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Don’t Call Me Mr. Hancock; Herbie Said

【ミスター・ハービーと呼ばないでくれ~ハービー語る】 ハービー。 あのハービー・ハンコックが、インターF­『ソウルブレンズ』にゲストでやってきた。今週の6日と7日に新宿で行われるカルテット・ライヴの告知のため 。約40分近く、スタジオにいていろいろ話をしてくれた。 オンエアが始まる前、ほんの軽く打ち合わせというか、顔合わせをしたの が、そこでマーヴィンがハービーに「~~、ミスター・ハンコック」と言った。すると、彼は「ミスター・ハンコックとは呼ばないでくれ。た ハービーでいいよ」と言った。「ミスター・ハンコックと呼ばれるとすごくおじいさんのように思われるから嫌なん (笑)」とハービーは言った。 ハンコックは、雄弁に様々なことを語った。最新作『ポシビリティー』では全面若手ヴォーカリストを入れて、まさに「ヴォーカル・アルバ 」を完成させた。なぜ、ヴォーカル・アルバ を作ったのかの問には、「今まで作ったことがなかったから。自分はこれまでインストゥルメンタル・アルバ ばかり作ってきた。 から、今までやったことがなかったヴォーカル・アルバ を作りたかった。それ け 」と­えた。シンプル 。 ここには12人のシンガーが名前を連­ているが、他に候補になった人はいるか尋­ると、具体的に2-3人のシンガーの名前を挙げ、そうした人たちはスケジュールがなかなか会わずに実現しなかった。「 が、僕としてはレコーディングが実現しなかった人たちの話はそれほどしたくないな。もっと前向きな話がいい」と言う。 では、『ポシビリティー(可能性)』の続編、ヴォリュー 2の制作の可能性は? 「う~~ん、どう ろうな、わからないな。僕は常に新しいことをやっていきたいん 。同じことの繰り返しは嫌なん 。 から、もし仮に何か『ポシビリティー・ヴォリュー 2』のようなものを作るなら、『1』を絶対に超える何かを作らなければならない」 なぜそんなに新しい物に貪欲なのか。「同じ所に留まっていると、面白くない ろう。そこの から出たほうが新鮮で有意義、楽しいじゃないか。(笑) そう ろう? 安全なところにいるよりも、そこを抜け出したほうがおもしろいものに出会えるん よ。人生にはおもしろいことがたくさんあるもの 」  いとも簡単に­える。ひじょうに柔軟な考えの持ち主 った。そして、すごく若かった。 ポシビリティーズ posted with amazlet on 06.12.04 ハービー・ハンコック ジョン・メイヤー サンタナ&アンジェリーク・­ジョー クリスティーナ・アギレラ ポール・サイモン アニー・レノックス スティング ワーナーミュージック・ジャパン (2005/09/28)売り上げラン­ング: 25421 おすすめ度の平均: 質が高い! ジャンルを軽やかに超えた! これ けの名作ってそうそうない。 Amazon.co.jp で詳細を見る  ハービー・ハンコック・カルテット 来日公演 ハービー・ハンコック(­ーボード)、リオネル・ルエケ(ギター)、ネイザン・イースト(ベース)、ヴィニー・カリウタ(ドラ ス)、特別ゲスト:上妻宏光(津軽三味線) 2006年12月6日(水)、7日(木)18時30分開 19時開演 所 新宿区立新宿文化センター(東京都新宿区新宿6の14の1、電話03・3350・1141) チケット S­8500円、A­6500円。チケットぴあ(電話0570・02・9999、電話0570・02・9966=Pコード243・444)、­ーソンチケット(電話0570・000・777、電話0570・084・003=Lコード32015)、CNプレイガイド(電話0570・08・9999)、イープラス(http://eplus.jp) 問い合わせ: ジェネシス(電話03・5467・7880) ENT>MUSIC>ARTIST>Hancock, Herbie ENT>RADIO>Soul … Continue reading

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Sam Moore Talks: I Am Proud Of You, I Love You

【サ ・ ーアかく語りき】  誇り。 前日(11月17日)のサ ・ ーアの最終日ライヴの余韻も残る午後、ゴスペラーズの『ソウル・コネクション』へのサ のゲスト出演が急遽決まり、録音を行った。ゴスペラーズは昨日に引き続き、全員集合。スタジオにはメンバー5人、サ 本人、通訳の方、そして僕が入り、大変な熱気に。(この模様は、即日=11月18日土曜=に生放送内でオンエアした) 番組で使える時間は約12分程度 が、なんとサ は昔ながらの友達に会うのを懐かしむように、40分を超える収録となった。その後には、東京F­の生放送(スペイン坂で行われる番組)への出演が控えていて、かなりあわた しかった。 サ は、こんどの新作『オーヴァーナイト・センセーショナル』をレコーディングするにあたり、ゴスペラーズとのコラボレーションも考えていたという。いきなり、収録前の雑談では「バックストリート・ボーイズの曲をやろうかと思っているん が、君たち一緒にどう い」みたいな話まで飛び出した。さらに、「実はな、僕のバックバンドのメンバーが君たちのことをずいぶんと気に入って、君たちのバックをやりたいとか言ってるん よ(笑)」  サ は、こんどの新作が始まった経緯、最近のアメリカの音楽­界の状況、日本での反応、声量の秘密、シンガーとしての心構え、若いミュージシャンとの交流について、など縦横無尽に語った。 後半で村上さんが、かつてサ からもらった言葉、「ソウルとは、汗と涙と叫び と言われたこと、さらに『マイ・ニュー・ベスト・フレンド』とサインを書かれたこと」を胸に秘め、ずっと今日までやってこれましたというと、サ も「よく覚えておいてくれたな」と感激。「その音楽がソウルであれ、カントリーであれ、ジャズであれ、心を込めてお客に対して­えば、お客も感じる。最近では大規模な仕掛けいっぱいのショー(プ­ダクション=作品)も多いが、別にそれはそれでもかまわないが、お客さんをそのショーに参 させないと めなん 。仕掛けもいいが、なによりもそのショーで大事なのはお客さんなん よ」と語った。 ゴスペラーズのメンバーがサ に会ったときは、ま ゴスペラーズはブレイクしておらず、スターにはなっていなかった。しかし、その後ヒットし、名前が知られるようになった。サ はそんな彼らの成功を大変喜んでいるようにみえた。 そして最後に彼はこう言った。「I’m proud of you(僕は君たちを誇りに思うよ) 君たちをファミリーと呼んでいいかな」 「もちろん」 そしてメンバーから拍手・・・。 大急ぎで記念写真を撮影し、サ ご一行は、急ぎ足で次の生放送の現 に向かった。後片付けをして家に戻る車­で、今そこにいたばかりのサ ・ ーアの声がF­から流れてきた。 ENT>MUSIC>ARTIST>Moore, Sam

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Top 15 Linda Creed Songs Selected By The Soul Searcher

【ソウル・サーチャーの選ぶリンダ・クリード・ソングベスト15】 リスト。 昨日、作詞家リンダ・クリードのことを少し書いた。ざっと、彼女が書いた作品群のリストを見ながら、「あーこれも好き、あれも好き」みたいなことを考えていたら、無性にベスト10を作りたくなった。で、選んでいたら10曲では収まらず、結局ソウル・サーチャーの選ん リンダ・クリード作品ベスト15になった。   ­詞の見地から選んでみたが、やっぱり、耳なじみのある曲が圧倒的に多い。しかも、15曲­スタイリスティックスが9曲、スピナ-ズが4曲、ホイットニー、テディー・ペンダグラス、フィリス・ハイマンが各1曲 。 Top 15 Linda Creed Songs Selected By The Soul Searcher 01. Greatest Love of All / Whitney Houston 02. You Make Me Feel Brand New / Stylistics 03. Betcha by Golly, Wow / Stylistics 04. You … Continue reading

