「おくりびと」~ソウルの真の出発[Departures]

◆『おくりびと』~ソウルの真の出発
出発。
第81回アカデミー賞・外国語映画部門で日本の映画『おくりびと(英語タイトルDepartures)』が受賞した。今回これを機にいろいろ調べたら、なかなか興味深かったので、簡単にまとめてみたい。
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インド。
1993年、俳優本木雅弘(1965年12月21日生まれ)は『メメントモリ(ラテン語/死を想え)』(藤原新也・著=情報センター出版局刊)などの影響もあり、プライヴェートでインドに旅行した。悠久のガンジス川で彼が見たものは、そこをゆったりと流れる遺体だった。その横で日常を送る人々、生と死の共存を垣間見る。そのとき、彼は死生観というもので大きなカルチャー・ショックを受けた。日本に帰り彼はそうしたものについての書籍をむさぼるように読み出す。上野正彦氏の「死体は語る」や、熊田紺也氏の「死体とご遺体 夫婦湯灌師と4000体の出会い」などだった。そんな中に、富山県の一地方出版社から発売された『納棺夫日記』(青木新門・著=桂書房、1993年)があった。
本木はこれを読んで感銘。本木は言う。「その本で納棺師という仕事を知りまして、そのときに、見知らぬ男が見知らぬご遺体を前にふき清め、仏着を着せて棺に納めるという一連の作業が職業として存在するということに大変衝撃を受けました。そしてそれがとてもミステリアスである種エロチックで、何だかとても映画的だと感じたことを覚えています」(シネマトゥデイのインタヴュー・文・平野敦子)
シネマトゥデイ・本木雅弘インタヴュー↓
http://cinematoday.jp/page/A0001898
本木はこのインドの旅を一冊の作品にまとめようと、写真と文で作品を作る。その中で彼は、『納棺夫日記』で感銘を受けた文章を引用したく、著者の青木氏(1937年生まれ)に連絡をいれる。青木氏は快諾、彼が引用した文章は「蛆(うじ)も命なのだ。そう思うと蛆(うじ)たちが光って見えた」というものだった。インド・ベナレスのガンジス川岸辺で送り火を手にした上半身裸の本木の写真の横にこの一文をいれた。
青木氏の著作『納棺夫日記』は、死去した遺体を洗い清め、納棺することを仕事にする納棺夫を描いたもので、これは青木氏本人の自伝的著作でもあった。彼が引用するほど感銘を受けたのはこのシーンだ。
 「目の錯覚のせいか、少し盛り上がった布団が動いたような気がした。それよりも、部屋の中に豆をばらまいたように見える白いものが気になった。
 よく見ると、蛆(うじ)だと分かった。蛆が布団の中から出てきて、部屋中に広がり、廊下まで這い出している。─(略)─
 お棺を置き、布団をはぐった瞬間、一瞬ぞっとした。後ろにいた警察官は顔をそむけ後退りし、箒(ほうき)を届けに来た男などは、家の外まで飛び出していった。
 無数の蛆が肋骨の中で波打つように蠢いていたのである。
 蛆を掃き集めているうちに、一匹一匹の蛆が鮮明に見えてきた。そして、蛆たちが捕まるまいと必死に逃げているのに気づいた。柱をよじ登って逃げようとしているのまでいる。 
 蛆も生命なのだ。そう思うと蛆たちが光って見えた。」
(青木新門・著『納棺夫日記 増補改訂版』=文藝春秋、1996年)
本木の写真集は『天空静座 – HILL HEAVEN』として、1993年12月に発売される。MARCのデータベースによると、この本は「暗黒の”死”が”幸福”の頂点となる。生と死が1つに溶け合う。巨大で不可解なインドの風土の写真、文学の一文、詩、フィルム・メモワール、寄稿、投稿などが混然となって伝える、”天国”のかたち」ということだ。インドで受けた強烈な死生観を余すことなく彼は写真集と文で表現した。彼はこのインドの旅、そして、この『納棺夫日記』以来、これを映画化したいと漠然と思うようになる。僕は本木がこのインドの旅、そして、こうした本を読むことによって相当深いソウル・サーチンをしたと思う。
この経緯について、青木氏は本人のホームページでも触れている。
青木氏ウェッブ↓
http://www5a.biglobe.ne.jp/~shinmon/news.htm
『納棺夫日記』は、地方発信の書籍として評判を呼び、その約3年後、文芸春秋社から1996年7月発売。さらにベストセラーとなった。
熱望。
本木は、依然この物語を映画化したいと熱望し続けた。しかし題材が地味であることなどからなかなかゴー・サインはでなかった。さまざまな紆余曲折を経て、2005年頃、制作準備が始まった。インドへの旅からすでに12年の歳月が流れていた。
監督に滝田洋二郎(1955年12月4日生まれ)氏、脚本に売れっ子放送作家小山薫堂(1964年6月23日生まれ)氏などがあたり、さらに広告代理店、放送局などが集まった製作委員会が結成され、映画製作が始まった。当初は原作が『納棺夫日記』になる雰囲気だったが、映画の脚本の第一稿を読んだ青木氏がどうやら自分の本のイメージと違うということ、また青木氏が住む富山ではなく、映画の舞台・ロケ地が山形県庄内市になることなどで、原作からは降りることになったらしい。このあたりの事情はさまざまなことがあるのだろう。推測でしかない。しかし、原作クレジットはなくとも、この映画を作るきっかっけとなった作品は『納棺夫日記』であることにはまちがいない。
映画は2008年夏までに完成し、9月に全国で公開された。映画は静かにヒット。すぐに第32回モントリオール世界映画祭でグランプリを獲得するなど、さまざまな賞を総なめにしていく。約半年で日本で250万人が映画を見たという。『納棺夫日記』とは別の映画脚本を元にした映画のノヴェライズという手法で『おくりびと』という本も出た。そして2009年2月20日、日本アカデミー賞10部門獲得。勢いがついていた。
そして、2009年2月22日(現地時間)。ロス・アンジェルス・コダック・シアター。「外国語映画賞」発表。日本時間23日午後1時07分。プレゼンターが封を切って、言う。「オスカー・ゴーズ・トゥー…。…デパーチャーズ! ジャパン!」
本木雅弘、広末涼子らと壇上に上がった滝田監督は喜びをかみしめながらカタカナ英語で挨拶した。「Thank you to all the Academy. Thank you to everybody who help this film. I am very happy. Thank you. I am here because of film. This is a new departure for me. I will, we will be back, … I hope. Thank you, arigatou!」
授賞式はその後も今年のハイライト「スラムドッグ&ミリオネア」の大量受賞とともに進んでいった。ライヴ・ショーの最後、「ベスト・ピクチャー(最優秀映画)」の発表となった。5本のノミネートから選ばれたのは、この日8部門目の獲得となった圧勝の「スラムドッグ」だった。
この映画もまたインドを舞台にした作品だった。ステージには多くのインド人出演者も上がった。「スラムドッグ」に「おくりびと」。どちらも言ってみればインドにルーツを持つ作品だ。「おくりびと」のすべては本木雅弘のインドへの旅から始まり、これを何が何でも映画化したいという強い彼の気持ちがすべてを動かした。そうして、インドにおけるソウル・サーチンが生み出したまったく別の2本の映画に、同じ日、同じ場所で、同じ瞬間、世界が見つめる中、世界の栄光と映画の神様が微笑んだ。ソウルを知っている人たちは素晴らしい。
■第81回オスカー・アカデミー賞
February 23, 2009
OSCAR, 81st Academy Awards Final: New Departure For Japanese Film
http://blog.soulsearchin.com/archives/002839.html
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