。魂と魂の戦いです」 その通りだった。出せる力をお互いが最大限出し切ったところで、ぶつかりあうソウルとソウルの戦い。まさに死闘だ。これは見ごたえがある。そして、今、勝利の女神はどちらに転ぶかまだ迷っているのだ。いつしか、観客もその瞬間に負けそうな方を、応援するようになっていた。 ファイナルはタイブレイクがないため、どちらかが必ず相手ゲームをブレイクしなければならない。第13ゲーム、ガウディオが40-15からポイントを決め、キープ、7-6。しかし、今度はコリアのサーヴィスゲーム。15-30から一ポイント取られ、15-40。しばらく前に自分が握ったチャンピョンシップ・ポイントをこんどは逆に相手に握られた。そして、最後、コリアが力尽きた。ガウディオが見事この3時間31分の死闘を制した。勝利の女神は、最後にガウディオに微笑んだ。 無欲。 ローランギャロスの歴史の中で、マッチポイントを握られてから逆転優勝したのは、1934年以来70年ぶりのことだという。つまりこうした大舞台では、最初にマッチポイントを握ったほうが、ほとんど勝つということだ。 ガウディオは言う。「子供の頃、いつかここに立って試合に勝てればいいと思っていた。だが、まさかグランドスラム(の決勝戦)にきて勝てるなどとは思ってもみなかった。自分(のテニススタイル)をどれほど変えたかもうわからないほどだ。何を一番変えたかさえも覚えてない。だが今、僕がわかっていることは、グランドスラムに勝ったということだけだ。たしかに、メンタル(精神的)な部分は多いに変えた。だからといって、グランドスラムに勝てるとは思わなかった」 一方のコリアは言う。「このフレンチオープンに優勝することをずっと夢見ていた。第3セットでものすごくナーヴァスになった。なぜなら、(あとワンセットとれば優勝ということを)今まで経験したことがなかったからだ。ここでの優勝は僕の人生の最大の夢だったんだ。だから、僕は最後まで戦った」 ガウディオはこの戦いをしてこう言った。「まるで、映画のようだったね」 ガウディオの勝利は、無欲の勝利だった。 超越。 表彰式。優勝トロフィー授与は、あのマッケンロー、そして、27年前アルゼンチンに優勝トロフィーを持ち帰ったヴィラスという粋な演出となった。コリアはずっと下を見たままじっと唇をかみしめている。言葉もでない。まず準優勝の盾がギレルモ・ヴィラスからギレルモ・コリアに渡された。ギレルモからギレルモへ。負けた者に渡される準優勝の盾。コリアはスピーチをするが、その言葉にはもはや魂ははいっていなかった。すべてを出し切り、体の中のソウルはローランギャロスの空の彼方に行っていたのだろう。一方、ガウディオはトロフィーを持ちながら「ヴィラスがいたから、僕はテニスを始めた」とスピーチをする中で、両親への感謝を口にしたときに、思わずこみあげ、タオルで目をぬぐった。そのとき、アルゼンチンの国民的ヒーロー、テニスの大先輩であるそのギレルモ・ヴィラスがやさしく彼の肩を抱いた。 アルゼンチンの国歌が流れ、国旗が真っ青な空に上がるところに、コリアの空虚な表情が映し出された。第3セットで勝てると思った彼。第4セットを終えた時、確信はなくなっていたかもしれない。しかし、マッチポイントを握った時に、再び勝てると思ったかもしれない。一方、ガウディオは決勝まで来たことさえ夢のようだった。ガウディオは言う。「まさか勝てるとは思わなかったけど、これからはもう少し自分を信じることができると思う」 彼はこの優勝で、次週のランキングが44位から一挙にベスト10、第10位になる。もちろん、生涯最高のランキングだ。 ヴィラスにあこがれテニスに打ち込んだ二人。その二人が最高の舞台で最高のパフォーマンスを見せ、そのあこがれの人物からトロフィーと盾を授与された。その意味では二人とも勝者といってもいい。そこに生まれたのは、まさに心技体を超越したソウルとソウルの熱き戦いだった。勝利の女神は本当に優柔不断だ。コリアには来年、優勝してもらおう。そして、そのときこそ、彼のソウル・サーチンの答えがでる瞬間だ。 (2004年6月6日日曜、ローランギャロス=フレンチオープン・男子シングルス決勝戦=コリア対ガウディオ) 『勝利の女神の優柔不断』(VOL.1)http://www.soulsearchin.com/sports/french199906.html SPORTS>TENNIS>FRENCH … Continue reading

