■ミリアム・マケバ死去~「パタ・パタ」の大ヒット

■【ミリアム・マケバ死去~「パタ・パタ」の大ヒット】
訃報。
サウス・アフリカ出身のシンガー、ミリアム・マケバが去る2008年11月10日、出張先のイタリア南部ナポリ近くのカセータの病院で心臓発作のため死去した。76歳だった。
マケバは、作家ロバート・サヴィアーノのためのコンサートに他のアーティストと出演した後に、体調が悪くなり、病院に運ばれ死去したという。ステージで「パタ・パタ」を踊った後、舞台袖に戻り、関係者の腕の中で倒れた、という報告もある。
ミリアム・マケバは「ママ・アフリカ」の愛称で知られるシンガー。1932年(昭和7年)3月4日、南アフリカ国ヨハネスブルグ生まれ。1959年、同地のグループ、マンハッタン・ブラザースの一員としてアメリカ・ツアーを行うが、翌年帰国しようとしたときに、母国で「アパルトヘイト(人種隔離政策)」が勃発。マケバの市民権が剥奪され、彼女の音楽も禁止されてしまった。その結果、彼女は以来ずっと南アフリカに帰れないまま「亡命生活」を余儀なくされる。
1964年から1966年まで、同じ南アフリカ出身のトランペター、ヒュー・マサケラと結婚していた。
1966年、マケバはその前年にハリー・ベラフォンテとともに出したアルバム『アン・イヴニング・ウィズ・ベラフォンテ/マケバ』で、グラミー賞「ベスト・フォーク・レコーディング」部門を獲得した。
1967年、自国のダンスをモチーフにした楽曲「パタ・パタ」がアメリカを始め世界で大ヒット。一躍有名になった。ニーナ・シモン、デージー・ガレスピーなどとともに共演。また、ジョン・F・ケネディー、ネルソン・マンデラらの前でも歌った。
「反アパルトヘイト」活動家として、2度国連でスピーチをしたり、積極的に活動していた。
しかし、彼女の生涯は決して恵まれたものではなかった。1985年、彼女の一人娘が36歳で急死したとき、マケバには棺を買う現金もなく、多くの友人たちが協力したという。その後、アパルトヘイトが終わり、ネルソン・マンデラが解放されると晴れて母国南アフリカに戻った。
現在葬儀をどうするか検討されているが、遺体を南アフリカに戻すように手配中。また、孫娘のゼンジ・ミヒゼさんは、「遺灰を海にまいてほしいと願っていた」と述べている。
■ ミリアム・マケバ死去・記事の1本
http://www.iol.co.za/index.php?set_id=1&click_id=139&art_id=nw20081111093036343C388466
ENT>OBITUARY> Makeba, Miriam (3/4/1932- 11/10/2008, 76)

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