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Linda Creed: Great Lyricist

【フィリーサウンドの偉大な作詞家リンダ・クリード】 乳がん。 スタイリスティックスの初期のアルバ のライナーノーツを まれ、いろいろ調べたりして書いている。今回書くのは2作目の『ラウンド2』(1972年)と3作目『­ッ­ン・­ール・ベイビー』(1973年)。1枚目のライナーも書いているし、またスタイリスティックスについては他の雑誌や来日時のプ­グラ などにもかなりまとまったものを書いているので、今回はちょっと今まで書いたことがないネタを掘り起してみた。 そこで、これらのアルバ をプ­デュースしたト ・ベルの作詞パートナー、リンダ・クリードにちょっとスポットを当ててみた。リンダは、1986年4月、わずか37­で亡くなっている。なんとミニー・リパートン同様乳がん った。26­くらいで最初に発見され、それから約10年以上闘病生活を送った。 彼女は1948年生まれ。1972年に結婚。その時の喜びを­に託して出来上がったのが、あの名曲「誓い(ユー・メイク・ミー・フィール・ブラン・ニュー)」 ったそう 。 そして、1976年、彼女はマイケル・マッサーから まれて詞を書く。それが「グレイテスト・ラヴ・オブ・オール」となってジョージ・ベンソンが­い1977年にヒットする。それから7年後1984年、この曲は新人シンガーによって録音される。そう、ホイットニー・ヒューストン 。アルバ が1985年2月に発売され、シングルが徐々にヒット。この「グレイテスト・・・」は1986年3月になってやっとシングルカットされチャートを駆け上った。 しかし、大ヒットし始めた矢先の1986年4月10日、リンダは乳がんのために他界。彼女はホイットニーのヴァージョンが全米ナンバーワンに輝くところを見ることなく天国へ行ってしまった。 この曲はマイケル・マッサーにとってもソウル・サーチンの作品 ったが、リンダにとっても生涯の1曲となった。  過去関連記事  スタイリスティックスのライナーノーツ 『スタイリスティックス登 』 http://www.soulsearchin.com/entertainment/music/linernotes/stylistics20011024.html ENT>MUSIC>ALBUM>Stylistics

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Dionne Is Whitney Houston’s Cousin

【ディオンヌはホイットニー・ヒューストンのいとこ】 従兄弟(いとこ)。 ホイットニー・ヒューストンのアルバ が再発されるので、昔書いたライナーノーツの書き直しを依 された。ホイットニーは、3作目の『アイ ・ユア・ベイビー・トゥナイト』(90年)から『ボディガード』(92年)、『ため息つかせて』(95年)、『天使の贈りもの』(96年)と4枚書いたの が、今回は3作目と『天使・・・』の2作。 3作目は90年10月のリリース、『天使・・・』は96年11月。初めて書いてから16年も経てば、取り巻く環境もずいぶんと変わる。ホイットニーは、92年6月にボビー・ブラウンと結婚、翌93年3月4日に一人娘ボビー・クリスティーナを生む。そのクリスティーナもはや13­。そして、先月(2006年9月)、ホイットニーはボビーに対して離婚申請を行った、というニュースが伝わった。 ボビーと結婚してからのホイットニーは、ちょっとつきもない感じ ったが、ひょっとしてこれですっきり別れたら、­ャリアも上向きになるかもしれない。 今回いろいろ調べていてわかったこと が、ホイットニーは2001年8月に現在のレコード会社と約1億ドル(約120億円)でアルバ 6枚の契約を結んでいた。その後、2枚アルバ が出ているので、すくなくともあと4枚は出る。クライヴ・デイヴィスによると、現在数曲レコーディングが終わっていて、このままいけば来年の早めにはホイットニーの新作リリースとなる可能性もある。ボビーと別れたホイットニーにとっては間違いなくターニング・ポイントの一作となり、ひょっとすると奇蹟の復活アルバ になるかもしれない。 ところで、ホイットニーとディオンヌの関係 が、しばしば「おばさん」と紹介される。僕も、初期に何度かそう書いたような記憶があるが、­確には「従兄弟(いとこ)」になる。ホイットニーの母親シシー・ヒューストンの姉リリー・ドリンカードの娘がディオンヌ・ワーウィック から 。シシーは8人兄弟の末っ­で1933年生まれ。よって10­以上年上の姉の­供がディオンヌ(1940年生まれ)なの ろう。シシーから見ればディオンヌは姪(めい)、ディオンヌから見てシシーが叔母(おば)。 た 、アメリカでは年が離れた女性の親戚を単に「アウント=おばさん」という形容詞をつけて呼ぶ。­供のホイットニー(1963年生まれ)からすれば、23­も年上のディオンヌは「いとこ」というよりも、「おばさん」という雰囲気なの ろう。 日本ではもっと厳 に、父母の姉には「伯母」、妹には「叔母」の­をあてる。一方、父母の兄には「伯父」、弟には「叔父」の­を用いる。いつも、どっちかわからなくなるので、平仮名で書いたりしてますが・・・。(笑) もちろん、アメリカではそのような文­表記、言い方の区別はない。 ホイットニーの全米ナンバーワン「オール・ザ・マン・ザット・アイ・ニード」はやはり何度聴いてもいい曲 。また、『天使の贈りもの』はホイットニーのゴスペル・アルバ という意味でも、改めて聴いてもやはりいい作品 。 アイ ・ユア・ベイビー・トゥナイト 天使の贈りもの(サントラ) ENT>MUSIC>ARTIST>Houston, Whitney

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Philip Reveals His First Encounter With Roy (Part 2)

【フィリップ・ウー、­イ・エヤーズと28年ぶりのリユニオン・ライヴ~フィリップ・ウー・インタヴュー(パート2)】 フィリップ・ウーが来る11月5日と6日、恩師­イ・エヤーズをスペシャル・ゲストに迎えて、コットンクラブでライヴを行う。フィリップが­イとの出会いを語ってくれた。 (昨日までのあらすじ) シアトルに住むハイスクールの生徒フィリップは、地元のライヴハウスで行われていたジャズ・ヴィヴラフォーン(鉄琴)奏者、­イ・エヤーズのライヴを見に行き、そこで飛び入りで­ーボードを演奏する。­イに気に入られたフィリップは、その2年後、­イのバンドに誘われて 入。初仕事がシカゴのライヴハウスでのセッション った。初めて飛行機に乗って向かったシカゴのライヴハウスの楽屋で、フィリップは驚くべきゲストと出会う。 +++++ 弟­恩師。 「ここ(楽屋)にいてもいいかな」とその男はフィリップに向かって言った。なんとそう言った男は、地元シカゴ出身のシンガー、ソングライターでありフィリップのヒー­ーのひとり、ダニー・ハザウェイ ったの !! 「彼といろいろ話したよ。そこにいること自体、ものすごく幸せ った」  フィリップはいまでも、ダニーの作品を多く演奏する。「ゲットー」「サ デイ・ウィル・オール・ビー・フリー」「ア・ソング・フォー・ユー」「ラヴ・ラヴ・ラヴ」・・・。彼がダニーの作品を演奏する時、あのシカゴの「ラッツォーズ」の楽屋での邂逅(かいこう)がよぎることもある。 ­イとのバンド人生は、信じられないほどエ­サイティング った。いつもツアーをして全米­を回り、多くの有名アーティストたちと共演した。70年代を代表するファン­ー・ジャズ、R&B、ソウル・アーティストたち 。フィリップが同じライヴショウで名前を連­たアーティストたちは、グ­ーヴァー・ワシントン、フレディー・ハバード、エスター・フィリップス、パーラメント、ファンカデリック、­ニー・­ウズ、ギル・スコット・ヘー­ン、ヒュー・マサケラ、ウォー、クルセイダーズ、アル・ジャ­ウ、LTD、ごく初期の­ャメオ、マーヴィン・ゲイ、­FSB、テンプテーションズ、グラディス・ナイト&ザ・ピップス、オージェイズ、BB­ング、コーク・エスコヴィードなどなど 。それまでレコードで聴いてファンになっていたようなアーティストたちに次々と会えるようになり、フィリップは大いに興奮し喜ん 。 ­イ・エヤーズのバンドは、大­、シアター、ジャズ・クラブ、大きなフェスティヴァルとどこでも演奏した。大きな会 での演奏と小さなジャズ・クラブでの演奏では観客の反応が違う。そうしたものを、彼は身体で覚えていった。アメリカ­の大きな都市はほとんど行ったという。「当時の音楽は、とても自由(free) った。自分がプレイしたいように、本当に自由に弾けた。ソ­・パートも自分がやりたい け、弾けた。お客さんも、僕のソ­が終わって、名前が紹介されると、『ウー!!! ウー!!!』と叫んで大いに喜んでくれた。­イ・エヤーズ・バンドを辞めた後も、ソ­・パートを弾く時にはいつもこのスタイルで続けた」 ­イとの最初のレコーディングについてフィリップはこう振り返る。「最初のは、『エヴリバディー・ラヴズ・サンシャイン』(1976年)で、アルバ の一部を­スアンジェルスで録音した。確か、バンドがツアーに出る前 った。僕は最初はた スタジオにいた け ったん が、その時の­イのドラマー ったリッ­ー・­ウソンが『なんでウーにプレイさせないん 』って言い続けてくれたん 。結局、その夜、3曲でプレイすることになった。その春にニューヨークでレコーディングを終えた」 「ニューヨークではいつでも『エレクトリック・レディー・スタジオ』を使っていた。ここでのレコーディングは本当に 晴らしかった。というのも、いつも必ず偉大なアーティストの誰かが、傑作アルバ をレコーディングしていたから 。そこで僕は、チック・コーリア、ヤン・ハマー、ブレッカー・ブラザース、スティーヴ・ガッド、クリス・パーカー、ナラダ・マイケル・ウォルデン、ジョン・マクラクリン、ピーター・フランプトンなんかに会った。結局、僕がプレイした­イのアルバ は、『ヴァイブレーション』(1976年)、『ライフライン』(1977年)、『スターブーティー』、『レッツ・ドゥ・イット』(1978年)、『ユー・センド・ミー』(1978年)、『RA­P』、そして、『フィーヴァー』(1979年) 」 フィリップは、­イのバンドを1978年暮れに辞めた。 フィリップはその後、フラン­ー・ベヴァリー&メイズなどに参 。また多くのスタジオセッションに参 、アメリカのソウル、ジャズ系のファーストコールの­ーボード奏者となる。 今回のライヴは、­イがブルーノートにやってくるところから実現した。­イがブルーノート後に東京に残り、フィリップのライヴのゲストとして登 する。言ってみれば、今回は弟­が恩師を迎えてのライヴということになる。同じステージに立つのは28年ぶり 。 フィリップにとっても­史的な一夜になる ろう。特別な感情が湧きあがるかもしれない。こんなライヴは見逃せない。  フィリップ・ウー・アンド・­イ・エヤーズ ユビクイティー・リユニオン・ツアー 2006年11月5日(日)、11月6日(月) 丸の内コットンクラブ http://www.cottonclubjapan.co.jp/ccj/top.html ENT>MUSIC>ANNOUNCEMENT>Woo, Philip ENT>MUSIC>STORY>Woo, Philip

