What’d I Write (Part 5): Everything Happens For A Reason

[2005/07/01]

【「何と書いたら」その5】

必然の神。

2003年12月に埼玉アリーナのスティーヴィー・ワンダーのコンサート。その客席で見かけた十代の少年はスティーヴィーのように首を振りながら、聴いていた。「アイ・ジャスト・コール・トゥ・セイ・アイ・ラヴ・ユー」を一字一句同じように歌っていたが、ふと首を振った瞬間、彼が盲目であることに気づいた。

それから4ヵ月後、NHKのドキュメンタリーで鹿児島出身の歌を歌うシンガー・ソングライターであるその少年のことを知った。そこで、彼はスティーヴィーを歌い、ダニー・ハザウェイを歌っていた。「アメイジング・グレイス」の変貌に、そして、「ユーヴ・ガット・フレンド」の歌に驚嘆した。その映像の中で、少年と一緒に映っているプロデューサーの永島氏を発見した。彼のことは20年以上前から知っていたが、新しい会社に移ってからの連絡先は知らなかったので、必死に調べ、メールを送った。

その後、ライヴを2度見る機会を得た。その中で彼は「ジョージア・オン・マイ・マインド」を歌っていた。見た後、楽屋に行き握手をした。木下航志くんとの初めての接触だった。ライヴは、何でも歌えるその音楽的許容量の広さと、何でも吸収してしまう吸収力、成長力に驚かされた。彼が学生で、音楽活動は週末と夏休みなどに限られていること、ふだんは鹿児島にいることを知っていたので、まさか『ソウル・サーチン・トーキング』にでてもらえるなどとは夢にも思っていなかった。しかし、いろいろな話をするうちに彼がでてくれることになった。

一方、2001年4月から始まったラジオ番組『フィールン・ソウル』で、そのDJであるゴスペラーズの黒沢さんとは個人的にも仲良くさせていただくようになった。たまたまゴスペラーズが6月から比較的オフ気味なゆったりなスケジュールになること、こんなイヴェントをやっていて、レイ・チャールズをとりあげることを言ったら、ぜひ歌いたいということになった。レイ・チャールズの自伝『わが心のジョージア~レイ・チャールズ物語』を3日で読破した黒沢さんである。

黒沢さんが来てくれることを航志くんに伝えると、彼は大喜びしたという。お母さんもゴスペラーズのファンであるとか、彼がゴスペラーズの鹿児島でのコンサートに行っていたことを知るのは、イヴェント当日のことである。

もし、スティーヴィーのコンサートで、僕が彼の斜め後ろの席に座らなければ、おそらく、彼のことを知るのはずっと後のことになっただろう。NHKの番組を見る機会もなかったかもしれない。もし、番組を見なければ、僕はそこに永島氏がいることを知らないのだから、接点は生まれなかっただろう。そして、僕がこの日記に航志くんのことを書かなければ、それを航志くんが読むこともなかっただろう。だが、すべて起こった。

もし、僕が番組の構成という仕事をしていなければ、黒沢さんを呼ぶこともできなかっただろう。彼ほどの多忙な売れっ子ミュージシャンが、たまたまスケジュールがオフ気味になっていなければ、絶対に1日この日のために時間を割いてくれることなど不可能だったろう。また、東京ほど多くのアーティストがライヴに訪れることもない鹿児島にやってきたゴスペラーズを見ていた航志くん親子。その2者がまったく予期せぬところで接点を持った。

スティーヴィーで出会った航志くんと、ソウル・サーチン・ギャングと黒沢さん、他のミュージシャンを結びつけたのは、他ならぬレイ・チャールズである。スティーヴィー、航志くん、レイ・チャールズ。見事なトライアングルがつながった。

本当に人と人との出会いは面白い。人と人がどんどんリンクしていく。そして、航志くんにはこれからもっともっと新たな出会いが訪れる航志くんを軸とするリンクの輪は、どんどんと増殖していくだろう。すべては、必然で動いている。起こることはすべて必然だ。航志くんには「音楽の神」が宿っているが、今回の『ソウル・サーチン・トーキング』には、そんな「必然の神」が宿ったのかもしれない。

(2005年6月26日日曜、ソウル・サーチン・トーキングVol.4~レイ・チャールズ=目黒ブルースアレー)

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