○ゴールド・コンサート~村上太一さん

○【ゴールド・コンサート~村上太一さん】
本日。
いよいよ今日(16日)から『フット・ペインティング展』、もうこのブログ、こればっかりで、呆れられているかもしれません。こういうのをてがけるのは初めてなので、次々とやることが出てきて大変です。Tシャツ、ポストカード、ポスターのほか、急遽、「アフター・ザ・ダンス」缶バッジを試作。関係各位のOKがでれば、発売されます。
談笑。
そんな合間を縫って、13日(月)の体育の日にはちょっとしたご縁から昨年参加した『ゴールド・コンサート』へ。これは障害者の音楽コンテスト。全国から応募があった一般の人たちから、テープ審査を終えた14組が国際フォーラム・ホールCで歌ったり、演奏したりして優勝を争うというもの。今年は平均的なレベルが上がっていたようだ。
この会で、昨年もご一緒した湯川れい子先生らと本番始まる前に談笑。これがけっこう楽しい。ちょうど、湯川先生は前日にヴァイ・ヒギンセンの『シング・ハーレム・シング』をごらんになったそうだ。僕が感じたことを素直に言うと、同意していただき、心強く思った。湯川先生とヴァイはそれこそ20年来の友人で、お互い気心知れているので、すでに屈託のないご意見を交換されたらしい。『シング…』で「ラヴィン・ユー」を歌うきれいな女性シンガーがいたが、彼女はなんとそのヴァイの娘さんとのこと。彼女のことは、4-5歳の頃からご存知だったという。
やはり、この会でジャズ系ライターの工藤由美さんとも再会。工藤さんのご尽力で、今年はデイヴィッド・サンボーンのビデオ・コメントが紹介され、また渡辺香津美さんの出演が決まった。サンボーンは、そういえば、昔子供の頃小児麻痺になり、それを克服するために、サックスを吹き始めたということをすっかり忘れていた。まさにこの会にふさわしい人物ではないか。
またマイケル・ブレッカーは子供の頃から自閉症気味でいつも4歳年上の兄が、人とうまくコミュニケーションを取れない弟の面倒を見ていた、という話を聞いた。そんな彼も音楽があったおかげで、世界が開けたわけだ。
工藤さんのご友人でもあり今年から審査員に加わられた鎌田さんは、スマップなどのレコーディングにかかわってこられ、ナイル・ロジャースを起用したときのおもしろい話などを聞かせていただいた。スマッピーズのレコーディングもコーディネートされたそうだ。
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3人組。
そんなこんなで、なんと、メール・ニュースで、ビルボード・ライヴに、「ボビー・ブラウン、ジョニー・ギル、ラルフ・トレスヴァント」という3人組が登場するとのこと。これはまたすごいラインアップだ。ビルボード東京が2008年12月15日、16日だ。
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訃報。
ばたばたしている中、僕にとっては衝撃のメールが高橋裕二さんから。なんと音楽関係の仕事を精力的にこなしていた村上太一君が10月12日に死去したという。彼とは中学時代からの友人同士、同級生。同じ年だよ。ありえない。当時、同級生だった村上君、斉藤薫君らと音楽好きでよく話をしたりした。確か村上、斉藤君らと一緒に、幻となったローリング・ストーンズの来日公演チケットを取るために渋谷東急本店地下に徹夜して並んだ。村上君は大学を卒業し、CBSソニーへ入社、いろいろなアーティストのディレクターをやり、その後独立、自身で会社を起こし、執筆活動、ラジオ番組制作などを精力的にこなしていた。斉藤君は大学卒業後TBSに入社、ラジオ番組制作、テレビ番組制作に従事、テレビ時代には『王様のブランチ』をてがけていた。彼らとはライヴなどで顔をあわせてはいたが、まさかこんなことになるとは。裕二さんからのメール後、すぐに斉藤君から電話。なんでもこのところすい臓の病気で何度か入退院を繰り返していたとか。彼は今年初めのポリスのライヴで会い、一緒に食事をしたそうだ。ご冥福をお祈りしたい。
ENT>ANNOUNCEMENT
ENT>OBITUARY>Murakami, Taichi – 2008/10/12 (53)

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