Monthly Archives: January 2003

Earl Young

ドラマー。 フィラデルフィアにあるシグマ・サウンド・スタジオを本拠に活躍していたスタジオ のセッションドラマーの一人が、アール・ヤングという人物です。この人は、まさに フィラデルフィア・サウンドの要となったドラマーで、フィラデルフィア・サウンド の屋台骨というか土台のような存在です。 この人のドラムがかっこいいんですよねえ。ものすごく強烈に印象付けられたのは75 年のハロルド・メルヴィン&ブルーノーツの大ヒット「バッド・ラック」です。いわ ゆるドラムのハイファットの部分をパシャパシャやる奏法が斬新で。しかも、のりが ものすごくよくて、実にグルーヴ感がある。 シグマサウンドスタジオに終結していた多くのスタジオミュージシャンたちは、プロ デューサーから声がかかれば、いつでも、録音にやってきました。プロデューサーの ケニー・ギャンブル&レオン・ハフがミュージシャンを募ってオーケストラのアルバ ムを作れば、その作品は、MFSBのアルバムとしてリリースされ、ヴィンス・モン タナがコールをかければ、それはサルソウル・オーケストラになったわけです。 ドラムは、このアール・ヤングかチャールズ・コリンズという人でした。アール・ヤ ングはその後、トランプスのメンバーとなり、ドラムだけでなく、ヴォーカルも聞か せるようになります。ものすごい低音の持ち主で、意外といい声で、けっこう隠れフ ァンもいたものでした。 一度、じっくり話を聴いてみたいものです。

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Salsoul = Salsa + Soul

サルソウル。 サルソウル・レーベルは74年にキャリー兄弟3人によってニューヨークで設立されたレ コード会社です。キャリー兄弟は、もともとジャズのレコードを作っては売っていま した。70年代に入って、ラテン系のレコードも作り、さらに、74年ごろから大きな動 きとなりだしたディスコに注目し、ディスコ系のレコードも出すようになったわけで す。そして、次々と大ヒットを出し始めました。 サルソウルは、ご存知のとおり、ラテンの「サルサ」と「ソウル」をあわせた新語で した。当時のコンセプトとしてはかなり斬新でした。サルソウルが今回発売されるに あたって、僕はダブル・エクスポージャーとサルソウル・オーケストラのライナーを 書きました。これは、2月に本ホームページにもアップします。両者ともかなりのリ サーチをしたもので、けっこう読みでもあるかと思います。 サルソウルで一番アーティストっぽいのがロリータ、続いて、ダブル・エクスポージ ャーあたりかな。サルソウル・オーケストラはアルバム枚数は一番出してますね。あ のレインボウのレーベルデザインは、なかなかのものでした。 そして、サウンド的にはつくづく、アール・ヤングという人のドラムスがすごいな あ、と改めて痛感したわけです。この人のことは、もっと研究してみたいですね。

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Loleatta Holloway

表記。 ロリータ・ハロウェイというシンガーがいます。シカゴを本拠に活躍するヴェテラ ン・シンガーで、60年代後期から70年代初期にかけていくつかのインディで小ヒット を放ってきました。しかし、彼女を一躍有名にしたのは、サルソウル・レーベルに移 籍して発表した数々のディスコヒットです。 「ランアウエイ」「ヒット&ラン」「キャッチ・ミー・オン・ザ・リバウンド」など など。76年から78年くらいにかけてヒットを出しました。ものすごく、迫力があるシ ンガーで、昨年12月のアゲハでのライヴもなかなかよかったものです。その前にどこ かのクラブ・ライヴ(MZA有明だったか)で来日したときも、すごかったですが。 という前振りで、何が言いたいかというとですねえ、このロリータ・ハロウェイの日 本語表記なんです。レコード会社は「ロレッタ・ハロウェイ」と表記してるんです ね。以前は、ロリータだったのです。 で、正しい発音はどうかというと、「ロリータ」で、「リ」にアクセントがきます。 「lea」ですから、ここはどうしても、「リー」になるわけです。よって、聴き方によ っては、「リータ」と聞こえたりもします。そもそも英語をカタカナにするには難し い部分も多々あるのですが、「ロレッタ」と「ロリータ」じゃあ、かなり違うと思うん ですよ。 どうも「ロリータ」という響きが、嫌だということで、ロリータ改めロレッタにして しまったらしいのですが、ぜひロリータに戻していただきたい、と思うわけです。 で、そのロリータの日本編集のベストアルバム『ザ・グレイテスト・パフォーマン ス・オブ・マイ・ライフ』が2月26日に発売されます。「リライト・マイ・ファイ アー」(ダン・ハートマンのヒット)、GTSとの曲も2曲、サルソウル・オーケスト ラの作品も収録されています。全17曲。これに「クライ・トゥ・ミー」なんかもいれ られたら完璧だったのですが。(レーベル違うからむずかしいですね) かなり彼女の キャリアを集大成してますね。 ロリータ、ジョスリン・ブラウン、あるいは、グロリア・ゲイナーといった女性シン ガーは当初はニューヨークなどのゲイディスコで大変な人気を獲得しました。なぜか こうした張り上げ系の女性シンガーをゲイの人たちは熱く支持していました。それ が、徐々に広まっていったわけです。

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Teddy Riley

リズム。 87年から90年にかけて、まさに飛ぶ鳥をも落とす勢いだった「ニュー・ジャッ ク・スウィング」。「ニュー・ジャック・スウィング」とは、とてものりのよい、は ねるようなリズムを持った曲のことで、このリズムを開発したのが、テディー・ライ リーという当時まだ20歳の若者でした。キース・スウェットの「アイ・ウォント・ ハー」(87年)、ジョニー・ケンプの「ジャスト・ガット・ペイド」(88年)などが初 期の「ニュー・ジャック・スウィング」のリズムを持った曲です。 以後、およそ、7-8年にわたって、誰もがいち時期はこのリズムを使い、「ニ ュー・ジャック・スウィング」が大ブームになりました。 2月の「フィールン・ソウル」内「ブレイジン・ブラック・ミュージック」のコー ナーで、石島さんがこのテディー・ライリーを特集します。テディーは、現在、ブラッ クストリートというグループの新作が3月に発売されますが、これが大変お気に入り になったということで、急遽、このテディーの特集になりました。 テディーは、87年にガイというグループを結成し、その後、解散して、ブラックス トリートというグループを結成しました。今度の新作は4作目になります。 それにしても、久々にこの「ニュー・ジャック・スウィング」のリズムを聞くと、時 代を感じてしまいました。やっぱり、流行ものっていうのは、すたるのも早いんだな あ、と痛感しました。それでも、このリズムを生み出したテディーは、すごいです。

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最終宣告。 あいかわらず、元気でバブリーなAIでした。BMGからデフジャム・ジャパンへ移籍 し、まもなく移籍第一弾シングルをだすAI。そんな彼女が、インターFMの「ソウ ルブレンズ」にゲストでやってきました。 シングルのタイトルが、「最終宣告」です。これを作ったのは、ローフィーというニ ューヨークで活躍するミュージシャン。ヒップホップ系アーティスト、スウォードの 出世作「ジ・アンサー」などをてがけています。 AIによるとそのローフィーの自宅に行き、彼が持っているトラックを聴いたり、こ んな感じっていう具合にキーボードを弾いてくれて、それで気に入ったフレーズを曲 にしたそうです。 「このフレーズ、このフレーズ!」って感じで彼に言ったら、翌日にはもう曲全体の フル・トラック(カラオケ)ができてきて、それを聞きながら、今度は歌詞を考えました。 「ちょうど、マンハッタンのダイナー(軽い感じのレストラン)で、リコ(デフジャ ム・ジャパンの担当者=ヒップホップ番組のDJも)と一緒にいろいろ考えてて、「な んか四文字熟語がいいなあって思っているときに、リコが『最終宣告』ってどう、っ て言ったんで、それで行こうって感じで、すぐに歌詞を書いたんだ」  そして、3日目には録音し、すぐにミックスダウンをして、たったの4日で完成させ た、という速攻の一曲です。シングルをもう一枚くらい出して、アルバムを6月くら いの発売にしたい、とのこと。仕切りなおしの再デビューって感じでしょうか。この 曲を持って、日本の音楽シーンよ、私に注目しないとだめよ、という最終宣告かもし れません。自信のあふれた一曲といえるでしょう。

