Gerald Levert, Forever:

【ジェラルド・リヴァート安らかに~】
暑。
Private Line『プライヴェート・ライン』のアルバ を聴いている。ま あどけなさも残るジェラルド・リヴァートの顔が前面にでている1991年の作品 。ここには、ジェラルドと父エディーのデュエットが収録されている。やはり、親­ けあって、声質も似ているし、暑苦しい­い方が、これまた父親­り。最高の1曲 。
今から11年前、1995年11月に父エディーと息­ジェラルドがアメリカの雑誌エッセンスのインタヴューに­えた。その時、ジェラルドは父についてこう語っている。「僕が­供の 、父はいつも旅にでていていなかった。 からいつも、会いたいと思っていた。そこで、自分が父親になったら、僕がいつも­供たちのそばにいようと誓ったもの 。 が、実際(自分がヒットを して有名になってしまうと)、外にでると人が集まってきて大変なことになる。また、やはり、僕自身の仕事は多くの旅をしなければならない。その点クリーヴランドに住むということは、いいもの 」
父エディーは、「父親という­在がどのような意味を持つのか」という問にこう­えている。「父とは、­供たちにとって、まず何よりもひとりの人間であるべき ろう。泣いたり、悲しん り、怒ったり、感動したり、そういうことをする普通の人間 ということ 。ジェラルドはいつも私のことをひとりの人間として見て、接してくれてきた。息­は私の欲望や、弱さを知っている。 から何でも話してくれるの ろう。一方、私も­供たちを、仲間と思い、世界­で一番の親友 と思って接している」
アメリカのブラックミュージック­界が、­がうまいことを重視しなくなって久しい。本当に­のうまい­手たちの不遇な時代が続いている。そんな­で、ジェラルドは­のうまさが­当に評価された最後の世代のシンガーではない ろうか。
木曜日(9日)に、静岡のK­IXでオンエアーされている『ブギーナイツ』内の「ブラック&ホワイト」のコーナーで、リヴァートを特集、収録してきた。そのために、前日にいろいろリヴァートのCDを聴いたり、調べていたりしたの が、それから2日後の土曜午後に、ジェラルドの訃 を、守島さんからのメールで知った。なんというタイミングか。(いつも最新情 ありがとうございます) ­去の をいれていないので、一部を再録することになる ろう。
リヴァートは、有明の­ZAで見たことがあったような気がしたの が、どうもそれは勘違いで、オージェイズを見たことと混同していたよう 。(あるいは、来たがインタヴューはしなかったか) オージェイズのエディー・リヴァートには来日時にインタヴューした。あと、僕がインタヴューしたのは、同じジェラルドでも、ジェラルド・アルストン ったので、それも勘違いの元かもしれない。
 画『永 のモータウン(Standing In The Shadows Of Motown)』のDVDを引っ張り出して見た。始まってまもなくジェラルド・リヴァートがフォートップスのヒット「リーチ・アウト・アイル・ビー・ゼア」を­う。途­で、ジュニア・ウォーカーの「ショットガン」も­う。このバックを支えるファンク・ブラザースの­で2002年にリチャード・ピストル・アレンが撮影後まもなく他界している。しかし、ここに登 するアーティストで、まさか次にこの世からいなくなるのが、若きジェラルドになるなどとは誰も夢にも思わない ろう。
フォートップスのリード・ヴォーカルも、熱血ヴォーカル 。そして、ジェラルドも同じように暑くソウルフル 。
彼が1986年に­立したプ­ダクションの名前は「トレヴェル(Trevel)」 という。辞書にはでていない。おわかりになる ろう。Levert を引っくり返したもの 。
ジェラルド・リヴァート、安らかに。
ENT>OBITUARY>Levert, Gerald/July 13, 1966 – November 10, 2006 (40)

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