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David T Walker’s “What’s Goin’ On” Is New Theme For “Soul Searchin’”

新テーマ。 日曜日。BBSがすごいことになってます。(笑) ゆっくり返事します。何が話題って、ナチュラリー7。汐留、お台場でごらんになった方、すっかりナチュラリー7のマジックにかかっていますね。一度ライヴ見れば、あれは、誰しもが驚きます。それにしても、すごいですねえ。僕は日曜のフリーライヴはインターの『ソウル・ブレンズ』のために見に行くことはできませんでしたが、大盛況だったようです。 さて、『ソウル・ブレンズ』内「ソウル・サーチン」のコーナーのテーマ曲を今日からデイヴィッド・T・ウォーカーの「ホワッツ・ゴーイン・オン」にしてみました。しばらくこれで試してみます。この日記の読者の方であれば、以前、FENのソウルショウのネタでしばし盛り上がったことを覚えていられるのではないかと思います。70年代、FENで放送されていたソウル・ショウ『ローランド・バイナム・ショウ』のテーマだった曲です。 http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200308/diary20030828.html 最初、スタッフのDJオッシー、DJナミたちからは「ジングルとあわない」「テンポが遅すぎる」などと否定的なご意見がでてきまして。「ま、とりあえず、一回やってみましょうか」ということでやってみました。今日の「ソウル・サーチン」で紹介したのは、D12(ディー・トゥエルヴ)でした。 そうしたら、「ホワッツ・ゴーイン・オン」がかなりスムース&メローなことから、僕のしゃべりがゆっくり落ち着いたらしく、「意外といいじゃん」みたいなことになり、しばらくテーマ曲としてやっていくことになりました。きっと、このテーマ曲が流れてくると、ローランド・バイナムのことを思い出す人が、関東近辺に1000人くらいはいるような気がするんですけどね。(笑) バイナムの名前は思い出さなくても、FENでやっていたソウルショウのことを思い浮かべる人がね。 そして、これをやっているデイヴィッド・T・ウォーカーは日本でも大変隠れファンの多いギタリストです。しかも、日本の歌手のバックなどにも呼ばれたりしています。で、このデイヴィッド・Tの世界唯一の非公式サイトがあります。デイヴィッドのファンの植山さんが開いているサイト。 http://homepage2.nifty.com/ueb/davidt/index.html これは、デイヴィッドのリーダーアルバムだけでなく、デイヴィッドがセッションで参加した作品をすべて網羅しようという壮大な計画のもとに作られているサイトで僕も前から存じ上げていました。そして、先日の日本のデイヴィッド・Tをめざす杉本さんのライヴの折に、植山さんがいらっしゃって、お会いすることができました。植山さん、杉本ヴァージョンの「ホワッツ・ゴーイン・オン」気に入っていただけたみたいで嬉しかったです。植山さんのサイトは、かなり充実しています。デイヴィッド・T本人とのインタヴューによるバイオグラフィーなどひじょうに資料的にもすばらしい。デイヴィッド・Tつながりということでしょうか。(笑) 僕は「ソウル・サーチン」のテーマでデイヴィッド・T・ウォーカーの「ホワッツ・ゴーイン・オン」を使って、それが浸透したら、いつかデイヴィッド・T本人にゲストできてもらって、これを生で弾いてもらえたりなんかしたら、超嬉しいですね。この前、ナイル・ロジャースが生ギターを披露したようにね。 さて、番組が終わり、急いで渋谷に移動して某アーティストのライヴを見たのですが、大変失望したので、日記のライヴ評としては書くのやめました。(笑) コーラス2人、キーボード、サックス兼フルート、そして、本人の歌とキーボード。72年に大ヒットがある人ですが、その曲は僕も大好きでそれを一度聴いてもいいかなと思って。ライヴ・パフォーマンスは終ってます。(笑) その時代で、時の流れが止まってるんですね。なんで、ドラムいない、なんでギターがいない、なんでベースがいない。なんか、そこらへんのデモテープ作りのセッションみたいでした。日本をなめてるのかなあ。人柄自体は、素朴ですごくよさそうですけどね。 ちょうど、その頃、メールで汐留、お台場のライヴを見たというレポートが来て、またまた興奮。そして、うちに戻ると、なんとテニスのフレンチオープンの男子決勝戦をやっている。これは、ライヴの失望分を取り返してお釣りがくらい久々に感動した。このお話は長くなりそうなのでまた明日。 ENT>RADIO>SOUL BLENDS

