●マーヴィン・ゲイ、1984年4月1日、ロス・アンジェルス

●【マーヴィン・ゲイ、1984年4月1日、ロス・アンジェルス】
エイプリル・フール。
今からちょうど25年前、1984年4月1日は日曜日だった。
 「1984年4月1日、ロス・アンジェルス。ごく普通の日曜の朝だった。天気は暖かく、市内で目覚めた人は、新鮮な空気を吸いにビーチにでも行こうかと思っただろう。父ゲイは、息子がすでに6カ月も同じ家に暮らしていることに苛立ちを募らせていた。彼らの関係は、まるで古傷が化膿したかさぶたのように悪化していた。お互いの感情は一触即発の様相を呈していた。
 マーヴィンにしてみれば、自分がもう随分前に家長になっていたはずだった。父ではなく、自分が母を養っている。しかし、父ゲイはその事実を絶対に認めようとしなかった。以前も、今も、そして特にこの数カ月間も。
 父ゲイには(保険の)書類が必要だった。
 我慢できなくなった彼は妻に向かって叫び、その声は大きな家の2階まで響き渡った。マーヴィンはそのとき栗色のローブを着てベッドに横たわっていた。母が脇に寄り添い、互いに囁くような声で話をしていた。71歳のとても信心深い女性であるアルバータ・ゲイは、息子の病んだ精神を和らげるためによく聖書を読み聞かせ、彼女なりに勇気と希望を与えようとしていた。しかし、最近では、彼女もすっかり力を使い果たしていた。
 階下からの父の叫び声はマーヴィンをナイフのように突き刺した。彼は下に向かって怒鳴り返した。何か母に言うことがあれば、面と向かって言え、と。
 書類を見つけられずに苛立っていた父親は、怒り狂って階段を上がって来た。彼は息子の部屋に入ると、妻を怒鳴りつけた。マーヴィンは母親を守ろうと飛び起き、父に部屋を出るように命じた。父親は一歩も引かなかった。失望し怒りがこみ上げ半狂乱になった息子は父親を部屋から廊下に突き飛ばした。
 ゲイ夫人は言った。「マーヴィンは父を殴ったわ。やめて、と叫んだけれど、彼は構わなかった。夫に強烈なパンチを何発か見舞ってたの」
 ジニー・ゲイは説明した。「以前、父ははっきりと言っていたわ。もしマーヴィンが自分を殴ったら、彼を殺すって。父は何度もそう公言していたわ」
 最終的にゲイ夫人がふたりを引き離し、息子に部屋に戻るよう言いつけた。
 数分後、父がドアに再び現れた。彼は落ち着いて見えた。しかし、38口径のリヴォルヴァーがその手に握られていた」
~『マーヴィン・ゲイ物語~引き裂かれたソウル』デイヴィッド・リッツ著(ブルース・インターアクションズ刊)(一部抜粋)
なぜ、こうなったのか。そして、この後どうなるのか。抜群の筆致で著者デイヴィッド・リッツはこのシンガー、マーヴィン・ゲイの生涯を追います。この続きはぜひハードカヴァーの書籍でごらんください。2009年5月20日リリース。体のいい予告編です。(笑)
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