Shoo Kusano Died At 74

【草野昌一氏、74歳で死去】

ペンネーム。

「可愛いベイビー」、「ルイジアナ・ママ」など多くの洋楽曲の訳詞を漣健児(さざなみ・けんじ)のペンネームでてがけた音楽出版社シンコーミュージック・エンタテイメント会長の草野昌一氏が6日午前6時55分、膵臓がんのため東京都文京区の病院で死去した。74歳。葬儀は近親者で済ませ、お別れの会は7月12日午後2時から東京都千代田区飯田橋1ノ1ノ1、ホテルグランドパレスで行われる。喪主は二男で同社社長の夏矢氏。

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2005年4月11日付けソウル・サーチン・ダイアリーで、ナット・キング・コールの「ラヴ」の日本語版について書いた。これを訳していたのが、漣さんである。僕は個人的には面識はなく、何かの場所でお見かけしたくらいだが、業界内では雑誌ミュージック・ライフの初期の編集長、さらに、音楽出版社シンコー・ミュージック(旧名)の社長ということでつとに有名だ。

http://blog.soulsearchin.com/archives/2005_04_11.html

彼の作り出した洋楽曲の訳詞によるポップス、ロックの日本語化というものは、まさに70年代に花開く日本人による日本語のポップス、ロックへの大変大きな礎になっている。そのあたりは多くの方が研究されているが、シンコーのホームページに漣健児のページがあり、なかなか興味深い。彼がてがけた訳詞リストがあいうえお順に並んでいるが、その膨大な数に驚く。

http://www.shinko-music.co.jp/sazanami/

漣さんの訳詞で歌われた作品が、実は元は外国の歌だということを知らずに聴いて育った人も多い。それほど、洋楽の普及に影響を与えたということだ。ご冥福をお祈りする。

ENT>OBITUARY>Kusano, Shouichi/2005 June 6

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