First American Idol Kelly Clarkson

恵。

アメリカで昨年から大変な注目を集めているテレビ番組がある。『アメリカン・アイドル』というもので、全米から歌手志望の人を集めて競わせ、優勝したらレコード契約を与える、というスター誕生番組、日本で言えば、アサヤンみたいなものだ。

2002年夏に3ヶ月放送され、1万人の候補から30人が選ばれ、番組で競い合い、最後10人に絞られ、最終的に視聴者が電話投票で優勝者を決めた。最終回は2500万人の視聴者が番組を見て、投票を行った。こうして決められた優勝者が、ケリー・クラークソンという現在21歳の白人女性シンガーなのだ。

ケリーは、1982年4月24日テキサス州フォートワース生まれ。このケリーのショウケースが16日、渋谷のクラブ・ウーム(womb)で行われた。中に入れないほどの超満員。4曲をトラックで歌ったが、さすがに、1万人から選ばれただけのことはある。歌はうまいし、ルックスもいい。特に4曲目に歌われた「ア・モーメント・ライク・ディス」は覚えやすく、キャッチー。ヒットしただけのことはある。スター性も十分だ。

彼女のデビュー作『サンクフル』が7月23日日本発売されるが、ここに日本盤ボーナストラックとして収録されているのが、「ユー・メイク・ミー・フィール・ライク・ア・ナチュラル・ウーマン」。これがなかなかいいでき。キャロル・キングの作品で、アレサ・フランクリンなどが歌って大ヒットさせた曲。個人的には、アルバム中の一番のお気に入り。彼女は、これをその『アメリカン・アイドル』の中で歌っていたのだ。

ホイットニー、セリーヌ、マライアといった王道女性シンガーの道を行く正統派シンガーだ。この路線は、いつの時代でも、受け入れられる。

ショウケースでは4曲歌った後、矢口清治さんの司会で、ケリーと矢口さんの質疑応答があった。彼は、ケリーの首のあたりに「恵」という漢字の刺青があるのを見つけ、そのことを尋ねた。ケリーは答えた。「私が、つらい時期にこの刺青をいれた。いくつか字があったなかから意味を聞いてそれを選んだ。そのときは(自分が)恵まれてるとは思わなかったけれど、結局私はよい友人にも、親にも恵まれているということに気づいた。そして、こうして歌手という仕事ができるようになり、日本にも来れて、実に恵まれているなと思う」

僕は、その「つらい時期」というのが、いつ頃のことで、どのようにつらいのか知りたくなったが、残念ながらそのつっこみはなかった。おそらく、両親の離婚、恋愛と失恋、自宅が火事になったこともあったという。そのつらい時期に、「恵」という刺青をいれたら、その後、歌手の道が開け、『アメリカン・アイドル』という願ってもない番組で優勝し、しかも、CDも全米ナンバーワンになったのだ。その「恵」パワーは、おそろしく、計り知れないものをもっていたということになる。これは、おもしろい。

彼女は異様に早口でまくしたてる。通訳の渡瀬さんが苦労するほど。「それまではただ歌っていたけれど、番組で『ユー・メイク・ミー・フィール・ライク・ア・ナチュラル・ウーマン』を歌ったら、観客の人たちがものすごく反応してくれたの。私がそれまでマライア(・キャリー)や、エアロスミス、リビー・マッキンタイヤーなんかをきいて、感じていたことと同じことをリスナーが感じているんだなと思って、ものすごく嬉しくなった。かつて(そうしたアーティストから)私のソウル(魂)に到達したものを、今度は私がリスナーのみんなにあげたいな、って、そのとき思った」

ケリー・クラークソンは、もちろん、これからの注目新人だが、僕は同じ『アメリカン・アイドル』出身の次のシンガーにひそかにより大きな期待をかけている。黒人シンガーのルーベン・スタッダードだ。ルーサー並みの巨体。まだ歌声を聞いていないが、絶対に間違いなくすばらしいソウル・シンガーである。顔と体格みただけで、わかる。(笑)  もうひとり、白人のクレイ・エイキンもまもなくデビューするが、クレイよりも圧倒的にこのルーベンが歌唱力があるようだ。ルーベン・スタッダード、そして、『アメリカン・アイドル』。このキーワードをお忘れなく。

チャンスに恵まれ、人に恵まれ、才能に恵まれた、『恵』のシンガー、それがケリー・クラークソンだ。スター誕生である。

(2003年7月16日水曜・ケリー・クラークソン・ショウケース、渋谷ウーム)

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