●松尾氏ミキ・ハワードと旧交を温めるの巻

●“Funkin’ Party For Blue Note”(Part 2) : Miki Howard Talks

(昨日からの続き)
【松尾氏ミキ・ハワードと旧交を温めるの巻】
旧交。
「スーパースターズ・オブ・ジャズ・フュージョン」とは、うまいネーミングをしたものだ。ベタといえばベタだが、とてもわかりやすい。そんな中にミキ・ハワードの名前があり、これはぜひ見たいと思う。もちろん、ロイをみたいと思う人も、トム・ブラウンを見たい人もそれぞれいるだろう。みなそれぞれだ。
さて、メンバーがファースト終了後、サイン会に並んだ。そこで、松尾さんがお客さんの列もなくなるころに近づくと、ミキ・ハワードのほうから「あ~~ら、久しぶり、よく来てくれたわねえ」と喜び勇んで声をかけてきて、いきなりハグ。
松尾さんの記憶によると、ミキにインタヴューしたのは1993年12月のこと。このころ、彼女はジャイアント・レコードからビリー・ホリデイのカヴァー・アルバムをだし、そのプロモーションとブルーノート・ライヴがあった。また、スパイク・リーの映画『マルコムX』でもビリー・ホリデイ役ででていた。キャリアも絶好調のころだ。ライヴは、1993年12月27日から31日まで旧ブルーノート(骨董通りにあったお店)で行われ、ニューヨークのサックス奏者ナジーとの共演で、「ナジー・ウィズ・ミキ・ハワード」の名義だった。
ミキの記憶によると、来日したのは「アル・ジャロウで1回、プロモーションで1回、ハワード・ヒューイットで1回、そして、今回」という。そこで話をしたときは、このナジーのことがわからなかったので、4回目なのかと思ったが、さて。
ところで、ミキがステージで歌っていたときにバックで若いマイケル・ジャクソン似の好青年がバック・コーラスをつけていたが、それがなんとミキ・ハワードの自慢の息子ブランドン・ハワードだった。しかも、すっかり、アメリカR&B業界で出世していて、ジェヌインだ、ニーヨだ、ブルック・ヴァレンタインだ、マーカス・ヒューストンなどとまさに今旬のアーティストたちに作品を提供したり、プロデュースしていたりする。トラックも作って、プロデュースもする、曲も書き、しかも歌まで歌うという。これはびっくり。
彼のマイスペースで音を聴いたが、いかにも今の流行の歌でメインストリームな感じ。ひょっとして、ネクスト・ニーヨ、あるいは、ネクスト・ショーン・ギャレットか。
http://www.myspace.com/bhoward2
「ママみたいにシャウトしてソウルフルには歌えないけど、僕も歌えるよ」とニコニコしながら語る。話し方や声がマイケルみたいなので、とてもやさしい感じがする。「ママみたいなレジェンド(伝説)は、新しいプロデューサーやソングライターと組んでやらないと、今の音楽業界では相手にされないんだ。パティー・ラベルだって、そうだろ。マドンナだってみんな若い連中とやっている。だからママにもそうした人たちと組んでやりなよって言ってるんだ」 すでにアメリカ音楽業界で活躍するだけに、しっかりとしている。
すると、そこにママ・ハワードが「『レジェンド』って言葉は、『オールド』を表す別の言い方なのよ」と皮肉っぽく口を挟む。
ブランドン&ミキ
松尾さんの記憶によると、1993年にインタヴューしたときに、食事をしたり買い物につきあったりしたそうだ。「そうなの、彼はものすごくよくしてくれたのよ。本当に、私を探してくれてありがとう!」とミキはことの他嬉しそう。そのときミキは、まだ小さな息子を連れてきていた。それが、このブランドン君だった。そのあまりの成長振りに、松尾さんもびっくり。15年も前だから、それは子供も大人になる。寿司屋で、ブランドン君はちゃんとお寿司を食べていたそうだが、ミキは熱いご飯にしょうゆをかけて食べていたそうだ。それを松尾さんが言うと、ミキは大笑いしながら、「それ覚えている。今でもそうやって食べてるもん」と答えた。
両者は15年ぶりに会ったと言うのに、つい昨日のことのように昔話をしていた。すばらしい。まさにソウル・メイトか。それにしても、ミキの気取りのないキャラがとてもいい。
ミキ・ハワードの母はジョセフィン・ハワードといい、まさに伝説のゴスペル・グループ、キャラヴァンズのメンバー、また父も伝説のゴスペル・グループ、ピルグリム・ジュビリーズのクレイ・グラハムだ。血筋が違うのだ。そして、まだ15-6歳のころ、生まれ故郷のシカゴからロス・アンジェルスに移りそこで、オージー・ジョンソンという人物に認められる。このジョンソンは、ヴォーカル&インストゥルメンタル・グループ、サイド・エフェクトの中心人物で、ミキはこのグループにリード・シンガーとして迎えられ、彼らは誰あろうクルセイダーズのウェイン・ヘンダーソンのプロデュースでデビューする。
そう、この日、ミキ・ハワードがステージに立ち、最後にウェインが出てきたが、ウェインはミキをこのショー・ビジネスの世界に引き入れ大きな扉を開いた張本人なのだ。サイド・エフェクトでの実績を背景に1980年代に入り、ソロ・シンガーとしてひとり立ち、多くのヒットを放ち、現在に至っている。
ところで、これも松尾さん情報。キーボードもやり、サックスも吹き、バック・コーラスもつけるひじょうに器用なレイ・ガスキンスは、アメリカ南部の出身で、あのエクスタシー・パッション&ペイン(「タッチ・ミー」などが有名)のリード・シンガー、バーバラ・ガスキンスの甥っ子だそうだ。そして、ジョスリン・ブラウンの従兄弟ということになる、という。
いろいろなつながりがあって、実におもしろい。この日の出演者全員と話しができたら、それこそ本一冊できるくらいのおもしろい話が聴けそうだ。
■ ミキ・ハワード・オフィシャル・ウェッブ
http://www.miki-howard.com/
■ ミキ・ハワードCD
◎『ラヴ・コンフェッションズ』(1987年)(2作目)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000002IM0/soulsearchiho-22/ref=nosim/
◎ミキ・ハワード 『ミキ・ハワード』(1989年)(3作目)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000002IOL/soulsearchiho-22/ref=nosim/
◎ベスト・アルバム (2001年)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00005LMXG/soulsearchiho-22/ref=nosim/
ENT>MUSIC>LIVE>Superstars Of Jazz Fusion,
ENT>MUSIC>ARTIST>Howard, Miki / Howard, Brandon
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