故郷(ふるさと)の言葉の重み

故郷(ふるさと)。

昨日の報道番組では、あちこちで、「ふるさと」という言葉が繰り返されています。なんだか、ものすごく「ふるさと」という言葉がいい言葉というか、重い言葉というか、そんな風に感じてしまいます。

中でも、タラップを降りてきたときの表情がもっとも暗かった曽我ひとみさんの会見のコメントがよかった。事前に新幹線の中で書き記したという文章を、泣きながら読んだ。こんなことを言っていました。

「24年ぶりに故郷(ふるさと)に帰ってきました。とってもうれしいです。
心配をたくさんかけて本当にすみませんでした。
今、私は夢を見ているようです。
人々の心、山、川、谷、みんな温かく美しく見えます。
空も、土地も、木も私にささやく。
『お帰りなさい。頑張ってきたね』。
だから、私もうれしそうに『帰ってきました。ありがとう』と元気に話します。
皆さん本当にどうもありがとうございました」

120字前後の文章ですが、すごいですね、これは。
何度も何度も見て、覚えてしまいそうです。

一度は、「ふるさと」を完全に捨てた人たちが、奇跡的に「ふるさと」に戻ってこられたわけですね。逆にいえば、北朝鮮では、人々の心、山、川、谷、みんなが冷たく醜く思えたのかもしれない。それを思うと、なおさら胸を打ちます。

それにしても、なんで、彼女にせよ、みな「すいませんでした」と謝るのだろう。何一つ、悪いことなどしていないのに。謝られると、いたたまれなくなりますね。

今年の5月に中学時代の同窓会がありました。で、20年ぶり以上に会う人とかいたわけです。でも、やっぱりわかるんですね。面影で。

しかし、同じ20年ぶりなんだけど、僕達の場合は、会おうと思えば、いつでも会える状況にある。でも、彼らは会おうにも会えない。そこには天国と地獄ほどの差がある。

だいたい、自由がないということが、どういうことか、僕達は知らない。それを彼らは運命のいたずらで経験してしまった。絶対に戻れないはずの「ふるさと」に戻れたことが、どれほどの重みをもつか。僕達には計り知れません。そんなところへの、この曽我さんのコメントには言葉もありません。

自由の国、日本。それを改めて認識している今日この頃です。

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