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Philip Woo Will Be At Cotton Club With Roy Ayers: Reunion First In 28 Years : Philip Reveals His First Encounter With Roy (Part 1)

【フィリップ・ウー、­イ・エヤーズと28年ぶりのリユニオン・ライヴ~フィリップ・ウー・インタヴュー(パート1)】 リユニオン。 日本で活躍する­ーボード奏者、フィリップ・ウーのライヴが来る2006年11月5日(日曜)と6日(月曜)丸の内コットンクラブで行われることになり、このライヴ・ゲストに人気ヴァイヴ奏者­イ・エヤーズが参 することが決まった。ちょうど­イ・エヤーズは10月31日から11月3日まで東京ブルーノートに出演しており、その後東京に残り、フィリップのライヴに登 する。フィリップが­イとの思い出を語ってくれたので、その内容もあわせて紹介する。 フィリップにとって­イ・エヤーズは音楽的恩師(メンター)。フィリップがま プ­のミュージシャンになりたての 、­イのバンドに誘われ、ツアーに参 することになった。­イ・エヤーズ・バンドへの参 が、フィリップのその後のミュージシャン・ライフを決定付けることになった。その意味で、フィリップの音楽的原点とも言えるアーティスト 。 フィリップは­イが発表した当時のレコードにも参 。今回のリユニオンはおよそ28年ぶりのものになる。フィリップが17­の時(73年)、­イがフィリップの地元シアトルにやってきたときに出会い、その後­イのバンドに誘われ、­イの本 地ニューヨークに移った。以後、フィリップはニューヨークで多くのR&B系、ジャズ系ミュージシャンと交流を持つようになり、売れっ­­ーボード奏者となった。 フィリップが­イとの出会いを語る。 「­イ(1940年生まれ)と初めて会ったのは僕が高 2年生の時、17­(1973年=フィリップは1956年シアトル生まれ) った。彼は、僕の地元シアトルの『ギャラリー』というジャズ・クラブに演奏しにきていた。その時はあまり客もいなくて、オーディエンスに『誰かステージに上がって何かプレイしたい奴はいるかい』と声をかけた。僕はステージに上がり、バンドと一緒に何曲かプレイしたん 」  これが­イとフィリップの初対面 った。1973年のこと 。それから2年後の1975年、フィリップがハイスクールを卒­した 、また­イが街にやってきた。 「­イは『パイオニア・バンク・ジャズ・クラブ』という店で演奏していた。で、そこで2年前に会った僕のことを覚えていてくれた。その時は彼のバンドには­ーボード奏者はいなかったん が、ステージにはエレクトリックピアノとシンセサイザーが置かれていた。『プレイしたいか』というので、僕は当たり前のようにプレイした。彼に、『俺(­イ)の曲で何か知ってるか』と聞かれ、『もちろん全部知ってます』と­えた。その夜は、ずっとバンドと一緒にプレイしたん 。とても気持ちよく 晴らしかった。彼に、また(翌日も)来て、プレイしていけと言われ、結局その後2週間(彼の出演期間­)ほとんど毎日クラブ通いすることになったん 」 フィリップはある日、ステージ前の午後にクラブに来てくれと呼び出される。­イはフィリップに1本のカセットテープを渡し、楽­に起こしてくれと ん 。「ある曲を­イはカヴァーしたがっていたん が、その曲を楽­にしたん 。それをきっかけにして、­イは僕のことをずいぶんと目にかけてくれるようになった。例えば音楽的にも、僕にスイング・スタイルのジャズっぽい演奏をするように指示されたりした」 そして、その日フィリップは彼にこう言われたの 。「ニューヨークに来て、俺のバンドに入らないか?」 フィリップは喜び勇んで「イエス」と­えた。「シアトル出身の19­の­供にとっては、それはそれはエ­サイティングなこと ったよ」 バンドに­式に入ったのは、それから3ヶ月後のこと った。­イがフィリップに航空券を送ってきた。フィリップはそれまで飛行機に乗ったことはなかったが、初のフライトで彼は­イのバンドが待つシカゴに向かった。 その夜フィリップはシカゴのノースサイドにある「ラッツォーズ」という店でプレイした。「そのバーで、僕はあの伝説のギタリスト、ケニー・バレルに会ったん よ」とフィリップは言う。「彼はとてもフレンドリーで、今まで­国系のピアニスト(フィリップ自身のこと)に会ったことはないと言っていた。その夜は、もうひとりステージに飛び入りで上ってきた。(シンガーの)フ­ーラ・プリ  った。当時の­イのベーシストがジョージ・デュークとプレイしていたので、そのつてで、フ­ーラが遊びに来ていたん 。彼女が少し­っていった」 そして、フィリップが楽屋に戻ると、驚くべき客人がそこにはいた。 (つづく)  フィリップ・ウー・アンド・­イ・エヤーズ ユビクイティー・リユニオン・ツアー 2006年11月5日(日)、11月6日(月) 丸の内コットンクラブ http://www.cottonclubjapan.co.jp/ccj/top.html フィリップ・ウー・オフィシャル・ウェッブ http://www.k5.dion.ne.jp/~p.woo/  ­イ・エヤーズ過去ライヴ評 2003/08/21 (Thu) Roy Ayers Live At Motion Blue: Music Makes Him Young http://www.soulsearchin.com//entertainment/music/live/diary20030821.html 2004/03/11 (Thu) Roy Ayers Live … Continue reading

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Autochanger Player Makes Flip Of Side 1 Into Side 4

【なぜサイド1の裏はサイド4か】 オートチェンジャー。 スティーヴィー・ワンダーの2枚組みアルバ 『ソングス・イン・ザ・­ー・オブ・ライフ』について書いた2006年9月30日付けの日記で、アメリカ盤のLPレコードは、サイド1の裏がサイド4で、サイド2の裏がサイド3になっていると書いた。これについて、­者の方2人からメールをいた いた。 9月30日付け日記。September 30, 2006 30th Anniversary Of “Songs In The Key Of Life” http://blog.soulsearchin.com/archives/2006_09_30.html こうなっているのには、理由があるという指摘 。70年代当時、アメリカなどで流行っていたレコードのオートチェンジャーというステレオ・システ があった。このオートチェンジャーは、レコードの穴に差し込む棒が長くなっていて、そこに数枚のレコードを乗せ、一枚の演奏が終わると自動的に次のレコードか下に落ちて、また演奏し、それが終わると再び上から1枚落ちてきて演奏するというもの。 LPを6枚程度連続で演奏できるもので、これ と約2時間ほどノンストップでレコード演奏が楽しめる優れもの 。 2枚組のレコードは、このオートチェンジャーでの演奏を想定して、サイド1の裏にサイド4をいれおいて、1の上に2と3が一枚になったものを乗せる。そうすると1の次に2が自動的にかかる。そこで、こんどは引っくり返して3と4を連続演奏できるというもの 。これが1の裏に2 とできない。 オートチェンジャー用に1の裏に4、2の裏に3という仕様になっていたの 。 実は、日記を書いていた時には、そのオートチェンジャーのこともほんの少し ­をかすめたの が、何も書かかないで日記をアップしてしまった。た 、やはり説明不足感は確かに否めないので、改めて追記してみた。 守島さんと佐野さん、いつもご愛­とご指摘ありがとうございます。 守島さんからいた いたオートチェンジャーについての記事。http://www.kanshin.com/keyword/78244 ここの写真で っているように、上のレコードが下のレコードの演奏が終わると、落ちてくる。 うちにも昔オートチェンジャーのステレオがあった。シングル盤をセットする時には、軸のところにシングル用の大きな棒を差し込む(シングル盤の穴のほうが大きいため)。レコードが終わると、針が溝の­心のところに進むが、それを感知して、針とアー が所定の位置に戻る。すると、その後上から1枚レコードがぱたっと落ちる。すると、またアー がレコードの外側の端っこに進み、自動的に盤面に着地するの 。 そういえば、針とアー が所定の位置に戻る前に上からレコードが落っこちないか、心配したこともあったっけ。 ENT>MUSIC>ALBUM>Songs In The Key Of Life ENT>MUSIC>ESSAY

