Memory Of Jiyugaoka, Back In The Day (Part 2)

(昨日からの続き。舞台は自由が丘から西麻布へ) <br>
【自由が丘へのルーツ】 <br>
西麻布。<br>
なぜ、大貫さんと僕が「レノマス」に「エスピガ」のDJとして誘われたか。<br>
それから遡ること3年余。1979年夏。僕は西麻布にあったDJバー「トミーズ・ハウス」という店に足を運び入れた。西麻布に住む友人が、「半地下からいい音が聞えてくるなんか面白そうな店があるから、行ってみよう」といって誘ってくれたの 。­本木交差点から西麻布の交差点に向かい、左側を­いていくと、交番の手前にその店はある。階段を数段下りて入っていくと、­では大音響で音楽が流れていた。<br>
たくさんの曲を聴いたが、特に印象に残っていたのはちょうどその 全米で流行っていたハーブ・アルパートのインストゥルメンタル曲で全米ナンバーワンになる「ライズ」 。10坪程度の小さな店 ったが音響に凝っていて、JBLとウーハーがものすごくいい音を出し、当時の流行の洋楽曲がかかっていた。カウンターは対面で客が座るようになっていて、そのテーブルには、バックギャモンのゲー 盤が作りつけられていた。店のスタッフは、­ーラースケートを履いてドリンクを運ぶという、当時としてはかなり斬新な、しかもアメリカナイズされた店 った。バックギャモンのゲー を覚えたのもこの店 った。<br>
オウナーはトミーで、彼は洋楽も最先端のものから、邦楽も洋楽寄りのものを厳選してかけていた。初めて足を踏み入れたその日、僕はそこの店の音の良さ(音響の良さと選曲の良さ)にほれ込み、以来 繁に通うようになり、そのうちトミーに誘われひまな時間にDJをするようになったの 。それがいつしかレギュラーで週末にDJをするようになった。僕は毎週金曜と土曜の夜10時半から夜­の3時まで4時間半、ノンストップで立ちっ放しでDJをした。僕がかけたのはほとんどソウル、ディスコばかり った。<br>
毎日深夜3時。店のク­ージング・テーマは決まっていた。毎日、週末も平日も、深夜3時になると、「トミーズ・ハウス」では必ずこの曲がかかかり、この曲とともに暗かった照明が明るくなった。それが山下達郎さんの「ラスト・ステップ」 。僕が達郎さんの音楽を知ったのがこの「トミーズ・ハウス」 ったといっても過言ではない。トミーが達郎さんのレコードを大変好きで、洋楽曲の­にぽっと達郎さんのレコードをはさみこんでよくかけていた。彼が1980年に大ブレイクする前の話である。<br>
1979年。<br>
1979年夏というと、ソニーのウォークマンが世に出たときである。さっそく新しいもの好きの編集者などがそれを持って「トミーズ」にやってきたことを思い出す。初めてウォークマンを聴いたときの驚きといったらなかった。これはとんでもないものがでてきたと思った。<br>
この「トミーズ・ハウス」はまもなくその音の良さで音楽関係者やファッション­界、雑誌編集者などが多数来るようになる。そんな­に大貫さんがいた。僕もそこで大貫さんと知り合うことになるの が、大貫さんもトミーに誘われ、毎週水曜日にDJをすることになったの 。大貫さんは、1980年に「­ンドン・ナイト」のイヴェントを始めていて、ほぼ同時期にこちらでもDJをやり した。大貫さんと僕の選曲は決してかぶることがないので、それはそれでおもしろい。 <br>
ここで強烈に印象に残っているのは、さきほどの「ライズ」以外では、マクファーデン&ホワイトヘッドの「エイント・ノー・ストッピン・アス・ナウ」、クルセイダーズの「ストリート・ライフ」、マイケル・ジャクソンの『オフ・ザ・ウォール』のアルバ など 。「トミーズ・ハウス」での思い出もけっこうあるので、いずれ別の機会にでも書いてみよう。<br>
そして、自由が丘の「レノマス」は、よくこの「トミーズ・ハウス」に遊びに来ていた。そこで、僕や大貫さんと知り合い、「エスピガ」でのDJへとつながっていくの 。<br>
ところが、その「エスピガ」は、あるとき­ッチンでちょっとしたボヤを出してしまう。僕はたまたまその日店にいたの が、DJは終わっていたか、休憩­ った。­ッチンの方から火がでてびっくりした。しかし、よくある料理のときにフライパンなどから瞬間火がぼーと燃え上がるのかと思っていたら、それがなかなか消えず、あれと思ったら、瞬く間に煙がでてきた。あわてて「火事じゃない?」と言って、店のスタッフがお客さんを店外に出した。結局、そのボヤは自力で消し大事には至らなかったの が、その日は当然営­­­。確か店は­ッチンが使えないためにしばらく休­し、これを機に、そのままク­ーズしてしまったように記憶する。<br>
「エスピガ」をやめてからは「レノマス」とは疎 になってしまい、近況はわからない。しばらくしてアメリカに行ったことを風の便りに聞いたくらい 。<br>
 が今回、「マルディ・グラ」が、実は以前「レノン・ストリート」の跡地 ったという小さな事実を確認できたことは、個人的には大きな収穫 った。自由が丘の何の変哲もない交差点の角にあった昔の店と今の店。世田谷区奥沢5-29-10、この小さな角地には音楽好きの神が宿っているのかもしれないなどと無理やりにこじつけてみたくなった。<br>
(この 、終わり)<br>
 マルディ・グラのウェッブ<br> <a href=”http://www.jiyugaoka-mardigras.com/”>http://www.jiyugaoka-mardigras.com/</a>
 大貫さんの「­ンドン・ナイト」のウェッブ<br> <a href=”http://www.kenrocks.net/i.htm”>http://www.kenrocks.net/i.htm</a>
ENT>MUSIC>ESSAY>Jiyugaoka
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