Tribute To Uncle Ray, Vol.2?

第二弾。

さて、スティーヴィーの問題の新作『ア・タイム・トゥ・ラヴ』はしばらく前まで7月末の発売に設定されていた。しかし、先週末、この設定がアメリカでは一度はずされることになった。新しいリリース日は未定である。一週間ほど遅れるのか、一月遅くなるのか。まったくわからない。

昨日、スティーヴィーのレイ・チャールズの葬儀の模様を書いているときに、ひょっとしたら、レイ・チャールズの死去に伴い、レイへのトリビュート作品でも作ってレコーディングするのではないだろうかと思い始めた。スティーヴィーだったら、やりそうなことである。アルバムのコンセプトにあわせるために、その曲を書くか、その曲を書いたら、アルバムのコンセプトにあわないから、それまでの曲はすべてペンディングにするか。極端な話、何が起こるかわからない。ひょっとして、アルバム全編を急遽、『トリビュート・トゥ・アンクル・レイ VOL.2』なんかにしてしまうかもしれない。かつて『ジャングル・フィーヴァー』のプロジェクトは、『カンヴァセーション・ピース』の発売の前に割り込んで、制作、リリースされた。あの時も、なんども『カンヴァセーション・ピース』の発売日が変更になっていた。

実質的なスティーヴィーのデビュー・アルバムとなった『トリビュート・トゥ・アンクル・レイ』は1963年7月に全米で発売された。これは、当時のモータウンがスティーヴィーをどうやっていくか、試行錯誤していた時期の作品だ。スティーヴィーが61年から62年にかけてレコーディングしたのは、『ザ・ジャズ・ソウル・オブ・リトル・スティーヴィー』というアルバム。ところが、これはジャズの作品を歌ったのだが、どうもしっくりこなかった。スティーヴィーの魅力を最大限に出すことができなかった。

そこで、生まれた企画が、先に盲目のシンガーとして人気を得ていたレイ・チャールズの作品をカヴァーするというものだ。スティーヴィーも盲目だったので、レイと同様黒いサングラスをかけさせ、第二のレイ・チャールズとして売り出そうという計画だ。しかし、これも当時の音楽の流れでフィットしなかった。スティーヴィーのあの爆発的な魅力は、そのレコードからは飛び出てこなかったのだ。

そして、同じ時期、スティーヴィーがライヴで大変人気を集めていたことに注目したベリー・ゴーディー・モータウン社長が、そのライヴを録音し発売することにしたのだ。ここから、「フィンガーティップス」の大ヒットが生まれる。そして、このシングルのヒットに乗じて、63年7月に先の未発表となっていた2枚のアルバムも含め、『12歳の天才』のアルバムを出す。以後、コンスタントにヒットを出すようになるのである。

スティーヴィーは、レイ・チャールズが盲目であることを知らなかった。しかし、レイ・チャールズの大ファンだったので、彼の作品をカヴァーすることに文句はなかった。そして、作られた作品が『トリビュート・トゥ・アンクル・レイ』だ。

41年前スティーヴィーがシンガーとしての第一歩を記した『トリビュー・トゥ・アンクル・レイ』の第二弾が、レイ・チャールズが死去し、彼に捧げる作品として録音されたとしても、まったく自然の話である。さて、どうなることやら。

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