8 Minutes 30 Seconds of American Pie: The Day The Music Born

誕生。

昨日「ソウルブレンズ」でご紹介した「アメリカン・パイ」(ドン・マクリーン)は、なんと8分半もある曲です。この曲に関しては、2002年12月10日付けの日記https://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/soul-diary-200212.htmlでも書きました。しかし、改めて歌詞をじっくり読んでみると、実に奥深いですね。この「アメリカン・パイ」を研究するニュースグループができるというのもうなずけます。これを研究するサイトを紹介しました。http://www.faqs.org/faqs/music/american-pie/ ここではそのサイトからの解釈をいくつか紹介します。

さて今回の話のねたとしては、この曲はオリジナルでは曲のほとんどがモノラルで録音されていて、最後の約30秒程度だけがステレオになるというものがうんちく的におもしろいかと思います。で、これを確認するために昨日何度もこの曲を聴きました。

ステレオの正面に座って、じっくり耳を傾けたのですが、どうもこのCDではなんとなくステレオのような気もしないではない。ひょっとすると後年「疑似ステレオ」にしたのかも知れません。ただほとんどモノラルのように聴こえます。そして、確かに最後の30秒くらいコーラスがはいってくるところは、明らかに左右に音が分かれてはっきりとステレオになるのがわかります。ドン・マクリーンは音楽がモノラルからステレオの時代になることを、この8分半の曲の最後で表したかったのだと言います。確かに50年代後期はレコードはモノラルでした。そして、60年代の中頃から徐々にステレオが登場してきました。

1959年2月、当時のロックンロールのスターが一挙に飛行機事故で死亡した日を「音楽死んだ日」としたこの作品は、ロックの歴史、アメリカの歴史のさまざまな事象が織り込まれています。機会があれば、全部を訳しながら、解釈をつけてみたいとも思いますが、これはかなり大変な作業です。(笑)

例えば、このライン。And moss grows fat on a rolling stone. 直訳でいけば「転がる石に苔(こけ)がはえる」となります。さて、このローリング・ストーンは何を意味するのか。ローリング・ストーンズのことか、あるいは、「ライク・ア・ローリング・ストーン」を歌ったボブ・ディランのことか。解釈としては、デビュー当初のディランは、社会に対する反抗精神が強かったのですが、徐々に内容がマイルドなものに変化していきました。そのことを比喩しているとも受け取れます。「ボブ・ディランにも苔がはえた」つまり「ディランも軟弱になった」ということです。

後半では With the jester on the sidelines in a castというラインがあります。直訳は「サイドラインの道化師はギブス姿」 ディランは69年7月にバイク事故で9ヶ月の入院生活を送ります。よってこれはディランのことを指します。

あるいはAnd there we were all in one place 「みんなが一カ所に集まった」は、ウッドストックを指します。また、A generation lost in space は「宇宙に失われた世代」で、アメリカの宇宙計画のことのように思えます。

ここも興味深い。So come on Jack be nimble Jack be quick/Jack Flash sat on a candlestick/’Cause fire is the devil’s only friend 「さあ、ジャック賢くなれ、素早くやれ、ジャックフラッシュはろうそく立ての上に座った、なぜなら、炎は悪魔の唯一の友達だから」 ここには二つの解釈があります。ジャックは、ミック・ジャガーのことで、ろうそく立て(キャンドルスティック)はストーンズ
が行ったキャンドルスティック・パークでのライヴコンサートのこと。ストーンズの作品「シンパシー・フォー・ザ・デヴィル」を考えると、この一行はぴったし来ます。

もうひとつの解釈はこの「ジャック」がジョンFケネディーを指すというもの。この場合ろうそく立てと炎は、ミサイルと核戦争を意味します。これは、いわゆるアメリカのキューバ危機のことですね。この時、ケネディーは早急に決断を下さなければなかった。彼の判断が少しでも遅れてしまうと、ミサイルが発射される。炎の上にケネディーが座っているというわけです。

このように一行一行にさまざまな事象がたくみに比喩されて織り込まれているのですが、どれが正解かはこれを書いた本人にしかわかりません。ところが当の本人はこの曲の解釈についていっさいコメントしないと言っているのです。おそらく、多くの人がする解釈でいくつかは正しく、いくつかは正しくないのかも知れません。まあ、それも良いでしょう。解釈を解説しないのも、見識であり、そして、勝手に解釈するのも、聞き手の自由でもあります。

ところで59年2月の運命の飛行機には本当は4人目の乗客がいました。しかし、座席が3つしかなかったため、彼らはコイントスをしてその飛行機に乗る乗らないを決めました。コイントスに負けた人物はウェイロン・ジェニングスという人物です。彼は後に作詞家として名前をなすことになります。クルセイダーズで大ヒットした「ストリート・ライフ」の作詞をしたのがウェイロンです。しかし、彼もまたこの事故については決して語ってくれません。コイントスがあまりに大きな人生の岐路となったからです。とても人に話せることではないのでしょう。

ドン・マクリーンのこの曲、そして、ライヴパフォーマンスを見て感動した人物がいました。その彼はその感動を一曲の作品にしたためます。「彼の歌で私をやさしく殺して」というタイトルの曲です。そう、「キリング・ミー・ソフトリー・ウィズ・ヒズ・ソング」です。これは、ロバータ・フラックが歌って大ヒットになりました。ここでいう「ヒズ」(彼の)は、ドン・マクリーンのことです。

そして、僕は今日どうしてもこのうんちくをできるだけ紹介したいということと、この曲をフルで8分半かけたいと思っていました。通常ですと、大体3−4分かけたところで曲にのってしゃべってしまうのですが、無理にディレクターたちにお願いしてフルでかけました。曲を8分半かけたためにおしゃべりが少しはしょってしまいましたが、まあ、それもしょうがないかもしれません。今時、8分半の曲をフルで
かけるラジオ番組なんてなかなかないでしょうから、これはこれでよかったのではないかと思います。スポンサーの山野楽器さんにも理解を示していただいて感謝です。

どうしても、僕がこの曲をフルでかけたかったのは、僕がこの曲を32年前FENで初めて聞いたとき、そのDJがこの曲をカットせずにフルでかけ、そのときのあまりの衝撃をものすごく覚えていたからです。僕はあのとき、曲の意味などまったくわからなかったのに、8分半、本当にラジオのスピーカーの前でこの曲に聞き入ってしまいました。そしてたった一回聞いただけで、この曲のそして、ドン・マクリーンの大ファンになりました。もちろん、それはこの曲が持つ普遍的な魅力があったからでしょう。しかし、当時シングル一曲3分以内という中で8分半の曲をかけたDJの勇気のおかげもあったのではないかと、後になって思います。だから、今日8分半の長い曲を聴いて、ひとりでもこの曲の魅力にふれられたら、音楽を紹介する立場の人間としてこれ以上の喜びはありません。この曲は「音楽が死んだ日」を歌っていますが、僕にとってはある意味で「音楽の生まれた日」あるいは「音楽の魅力が生まれた日」でもあるわけです。

この曲は、2枚組の「ザ・70ズ、ビューティフル・デイズ」というアルバムに収録されています。

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