Soul Searchin Talking Vol.5 (Part 2)

【ソウル・サーチン~本番までの道のり】

二転三転。

木下航志君は前回同様のベースの名村さん、そして、ブレンダとともにでてくれることになっていた。彼の「ホワッツ・ゴーイング・オン」は以前にも聴いたことがあり、歌詞も覚えている。ただ前回は、どちらかというとダニー・ハザウェイ・ヴァージョンだったので、今回はマーヴィン・ゲイ・ヴァージョンにアレンジしなおした。

そして、ブレンダとのデュエットは、いろいろな候補から、「エイント・ノー・マウンテン・ハイ・イナフ」に決まった。そうこうしているうちに、ブレンダが1曲ソロで歌いたいということになり、「アイ・ハード・イット・スルー・ザ・グレイプヴァイン」を歌うという。しかも、マーヴィン・ヴァージョンではなく、グラディス・ナイト・ヴァージョンで。

さらに、3月31日、航志君は大阪で仕事があり、バンドが帯同していて、そのまま全員東京に戻るので、1日は東京でバンドででてもいい、ということになった。そのバンド形態のリハが木曜にあり、それを覗いた。そこで、上記の3曲のリハが都内のスタジオで行われていたのだが、これがなかなかいい感じだった。

一方、曲順を決める中で、当初航志君セッションはファーストセットで3曲まとめてということだったが、アンコール前の最後の曲に、「エイント・ノー・マウンテン」が上がってきたため、ファーストとセカンドに別れることになった。当初、セカンドの最後の曲として「ガット・トゥ・ギヴ・イット・アップ」が候補になっていた。だが、これをバンドでやるためには練習が必要ということで、結局ボツになり、すごくもりあがる感じの「エイント・ノー・マウンテン」が最後曲に落ち着いた。

さて、ケイリブは彼のアイデアでヴァイオリン奏者エドワード・カウツナーとサックス&パーカッションのゲイリー・スコットの3人でアコースティックセットを行うという。彼らも木曜(30日)に都内のスタジオでリハをする段取りになっていた。が、なんとケイリブが翌金曜(31日)にテレビの『ミュージック・ステーション』で、アイ(AI)と中島美嘉のバックをつけるために、そのリハが木曜になり、こちらのリハができなくなってしまった。そのため、アコースティック・ヴァージョンの部分のリハを当日(1日)早めに会場に入ってやることになった。

中目黒で1時半頃ケイリブとゲイリーをピックアップ。会場入りすると、すでにシャンティが来ていた。三々五々メンバーが集まり、バンド、アコースティック・バンドのリハが行われた。二転三転した曲順がこれで固まった。

ブレンダの「グレイプヴァイン」は、やはりかっこいい。そして、その後ケイリブとシャンティの二人のリハ。軽く打ち合わせしてから、シャンティがピアノの横に立って歌ってみる。いい感じだ。

ドアオープンが6時ということで、松尾さん、岡さんらと軽くトーク、進行打ち合わせに近くのレストランに出向くことにした。6時前だったが、表にでると、すでにブルースアレー入口のところに並んでおられる方がいてびっくりした。松尾さん、軽くビール2杯。ここで雑談に花が咲くが、もうそのまま本番に持っていきたいような話ばかり。(笑) 

デトロイトのアレンジャー、ポール・ライザーの話。松尾さんは、ポールの息子(サンマイクロシステム社勤務)を知っていて、メールのやりとりをしているという。なんでまた息子と? 実は松尾さん自身のプロデュース作品でポールを起用したが、その連絡でメールをやり取りする中、本人はメールができなくて、息子が代筆してくるので、息子とやりとりがひんぱんになった、という。

で、ポールが電話してくると、必ず「かけ直せ」と言ってくる。電話代を節約するためだ。おじさんの雑談に付き合うのに国際電話までかけるのはなんなんで、かけ直せって言われてかけ直さなかったこともあったそうだ。(笑) 「自分がソニーのスタジオにいるときなんかは、かけなおしたりしてね(笑)」

そのケチネタで僕が、前にどこかに書いたかもしれないが、ミック・ジャガーの国際電話ネタ、さらにコシノジュンコさんの洋服ネタを披露。

松尾さんが、初めて書いたライナーの話。88年か89年頃、ポニーキャニオンから出たフィリップ・ベイリーか、ワーナーのロバータ・フラックか、コロンビア(ソニー)からのボビー・ウーマック、エンチャントメントあたりじゃないか、ということなのだが、自分コレクターではないので、けっこうなくなっていたりする、という。今まで書いたライナーは300枚くらいじゃないか、と。ちなみに僕の最初のライナーは、何度もあちこちで言ってるが、メジャー・ハリスの75年の作品『マイ・ウェイ』(「ラヴ・ウォント・レット・ミー・ウェイト」の入ってるアルバム)、そして、2枚目がフランスのブラック・グループ、アイスのアルバム。これは売れなかった。(笑) 

自身が出演されているラジオ番組の同録とかほとんどとっていないという。また、CDなども番組の選曲で使ってしまうと、それが返却されずに、何かの時に使おうとするとき、再度買い求めたりすることも多々ある。「だから、マーヴィン・ゲイの『ホワッツ・ゴーイング・オン』なんて、うちに5-6枚ありますよ(笑)」と松尾さん。

松尾さんと初めて会った時の話。たぶん、90年前後にワーナーパイオニアのオフィースで会った。また、その頃、松尾さんがよく書いていたBMR誌の話。MZAに来たアーティストの話。ライヴの話など。気づいてみると、ま、ほとんど「ソウル・サーチン」の打ち合わせはしてませんが。(笑) 「打ち合わせというより、もう打ち上げの気分ですね」と松尾さん。

そんな中で、ルーサーのライヴは都合3回見ていて、正式なインタヴューもしているという。3回もライヴ見てるんだ。1回、分けてくれ、って感じですよね。(笑) 7月1日あたりは、どうなんですか、とそれとなく打診すると、「エッセンス(・ミュージック・フェスティヴァル)に行ってるかも~~」みたいな感じ。

そんな中、ケイリブから電話が入る。「マサハル、今、楽屋(ホテルの一室)にいるんだが、十何人もいてとてもコンファタブルではないので、もう一部屋とってくれないか」との連絡。すぐにブルースアレーの支配人に連絡し、ホテルをとってもらおうとお願いするが、すでに満室でその日はとれないという。それをケイリブに戻すと、しょうがないなあ、という感じ。

7時くらいにその楽屋に戻ると、確かに超牛詰。「よろしくお願いします」とみなさんにご挨拶。あまり押さずに時間どおりか、5分押しくらいで始めようということになった。7時20分頃、会場に下りると、座席は満員で階段のところに立ち見の方々が多数おられて、中に入るのに大変だった。

大きなケイリブと、パーカッションのゲイリーが人垣をかき分け、ステージに進んだ。客電が落ち、ケイリブがピアノを弾きだし、ゲイリーがボンゴをたたき出し、「トラブル・マン」のアコースティック・ヴァージョンが流れだした。ショウタイムの始まりだ。

(2006年4月1日土曜、目黒ブルースアレー=ソウル・サーチン・トーキング~マーヴィン・ゲイ)

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