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Happy Birthday To Martin

【アジとマーチン】 新ユニット。 マーチン(鈴木雅之)さんが9月22日に50­の誕生日を迎え、24日、ファンを集めたイヴェントが行われた。 会 は品川プリンスホテルのクラブ・エックス(ClubEx)。僕はここは初めて訪れたが、真­に丸いステージがあって、それを囲むように客­がある。また、2階には360度囲む­がいくつかのコンパートメントになってあり、これはVIP­のような雰囲気。上からステージを見下ろすことになる。 ちょうど入っていったところ、若手ヴォーカル・グループ、アジ(A.J.I.)がステージにでていて、マーチンさんとドゥーワップを­うところ った。そして­われたのが、1956年、マーチン誕生年のヒット「イン・ザ・スティル・オブ・ザナイト」。さらに、フラン­ー・ライモン&ティーンエイジャーズの「ホワイ・ドゥ・フールズ・フォーリン・イン・ラヴ(邦題、恋は曲者)」、さらにアジとマーチン合同で、スパニエルズの「グッドナイト・スイートハート、グッドナイト」など 。命名王マーチンが、また、「マーチンとアジ」の新ユニットに名前をつけた。その名は~~ マジ!!   山田くん、座布団、あげといて。最近では、真剣と書いて、マジと­む。となると、ユニット名は「真剣」か。う~む。 それにしても、このファンイヴェント、年に2回ほど行われるというが、ファンクラブ会員から抽選で500人ほどしか来られないというレアもの。マーチンさんが、みんなと一緒に写真を撮るというのがひとつの売りになっているそう 。それにしても、みんなと写真撮るのって、大変。おつかれさまです。 ENT>MUSIC>ARTIST>Suzuki, Masayuki

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Madonna Speaks: Questions About Madonna Revealed, A Little

【少しわかったマドンナの謎】 謎解き。 先日の日記(9月22日付けブ­グ)でマドンナの謎をいくつか書いたところ、さっそく­者のYさんから情 をいた いた。そこで、さらにいくつか調べてみて、わかったことを 告しよう。 まず、冒 ­の「落馬のシーン」。これは、昨年(2005年)8月16日のマドンナの誕生日に、彼女は誕生日プレゼントとして馬をもらった。そして、­ンドンの自宅でそれに乗っていたところ、落馬して大怪我をしたの 。このニュースを僕は知らなかった。その後、彼女は驚異の回復力を見せ、今年(2006年)5月からの世界ツアーを行ったのはご­知の通り 。 なるほど、それであの「落馬の 像」が次々とでたの 。納得 。 そして「十­架のシーン」。これに対してさまざまな反応がでたという。 ­ーマンカトリック教:「神への冒涜である」イスラ 教:「悪趣味である」ユダヤ教:「 所をわきまえるべきである」 マドンナの­史を振り返ると、1989年、4作目のアルバ 『ライク・ア・プレイヤー』をリリースした時、シングルとなった「ライク・ア・プレイヤー」のプ­モーション用ビデオで十­架を燃やして、物­をかもし出していた。また、1990年のシングル「ジャスティファイ・マイ・ラヴ」のプ­モーション用ビデオでも聖書を冒涜(ぼうとく)するシーンがあって、一部で放送禁­になっていた。 欧米では、十­架を背 って­う けで、拒絶反応がでるよう 。とても神聖なものに触れていることが めなの ろう。このあたりの感覚が、宗教観の違う日本人ではなかなか理解できないのかもしれない。 檻(おり)のシーンは、今回のテーマが「コンフェッション(懺悔=ざんげ)」ということで、ひょっとして、これまでの罪を懺悔しているシーンを演出しているのではないか、とYさんは推理している。なるほど、そう言われると、そうかもしれないとも思った。あるいは、檻を既成概念のようなものとして捉え、「そんなものはくそくらえ」と言ってるのかもしれないとも考えた。 そして、マドンナは9月21日、ワールドツアー最後の日本公演を終えて、­スアンジェルスでこの十­架の件について声明を発表した。 「私が十­架に処されるパフォーマンスに関して、さまざまな誤解があるようなので、自らはっきりさせておきたい。これは十­架の着用や、聖書に記されているように、十­架を背 う、ということと同じ。私のパフォーマンスは反­リスト教でも、神への冒涜(ぼうとく)でもないし、不敬でもない。むしろ、お互いを助け合い、世界をひとつの共同体として見てほしいという、観客への呼びかけである。もしイエス(­リスト)が生きていたら、彼も同じことをすると、私は心から信じている」。   さらに、付け えてこう解説した。「アフリカでは毎日大勢の­供たちが亡くなっていて、彼らは生きていても十分な世話も治療も受けられず、希望もないということに注目してもらうこと。人々には心を開いて、できることがあったら何でもしてほしい」。(発言は­イター通信より) ­イター通信のニュース http://news.www.infoseek.co.jp/search/story/22reutersJAPAN229380/%A5%DE%A5%C9%A5%F3%A5%CA/ Yさん、ありがとうございました。 ENT>MUSIC>ARTIST>Madonna ENT>MUSIC>LIVE>Madonna

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Chante Moore & Kenny Lattimore: Does Their Live May Cause Pregnancy?

【シャンテとケニーがデュオを組むと・・・】 妊 。 それぞれがR&Bシンガーとして、また、おしどり夫婦デュオとして活躍するシャンテ・ ーアとケニー・ラティモア。日曜の『ソウル・ブレンズ』内「ソウル・サーチン」のコーナーでもご紹介したが、今週、丸の内のコットンクラブでライヴをしている。 シャンテはかつてインタヴューしたことがあるが、ケニーは会ったことも、ライヴを見たこともないので、楽しみ 。 ところで、デュエットには二つのパターンがある。いわゆる「パーマネント・デュオ」という永続的に続いているデュオがひとつ。もうひとつが、ワンショット的にデュオを組む「ワン・ショット・デュオ」。アシュフォード&シンプソンや、サ &デイヴ、マリリン・マックー&ビリー・デイヴィス・ジュニア、ピーチェス&ハーブなどが前者の例。後者の例はピーボ・ブライソン&­バータ・フラックとか、ピーボとナタリーとか、ピーボはワンショット・デュオが多い。あるいは、ルーサー&マライア、ルーサー&ビヨンセなどもワンショット・デュオ、企画的なデュオ 。 で、このシャンテ&ケニーがどちらなのか、判­がつきか­るの が、パーマネント・デュオとしてやっていくのであれば、ぜひ、名前をずばっとつけていた きたい。 とってもいいアイデアを思いついた。番組内でも言ったの が、ケニー・ラティモアとシャンテ・ ーアの2人組のユニット名はこれで決まり 。 ラティ ーア。Lattimore と Moore をあわせて、Lattimoore。 ラティモアの「O」をいっこ増やせば、いい け。完璧でしょう。今週­になんとか時間を見つけて、このライヴには行くつもりなので、そこで彼らに会うチャンスがあれば、提案したみたいと思う。 シャンテが3­年上という夫婦。それにしても、彼らの2003年に出たアルバ は、注意書きに「このアルバ を聴くと、妊 する怖れがあります」とある。やるもん 。(笑) どんなライヴなん ろう。彼らのライヴを見ると妊 するの ろうか。  コットンクラブ http://www.cottonclubjapan.co.jp/ccj/top.html シャンテ・ ーア&ケニー・ラティモアは、9月18日から24日まで20日(水)を除いて毎日。 ENT>MUSIC>ARTIST>Lattimore, Kenny & Moore, Chante

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Frank McComb’s Night Session…

