Never Dreamed I'd Meet Them 30 Years After

30年後。

スタイリスティックスエアリオン・ラヴが楽屋から出てきた。彼は「誓い(ユー・メイク・ミー・フィール・ブラン・ニュー)」でリードを歌う人物だ。「あなたたちには何度か会ってインタヴューもしているんですよ。初めて会ったのは30年前、あなたたちが初来日した時です」 「おおっ、じゃあ、僕がまだ5歳の時だな(笑)」 「そう、僕は1歳だった(笑)」 「もう何度日本に来ているか、勘定できないでしょう?」 「できないねえ。(笑) でも、30回以上だと思うよ。ほとんど毎年来てるしね。年に2度来ることもある。今年もまた12月に戻ってくるよ」。

彼によると新メンバーの2人は2000年4月以降に加入したという。ファルセットのハロルド・ブラウンはニュージャージー出身。それまで、モーメンツ、ハロルド・メルヴィン&ブルーノーツ、マンハッタンズなどともに仕事をしてきた、という。以前からスタイリスティックスのメンバーとは面識があり、初代リード・ヴォーカルでファルセット担当のラッセル・トンプキンス・ジュニアが、声の調子をくずして、グループを脱退した時を機に加入した。彼がスタイリスティックスに加入したことをもっとも喜んだのは、彼の両親だったそうだ。さすがに時代の変遷を感じる。

スタイリスティックのライヴということなら、大体の曲はわかるが、2曲ほどわからなかった曲があったので、エアリオンに聞いた。それが、セットリスト13(「ドライヴィング・ミー・ワイルド」)と14(「シング・ベイビー・シング」)の2曲だ。共にアルバムからのカット。また15曲目の「ミラクル」は長く聴いていなかったが、なんとなくわかった。これは、レコードではエアリオンとファルセットのオリジナルリード・シンガー、ラッセル・トンプキンスのデュエット曲。例の「誓い」が大ヒットした後に、同路線で作ったバラードだが、「誓い」に続いて大人気になるかと思われたが、しなかった。(笑)

ブラウンに誕生日はいつかと尋ねると1972年6月14日との答え。現在32歳、今年の誕生日で33歳か。 エアリオンにその前にハロルドっていくつくらいなの、と尋ねたら、47くらいだと思う、とか答えていたんだが・・・。あまりに数字が違いすぎる。(笑) エアリオンの勘違いかなあ。でも、47には見えない。したがって、年齢に関しては、ちょっとペンディングにしておこう。

スタイリスティックスは元々5人組。そして現在は4人。「もうひとり足して5人組に戻すつもりはないですか?」 エアリオンが笑いながら言った。「ないねえ、それはない。4人でちょうどいい。5人はトゥーマッチだ(多すぎる)。(笑)」  

ハーブ・マレルに声をかけると、僕に指を指し、「覚えてるよ」。スタイリスティックスのライヴを初めて見たのは、初来日の時。たぶん、その時、彼らは六本木のディスコ「エンバシー」に遊びにきたはずだ。そこで、会った記憶がある。集合写真をとった。その後、70年代にどこかでインタヴューしたような気がするが正確な記録がない。そして、87年7月、92年1月にインタヴューした。最近だと大宮でやったライヴの時に楽屋を訪れた。75年、まさか30年後に彼らのライヴを見て、一言二言話をするなんてことはまったく夢にも思わなかった。お互い継続は力か・・・(笑)。

現在スタイリスティックスはレコーディング契約がない。それでも、年間100本以上のライヴを続けている。ライヴが終わってしばらくすると、エアリオンが店の出口のほうにでていた。帰りがけの人たちが、みな「グレイト・ショウ」などと声をかけていく。

「またお会いできてよかったです」と言うと、エアリオンが「僕もだ。でも、また30年後ではなくね。(笑) 12月に会おう」と答えた。必ず、また12月に行こう。

(2005年4月12日火曜、銀座ケントス=スタイリスティックス・ライヴ)

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