▲チャック・ブラウンかく語りき

▲Chuck Brown, Godfather Of Go-Go, Talks (Part 2)

(昨日からの続き)
【チャック・ブラウンかく語りき(パート2)】
キュー。
チャック・ブラウンが久々にステージに上がったとき、思ったのが、大宮のソウルバー「ディープ」の藤沢さんに似てない?ということだった。(すいません、ごく一部の内輪ネタで)しかし、強烈なキャラクターだなあ。ドラムス、ギター&ヴォーカル(チャック・ブラウン)、ベース、キーボード、3管、パーカッション、タンバリン&トランペット、そして、ラップ&ぶらぶらのKKの10人がオンステージ。
ライヴの途中、隣に座ったブラザーから声をかけられた。「君は、プロモーターかなにかかい? 僕はワシントンDC出身で、けっこうみんなをよく知ってるんだ。ハイスクールの頃、クラブに忍び込んだりしてね。今、こっちでソウルバーやってるんだよ」 「へえ、どこで?」 彼が名刺を取り出した。そこには赤坂のカットチェイサーと書いてあった。おおっと、そこは一度探しに行って、その日は開いていなかった店だ。あのANAホテルの前あたりにある店ではないか。「おお、そうか。それは悪かった。基本、日曜は休みなんだが、病気なんかになったりすると休むときもある。いつでも来てくれ」 この店については、リアル・ブラッドのルーサーさんから聞いていて、たしかケイコさんのミニライヴをやっていたはず。
途中で「あと15分」という紙がチャックの元に届けられた、という話は昨日書いた。そこでそれを見た僕とその彼は紙に「DON’T CARE ABOUT TIME(時間なんか気にするな)」と書いて、彼の前に出そうということになった。さすがにステージ前まではいけなかったが、一番前のテーブルにおいた。チャックは見えたのかなあ。
ライヴが終わって、すぐにチャックはサイン会のためにでてきた。僕はソウル・サーチャーズのアナログ2枚(『ウィ・ザ・ピープル』1972年と『ソルト・オブ・ジ・アース』1974年)を持ってきた。松尾潔さんは、最新盤CD(『ウイ・アー・アバウト・ビジネス』)を持ち、サイン待ちの列に並んだ。2人でこの列に並ぶ図はなかなか妙におもしろい感じである。
2枚のアナログを出すと、チャック・ブラウン、「おおっ、俺が若い頃の写真がでてるぞ!」と叫ぶ。ていねいにサインをしてくれた。
この日の観客は、おそらく前日もそうだろうが、やはりチャック・ブラウン、ソウル・サーチャーズ、ゴー・ゴー目当ての音楽ファンが圧倒的に多く、観客ファン度がえらく濃い。
サインをもらった後、楽屋にシックのキーボードでもあるシェリーさんを訪ねに出向く。「このソウル・サーチャーズに入ったのは、2000年くらいかしら。私、DC出身なので、口コミで私の評判が彼の元に届いたのでしょう。それで声をかけられて、参加するようになった。けっこうライヴはやってるわ」
このチャック・ブラウンのライヴも事前のセットリストがない。うすうす感じていたが、チャック・ブラウンが曲が続いている間に次の曲を考え、キューを出して、ミュージシャンに指示するのだ。「次の曲は、彼のキューを待つの。それはギターの振り方だったり、最初のコードだったり。ソウル・サーチャーズでやる曲は3-40曲くらいかしら。もっとあるかな。私はもう長くやっているので、全部わかる」シェリーが僕のメモと記憶によって、セットリストを思い出してくれた。それが昨日付けのブログに出したセットリストだ。
そうこうしているうちに、チャック・ブラウン御大がサイン会から戻ってきた。かなりゴキゲンだ。近くで見るとやはりかなりの迫力。「あなたはステージで3回来日したと言ってましたが、今回が4回目ですか」 「う~~ん、そうだと思うよ。ま、3-4回来てるんじゃないか。最初は1987年? そうだよ、そうだ!」 「あなたも事前のセットリストがなく、曲の途中でミュージシャンにキューを出すそうですね。キューは具体的にはどのように?」 「コードを弾きはじめたり、歌いだしたり、いくつかあるよ。ミュージシャンがちゃんと俺に集中して見ていてくれれば、彼らもわかる」 「では、もし彼らがキューを見逃したら? ジェームス・ブラウンはミスを犯すと罰金を課すんですが」 「オオ、ノー。俺は罰金は言わないよ。ははは。(笑) まあ、仮に取ったとしても、みんなに還元してしまうな(笑)」
「ところで、あなたの生年月日を教えていただけますか」 すると、松尾ブラザー、同行の元『ソウル・トレイン』ディレクター、能勢さん付近から、「でたあ、本格インタヴュー・モード!」の声が。(笑) 「オーガスト・トゥエンティー・トゥー、ナインティーサーティーファイヴ!(1935年8月22日)、72歳だよ、ははは」 「若いですねえ」というと、一緒にいたさっきのカットチェイサーのリチャードさんも、「若い!」。ということで、彼の生年は1934年ではなく、1935年でした。たぶん、これまでの資料は誕生日の関係で1年ほどずれてしまったのだろう。
改めて考えてみると、チャック・ブラウン&ソウル・サーチャーズの「シンク」あたりがはやった1973年でも、彼は38歳だったんだ。遅咲きと言えば遅咲きかな。でもそれから紆余曲折あれ、35年以上一線で活躍しているんだから、もう脱帽である。
ところで、昨日のブログでチャック・ブラウンの来日履歴について詳しいことをご存知の方お知らせください、と書いたらさっそく「ワシントンDCのゴー・ゴー」のサイトを運営されている本柳さんから詳しい来日履歴調査メールをいただいた。ありがとうございます。詳細はまだ来日中止などの点で確認が必要なので後日改めて書くが、1987年、1988年(ともにインクスティック)、1992年(イエローなど)、1994年(ジャングルベース)、1995年(リキッドルーム)と来日しているようで、今回は6回目ではないか、というご指摘だ。そうか、そんなに来ていたのかあ。「バスティン・ルーズ」が大ヒットした1978年~1979年から数えても、もう30年だ。
■ワシントンGO-GOサイト「Good to GO-GO」
http://www2s.biglobe.ne.jp/~dub/gogo/gogo.html
(この稿・もう1回続く予定)
ENT>MUSIC>LIVE>Brown, Chuck & The Soul Searchers
2008-22
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