Stevie’s Booklet Which Will Never Be Available

幻。

「吉岡さん、現物は明日現地納品になりますので、当日物販売り場のところでお渡しできると思います」 編集者は26日そう電話で告げた。スティーヴィー・ワンダーのパンフレットが明日完成し、現地でお渡しします、という連絡だった。実はそのパンフレットにかなり入魂の年表とストーリー原稿を書いていたのである。95年来日のパンフレットも相当なヴォリュームになっていたが、それ以降の年表事項を加え、ストーリーを整理して書いた。

ファクスだったが、校正もチェックして、あとは印刷・完成を待つばかりだった。校正時のレイアウトを見て、なかなかいいデザインだなと思った。通常のパンフレットと違い、LP盤のように丸いブックレットになっているようだった。大きさは直径30センチ程度らしい。

27日夕方。首都高は一部渋滞していたが、概ね順調で5時半までには会場近くまでたどり着いた。高速の終点で降りるときのことだ。この高速は、地上からずいぶんと高いところを走っている。ユーミンではないが、空へ導かれる滑走路のようだった。しかも、ふと遠くを見ると、ものすごく空気が澄んでいて、地平線の向こうの山並みがカラーの影絵のように美しかった。

高速が緩やかに左カーヴを描くとき、ちょうど西向きになったのだろう。ほぼ落ちた太陽が空一面をまだ明るく照らしていた。正面に広がる山脈のひとつは富士山のように思えた。大宮から富士山が見えるとは想像していなかったので、驚きだった。あれほど美しい黄昏時の景色を見たのは久しぶりで、思わず車を止めて写真でも撮ろうかと思ったほどだ。

高速を降りてからしばし渋滞に巻き込まれたが、無事駐車場にもいれ、会場に向かう。今度は、アリーナまわりの青いライトのツリーがまた美しい。電話で指示されたグッズの販売所を探す。ところがどこにもない。もっとも僕はさいたまアリーナが初めてだったので、探し方が悪いのかと思った。だが探し出せないので、受付のところに行って関係者に尋ねた。「物販の場所はどこですか?」 「えー、今日は物販、予定されていたんですが、急遽中止になったんです。詳しいことはまだわかりません」 おやあ、一体どうしたのだろう、と思った。だがいずれにせよ、物販はないということだった。これは今日はあきらめるしかない。まあ、後日もらうことにするか。

翌日、編集者から電話があった。「実は印刷も刷り上って、現地に納品までされたんですが、諸事情あって今回のパンフレットだけでなく、すべての物販は中止になってしまいました。すいません。ほんとうに申し訳ないです、原稿書いていただいたのに」 あああ、愕然。そんなあ・・・。結局、すべてパンフは破棄処分になり、この世には存在しなかったことになるそうだ。が~~ん。僕も泣く泣くあきらめた。

しょうがない。次回の来日の時のパンフレットにでも使ってもらうか。(笑) 本文は近いうちにこのウエッブにアップしようかと思う。そこで一部分だけでも、ここに記しておくことにした。この日記で得たものをコンパクトにまとめた部分もある。本ページ読者ならすぐにおわかりになると思う。すでにライヴをごらんになった方は、会場でこの文章を読んだつもりに、またこれからごらんになる方は、会場に行ったときにでもお読みください。

2003年、スティーヴィーの来日パンフレットは幻になりにけり。

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スティーヴィー・ワンダー・ストーリー
~スティーヴィーの音楽の力~ (抜粋ヴァージョン)

Stevie’s Power Of Music: Music Tied With Yesterday, Today & Tomorrow

(Written By Masaharu Yoshioka)

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架け橋。

1973年、ブエノスアイレス。父親の仕事の関係でアルゼンチンの首都にいた13歳の彼はカーラジオで「ユー・アー・ザ・サンシャイン・オブ・マイ・ライフ」を初めて聴いて衝撃を受けた。今でもこの曲を聴くと、彼の脳裏にはふとそのブエノスアイレスの風景や色や匂いが浮かび上がってくる。

1978年、アトランタ。高校生だった彼は、前年10月に発売され地元のラジオでひんぱんにプレイされていたスティーヴィーの『キー・オブ・ライフ』のアルバムがどうしても欲しかったが、2枚組で高かったため自分の小遣いではなかなか買えないでいた。しかし、次の学期でよい成績を収めたのでご褒美に母親がそのアルバムを買ってくれた。あまりのうれしさに自分の部屋に飛んで行きステレオにそのアルバムをのせ1曲目の「ラヴズ・イン・ニード・オブ・ラヴ・トゥデイ」が流れてきた瞬間泣きそうになった。

