Monthly Archives: February 2004

Let’s Groove 2004 Will Be Held In May

パーティー。 このところディスコの復活が叫ばれる中、ディスコ系アーティストを集めたライヴが行われる。タイトルは、『レッツ・グルーヴ2004』。アーティストは、クール&ギャングからJTテイラー、シックからナイル・ロジャース、シャラマーが出場する。シャラマーのメンバーは、ハワード・ヒューイット、ジェフリー・ダニエルス、キャロリン・グリフィン3人。会場は、有楽町の国際フォーラムAだが、ライヴ会場の他、階段の踊り場などもディスコ風にするという。イヴェント風パーティーになりそうだ。 公演日 5/19(水)20(木)19:00 会場 東京国際フォーラム ホールA 席種・料金 全席指定    8,500 出演者 出演:CHIC(NILE RODGERS)/KOOL&THE GANG(JT TAYLOR)/SHALAMAR[HOWARD HEWITT/JEFFREY DANIELS/CAROLYN GRIFFY] チケットは、Eプラスで先行発売している。http://mars.eplus.co.jp/ss/kougyou/syosai.asp?kc=009422&ks=01 アクセスコード 944009 プレオーダー 2/23(月)12:00 ~ 3/3(水)18:00 一般発売日 3/14(日)10:00

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There’s A Dream After Fade-out: Willie Mitchell Revealed His Secrets Of Hi Sound

夢。 「メンフィスのロイヤルスタジオのドラムブースのところね、皮系は持ち込み禁止なのね。つまりドラムの上の皮の部分とか、そのあたりを外部の人間は変えちゃいけないんですよ。それで、あらゆるマイクが釘で打ち付けられてがっちり固定されてるんですよ。そうやって、マイクの位置が動かないようにして、いつでも同じ音を出せるようにしてるってことなのね」 いきなり、こんな濃い話。日本のライヴ・ステージの音響エンジニアをされている末永さんのメンフィス話だ。しかも、これが75年のことだというから、それもまたすごい。マーチンさんに末永さんを紹介され、やにわに「メンフィスのロイヤルスタジオで録音したことがあるんですよ」という話が始まったのだ。 末永さんは、72年頃アル・グリーンの「レッツ・ステイ・トゥゲザー」を聴いて、メンフィスサウンドに打ちのめされ、それ以来メンフィスのしかも、ハイ・サウンドに一直線に走った人である。ハイ・サウンドとは、メンフィスの音楽界のドンとも言えるプロデューサー、ウィリー・ミッチェルの持つ「ハイ・レコード」から出た作品の数々のことを指す。ここに所属するアーティストはいずれも、同じようなサウンドで作られ、それが非常に個性的だったため、「ハイ・サウンド」などと呼ばれるようになった。アーティストで言えば、アル・グリーン、OVライト、アン・ピーブルス、オーティス・クレイ、クワイエット・エレガンス、ドン・ブライアントなどで、彼らの作品はいずれも強烈な個性をもつ「ハイ・サウンド」でできている。 末永さんは大阪出身で、70年代初期、加川良というシンガーのレコード制作にディレクターとして携わっていた。そして、自分がメンフィスがとても好きということもあって、どうしても一度メンフィスに行ってここでレコーディングしてみたい、と考えた。最初ロスに行き、交渉をしていたが、ものすごく高いことを言われ、らちがあかないので、直接メンフィスに単身乗り込んだ。アポなしで、ロイヤル・スタジオのドアをノックしたのだ。そして、ちょうど彼が求めるミュージシャンたちのスケジュールがあい、加川良のレコーディングがメンフィスで行われることになったのである。このアルバムは、76年の『南行きハイウェイ』という作品になる。 当時既に他のスタジオでは16チャンネルのマルチトラックが使えていたが、ウィリー・ミッチェルらはそれでも8チャンネルを使っていた、という。それは、ウィリーが16チャンネルの音に満足せず、8チャンネルの音のほうが気に入っていたからだという。チャンネル数が足りなくなると、いわゆる「ピンポン」という作業をして、チャンネル数をかせいでいた。(「ピンポン」とは、8チャンネルのうち例えば6チャンネルを使って録音したものを、バランスを整えて、残る2チャンネルにトラックダウンして、またその6チャンネルのところに新たに音を録音していくという方法。チャンネル数が限られていたときは、よく使われていた手法) 「それでね、8チャンネルしかないからか、フェーダー(音量を上げ下げするスイッチ)が、縦型の上下に上げるやつじゃなくて、丸く回転するヴォリームつまみなんですよ。その8チャンネルへのこだわりは、ウィリーならではのものでしたね」 末永さんがグラス片手に話す。「ハイ・レコードの作品、つまりウィリー・ミッチェルの作品って、あることに気がついたんですけど、どれも全部フェードアウトで終るんですよ。一曲もカットアウトで終る曲がない。ライヴでは別ですけどね。で、前から不思議に思ってて、メンフィスに行ったときに、ウィリー・ミッチェルに訊いたんです。そうしたら、彼は『よく気付いたな』って言いながらこうこう答えた。『その後(フェードアウトの後)は、聴く者が想像すればいいだろう。フェードアウトのほうが、その先に夢があるだろ』」 な~~るほど。うまいことを言うもんだ。フェードアウトの先には、夢がある・・・か。いい話だ。

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Carl Anderson Dies At 58: The Most Memorable Interview I’ve Ever Done

カール・アンダーソン死去。 70年代にミュージカル『ジーザス・クライスト・スーパースター』のユダ役で人気を博したシンガー、カール・アンダーソンが2月23日白血病のためにロスアンジェルスの病院で死去した。58歳だった。アンダーソンは、86年グロリア・ローリングとのデュエットで「フレンズ・アンド・ラヴァーズ」(全米2位)の大ヒットを放っている。90年代にはGRPレコードからジャズテイストのアルバムをリリースしていた。日本にも何度か来てライヴを行っている。 ++++++++++++++++ カール・アンダーソンは、1945年2月27日ヴァージニア州生まれ。12人兄弟のひとり。なんとこの12人のうち8人(4組)が双子だという。カールも双子で生まれたが、その弟はカールが11ヶ月の時に他界した。両親は1934年に結婚。父ジェームスが1998年12月に他界するまで64年間の結婚生活が続いた。母アルバータは99年3月に90歳の誕生日を迎えた、という。 60年代になって、カールは家を出てエンターテインメントの世界にはいり、70年代になって、ミュージカル『ジーザス・クライスト・スーパースター』に出演、一挙に人気を集めることになった。このミュージカルは世界中で公演が行われ、カールも帯同。また、80年代にはいり、ラーキン・アーノルドに認められエピックと契約。85年にテレビドラマの主題歌となった「フレンズ・アンド・ラヴァーズ」をグロリア・ローリングとデュエットして大ヒットさせた。 90年代にはいってからは、ジャズテイストなアルバムをGRPからリリース。日本でもタバコのCM曲に彼の「心のかけら(ピーセス・オブ・マイ・ハート)」が使われヒットした。 ++++++++++++++++ Carl Anderson: The Most Memorable Interview I’ve Ever Done 思い出。 昨日の朝、たまたま音楽評論家でAORのクールサウンドを運営している中田利樹さんのホームページを見ていたら、ロスに住む松居さんからのメールでカール・アンダーソン死去のニュースが報告されていて驚いた。早速、中田さんとロスのデイヴィッド・リッツに「本当なの?」とメールを送った。すぐにいろいろ調べると、カールのホームページがあり、そこに死去が報じられていた。まもなく両者からも間違いないというメールをもらい、愕然とした。 僕は91年6月と92年8月、彼が来日した時にインタヴューした。91年のインタヴューは僕がこれまでに行った300本以上のインタヴューの中でもベスト3にはいる印象度のあるインタヴューなのである。彼の誠実な人柄に好印象を持っただけでなく、その時の話の内容に大変感動したからだ。そこで語られた物語は、僕は後に『人生で一番高い買物』というタイトルで雑誌に寄稿、その原稿は今では本ウェッブでも読むことができる。 http://www.soulsearchin.com/entertainment/music/story/anderson199501.html この物語からは実に教えられることが多い。自分で書いたくせに、時々思い出したように、読み返してしまう。本当にいい話だ。僕の書いた作品の中でもお勧めベスト3かもしれない。僕も、人生の微調整をしたいと常々思っているが、現実にはなかなかそうは問屋が卸さない。 そして、なによりこのインタヴューが僕にとって忘れ難いものになったのは、彼がこの話をしていた時に、彼自身が泣いてしまったからである。それまでにも多くのインタヴューをしてきたが、インタヴューした相手が涙を見せたのは、後にも先にもこの時だけだ。まあ、これからはあるかもしれないが。だから、彼の目が赤くなってきた時、僕は「うそ、まさか」という思いと、「え、どうすればいいんだろう」という思いで、一瞬頭が真っ白になった。まさかインタヴュー相手が涙を流すなんてまったく予期していなかったので、対処法がわからなかった。結局、話がだんだん落ち着いて、また質問を別方向に持っていって、涙は一段落したが、なんとも言えぬ体験となった。 翌年、再び彼がやってきた時もインタヴューしたが、それだけでなく、その時は彼が滞在していた京王プラザで個人的に彼の奥さんも含めてランチをともにした。カールも僕とのインタヴューをよく覚えていてくれたらしい。というのは、その何年か後に、友人であるデイヴィッド・リッツがカールと親しく、僕とのインタヴューの話をデイヴィッドにしたらしいのだ。昨日来たメールでも、「カールは君とのインタヴューをよく覚えているよ」とあった。その頃カールのライヴアルバムをデイヴィッドが送ってくれた。 このライヴアルバムは、ライヴの模様をいきなりDATに2チャンネルで録音したものらしい。それだけに実に迫力あるライヴになっている。さっきからこのライヴを聴いている。 カールの歌う「イフ・アイ・クド」は、彼の話を聴いて以来一層大好きな作品になった。その後、バーブラ・ストライサンドやレイ・チャールズ、そして、レジーナ・ベルなどもカヴァーし、それらを聴く度にカールの話を思い出す。特にバーブラのヴァージョンはカールの物とは別の意味で心を打つ。カールのものは父から子供へというメッセージになっているが、バーブラの場合は母から子供へのメッセージになっているからだ。(バーブラの珠玉のヴァージョンは97年のアルバム『ハイアー・グラウンド』に収録。このアルバムは他にもすばらしい作品が収められていてバーブラの近年の作品の中でも白眉のでき) バーブラはそのアルバムの中でこの曲についてこんなコメントを記している。「『イフ・アイ・クド』は親から子へのメッセージとして、また母の立場で大きな意味があります。それは母も父も辛いものですが、いずれは子離れしなければならないときが来るということです。永遠に子供を守りたいと思ったとしても、それは出来ないのです」 カール・アンダーソン、58歳。2月23日に死去。今日、2月27日は彼が59歳になるはずの誕生日だった。Rest in peace. ++++++++++++++++ カール・アンダーソン 『人生で一番高い買い物』アンダーソンのインタヴューを元にしたストーリー。http://www.soulsearchin.com/entertainment/music/story/anderson199501.html カール・アンダーソン・オフィシャルウェッブhttp://www.cstone.net/~dgarlock/carl/index2.html アルバムリストなど。http://www.bluedesert.dk/carlanderson.html 「イフ・アイ・クド」についての日記http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200210/diary20021008.html ++++++++++++++++ IF I COULDWritten by: Ronald … Continue reading

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Carl Anderson Dies At 58 (速報)

カール・アンダーソン死去。 70年代にミュージカル『ジーザス・クライスト・スーパースター』のユダ役で人気を博したシンガー、カール・アンダーソンが2月23日白血病のために死去した。58歳だった。アンダーソンは、86年グロリア・ローリングとのデュエットで「フレンズ・アンド・ラヴァーズ」(全米2位)の大ヒットを放っている。90年代にはGRPレコードからジャズテイストのアルバムをリリースしていた。日本にも何度か来てライヴを行っている。詳細は後ほど。 カール・アンダーソン 『人生で一番高い買い物』アンダーソンのインタヴューを元にしたストーリー。http://www.soulsearchin.com/entertainment/music/story/anderson199501.html カール・アンダーソン・オフィシャルウェッブhttp://www.cstone.net/~dgarlock/carl/index2.html アルバムリストなど。http://www.bluedesert.dk/carlanderson.html ENT>OBITUARY>Anderson, Carl

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Everything’s Gonna Be Alright: Sweet Box’s Gonna Be OK