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Utazawa

花蝶。 新橋演舞場の前にある由緒正しい料亭。そこで、友人のお三味線と歌澤の発表会があ りました。(2003年1月12日付け日記) 先日の日記ではその歌曲「今朝の雨」 の解釈を考えたわけですが、それを含め約30人のお弟子さんが、お三味線にあわせ て歌います。 この歌澤の世界は、さっと読んでしまえば15秒の歌詞をじっくり、ゆっくり3-4 分かけて歌うんです。でまた、その詩の世界がおもしろいんですねえ。粋、色っぽ い、今風に言えばおしゃれ。かっこいい。 一番最後に芸者さんがでてきて、歌と三味線にあわせて踊るのですが、なかなかいい 感じです。その歌が終わったあと、そこに別の芸者さんがいました。「この世界にあ こがれて、短大でて、始めたんです。まだまだこきみ姉さんには、足元も及ばないで すよ」という彼女は、さくらちゃん。こきみ姉さんは、歌澤の最後で踊った人です。 若い女性で、こういうのに興味を持つっていうところがおもしろいですね。 普段、とても、僕たちなど足を踏み入れることができないような料亭です。なかなか おもしろい経験でした。

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Anti War Song

反戦歌。 アメリカのイラク攻撃が始まりそうな気配ですが、アメリカが戦争に突入した場合、 メディアはどのような反応をしめすのでしょうか。ラジオ局は、どうするか。 反戦歌が、次々と流れるようになるのでしょうか。反戦歌はいくらでもあります。7 0年代初期のヴェトナム戦争の時の作品をそのまま持ってくれば大丈夫です。つま り、人間は、あるいは、アメリカは30年前と変わっていない、成長していない、と も言えます。 たとえば、 War (Edwin Starr), Stop The War (Edwin Starr), What’s Going On (Marvin Gaye), Get Here (Oleta Adams), Imagine (John Lennon), Love’s in Need Of Love Today (Stevie Wonder) … なんと、anti war songで、検索したら、こんなサイトがありました。 … Continue reading

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母父姉兄。 フィラデルフィアにMFSBというインストゥルメンタル・グループがいます。実際 は、40名近いオーケストラです。フィラデルフィアにあるシグマ・サウンド・スタジ オに出入りするスタジオ・ミュージシャンの集合体がこのMFSBです。この場合は、 プロデューサーのギャンブル&ハフたちが仕切って録音します。 だいたい、ドラムがアール・ヤング、ギターにノーマン・ハリス、ベースにロニー・ ベイカー、さらにホーン・セクション、ストリングスがつきます。 ここに一人ヴィンス・モンタナというヴァイブ奏者がいます。そして、このヴィンスが バンドマスターになってほとんど同じミュージシャンたちでオーケストラを作りまし た。ヴィンスがバンマスの場合、オーケストラ名はサルソウル・オーケストラになります。 このサルソウル・オーケストラは、75年に「サルソウル・ハッスル」の大ヒットを放 ちます。サルソウル・オーケストラの作品やMFSBの作品を聞いていると、どこか映 画音楽を聴いているような錯覚におちいることがあります。特にMFSBの「マイ・ ワン・アンド・オンリー・ワン」なんかを聴いていると、映画のバックに流れてきそ うな作品です。 MFSBは、マザー・ファーザー・シスター・ブラザーの略。フィラデルフィアの愛 称は、シティー・オブ・ブラザリー・ラヴ、すなわち、兄弟愛の街。華麗なインスト ゥルメンタル・サウンドをお求めなら、MFSBやサルソウル・オーケストラをどうぞ。

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What will happen to false James Brown

「ゲロッパ」 この人を食ったようなタイトルが、この秋に公開が予定されている井筒監督の新作映画の題名です。ストーリーがおもしろい。 まもなく収監されるやくざの親分(西田敏行)は、これまでにやり残したことが二つだけあった。ひとつは25年前に生き別れとなった娘(常盤貴子)と会うこと、そして、もうひとつはジェームス・ブラウンの名古屋でのライヴをみること。死ぬまでに一度でいいからブラウンのライヴを見るのが親分の夢。その夢をかなえさせようと舎弟たちが、ブラウンを誘拐して、親分の前でライヴをやらせよう、と計画する。 ところが、舎弟たち、あんまりよくジェームス・ブラウンのことを知らず、間違ってJBそっくりさんを拉致してしまう。それを知った一番弟子(岸田一徳)は激怒、その偽JBを殺そうと考えるが・・・。 いってみれば、コメディー系のどたばたものですが、ジェームス・ブラウンを誘拐するなんていう発想がいいですねえ。 で、その撮影現場をちょっと見る機会がありまして。一度見てみたかったんです、映画の撮影現場。横浜磯子の先の公園。そこに、岸部一派とJBそっくりさん。殺されると思ったJBそっくりさん、「お願いだから助けてくれ、なんでもするから」と懇願。「じゃあ、歌って、踊ってみろ」とすごまれると、ラジカセから音楽が流れる。それがジェームス・ブラウンの「マザー・ポップコーン」! この曲が始まると、JBそっくりさん、最初はびびりながらも、徐々に歌と踊りに激しさがまし、連中を納得させるのだが・・・。 そっくりさんのウィリーは、監督自身がロスで行ったオーディションに合格しこの役を射止めた。撮影の合間彼と話をしてみた。ウィリーによれば、「(オーディションには)10人くらい来てたかなあ。でも中には、ジャッキー・ウィルソンやサム・クックのそっくりのほうがあうんじゃないか、って奴もきてたよ(笑)」という。 ウィリーはノースキャロライナ出身。もともとダンサーから始めた。ニューヨークのアポロ劇場で、プロのダンサーとしての仕事をもらい、きっかけを作った。歌を始めたのは19年ほど前だという。年齢を聞いても答えてくれなかったが、40代後半から50代前半と思われる。普段は、LAでジェームス・ブラウンのそっくりさんのショウをやっている、という。 「なぜまた、ブラウンの真似を?」 「いや、最初はそんなつもりはなかった。たまたまあるとき、ジェームス・ブラウンの曲を歌ったら、よく似ている、といわれるようになって、それ以来意識するようになった。今ではブラウンのショウを真似てパフォーマンスをしているんだ」 いったいウィリーのようなJBのそっくりさんっていうのは、アメリカにどれくらいいるのだろうか。 「さあ、全米ではわからないけど、ロスでは2-3人じゃないかなあ」 「で、あなたがその中でベストというわけですね」 「いやあ、僕はそうは言わない。(笑) でも、みんなはそう言うね。今はマネージャーもいないし、事務所もない。マネージャーが欲しいと思ってるんだ」 「ミスター・ブラウンに会ったことは?」「いやあ、まだないんだよ」 「ブラウンの曲は、何曲くらい歌えるの?」 「全部だ!」との堂々たる答え。 そして、「マザー・ポップコーン」で見せた踊りは、相当ジェームス・ブラウンを研究しているとみた。まあ、それはそうですね。20年以上、そっくりさんでやってるんだもんね。この映画、ジェームス・ブラウン・ファンなら、絶対楽しめると思う。果たして偽のジェームス・ブラウンの運命やいかに? ウィリーの靴、青地に赤白の星。「リヴィング・イン・アメリカ」ばりの派手な靴だった。この靴は映るのかな。

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Blues Brothers @ Bluenote

南部。 黒いスーツに白いシャツ。黒くて超細いネクタイに、黒い帽子。リード・シンガー、ロブ・パパロッツィーが登場するや、瞬時にブルーノートはブルース・ブラザース色に変色します。 「映画『ブルース・ブラザース』の冒頭でかかった曲だよ」と言って歌いはじめたのが、「シー・コート・ザ・ケイティ」。バックに、映画のシーンでも映し出されれば、完璧ですけどね。 そのロブが、今は亡きグレイト、ジョン・ベルーシに捧げるといって歌い出したのが、ブルージーな「ショットガン・ブルーズ」です。彼は途中でポケットからハーモニカを取り出し、アンプを通さずにハーモニカを吹きながら、客席を歩きまわりました。音が小さいので、バックのバンドも、演奏を低く低くしていきます。生のハーモニカだけで、ブルーノートがシーンとしました。 しかし、その後はキャブ・キャロウエイの物まねを経て、「スイート・ホーム・シカゴ」以降は観客総立ちです。そして、エディー・フロイドが登場します。メンフィス、スタックス・レーベルから「ノック・オン・ウッド」の大ヒットを放ったソウル・シンガーです。 そして、アンコールではジョニー・テイラーのヒット「フーズ・メイキング・ラヴ」まで歌ってくれました。 スティーヴ・クロッパー、ジョン・トロペイ。みんな名うてのミュージシャンたちばかりです。やはり、リアル・ミュージシャンたちの泥臭いソウルは、最高です。スティーヴ自身が、ものすごく南部っぽい風貌ですね。そして、南部は古くからの伝統を重んじます。この夜、そんな伝統の一端が垣間見られました。 (2003年1月21日ブルーノート・セカンドステージ)