1993年、東京。クラブでインコグニートの「ドンチュー・ウォーリー・アバウト・ア・シング(邦題、くよくよするな)」を聴いた彼女は早速そのレコードを買い求めた。そこでこの曲がスティーヴィーの作品であることを知り、オリジナルが入っているアルバム『インナーヴィジョンズ』を手に入れて聴いてみると、その1曲目の「トゥ・ハイ」で、文字通りハイになってしまった。

1999年、ボストン。ボストン生まれの彼はニューヨークへ向かう夜行バスの中で『キー・オブ・ライフ』のディスク2を聴いていた。「イズント・シー・ラヴリー(邦題、可愛いアイシャ)」に続いて「ジョイ・インサイド・オブ・マイ・ティアーズ」が流れてきた時、徐々に離れて行くボストンの街を車窓から眺めながら、知らぬ間に両手で強く握りこぶしを作っていた。曲が終わった瞬間手を開くとじっとりと汗をかいていた。揺れるボストンの街の光りとそれほど集中して聴いていた曲があまりにマッチしていた。

誰にでも、ある音楽とある情景や場所や思い出が完璧に結び付くことがある。今の4例はそんな物語の一握りだ。スティーヴィー・ワンダーの音楽には、他のアーティスト以上にイメージや情景と結び付く曲が多い。そして、そうした作品を聴く度に人々は昔にフラッシュバックできる。ある人にとっては「サンシャイン」が、別の人にとっては「可愛いアイシャ」が、さらに他の人には「レイトリー」が何かのメモリーとリンクしているかもしれない。きっと、今日このスティーヴィーのコンサート会場に足を運び、このプログラムを読まれている方ならスティーヴィーのなんらかの曲で、思い出のひとつやふたつお持ちのことだろう。

スティーヴィーの音楽は、その曲に貼りつけられた思い出を、何年たとうとも鮮明に再生させる精密なビデオテープのようだ。その点で、あの時代と今を結ぶ架け橋になっている。そして、それこそがスティーヴィーの音楽が持つ底知れぬ力でもある。

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見所。

スティーヴィー・ワンダーのライヴへようこそ。1968年の初来日から数えて今回の来日は14回目。彼は毎回確実に観客を楽しませてくれるライヴを見せてくれるが、見所を二つだけご紹介しよう。

彼は未発表曲をライヴ会場でテストする。もし今日ここで歌われる作品で、あまりなじみのない曲だったら、ひょっとしたらそれはまだ世界中の誰もが聴いたことがないスティーヴィーの未発表曲かもしれない。そんな曲を聴けたらそれはラッキーだ。

もうひとつ、彼はとても素晴らしいドラマーでもある。CDで聴かれる「スーパースティション(邦題、迷信)」や、「ドゥ・アイ・ドゥ」などで聴かれるドラムはスティーヴィー本人のドラムである。そこでもし気分がのってステージでドラム・ソロをやってくれたらそれもかなりのラッキーである。

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音楽力。

今日このライヴ会場で「サンシャイン」が歌われブエノスアイレスを思いだす人もいれば、「くよくよするな」で10年前のクラブを思いだす人もいるだろう。「リボン・イン・ザ・スカイ」が紡ぎだす物語に酔いしれるのもよいだろうし、「レイトリー」で自らの失恋を重ね合わせるのもありかもしれない。

スティーヴィーのヒット曲は70曲以上、アルバム収録曲は300曲を越える。グラミー賞も19を数える。同じ「アズ」でも、それを聴くリスナーそれぞれに貼りつけられた思い出や物語があるに違いない。

さあ、今宵スティーヴィーが歌う時、スティーヴィーは、そしてスティーヴィーの音楽はあなたに昨日を思いださせ、今日のスティーヴィーの音楽は、明日の思い出を作る。彼の音楽は、常に過去と現在と未来を強烈に結び付けている。それは時代の架け橋であり、場所の架け橋でもある。それが彼の音楽の力だ。

His music always take you back and reminisce of yesterday, and his music always make tomorrow’s memories. Thus his music is always tied with yesterday, today and tomorrow. Music between the lines of time and places. That’s what his power of music.

[December 4, 2003: Masaharu Yoshioka]
“An Early Bird Note”
http://www.soulsearchin.com

(c)2003 Masaharu Yoshioka

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