前向き。 「オーディションに落ちたり、いやなことがあったりして凹んだ時、この曲をよく聴いたんです。この曲のメッセージって、『すべてうまく行く』っていう前向きなものでしょう。だから、落ち込んだ時はこの曲を聴いて元気を出すんです」 なるほど、そんな言葉が聞こえてくるのも理解できる。確かに、それほど英語の歌詞がわからなくとも、このサビの部分だけはよくわかる。”Everything’s Gonna Be Alright”。バッハの『G線上のアリア』のメロディーに乗せたこの曲は、98年秋からヒット。99年、日本のFM局のへヴィーローテーションを総なめにした。これを歌っていたのが、「スウィートボックス」と名乗るアーティストだ。 当初このグループは、ドイツのディスコ・プロデューサー、ゲオとアメリカ人ラッパー兼シンガーのティナ・ハリスのプロジェクトだった。この大ヒットの後、2000年5月から、リードシンガーがティナから現在のジェイド・ヴァレリー・ヴァイラロン(1980年8月12日カリフォルニア生まれ)に代わった。以後、彼らはコンスタントにアルバムをリリース、日本でも着実な人気を獲得している。「エヴリシングス…」のプロモーション用ビデオクリップで歌っていたのは黒人のティナ、そして、現在リードシンガーは、白人のジェイドというわけで、プロモビデオを思い浮かべるとちょっととまどうかもしれない。 そんな二代目スウィートボックスが渋谷DUOでライヴを見せた。ドラムス、ギター、ベース、キーボード二人、コーラス、それにリードシンガーのジェイドの7人。途中、一緒に来日していたママの誕生日を祝う「ハッピー・バースデイ」を含め、基本的にはのりのりのポップなロック。観客が座っているのを盛り上げようとするが、着席が基本という会場のせいかなかなか立ち上がらない。さて、1時間15分のステージで、やはり、アンコール一曲目の「エヴリシングス・ゴナ・ビー・オールライト」に尽きる。それまでの作品は、このメインディッシュまでのアンティパストの趣さえある。 セカンドショウのライヴが終った後、ジェイドが客席にでてサイン会を行った。その後、ジェイドと一言二言話すことができた。近くで見るジェイドは気取りがまったくなく、可愛かった。ライヴのステージでの英語がどこかヨーロッパ系のアクセントがあるように思えたが、「カリフォルニア出身よ。今はロスアンジェルスに住んでるわ。日本には何度も来てる」とのこと。ショウの途中でも、アンコールが終った後も、「ありがとう」という言葉を何度も何度も繰り返していた。85年から87年にかけて、父親が米軍所属だったため日本に滞在していた、という。「日本は大好きよ」と彼女は言った。 Song: Everything’s Gonna Be Alright Artist: Sweetbox Who ever thought the sun will come crashing downMy life in flames, my tears complete the painWe fear the end, the dark as deep … Continue reading

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A Drop Of Soul : Dianne Reeves Live At Blue Note

雫(しずく)。 一曲、トリオがウォームアップ用のインストゥルメンタルをプレイしてから彼女は登場した。いかにも、ジャズトリオとそのシンガーという雰囲気。僕が見た前々回(99年4月)が内省的で、前回(2002年10月)がなにか吹っ切れてという印象だったが、果たして、今回はどのようになっているか、という興味もあった。ダイアン・リーヴスの久々のライヴ。 それにしても、完璧な発声、完璧な発音(ディクション)、完璧な歌唱。三拍子というか、すべてが揃った歌手のお手本のようなシンガーだ。こういう歌だったら、何時間でも安心して聴いていられる。歌を勉強している人、歌を真剣に歌いたい人に見せてあげたいショウだ。 2曲目を終えて、ダイアンはマイクを取り話し始めた。「日本語のふたつの言葉を教わったの。ひとつは、『建前』、もうひとつは『本音』。私は、本音が好き。私はいつでも、自分自身の本当の気持ちを歌っているわ」 ベースのソロから始まる粋な曲は、実にむずかしい曲。それはメロディーの移動が非常に難しいという意味だが、それを彼女は簡単そうに歌う。プロだ。 彼女は、CDショップでは「ジャズ・ヴォーカル」のセクションに分類されているが、いよいよそうしたジャンルを飛び越えそうな時期に来ているかもしれない。確かに、ジャズだろう。しかし、そのレパートリーには、ブルージーな曲、フォーク調のスローバラード、R&B風ファンク曲などもある。6曲目の「アイ・アム・ア・ウーマン」(題名不確実)を聴いていると、テンプテーションズの「パパ・ウォズ・ア・ローリング・ストーン」を思い浮かべてしまった。かと思えば、「私が4-5歳の頃、大叔母が私にずいぶんと下世話なブルーズを聴かせてくれた。私は、その危ない歌詞の意味なんかわからずに、その歌をみようみまねで歌っていた」と説明してから歌った曲はブルージーな一曲。しかし、ダイアンが歌うとあまり黒くない、というかダーティーにならない。ちょっと品よくなってしまうのだ。このあたりのアンバランスがおもしろい。 ジャズやブルーズを聴いていると、そこで歌われているものは、完璧に僕たち日本人とは違う『文化』であることを痛切に感じる。そして、だからこそ、おもしろいのだ。彼女は誇らしげに言った。「私(の中)には、力強い女性たちの伝統があります。そのスピリットは決して消すことができません。べシー・スミス、ビリー・ホリデイ、カーメン・マクレイ、サラ・ヴォーン…。(いずれも過去のジャズ界の偉人たち) 力強く彼女たちが歌うストーリーは、誰も決して否定できないのです」 彼女の歌はバックのトリオとまさに一体化している。ダイアンもある時は楽器になり、ある時はストーリーを語る語り部に変貌する。アルバム『イン・ザ・モーメント』(2000年)に収録のレナード・コーエン作の「スザンヌ」はそんなストーリーテラー、ダイアンの面目躍如の一曲だった。 彼女は、時に内省的でもあったが、時に解放的でもある。堂々とした自信があふれる。どんどんスケールが大きなシンガーになっているようだ。 いつものように最後の曲におけるメンバー紹介はメロディーに乗せて、アドリブで行う。これが何度聴いても実にかっこいい。単語が音楽になる。それは、名前という単語にメロディーが宿り、命を与えられた瞬間だ。 僕の位置から見ていると、ダイアンが口を大きく開けて歌うとき、口からでるつばが霧のようになってブルーの壁をバックに照明に照らされ光っていた。ある角度からしか見えないのだが、ダイアンの口元から出る霧が本当に薄くだが、何度も何度も垣間見られた。こんなもの見たことがなかった。もちろん、シンガーが歌う時つばが飛ぶのは何度も見たことがあったが、このように霧みたいに散っているのが不思議だった。それとも汗なのか。いや、彼女は汗はそれほどかいていなかった。わかった。あれはダイアンのソウルの雫(しずく)なのだ。 (2004年2月24日火曜・東京ブルーノート=ダイアン・リーヴス・ライヴ) ブルーノートのウェッブhttp://www.bluenote.co.jp/art/20040223.html ENT>MUSIC>LIVE>Reeves, Dianne

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18th Soul Train Music Awards Nominations:

ノミネート。 第18回「ソウル・トレイン・ミュージック・アワード」のノミネートが発表された。最大のノミネートは4部門のビヨンセ。それに続いて3部門のルーサー・ヴァンドロス。全10部門あり、発表は3月20日、ロスアンジェルスのインタ^ナショナル・カルチュアル・センター。約2時間のショウの司会は、アリシア・キーズとベイビーフェイスが担当し、ライヴパフォーマンスは、ジャネット・ジャクソン、ビヨンセ、アウトキャストなどが予定されている。 +++++ ノミネートリストと予想は次の通り。グラミーよりむずかしい予想です。本命対抗で5割を目標にしましょう。 The full list of nominees is as follows: 1) Best R&B/soul single, female: “Rain on Me,” Ashanti “Danger,” Erykah Badu 対抗 ”Crazy in Love,” Beyoncee featuring Jay-Z 本命 ”You Don’t Know My Name,” Alicia Keys 2) Best R&B/soul … Continue reading

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King Britt Presents The Cosmic Lounge At Blue Note

クラブ。 一階から地下一階に階段を降りていくと、いきなりそこに受け付けがあった。普段はここを通りすぎて、横に受付があるのだが。さて、今日はいつものブルーノートが一日だけクラブっぽくなって営業するイヴェントの日。これまでに何回かやってきたが、地下二階のフロアから通常のテーブル、椅子をはずして、ここをダンスフロアにして、クラブになる。バンドは、コスミック・ラウンジというダンス系のバンド。フィリーのDJ、キング・ブリットのプレゼンツ。ライヴの前後は彼のDJプレイで、皆踊る。 このブルーノートのクラブイヴェントは、かなりおしゃれで、僕は個人的にけっこうお気に入り。普段椅子テーブルのところがダンスフロアになって、立ってライヴを見たり、踊ったりしている雰囲気がいい。DJタイムには、昔のディスコみたいに、レーザー光線が飛んだりしている。なにより、ここは天井が高いから、そういうのが生きる。なにより、ここは音がいいから気持ちいい。 さて、バンドは僕は初めて見たが、こういうクラブでのバンドとしては、充分の出来。ディスコ風、ソウル風のリズムで躍らせる。女性リード・シンガーのイヴァナ・サンティーリは、カナダ出身の白人。歌のほかに、トランペットをちょろっと吹く。歌はバンド内の歌、トランペットは愛嬌という程度だが、声質がハスキーでなかなかいい。きちっとヴォイストレーニングでもして歌を勉強すれば、いいものがでるかもしれない。ファンキーバンドの紅一点ヴォーカルとしては、充分だ。いわゆるディスコバンド、クラブの箱バンドとしても、これでOKだろう。 このイヴェント、2ヶ月に一度くらいあるといいなあ。客層もいい雰囲気だし。しかし、外に出たら、いきなり大雨が降っていて、びっくりした。 (2004年2月22日日曜・東京ブルーノート=キング・ブリット・プレゼンツ・ザ・コズミック・ラウンジ、スペシャル・ライブ・イバナ・サンティーリ) ENT>LIVE>King Britt, The Cosmic Lounge, Santilli, Ivana

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Roots Music Talk Event At Kenwood Show Room

継続。 友人でもある音楽評論家、岩田由紀夫氏が隔月で開催している音楽トークイヴェント「ROOTS MUSIC トーク・イベント 音楽の達人 VOL.11」を見に行った。これは、偶数月の第三土曜日に有楽町のケンウッドのショウルームで行われているもので、司会が岩田氏、これに音楽評論家の天辰保文(あまたつ・やすふみ)氏、歌手のアヤ(Aja)さんが加わってひとつのテーマに沿って話をして、それらと関連したCDを聴くというイヴェント。ケンウッドの協力で、入場料は無料。 今回のテーマは、「尊敬するアーティストに捧げる曲(カヴァー曲)特集」ということで、カヴァー、トリビュート、ベネフィット作品などを特集して各人が選曲し、CDをかけた。約2時間のイヴェント。観客は約30名。ほぼ用意された席が一杯になっている。 基本的には、岩田さんが司会進行で、さまざまなトリビュートなどの基本的な情報を解説し、それに、天辰さん、アヤさんらがからむというスタイル。最後には、お客さんが持ってきたトリビュートアルバムから一曲づつかけるという趣向もあった。 岩田さんはさすがにFMでしゃべっているだけに、話が軽妙で、しかも話題の飛び方もうまく飽きさせない。天辰さんも、ぼそぼそっとした朴訥なところがいい味をだし、時々、会場の笑いをうまくとる。そして、歌手のアヤさんは、一般の人が持つ視点で話にからむ。 このイヴェントの告知ウェッブは次。 http://rootsmusic.clubdam.com/rn/stsp/stsp_0402.html 次回は4月17日(土曜)。テーマは、「ウェストコーストロック」について。ということで、天辰さんのもっとも得意とするところ。そういうタイプの音楽がお好きな方、興味のある方は、顔をだされてはいかがだろうか。一応、予約をされたほうがいいが、当日の一見さんでも大丈夫。 終った後、まず、天辰さんと挨拶。普段、お互い記事などは読んでいるが、さすがにコンサート会場で会うことはまずないので、かなり久しぶり。下手すると10年ぶりくらいかもしれない、ということで、名刺交換など。そして、岩田さんと挨拶。 岩田さんに尋ねた。「いやあ、このようなイヴェントずっとやられてるなんて知りませんでした。もう11回?」 「そう、隔月だから2年近いかな。最初は10人くらいしかいなかったよ。でも、やっぱり、こういうのを続けないと、洋楽がだめになっちゃうでしょう。どこでも洋楽かからなくなってるからねえ。こういうのは、何がなんでも継続することですよ」 「継続ねえ、そうですねえ」 「これって、そのまま録音して、どこかの放送局かなんかで放送すればいいのに」 「どこもやってくれないよ。(笑) どっか、売ってきてよ(笑)」 「コミュニティーFMだったら、やれるんじゃないですか?」「そうかもしれないね」  そして、最初のうちは、友達とかにはあえて声をかけなかった、という。基本的には、ウェッブなどの告知を見てやってきた洋楽好きの人が来る、という。「友達だけで一杯になっても、そこからなかなか広がらないような感じがしてね」 なるほどねえ。ほら、僕も今度4月にいわゆる「トーク・イヴェント」みたいなことやるでしょう。いろいろ、参考になるところがありました。はい。 (2004年2月21日土曜日・ケンウッド・ショウルーム=ルーツ・ミュージック・トーク・イヴェントVOL.11) ENT>MUSIC>LIVE>EVENT>Roots Music Talk Event Vol.11

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Soul Searchin’ Talking Vol.2 Will Coming Up Soon

イヴェント予告。 11月末に行いご好評をいただいた「ソウル・サーチン・トーキング」の第二回を企画中です。今、イヴェント内容などをつめているところで、まもなく、正式に発表できると思います。4月中です。都内です。第一回にお越しいただいた方、ありがとうございます。そして、満員で入れずにお帰りになられた方、申し訳ございません。次回は少し会場も広くなります。 前回は、3人のトークとCD音源でスティーヴィーの音楽をご紹介したわけですが、今回は、スティーヴィーのライヴを見た感想などを話しあいながら、あの感動を小さく再現したいと思います。あのライヴの中でも、もっともスポンテニアスな、アドリブっぽい「アコースティック・セクション」を再現します。前回イヴェントではCDをかけた部分を生ピアノ、生ヴォーカルでお送りします。といっても僕たちが歌うわけではありません。(笑) 当たり前ですが。この日記にも何度も登場しているケイリブ・ジェームスにピアノの弾き語りをしてもらいます。 前回の「ソウル・サーチン・トーキング」をやったあと、たまたまケイリブのライヴを見て、彼がスティーヴィーの「リボン・イン・ザ・スカイ」や「オーヴァージョイド」を歌うのを聴いて、「これだ!」と思いました。彼の声質は、ジェームス・イングラムとかブライアン・マクナイト系のR&B系。とてもいい雰囲気です。 トークはまあいいんですが、CDをかけていると、どうしてもその間、間が持たないというか、そういう感じになってしまうんですね。でも、今回はそんなことはありません。ケイリブが歌う、スティーヴィーのアコースティック・ヴァージョンの数々。これは聞き物です。 スティーヴィーが前半で見せる約20分弱の「アコースティック・セクション」をケイリブに再現してもらいます。スティーヴィーは、ここで、「リボン…」や「レイトリー」や「オーヴァージョイド」などを歌います。 仮タイトルは、「ソウル・サーチン・トーキング ヴォリューム 2~スティーヴィーの魅力再発見~~A Moment Of You, Me, And Piano」です。いい感じでしょう。スティーヴィー、ごらんになったかたは、ピンと来るかもしれません。スティーヴィーがアンコールで「マイ・シェリー・アモール」をピアノ一本で歌う前に、言った一言からもらいました。 以上、予告でした。1-2週内に正式に発表できると思います。お楽しみに。 EVENT & ANNOUNCEMENTS>Soul Searchin’ Talking Vol.2