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Yokozuna’s Retirement

引退。 横綱貴乃花関が引退しました。僕はそれほど熱心な相撲マニアではありませんが、一般レベルではそこそこの興味はあります。 スポーツの世界でインタヴューしてみたい人が二人いて、そのうちの一人が貴乃花です。ちなみにもう一人は、イチロー選手ですね。 貴乃花って、記者会見とか、非常に答えがシンプルで、しかも当たり前の差し支えのないものしか返ってこないでしょう。はっきりいって記者会見はつまらない。とはいうものの、ああいう答えになるのは、十分理解できます。でも、そこを打ち破って、もう少し話を聞き出したい。しっかり腰をすえて、がっぷりよつのインタヴューをしてみたい。それにはこちらも、かなりの準備が必要であることは言うまでもありません。相手が横綱なんだから、やっぱり、こちらもインタヴューするものとして同じ横綱かせめて大関くらいになってないと。 「明日インタヴューできますから」と言われても、こっちの準備ができていないと、インタヴューは成立しない。イチローも同じです。イチローに食い込んで確かなインタヴューができているのは、ほんの一握りの人だけです。 僕が貴乃花に興味を持ったのは、確か、彼が大関になったあたりのことだと思います。僕は「父親と息子」という点において大変興味を持ちました。よく「偉大な父親を超えられるか」とか言われますよね。二世たちは、常にそこに脚光が当てられる。で、若・貴もいつもそういう目で見られてきた。長島ジュニアもそうだろうし、二世で活躍する歌舞伎役者や俳優たちも同じです。 「息子は父親を超えたか」という命題はよく出されるもので、たいがい、結論は、数字で超えたとしても、結局は息子はどう転んでも父を超えることはない、といったものです。 貴乃花の場合、父親の地位『大関』を超えた『横綱』になったのですから、ある意味で「父親を超えた」わけです。しかし、違う面で超えたところもあるだろうし、超えてないところもあるでしょう。そもそも比較が無駄だという意見もあるかもしれません。しかし、この「父親を超えたか」というテーマはとてもわかりやすく、耳なじみがいいので、とっつきやすい。 ソウル界にもたくさんの二世アーティストが登場しています。『ソウル・サーチン』でも書いたナタリー・コールの物語http://www.soulsearchin.com/soulsearchin/7.html、あるいは、父親との確執が劇的な結末を迎えるマーヴィン・ゲイhttp://www.soulsearchin.com/soulsearchin/2.html。このページでも紹介したカール・アンダーソンの話。http://www.soulsearchin.com/entertainment/music/story/anderson199501.html そこには、実にさまざまな知られざるドラマがあります。そんな親と子というテーマで、貴乃花の話がきいてみたいと思うわけです。 貴乃花にとって、父親とは、師匠とは。父を超えるとはどういうことか、超えたと思うか。超えていない、あるいは超えられないと思うのであれば、それはどのあたりか。興味はつきません。 15年間土俵にいて、でも、まだたったの30歳。これからの人生のほうがはるかに長いのです。貴乃花の第二の人生に神のご加護を。God bless Takanohana!

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Martin Luther King Sunday

日曜。 さっきからずっとWBLSのお気に入りの番組「Sunday Classic」を聴いているのですが、なんかやたら、マーティン・ルーサー・キングの声がはいってくるなあ、と思ったら、今日はアメリカではキング牧師の誕生日を記念した日曜なのですね。 ダニーハザウエイの「サムデイ・ウィル・オール・ビー・フリー」、マーヴィンゲイの「ホワッツ・ゴーイン・オン」なんかが次々とかかっています。 DJたちが「マーティン・ルーサー・キング・サンデイ」と言っていました。そうか、なるほど、って感じ。アメリカでは明日月曜がハッピーマンデイで休日なのかな。 来週の日曜はスーパーボウルですね。毎年ハーフタイムのショウは見逃せません。今年は誰がでるのでしょう。

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Pulp Fiction

クール。 今日「山野ミュージックジャム」で『パルプ・フィクション』(94)のサントラを紹介します。そこで、映画を久々にビデオで見ました。もしも、まだこの映画見てないで、これから見るつもりの方は、この先は読まないでください。若干のネタばれがあります。(読んでも、ストーリーには関係ないから、大丈夫かも) いやあ、それにしても、この映画、せりふがいいですよねえ。この脚本は最高だ。しかも、ストーリーのもってきかたがうまい。出てくる役者もいい。冒頭、朝のコーヒーショップの男はティム・ロスだったのね。忘れてました。この後彼は、「海の上のピアニスト」ほかいろいろやりますよねえ。役によってずいぶん違う印象で、うまいですね。ハーヴィー・カイテルもいいところででてきます。 タランティーノは、音楽の使い方がもっともうまい監督ですが、その音楽のチョイスが超僕好み。僕が映画作るんだったら、こういう風に選曲したいな、と思わせられます。 せりふで気に入ったのは、やっぱり、サミュエル・ジャクソンの一言。死体処理に困って友人のところにやってきて、その友人(タランティーノ)にぶーぶー言われて、とっとと帰ってくれみたいなことを言われます。そして、彼がもらすのが、”Kool & The Gang, baby!” の一言。 通常のせりふなら、”It’s cool”となるところを、言葉遊びで、Kool & The Gangと勢いつけちゃうわけです。そうねえ、これ、どういうのかと解説するとーーー。 たとえば、「住めば都はるみ」みたいなもんです。でも、字幕つけようないんですけどね。 仮にそこに、「クール&ギャングだ、ベイビー」とか字幕つけても、意味わかんないんですよねえ、戸田奈津子先生。で、クール&ギャングは、オープニングで「ジャングル・ブギー」がかかっています。 ボクサー、ブッチ(ブルース・ウィルス)がギャングのボスから八百長を持ちかけられるところに流れる曲がアル・グリーンの「レッツ・ステイ・トゥゲザー」。たしかこの曲は、『ジェイソンズ・リリックス』(94)や、『ショーシャンクの空に』(94)にも使われてました。なんときしくもみな94年産の映画ですね。 もちろん、タランティーノの映画では、『ジャッキー・ブラウン』(97)のサントラも最高です。 タランティーノの映画はクールなせりふにクール&ギャングな音楽満載。

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Games People Play

バーバーショップ。 GCキャメロンのライヴについての書き込みをたくさんいただきました。ありがとうございます。というわけで、埼玉のウッチーさんが一緒に歌ったという「ゲームス・ピープル・プレイ」を、1月26日放送分の「バーバーショップ」(インターFM 76.1Mhz=午後4時から)でかけます。 1975年の夏の大ヒット、ソウル・チャート・ナンバーワン・ソングです。ゆったりしたミディアム調の佳曲です。この4分37秒の作品、ヴォーカル・グループらしくなかなか聞かせどころがあります。 イントロからは通常どおり、リード・シンガーのひとりボビー・スミスが歌い始めますが、54秒あたりで珍しく女性シンガーがはいってきます。ほんの3行ほどの歌詞を歌います。これは、フィラデルフィアの名門スタジオ、シグマ・サウンド・スタジオのスタジオ・セッション・シンガーとして超有名なバーバラ・イングラムです。 バーバラは、カーラ・ベンソン、イヴェット・ベントンと3人で、バックコーラスを担当します。プロデューサーには必ず3人まとまって呼ばれるので、彼女たちにはいつしか「スイートハーツ・オブ・シグマ」(シグマの恋人たち)というニックネームがつきます。まだこの75年時点ではついていなかったようですが。 このパートは、当初はスピナーズのメンバーのヘンリーが歌う予定もあったらしいのですが、グループがイギリスにツアーに行ってしまったためか、あるいは、ここは女性の声が欲しかったためか、プロデューサーのトム・ベルはシグマのセッション・シンガー、バーバラに歌わせました。 そして、サビに進み、二番の冒頭(2分12秒あたり)で超低音の声が「トゥエルヴ・フォーティーファイヴ・・・」と歌います。これが、パーヴィス・ジャクソンです。この声があまりに印象的なために、パーヴィスには、「ミスター・トゥエルヴ・フォーティファイヴ」というニックネームがつきました。そして、コーラスで別のリード、フィリッペ・ウィンが加わります。 「12時45分、僕は地下鉄の駅に向かった。とてもさびしかったので、ぶらぶらしていた。近くでおかしな声が聞こえた。見まわすと、彼女の顔がそこにあった。微笑みながら、僕の名前を呼んで、彼女が近づいてきた。行くべきところがその瞬間にわかった。この日を人生最良の日と呼ぼう」(ゲームス・ピープル・プレイ) 好きになった人をあきらめようかと思っていた男が、ついに12時45分に地下鉄の駅でその彼女から声をかけられるというストーリーです。パーヴィスの人生はこの「トゥエルヴ・フォーティーファイヴ」の一言で劇的に変わったそうです。縁の下の力持ちから、いきなり、脚光を浴びるフロントマンになったからです。 ボビー、バーバラ、パーヴィス、フィリッペ、そして、グループのコーラス。プロデューサーのトム・ベルはこう語っています。「(この曲では)各メンバーにいろいろなパートを少しずつ歌ってもらいたかったんだ。特にベースはなかなかスポットがあたらないだろう。つまり、僕はこの曲で古いバーバーショップ・スタイルのハーモニーを作りたかったんだ」 「バーバーショップ」でかけるには完璧な一曲です。

