Jeffrey Osborne Live At Cotton Club

【ジェフリー・オズボーン・ライヴ】

濃厚。

「今からそっち(客席)に降りてくから、誰か(コーラスのところの)『う~~う~~う~~』って歌ってくれ」 大柄の黒人シスターが客席から立ち上がった。ジェフリーが彼女のところに近づき「名前は?」と尋ねる。「オリヴィア」と彼女は答えた。ジェフリーがまず歌い、それをオリヴィアがなぞった。これがまた予想外にうまい。どうやら歌手なのか。一声歌い出すだけで、観客が驚きの声援を送る。さらに続いて今度は日本人の女の子。「名前は?」 「マリコ」 そして、う~~う~~う~~。これまたうまい。「さて、他にはいないかな。歌いたい人は?」 ジェフリーがワイアレスマイクを持って、会場をうろつく。ひとり男の子が立候補した。「名前は?」 「たけ」 そして、「う~~う~~う~~! ユー・シュド・ビー・マイン~~!」 これまたうまい。ジェフリーがあきれて言った。「今日は歌手ばっかりいるのかい?(笑)」 

この3人の観客の歌で、それまでの空気は一変した。この観客を巻き込んだ作品は、「ユー・シュド・ビー・マイン(ウー・ウー・ソング)」。ジェフリーの1986年のヒットだ。リアル・ソウル・シンガー、ジェフリー・オズボーンは85年のソロとしての初来日以来、何度か日本の土を踏んでいるそうだ。今回は丸の内のコットンクラブ。

やはり、圧倒的に歌がうまい。声もよく出ている。歌物のエンタテインメントとしては文句なしだ。スローはじっくり聴かせ、そしてミディアム調の曲は大変なグルーヴ感を見せ、のってくる。歌の表現力が、圧倒的だ。言葉に魂を込めるまさにソウルシンガーだ。

「では、僕のファースト・ソロアルバムから1曲歌いましょう。この曲はもう何百万回と歌ってきました。おそらく貴方たちも1-2回はどこかで聴いたことがあるでしょう。曲のタイトルは、『オン・ザ・ウィングス・オブ・ラヴ』」 イエ~~! ピアノのイントロが始まり、すぐにジェフリーが最初の歌詞を歌い始めた。そして、一番最後のタイトルのところを、思い切りひっぱって、マイクを遠ざけたり近づけたりして、声で遊ぶ。バンドもタイト、ジェフリーも最高。ジェームス・イングラム以来のグレイトなヴォーカル・ライヴだ。

名曲「オン・ザ・ウィングス・オブ・ラヴ」は、レコードでも生でも本当に素晴らしい楽曲だ。レコードでピアノを弾いていたのはジョージ・デュークだった。

LTDの大ヒット「バック・イン・ラヴ・アゲイン」では、メンバーを改めて紹介。シンガーのところでは女性シンガー、シャノン・ピアソンがルーファスの「エイント・ノーバディー」を、男性シンガー、ジョーイ・ディグスがスティーヴィーの「アイ・ウィッシュ」を歌い喝采を浴びていた。シャノンはデニース・ウィリアムスのような細くて高い声、ジョーイも比較的高いいい声だった。

アンコールではスピナーズのヒットで知られる「アイル・ビー・アラウンド」を歌ったが、これはラス・フリーマン&リッピングトーンズでジェフリーが客演してレコーディングしていたもの。

ジェフリー・オズボーンは、70年代に多数のヒットを放った大型セルフ・コンテインド・グループ、LTDのリードシンガー。82年に円満に独立し、以後ソロシンガーとして現在まで活躍している。80年代に多数のソウルヒットを放った。

82年4月、僕は原稿用紙に向かってジェフリーについて書いていた。彼のソロデビュー作『ジェフリー・オズボーン』のライナーノーツである。LTD時代からの歴史と、ソロになっての抱負、またジョージ・デュークがプロデュースしたアルバムの内容の充実度について書いた。

コットンクラブの入口で会ったフィリップ・ウーは、以前ジェフリーのバックバンドにいた。今回の来日メンバーの何人かを知っている。ライヴが終ってしばらくすると、メンバーが客席にでてきた。ジェフリー本人もだ。フィリップがジェフリーを改めて紹介してくれた。僕のことは覚えていなかったが、サインを頼むと快く書いてくれた。