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Three Guitarists Over A Mirage: Al Di Meola Live At Blue Note

蜃気楼。 見ようか見まいかちょっと迷っていたが、意を決して夕方、行くことにした今日のライヴはアル・ディメオラ。70年代のアルバムは何枚か持っているがライヴは初めて。開演しばらく前、友人ソウルメイトYとちょうど席につこうとしていると、ソウルメイトL夫妻から声をかけられた。せっかくなので、4人で観ることに。 70年代から数々のアルバムで超絶テクニック、スーパーテクニックを披露しているディメオラは、元祖癒し系か。ある種ギタリストとしての究極の夢はこのようなライヴをすることではないか、と思った。それにしても、イメージと映像の広がる演奏だ。例えば、新日本紀行とか、ディスカヴァリー・チャンネルの旅番組あたりの音楽にぴったりのような音楽とでも言えばいいか。なかなかにきもちいい。 その超絶テクニックは存分にあらゆる曲で見せつけられるのだが、ふと思うのは、一体どこに生まれ、どこに育つとこのような音楽ができるのだろうか、ということだった。壮大な海辺か、アンデスの山々か、どこかの砂丘か、アマゾンの密林か。あまり、アメリカっぽくないところがユニークだ。 ディメオラは、同じ一本のギターをスイッチひとつで様々な音色を出す変幻自在の楽器にしてしまう。アコースティックな音、エレキ・ギターの音、そして、ベースのような音、オルガンのような音。まるで、そこには3人のディメオラがいるかのようだ。時に幻想的な音空間を生み出し、ブルーノートのテーブル中央に置かれたろうそくのゆらぎと同調するかのようだ。フュージョンとも一線を画すようなこの響きは実に独特のサウンドだ。 彼は映像や絵を想像しながらプレイするのか、それとも、プレイしている時に映像が脳裏に浮かんでくるのか。それとも、まったく無心でプレイしているのか。このレヴェルの域に達したミュージシャンだと、その彼が作る音楽には、ミュージシャンの持つ世界観のようなものが如実に反映すると思う。つまり、音楽や音楽技術以外の部分が非常に大きな要素を占めるような気がしてならない。どのような世界観を持っているのか、どれほど多くの旅をしてきたか、いかなる経験を積んできたか、人間としてのスケールの大きさがどれほどのものか。そうしたものが最終的に凝縮され音に響いてくるのだ。 最後の曲が終わり、彼はメンバーを紹介した後、こう言った。「僕の本名はワタナベカズミ!」。笑いを取ることも忘れない。 音が流れていた70分余の間、僕には、時に大海原でいるかが跳ねるのが見えたり、大きく真っ赤な夕日が落ちていくアフリカの草原に何頭もの象が群れをなして歩いていくのが見えた気がした。なによりもその音色の豊富さで、砂丘の蜃気楼の向こうにアル・ディメオラという名のギタリストが3人くらい立っているような錯覚に陥った。良い旅だった。 (2004年2月19日・木曜、ブルーノート東京=アル・ディメオラ・ライヴ) ENT>MUSIC>LIVE>Di Meola, Al ブルーノートのページ。http://www.bluenote.co.jp/art/20040216.html#song 21日土曜日まで、東京ブルーノート。その後名古屋ブルーノート。福岡ブルーノート。

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Doris Troy Died At Age 67

ドリス・トロイ死去~『ママ、アイ・ウォント・トゥ・シング』のモデル 1960年代に活躍したポップ、ソウルシンガー、ドリス・トロイが去る2月16日(月曜)、ラスヴェガスで死去した。67歳だった。ドリスは、1937年1月6日ニューヨーク生まれ。63年に「ジャスト・ワン・ルック」が大ヒットした。この曲は後にイギリスのホリーズがカヴァー、イギリスでヒットさせた。ドリス自身はこれを超えるヒットはなかったが、このヒットで一世を風靡。ホリーズのヒットのおかげもあり、70年、イギリスのアップルレコードからジョージ・ハリソンのサポートを得てアルバムをだしたこともある。アメリカより、むしろ、イギリスでのほうが人気があったとも言える。 その後、80年代にはいり、ドリスの妹ヴァイ・ヒギンセンが、姉のことをテーマにしたミュージカル『ママ、アイ・ウォント・トゥ・シング』を制作、これがロングヒットとなった。このミュージカルには、一時期ドリス・トロイ本人も出演していた。同ミュージカルは88年6月、日本にも上陸、人気を集めた。このミュージカルは、ドリスのルーツであるゴスペルから、ソウル、R&Bなどの音楽をとりあげ、特に日本でのゴスペルを広めることに一役買った。ドリス本人はこのミュージカルを初めて見た時に、大変感動したという。ヴァイ・ヒギンセンはその後も『ママ、アイ・ウォント・トゥ・シング、パート2』などのミュージカルを制作、ヒットさせている。 葬儀は次の通り行われる。 The services for Doris will be held in New York City on Monday, February 23 at 7pm:Williams Institutional CME Church2225 Adam Clayton Powell BoulevardNew York City, NY 10027-7805(7th Avenue between 131-132nd Streets)212-283-6959 また、古くからの友人であり、イギリス人R&B音楽ジャーナリストでもあるデイヴィッド・ネイサンが追悼文を記している。 http://www.soulmusic.com/doristroy.htm ENT>OBITUARY>Troy, Doris

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The Closer Voice Get To Instrumental Or The Closer Instrumental Get To Voice, Something Wonderful Thing Would Happen

接近。 久々に「ソウル流し」杉本篤彦さんのライヴを覗きに行きました。しばらく前に連絡があり、ちょうどまた見たいなと思っていたので、この日思い立って東京ドームホテルの43階アーティストカフェに向かいました。 前回の感想は2003年2月28日付け日記。http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/soul-diary-200302.htmlもう一年も前なんですね。はやいなあ。もっと最近かとおもっていた。 さて今回は、杉本さんとアコースティックベースに土井孝幸 さん。二人で、ソウルの名曲をいろいろやってくれました。3回のうち、2回目と3回目を見たのですが、まあ、セットリストを見てください。 Setlist2nd set 1. Killer Joe (Quincy Jones)2. Sweet Sticky Thing (Ohio Players)3. La La Means I Love You (Delphonics)4. Feel Like Making Love (Roberta Flack)5. If You Don’t Know Me By Now (Harold Melvin & … Continue reading

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Only The Strong Survive: The Soul Movie

必見。 映画が始まるといきなり、ルーファス・トーマスがメンフィスのDJとともにラジオ局でしゃべっている。そして、かかる曲がジェームス・カーの「ザ・ダーク・エンド・オブ・ザ・ストリート」。これをルーファス・トーマスが鼻歌交じりで歌う。これだけでソウル・ファンはノックダウンさせられるだろう。60年代に一世を風靡(ふうび)したソウル・シンガーの何人かにスポットを当てたドキュメンタリー映画。インタヴューとライヴ映像、さらに、過去のフーテージ(資料映像)も交えての101分。この日記では一足先に「スタンディング・イン・ザ・シャドウズ・オブ・モータウン(邦題、永遠のモータウン)」を紹介したが、本作はそれより後、2003年5月全米で公開された作品。ミラマックスが資金をだし、制作された。 http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200304/diary20030429.htmlhttp://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200310/diary20031024.html 登場するアーティストは、ルーファス・トーマス、シャイ・ライツ、カーラ・トーマス、サム・ムーア、ジェリー・バトラー、メリー・ウィルソン、アン・ピーブルス&ドン・ブライアント夫妻、アイザック・ヘイズ、ウィルソン・ピケットなど。彼らがちょっとした昔話をし、ライヴを見せる。個人的には、このライヴ部分が非常に楽しめた。上記のアーティストたちの現在の動く姿はなかなか見られないので、それだけでも貴重だからだ。なお、ルーファス・トーマスは2001年12月に死去している。 タイトルの「オンリー・ザ・ストロング・サーヴァイヴ」は、ジェリー・バトラーの69年の大ヒット曲。フィラデルフィアのギャンブル&ハフが書いた作品である。 スタックス・レコードがあった場所。この撮影時には更地になっている。現在はスタックス・ミュージアムができている。ロイヤル・スタジオ。メンフィスのラジオ局。サイン会。いろいろな場所にカメラは出向きソウルスターたちの後を追う。 ドキュメンタリー作品としては、かなり注文をつけたいところがあるが、上記アーティストになじみのあるソウル・ファンには必見だと言える。サム・ムーアのキャラクターやその奥さんの強い部分、あるいは、ウィルソン・ピケットの強烈なキャラクターなどが見られるだけで、資料的価値は充分にある。アン・ピーブルスが歌う「ブレイキング・アップ・サムバディーズ・ホーム」のライヴ映像など、これだけでも嬉しい映像だ。 関連ウェッブは、ここ。http://movies.go.com/movies/O/onlythestrongsurvive_2003/index.html この映画は秋に日本でも公開されます。 ++++++ 以後の感想は、映画の製作についてのもの。ソウルファンにはあまり関係ないと思うので、飛ばしていただいてもいい。映像作品としての製作者への注文である。 まず、ライヴ映像が多数でてくるが、その出所をその場その場ではっきり明示してもらいたい。一番最後にクレジット・ロールで一挙にでるのだが、これだとわからない。多くのライヴ映像は1999年とあるが、これはこの映画のために行われたライヴなのだろうか。ライヴも3箇所くらいで行われたようだが、はっきりしない。まだ紙資料とかがないので、よくわからない。歌われる曲名は字幕がでるが、アーティスト名も日本では絶対に字幕を出さないとわからないだろう。もはや、ウィルソン・ピケットの顔と名前は一致しない。登場するアーティストの名前字幕は必須だと思う。 カメラワークと編集。手持ちカメラを多用するせいか、けっこう映像がぶれて、僕など映像酔いしてしまいそう。もう少し固定カメラでしっかりとってほしい。この撮影チームはテレビ映像を作っていたチームではないか。あまり映画ではこういうアップはみない。異様なほど、アーティストのアップを映す。もっと引いて撮影してほしい。これだと全体像が見られない。このアップの多用にはまいった。このカメラワークはだめ。 ライヴ映像の基本はセンターから、全体像を撮るというもの。しかし、この映画にはそれがない。みな、ステージ下からアップ気味に撮るから、なかなかライヴ自体を堪能できない。いいドキュメンタリーで、ステージセンターから撮影した映像を中心に構成すると、そのライヴ会場にいるような感じになり、あたかもライヴを見ているように入り込める。しかし、この映像ではそうはならない。これは多分、あまりステージとかライヴを撮ったことがない撮影チームなのだろう。編集も、よくわからない。 「スタンディング・イン…」の映画はタイトルとストーリーが一致していたが、この「オンリー・ザ・ストロング・サヴァイヴ(強者だけが生き残る)」のタイトルと、全体的なコンセプトがあいまいだ。製作者はあまりここに登場するソウル・アーティストについて詳しくないのではないか。これらのアーティストにちょこっとインタヴューして、ライヴ映像を撮ればそれで一本ドキュメンタリーができるだろう、と思ったのではないだろうか。 もし僕がこのタイトルで、これだけのアーティストにインタヴューできるんだったら、もっともっとつっこんで、彼らがもつ豊潤なストーリーを引き出しておもしろいものを作る。インタヴュー自体が相当甘い。ここに登場するアーティストには皆、それぞれすばらしいストーリーがあるのだ。それを浮き彫りにするだけで、十分おもしろいドキュメンタリーができる。ここに登場するアーティストの共通点であり、そして、最大のポイントは彼らが60年代に一世を風靡しつつも、今はそれほどスポットライトが当たるところにはいない、いうことでもある。その光と影のコントラストを丹念に描けば、もっともっとおもしろくなる。 クリント・イーストウッドが作った『ピアノ・マン』のドキュメンタリーなど同じ1時間半程度なのに、その密度の濃さは雲泥の差だ。監督の力といってしまえばそれまでだが、やはりその音楽を、ミュージシャンをどれくらい理解しているかが大きな要素になると思う。そして、どれだけテーマをしっかり持ち、そこを掘り下げられるかだ。 例えば、サム・ムーアに取材者が「あなたはいかにして、(今日まで)生き延びてきたか」と聞く。この質問はいいと思う。これを全員にしてもおもしろいだろう。そして、彼が「僕はラッキーだった。恵まれていた(bleseed)」と答える。サムは70年代初期に、ドラッグ中毒になりどんぞこの生活をしていた。そこから見事に抜け出したのだが、それを隣に座っている奥さんが「私が救った」ようないい方をしている。それも、もちろんあるのだろうが、演出としては、どうだろうか。奥さんの言葉ではなく、サム・ムーアのコメントで、「オレのワイフのおかげだよ」と言ってもらい、横でワイフがうなづいたほうが、よりリアルに感銘できる。これは単純にドキュメンタリーのテクニックの問題である。 ここに登場した連中は、果たしてサヴァイヴした(生き残った)のか。ということは、彼らはストロング(強者)だったのか。そうではないはずだ。彼らは、例えばサム・ムーアなど弱い人間だったに違いない。だが、生き残っている。あるいは、サヴァイヴしなかったアーティストも、多数いるはずだ。そこに光をあててもおもしろい。もし、ここに登場した連中が強者で生き残ったというのであれば、いかに生き残ったか、その過程をもっと掘り下げないと。インタヴューからでてくるコメントが、表面的なのだ。もちろん、普段着の、下世話な本音トークがあって面白いところも多々あるのだが、それは映像作品としてはあくまで調味料的な存在であり、本筋にはしっかりとしたストーリーラインがなければならない。勝者は生き残ったのか。勝者でなければ生き残れなかったのか。弱者はどうなったのか。テーマの見つめ方、掘り下げ方がたりないので、ドキュメンタリーとしてはどうしても物足りない。ああ、それにしても、これだけの素材があって、実にもったいない。未発表フィルムがあるなら、全部見せてもらって、編集させてもらいたいものだ。(笑)  ダイアナ・ロスではなく、メリー・ウィルソンがでてくるのはなぜか。その説明が欲しい。もちろん、ダイアナはスーパースターとなったが、メリーはいまだにクラブでダイアナのヒット曲を歌っている、という悲惨さを見せたいのか。どうも、あちこちで詰めが甘い。それぞれのアーティストたちの関連性というか、つながりというものがない。だからどうしても、誰かに感情移入ができない。よって、泣けない。仮にサム・ムーアを軸にストーリーを展開させていけば、それはそれで徐々に感情移入できるだろう。ルーファス・トーマスでもいい。彼の場合、2001年に亡くなるのだから、その葬式部分がはいってもいいはずだ。 おそらく、ヒントは、ジェリー・バトラーのインタヴューや、彼が書いたという自伝『オンリー・ザ・ストロング・サヴァイヴ』あたりにあるのではないか。あるいは、ルーファス・トーマスの物語の中にあるかもしれない。サム・ムーアのストーリーにもすばらしいものはあるはずだ。 いずれにせよ、このような音楽ドキュメンタリーが作られること自体を評価しよう。しかし、あ~、こういう作品を見ると、僕もドキュメンタリー映画が作りたくなってきた。 ENT>MOVIE>Only The Strong Survive