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Guest on radio programme

敏感。 FM大和という神奈川県大和市を中心としたコミュニティーFMの番組にゲスト出演してきました。友人の島田奈央子http://www.flavor.fm/flavor/naoko_net/index1.htmlさんがDJをする番組「ルームス」です。毎週火曜日午後11時からの1時間番組。今日収録した番組は来週1月21日(火)と1月28日(火)に放送されます。FM大和の周波数は、77.mhz。大和を中心に10キロ圏内くらいで聞こえるそうです。逗子や江ノ島あたりでも、聞けるそうなので、お近くの方はチェックしてみてください。インターネットでは残念ながら聞けません。 一本目は、モーリスギブの死去にトリビュートしてビージーズ関連で、3曲。後半が「ソウル・サーチン」のミニー・リパートン。やはり3曲。 2本目は、前半がGCキャメロン&スピナーズつながりで3曲。後半は、「ソウル・サーチン」のハーヴィー・フュークワ&マーヴィン・ゲイです。 すいません、毎度のことながら、ちょっとしゃべりすぎたようで、予定した曲数大幅に減ってオンエアです。モーリス・ギブの話してたら、いつのまにか半分近くになっていた。 ビージーズは、「マサチューセッツ」、アルグリーンの「傷心の日々」、そして、ビージーズで「イモータリティー」。う~ん、ビージーズで1時間やってもよかったですね。 こういう死亡ネタって日本のラジオは、あんまり真剣にやらないんですよねえ。どうもみんな音楽ニュースに鈍感なんですね。なんでなんだろ。知りたいと思わないのかな。なんで死んだとか、どうして死んだとか。その人の人となりとか。アメリカだったら、ソウルステーションはどうかわからないけど、一時間に一回ビージーズばっかりになるんじゃないかな。 海外のメディアからは、12日の死亡以降も、ほとんど毎日のようにアップデート情報が取材され、報道されています。 というわけで、常にこの種類のニュースには敏感になっていたいと思います。 さらに、ラジオの宣伝。 今週土曜日と来週土曜日、ゴスペラーズの「フィールン・ソウル」(毎週土曜日午後10時、東京FM系)の新春放談もよろしく。「ロスト・ソウル・イン・ザ・90ズ」。今週は女性シンガーとガールグループ。来週は、カンバックを果たしたアーティストです。 黒沢さん、村上さん、ソウルライター、石島さんとともに4人で好き勝手しゃべっています。これも、55分くらいで6曲しかかけてないですねえ。ま、いいでしょ。

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Farewell To Temps

魂酒場。 六本木に長きにわたってその存在感を見せていたソウル・バー「テンプス」が、去る12月31日をもって閉店しました。オウナーの川畑さん、スタッフのみなさん、お疲れ様でした。 僕が最後にテンプスに行ったのは、2002年11月4日。世田谷のソウル・バー「ストリート・カフェ」の5周年パーティーのときでした。そのときの模様はここに。http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/diary20021106.html GCキャメロンの時に会った川畑さんによれば、いずれまた近いうちにどこかで店をだす、とのこと。 思えば、川畑さんとは、四谷の「ライヴ」、六本木の「ラヴィング・パワー」、初代「テンプス」、そして、2代目「テンプス」とずいぶん長い間お世話になっていますね。 早いところ、新しいお店をオープンしてほしいと思います。 ところで、下北沢にある、やはり老舗の「エクセロ」も近々閉店になるようです。クローズする前に、一度行かないと。富田さんにお会いしたのも、昨年のレイ・グッドマン以来かな。

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GC Cameron’s Brother In Law

義兄弟。 1分程度のバンド演奏からいきなり始まったその曲のイントロ。バンドメンバーが聞きなじみのあるイントロをピアノで弾きます。「いきなりかよ」と誰もが思った瞬間、GCはすでに歌い始めていました。「It’s a sha~me…」 彼がリード・シンガーだったスピナーズの70年の大ヒット「イッツ・ア・シェーム」です。GCキャメロンの初めての来日ライヴです。 さらに、たたみかけるようにスピナーズの「アイル・ビー・アラウンド」が登場。フィラデルフィアで、トム・ベルのプロデュースによって生まれた大ヒットです。あれ、でも、これって、GCさん、もうグループやめた後のヒットじゃなかったっけ? ま、いいっか。サーヴィス、サーヴィス。みんな聞きたいんでしょ、これ。だから、歌いますよ、皆さんが聞きたい曲、なんでも。ってな感じで、サーヴィス精神いっぱいなGCキャメロンさんです。 そして、スローな曲調に。イントロ聞いたことあるなあ、と思いきや、「ディスタント・ラヴァー」の登場です。ご存知マーヴィン・ゲイの大ヒット曲。そう来るか。観客席から、歓声が! みんな聞きたい曲、何でも歌いますよ。サーヴィス、サーヴィス。 じゃあ、次は~~?。スピナーズの72年のスマッシュ「クド・イット・ビー・アイム・フォーリン・イン・ラヴ」。邦題は「フィラデルフィアより愛をこめて」。続いても、スピナーズの「マイティー・ラヴ」。う~ん、サーヴィスです。 次はなにかな~~。「映画クーリーハイに使われた曲を歌います」と言って歌い始めたのが、後にボーイズ・トゥ・メンで大ヒットする「イッツ・ソー・ハード・トゥ・セイ・グッバイ」。これは、彼のオリジナルヒットですね。 それでも、知ってる曲ばかりのオンパレードです。70年代ソウルが好きな人なら、誰しも大喜びかもしれません。 そして、次のイントロが流れ始めました。もうわかりましたよ、すぐに、この曲。彼の持ち歌ではありませんが。そう、「ホワッツ・ゴーイン・オン」を歌い始めたんです。しかも、途中からGCさん、観客席におりてきて、観客の人と握手したり、観客が差し出すハンカチで汗をぬぐい、それをその人に戻す。もうサーヴィス精神大爆発です。しかも、超笑顔で。 最後が新作アルバムからの「フーリッシュ」。これが終わっても、まだショウが始まって50分。アンコールで、「スキヤキ」のアカペラを歌い、ラバーバンドをもった女性4人を舞台に上げて歌った「ラバーバンド・マン」で、幕を閉じました。ちょうど56分。ちょっと短いかなあ。 なんと、二日目は休憩15分をはさんで、1時間45分くらい歌ったそうです。前半後半でのダブり曲は「イッツ・ア・シェーム」のみだそうで。あれえ、じゃあ、二日目のほうがいろいろ歌ったってことですね。 ライヴ終了後、ちょっと楽屋へ行ってみました。 GCさんは、浴衣を着てくつろいでいました。そこにあったテレビは時代劇を映していました。GCさん、時代劇見てたんでしょうか。 サインを頼むファンに、満面の笑みを浮かべ、次々とさらさらとサインを書きます。慣れたものです。そして、写真をとって欲しいという人には、やはり、満面の笑みで一緒に写真に映ります。この満面の笑みは何? お客さんがいると、すぐにこの笑顔になるんでしょうか。すごいです。このサーヴィス精神は。その昔、笑顔の作り方、練習したんでしょうか。グローバルダイニングで働く人たちは2ヶ月の研修で、笑顔の作り方から練習すると聞きましたが、GCさんも、そんな研修でも? (な、わけはありませんが) 「ところで、マーヴィンの曲を2曲も歌いましたが、なにか特別な理由でも?」 「うん、マーヴィンは僕の義兄弟(ブラザー・イン・ロウ)なんだよ」 「えええ??? そうなんですかあ???」 「『ホワッツ・ゴーイン・オン』のメッセージは今でも通用するだろう。だから、歌ってるんだ。いつ頃から歌ってるかって? 75年頃からかな。マーヴィンからは、たくさんのことを教わったよ」 マジックでジャケットにサインしながら、GCさんは、こちらの質問にも嫌な顔ひとつせず答えてくれます。彼、本当にいい人って、感じで。まさに、GCさん、って「さん付け」で呼びたくなってしまうお人柄。「で、どういう経緯でスピナーズに?」 「ああ、それは、ハーヴィー・フュークワとマーヴィンが僕をオーディションしたんだよ。それで、合格してグループに入った。あの頃、みんなモータウンにいたからね。67年のことだった」 「ヘイ、G!」 マネージャー役のスキップ・ヘンダーソンさんがファンが持ってきた古いジャケットの写真を見て、GCさんをからかいます。 「おい、これ、見ろよ。こんなヘアスタイルで。若いなあ。ははは」 GCさんは、今はミシシッピに住んでいるそうです。「日本は初めてでしょう?」「いや、62年から2年間、岩国(ベース)にいたんだよ。日本のウーマンは最高さ」「ええええ??? そうだったんですか。ライヴでは初めてでしょう」「そうだね、ライヴでは初めてだよ」 GCキャメロン、1945年9月21日生まれ。57歳。10人兄弟の7番目だそうです。マーヴィンの6つ年下ということになりますね。 マーヴィンと義兄弟だったのかあ。じゃあ、2曲くらい歌うよねえ。マーヴィンの曲。 (2003年1月13日月曜・六本木スイートベイジル・ファーストセット)