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Naturally 7 Talk: They Could Sing Anywhere, Anytime

特権。 ライヴの興奮もまだ冷めやらず、一体何から訊くか。とはいうものの、7人がレコード会社の会議室に勢ぞろいするとさすがに圧巻だ。1対7というのは、ひょっとしたら、初めてのことかもしれない。テイク6だって、相手は6人だし。(笑) それぞれに名前とパートを言ってもらい、話は始まったナチュラリー7のインタヴュー。 ライヴで一番驚いたのが、レコードの針を乗せて音が出るまでのしばらくチリチリいう音。これをやるのがロッド・エルドリッジ。一体どうやってあんなことができるようになったのか。「これは偶然できちゃったんだよ。針をのっける音とかやってるうちにね。誰かがこれ(チリチリ音)は絶対にできないな、とか言ってたんだよ。それで、逆にやってみた」と説明して、口でそのままチリチリ音をやってくれた。ライヴでやったときよりも、少し長く。おおおおっ。あたかもそこにターンテーブルがあるみたいだ。すご~~い。 そして、リーダー格のロジャー・トーマスが、「(弟の)ウォーレンは、ディストーション(歪のかかった)・ギターもやるんだよ」と指差す。ウォーレンが、なんのてらいもなく、ギターを「弾く」。そ、そ、それがディストーションがかかった音ででてくるのだ!  ウォーレン・トーマスが説明する。「もちろん、僕も少しギターを弾く。それでディストーションをかけたみたり、ワウワウの音を実際にだしてみたりして、それをよ~く聴くんだ」 「CDでは、ディストーションとかディレイとかそういう若干の電気的な技術を使っているかと思ったのですが」とふると、ロジャーが答えた。「基本的には全部口でやっている。ただ、最終的なミックスの時に、若干の作業は加えることがある。でも、ライヴで見られるように、基本的にはみんな口だよ」 ライヴではディストーションなどはかけていないようだ。またまたため息。 これだけありとあらゆる楽器ができると、できない楽器などないのではないかと思ってしまう。何か、まだ口でできない楽器はありますか、と尋ねた。ロジャー。「う~~ん、そうだなあ・・・。ああ、ピアノとギター、アコースティックのものができないな。アコースティックのピアノ・・・。人間の口が温かすぎるんだと思う。アタックのある音がむずかしい。アコースティックのギターもまだできない。でも、チャレンジするよ」 ウォーレンのディストーション・ギターも、最初は普通のギターだったという。それが徐々に今のように変化してきて、今の形になるまで約4年かかっている、という。 ロジャーが言う。「最初、僕たちはバンド付きのヴォーカル・グループだった。だが、徐々にバンドが必要なくなった。最初はラスト・アピールという名前で活動していた。最初は3-4人で始めて、徐々にひとりずつ増えていった。そして、98年に7人になったころ、『7』というグループ名で活動を始めた。そうしたら、まもなく、同じ『7』という名のグループがいることがわかってね。