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Second Coming Of Donny Hathaway? : Frank McComb Is Keep On Runnin’ Like Forrest Gump

再来。 それにしても、よく雰囲気が似てるなあ。それがこのフランク・マッコムのニューアルバム『ザ・トゥルース』を聴いての感想だ。誰に似てるって、ダニー・ハザウェイに。フランク・マッコムは、元々ジャズ・フュージョンのブランフォード・マルサリスのサイドプロジェクト、「バックショット・ルフォンク」というグループのリード・ヴォーカルだった人。その関係で2000年に1枚CBSからソロアルバム『ラヴ・ストーリーズ』http://www.allmusic.com/cg/amg.dll?p=amg&uid=UIDMISS70311061515161479&sql=Att5j8qc9btz4 を出した。その後、CBSとは切れ、このほどインディから発売したのがこの『ザ・トゥルース』(トイズ・ファクトリー、2004年2月18日発売)。イギリスのソウルレーベル、エクスパンションから2003年7月にリリースされたもの。アメリカではまだでていないようだ。 オーガニック・ソウルのアーティストとして、一足先にイギリスからはドニー(Donnie)というアーティストが注目されているが、このフランクもそのドニーと同様、雰囲気のあるシンガーだ。このアルバムにはゲストにビリー・プレストン(ハモンド3オルガン)、元ルーファスのボビー・ワトソン、サンフランシスコから注目株の女性シンガー、レデシー、元メイズのキーボード、ウェイン・リンゼイなども参加している。 全体的なトーンは、まさに70年代初期のソウルの雰囲気。ダニー・ハザウェイ、70年代初期のスティーヴィーあたりの空気感を持っている。生音で、生楽器で。ピアノとヴァイオリンをバックにしっとりと歌う6曲目の「ホエン・ユー・コール・マイ・ネーム」あたりは、今が混迷の2004年であることを忘れさせてくれる。こういうのを、懐古趣味ではなく、コピーものではなく、良質の音楽というんだろうな。8曲目の「キューピッドズ・アロウ」など、ダニー・ハザウェイそのままだ。ピアノを弾きながら、帽子を被っているジャケット写真も、どこかダニーを意識したイメージフォトか。しかし、ここまでダニー調でいいのだろうか。きっと、多くのライターは、このフランク・マッコムというシンガーを、「ダニー・ハザウェイに似た」とか「ダニーの再来」と書くことだろう。では自分のアイデンティティーは? と僕はちょっと疑問に思った。しかし、彼のウェッブの彼自身のインタヴューを読んで納得した。http://www.frankmccombmusic.com/findex.html フランクは言う。「みな、僕が1970年生まれというとびっくりするんだ。僕は、5歳の時に、クリーヴランドのバプティスト教会に育って、自分が将来何をしたいかわかっていたんだ。5歳の時だよ。僕の将来の目標は、シンプルな歌を歌うことだ、と。(To sing a simple song) 15歳の時には、もうすでに10年のキャリアがあったわけだよ。教会で歌い、うちで歌い、ラジオにあわせて歌い、それで周囲の連中を驚かせた。こいつはなんでこんなに若いのにこれほどの(音楽的)ヴォキャブラリーを持っているのか、とね」 16歳のジョス・ストーンを知った今、15歳で彼のような才能がでてきても、もう驚かない。(笑)  彼はルードボーイズ(ジェラルド・リヴァートがプロデュースしたR&Bグループ)のツアー音楽ディレクターとなり、まもなくフィラデルフィアに本拠を移す。そして、彼は今度はフィラデルフィア・ソウルの歴史と遭遇する。それは、309サウス・ボード・ストリート。フィラデルフィア・サウンドの重鎮であり立役者であるケニー・ギャンブル&レオン・ハフが今オフィースを持つ場所だ。そこで、レオン・ハフが使っていた同じピアノを使って、彼は次々と曲を書いた。ひょっとしたら、それはオージェイズの「バックスタバーズ」のピアノのアレンジを考えたものと同じピアノだったかもしれない。 フランクはこう宣言する。「つまり、真似と影響を受けるということの間には厳然とした一線があるということだ。僕が心を打たれる声を聴く時、そのことを真摯に勉強し吸収しようと思う。アレサ、スティーヴィー、レイ・チャールズ、ビリー・プレストン、ダニー・ハザウェイ、ナタリー・コール…。もし彼らに影響を受けたというなら、その事実をしっかり自分で受け止めなければならない。隠すわけにはいかないのだ。そして、そうしたアーティストたちが本当に自分へインスパイアーした(影響を与えた)のなら、自分自身の作品におけるその影響を祝福すればいいだけのことなのだ」 そして、彼はジョージ・ベンソンから言われた一言を決して忘れないという。ちょうどフランクは自分がダニーなどに似ているとしょっちゅう言われていて悩んでいた時期だった。その時、ジョージは彼にこう言った。「フランク、いいか、誰かに過去の偉人に似ていると言われても、ただそれを受け入れ、走りつづけるんだ」 そして、フランクは言う。「そう、それ以来、僕はフォーレスト・ガンプのように走りつづけているのさ」 彼は真似と影響の違いがわかっている。だから、聴くこちら側も、単なる真似、コピーではないということが感じられるのだろう。彼は走りつづけることによって、ソウル・サーチンの答えを見出すことができるのである。 クリーヴランド、フィリー、ロンドン、そして、東京へ。フランク・マッコムは今日も走りつづける。 ++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++ フランク・マッコム初来日 はやくも来日決定。4月15日(木)、16日(金)、17日(土)、18日(日)。横浜モーションブルー。問い合わせ 045-226-1919.チケット2月21日から発売。5250円。http://www.motionblue.co.jp/schedule/2004/04/index.html ENT>MUSIC>STORY>McComb, Frank

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Booklet Of Motown Festival 1968: 36 Years Ago, There Was Discount For Group Of More Than Three

割引。 スティーヴィー・ワンダー・マニアの原口さんに、スティーヴィーの初来日時のパンフレットを見せていただいた。25センチ四方の表紙を含めて全24ページ。1968年のものです。いやあ、この頃でもパンフレットなんか作ってたんですね。 この時は、スティーヴィー・ワンダーとテンプテーションズとマーサ&ヴァンデラスの3組が来日し、タムラ・モータウン・フェスティヴァルと銘打ってライヴを見せるというイヴェントでした。今でこそこのようなイヴェントはありそうですが、36年前にこんな企画を立てたなんてすごいですね。ところが、この時はテンプテーションズが来日せずに、スティーヴィーとマーサ&ヴァンデラスだけの来日となり、そのお詫びで、コンサートのチケットは払い戻し、お客さんはただでこの二組のライヴを見ることができた、ということです。この話は一度、この時のチケットを下北沢のソウルバー、しずおか屋さんでみかけた時にちらっとしました。 それをさらに詳しく。公演日程は、68年2月12日・厚生年金ホール、2月13日と14日・渋谷公会堂、19日・大阪フェステイヴァル・ホールの計4回。チケットは、Sが2000円、Aが1500円、Bが1200円、Cが1000円。4種類もあったんですね。しかも、Sで2000円! このころ初任給どれくらいなんだろう。昭和43年。2-3万円でしょうか。調べてみたら巡査の初任給が昭和44年で約26000円。そうか、現在の初任給20万円くらいからすると、その頃のほうがまだ安かったかな。26000円で2000円の割合で行くと、20万円だと15000円くらいに相当します。ということは、今の10000円はまあ、当時と比べてもそれほど高くはない、のかなあ。しかし、レコードが当時2000円で、今も変わらないことから比べると、ライヴのチケット代は5-6倍にもなっているのだから、かなり高騰してることになりますよね。っていうか、レコード代、CD代は本当に割安感あり、ということになりますね。 さて、このパンフレット、誤植もあって非常に面白いのですが、今となっては意味不明のタイトルも。ニッポン放送の社長になられた亀淵昭信氏の原稿のタイトルは、「黒い電子計算機モタウン・レコードの全貌」(原文のまま)。どう理解したら、いいんだ? (笑) 「黒い電子計算機」は何を修飾しているのか。あるいは、意味しているのか。まあ、モータウン(モタウンか?)を修飾しているのだろうけど。どういうことなんだろう。福田一郎氏の原稿タイトルは、「テンプティションストーリー」。その中のメンバー紹介では、「ダヴィッド・ラッフィン」です。 そして、驚くのが広告。12軒のバーやお店の広告が掲載されているのです。R&B・スナックバー、ジョージズ。ご存知、日本最古のソウルバー、ジョージです。この頃はソウルバーなんて言わなかったんですね。スナックバー、ですか。次のもすごいぞ。「R&Bのメッカ、洋盤豊富 ムード最高 御来店下さい!!」というのは、新宿ジ・アザー! 「リズム&ブルースの店、スナックバー コルト45~ヨコハマチャイナタウン近く」。これにはピストルのイラストが。「ソウル・レストラン G.T~霞町交差点手前」 ソウル・レストランって、なんでしょう。(笑) ソウルがかかるレストランか。楽しい! 「洋盤豊富 ムード最高」は、サイコーだ。 この招聘元は協同企画エージェンシー。現在のキョウドウ東京です。その広告には、「全女性に贈る華麗なるピアノの調べ・ロジャー・ウィリアムス」の公演と「ボサノバの真髄・セルジオ・メンデス&ブラジル66」の公演。いずれも、Sが2000円です。 あと、これもすごいぞ。協同企画エージェンシーの会員になると、こんな特典があります。「HI MUSIC会員募集 特典・コンサートの入場料が大幅に割引になります。すべての公演が1割引。他に3人ご紹介の場合は2割引、5人で3割引の特典もあります。1年に10回以上ご鑑賞の方は1回が無料になります」 5人で3割引はすごいですねえ! 今だったら、例えば、1万円のコンサート5人で行ったら5万円のところが3万5千円。ひとりあたり7000円になる! まじっすか。ありえな~~い。(笑) 今だったら。その頃は、それくらいおいしかったのかな。こういう業種って。(笑)  いやあ、昔のパンフレット、存分に楽しませていただきました。ありがとうございます。

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Utada Hikaru Live At Budoukan: Japanese Are Proud Of You