デビュー作は82年の作品だから、ジャケットには24年前のジェフリーが映っている。「24年前ですね」と言うと、笑いながら「スリムだろ」と答えた。ジェームス・イングラム、ピーボ・ブライソンとジェフリーのレコーディングそしてツアーの話を尋ねると、「そうなんだ、そういう話が来ている。まだ契約書にサインはしてないんだけどね。でも、たぶんやるよ。ただ、ピーボ、ジェームスそして僕と、みんなツアーしてるから、日程を調整するのが大変なんだよ。一度みんなで会って、楽曲を探して、プロデューサーを探して、それからレコーディングだよ」と言う。

「『ラヴ・バラード』を今日は歌わなかったですね」 「うん、今日は歌わなかった。なにしろ、ヒット曲がたくさんあるので、全部は歌えないんだ。これは日本では人気があるかい?」 「もちろん、ありますよ」 

すると「ウー・ウー・ソング」でいい喉を聞かせたたけ君が、やはり、「ラヴ・バラード」を歌ってくれと言っていた。「『オール・アット・ワンス』は、最近はぜんぜん歌わないですか?」と尋ねると「ああ、あれは随分うたってないなあ」 「え? あの曲、あなたが書いたの?」とさっきウー・ウー・ソングを歌ったオリヴィアが入ってきた。

「オール・アット・ワンス」は、ジェフリーがマイケル・マッサーと書いて、当時はまだデビュー前の新人女性シンガーに提供した。彼女が歌いアルバムに収録したが、シングルのB面に収まった。ところが、これがイギリスや日本でもちょっとした人気になった。その彼女とはホイットニー・ヒューストンである。「そんなこの曲の誕生秘話でも話してから、歌ったらどうですか」 「どれくらい日本人は英語をわかってくれるんだろうか」 「ゆっくりしゃべれば、半分くらいの人はわかってくれるんじゃないかなあ」 「う~~む、じゃあ考えてみるか・・・」 

ドラムのジェリー・ブラウンは、前回のスティーヴィー・ワンダー、あるいは、ダイアナ・ロス、スタンリー・クラークなどで何度も来日している。「初めて来たのは76年だったか、スタンリー・クラークとだったよ」と振り返る。ファーストとセカンドは、同じ曲かと尋ねると、若干入れ替えているという。

ミュージシャンたちと立ち話をしていると、少し離れたところから僕に手を振る男が。なんと下町兄弟の工藤さん。彼が出た劇以来。「いやあ、グルーヴものすごいですね、ジェフリー。大好きでねえ。前の厚生年金(85年10月)も行きましたよ」 

アンコール含めて1時間15分くらい。う~~ん、あと2曲くらい聴きたかったなあ。でも、内容はかなり濃厚だったので満足した。ちなみにジェフリーは1948年3月9日生まれなので、来月58歳になる。

Setlist (2nd)
show started 21:33
01. Party Hardy (LTD)
02. Close The Door (Teddy Pendergrass, Jeffrey Osborne)
03. I Really Don’t Know Need Light
04. In Your Eyes
05. Stay With Me
06. On The Wings Of Love
07. You Should Be Mine (Woo Woo Song)
08. Back In Love Again (LTD)
 ~Ain’t Nobody (Rufus, Chaka)
 ~I Wish (Stevie) ~ Back In Love Again
Enc. I’ll Be Around (Spinners, Russ Freeman & The Rippingtons)
show ended 22:48

■メンバー

Jeffrey Osborne(vo)
Joey Diggs(vo)
Shannon Pearson(vo)
Frankie Crawford(key)
Ming Freeman(key)
Kevin Chokan(g)
C.C.Thomas Jr.(b)
Gerry Brown(ds)

■コットンクラブ・ウェッブ
http://www.cottonclubjapan.co.jp/ccj/top.html
ジェフリーは、26日(日曜)まで

(2006年2月21日火曜、丸の内コットンクラブ=ジェフリー・オズボーン・ライヴ)

ENT>MUSIC>LIVE>Osborne, Jeffrey
2006-36

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