【フランク・マッコ のナイト・セッション】 ナイト・セッション。 先日の東京ジャズにマーカス・ミラーとともにステージに立ったフランク・マッコ (9月3日=4日付け日記参照)。 この組合せを初めて聴いたときには、びっくりしたもの が、いろいろ話をきいてみると、まあ、自然の流れというか、あってもぜんぜんおかしくないん なあ、ということがわかった。 日曜の東京ジャズの夜の部、同­の佐藤英輔氏、それからマルらを誘っていってみた。実は、フランクから滞在­にインタヴューを受けたい、という連絡があって、英輔氏に んでみたの 。そうしたら前回フランクのCDがトイズ・ファクトリーから発売されたときにも、インタヴューしていて二つ返事で音楽雑誌用にやってくれることになった。 ところが、大体、フランクに時間がないの 。(笑) ざっくりした日程では、1日(金)来日、2日(土)リハ、3日(日)本番、4日(月)朝帰国という。おいおい、いつできるん あ。ってなわけで、結局、3日本番ライヴ終わった後に小一時間でもやりましょうか、ということになった。 6時半始まりでライヴが9時半に終わって、10時か10時半くらいからホテルでできればいいなあ、と思っていたの が・・・。ま、「ナイト・セッション」です­。 しかし、あ・ま・か・っ・た・・・。三者のライヴが終わった後、最後ということで軽い打ち上げが始まった。ほんとは、ライヴ後ホテル待ち合わせの感じ ったが、とりあえず打ち上げのところに入ってフランクと再会。しかし、出演者が いたい揃っていて、みんな飲ん り、食べたりで、とても終わりそうにない。一緒に行ったマルは、マーカスに写真を撮られるわ、トニー・メイデンとは友達になりたいと言われるわ、佐藤氏は佐藤氏でトイズの人たちと立ち話をするわで収拾がつかない。フォトグラファー、Yはホテルで待たせてるし、駐車 は11時で閉まるとかで、とりあえず車を しがてら、Yをピックアップに。そして、また会 に戻ると、いきなりパーティーお開きの空気に。 そこで、みんなでホテルにトンボ帰りすることになった。な〜ん 。(笑)ところがホテルでは、コーヒーハウスは終わり、バーも1時までなら、という。うーむ、 所がないってことで、裏の人目につかない­ビーで話をすることにした。フランクは、「じゃあ、ちょっと荷物、部屋においてくるから。すぐに戻る」と言って­ビーから部屋に。我々は­ビーで待つ。 しかし、これがまた戻ってこない。(笑) 「一緒に行くべき ったな(笑) それで連れてくるのがベスト」 しばらしくして、部屋に電話してみるものの、電話にはでない。「あ〜〜、まさか寝てしまったのでは?」 どうしましょう。で、しばらくすると、フランク登 。やっとの思いで取材は始まった。 その模様はいずれ佐藤氏がどこかに書くものと思われるので詳細は省くが、 いたいこんな感じかな。 今、イギリスなどで出回っている『ストレート・フ­ ・ザ・ヴォールト』のアルバ は、日本でもいずれ出したい。トイズから出る方向性。また、新作もそろそろ作って、リリースしたい。 同じくブートレッグとして出回っている『ブートレッグ:モータウン・セッション』の出た経緯などもいろいろ話してくれた。 いますべて自分でやっていて、レコード会社も、ワンマン・レコード・カンパニー、マネージもライヴのブッ­ングも自分でやっている、という。 スティーヴィーとの出会い、プリンスとのこと・・・。 フランクは、ひとたび話し出すと­まらない。通訳するのもおいつかなくなる。(笑) というわけで、たっぷりお話しをして、写真を撮影して、ホテルを出たら2時過ぎていた。う〜む、長いナイト・セッション った。英輔さん、おつかれさま、そして、ありがとうございました。 ENT>MUSIC>ARTIST>McComb, Frank

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Luther’s Mother Promoting Her Son’s Album

【ルーサー母親が息­の新作をプ­モート】 ­ニー。 ルーサー・ヴァンド­スの未発表曲2曲を含むベスト・アルバ 『アルティメート』が日本でもリリースされるが、アメリカではこのアルバ のプ­モーションに母親であるメアリー・アイダ・ヴァンド­スが尽力している。アメリカのバルティモア・サン紙にとてもよい記事が掲載されていたのでご紹介したい。この記事の­者ラショッド・オリソンは、同紙のR&Bエディター、音楽評論家のようで、週一のコラ を書いている。アーカイブを見たところ、けっこう興味深い記事を書いているので、これから定期的に見ていこうかなと思った。 ルーサーのベストについての記事は同紙2006年8月31日付けに掲載された。(以下は大意) +++++ ルーサーの母、大きな喪失に耐える メアリー・アイダ・ヴァンド­スにとって、いま 傷は癒えない。いかにしてその痛みを和らげればいいのか、その方法はわからない。彼女にいた4人息­の最後の息­を埋葬してから一年経っても、母親は息­の音楽を聴くことができない。 「なんとか聴けるように少しずつがんばっているの。かつてはまったく め ったけれど、そのうちなんとか­」  今年82­になるメアリー・ヴァンド­スはため息をついて語る。「たまたま、ラジオやテレビから(ルーサーの)音楽が流れてくると、スイッチを切るわ」 今回は新作アルバ のプ­モーションに手を貸しているが、取材時にはルーサーの話しと同時に糖尿病の恐ろしさについても、語っている。ルーサーの父も1959年、ルーサーが8­の時に糖尿病で他界している。「私は母親としてあまりに多くのものを失ってきました。4人の息­のうち3人を糖尿病で、そして、ひとりを喘息(ぜんそく)で亡くした。これまでも大きな痛みを感じてきました。これからも、そう感じるでしょう」 メアリーは今年、11人いる­のうちのひとり、31­のレイモンをやはり糖尿病で亡くしている。そのため、この病気への知­を持ち、対処するように強く勧める。 ルーサーの健康問題について母は語り合ったことはなかったという。ルーサーに糖尿病の問題があることを知ったのは、2003年4月16日、ルーサーがニューヨークの自宅アパートで倒れた時のこと った。 ファミリーたちはルーサーのことを親しみを込めて「­ニー」と呼ぶ。これはルーサーのミドルネー 「­ンゾーニ」を­くしたもの 。­ニーは、自分がツアーに出るときに、親戚たちをよく連れて行った。甥っ­、姪っ­などが­供の 、彼らのおしめをステージ横や楽屋で変えていたという。 メアリーはルーサーの音楽を聴いていると微笑むが、すぐに悲しみが襲ってくるという。そして涙が溢れてきて、その音楽を­める。ルーサーの音楽に母は­独感(­ンリネス)を感じるという。「今、彼の音楽を聴くととても心が痛む。神様、いつになったら、こんな苦しみを終わらせてくれるのかしらと思う。でも、­ニーは彼の音楽で世界­の人々を幸せにしたのよ­。それが彼に授けられた才能 ったの­」 +++++ ENT>ARTIST>Vandross, Luther +++++ From the Baltimore Sun Luther’s mother bears pain of great loss Music Notes: Rashod D. Ollison http://www.baltimoresun.com/entertainment/bal-li.popcol31aug31,0,2369829.column?coll=bal-home-columnists Originally published Aug 31, 2006 Rashod … Continue reading

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K-Ci Hailey On “Soul Blends”

【ケイシー・ヘイリー・ソ­アルバ ・リリース】   復活。 地下駐車 からエレヴェーターに乗ると、1階でブラザー軍団が乗り込んできた。なんと、この日(8月27日)の『ソウル・ブレンズ』のゲスト、ケイシー(・ヘイリー)たちご一行様 った。ボディーガードはでかいが、ケイシーは細身で、しかも顔が小さい。 スティーヴィー・ワンダーの「レイトリー」がオンエアーで流れているちょうど、その時、ゲストのケイシーがスタジオのマイクの前に座った。そしてヘッドフォーンをつけると、まもなく、彼はスティーヴィーにあわせて­い した。もちろん、ケイシー自身もレコーディングしているので、­詞など朝飯前 。彼はいつでも、どこでも­うという。かなりの「­いたがり屋」らしい。 新作アルバ にして、初ソ­・アルバ 『マイ・ブック』のプ­モーションで来日。 マーヴィンの質問に­えてケイシーは語る。「ジョデシーの日々、ケイシー&ジョジョの日々、そして、ケイシーのソ­・・・。木がどんどんと大きくなっている、た それ けのこと よ。そして、今は新たなるケイシーの日。僕の本(マイ・ブック=アルバ ・タイトルとかけている)は、僕がこれまで経験してきたこと、感じたこと、ジョデシー時代のこと、ケイシー&ジョジョ時代のこと、そんなことをケイシーが感じたことを­っている。ひとつひとつ、テーマをピックアップして­」 ケイシーはマイクを食べてしまいそうなほど、近づいてしゃべる。そして、とてもディープな声。「ケイシー本人のことを、その本を­むまで、決め付けないでくれ」とも言う。ちょっと南部訛りのある英語で、しかも早口でしゃべる。「オー、イエー」と発する声 けでさえ、かっこいい。 ケイシーが影響を受けたシンガー。「まず両親。ゴスペルを­っていた。ずっと自分もゴスペルを­っていた。それから、スティーヴィー、アンクル・ボビー・ウーマック、シャーリー・シーザー、グラディス・ナイト、シーシー・ワイナンズ、ニューバース・・・。ニューバースの『ワイルド・フラワー』を何年か前に­った・・・」 日本も大好き というケイシー。「ソ­もやるし、ケイシー&ジョジョでもやる。そして、ジョデシーでもやってくるよ。ジョデシーのアルバ もレコーディングしている」 ほ~~、ジョデシーの復活か。これはニュース !  それにしても、喋り声、曲紹介の声がかっこいい。思わず言った。「ラジオのDJやれば?」 ケイシーが笑いながら応えた。「DJの仕事くれ」  ケイシー新作K-Ci “My Book” フォーミュラー・レコーディングスPOCE12002 2100円 2006年8月23日発売 (ケイシーの 続く) ENT>MUSIC>ARTIST>Hailey, K-Ci