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Immortality: Maurice Gibb’s Soul Searchin’

永遠に。 モーリス・ギブ死去のニュースは世界のメディアをかけめぐっています。テレビ、ラジオをつけずとも、こうしてインターネットにつなげば、世界各地のニュースがたちどころに読めます。10年前には考えられなかったことです。ここ12時間ほど、多くのカヴェレージを読んできました。ビージーズに関することで、知っているようで、知らなかったこともわかりました。だいたい、いつも有事になって初めて知ることが多くあります。(苦笑) 日記のエクストラで簡単に事実だけをご紹介しましたが、死去の前後の様子は、まだ正確には報告されていません。自宅で痛みを訴え病院に緊急入院した、すぐに手術の準備がなされた、しかし、その前に心肺停止になった。あるいは、手術はしたが、術後、容態が急変した、など。諸説あります。 そうこうしているうちに、兄バリーの「モーリスの死因に関して、病院側に対し疑問を持っている。徹底的に調べ上げる」というコメントが発表されました。今後のニュースに注目しましょう。 モーリスは20代の頃からずっとアルコール中毒に悩まされていました。十代の頃から世界的スターダムに登りつめ、しかし、人気が凋落し、また、「サタデイ・ナイト・フィーヴァー」で上がりと、ローラーコースターのような浮き沈みを体験しています。 ビージーズ初の世界的ヒット「ニューヨーク炭鉱の悲劇(New York Mining Disaster 1941.)」が生まれたのは1967年。モーリスは、まだ17歳でした。 69年にイギリスの人気シンガー、ルルと結婚するもアルコール中毒などが原因で73年には離婚。この前後はあまりヒットも出ず、苦しい時期が続きます。 しかし、77年、映画「サタデイ・ナイト・フィーヴァー」の大ヒットで、それまで以上のメガスターの座に。にもかかわらず、ディスコ・ブームが去ると、再び低迷期を迎えます。 アルコール依存症はかなり重度で、アル中の人たちが集まるグループにも参加し、なんとか立ち直ろうとしますが、なかなかうまくいかなかったようです。 彼はかつて言っていたそうです。「僕には、アルコールのことを考えないですむ日が一週間に2日だけある。それは昨日と明日だ」 あまりに厳しい現実でした。つまり、毎日それに悩んでいたわけです。 60年代後半には、それぞれがエゴを言い、ソロになったり、グループは一時的に解散状態にもなりました。しかし、70年代に入ってグループとしての人気が低迷すると、彼らは兄弟としての絆の重要さに目覚めます。わがままは押さえ、相手のことを聞き、思いやり、手を取り合っていくことの尊さを学びます。 そして、70年代後半に、彼らはマイアミに移り住みました。彼ら3人は同じストリートに家を買い、行き来するようになっていました。 88年3月、ギブ兄弟にもう一つの悲劇が訪れます。彼らの末っ子で、一時期はスターになっていたアンディー・ギブがわずか30歳の若さで急死するのです。このアンディーの死去は、彼ら3兄弟の絆をさらに強めることになりました。それは、何があっても兄弟、という絆でした。 元宣伝担当だったクリス・ハッチンスは、「モーリスのアルコール依存症が彼の死期を早めたことは間違いない。彼は自分がグループのフロントマンでいたいと思っていた。そして、それも常に彼の苦痛のソウルだった」と証言しています。 最近、モーリスは音楽以外のビジネスが成功し、兄弟と同じストリートに住んでいた家から、オーシャンフロントの700万ドルの豪邸に引っ越しました。しかし、アルコールにむしばまれた体は、元に戻りませんでした。 8日深夜入院し、木曜日に緊急手術を受けたモーリスはその後も非常に危険な状態が続きました。土曜日夜、彼は妻と二人の子供たちがベッドサイドにいるときに、一度だけ目を明け、娘であるサマンサの手を握り返しました。しかし、それ以来彼の目が再び開くことはありませんでした。日曜日午前1時、彼らと兄弟たちが見守る中、モーリスは不帰の人となりました。 モーリスは、ビージーズの中で一番高い声をだす人です。「ア~~~」というその声は、もっとも特徴的です。モーリスは、かつて自分たちの声について、こう語りました。 「まあ、3人のうちの一人ということなら、そこそこ(の声)だろう。二人になると、けっこういい。だが、3人になると、それはもうマジックだよ」 ビージーズの魅力をもっとも端的に表した言葉です。そう、彼らは一人一人でソロを歌うよりも、3人がそろってハーモニーを歌ったときに、すばらしい輝きを見せるのです。 アル・グリーンがカヴァーした「ハウ・キャン・ユー・メンド・ア・ブロークン・ハード」http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/diary20021012.htmlそして、テディーペンダグラスもカヴァーしました。http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/diary20021019.html 日本だけでヒットした「メロディーフェア」。60年代を思わせる「マサチューセッツ」、「ワーズ」などのメロディアスなヒットの数々。世界的現象を巻き起こした「サタデイ・ナイト・フィーヴァー」。彼らはすばらしきメロディーメイカーでもありました。 97年、セリーヌ・ディオンのために書いた作品が「イモータリティー」です。昨年リリースされたビージーズ・ヴァージョンは、モーリスが懇願するようにソウルをこめて歌います。こんな歌です。 「だから、これが僕なんだ。それしか、僕には言えない。そして、僕は生きなければならない。僕が愛をあげられるすべての人のために生きなければならない。その生きることへの決意が、生きる力を大きくしていく。 僕たちは、さよならは言わない。僕は自分がどうすればいいか、わかってるんだよ。 永遠に。永遠の旅に、僕は歩む。君と僕の思い出を胸に秘めて。 僕の人生に吹き荒れた嵐は決してやむことはない。僕の運命はそこに吹く風次第 僕は、みんなに僕のことを思い出させよう(I will make them all remember me)」 アルコール依存症から抜け出ることができずに苦悩しているモーリスのそのもんもんとした気持ちが、自然と重なってきます。そして、今聞くと、これはあたかもモーリスの辞世の歌のようにさえ思えてきます。モーリスの人生もソウル・サーチンの連続だったのです。 モーリス・ギブ、永遠の命(Immortality)。

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Extra: Maurice Gibb Dies At 53

モーリス・ギブ(ビージーズ)53歳で死去 AP通信などによると、77年暮れに発売され78年に世界的大ヒットとなった「サタデイ・ナイト・フィーヴァー」で知られるビージーズのメンバーのひとり、モーリス・ギブが、2003年1月12日マイアミで死去した。53歳だった。 モーリスは先週水曜日(1月8日)、腸の疾患のためマイアミのマウント・サイナイ病院に入院し、木曜日に緊急手術を受けた。しかし、その後容態が急変し、12日に死去した。 ビージーズは、元々イギリスのマン島生まれ、マンチェスター育ち。長男のバリー・ギブ(1947年生まれ)とモーリスとロビン(ともに1949年生まれ)の双子兄弟の3人で移住先のオーストラリアで結成。その後イギリスに戻り、60年代から多くのヒットを放ち、世界的なスターになった。70年代後期からは、アメリカ・フロリダに住んでいる。 ビージーズは、「ブラザース・ギブ」の略、B・Gからきている。 ビージーズの「サタデイ・ナイト・フィーヴァー」のサウンドトラックは4000万枚を売りあげ、もっとも売れたサウンドトラックのアルバムとなっている。グラミー賞7回受賞。97年ロックンロール殿堂入り。最新作は2001年の「ディス・イズ・ホエア・アイ・ケイム・イン」。 ギヴ兄弟の末っ子(第4子)アンディー・ギブも1988年、30歳で死去している。