誇り。 宇多田ヒカルのライヴ。武道館最終日。今、日本のミュージシャンでアメリカの音楽業界に出向いてそこそこの成功を得られる可能性がある唯一の人。それが宇多田ヒカルだ。野球で言えば、彼女はヤンキーズの松井、マリナーズのイチローに匹敵する素材だ。なにより、彼女が作る楽曲がすごい。このライヴでも聴かれたが、シングルヒットした曲というのはみなよくできている。曲がしっかり書けるという点、そして、英語が普通にしゃべれる点、これが大きい。まあ、何より才能ということだ。 彼女は正真正銘の日本人だが、普段僕が見る洋楽アーティストと同レベルで見てしまう。日本人アーティストを観る時は、普通日本人アーティストとしてのスタンダードで見るのだが、宇多田ヒカルの場合、どうしても洋楽アーティストのひとりという感じになる。まあ、それだけですごいことなのだが。 さて、デビュー時のライヴの時は、若干グルーヴ感があったのだが、今回のライヴは全体的な印象を一言で言うと、ロックっぽいなあ、ということだった。リズムがファンキーなグルーヴ感がなく、縦のりのロック的な感じ。だから、観客席は一曲目から総立ちにもかかわらず、皆、体が動かない。観てしまうのだ。まあ、Jポップのバンドとしては、いいのだろうか。 確か、前回ライヴはダンサーがついていたと思うが、今回はダンサーはなし。オンステージは、キーボード、ギター2人、パーカッション、べース、ドラムスの6人。もうひとり、マニュピレーター(音素材などを出すコンピューターを操作する人)がいるので、7人のバックバンドに宇多田ヒカルの歌ということになる。唯一左右に動くのが宇多田本人だけなので、ステージに動きがあまりない。唯一一番動いていたのは、天井にロープで吊られていたテレビカメラか(笑)。ステージセットは、スピーカーを少し上に持ち上げているために、実に広々している。これはなかなかいい。これだけ広いステージがあるのだから、動きのあるステージが見たい。 僕は個人的には、「オートマティック」あたりのグルーヴ感が非常に心地よかったので、こういうロックのりのリズムはいまひとつ。バックを黒人のドラマー、ベース奏者、ギターなんかで固めてみたらどうだろう。きっと、宇多田ヒカルがもっともっと光るんじゃないだろうか。このライヴだと、今のリズムオリエンテッドなアメリカでは厳しいと思う。もしこれをアメリカにもっていったら、アメリカでよく言われる言い方[She's a great songwriter(artist) but she's not great performer]みたいなことを言われる。もっとも武道館でのライヴは日本人向けのライヴであり、アメリカでライヴをやる時は、別のコンセプトでやるのだろうが。 ライヴの感想はさておき、彼女のアーティストとしての才能には、毎度驚かされる。パフォーマーとしてまだまだとしても、まだたったの21歳、これから様々な可能性がある才能だ。彼女は日本が世界に誇れる才能。そして、彼女が「日本の音楽」をある意味で世界に発信してくれるかもしれないのだ。彼女の英語の楽曲は一体どんな風になるんだろう。本当に楽しみだ。グラミーに一番近い日本人か。日本人は、将来、日本人として松井やイチローを誇りに思うように、宇多田ヒカルのことを誇りに思うことになる。 Setlist 01. 光02. Traveling03. Letters04. Another Chance05. In My Room06. Can You Keep The Secret?07. Addicted To You08. Sakura ドロップス09. 甘い罠~Paint It, Black10. Movin’ On Without You11.  蹴っ飛ばせ!12. Wait … Continue reading

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K-Ci & Jojo Are Half Of Jodeci, K-Ci Is Half Of K-Ci & Jojo: Live At Shibuya Duo

暑熱厚。 入口で、「今日、ジョジョが病気で来れなくて、代わりにバックコーラスの一人、ティモシーがジョジョの役をやります」と言われた。おやおや、いきなり。(苦笑) 渋谷に新しくできたライヴハウス「Duo(デュオ)」。以前オンエアーだったところ。僕も今回が初めて。客を椅子に座らせて飲みながらライヴを観てもらう、ブルーノートのようなライヴハウスを狙っているようだ。 ケイシー&ジョジョは何度も来日しているが、このようなライヴハウスでは初めて見るので、どうなるのか興味があった。中に入ると、確かにテーブルがあって、ブルーノートを、いや、モーションブルーをさらにエコノミカルにカジュアルにしたような感じ。しかし…。客席に大きな柱が3本。これゆえに、非常に死角になる席が多く、あちこちからかなり見にくい。天井は高く、2階席もあって雰囲気はいい。しかし…柱が…。これで都内・「柱が邪魔ライヴハウス・ベスト3」が出揃った。1位、デュオ、2位、ジェイジー・ブラット、3位、クアトロ。ま、そんな話と、ケイシーたちのライヴ自体の話はまったく別なわけでありまして。ここまではマクラです。 ドラム、ギター、ベース、キーボードにコーラス3人。ここにケイシーがリードシンガーとして入る。ケイシーの暑い熱い厚いヴォーカルは健在だ。ふと思い出したが、彼の英語は南部なまりがあってちょっと早口になったときなど聞き取りにくい。1曲目「イッツ・ミー」が終ったところでジャケットを着たケイシーが本日のジョジョの不在について釈明。ピンチヒッターのティムを紹介。「ジョジョはオレのことをケイシーとは呼ばない。セドリックと呼ぶんだ。みんなが今日はジョジョの代わりになってくれるかあ?」とケイシーは叫んだ。 さて、ケイシーはジョジョの分までがんばろうと思ったのか、いつも通りのサーヴィス精神で歌いまくった。ところどころ、出てくる言葉にちょっとしたメロディーがついたりする。例えば、「do you know about Jodeci?」 と普通だったら、ただの言葉なのだが、これに節がついて、ちょっとした歌になってしまうのだ。このあたりは、さすが。彼らの場合、どんなスローを歌っても、絶対にグルーヴがある。こういうところが、黒人ソウルの真髄だ。いつの間にか、ジャケットを脱ぎ捨て、シャツ姿になっていた。ジョデシー時代の大ヒット「フォーエヴァー・マイ・レイディー」では、客席の夫婦をステージにあげて、その彼女にからむ。 中盤「フリーキン・ユー」あたりで気が付くと、彼は上半身裸になっていた。既に汗が褐色の肌に光る。スティーヴィーの「レイトリー」を終え、ボビー・ウーマックの「イフ・ユー・シンク・ユーアー・ロンリー・ナウ」では、ケイシーはボディーガードともに舞台を降りて客席にやってきた。そして、おもむろにそのボディーガードに肩車させ、肩に乗って練り歩き、歌う。これはいい。肩車に乗って歌うソウルシンガーなんて他にいない。 彼の歌を聴いていると、本当に南部の感じと、教会のゴスペルの感じがしてくる。ルーツが垣間見られるのはすばらしいこと。ショウはちょっと短かったが、ジョジョが欠席のために、そのおわびの印としてこの日は特別にケイシーのサイン会が行われた。 ケイシー&ジョジョは、ジョデシーの半分。ケイシーはケイシー&ジョジョの半分。ジョデシーからすると4分の1ということになります。だから、なんてことはないのですが。(笑)  なお、ケイシーはこの後、同じ会場で土曜までライヴがあり、その後ブルーノート各地のツアーが続く。体調が復帰すれば、ジョジョも途中から参加するかもしれない、とのことだ。 Setlist show started 19:11 01. It’s Me02. This Very Moment03. Life 04. Stay05. Come & Talk To Me06. Forever My Lady07. Cry For You08. Freak ‘n You09. … Continue reading

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Black Eyed Peas Live At Ebisu Garden Hall: Love Is There

ハッピー。 アメリカの日曜夜(8日=日本時間9日月曜日午前)にはグラミー賞にでていたブラック・アイド・ピーズ。あけて月曜の飛行機に飛び乗り、日本時間火曜の夕方には日本に来ていた。なんと火曜夜中の西麻布のクラブイヴェントに飛び入りしたという。そして、水曜日、一日だけの公演。ものすごいスケジュールだ。今回の来日が2度目。前回3年くらい前の来日時は渋谷オンエアイーストで観客もまばらだったという。僕自身、見に行ったか行かなかったか覚えていないほど。オンエアでなんか途中ででてきたライヴがあったけど、あれだったかなあ(要確認=(笑)) 。3年前にこうして日記を書いてればすぐにわかったのに。見たら、書く。一行でもいいから。日記を書くすばらしい点のひとつです。 そんな彼らが、3枚目のアルバム『エレファンク』で大化けし、日本でも大ブレイク。何よりも、前2作と打って変わってのポップ路線になったことがこの大成功の要因のひとつ。女性ヴォーカル、ファージーが参加して、見事に大ヒットになった。彼女はまさにブラック・アイド・ピーズにとって幸運の女神ということになる。そして日本でもこのたった一回のライヴが売り切れとなり、恵比寿ガーデンホールの前にダフ屋まで出没していたのには驚いた。 ドラム、ギター、キーボード2人、そして、MC、シンガーで4人の計8人がオンステージ。4人は1曲目の「ハンズ・アップ」から全開。客席の手が挙がる、挙がる。MCたちは右に左に走り回り、飛び跳ね、しゃべりまくる。基本的に、打ち込みをあまり使わない生音は、聴いていて非常にライヴ感が感じられる。彼ら、ブラック・アイド・ピーズにせよ、ルーツにせよ、ミュージックにせよ、ヒップホップ系ながらリアル・ミュージックを追求しているところが、好感度アップ。 CDよりはるかに長い9分余にわたる「レッツ・ゲット・リターデッド」でかなり盛り上げ、続いて始まった「ホエア・イズ・ラヴ」のイントロで客席からいっせいにこの日一番の「ウォ~~」という歓声があがった。やはり、彼らの一般的人気に火をつけただけのことはある。まさに旬の一曲だ。しかも、メッセージがいい。「こんなおかしな世の中になってしまって、愛はどこへ行った?」 これは、受ける。 アンコールでは、ビヨンセの「クレイジー・イン・ラヴ」をやったり、超ゴキゲンな「ラテン・ガールズ」の中で、「ジャパニーズ・ガール!」を連呼したりとサーヴィス精神もたっぷり。彼らも、自分たちが今人気者であることを知っていて、非常に楽しく、気持ちよく演奏している雰囲気がわかる。根っからのラップ好き、音楽好き、踊り好き、パーティー好きな連中、という雰囲気が伝わってきてハッピーになる。ちょっと疲れたけど楽しい1時間半余だった。少なくとも、この1時間半、このホールには愛はあった。 ところで、グループ名のブラック・アイド・ピーズは、以前『ソウルブレンズ』でも少し話したが、アメリカのソウルフードには欠かせない豆の一種。豆の中央に黒い部分があるもので、その黒点が目のように見えるので、その豆のことをブラック・アイド・ピーズという。日本では「ささげ豆」「黒目豆」などと呼ばれている、そうだ。「黒目豆」はそのまんまですね。 Setlist Show started 18:03 01. Hands Up02. Hey Mama03. Smells Like Funk04. Release (2nd-Bridging The Gap)05. Fly Away06. Joints & Jam ( 1st-Behind The Front)07. ?Que Dices? (1st-Behind The Front)08. Labor Day(It’s A … Continue reading

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Another Side Of “Dance With My Father”

完全復活。 グラミー賞、生放送での中継。「ベスト・ニュー・アーティスト」がエヴァネセンスに行き、「レコード・オブ・ジ・イヤー」がコールドプレイになり、かなり愕然としていたところに、いよいよ「ソング・オブ・ジ・イヤー」の発表になった。ベイビーフェイス、キャロル・キングたちが壇上に。キャロルが言った。「これはソングライターの賞です。歌詞がなければ、(その歌は)ただ『ラララ~』と歌うしかありません。メロディーがなければ、それはスピーチになってしまいます…」 横でベイビーフェイスが微笑みながらうなずく。そしてノミネートが発表され、受賞者の名前が書かれた封筒が開かれる。 「グラミーは…。リチャード・マークス、ルーサー・ヴァンドロス、『ダンス・ウィズ・マイ・ファーザー』!」 思わずテレビの画面に向かって「やったあ」と叫んでしまった。 リチャード・マークスとルーサーのマネージャー、カーメン・ロマノが壇上に上がる。ロマノが胸ポケットから一枚の紙を取り出す。ルーサー本人からのメッセージだ。若干声が震えている。「この賞を受賞できて本当にうれしい。この「ダンス・ウィズ・マイ・ファーザー」が多くの皆さん方の人生に感動を与えたことを感じています。そして、この曲のメッセージをみなさんの心に届けていただいた私の友人、ラジオのDJなどへ感謝の気持ちを伝えたいと思います。そして、この曲のセンチメント(感情)をともに分かち合ったお母さんへ、僕の代わりにプロモーションに動いてくれてありがとう。私の母に感謝の気持ちを。ありがとう、お母さん」 そして、リチャード・マークス。彼もまた多くの人たちへの感謝を述べて最後にこう締めくくった。「天国のお父さん。いつまでもあなたは僕の心にあります。きっと、今ごろ、ルーサーのお父さんと一緒にシャンペーンのボトルをあけてお祝いしているでしょう」  その時初めてリチャード・マークスの父親が亡くなっていたことを知った。ルーサーはかねてから、この曲は自分のキャリアソング、シグネチャー・ソング(どちらも代表曲を意味する)だと公言していた。しかし、ルーサーとともに13年間、曲を書いてきたマークスにとっても、この曲はある意味で「キャリア・ソング」になっていたのだ。マークスのスピーチを聞いて、それに気付いた。マークスは1963年シカゴ生まれ。父親はジャズ・ミュージシャンであり、音楽関係の会社を経営していた。母親もシンガーで音楽一家に育った。一人っ子。マークス自身、80年代後半から90年代初期まで自ら多くのヒットを放ったシンガー/ソングライターになっている。 マークスはその後の記者会見でこう語っている。「この曲は彼(ルーサー)にとって、ものすごく特別な曲だ。とても個人的な曲であり、同時に非常に普遍的な曲でもある。僕の人生でこれほどあらゆる社会的地位の人々に影響を与えた曲はほとんどない。ルーサーはこれは僕の『ピアノ・マン』(ビリー・ジョエルの自伝的作品)なんだ、と言っていた」 これより先、グラミーのショウでは昨年4月に倒れたルーサーへのトリビュートが行われた。アリシア・キーズが「ア・ハウス・イズ・ノット・ア・ホーム」をピアノで歌った。ルーサーの歌でも知られるが、元々はディオンヌ・ワーウィックでヒットした作品でもある。そしてその後、なんと、ルーサーのビデオが流されたのだ。 少し弱々しく見えたルーサーは、「もし僕がさよならを言っても、それは永遠のものではありません。なぜなら、僕は、愛の力(power of love)を信じているから~」といった。この「パワー・オブ・ラヴ~」のところは、彼のヒット曲のメロディーを歌ったのだ。その映像を見ていて胸が一杯になった。歌えるじゃないか! あの声はルーサーそのものじゃないか!  マークスは言った。「まだ、ルーサーには皆さんからの祈りが必要なんですよ」 完全復活まで、まだまだ道のりは長い。完全復活の日がいつか来ることを祈って…。 Dance With My Fatherについての関連記事。 http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200306/diary20030620.html http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200306/diary20030621.html 4月25日http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200304/diary20030425.html、 5月5日http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200305/diary20030505.html、 5月15日http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200305/diary20030515.html、 5月22日http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200305/diary20030522.html、 5月29日http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200305/diary20030529.html、 6月13日、6月14日、6月20日付け日記。 ENT>MUSIC>AWARD>GRAMMY>46th WinnersENT>MUSIC>SONG>Dance With My Father