彼らは3人組なんだけどね。(笑) で、僕たちはとても自然に(ナチュラリー)ヴォーカルを聞かせるということで、ナチュラリー7という名前にしたんだ。ナチュラリー7としてスタートしたのは、99年の8月か9月くらいだったと思う。そして、ファーストアルバム『ノン・フィクション』を自分たちで作ってインディで出した。ライヴで売ったりしてね。それでも2万枚くらい売れたんじゃないかな。その後、2003年1月から9月にかけて、この『ホワット・イズ・イット』を作ってリリースした」 ロッドが加える。「このアルバムには16-7曲はいっているが、僕たちは30曲以上録音した。一曲に一週間くらいかかることもある。一日8時間はスタジオにいてね。それはそれは、疲れるよ(笑)」 ロジャーが言う。「とにかくいろいろやってみる。最初デモテープを作る時は、若干の本物の楽器を使う。人前でできるほどの腕前ではないが、曲作りをする程度でキーボードやギターを使う。僕たちにとって、一番重要なことは、楽曲だ。いかにいい楽曲を作ることができるか」 ウォーレンがはいる。「そして、メッセージね。どれだけのメッセージを込められるか」 7人の中でもっともよくしゃべるのが、ロジャー・トーマス。彼がリーダーでスポークスパーソンだ。次がロッド・エルドリッジ。見た目の印象では、一番背が高いジャマール(最年少)はシャイな人物のように見受けられた。全員が教会でゴスペルを歌ってきた。99年にア・カペラ・コンテストで優勝して以来、ライヴの数が徐々に増え、最近では年間200本くらいやっている、という。ニューヨークだけでなく、全米、ヨーロッパなどだ。200本もやれば、進化する。 アルバムのタイトルは、『ホワット・イズ・イット』。いってみれば、「これは、なんだ?」というニュアンス。彼らにナチュラリー7って、何? と尋ねてみた。ロジャーが「僕たちはヴォーカル・バンドだよ」ときっぱり。つまり、ヴォーカルだけでできるバンドですね。わかりやすい!  最後に、『ソウルブレンズ』用にいわゆるIDをもらった。全員がやってくれた。7人全員で簡単な文章を読むのだが、それでもカウントをいれて、あうようにやってくれたので、ちょっと感動した。次回来日時にはぜひ番組に来てもらいましょう。 インタヴューが終わり、片付けて外にでると、マーカスが何か探してる風に道を歩いていた。「どうしたの?」と訊くと「ATMを探してるんだ。近くにないか?」というので、「ワンブロック先に銀行があるよ。乗ってく?」と言うと「サンキュー」。無事、お金をおろしホテルに戻るわずかな時間にちょっとした会話。「今日は仕事は終わり?」 「ああ、終わりだよ。まあ、あとで軽くリハーサルでもやるのかな」 「へえ、どこで? スタジオでも行くの?」 「いや、ホテルの誰かの部屋に集まるだけだよ」 「ああ、そうかあ、あなたたちは、いつでも、どこでも、ただ集まるだけでリハーサルできるもんね」 「ああ、そうだよ(笑)」  ア・カペラ・グループは、手ぶらで人々を感動させることができる特権をもっている。いつでも、どこでも。 ENT>MUSIC>INTERVIEW>Naturally 7