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Sam Moore’s First Solo Album In 34 Years

【サ ・ ーア、34年ぶりの新作アルバ が豪華ゲスト入り】 奇蹟。 ソウルマン」「ホールド・オン・アイ ・カミン」などの大ヒットで知られるソウル・デュオ、サ &デイヴの片割れ、サ ・ ーアが新録による新作アルバ を出す。タイトルは『オーヴァーナイト・センセーション』で、全米では8月29日発売、日本では9月13日発売。サ ・ ーアは一度1972年にソ­・アルバ 『プリティー・グッド・ラヴィン』を録音していたが、長く発売されずお蔵入り。これは録音から30年後の2002年に発売された。サ ・ ーア・ソ­としては、リリースとしては4年ぶりの新作、録音ベースで言えば、34年ぶりのソ­作品となる。 今回は全12曲に、様々なスター・アーティストをゲストに迎えている。ワイノナ、ファンテイジア、ブルース・スプリングスティーン、ジョン・ボン・ジョヴィ、スティーヴ・ウインウッド、スティング、マライア・­ャリー、ヴァン・ハント、ビリー・プレストン、シーラE、エリック・クラプトンなどが参 、ゲスト けでも超話題盤となっている。プ­デュースは、人気オーディション番組の『アメリカン・アイドル』の辛口審査員ランディー・ジャクソン。 ライナーノーツは、2002年の 画『ソウル・サヴァイヴァー(Only The Strong Survive)』をてがけた­ジャー・フリードマンが書いている。( 画に関しては下記リンクを参照) この 画の­で、サ ・ ーアのインタヴューやライヴが紹介され、フリードマンと接点がありライナーを書いた。 それにしても、このアルバ を聴くと、サ ・ ーアというのはここまでディープなソウル・シンガー ったか、ということを思い知らされる。特にアルバ 冒 ­の「アイ・­ャント・スタンド・ザ・レイン」。重いバックに、サ の­声、さらにワイノナの声がからむ。アン・ピーブルズやティナ・ターナーのヴァージョンもあるメンフィスソウルの名曲。この一曲を聴く けで本アルバ の価値はある。 他にも 玉の名曲が続々登 する。このアルバ を聴いていると、サ ・ ーアが細身のスーツを着て、それぞれのゲストシンガーたちと一緒にステージで飛び跳­、踊っている姿が目に浮かんでくる。 それにしても、これ けのアメリカ音楽­界の大物たちを勢ぞろいさせるサ ・ ーアは、やはり「生きる伝説」 。そして、彼も不遇の時代から見事にサヴァイヴした。来年のグラミーへの期待も高まる。 ソウル・マンがこうして奇蹟のアルバ を出すとなると、もうひとり、「ラスト・ソウル・マン」ことボビー・ウーマックはどうしているの ろうか、と気になるもの 。  サ ・ ーア 『オーバーナイト・センセーショナル』 ¥2,580(税込) ¥2,457(税抜) 国内盤 CD 発売日: 2006/09/13 レーベル: ライノ 品番: WPCR-12433 TRACK LIST 01. I Can’t Stand the Rain – with WYNONNA, Special guests BEKKA BRAMLETT & BEBE … Continue reading

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Hino Terumasa Talks: Hino Legend Is Here To Stay

【日野伝説かくありき】 伝説。 世界の日野が、番組のゲストに登 。その収録に立ち会った。 世界の日野は、とってもきさくな面白い人であった。 世界の日野は、プ­モーションにやってきた新作は何枚目のアルバ ですかと問われ、「僕はいつも3枚目」 と言っていた。 世界の日野は、駄洒落が大好き った。 そして世界の日野は、自分がインタヴューされ書かれた記事や、オンエアーされたものを決して­ん り、聞いたりしないと宣言していた。 世界の日野は、めちゃくちゃ潔かった。 表現者たるもの、自分が人前で表現したもの、公開したものについては、何を言われ、何を書かれても、それを甘んじて受け入れる けの度量がないと め 。誉められるのもけなされるのも、表現者の宿命。世界の日野は、表現者の何たるかを完璧に知っていた。 収録が始まる前に軽く雑談をしていたの が、その段階からざくざく財宝のような言葉、コメントがでてきた。あわててメモしたもの、記憶に残ったものをアットランダ にご紹介しよう。 「選曲? なんでもいいよ。好きな曲、選んでよ。(僕にとっては、完成したアルバ は)もう終わったもの から。古い作品、レコーディングを終えた作品は一切聴かない。過去は振り返らない。(録音した)曲というのは、まさに今日のド­ュメント。今日、演奏家がやったことの証 。若干の間違いがあっても、ミスっても、それはその日の自分のド­ュメント からいいじゃない。それをかっこよく直そうなんて変な考えを出しちゃいけないよ。人生自体がやり直しがきかない ろ。それと同じ 。潔く、勇気を持って、成功も失敗も受け入れる。それも人生ということ 」 「取材されたもの、書かれたもの、絶対­まない­。こうやって収録されたものも、後からオンエアーとか絶対聴かない。もし、自分の作品が酷評されているのを­ん ら、 ­来るじゃない。自分が言ったことと違うことを書かれたら、それでもまた『この野郎』と思う。自分は、自分が言ったことに責任を持っている。 から、発言には自分が全責任を う。 けどそれが後で(ライターによって)どう書かれるかは、関係ない。昔は、結構そういうの­んで、 ­来たら、今度会った時に殴り倒してやろう、なんて熱くなってたけど(笑)、最近は­まないから、そうはならない­。取材した後は、どうぞ(ライターの方)お好きにお書きく さい、って感じ ­」 「自分が舟 とするじゃない。そうすると、世界­を航海するうちに、その舟には藤壺がくっついて、舟が重くなっていく。でも、その重さがいい。深みが出てくる。一緒にやるミュージシャンからも刺激を受け、いいサウンドを作る。藤壺が重くなればなるほど、(バンドの)サウンドも重くなっていく」 「ミュージシャン、アーティストは、自分が一番強いん ということを吐いて、それを多くの人に受け入れて欲しいとは思ってる」 「ミュージシャンっていうのは、例えばレコーディングの日が決まるとなると、その日まで毎日一日24時間、ずっとそのことばかり考えている。で、全然曲なんか書けなくて。悶々として。でも、自分のエゴとかをどこかにぱ~と全部捨てて、気持ちをニュートラルにしていると、誰かの力によってやらされることになるん 。曲が書けたり、演奏ができたり。自分の力とかじゃなくて、誰かの力にやらされている、って感じになる。神経をニュートラルにして、集­していると、力が抜けていい演奏ができたり、いい曲がふと書けたりするものなん 。欲みたいなものがなくなるといいん ろう­」 「ス­ーは59­で1級を取った。始めて7年位かな。やり すと徹底的にやってしまう。結局­、僕は けず嫌いなんですよ。 山雄三さんも言ってたけど、彼も けず嫌いなの­。 から、見えないところで努力する。自分に課すん ­」 「この前、伊万里焼やって­。そこに絵を描いたん けど­。それから絵の個展なんかもやるのよ。コテンコテンなんて­。(笑) でも、絵もデフォルメしないと気がすまないん 」 「­供の 、親父にタップダンスをやらされて­、で、やって。それも好きで、トランペットもずっと好きで、今でも吹くのが大好きで­。この前、何日か吹かなかった日があって、久々に吹いてみたら、音はひどいん けど、トラペット吹くの楽しい、なんて思ちゃって­。まあ、(自分の人生は)線路引かれてて、その線路の上を­いているっていう感じかな」 「結局、ミュージシャンも人間同士のコミュニケーションなん よ。自分が若手のミュージシャンからインスパイアーされていい演奏ができることもあるし、僕も若手に影響を与えていることもきっとあるの ろう」 「音楽はピュアかそうでないか けで判­する」 実にスリリングで面白い語録 った。 世界の日野は、最高 った。 そして、世界の日野はおそらくこの文 を­むことはない。  (なお、番組はすでにK­IX、F­横浜で放送されました) ENT>MUSIC>ARTIST>Hino, Terumasa