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46th Grammy Roundup

ディレイ。 10時、かとおもいきや、9時55分、いきなりプリンスのライヴが始まった。今回のグラミー生中継は、先週のスーパーボールでのジャネット・ジャクソンの事件があったため、5分間のディレイ中継となった。これは、実際よりも、5分遅れて放送を送り出すというもの。万一、不測の事態が起こった場合、その5分の間にカットするなり、ぼかしをいれるなりの対策を取るというやりかただ。そのせいで、アメリカ東部時間午後8時にあわせると、日本時間午前10時、さらにそこから5分前の、9時55分からの放送になったわけだ。日本のwowowは、ディレイせずにそのまま放送したために5分前からのスタートとなった。これは、快挙。しかし、同時通訳は毎年同じように最悪。もっとレベルの高い通訳はいないのだろうか。ゲストに金かけるくらいなら、通訳にもっといいギャラ払っていい通訳を雇うべきだ。まずきちんと日本語をしゃべれる人をオーディションしないと。あのレベルなら、もうないほうがいいかもしれない。雑音なだけ。 そして、プリンスにビヨンセがからむ。始まりから、なかなかいい演出だ。105部門の中で、この生中継で決定が放送されるのは、わずか11部門。ほとんどの部門はインターネットなどさまざまな媒体でショウの開始とともに発表される。 数多くのライヴ・パフォーマンスが見られたが、やはり、サミュエル・ジャクソンがMCを担当し、アース・ウィンド&ファイアー、アウトキャスト、そして、ジョージ・クリントンなどが一挙に登場したファンク・メドレー。これはテレビで見てても圧巻。会場にいたら、さぞかしすごかっただろう。ブッチー・コリンズもいた。 全体的にはラップ、R&Bアーティストが強いという印象だが、それでもロック・アーティストは健闘している。やはり、グラミーは白人主導型の組織という感じがまだまだある。特に主要4部門のレコード部門(コールドプレイ)と新人部門(エヴァネセンス)は、そうしたロック寄りのグラミーの色を出した感じだ。グラミーを決めるNARASのメンバーの人種構成は明らかにされていないが、白人黒人の割合は7-3くらいなのだろうか。 そろそろ、グラミーも閉ざされた組織ということではなく、徐々に情報公開をしていってもいい時期かもしれない。とりあえずは、得票のパーセンテージを発表してもらいたい。5つのノミネートがあれば、最低20パーセントの支持を得なければ受賞にはならないが、30%対27%なのか、50%対12%なのか、そのあたりで得られる情報はやはり貴重だ。ぜひとも、お願いしたいところ。 ルーサー・トリビュートは、アリシア・キーズがよかった。そして、リチャード・マークスのピアノでセリーヌ・ディオンが歌う「ダンス・ウィズ・マイ・ファーザー」。このピアノのイントロだけで一瞬感動したが、セリーヌのマイクの調子が悪く残念だった。しかし、ピアノ一本、しかも真横で歌うのに、なぜモニターのイヤホーンが必要なのだろうか。ただそこのピアノを聴いて歌えばいいのにと思った。 ここでライヴを見せたブラック・アイド・ピーズは明日ロスをたってあさって日本着なのかな。水曜日にはもう東京でライヴ。大忙し。 ところで、今年の「トラディショナル・ポップ・アルバム」部門にロッド・スチュワートの『グレイト・アメリカン・ソングブック、VOL.2』がノミネートされていた。これは前作『VOL.1』に続くもので、前作は全世界で400万枚、今作も170万枚のセールスを記録している、という。僕は、これを本命にしたが、トニー・ベネットとKDラングが受賞。 これまでに、ロッドは13回ノミネートされていたが、一度もグラミーをとることができていない。グラミー七不思議のひとつである。ゆえにそろそろ来てもとも思ったのだが。一方、スティングはすでに15のグラミーを獲得、今年のひとつを加えると16になる。しばらく前、ロッドはインタヴューで、「グラミーはイギリス人にはくれないらしいな、スティングでなければ」とジョーク交じりに語った。そして、それを聞いたスティングは、「じゃあ、オレのをひとつやるよ」とやはりジョークで返したという。スティングとロッド、確かにグラミーのもうひとつの光と影である。 ENT>MUSIC>AWARD>GRAMMY>46th Winners

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46th Grammy Award: Final

決定。 発表が終りました。予想47部門中、本命で20部門(.425)、対抗で14(.297)(トータルで.723)、そして、13部門がはずれという結果でした。本命で4割、対抗で2割は無事クリア。混迷のグラミー、これと言った決定打がない今年に関しては、非常にいいところではないでしょうか。(日本時間2月9日午後1時50分現在) 特にR&Bとラップの計14部門は本命11部門、対抗で3部門とすべて来たのは快挙でした。絶対来ないと断言してしまったフォンテンズ(新人賞)と「ソング部門」のウォーレン・ジーヴォン、ともに来なかったので、一安心。(笑)  主要4部門、「新人」のエヴァネセンスと「レコード」のコールドプレイは、僕には絶対当てられません。(笑)  完全な受賞者リストは、http://www.grammy.com/awards/grammy/46winners.aspxもしくは http://story.news.yahoo.com/news?tmpl=story&u=/ap/20040209/ap_on_en_mu/grammys_list_4にあります。 詳細はまた後ほど。予想したカテゴリーの受賞者は次のとおり。 The 46th Grammy Winners List Category 1-Record Of The Year 本命  Crazy In Love/Beyonce Featuring Jay-ZWhere Is The Love/The Black Eyed Peas & Justin Timberlake勝者・Clocks/Coldplay対抗 Lose Yourself/EminemHey Ya!/Outkast Category 2-Album Of The Year 対抗 … Continue reading

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46th Grammy Show Still Goes On(速報)

発表が続いています。ルーサーのビデオ出演には感動しました。予想47部門中、39部門が確定し、本命で17、対抗で13、はずれが9。残りが8部門。主要4部門などがこれから発表されます。(2004年2月9日午前11時30分現在=日本時間) 確定後、もう一度アップします。 完全なノミネートリストはhttp://www.grammy.com/awards/grammy/46noms.aspx に。 The 46th Grammy Nominations List Category 1-Record Of The Year 本命  Crazy In Love/Beyonce Featuring Jay-ZWhere Is The Love/The Black Eyed Peas & Justin TimberlakeClocks/Coldplay対抗 Lose Yourself/EminemHey Ya!/Outkast Category 2-Album Of The Year 対抗 Under Construction/Missy ElliottFallen/Evanescence本命 Speakerboxxx/The … Continue reading

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Phillip Woo & Hank Nishiyama Live At Motion Blue

ファンク。 ズーコのソイソウルのライヴでキーボードを弾いていたフィリップ・ウー。ブラック・コンテンポラリー・ミュージックのファンからすると、80年代に大活躍したサンフランシスコ出身のメイズ・フィーチャリング・フランキー・べヴァリーのキーボード奏者としても知られています。彼は現在日本在住、自己のバンドで、ときどきライヴ活動をしているんですね。で、それを見に行ってきました。 きっと、けっこうファンキーなバンドだと思っていました。そして、思ったとおり、やはり、ファンキーでした。ドラムスのロレンゾ・ブレイスフル、ベースのクリフォード・アーチャーとギターの西山’HANK’史翁(にしやま・はんく・ふみお=愛称はんこや)によるバンド。強力です。ドラムスも、ベースも、そして、キーボードも皆、個々でかっこいい。リズム隊、かなり本格的です。このバンドをバックに歌えたら、歌手は嬉しいでしょう。日本在住のバンドでここまできっちりR&Bができるバンドはそうそうないでしょう。 全体的に、ファンキーなジャズ・インストゥルメンタルという感じでしょうか。ハービー・ハンコックの曲「バタフライ」と「スライ」を演奏しましたが、フィリップはかなりハービーが好きだそうです。ローズのエレピ、そして、ハモンドのオルガンといい感じで演奏されます。ギターのカッティングもファンキーで、バンド総体として、ファンクのグルーヴが充分にあります。 そして、4曲演奏曲が終ったところで、やはり日本在住のソウル・シンガー、ブレンダ・ヴォーンが登場。『ウィズ』からの「ホーム」とレイラ・ハザウェイでおなじみの「ワン・デイ・アイル・フライ・アウェイ」歌いました。なかなかこれもいいです。このあたりのヴォーカルとバンドを聴いていると、洋楽アーティストのライヴです。(当たり前ですが) これぞ日本のR&Bシーンなのかな、と思いました。 アンコール2曲目で、再び、ブレンダが登場。「これから歌う曲は私にとって特別な意味を持つ曲です。私は、こうして(自国)アメリカから離れて日本に住んでいますが、家族や友人と離れて生活していると時に辛いこともあります。そんな時、この曲は私にとって大きな意味を持ちます。『あなたは、いつでも私の元にこれる。電車であろうと、陸路であろうと、飛行機でも。』 このメッセージは私の胸に響きます。この曲を私の家族に捧げます」 こう言って歌い始めたのが、同じブレンダでも、ブレンダ・ラッセルの作品でオリータ・アダムスの歌で大ヒットした「ゲット・ヒア」でした。迫力いっぱいでした。 歌物とインストもの。どうしても、歌が入ると、そっちのほうがキャッチーです。インストものでいかに引き付けられる曲を演奏するか、歌とインストのバランスをどうとるか。また、個々のミュージシャンとしては完全ですが、ユニットとしてのひとつのサウンドというか、強烈に人を引き付けられる何かを獲得するのは、今後の課題でしょう。方向性なのかな。ガイダンスなのかもしれません。必要なのは。しかし、基本的には非常にいいバンドです。応援します。 (2004年2月8日・日曜=横浜モーションブルー・フィリップ&ハンク・ライヴ) ENT>MUSIC>LIVE>Woo, Phillip & Hank

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Mikawaya Stands The Test Of Time And Pop & Mama Have Been Standing There For 52 Years

立ちっぱなし。 1時半過ぎ、西麻布。「三河屋」さんの前に8人の人が並んでいた。「おやおや、まいったなあ」 ずいぶん前から夜の営業をとりやめ、ランチだけになってからなかなか行けなくなってしまった揚げ物定食屋さん。小さな間口の入口のところに8人も並んでいると、まさにそこは行列ができる人気店さながらだ。ちょうど近くを通ったのでランチを食べようと久々にここに出向いた。 店の主人がでてきて「営業中」の看板を「支度中」にひっくり返した。「えええっ?」 「あ、おにいさん、までね。ここまでは大丈夫よ」 「ほ~~っ、よかったあ」。無事最後の客になれた。15分ほどして中に入ってしばらく座って待つ。 あとは、お客さん帰っていくのみ。だが、外をみるとまた、二人ほど並んでいる。あれ、どうするんだろう。するとそれに気付いたおかみさんが、丁重に断っていた。「しかし、今日はすごいですねえ。またテレビにでもでたんですか?」 片付け物に忙しくしている主人が答える。「そう、この前ね、V6のなんとか君とかいうのが来て、撮影してったんだよ。すごい人気あるらしいね。テレビでるの39回目だよ」 おおお、しっかり勘定しているところが、すごい。「新聞、雑誌は94回かな」とこともなげに言う。「あと、インターネットっていうの? あれでもよくでてるらしいよ。おじさんは全然わかんないんだけどね(笑)」 そういいながら、なんと「東京レストランガイド」の2000年度の総合1位の盾を見せてくれた。 それにしても、ここほど暖かいFeels Like Homeなゴハン屋さんはない。お母さんも、お父さんも、妙におしゃべり好きで、こっちがちょっと話題をふると、止まらない、止まらない、Ain’t No Stoppin’ Them Now。 「この店になってから14年、その前は肉屋38年だから、52年間立ちっぱなしだよ」と主人が軽く言う。えっ? その御主人を50代くらいに思っていた僕は、年齢を計算して頭上にはてなマークが点灯して思わず尋ねてしまった。「え? おいくつなんですか?」 「今年68だよ」 「お若く見えますねえ。ということは、昭和11年生まれ?」 「そうだよ」 「ということは、…ネズミ年!」 「おお、よくわかるねえ」 おまかせください、干支(えと)のことなら。 なんと言っても、ここのメニューはわかりやすい。メンチ、コロッケ、エビフライなどが味噌汁、ゴハンがついて900円か1000円。一番高い味噌カツ定食でも1200円。内税。そのヴォリュームから行くと、超お得で、コストパフォーマンスは最高の店なのだ。メンチを頼んでも、気のいいお母さんはたいがいコロッケや、余っていたりするとエビフライなんかもおまけでつけてくれたりしちゃう。ゴハン、味噌汁、キャベツ、おかわり自由。でも、まず食べきれません。 いつも朝4時に起きて、仕込をして、11時半から2時すぎくらいまで営業し、片付けなどをしていると6時くらいになってしまう、という。前日は夜の8時に寝たそうだ。「まあねえ、時給にしたら1000円にならないよ。うちはね、ここ、おじさんち(自分の家)だから家賃がいらないんで、できるけどね。いろんなお店の人が見にくるけど、みんな家賃払って、人を雇ったらこの値段じゃできないって」 「だったら、もう少し値上げしてもいいんじゃないですか。まあ、2000円っていうのは困るけど(笑)、1300円くらいでもぜんぜんオッケーだと思いますけど」と僕。お母さんが口をはさむ。「いやあ、それじゃあ、(お客さんが)来なくなっちゃうよ。3日に一度しか来れなくなっちゃうより、毎日来てほしいからさあ」 お父さんが言う。「まあさあ、こんなお店やってるから、おにいさんや、若いお姉さんなんかと話ができて楽しいわけだしさ。お店やってなかったら、誰もこんなおじさんと話してくれないよ。(笑)」 お二人には一人娘さんがいて現在アメリカ在住。平成4年、NHKの番組ロケで一家でドイツに行って田舎町でこの揚げ物などを作り、地元の人々に振舞った。その時の様子が現地の新聞に掲載され、それをプラスチックのファイルにいれたものを見せてくれた。「何書いてるか、さっぱりわからないけどね。ははは」とお母さん。そして、ドイツでの珍道中話をしてくれた。 「毎日かあ…」 しかし、揚げ物、毎日はちょっと厳しいかも。(笑) でも、お父さん、お母さんは52年間、立ちっぱなし。そして、この三河屋さんは時代の試練にずっと立ち尽くし、生き残る。 三河屋東京都港区西麻布1-13-15電話 03-3408-1304 休業・土・日・祝日11:30~14:30(ライスが売り切れ次第終了) コロッケ定食900、ミックス定食900など。 DINING>RESTAURANTS>ESSAY>Mikawaya