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ナチュラリー7、明日フリーライヴ(訂正版)

ナチュラリー7が、明日(6月6日・日曜日)午後、都内二ヶ所でフリーライヴを行います。 13時半頃、汐留のCDショップWAVE横。15時半頃、お台場ヴィーナスフォートの中、2階教会広場。

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Naturally 7: The Magnificent 7 Proved The Theory Of Evolution, Naturally

進化論。 どこから書いていいものか。ナチュラリー7というグループ。あまりのすごさに言葉を失った。でてくるのは「ありえない、ありえない」ばかり。最初CDが到着していた時は、ジャケットを見て「あ、またヴォーカルグループか・・・」くらいにしか思ってなかった。5月23日にBBSにビズモさんの書き込みがあって、「ああ、きてたなあ」と思ってCDを聴いてみた。その時の感想は、「お、テイク6のフォロワーか・・・。でも楽器使ってるんだあ・・・。リズムボックスの使い方とか一昔前のブラコンみたいだなあ。ははは」というもの。 そして、書き込みの返事を書くために、ナチュラリー7のサイトなどをチェックし、いろいろ読んだりしているうちに、事の重大さに徐々に気付くようになる。改めてライナーノーツを見ると、すべての音が声で作られている、という。え、あのギターの音も? キーボードの音も? ヒューマンビートボックスはわかるが・・・。え~~、このギターのひずみ、なんなの? 聴けば聴くほど、次々と疑問符が浮かび上がってくる。そして、改めて集中して聴いてみると・・・。このベースの音、なに。バスドラの音、なに。キーボードの音、何。「ありえな~~い」  火曜日(1日)、『フィールン・ソウル』収録。リクエストでナチュラリー7が来ていて、さっそくかけることにした。黒沢氏に「新しいア・カペラグループなんですよ」と一言説明してリクエスト曲「ゴーン・ウィズ・ザ・ウインド」(3曲目)他を聴いてもらう。黒沢さん、「あ~、楽器も使ってるんですね」。「いやいやいやいや、実はこれぜ~~~んぶ口なんですよ~~~」 「えええっ? うそでしょう。だって、ギターとかはいってるよ」 「クレジットみてみてください。で、レコード会社の担当者がニューヨークで見たらしいんだけど、ほんとに全部口でやってるらしいんですよ」 「ええ?」とまだ信じられない様子。そして、もう一度、CDを聴く。「でも、何か使ってるでしょう」 「こんどの3日にショーケース・ライヴがあるんで、確かめてきますよ」 もちろん、黒沢さんも3日あいていたらどうかと誘ったが、別の仕事がはいっていて時間がとれないので、ひじょうに残念ながら、このライヴにはこれなかった。 何度も、CDを聴いて、まさにここのところの僕のヘヴィー・ローテーションになったわけですが、がぜんこのナチュラリー7に興味を持ったので、インタヴューをオファーして、土曜日(5日)に少し時間をいただき話をすることになった。何を聞こうかな。聞く事たくさんありすぎ。 さて、このナチュラリー7のことを伝えなければならない人物がいることを思い出した。そう、あの「テイク6ジャンキー」ことソウルメイト、ミチコだ。テイク6のライヴにこれまでに200回以上行っている世界一のテイク6ジャンキーに「ナチュラリー7って知ってる?」とメールすると、「ファーストが何年か前にでて、テイク6ファンの間でもちょっと話題になりました。でも、それほどでもなくて、そのCDも、誰かに貸して、今手元にない・・・」みたいな返事が。ファーストのことを知ってるあたりがさすがだ。で、早速この『ホワット・イズ・イット』のことを伝え、すぐに聴くようにと言った。 翌日あたり店頭からメールが。「今、試聴機で聞いてます。楽器は使ってるんですね」と。そこで、また同じ説明を。(笑) ひとしきりびっくりして、とにかくショーケースを見にくるように言う。 6月3日木曜。午後、僕は原宿ブルージェイウェイからリハが終ったあと、7時15分に戻ることででてくる。午後6時。渋谷DUO。ミチコが席をとっておいてくれた。ほぼまん前のセンター。最高の位置。やった。なんと彼女が友達と来ていた。すると、その友達も「テイク6ジャンキー」。ミチコの200回には及ばないものの、な、な、なんと100回以上ライヴに行っているという。二人以上あわせて300回以上か。「君たち、ギネスブックに申請しなさい。テイク6のライヴ通い、世界記録ってことで」みたいな、バカ話はどうでもいいが、なかなか始まらない。セットリストをもらったときに、聞くとライヴ自体は1時間弱らしい。いつもは、別に始まり時間がいくら押しても気にしない僕だが、この日はさすがに、じりじりした。 普段楽器が所狭しと置かれているステージに何もない。こんなにステージって広いんだ。ミネラルウォーターのペットボトルが14本。2本ずつタオルとともに舞台奥に置かれ、今夜のスターたちの登場を静かに待っている。 6時15分すぎ。まず司会のDJタロー氏登場。ひとしきりあおりと説明があって、6時17分、ひとりひとりが順番に声を出しながら登場してきた。