“Tie A Yellow Ribbon ‘Round The Ole Oak Tree” Story

【幸せの黄色いリボン・物語】 <br>
象徴。 <br>
日本では『幸せの黄色いハンカチ』という 画が有名になった。山田洋次監督による1977年の作品 。 <br>
その元になったのが、トニー・オーランドー&ザ・ドーンが1973年に放った全米ナンバーワン・ヒット「タイ・ア・イエ­ー・リボン・オール・オーク・トゥリー(邦題、幸せの黄色いリボン=直訳は、古い樫の木に黄色のリボンを巻きつけておいて)」という曲。 <br>
曲か 画のどちらかはご­知の方は多いと思うが、一応「幸せの黄色いリボン」のストーリーをご­知ない方のために簡単にご紹介しよう。このストーリーは、1971年コラ ニスト・作家であるピート・ハミルがニューヨーク・ポスト紙に書いた「ゴーイング・ホー 」という記事が元になっているとされる。 <br>
ひとりの­生がフ­リダ州フォート・­ーダーデールからバスに乗った。その­で刑期を終えた元囚人と知り合う。その彼は故郷に帰るが、妻にもしま 自分とやり直せるのなら、その街の入口にある樫の木に黄色いリボンを一本巻いておいてくれと手紙を書いていた。もしリボンが巻かれていたら、自分はそこでバスを降りて君の元に戻る。しかし、もし結婚していたり、僕とやり直せないと思ったらリボンは巻かないでいい。リボンがなければ、自分はそっとそのままバスに乗り続けどこかもっと くへ行こう。 <br>
その話は、バスに乗っていたみんなの知るところとなり、その街に近づくにつれ全員が緊張してきた。果たしてリボンは巻かれているか否か。ついに彼の故郷の街の入口にやってきた。そこで彼らが見たものは、一本ではなく、樫の木いっぱいに巻かれていた無数のリボン った。それを見たバスの客たちは­喜の­声をあげた。 <br>
この感動的なストーリーは、9ヵ月後の1972年6月号の「リーダーズ・ダイジェスト」誌に載録され、さらに多くの人たちが知ることになった。 <br>
ピート・ハミルは、これを口伝えの伝説として聞き、記事に書いたとのこと 。 <br>
「リーダーズ・ダイジェスト」に掲載されてまもなく、1972年6月に三大ネットワークのABCがこの話をドラマ仕立てにしてオンエアした。このときの元囚人は、ブラックの俳優ジェー ス・アール・ジョーンズが演じた。 <br>
そして、それから1ヵ月半後、ソングライターのアーウィン・レヴィンとL・ラッセル・ブラウンの二人が「タイ・ア・イエ­ー・リボン・ラウンド・ジ・オール・オーク・トゥリー」という曲を書き、その楽曲の著作権登録をしたという。彼ら自身は、このストーリーを軍隊にいた に聞いたという。 <br>
この曲はトニー・オーランドー&ザ・ドーンによってレコーディングされ、1973年2月から大ヒット。300万枚のセールスを記録、世界­で聞かれることになる。そして、このヒットを見て穏やかでなくなったのが、先にこのストーリーをコラ に書いたピート・ハミル 。そこでこの曲のことを知ったピート・ハミルは、彼ら(ソングライター)に対して訴訟を起こした。 <br>
この楽曲は続く17年間にラジオでトータルで300万回はプレイされたと推計された。 <br>
訴訟は、しかし、ソングライターたちがこの物語がハミルが書く以前に書かれた似たようなストーリーを見つけ出し、取り下げられることになった。 <br>
そして、この曲の話を聞いた日本の 画監督山田洋次がぜひとも日本ヴァージョンを作りたいと考え、少しばかり日本風にアレンジして『幸せの黄色いハンカチ』として 画化したわけである。日本版では囚人役を高倉健が演じていた。ずっと待ちつづけた妻が倍賞千恵­、旅のお供が­田鉄也と桃井かおり 。 <br>
以後、この「黄色いリボン」は、たとえば、捕らえられている人が解放されるとき、囚人が戻ってくるとき、さらにそれが広義に捉えられ、イランのアメリカ大使館人質事件の人質実解放のとき(1981年1月)、湾岸戦争の兵士が帰国するとき(1991年1月以降)などに、象徴的に使われるようになった。 <br>
この「幸せの黄色いリボン」をプ­デュースした二人のうち一人が、ハンク・メドレス った。 <br>
ENT>MUSIC>STORY>Tie A Yellow Ribbon ‘Round The Ole Oak Tree

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