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Marvin’s “Stand By Me”

回想。 DJマーヴィンがかかっている歌の紹介をした。「(日本語で) 65年、僕はまだ2歳ですね。マーヴィン・ゲイ! 『ハウ・スウィート・イット・イズ・トゥ・ビー・ラヴド・バイ・ユー(君に愛されるってことは、なんとすばらしいことだろう!)』! 僕はこの曲を聴くと、いつもおかあさんのことを思い出しますね。おかあさん、マーヴィン・ゲイが大好きだった。だから、私(の名前)はマーヴィンです。はははは」 オルガンのインストゥルメンタル曲がかかった。「(英語で)この曲を聴くと60年代初期のことを思い出します。あの頃は、ミシガンのデトロイトに育って、『スタンド・バイ・ミー』のような生活をしていました。そして、こんな音楽を聴いていたんです。彼らは南部出身でしたが、この曲は全米中に広がって大ヒットしました。ブッカーT&MGズの『グリーン・オニオン』!」  マイクのスイッチが切られ、「グリーン・オニオン」のヴォリュームがあがった。「『スタンド・バイ・ミー』みたいな生活ってどんなの?」と僕は訊いた。ヘッドフォンを首にかけているマーヴィンが話し始めた。「毎年子供の頃、夏休みになると近所の友達と電車に乗って、ちょっと遠くに行ってみたりしたんだ。貨物列車みたいのに乗ってね。飛び乗る感じ。別に泊まりで行くわけじゃないけど、ちょっとした小旅行。だいたいいつも、5-6人仲のいい友達がいてね。小学校からハイスクールまで、みんな同じ学校に通うから、みんな仲間みたいなもんだよ。僕はクラス・オブ・80(80年卒)なんだけど、卒業10周年と25周年でリユニオン(同窓会)があるんだ。10周年は行ったよ。半分くらいの人は、街をでたりしていたけれど、半分くらいの人はその街からまったく出てないんだよね。あの頃、一緒に遊んだ連中は、生涯の友達(friends for life)っていう感じだなあ。そういうのはあんまり日本ではないみたいだね」 「夏休みはいつも一月くらいミシシッピのおばあちゃんのところに行ったんだ。母のほうのおばあちゃん。マッコムっていう本当に小さな街。ジャクソン州トュペロの近く。もう、見渡す限りとうもろこし畑。とうもろこし、とうもろこし、とうもろこし…。どこを見てもとうもろこししかないんだよ。(笑) 田舎の人たちは、僕たちが都会から来たっていうと、もの珍しがって、なんでも訊きたがるんだよ。『あれはどうなの』、『これは本当か』とかね。夜は、街にネオンとかないんだ。真っ暗になって、空一面に星が広がる。何にもないからおもしろいんだよ」 僕はアメリカ南部の広大な土地を想像した。自然以外、何もないところ。ひたすらまっすぐで、急な坂が上がったり下がったりするような舗装されていない道。川や森があって、様々な動物が周りにはいるような。「川とかで泳ぐの?」と訊く。「いやあ、泳がない。ワニがいるかもしれないから。(笑) そのかわり、蛙を取ったり、木を切ってブランコを作ったり。ショットガンでハンティングしたり」 「えええっ、10歳くらいで、銃でハンティングするの?」 「みんなするよ。ショットガンっていうのは、弾を撃つと小さい玉があちこちに広がるの。だから、けっこう鳥とか落ちる」 「こんな感じ」といって、白い紙にその家近辺の絵を書いてくれた。おばあちゃんのうちがあって、その奥に森があって、右手と左手に別の家がある。マーヴィンは自分にいとこが何人いるかわからない、という。近所の家に遊びに行くと、みなそれぞれの家でソウルフードをふるまってくれる。 「ハウ・スウィート・イット・イズ」は、しばしマーヴィンに『スタンド・バイ・ミー』時代を回想させたようだ。そんな話をしていると、そろそろ次の曲が終ろうとしていた。マーヴィンがマイクのスイッチをオンにした。 ++++++ 「ソウル・ブレンズ」(インターFM76.1)は毎週日曜日午後1時から5時まで。僕の出番は、午後2時35分くらいからの「ソウル・サーチン」のコーナーと、4時半からの「山野ミュージック・ジャム」です。ご意見、ご希望ありましたら、ぜひどうぞ。 marvin@interfm.co.jp

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Nona Gaye Will Sing National Anthem At NBA All Star, After 21 Years Her Father Sang It

ノーナ・ゲイ、NBAオールスターで国歌斉唱 来る2004年2月12日(木)から16日(月)まで行われるアメリカ・バスケットボールNBAのオールスター・ゲーム・イヴェントで、ノーナ・ゲイが国歌斉唱を行う。ノーナがロスアンジェルスのステイプルズ・センターで歌うのは、土曜日の予定。ノーナ・ゲイは、故マーヴィン・ゲイの娘で、29歳。父マーヴィン・ゲイは1983年の同オールスターで国歌斉唱を行った。 今回の国歌斉唱では、かつてのマーヴィン・ゲイの音も使い、「ゴースト・デュエット」をライヴで見せる、という。この曲の音楽総監督は、ジャム&ルイスでおなじみのジミー・ジャムがてがける。デジタル処理された映像とともに、ノーナが歌う。 オールスターがロスアンジェルスに戻ってくるのは、ちょうど21年ぶり。つまり前回マーヴィンが歌って以来という。83年のオールスター・ゲームでどちらかが勝ったかを覚えている人は少ないが、マーヴィン・ゲイが国歌を歌ったことは、皆よく覚えているはずだ。 アブドゥール・ジャバールはこういう。「(マーヴィンの国歌は)ジミ・ヘンドリックスがウッドストックで歌った国歌を思い出させてくれた。マーヴィンは国歌の雛型を完璧に変えて、人々の目を覚ませたんだ。『オレたちは黒人で、同時にオレたちはアメリカ人だ』というコンセプトを見事に表した。国歌の解釈を変えてもいいということを知ったんだ」 今度国歌を歌うノーナ・ゲイは、ナタリー・コールの父親とのデュエット「アンフォーゲッタブル」と比べてこう語る。「その違いは、ナタリーはレコードで、私はライヴで歌うというところかしら。とても緊張するけど、興奮もするわ。私が父と一緒に歌うなんて信じられない」 父がオールスターで歌ったとき、ノーナはまだ8歳だった。それが彼女が見る最後のステージとなった。彼女は振り返る。「父のどこかに、自分は死にたいと思っていたところがあったようだわ。でも、自殺はしたくなかった。父と祖父は強烈な個性でぶつかっていて、お互い、好きにはなれなかった」 ++++++++++++++++++ 国歌斉唱。 ノーナ・ゲイがNBAオールスターで国歌を歌うという。83年のマーヴィンの斉唱はあまりに印象的だ。マーヴィンのヴァージョンはビデオにもなっているし、また、CD化もされているので、ご存知の方も多いだろう。それから21年後、その娘と父がゴーストデュエットで共演。これは見ものだ。一体どんな風になるのだろうか。 ++++++ Pride and Joy : Marvin Gaye’s memorable national anthem still resonates 21 years after he sang it at L.A.’s NBA All-Star game By David Davis, Special to The Times … Continue reading

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In A Class By Itself: Witnessed God’s Hands: Hank Jones Live At Blue Note

上品。 ピアノ、ベース、ドラムの3人が皆、黒のタキシードに身を包んでステージにあがる。きっちりした正統派ジャズのライヴだ。2日間だけの超ヴェテラン・ジャズ・ピアニスト、ハンク・ジョーンズのブルーノート公演。1918年7月31日生まれの現在85歳。大正7年生まれ。今年の誕生日で86歳を迎える。ベース(ジョージ・ムラーツ)とドラムス(デニス・マクレル)の超強力トリオ。ピアノのプレイなどとてもその年齢とは思えない。まずその年齢とこのプレイに度肝を抜かれた。そして、一言でこのトリオを表すなら、なんとクラース(品格)のあるピアノトリオか、ということ。品があり、洗練され、それでいてしっかりとグルーヴもある。古き良き時代のジャズの魂が見事に今でも生きているという感じだ。 その時代をリアルタイムで経験したわけではないが、ハーレム・ルネッサンス(1920年代から1940年代にかけてニューヨークのハーレムがカルチャー的に大全盛を向かえた期間のこと)時代の、ジャズが若々しく、最高にヒップで生き生きしていた頃にタイムスリップさせてくれるかのようだ。真面目なジャズ職人3人が集まって、オーソドックスにジャズを演奏してくれる。 ブラシのみのドラムソロになると、音がものすごく小さくなり、ブルーノートのエアコンが動く音が聴こえてくるほど。そのドラムソロの間、ベースのジョージは高い椅子に寄りかかり、ゆっくりとハンカチで額の汗をぬぐっていた。そのドラムソロが終わり、観客から拍手がくると、デニスはゆっくり二度三度と首を縦にふり、ありがとうの仕草をした。それがまた粋だ。 ハンク・ジョーンズのピアノのタッチは優しく、穏やかでクール。それはまさに高級なシルクの手触りだ。そして雄大な包容力がある。彼は律儀に各曲を紹介してからプレイする。そうしたキャラクターがピアノの音から伝わってくる。 耳をべースに転じると、その見事なグルーヴ感からベースがまるで息をしているかのようだ。僕は多分彼の生のベースを聴くのは初めてかもしれないが、その音の良さにノックダウンさせられた。すばらしいベース奏者だ。聞けばハンクとは2-30年一緒にやっているという。ドラムスも、10年かそれ以上一緒にやっているという。このトリオのレコードを聴きたい。 ちょうどレコード会社の人がいたので、ちょっとだけ楽屋におじゃますることができた。最初ハンクは別の人たちと談笑していた。ドラムスのデニスがビールを飲んでいたので声をかけた。「ムラーツさんは全部楽譜を見ていたようですが、あなたはまったく見ていませんでしたよね。どうして?」 「ああ、全部覚えてるんだよ(笑)」 「日本に初めて来たのは?」「83年かな、カウント・ベイシーで。確か、彼の最後のツアーだと思う」 確かにカウント・ベイシーは84年4月26日に亡くなっている。 ハンクと握手をした。「お会いできて光栄です。プレイにものすごく感激しました。あなたのピアノにはクラース(品格)がありますね。In a class by itself っていう感じです。これほどのクラースはどのようにして?」 すると少しばかり訛りの強い英語で彼はこう答えた。「ありがとう。さあ、なんでだろう。わからないな。何人かピアノの先生には習ったけどね。カントリーのピアノの先生なんだよ。そのせいかな。長年やってきて、いつのまにか備わったのかな(笑)」 「ところで、いつもタキシードで?」 「タキシードのときもあれば、スーツの時もあるよ。今日はスーツだと暑くてね」 「タキシードは何着お持ちですか?」 「4着かな(笑)、そのうち2着こっちに持ってきた」 「全部黒?」 「いや、ピンクもある(爆笑)」 「元々どちら出身?」 「ミシシッピー州なんだけど、生後8ヶ月くらいでミシガン州ポンティアックに移った。デトロイトから25マイルくらいのところだ。ニューヨークに来たのは1944年くらいかな」 「ということは『ハーレム・ルネッサンス』の時期ですか」 「う~ん、ちょうどそれが終わりそうな頃だな。いろんなクラブに出演したけどね。(名前を言われたが、聞き取れず) 」 「日本に初めて来たのはいつだか覚えてますか」 「1956年、ベニー・グッドマンとだよ。あ、ちがうな、ベニー・バッドマンだな。奴はバッドマンだからな。(爆笑)」  ユーモアもたっぷりあるハンク・ジョーンズ翁。ばりばりに若く、現役だ。超満員、立ち見もでた観客席の中に、プロ、アマ含めて一体何人くらいピアニストがいたのだろうか。そうしたピアノをたしなむ人たちが、今日は神の手を一目見たいとやってきていたようだ。そして、神の手は惜しげもなく存分に披露された。ここにも宝物(jewels)はあった。Jewels are here to stay. (2004年2月4日水曜・ブルーノート東京セカンド=ハンク・ジョーンズ・トリオ・ライヴ) このトリオのライヴは、もう一日(5日)東京で。その後、名古屋ブルーノート(2月6日、7日)に行きます。 ブルーノート東京のページ。 http://www.bluenote.co.jp/art/20040204.html デニス・マクレルのページ。(英語) http://www.dennismackrelmusic.com/home.html ENT>MUSIC>LIVE>Jones, Hank Trio