それぞれの声の役割がCDのジャケットに書かれているが、ワイアレスマイクを持って、声を出して歩きながら登場。一人、また一人。声がひとつ、二つと徐々に厚みを増していく。 う~ん、確かにあのベースの音、高いフルートの音、トランペット、スクラッチ、DJ、そして、ギターの音などが次々とでてくる。「なんだ、これは・・・」 あいた口がふさがらないとはこのこと。しかも、激しく踊りながら、それぞれの楽器を演奏するふりをしながらのパフォーマンス。一体何種類の楽器が、一体いくつの音の種類がでてくるのか。「ありえない・・・」 ギターをやっているのは、赤い帽子を被っていたジェイだった。ギターの弾きマネをしながら、マイクを口のところに持っていって、ずっとギターの音をだしていた。まいった! ダツボーです!  「ドンチュー・ウォーリー・バウト・ア・シング」を歌い始めた。さらに「7ミニッツ」と題されたところでは、それぞれがソロを取った。これがまた圧巻。みな、芸達者。僕もいままでいろいろなアカペラグループ、ヒューマンビートボックスを見てきたが、彼らのプレゼンテーションはこれまで見た中で最高のものだった。 次々と驚嘆の瞬間が続いたが、一番驚いたのは、ジェームス・ブラウンの「アイ・フィール・グッド」をやるところ。レコードボックスからレコードを取り出し、ターンテーブルの上に乗せ、針を乗っける・・・ふりをする。(このあたりは、リアルブラッドのライヴでもありましたね!) すると、あのレコードの上を針が走るチリチリいうスクラッチ音をやったのだ! 思わず「おおおおおっ」と声をあげた。そして、「アイ・フィール・グ~~~ド」をスクラッチいりでやる。信じられない。「ありえない」 ヒップホップ調の曲をやるときは、まさにBボーイ風にふりをつけ、コミカルな展開ではそうした動きも見せる。見ていても、7人がステージで動き、止まり、そして、また動くと実に飽きない。ヴィジュアルのプレゼンテーションもこれまでのア・カペラ・グループの中では抜群の出来だ。 ライヴを見て、やっと100パーセント、信じた。あのCDで聴かれる音は本当にすべて口でやっているんだ、ということを。これは、奇跡としかいいようがない。僕はこれまでテイク6を世界一のヴォーカルグループだと思っていた。だが、このナチュラリー7は、テイク6を越えたと思った。「テイク6以来の衝撃」である。テイク6を知ったのが88年のことだから、16年ぶりの衝撃ということになる。新たな21世紀のアカペラグループのスタンダードは、このナチュラリー7から始まる。今、日本中に数多くあるアカペラグループが、最高峰とテイク6を仰いでいるだろうが、これからは少なくとも、ナチュラリー7とともに東・西の横綱になるだろう。そんなすごさは、一足先にミチコがBBSに書き込んだ。 テイク6とナチュラリー7の大きな違いは、後者がひじょうにストリートな感覚があるという点だ。そして、メンバーがニューヨークという都会育ちというところも大きな違いだ。テイク6は南部の信心深い環境に育っている。だから、アカペラ・ゴスペルとしての立ち位置がしっかりしている。ナチュラリー7たちがやるようなヒップホップ的なものはテイク6は絶対にやらない。これはかなりの違いだ。 50年代のドゥワップから、60年代のソウル・ヴォーカル・グループ、70年代のア・カペラ・グループ。黒人ヴォーカル・グループは、時代とともにスタイルを変えていく。それは、変化とも呼べるし、進化とも言える。88年、シーンにテイク6が登場して、ア・カペラの歴史を劇的に変えた。これ以上のグループはもう決して登場しないだろうと思われた。しかしそれから16年、今、彼らを越えるグループが登場したのだ。ナチュラリー7は言ってみれば、テイク6の進化形である。彼らは、テイク6という偉大なグループがあったからこそ、今、この形のグループが出来、成り立っている。100メートル走の記録が10秒を切っていくように、棒高跳びの記録が少しずつ高くなっていくように、つまり、人類に進化論があるように、ア・カペラ・グループの歴史の中にも進化論があるのだ。ナチュラリー7は「ア・カペラ進化論」を見事に証明している。しかも、彼ら7人はそれを自然に(naturally)にやってのけた。アル・ジャロウ、ボビー・マクファーリン、そして、ボーイズ・トゥ・メン、テイク6が束になってひとつのグループになってしまった。そんな衝撃だ。 人間は、頭で考えたことがいずれ実際にできるようになるという。かつて美しい満月を見た人間は、あの月に行ってみたいと考えた。そして、人類は月に行った。普段の生活の中で聴こえてくる音、その音すべてを人間の口で再現しようと考えた人がいたとしてもおかしくない。今、彼らの口によってそれが現実のものとなった。大変、はるばる、遠くまでやってきてしまったのだ。 6月3日、その進化が見事に僕の記憶に刻まれた。この日のことは決して忘れない。帰り道、空には白い大きな満月が輝いていた。人が月に到達することが出来たように、ナチュラリー7は、ア・カペラの極地に到達している。 Setlist 1. Sit Back Relax2. BMG3. Don’t You Worry ‘Bout A Thing4. 7 Minutes (Medley of Songs Each Members Sung) … Continue reading

