Mugen: The Legendary Disco

【伝説のディスコ、ムゲン】

ムゲン。

1968年5月にオープンし、87年2月にクローズするまで、多くの話題をまいた伝説のディスコ、赤坂のムゲン。今、ムゲンにかかわった方々に話を聞いている。実は9月号の雑誌ブリオでちょっとした「大人の遊び」を特集するのだが、そこで伝説のディスコ、ムゲンについて書くことになった。

ムゲンは、僕個人も何度か行っていて、個人的な思いいれもあるが、さすがにオープン当初のことは知らない。ムゲンを始めた方々に話を聞いていると、タイムスリップしたようで、じつにわくわくしてくる。

時間的な制限から、お話をうかがいたくても、実現しなかった方もおられるが、ムゲンについては前々から書いてみたいテーマだったので、今回取材できなかった方々にもいつか改めて話を伺えればと思う。

なによりも、ムゲンがすごかったところは、生の黒人バンドが毎日演奏していたことだ。それもかなりのレベルのバンドだ。時に、アイク&ティナ・ターナー、サム&デイヴのような大物も来日してライヴをやっていった。そして、あらゆる意味で、大人の遊び場としての文化というものが形成されつつあった場所だった。

68年のオープン当初は、当時のクリエイティヴ系の人々がこぞって集まっていたところもすごい。コシノジュンコさんから、三宅一生さん、菊地武夫さんなどからグループサウンズの面面まで。作家の川端康成、三島由紀夫まで来ていたという。

サイケの殿堂、ブラックバンドの殿堂。ムゲンは約20年弱、続いた。これほど続いたディスコは、世界中にないといわれる。オープン当初はディスコとは言わずに、「ゴー・ゴー・クラブ」と銘打っていた。

真っ暗な中、地下二階という深いところへ降りていくと、そこはブラックライトに照らされ、独特の非日常空間を作り出す。ストロボがたかれ、人々は高揚し、我を忘れてダンスに興じる。そこには、人種も階級もなく、ただ楽しい時間を過ごすためだけにおしゃれな人々が集まっていた。

一体60年代後半から70年代にかけて、ムゲンは何を成し遂げたのか。ムゲンとはなんだったのか。ムゲンが残した軌跡は何か。そして、ムゲンが起こした奇蹟とは。そこに集っていた人々、また、ムゲンを作り上げた人々にとって、ムゲンとはなんだったのか。そのあたりにフォーカスをあててみたい。

ムゲンを取り巻く物語、ご期待ください。ブリオ9月号は7月23日発売です。

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