▼ビル・コデイ死去

▼Soul Singer Bill Coday Dies At 66

【ビル・コデイ死去】
死去。
いわゆるサザン・ソウル・シンガーとして知られるビル・コデイが去る2008年6月7日(土)、テネシー州メンフィスのメソディスト大学病院で死去した。66歳。
ビル・コデイは、ミシシッピ州テイト・カウンティーのコールド・ウォーターという街に1942年5月10日生まれた。その後1961年シカゴに移り住み、ここですでに地元で活躍していた女性ソウル・シンガー、デニース・ラサールと知り合い、彼女に認められデニースのバック・シンガーとして活動。その後、自身のレコードも出すようになった。ビルはデニースがオウナーであるケイジョン・レコードから「シックスティー・ミニット・ティーザー」(1970年)、「ユーアー・ゴナ・ウォント・ミー」、「ゲット・ユア・ライ・ストレート」(1971年ソウル・チャート入り)などのローカル・ヒットを放つ。この時代の作品は、メンフィスのハイ・サウンド(ロイヤル・レコーディング・スタジオ)で、後にアル・グリーンで大当たりをとるプロデューサー、ウィリー・ミッチェルのプロデュースで録音されており、日本のその筋でも人気が高い。
その後1973年メジャーのエピック・レコードと契約、1973年「アイム・バック・トゥ・コレクト」、1976年シングル「アイ・ドント・ウォナ・プレイ・ディス・ゲーム」と2枚をリリース。また後者は、後にリリースされるコンピレーション・アルバム『ロスト・ソウル』に収録され注目を集めた。1980年代からはメンフィスのエコー・レコードからレコードをリリース、1990年代にかけては、ツアーを多数行い、自身のレーベル、B&Jレコードをメンフィスに設立していた。デニースは妻。
彼のシンガーとしての魅力は、サザン・ソウル・シンガーとして深みのあるディープな唱法。メンフィスのスタジオで録音されたものは、日本ではヴィヴィッド・サウンドからリリースされた。また、2008年3月に日本発売されたソウル・コンピ『ザ・ロスト・ソウル・ジェム』に、エピック時代の2曲「アイ・ドント・ウォナ・プレイ・ディス・ゲーム」と「ア・マン・キャント・ビー・ア・マン」が収録されている。これは、1976年にシングル発売された両面。
基本的にはシングル主体のシンガーだったので、一般的知名度は獲得できなかったが、シングルを集めたアルバムなどもリリースされ、サザン・ソウル好きの人たちから熱い支持を集めた。
ご冥福をお祈りする。
■ 『スニーキン・バック』(1995年)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000003H5W/soulsearchiho-22/ref=nosim/
ENT>OBITUARY>Coday, Bill (May 10, 1942 — June 7, 2008 (66)
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