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Soul Of The Guitar: Sugimoto Atsuhiko Band Live

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Jebel Bar: Soul Bar In Honmoku

本牧。 本牧っていうところは、横浜の中でも特に独特の雰囲気のある場所だ。その昔は米軍基地があったため、かなりアメリカナイズされた街並になっていた。今は、そこにはマイカル本牧など日本のものができているが、それでも、広い道やフラットな建物などは、まだまだアメリカを思わせるところがある。 今日はそんな横浜・本牧のジェベル・バーというソウルバーに行った。マーチンさんの番組『ミッドナイト・ラヴ』の中のコーナー、「ミッドナイト・ソウルバー」で紹介するためだ。この店は、もうできて12年。僕も以前一度来たことがある。今日久々に来てみて、なんで、その後リピートしなかったのか、とても不思議に思った。ターンテーブル2台と、CDプレイヤー。レコードも、CDもどちらも対応。とても照明が暗い店で、いい感じでソウルが流れている。お酒の種類もかなりある。 4人が座れる広めのテーブル席が5つ。カウンターが約8席。そして、これが強力なのだが、6~8人くらいが入れるVIPルームがある。ここは大きな水槽とおしゃれなグラスの棚があり、かなりのセレブ気分になれるかも。(笑) しかも、特に呼び出しがないかぎり、お店のスタッフが扉を開けることはないという。何かを注文したい時には、リモコンの呼び鈴でスタッフを呼ぶ。ただしここはひとり1500円のチャージがかかる。 オープンしたのは、92年6月28日だそうで、今月まさに12周年の記念イヴェントでもやろうか、と企画中だそうだ。休みは無し、毎日夜7時から朝5時まで営業している。チャージは500円で、食べ物もたくさん種類がある。休みがないというところがまたいい。カウンターは12年ということでかなり年季がはいっている。 マーチンさん曰く「これは、使えるソウルバーということで・・・」。おっしゃる通りだ。(笑) 場所は、元町タワーレコード先のトンネルをひたすらまっすぐ進み、山手警察もこえ、マイカル本牧もすぎて、右手にデニーズが見えたら、その向かい側。ビルの3階。 スペシャル・カクテルの中には、「スロー・ダンサー」や、なんとブランデーベースの「セクシュアル・ヒーリング」なるものもある。「ジェベル・バー」、略すとJBか・・・。おおっ。 この模様は6月19日(土曜)深夜1時半、FM横浜『ミッドナイト・ラヴ』で。 ジェベル・バーJebel Bar 神奈川県横浜市中区本牧間門1-2前川ビル3F電話045-622-6608http://www.jebel.jp営業時間 19時から5時年中無休チャージ500円、ドリンク500円~ ENT>SOULBARS>Jebel Bar

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A Chat About Minneapolis With Curry Udon

雑談。 『フィールン・ソウル』の収録が終った後、オッシーと青山に軽くゴハンを食べに行った。店のドアを開けると中は超満員。お店の人に、「空いたら電話ください」と言ってでようとしたら、一人で来ていたお客さんが食べ終わって「今、でるよ」と言ってくれ、そこに座ることになった。そしたら、横の席にいた某レコード会社のディレクターG氏に「ヨシオカさん!」と声をかけられた。「おおおっ、お久しぶり」 もちろん、オッシーも知っていて、妙に音楽話で花が咲いた。 G氏、担当アーティストのミックスでよくミネアポリスに行くということで、プリンスやタイムやミネアポリス話がど~と盛り上がる。G氏「ミネアポリスって、ミシシッピ川が走ってるんですよね。ミシシッピ川っていうと、南部っていうイメージでしょ。ミネアポリスのような北に通ってるって知らなくて。で、南のデルタブルーズのような土臭いものがシカゴや、もっと北に行くにつれて、どんどん洗練されてくるんですよね。なんか、そういうことが、あの土地に行って初めてわかった気がしましたね」 あ~、な~るほど。そういう見方もありますねえ。基本的には、北に行けば都会になり、物事は洗練されていく、という状況はあります。 「僕も、ミネアポリス、86年かな初めて行って以来、何回か行った。あそこって黒人人口が数パーセントしかないのね。だから、基本的にはロックの街なんですよね。ブラックステーションとかもひとつくらいしかないし。それと冬がめちゃくちゃ寒くて雪で閉ざされるから、冬はすごくみんな引きこもるんですよね」と僕。「そうそう、だから宅録みたいのが多くなるんですよね」とG氏。僕。「プリンスのデビューとかは、ひとりスティーヴィー・ワンダーだからね。(全楽器ほとんどプリンス一人でやって録音した) でも、プリンスの場合、レヴォリューションあたりから、ミュージシャンと一緒に音楽を作ることをすごくやり始めたわけでしょ。それが、特に最近は顕著になってるのね。そのあたりがすごいよね」  その後、ジャム&ルイスに日本人として初めてインタヴューした話や、アレキサンダー・オニール運転のBMWで、お隣のセントポールのライヴハウスまで行った話とか、G氏がミュージシャンのヨットでミネトンカ湖(だったかな)でクルージングしていたら、そのミュージシャンが湖に沿ったところにある豪邸をさして、「あれがジミー・ジャムの豪邸だよ」と教えられた話などがぽんぽん飛び出してきた。いやあ、ミネアポリス話したら、ミネアポリスにまた行きたくなってしまった。(笑)   ちなみに、食べたのはカレーうどんでした。「ここで、そのカレーうどんは東京一ですよねえ。それ頼んだら、最後に白いゴハン頼んで、そんなかにいれて食べないと」とG氏がうんちく。 「えええ~っ、知らなかったよ、その技」とオッシー。二人で白ゴハンをひとつ頼み、分けてカレーの中にいれて食した。オッシー曰く「うまいっすねえ。これからは、必ずこうします」  カレーうどんとミネアポリス談義で更けていく青山の夜。