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Kishita Kohshi On “Toku Dane”

【木下航志、『とくダネ!』を­巻】 進化。 昨日(8月7日月曜)、フジテレビ系列で毎朝放送されている生情 番組『とくダネ!』(毎週月曜~金曜午前8時から9時55分)に、木下航志君が出演し、2曲を生演奏で披露した。­った曲は、「スーパースター」のショート・ヴァージョン、そして、オリジナルの「絆」。アコースティックのグランドピアノを弾きながらの熱唱 った。9時19分 からC­を2度はさみ約20分。これは強烈な露出になった。放送­から、ネット上でも話題になっているよう 。 「スーパースター」は元々はレオン・ラッセルが書き、カーペンターズでヒットした作品。木下君のヴァージョンは、ソウル・シンガー、ルーサー・ヴァンド­スがカヴァーしたヴァージョンを下敷きにしている。7月1日、ルーサーの一周忌に行われたイヴェント『ソウル・サーチン・ザ・セッション』でルーサー・トリビュートの一環で初めて­われた。また、「絆」は今年2月に発売された彼のメジャー・デビュー・アルバ 『絆』のタイトル曲。 やはり、­そのものを聴かせることによって、彼のすごさ、 晴らしさというものが、圧倒的に、そして、ストレートに伝わる。今回は時間に余裕があり、カヴァー1曲、オリジナル1曲というコンビネーションもよかった。また、楽曲を­っている間、お母さんとの写真なども適度にはさみこまれ、テレビ視聴者にもインパクトを与えた。なによりも、あの声 。声がすばらしい。変声期を経て、より太く、強くなった声。これは万人の­(ソウル)を撃ち抜く声である。 テレビの音楽番組で言えば、将来的には『ミュージック・ステーション』、『ミュージック・フェア』などにも出演していくことになる ろう。 本編のインタヴューでプ­デューサーであり航志君バンドのベース奏者でもある名村さんが、「彼は現在も発展途上」と言ったが、まさにその通り。司会の小倉さんも以前にNHKの番組などで彼の­声を聴いたことがあったようで、「(以前より)ぐっとよくなった­、­」とコメントしていた。 ちなみに「スーパースター」は、先日の航志君の『ソウル・ブレンズ』での生ライヴを聴いた番組プ­デューサーが、あのように一部をファルセットで­って欲しいとリクエストしたらしい。 木下君に関しては、やはり、­を見せる、聴かせる、という基本的なことをやっていけばいいの ろう、とつくづく思う。彼は17­の若き才能あるシンガー・ソングライター、それ けで充分 。そして、彼にとっては、「音楽の力」こそが「彼の力」になるの 。 それにしても8月13日(日曜)の渋谷デュオでのライヴがどうなるか楽しみ 。昨日見た、彼よりも、またさらに一­進化した航志君を見せてくれる ろう。何しろ、日々現在進行形で進化している彼 から。(ライヴなどについては、下記オフィシャル・ウェッブをごらんく さい)  木下航志君についてのソウル・サーチン・ダイアリー (木下航志君とは何者かと興味をお持ちの方は、日付 にダイアリーをご覧く さい) 2003/12/29 (Mon) Stevie Gave Love & Courage To Everybody スティーヴィーのライヴで見かけた少年。http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200312/diary20031229-1.html 2004/04/30 (Fri) Kishita Koushi: 14-Year-Old Genius, I’d Call Him “Little Koushi” 木下君のNHKでのド­ュメンタリー。http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200404/diary20040430.html 2004/08/14 (Sat) Kishita Koshi Live: The … Continue reading

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Kishita Kohshi: The Moment Time Freezed

【木下航志、時を­めた瞬間】 フリーズ。 いま に『ソウル・サーチン・ザ・セッションVol.1~トリビュート・トゥ・ルーサー・ヴァンド­ス』への感想をもらう。感謝してもしきれない。ありがとうございます。こんなメールをSさんからいた いた。 それは、一部の最後を飾った木下航志くんのライヴ・パフォーマンスについて 。Sさんは、けっこう音楽好き。さまざまなジャンルを聴くが、やはりソウル、R&B系は一番のおきにいりのよう 。ルーサー・ヴァンド­スもリアルタイ で聴いてきたので、『ザ・セッション』自体すべて気に入った、とのこと ったが、­でも、航志くんのライヴには今回、特に感銘を受けた、という。 「彼が『スーパースター』を­い始めた瞬間、凍りついた感じがしました。そして、会 全体がひとつになって、彼を凝視し、全員のエネルギーのヴェクトルが彼に向かったように感じました。会 全体を覆うなんともいえない緊張感。ミュージシャンと観客の間にぴーんと張りつめたものがありました。過去に同じような緊張感を一度 け経験したことがありました。それは、サンフランシスコでレイ・チャールズのライヴを見た時のことです。その時、レイは『ジョージア・オン・マイ・マインド』と『イエスタデイ』を­ったのですが、その時の観客もまさにひとつになって、レイに対して恐るべき集­力で耳を傾けていました。航志くんの『スーパースター』を聴いて、その時と同じくらい背­がぞくぞくとしました。それぐらいすばらしかった。観客を磁石のように、しかも、有無を言わさず惹きつけてしまう航志くんというのは、ほんとうにとてつもない­在 と思います。一体この­は将来、どうなって、どこへ行ってしまうのでしょう」 実は、ま 書いてなかったが、本番前のリハーサルの時にも似たようなことが起こっていたの 。リハの時は、スタッフも出演者もそれぞれの持ち で、いろいろなことをやっているので、本当にがやがやしているもの。そんな­で音を して、­しくでているかなどをチェックしながら、ある者は楽器の音 しをし、ある者は­ったりしている。 そして、航志くんがケイリブとともに「スーパースター」を­い始めたところ、少々大げさに言えば、みんなの手が­まったの 。それを見た僕も、一瞬立ちすくん 。プ­デューサーの永島さんから「かなりいいでき よ」とは聴いていたの が、まさかここまで作り上げるとは、とびっくりしていた。それで、その感想を一言、彼が観客の前で­う時にちらっともらしてしまったほど った。本番では、高山広さんの感動の『ヘヴンズ・スタジオ~ルーサー物語』が終わった後。あの後を受けて、­えるのは航志くんしかいない。あの流れは完璧 ったと思う。 シンガーは、他人の曲を自分のものにしてこそ、シンガー。その曲の理解力、解釈力、それはミュージシャンとしての力、実力 。ルーサーも、アレサも、カヴァーのセンスが抜群 った。そして航志くんも、「スーパースター」をしっかりと自分のものにしていた。 航志くんには、あの「スーパースター」という楽曲が、ものすごくあっていたの ろうと思う。航志くんは、「きっとあの時、音楽の神様が降りてきたの と思います」とこともなげに言う。音楽の神か、ルーサーが降りてきて、時をフリーズしたの ろう。そんな瞬間に立ち会えた人は幸福 。  木下航志、『ソウル・ブレンズ』でその「スーパースター」を­ーズ1本で­います。7月23日(日曜)インターF­(76.1)、ゲスト 午後3時半くらいから。これは要エアチェックです。 ENT>MUSIC>ARTIST>Kishita, Kohshi

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“Too Hot” Portray Tokyo’s Summer Madness: Soy Soul Live Coming Up

【暑すぎる夏~ソイソウルの新曲は「トゥ・ホット」】 狂気。 ソウル・ブレンズ』に東京のファンクバンド、ソイ・ソウルがゲストで登 。総勢11人の大型セルフ・コンテインド・バンド が、まさか11人スタジオに来ていた いても­には入れないので、今回はリード・シンガーのズーコと、ラッパーのケイオンの2人が参 。 ソイソウル・ファンならご­知 が、ケイオンはしばらく前から登 している­ャラクター「ドクター・ウォン」でもある。ドクター・ウォンは、オハイオ州出身のファンクマスター が現在なぜか仮の住まいを御徒町に構えている。僕もその姿を前回のライヴで見たが、かなりおもしろい。 最新シングルのタイトルは、「トゥ・ホット」。クール&ザ・ギャングの大ヒットにも同名曲があったが、これはまったく違うオリジナル曲。ズーコ曰く「大体レコーディングは夜­なんで、夜­に大騒ぎしてやってるのをこうやって真昼間に聴くと、はずかしいわ~~」とのこと。アップテンポの­ック調の作品で、あちこちにドクター・ウォンの妙な声が入る。アイポッドのダウン­ードでは、3位になる人気 そう 。もっともっとブレイクすればいいのに­!  それにしても、このところの暑さははんぱじゃない。まあ、そんな暑い東京の夏に、どんぴしゃな1曲というところでしょうか。「トゥ・ホット(暑すぎる)」は、夏の狂気(サマー・マッドネス)を演出。  来週日曜(23日)渋谷デュオで、ソイソウルのライヴあります。  過去関連記事 今までにこんなに書いてたとは、自分でもびっくり。 2004/01/17 (Sat) Soysoul Live At Shibuya Quatro: Zooco Is A Tamer Of Wild Beasts http://www.soulsearchin.com//entertainment/music/live/diary20040117.html 2004/07/03 (Sat) “Midnight Love” To Soysoul Live http://www.soulsearchin.com//soul-diary/archive/200407/diary20040703.html 2004/09/06 (Mon) Two Places At The Same Time: … Continue reading

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Was This James Brown’s Final Japanese Tour?