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Bobby McFerrin Live: The Master Of Voice

魔術師。 土曜日(31日)付け毎日新聞の楽庫のページを見ていたら、なんと翌週(2月3日)ボビー・マクファーリンのライヴがあるという情報がでてるではないか。そうだ、来日が決まった時、「行こう」と思っていたものの、その時手帳が去年のものだったので、2004年のスケジュールを書き入れることができず、すっかり忘れていた。楽庫を見てなければ、見逃すところだった。楽庫に感謝。 前回彼のライヴを見たのは90年、新宿厚生年金ホールだった。ちょうど、「ドント・ウォーリー・ビー・ハッピー」が88年秋に大ヒットしてしばらくだったので、タイミング的にはよかった時期。しかも、出し物がヴォイセストラという声のオーケストラによるものだった。そのあまりのすばらしさに感動し、僕は最初に行った翌日かその次の公演も当日券か何かで見に行った記憶がある。いわゆる「二度見」だ。 というわけで、ボビーのライヴはかなり期待度が高かったのだが、今回はなぜかあまり事前告知もなく、会場の文京シビックホールに来るとあまりお客さんは来ていない。この会場も初めて来た。なかなかいいホール。客席1802。かなり大きい。しかし入口で、オンステージは彼一人、それに若干のゲストがからむ、と聞かされ一体どうなるのだろう、と少し心配になった。「セットリストはありますか」と尋ねると、まったくない、との答え。う~む。 中に入ると客席もまばら。7時11分。客電が落ち、おもむろに舞台左手からジーンズに着古したTシャツ姿でボビーが登場。いきなり、あの高い声と、右手で胸を叩きながらのパフォーマンスが始まった。この瞬間、僕は「セットリストなど、存在しうるわけはない」ということを悟った。今日は彼のソロコンサートなのだ。彼が思いついたところに、メロディーは飛んでいくのだ。すべて即興だ。ひとりでやるのだから、その自由度はとてつもなく高い。 喉を自由自在に使ったその様々な声と、胸を叩くリズムで、完璧にボビーの世界に持っていかれた。ステージには彼たった一人しかいないのに。これぞ究極のレス・イズ・モア。それにしても、彼の口から発せられるスキャット、歌のグルーヴ感の見事なことよ。しかも、ボビーの声色の種類の多さも驚く。一人ヴォイセストラだ。南部の農夫風の歌を聴かせたり、のりのいいベースの音を聴かせ抜群のファンク・グルーヴを醸し出したり。実に引出しが多い。一人で90分どうこなすのだろうかと心配したが、それは杞憂だった。 途中、ヴァイオリンのフミコ、ピアノの松永貴志、そして三味線の上妻宏光がそれぞれゲストで登場。特に圧巻だったのは、松永君の「キャラバン」と「スペイン」。まず「キャラバン」は、松永君のCDにも入っているが、彼のピアノをサポートするボビーのベースが抜群にのりがいい。おそろしいほどのグルーヴ感がでた。松永君のソロで「キャラバン」を聴いたこともあるが、ここでは明らかにボビーによって、松永君のレヴェルが引き上げられている。まさしく「ケミストリー(化学反応)」が進行していた瞬間だった。高いレヴェルのミュージシャンたちのコラボレーションのすばらしさに言葉を失ったほどだ。続く「スペイン」もすごい。 個人的には、三味線とボビーのコンビネーションはそれほどマッチしたとは思えなかった。もちろん実験的にはおもしろいが、どうしても楽器としての三味線とボビーのグルーヴ感のある声は奇跡のハーモニーを生み出すまでにはいたらなかった。一方、ヴァイオリンとボビーの声のマッチングはよかった。 後半、ボビーがステージを降りてきた。一番前の席に座っている黒人にマイクを向けて、一緒に歌い始めた。別にボビーはそこに座っているのが、シンガーであろうとかまるで知る由もない。すると僕の目の前のその黒人は、実にうまくボビーとリズムと歌を奏でたのだ。これにはびっくりした。すぐ隣に進み、結局、一番前の列の数人とやりとりをした。ほとんどの人たちが、ベースを歌ったり、スキャットを歌ったりと、ちゃんとできたのだ。一列目は歌手たちが座っているのかと思った。だが、これはたまたま偶然だった。ボビーはさらに進み3列目に座っている黒人にマイクを向けた。ちょうど僕の席からはボビーの背中の向こうにその彼がいるため顔は見えなかった。これがまた、実にうまいスキャットを聴かせる。ボビーが二人のセッションを終えると、僕は仰天した。な、な、なんとそれは友人のケイリブだったのだ。 観客とのやりとりも抜群にうまい。一時たりとも観客を飽きさせない。最後に歌ったトラディショナル・ソング「ダウン・バイ・ザ・リヴァー・サイド」は、サビ部分を観客にも歌わせる。続くアンコールでは、4人全員がそろい一曲を演奏した。 それにしてもこんなすばらしいエンタテインメントにこの空席はもったいない。ブルーノートあたりに持ってきたら、これまた満員になる出し物になりそうだ。ボビー・マクファーリン、彼は無限の可能性を持つ声の魔術師。 (2004年2月3日・火曜、文京シビックホール=ボビー・マクファーリン・ライヴ) ENT>MUSIC>LIVE>McFerrin, Bobby

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46th Grammy Predictions Part 2

予想。 引き続き予想第二弾。ポップ、ジャズ、ゴスペル、ブルーズなどを広範囲に予想してみます。実際のNARASの会員は主要4部門以外は自分が得意とするジャンルで、最大9部門程度までしか投票できません。よって各部門は、かなり専門知識のある人たちによって投票されることになります。 完全なリストはhttp://www.grammy.com/awards/grammy/46noms.aspx に。 The 46th Grammy Nominations List Field 1 Pop Category 5-Best Female Pop Vocal Performance 対抗 Beautiful/Christina Aguilera Miss Independent/Kelly Clarkson White Flag/Dido本命 I’m With You/Avril Lavigne Fallen/Sarah McLachlan Category 6-Best Male Pop Vocal Performance 本命 Any Road/George Harrison対抗 … Continue reading

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46th Grammy Predictions: Part 1(General Field & R&B Field)

予想。 恒例のグラミー賞予想パート1です。昨年は主要4部門をすべて当てることができましたが、果たして今年はどうなるか。まず、パート1は、主要4部門など。発表は2004年2月8日ロスアンジェルス、ステイプル・センター。日本時間9日朝10時から。生中継はWOWOWで。 完全なノミネートリストはhttp://www.grammy.com/awards/grammy/46noms.aspx に。 The 46th Grammy Nominations List Category 1-Record Of The Year 本命  Crazy In Love/Beyonce Featuring Jay-Z Where Is The Love/The Black Eyed Peas & Justin Timberlake Clocks/Coldplay対抗 Lose Yourself/Eminem Hey Ya!/Outkast Category 2-Album Of The Year 対抗 … Continue reading

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The Soul Of The Piano Man (Woman): Fukamachi Jun Live At Art Cafe

凝縮。 ピアノライヴ3デイズ、3日目は即興演奏のマスター、深町純さんの毎月の定例会。何度もこの日記では書いています。 http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200304/diary20030427.html  http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200306/diary20030629.html  http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200307/diary20030724.html  http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200311/diary20031130.html 先月がスティーヴィーのライヴと重なり見ることが出来ず、今回は2ヶ月ぶりということになります。2ヶ月ぶりだとずいぶん間があいたなあ、という感じ。一月(ひとつき)だと、「お、もう一月経ったのか」っていう感じなんですが。7時頃行ったら、ほとんど席が埋まっていて焦りました。毎回ほんとにいろいろな人がやってきます。しかも、おもしろいのが毎回半分以上が「初めて」やってきた人たちなんです。初めて来た人が3-40人いて、その人たち全員が毎月来るようになったら、アートカフェ、パンクしちゃうんですけどねえ。でも、そうはならないところが、自然の摂理(せつり)なんでしょうか。(笑) さて、仮にサヤをジャズ系(あるいはサンフランシスコ系)、妹尾さんをポップス系(あるいは銀座系)と呼ぶならば(半分ジョークですよ=笑=)、深町ピアノは、オルタナティヴ系という感じです。なんと言っても、すべてが事前の予定なしの即興演奏というところが非常に特殊。今回で37回目を数えるこのライヴで、一体何曲くらい弾かれたのでしょう。一日10曲としても370曲以上の作品が弾かれたわけですが、その中に同じ曲は一曲たりともありません。 今日の場合、1月31日午後8時頃の気分の曲があり、それとはまったく別に9時15分頃の感情の曲があり、それらはその瞬間ですべて変わってきます。 目をつぶって深町ピアノに身を委ねると見えてくるものは何か・・・。例えば、「激」、「美」、「力」、「瞬間」、「恋」、「怒」、「無」・・・などなど。そうした人間生活の中で排出されたり感じたりするものすべてが、グランドピアノから発信されます。 後半、パーカッションのマサさん(massA: masaharu sato)が登場。11月に続いて2度目です。ジャンベイという手持ちもできる中位の太鼓を中心に様々なパーカッションを体中にまとって音をだします。ピアノは88の鍵盤ですが、彼の場合、楽器自体が無限ですね。足元にも鈴をつけて、足を踏み動かすと、文字通り鈴が踏み鳴らされるのです。パーカッションのアイデアが実にユニークです。深町ピアノとのコラボレーションがなかなかおもしろかった。 佐藤正治さんホームページhttp://ok-massa.com/index.html 彼が弾いた後、残った深町さんはおしゃべりをせず(快挙=(笑))、一挙にピアノ演奏をヒートアップ。最後にいつのまにか「春よ、こい」を実にファンキーにプレイしました。ときどきでてくるリチャード・ティー風なフレーズが、ファンキーさを高め、どこかゴスペル調のリズムを刻みます。いつのまにか、観客から手拍子が始まりました。こののりだったら、手拍子もでます。 以前から僕は、ピアノに限らず楽器というものの演奏には必ずそのプレイヤーの人生が如実に反映すると思っていました。それはここ数年特に強く感じるんですね。20代の頃なんかそんなこと夢にも思いませんでした。その人物が何を考え、どのようなものを美しいと感じ、何をもってかっこいいと思うのか。どのような人生を生きてきたか。苦労はあったのか、恵まれた環境で周囲の愛を充分に受けて育ったのか。どの感情がより多く、表にでてくるか。怒りか、愛か、喜びか、憎しみか、嫉妬か、嬉しさか。 音楽を聴く人の中には、その音楽とミュージシャンの関連付けを嫌う人がいることも理解できます。音楽が自分の人生なんか反映してたまるか、というアーティストもいるでしょう。しかしながら、僕は、音楽と言うものは感情がある人間が演奏したり歌うものである以上、そのミュージシャンの生きてきた道と絶対的に関係性があると考えます。これまでにこの日記でも繰り返し、音楽はそのミュージシャンの人間性を如実に反映すると書いてきました。それはそのミュージシャンのバックグラウンドを知らずとも、音を聴けば何かを感じるのです。そしてバックグラウンドを知ったとき、さらに納得できるわけです。 この3日間で、ピアノプレイヤーのプレイにはどれくらいその人の人生が反映するだろうか、ということをひとつのテーマとして見てきたのですが、やはり、相当な部分反映しているだろうなと改めて確信をもちました。ピアノの音色を聴きながら、このプレイヤーはどのようにして今日この地点まで到達することができたのだろうか、などと思いを巡らせていました。ピアノから少なくとも、そのプレイヤーの性格というかキャラクター、個性は充分にでています。 ライヴ後、深町さんに尋ねてみました。「ピアノの演奏は、そのプレイヤーの人生を反映すると思いますか?」 「それはもちろん、するね。特にレヴェルがある一定以上上のミュージシャンになればなるほど、そうだろうね」 なるほど! そうか、そうか。確かに。あるレヴェル以上ならなおさら。さすが。「ということは、深町さんの演奏にも、これまでの深町さんの人生がでてるんですね。怒りとか、美しいものを見て美しいと思うこととか」 「そうだろうね、自然ににじみでてくるんじゃないかな」 この言葉を受けて、今一度深町ピアノを聴いて感じる言葉を反芻(はんすう)してみました。ということは逆説的に言えば、そのミュージシャンの人生なりキャリアを正確に詳細に追っていけば、そのアーティストの音楽を理解する上で、非常に大きな手助けになるということになります。 音楽自体を文字に書き表すことは絶対にできません。しいてできることは、その音楽を比喩(ひゆ)することです。しかしそれも限界があります。しかし、そのミュージシャンのことを詳細に書くことは、取材さえできれば可能です。そしてその人の歩みを知ることによって、その音楽を深く知ることができるのです。 実はこの3日間ピアノ漬けになって、ものすごく刺激を受けました。たくさんのものを受け取った感じがしています。そして、いくつかアイデアが浮かびました。まだ漠然としていて、ここに書けるものではないのですが、これはいつか形にしたいと思っています。3人のピアニストへ、改めて感謝を。ありがとうございます。Thanks for great musicians, thanks for great music and thanks for great moments! 妙なまとめをするのもなんですが、でも、一言こんなことを言っておきたい気分です。 「ピアノは誰の元にも、平等にピアノです。しかし、そのピアノにソウル(魂)を込めるのは、それぞれのピアノ・マン、ピアノ・ウーマンです。そしてそのソウルには、それぞれのピアノ・マン、ピアノ・ウーマンたちのすべてが凝縮されているのです」 (2004年1月31日・土曜=恵比寿アートカフェ=深町純ライヴ) ENT>MUSIC>LIVE>Jun, Fukamachi

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