Album in the Key of Life

The day he fell in love with music

ご褒美。

1976年10月、ジョージア州アトランタ。「レコード・バー」。

まだ十代になったばかりの彼は、近くにあった「レコード・バー」というレコード・チェーン店で、そのアルバムの存在を知った。そのレコードの大型ポスターが店の壁に貼られていたのだ。音楽好きだった彼はそのポスターを見た瞬間に「このアルバムを手に入れなければ」と強烈に感じた。その隣には、当時やはり人気を集めていたブラザース・ジョンソンの大きなポスターが貼られていたことを、今でも鮮明に思い出す。レコードラックからそのアルバムを取りだし、しげしげと眺めた。

それは、スティーヴィー・ワンダーのニューアルバム『ソングス・イン・ザ・キー・オブ・ライフ』だった。その頃、地元のラジオ局でスティーヴィーがかからない日はなかった。それも、R&Bのラジオ局だけでなくロックの局、トップ40をかける局、あらゆるラジオ局でスティーヴィーはかかっていた。地元アトランタの「96ロック」の愛称で知られるWQKI-AMはインストゥルメンタルの「コントュージョン」をへヴィーローテーションでかけていた。すでにアルバムからの何曲かをラジオで聞いていた彼にとって、これは絶対に手に入れなければならないアルバムだったのだ。

しかし、週のお小遣いでは買えるものではなかった。それに今まで自分でアルバムを買ったこともなかった。アルバムは、2枚組プラス・スペシャル17センチ・シングル付きで15ドル以上した。母親にそのアルバムをねだったとき、母は「そんなアルバムは買いません」といい放った。少年は車に一目散に走り、後部座席で泣いた。

1977年1月。ジョージア州アトランタ。「リッチウェイ」。

季節は秋から冬になり、ラジオは依然次々とスティーヴィーのそのアルバムからの作品をプレイしていた。一方、彼は学校で期末試験がありとてもいい成績をとった。両親はその彼のことを嬉しく思った。年が明けて1977年のある休みの日、一家はリッチウェイ(スーパーストア)に行った。そして、その日、母親はついに『キー・オブ・ライフ』のアルバムをショッピングカートの中にいれてくれたのだ。それは、よい成績を取ったことへのご褒美だった。アルバムを欲しいと願ってから、3ヶ月を経て、少年はやっとの思いで夢にまで見たアルバムを入手したのだ。

彼は、生涯最高の喜びを感じた。家に帰るまでが待ち遠しくて待ち遠しくて仕方がなかった。彼は待ちきれずに、車の後部座席で、アルバムのラッピングをはがしブックレットから歌詞を読み始めた。その世界に彼はどんどんと引き込まれていった。

家に戻るなり、彼はステレオの前に行き、レコードをターンテーブルにのせた。母親がキッチンで夕食の準備をしていたので、扉を閉め、レコードに集中した。彼はそれまでにも、多くのヒット曲を聴いてきた。だが、それは小さなラジオで聴いていたに過ぎなかった。この日、彼はちゃんとしたステレオセットで、両親が持っていたアルバムではない、自分が手に入れたアルバムを初めて聴いたのである。

A面の一曲目に針を落とすと、「ラヴズ・イン・ニード・オブ・ラヴ・トゥデイ」が流れ始めた。彼の目には涙があふれた。9月11日のあと、彼にとってはまっさきにこの曲が思い浮かんだ。「ヴィレッジ・ゲットー・ランド」にもノックアウトさせられた。「コントュージョン」もすごかった。今まで小さなラジオから聞いていた同じ曲がものすごい迫力で少年に迫ってきた。

このアルバムを初めて聴いたその日こそ、彼が音楽を真に愛し始めた日だった。

77年2月19日。両親はその少年に就寝時間を超えて起きていることを許してくれた。スティーヴィー・ワンダーがグラミー賞の授賞式にでたからだ。彼はアルバム・オブ・ジ・イヤーなど3部門を獲得する。

ますますスティーヴィーのファンになった彼が初めてスティーヴィーのコンサートに行ったのは、それから11年余を経た88年11月のことだった。アトランタのフォックス・シアターだった。それはもちろん、彼の人生のハイライトとなった。

『キー・オブ・ライフ』は、彼のレコードライブラリーにおける記念すべき最初のアルバムとなった。そんな初アルバムが『キー・オブ・ライフ』のような傑作アルバムであることに、僕は少しばかり嫉妬を覚える。よりによって、最初に買ったアルバムがここまでの傑作なんて。うらやましい限りだ。彼にとっては、このアルバムが『アルバム・イン・ザ・キー・オブ・ライフ』となったのである。

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