【ジェームス・ブラウンの今回の日本ツアーは最後だったのか】 ファイナル。 ジェームス・ブラウンの日本ツアー最後の日、3月5日(日曜)、ミスター・ブラウンは「イッツ・ア・マンズ・マンズ・マンズ・ワールド」の中で、通訳を呼び、スピーチを始めた。今回は、ほぼ毎回この部分で語っていたそうだが、この日のスピーチは最終日ということもあってか、感慨深いものがあった。 彼は言った。「彼とは(ドン勝本氏のこと)もう、35年来の友人だ。私は、日本にも何度もやってきた。世界中に旅をした。だが、私は再びこの日本に戻ってこれるかどうかわからない。けれども、みなさんのことを愛してます」 スローバラードの「マンズ・ワールド」の演奏がしっとりと続いている。 この「日本に再び戻ってこれるかわからない」という一言が、衝撃だった。一観客としては、それまでさんざん、ミスター・ブラウンがこの日も激しく踊っているのを見ていたので、まさかもうライヴができないなんて夢にも思わなかった。なので、その時は「また、そんなこと言って。何言ってんですか」くらいの軽い気持ちで、「どうせ、2年後にまた来るでしょう」と思っていた。確かに、ジャンプしてする股割の高度が以前よりもはるかに低かったり、自分が歌い踊るよりも、ミュージシャンたちにソロを演奏させるほうが多かったとしても、充分、ミスター・ブラウンは存在感を、オウラを放っていた。まだまだ引退なんてとても考えられないと感じていた。 だが、その後、ジェームス・ブラウン愛好家の佐藤氏とセットリストの情報交換メールをやり取りする中で、ミスター・ブラウンが大阪から名古屋への移動の時、車椅子に乗っていたという情報をいただいた。それを聞いて、ミスター・ブラウンの最終日のスピーチがフラッシュバックした。「そうだったのか」と妙に合点がいき、同時に愕然とした。 つまり、ミスター・ブラウンは、今回のツアーはまさに満身創痍(まんしんそうい)だったのだ。あの元気なミスター・ブラウンが車椅子に乗るなんてとても、僕には考えられなかったので、スピーチ以上にショックだった。逆に車椅子に乗らなければならないほどの人間が、なんであんなに飛び跳ねたり、元気よくステージで歌って、踊ることができるのか。むしろ、そのことに改めて感銘を受けた。 曲の途中で、このようなスピーチをいれるなんてことは、まずブラウンはしたことがなかったはずだ。60年代、公民権運動が激しくなった時、ステージでゲキを飛ばしたことはあっただろう。また、誰かが亡くなりそのアーティストへトリビュートする時に、コメントをすることはあった。この日もウィルソン・ピケットやレイ・チャールズにトリビュートを捧げて、曲も歌った。そういう語りはいくらでもあった。 だが、彼が73年に初来日して以来、彼のステージを何度も見てそれを振り返ってみて、自分についてのパーソナルな思いを語ったことはなかったように思える。 「あなたの左側の(席に座ってる)人に『愛してる』と言ってください。そして、次に右側の人に『愛してる』と言いましょう。そうやって愛が広まっていけば戦争などなくなるはずです。今は、本当に『愛』が世界に少なくなってきていると思います。今こそ『愛』が必要だと思います」 こうしたメッセージが、ミスター・ブラウンが車椅子に乗らなければならないほどの身体になってまでも、はるか極東の地までやってきて、激しいステージをこなした最終日にでたメッセージだったのかと思うと、改めて胸が熱くなった。 彼が癌になったというニュースもあった。そして、今、移動に車椅子。「もう戻ってこれないかもしれない」という弱々しい発言。日本のファンへの最後のメッセージだったなんてことにならないように、祈りたい。1年後でも2年後でも、元気になってまた戻ってきて欲しい。なにしろ、かつて「200歳マイナス1歳まで生きるんだ」と公言していたミスター・ブラウンなのだから。72歳は、まだまだその半分にも満たない。 ENT>MUSIC>LIVE>Brown, James EBT>MUSIC>ARTIST>Bronw, James

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Soul General Dropped By Soul Nuts

【ソウル・ジェネラル、ソウル・ナッツに現る】 総督。 ジェームス・ブラウン・ソウル・ジェネラルご一行様、ご到着。2日目(3月5日=日曜)のライヴが終わって、一度メンバーがホテルに戻り、勝本氏がダニー・レイ、フレッド・トーマスらを、三宿のソウルナッツに連れていった。車2台に分乗しナッツにやってきたのは、ダニー・レイ、フレッド・トーマスのほか、ドラムスのトニー・クック、ベースのレイ・ブランディージ、サックスのジェフ・ワトキンス、息子のダリル・ブラウン、シンガーのエイミー・クリスチャンの7人。さらに、ジェームス・ブラウン愛好家の佐藤さん、その友人でソウルサーチンのBBSにもよく書き込まれている栃木のあみさん、さらに関さん夫妻、そして、オーサカ=モノレールの中田さんまで。 最後の夜なので、みんなかなりリラックスしている様子。何人かとちょろっと話をした。ステージ向かって左にいたドラムスのトニーは、93年以来、約13年ぶりのソウル・ジェネラルへのカンバックだそうだ。なんでまた? 「ミスター・ブラウンから電話がかかってきて、またやらないか、と言われたんで、参加した。今は、オーランド・フロリダに家があって、そこに住んでいる。仕事はオーガスタ・ジョージア。行ったり来たりだな」 クックがJBズに参加したのは、76年だそうだ。以来93年まで、出たり入ったりしたらしい。すでに孫もいるという。 ベースのレイ・ブランディージは96年頃から参加しているが、前回の日本ツアーは来ていない。バンド内では第一ベースがヴェテランのフレッド・トーマス。ポイントはフレッドがプレイするようだ。何かのソロはあなたですか、と尋ねた時、「そこは、フレッドがやってる。フレッドにやらせてもらえないんだ(笑)」というようなことを言っていた。つまり、バンド内にもしっかり序列があるということだろう。おいしいところは、フレッドがプレイし、比較的地味なところは、このレイが弾いてるのかもしれない。 シンガーのエイミーも、91年からメンバーだが、前回は来ていない。だが何回か来日はしているようだ。日本は大好きだという。彼女も、誰かが来ないと呼ばれたりするのだろう。要は、ソウル・ジェネラルの要員は何人もいるということだ。女性コーラスは前回来日4人のうち、2人が参加している。シンシアとシーラだ。 ステージではけっこうソロも取るサックス奏者、リロイ・ハーパーは、1961年生まれ。彼もけっこう長い。前回来日している。 座って話をしていると、フレッド・トーマスが隣にやってきた。何度も会っているので覚えてくれているらしい。「今度、DVDを出すんだ。出来たら、送るからな。名刺をくれ」 そういえば、以前、彼のCDを送ってもらったことがあった。フレッドは本当にいつもニコニコしていて人懐っこい。 ダニー・レイは、生の声も、あの声。(当たり前だが・・・) 彼はいつも「(君は)オーガスタにやってきたな。何年も前に。ちゃんと覚えてるぞ」と言う。東京で会ったことよりも、オーガスタで会ったことのほうを覚えているところがおもしろい。 フライド・ポテト、チキン、おつまみ。彼らはいろいろ食べている。ダニー・レイはウォッカをロックで飲む。レモンを絞り、サイドに水を置いて。フレッドは日本酒だ。トニーはウイスキーだ。そして、DJケイコはずっとジェームス・ブラウン・ファミリーのレコードをかけつづけている。 ふと勝本氏がいないことに気がついた。あれ? 下に降りると車の中で寝ていた。「昨日からほとんど寝てないんだよ(笑)」 前日は彼らをダンステリアに招き、この日はナッツ。そして、2日ともブラウンに見込まれステージで踊った。ソウル・ジェネラルの添乗員もご苦労様です。(笑) ゲットンアップ!!  ソウル・ナッツの夜は更ける。 ENT>MUSIC>ARTIST>Brown, James

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