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American Pie: The Movie

非魂。 ちょうど、WOWOWで「アメリカン・パイ」という映画をやっていたので、つけてたんです。映画としては、B級の青春ラヴコメディー。卒業を間近に控えた高校生4人組が、プロム(卒業式)までに、なんとか童貞を失おうという約束をしてがんばる、というちょっとしたどたばた映画。 悪気もなく、楽しい映画です。で、この中で、コーラス部があって、そこで、アカペラで数人が歌うシーンがあるんですが、なんと、歌われる曲の一つが「ハウ・スイート・イット・イズ・トゥ・ビー・ラヴド・バイ・ユー」。 ご存知、マーヴィン・ゲイの大ヒット曲のひとつです。これを男女数名のコーラスグループが歌います。そして、コーラスの先生が、一人の女の子が歌っているところに、デュエットにしたほうがいいと提案。一人の男の子が手をあげて立候補。二人がデュエットすることになり、それぞれがこの曲を練習するのです。 その彼はラクロスの練習が終わったあとのシャワーでも、鼻歌で練習し、仲間にあきれられたりします。 ところで、ランチに行く近くのレストランには、いわゆる自動ピアノがおいてあります。実際のピアニストが弾かない時、セットされた作品が自動的に演奏されるものですが、そのレパートリーのなかに、完璧にラウンジミュージックになった「ハウ・スイート・イット・イズ」がありました。 高校のコーラスグループで歌われているのを見て、そのラウンジ風の同じ曲を思い浮かべたのでした。どっちも、ソウルがないヴァージョンという共通項があるわけです。別にいい悪いを言ってるわけではありません。これも、音楽ですから。 非魂。ソウルにあらず、です。ヒコンとでも読んでみましょうか。

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Rain In The Morning After

解釈。 このお三味線の歌は、「歌澤」という流派のものです。どこまであっているかわからないのですが、現代語の解釈を行ってみましょう。もし、間違いなどがありましたら、ぜひお知らせください。けっこう、ソウルな世界なんですよ。ついでに、これを英語にすると、つまり外国の人に説明するには、どうすればいいかなんかも、考えてみたりして。 >今朝の雨 Rain In The Morning After >今朝のな 雨にしっぽりとまた居続けに (昨日から、あなたが私のうちにお泊りにきていて、あなたは今朝帰ろうとしたが、雨がしっとり降っているので、また二人でしっぽりしてしまい、帰る機会を逃し、いつづけているのよね) これは、おそらく、『雨にしっぽりとぬれる』と『男女間の愛情のこまやかさ』のダブルミーニングなんですね。 直訳的な英語。(It is rain in the morning after, so two would stay together for a while to be wet through) もう少し情緒をいれて。Gotten aroused by the sensual rain in the morning, we … Continue reading

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Austere Refinement & Quiet Simplicity

侘び寂び(わびさび)。 日本語で言うところの「侘び寂び」は、英語のイディオムにありません。その状態を説明しなければなりません。講談社インターナショナルから発行されている『これを英語でいえますか?』(99年10月1日発行)によると、上記英語表題が、侘び寂びに対する英語訳となっています。 austereは質素、禁欲的、refinementは優雅・高尚。quiet simplicityは静かな単純さ、といったところでしょうか。 もちろん、この英語以外にも様々な表現ができるでしょう。  日本語の辞書を引くと、侘びは、静かに澄み切り、落ち着いた味わい、寂びは、古びて趣があることとでています。 たとえば、こうも訳せるでしょう。侘びは、Class with quiet and cleanness、そして、寂びはelegance with old fashioned。さらに説明文として、among Japanese unique mentality(日本人独特のメンタリティー内にある)の一行を加えると、外国の方々にも少しはわかってもらえるかもしれません。 そして、この侘び寂びをかもし出す世界の一つに、たとえばお三味線の世界があります。友人が年に一度程度その発表会をします。そこで、歌われる歌がまさに侘び寂びたっぷりのものです。その歌詞カードはこうです。タイトルは、「今朝の雨」。読めばほんの20秒程度のものを、お三味線にあわせてゆっくりゆっくり歌うと、なんと5分近くになるんですよねえ。侘び寂びだ~~。 =今朝の雨= 今朝のな 雨にしっぽりとまた居続けに長きひを短こうくらす 床の内髪を引き裂き まゆ毛を隠しもし こちのひとえ 私のかえ名は なんとしょうへあれ 寝やんすか おきなんしあけぼのならで 暮れの鐘 以上。たった6行! さあ、一体この歌の状況はどんなものなのでしょう。現代的な解釈を、明日、試しにここでご紹介してみます。もしよければ、あなたもこの歌の世界を、現代語に直したらどうなるか、やってみてください。この男と女のシチュエーションはどうだと思いますか?

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How to write linernotes

巡りあわせ。 依然ダブル・エクスポージャーのライナーにかかりっきりです。う~む、近年まれにみる手がかかるライナーになっています。で、ふと思いました。僕が一枚のライナーを書き上げるまでを「メイキング・オブ・ライナーノーツ」として、また、書くということを。しかし、誰が読むかね。同業者しか読まなかったりして。(笑) と書いたところで、僕も他のライターさんたちがどうやってライナー書いてるのかな、なんてちょっと思ってみました。みんな、どうやって書くのだろう。 僕個人としては、このライナーノーツというものが、昔からものすごく好きですねえ。特にアメリカ、イギリスのライナーには感心するものが多い。なんと言っても、雑誌なんかと比べると制約がきわめて少ないのが最大のポイント。自分で書きたいように、かなり、フリーフォームで書ける。自分で、そのアーティストのどこにフォーカスを当てるか、何について書くかなど、構成もできるし。 で、その苦労しているダブル・エクスポージャーの場合は、いろいろ書かなければならない事柄がたくさんあるから、ちょっと大変です。どこに的を絞ればいいのか。どうエディットすればいいのか。 まず、このグループがでてきたサルソウル・レーベルのことを書かなければなりません。どのようにして誕生して、いかに発展し、そして、その後の音楽シーンにどのような影響を与えたか。これだけでも真剣に書いたら、大変な量になってしまいます。 2番目に、このダブル・エクスポージャーというグループについて書きましょう。いわゆるプロフィールですね。基本中の基本です。 76年7月にアメリカで発売されたダブル・エクスポージャーのデビュー・アルバムは日本で76年11月にフォノグラムから発売されます。そして、そのライナーを76年9月21日に僕自身が書いています。 そこでは、サルソウルレーベルのこと、サルソウル所属のアーテイストについて、そして、ダブルたちについて書き、最後に曲目紹介をしています。 76年の執筆時点ではわからなかったことも、今ではいくつかのことが判明しています。グループについては今回かなり詳しく書きました。 第3に、ダブル・エクスポージャーの「10%(テン・パーセント)」という曲は、アメリカのレコード業界初の一般発売された12インチシングルという事実があります。12インチのでてきた背景、この「10%」の12インチの当時のインパクトについても触れたいところです。当然、リミキサーであるウォルター・ギボンズのことも書かなければなりません。12インチ、リミックス、リミキサー。これだけでも大変なテーマです。 第4に、彼らのプロデューサー、フィラデルフィア出身のベイカー・ハリス・ヤングについて。それまでに一大勢力だったフィラデルフィア・サウンドそのものであるということも見逃せません。彼らがいかに台頭しきたか。 第5に、フィラデルフィア・サウンド、ディスコ・サウンド、80年代に入ってのハウス・サウンドへの影響など、一連のダンス・ミュージックの流れの中におけるダブル・エクスポージャーあるいはサルソウル・サウンドについても触れたいところです。 また、このダブル・エクスポージャーというグループは結局アルバム3枚で消えてしまうわけですが、しいて言えば、フィラデルフィアのハロルド・メルヴィン&ブルーノーツやオージェイズをお手本にしたグループということもいえます。そのあたりの関連性も余裕があれば、紹介したいわけです。 といったことを考え、リサーチを続けていくと、実にきりがないのです。そして、いろいろ調べていくと、まったく知らないことにも出会います。 そういえば、きいたことがあったな、とか、自分がおぼろげに覚えていたこともはっきりしてきます。 たとえば、ノーマン・ハリス、ロン・ベイカーはすでに不帰の人になっています。リミックスをしたウォルター・ギボンズも死亡しています。アール・ヤングはまだ健在ですが、南部の方でほぼ引退しているようです。ダブル・エクスポージャーのリード・シンガー、ジェームス・ウィリアムスは、なんと、フィラデルフィアの仲間とも言えるグループ、トランプスのリード・シンガーになっていました。そして、その新生トランプスは、ダブル・エクスポージャーの以前のヒット「10%」と「マイ・ラヴ・イズ・フリー」をレコーディングしていました。歴史が巡り、回転していたのです。 「10%」のレコードはどのような順番ででたのか。つまり、7インチ、12インチ、どっちが先か。アルバムはいつでたのか。あるいは、なぜ、2枚目以降のアルバムは、1枚目ほどヒットしなかったのか。話題は尽きません。 なにしろ27年も前のレコードです。Everything Must Changeです。そして、何よりも僕自身が、76年に書いたアーティストのライナーを2003年に再び書くという巡りあわせに驚いているわけです。僕自身どんなライナーになるのか楽しみです。そして、恐ろしいことに締切りは今日なんですが・・・。(こんな日記を書くくらいなら本編を書け、と。おっしゃる通りで)

