James Brown Dies At 73

【ジェー ス・ブラウン73­で­去】
急­。
「ゴッドファーザー・オブ・ソウル」「ソウル・ブラザー・ナンバーワン」などさまざまなニックネー を持つジェー ス・ブラウンが去る2006年12月25日午前1時45分(日本時間25日15時45分)、アトランタのエモリー・ク­フォード・­ング・ホスピタルで­去した。73­ った。­ はま 発表されていないが、入院したときにはすでに肺炎になっていた、という。すでにアメリカでもCNNを始めテレビ、メディアが大々的に じており、レイ・チャールズ以来の 道量になっている。
先週金曜(22日)には地元でおもちゃを­供たちに配るイヴェントに出演していた。また日曜に入院し、また今週のいくつかのライヴを­ャンセルしたが、週末のものは­ャンセルしていなかったので、本人は直るつもり ったの ろう。急­という印象が強い。
その­について、50年代からの友人で元大統 候補 ったジェシー・ジャクソン師は、「彼は最後までドラマティック った。なにしろ、クリスマスの日に­ぬなんて。彼のニュースは、今日一日­、世界­で話題になる ろう」と語った。
ジェー ス・ブラウンは1933年5月3日サウス・­ャ­ライナ州バーンウェル生まれ。現在はジョージア州オウガスタ郊外に住んでいる。少年院を経て、かつて­っていたゴスペルのグループに参 。徐々に ­角をあらわし、1956年「プリーズ・プリーズ・プリーズ」が初ヒットとなり、以後多数のヒットを放った。
これまでに「ゴッドファーザー・オブ・ソウル」「ソウル・ブラザー・ナンバー・ワン」「ファン­ー・プレジデント」「ハーデスト・ワー­ング・マン・イン・ショービジネス」など多数のニックネー を持つ。
レイ・チャールズ同様ゴスペル、ブルースなどを混ぜ合わせ、ソウル・ミュージックの確立に大きく寄与、さらに1965年に発表した「パパズ・ガット・ア・ブラニュー・バッグ」、「アウト・オブ・サイト」などの作品でいわゆる「ファンク」の原型を作り出した。ファンクのオリジネーターといってもいい。このファンクの要 は、これ以降のブラック・ミュージックのアーティストはもとより、白人の­ック・アーティストにも多大な影響を与えた。影響を受けたアーティストとしては、マイケル・ジャクソン、プリンス、ミック・ジャガー、デイヴィッド・ボウイなど枚挙にいとまない。
1968年4月、­ング牧師がメンフィスで暗殺され、黒人運動、公民権運動が高まりをみせると、ブラウンも積極的に先導に立ち、そうした黒人の代表的な行動をとるようになり、多くの若手から年齢層の高い人たちまで支持を集めた。
音楽的には、ファンクの誕生があるが、その他にもシンガー、ミュージシャンたちにスポットを当てられるようなパッケージ・ショーのスタイルを確立。ここからリン・コリンズ、マーヴァ・ホイットニー、メイシオ・パーカー、フレッド・ウェスリー、ブッチーズ・ラバー・バンドなど多数を輩出した。またバンドに対しては規律が厳しく、遅刻厳禁、ライヴでの曲間違いなどに罰金が課せられた。しかし、自分と同じ考え方をもつ者、同胞などにはやさしく、カリスマ的な人気を獲得していた。
ジェー ス・ブラウンが作り出したリズ は唯一無二で、90年代に入って「モースト・サンプリング・アーティスト」(もっともサンプリングされるアーティストと呼ばれるようになった。そうした、サンプリングという手法で、若いヒップホップ世代からも熱い支持を集めている。
1992年にグラミー賞で「生涯功労賞」を受賞。また、この他にもドメスティック・ヴァイオレンスなど、逮捕­も複数回あり、 天荒な人生を送った。
現在までのところ最新作は、2002年の『ザ・ネクスト・ステップ』。
http://www.soulsearchin.com/entertainment/music/linernotes/brown20020220.html
葬儀の予定など未定。
(この 目・続く)
ENT>OBITUARY>Brown, James 1933.5.3 – 2006.12.25

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