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Mary J Blige Live At Budokan: More Drama On Love & Life Tour

ドラマ。 武道館が暗転した。すると、前方のスクリーンにヴィデオが映し出された。会議室。そこでメアリーJをいかにして売るかの会議が侃々諤々(かんかんがくがく)行われている。メアリーはスタッフたちの「商品として売れなきゃだめだ」と言わんばかりの発言と、いかにして金儲けをするかの話し合いに嫌気がさし、会議を退席する。男が追っていく。「いいか、メアリー。金がなけりゃ音楽は作れないんだ。これは、ビジネスなんだよ」 メアリーが反論する。「ちょっと、覚えておいてよ。私がここにいるのは、お金のためじゃないわよ。ファンのためにいるのよ。ファンが存在するからこそ、私がいるんだから」 そして、会議室を飛び出してやってきた本物のメアリーが武道館の中央に登場。音が鳴り響き、「ユー・リマインド・ミー」が始まった。ドラマ仕立てのオープニングである。 「こんばんは、東京! 今日は私の過去、現在、未来、すべてをみせるわ!」 一挙に4曲目の「ラヴ・ノー・リミット」までノンストップで歌ったメアリーJブライジは、そう宣言した。 前回来日(2002年3月)からおよそ2年2ヶ月ぶり。現在全米でも進行中の「ラヴ&ライフ・ツアー」の日本での公演。すっかり「クイーン・オブ・ヒップホップ」としての風格を漂わせ、今回のライヴは前回同様、彼女のふっきれた部分が全面にでて、しかも大仕掛けなセット、ヴィデオとのリンクなどで一大エンタテインメントショウになっていた。 80分のショウを前回同様、3つのパートにわけて、次々と曲を歌う。下記セットリストで、1曲目から7曲目までが第一部、8曲目から14曲目までが第二部、最後が第三部と仮にここでは名づけておこう。ちょうど、その合間にドレスチェンジをしている。一部と三部は一曲あたり2分程度で、ヒット曲を次々と歌い、展開が実にはやい。もっとも驚かされたのがヴィデオとのリンクと寸劇なども含めた演出。半分以上の作品にヴィデオが付随するので、視覚的にもかなりくる。しかも、曲間がほとんどなく、次々と流れていくので、まったく飽きがこない。 前回のツアーも三部構成で、第二部に70年代のソウルヒットメドレーをいれかなり入魂の歌を聞かせたが、今回は自身の作品をじっくり歌い、聴かせた。彼女が3つの部の中でここにもっとも力をいれていることがよくわかった。歌を聴かせるという点においてもっとも顕著だ。時間もここが43分近くあった。つまり半分以上だ。それは、ヒップホップのクイーンからソウル、R&Bのクイーンへ向かうという彼女の大いなる宣言でもある。彼女は、今、一番何がやりたいのかといえば、歌を聴かせたいのだろうと痛感した。それも、自身で書いた自身の分身である作品を。 二部の途中で彼女は、「私は今、自分が好き。私はメアリーJブライジが大好き」と宣言した。前回も同じように発言していたが、本当にふっきれている様子がわかり、嬉しく思う。 プロモヴィデオを始め、数々のヴィデオとのリンクがじつにうまくできている。この構成はかなり緻密によくできていた。前回よりさらにスケールアップしたショウと言っていいだろう。ただし観客の入りは、2階、3階はかなり空席あり。1時間20分ちょうど。「ファミリー・アフェアー」が終ると、アンコールなしで、いきなり客電がつきショウに終止符が打たれた。 一言で言えばドラマティックなショウだった。More Drama On The Showといったところ。 関連記事。 メアリー・J・ブライジ・ライヴ 『抑圧からの解放』 (2002年3月)http://www.soulsearchin.com/entertainment/music/live/mary20020313.html Setlistshow started 19.26 01. You Remind Me (Remix)02. You Don’t Have To Worry/Real Love (Remix)03. Happy04. Love No Limit05. My Love06. I’m The … Continue reading

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