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Grammy Nominations final

ノミネーション。 第45回グラミー賞のノミネートが去る1月7日NARAS(ナショナル・アカデミー・オブ・レコーディング・アーツ・アンド・サイエンス)から発表されました。 ノミネートの全リストは、次のところにあります。 http://story.news.yahoo.com/news?tmpl=story&u=/ap/20030107/ap_en_mu/grammy_list_1 とりあえず、主要4部門のノミネートは次の通りです。 1. Record of the Year: “A Thousand Miles,” Vanessa Carlton; “Without Me,” Eminem; “Don’t Know Why,” Norah Jones; “Dilemma,” Nelly featuring KellyRowland; “How You Remind Me,” Nickelback. 2. Album of the Year: “Home,” Dixie Chicks; … Continue reading

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History of Soul Music in Five Minutes

歴史。 BBSのほうで質問を受けましたが、ソウルミュージックの歴史を知るのに、何を聞けばいいのか、何を見ればいいのか、どうすればいいのか、という相談はよく受けます。 いくつかの本を挙げましたが、わかりやすく、ソウルの歴史を解説したものが、ないんですね。 5分でわかるソウル解説にちょっとチャレンジしてみましょう。 まず、ソウル・ミュージックとは何か、と言いますと、一言で言えば、黒人が、基本的には黒人のために作っている大衆音楽、ということになります。黒人音楽を「ブラック・ミュージック」と呼ぶとすると、その「ブラック・ミュージック」は、時代によってその呼び名を変えてきました。 17世紀にアメリカに宣教徒がやってきて、また、アフリカから奴隷が連れてこられて、ゴスペルとブルーズという音楽形態ができる下地ができました。 ゴスペルは教会音楽、ブルーズは日々の生活を歌った世俗音楽。これらの黒人音楽は、それぞれに発展してきましたが、20世紀に入って、微妙にまざりあうようになりました。 そして、1940年代までに、ブルーズとゴスペルをあわせ、しかも、強いビートを持った黒人の音楽が誕生していました。その音楽は、当時はレース・ミュージックと言われていました。その黒人のレース・ミュージックは、1949年に「リズム&ブルーズ」という名前で呼ばれるようなっていました。このリズム&ブルーズに注目した白人ミュージシャンがそれを真似て、ロックン・ロールというものを生み出し、これが世界的にヒットするようになりました。 黒人のレース・ミュージックはリズム&ブルーズ、さらに、ソウル・ミュージック、ブラック・ミュージック、あるいは、ブラック・コンテンポラリー・ミュージックなどと呼ばれるようになり、60年代、70年代以降に一大勢力になっていきます。60年代以降には、これとまた別の黒人音楽であるジャズの要素が加わったソウル、ブラック・ミュージックも誕生します。また、70年代には、ディスコの影響を受けたブラック・ミュージック、あるいは、ロックや、他の第三世界のいわゆるワールド・ミュージックなどの影響を受けたブラック・ミュージックも登場してきます。 今は、リズム&ブルーズと呼ばれることが多くなっています。略してR&B(アール・アンド・ビー)です。 そして、このR&B、ブラック・ミュージック、ソウル・ミュージックの世界で、様々な分派、あるいはジャンルが生まれます。それは地域的な要因であったり、音楽的要因だったりします。 ソウルの場合、とても地域性の特徴がでるところが、他の音楽との大きな違いです。デトロイトからでたモータウン・サウンド、シカゴからでたシカゴ・サウンド、メンフィスのメンフィス・サウンド、70年代一世を風靡したフィラデルフィア・サウンド、オハイオ・サウンドというのも現象としては小さいですが、あります。ニューオーリンズにも特徴的なサウンドがあります。ニューヨーク・サウンドもありますし、また、あまり特徴的ではありませんが、ロスアンジェルスのサウンドもあります。 そして、音楽的要素で言えば、ファンク、スイートソウル、ヴォーカル・グループ、正統派ソロシンガー、アカペラ、ドゥワップ、セルフコンテインド・グループ(自分達で歌を書き、演奏し、歌う、すべてを自給自足でまかなうグループのこと)、ここ20年はヒップホップなどいくつものジャンルがでてきます。 こうしたものが複雑にからみあって、ブラック・ミュージックが形成されています。ブラック・ミュージックの枠組みはかなり広いものです。そして、そこには虹のごとく七色の、いやそれ以上の輝きがあります。 ブラック・ミュージックが大衆に浸透していく上で忘れることができないのが、ライヴパフォーマンス、そして、全米のブラック・ラジオが果たした役割です。ラジオでかかり、ヒットし、レコードが売れ、ライヴを行い、人気がでて、さらに、レコードが売れる。ラジオ、ライヴ、レコード、これら3点は、ブラック・ミュージックに限りませんが、ポピュラー音楽が浸透していく上での大原則です。 といったところが、本当に、超俯瞰(ふかん)した大まかなシナリオです。それぞれに、また、充分な説明、アーティストの紹介が必要になりますが、また、これは追ってなんらかの形でやっていきましょう。

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Salsoul Label & Double Exposure

サルソウル。 1970年代中期にニューヨークにあったインディレーベルのひとつにサルソウル・レーベルというものがあります。サルサとソウルを合わせた音楽を作るというコンセプトで始まったレコード会社なんですが、なんといっても、サルソウルオーケストラをはじめとするディスコヒットがでて一躍有名になりました。 そのサルソウルの作品群が今年から徐々に日本でもCD化されます。サルソウル・オーケストラ、ダブル・エクスポージャー、ロリータ・ハロウエイなど2月から順次発売されます。 で、そのライナーノーツをいくつか書くのですが、いろいろ久々にサルソウルの作品を聴いているところです。これが懐かしいというか、いい感じで。特に、アールヤングのドラムは、やっぱり最高です。 ダブル・エクスポージャーは、3枚アルバムを出していますが、まず、その3枚から編纂されるベストのライナーを書きます。で、ファーストが出た76年当時ライナー書いたのが僕だったんですね。27年前に書いたライナーを読んで、また、改めて書き直すなんてねえ。夢にも思いませんでした。 彼らの「10%(テン・パーセント)」という曲は76年5月シングル発売されヒットしているのですが、この曲はアメリカの音楽業界で初めて一般発売された12インチシングルでもあるのです。 今でこそ、12インチがあたりまえのように存在していますが、当時はとても画期的でした。世界初の一般発売された12インチシングル。それが、この「10%」の最大の売り文句です。 サルソウルは、ディスコ音楽に特化してさまざまな試みもしました。そして、その流れは後のハウスミュージックへ大きな影響を与えます。そのあたりの話も書き込みたいと思っています。 2月下旬発売予定なので、その時にはライナー原稿をここにアップします。

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Madonna Unauthorized @ Book Off

非公認。 アンオーソライズドを訳すと、非公認ということになります。『マドンナ・アンオーソライズド』は、マドンナ自身は公認していないバイオグラフィー(評伝)です。 クリストファー・アンダーセンというジャーナリストが書いたもので、アメリカでは91年に発売され、日本版は福武書店から92年に発売されていました。邦題は、『マドンナの真実』。マドンナに関係していた人々数百人にインタヴューして書き上げたという作品で、かなりおもしろいのですが、昨日「山野ミュージック・ジャム」で紹介するにあたって、全部読んでから行こうかな、と思ったんですが、なまけて読みきれませんでした。 実は原書は持っていたんですが、それも読んでませんでした。いわゆる「つん読」っていうやつです。そういうのが多いんですねえ。 で、この本をいかにして手にいれたか。しばらく前にうちの近くにツタヤができ、それより前にブックオフができていたんですね。前々から一度行こうと思っていたのですが、先月、ついに行ったわけです。ちょっと別の本を探しに。 たいがい、本屋さん、レコード屋さんに行った場合、目的以外のものを買ったりしてしまうのは人間の性(さが)でしょう。で、そこで見つけてしまったんです。しかも、定価2300円が1150円という値になっていたかと思ったら、さらに、もう一枚値札が貼られていて。それが、な、な、なんと100円!  さすがブックオフです。100円なら、誰だって、ちょっと興味のある本だったら何だって買うでしょう。買いました。あああ、病み付きになりそう、ブックオフ。 でもなあ、『ソウル・サーチン』100円で売ってたら、がっくりくるだろうなあ。でも、もちろん、そのときは全部買い占めますけどね。何冊あろうが。そうそう、インターネットの中古書店で、『ソウル・サーチン』1000円で売ってて、お友達に教えてあげました。いいんだか、悪いんだか。著者が中古で売ってるよって教えてるのって。どうなの、これって。

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First Soul Blends: Madonna

初回。 2003年はじめての「ソウル・ブレンズ」(インターFM 日曜午後1時~4時)内、「山野ミュージック・ジャム」は、マドンナを特集します。 マドンナは、12曲の全米ナンバーワンソングを持ち、35曲のトップ10ソングを持っています。35曲のトップ10ソングは、エルヴィスについで2位、ビートルズを抜いてしまい、女性シンガーとしては、現時点で最高峰です。 80年代にデビューしたアーティストの中ではずば抜けて、ロンジェビティー(継続性)があります。一体、彼女のどこにそれだけ長く続く秘密があるのか。それを今日は解き明かしてみたいと思います。 題して『マドンナの秘密』ってところでしょうか。

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Feel ‘N Soul; New Year Random Talk

新春放談。 つまり、好き勝手に、何でもしゃべることです。今日(4日)土曜日午後10時から東京FM系列(全国ネットです)のFM局で放送される『ゴスペラーズ・フィールン・ソウル』では、新春放談を放送します。 題して「ロスト・ソウル・イン90ズ(失われし90年代ソウル)」です。90年代にヒットを放つも、早くも消えてしまったアーティストにスポットを当てる異様にマニアックな54分間です。これを今月は毎週やります。 しゃべるのは、ゴスペラーズの黒沢さん、村上さん、ソウルライター、石島春美さん、そして、僕。まあ、はっきり言ってかなりマニアックな話で、9割方リスナーには伝わらないと思いますが、まあ、雰囲気だけでも、エンジョイしてください。 第一週目は男性ソロシンガー、二週目はグループ、3週目は女性シンガー、4週目は、復活したアーティストとその他をご紹介します。おそらく、出てくるアーティスト、ほとんど誰も知らないでしょう。僕だって知らないアーティストがでてくるんだから。(笑) で、そのCDをかけて「あ~~だ、こ~~だ」言ってます。でも、よく考えると、友達とレコードやCDを一緒に聞いて「あ~~だ、こ~~だ」言うのって、こうやっていたんじゃないか、とふと思いました。ただ違いは、対象となる音楽が、今回の場合はきわめて珍しい作品群ばかり、というだけ。 なので、この新春放談からひとつ学ぶとすれば、レコードやCDを聞いて、友人たちと好き勝手に言うというその方法を、知っていただければ、と思います。 放談、って英語でなんていうのかわからなくて、辞書引きました。そしたら、上記の英語と、もうひとつ、free talkというのがでてました。ま、どっちでもいいんですが、なんとなく、randomのほうがあってるかなと思ってこっちにしました。 まあ、ニューイヤーとランダムトークにはまったく関連性はないので、アメリカ人イギリス人などには理解できない英語イディオムではあると思いますが。ま、日本人ですから。

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Sam Cooke: First song that ever I heard in 2003

聴き初め(ききぞめ)。 あんまり年初めに何を聴こうなどと考えないほうなんですが。でも、せっかくだし、2003年を始めた曲というのをひとつ印象付けておくのもいいかなと思い、ちょっとだけ考えてみたんです。 好きなアーティストで行くというのがいいでしょう。マーヴィン、スティーヴィー、カーティス、ジェームス・ブラウン、アース・・・。といったところに、年末に入手したサム・クックのボックスセット(4枚組)があったんですね。輸入盤に日本語解説をつけたもので、全96曲、全部聴くと4時間以上かかりますね。 しかも、日本語の解説が、鈴木啓志先生の400字詰原稿用紙70枚以上にわたる超大作。さらに、マイケル・ヒルという人が書いた英語ライナーノーツの和訳もやはり、90枚以上あり、読むだけで大変です。サム・クックに興味がある方は、この解説文ぜひ一読をお勧めします。 で、サム・クックを今年最初に聴くことにしました。4枚組、そのディスク1は、「ユー・センド・ミー」から始まります。「ダ~~~リン、ユ~~~~」というおなじみのメロディーから始まる1957年の大ヒット。年の初めには悪くない一曲です。 サム・クックの曲だと、映画『刑事ジョン・ブック 目撃者』(1985年)の中で、ハリソン・フォードと舞台となったアーミッシュの村の住人である女性とが、納屋で、突然カーステレオから流れてくる「ワンダフル・ワールド」(だったか、曲名はちょっと自信なし。あるいは、「アナザー・サタデイ・ナイト」か)にあわせて踊るシーンがすごく印象的でした。 さて、あなたの聴き初め曲はなんでしたか。

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Thunder Storm

飛び入り。 毎日午後4時。FM横浜でオンエアされている「サンダーストーム」をたまたま聞いていたんです。以前は僕もコーナーをやっていたこともあるんで。 で、聞いたことがある人がでてるなと思ったわけです。DJのデイヴ・フロムさんに紹介されていたのは、浪岡さんでした。同じ音楽ライター、音楽評論家というか、いわば同業者です。 彼がいろんな話をしながら曲をかけていて、それで、彼が86年、ニューヨークでラップのランDMCのライヴを見たときの話をしたんですね。で、僕はそれを聞きながら、ああ同じ時、見に行ったなあ、とか思って。そしたら、彼が僕の話を出したではありませんか。それは、なんども話してる話なんですが、僕が暴漢にその入場チケットを強奪されたという話なんですねえ。 もちろん、ラップのコンサートを見るのなんか初めて。会場はマジソンスクエアガーデン。そこに入場するために、なんと、会場入り口には金属探知機があって、全員のボディーチェックをしてるんです。今でこそ、そんな光景も珍しくないんですが、17年前ですからね。びっくりしたというか。で、そのために入場に異様に時間がかかるんです。ガーデンの周りをぐるっと入場を待つ人々が延々と列を作ってるわけです。で、その99%がみんな黒人です。 で、もうすぐ入り口かなと思ってチケットを手に持って待っていたんですね。そしたら、瞬間、誰かが僕にどすっとあたったんです。たぶん、前の方から来たんだと思います。どっちから来たか、よくわからないんですよ。で、ふと気が付くとチケットがないんです。もうびっくりしましたね。で、後ろを振り返るんですが、ぜんぜんわからない。走って逃げていく奴もいないような感じで。周りの黒人連中は、「ぼーっとして、ばかだなあ」風にしか見ないし。 これはまいった。チケットなければはいれない。ところが、ちょうど、そのとき、僕は一緒に行ったカメラマンの分のチケットをまだ持っていたんです。彼はフォトパスで先に入場していたので、僕はそのもう一枚のチケットでなんとか入場したわけです。もちろん、今度は入り口ぎりぎりまで、チケットは出しませんでした。 で、強奪されたチケットは、その僕が持っていたチケットと隣り合わせの席なんで、「どんな奴が来るんだ」って虎視眈々待っていたわけです。 しかし、コンサートが始まると、みんな総立ちになっていて、正確にだれがどこの席に座っているか、もうよくわからないんですよ。それでも、ブロック的に、こいつがこの僕の隣に座ってるようだ、という奴がいたんですね。で、そいつのことをちょっとにらみつけたら、向こうは「なんでおまえがここにいるんだ」風に驚いて、どこかへそそくさと行ってしまいました。多分、向こうは僕のことがわかっているのでしょう。盗んだ相手だから。でも、僕は本当に盗んだ奴の顔はおろか、姿形もわからなかったんです。ほんの一瞬の出来事でしたから。 というようなことを思い出して、僕の話もでてたんで、ちょっくら、FM横浜に電話したんです。担当ディレクターの携帯に。そしたら、「ああーー、吉岡さん、じゃあ、そのまま、出て、出て」って感じで電話でしゃべっちゃいました。 2003年元旦から、なかなかのハプニングでした。

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Happy New Year!

賀正。 あけましておめでとうございます。本年も、よろしくお願いします。 2003年元旦。 というわけで、2003年が明けました。昨年は、このホームページをとりあえず、オープンしました。そして、10月6日からなんとか日記を書きつづけています。どこまで行くかわかりませんが、行けるところまで行ってみることにしましょう。 このホームページは、ぼくがこれまでに書いた原稿を載せていこうという趣旨で始めました。そして、日記は日々感じたことや、見たもの、などを書いています。 昨年はとりあえず、スタート。今年は、もう少し発展性のあることも考えていきたいと思います。こんごともよろしくおねがいします。なにか、ご意見ご希望などがありましたら、BBSなどにお書き込みください。

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