Monthly Archives: January 2004

It’s Only A Piano, But There’s A Biggest Luxury

贅沢。 ピアノライヴ、2日目。会場は、これも僕は初めての銀座王子ホール。収容約330。これも昨日同様、非常に綺麗な施設だ。天井は第一生命ホールほど高くなく、反響音はかなり少ない。普段はクラシックを中心にコンサートをやっているという。なによりも、銀座三越の真裏という絶好の場所。 銀座山野楽器のインストアライヴから今度は銀座王子ホールということで、「銀座を渡り歩くピアニスト」(!)になりつつある妹尾武の初のコンサートホール、フル・ライヴ。ファン層は年齢も幅広く20代から40代まで、男女比は2:8くらいでしょうか。 CDで聴かれるそのままの優しさ、暖かさ、叙情が、咳払いひとつや紙をめくる音さえ雑音になるような静かな静かな王子ホールに広がる。ラフなジーンズで登場した彼は、いきなり最新作『Seasons』の1曲目「The Season Comes」から、「春にして君を想う」、「帰郷」まで、CDの流れをそのまま再現してみせた。このCDを聴きこんできた人なら、思わず曲の流れを目をつぶってなぞることでしょう。 あいさつ、おしゃべりをはさんで僕が大好きな「材木座海岸」。歌詞もないのに、すっかりこのメロディーが僕を材木座に連れてってくれます。インストゥルメンタル曲でここまで持ってってくれる曲はそうめったにはありません。 前半は彼がひとりで、休憩をはさんで後半はゲストにチェロの古川展生、ヴォーカルのLyrico(リリコ)を迎えてのパフォーマンス。後半一曲目の「蒼茫(そうぼう)」、さらに続く「ニュー・シネマ・パラダイス」は、チェロとのコラボレーションが映画そのものを思い出させ、「エタニティー」では、リリコが登場。いきなり、歌の力を見せつけました。インストゥルメンタル曲が続く中で、ぽっと歌詞のある歌が入ると、その印象は強烈です。正統派シンガーである彼女はさらにエルヴィス・プレスリーの「好きにならずにいられない」と「キセキノハナ」を見事に歌いきりました。 妹尾メロディーは本当に聴いていると、いろんなイメージが沸いてきます。 そこで、勝手にキャッチフレーズ・シリーズ。第一弾。「恋の始まりと、恋の最中と、恋の終わりに・・・。妹尾メロディーはいつも恋するあなたの傍らに・・・」 第二弾。「ソウルではないが、魂があり、クラシックではないが、伝統があり、ピアノ以外何もないが、そこには一番の贅沢がある・・・」 ニュー・アルバムのレコーディングは完了したそうです。5月発売の予定。その中にはスティーヴィーの「オーヴァージョイド」をちょっとユニークな方法でカヴァーしているとのことです。 Setlist 01. The Season Comes02. 春にして君を想う03. 帰郷04. 材木座海岸05. 星の灯篭~太った三日月の夜06. 新大阪07. 冬物語08. 浜辺の歌09. 永遠に 休憩約12分 10. 蒼茫 (古川展生)11. ニューシネマ・パラダイス (古川展生)12. 爪痕 (古川展生)13. Eternity (古川展生、リリコ)14. Can’t Help Falling In Love(好きにならずにいられない)(リリコ)15. 男はつらいよ16. キセキノハナ (リリコ、古川展生) encore 17. 街角18. 星霜 (2004年1月30日・金=銀座王子ホール=妹尾武ライヴ) ENT>MUSIC>LIVE>Takeshi, Senoo 関連記事 2004/01/15付けソウルサーチン・ダイアリー □ The Beach In Winter, The … Continue reading

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Piano Live Three Days: Day One: A Night With Saya

クリーン。 映画「ミスティック・リヴァー」から始まり、イーストウッドの『ブルーズ・ピアノ』、さらにデューク・エリントンの「メランコリア」、ノラ・ジョーンズの「アイ・ドント・ミス・ユー・アット・オール」、そして、ジャズピアノ40枚組セットと、いやにピアノづいている今週ですが、なんと今日から3日間、ピアノライヴが続きます。ピアノライヴ、3デイズ! サヤ、妹尾武、深町純だ。みなそれぞれスタイルが違うからおもしろい。 まず、デイ・ワンは、約半年振りのサヤ。今回は大阪出身の魚谷のぶまさ(ベース)、加納樹麻(ドラムス)とのトリオ。会場は東京勝どきにあるトリトンスクエア内の第一生命ホール。初めて来たが、実にきれいな収容人数約800の会場だ。天井が非常に高く、音が異様にライヴ。かなり反響があった。アンコールを含め全14曲、1時間42分。 やはり全体的にはオリジナルの作品がいいメロディーを持っていて、印象が強い。3曲目に新曲「ブルーム」を披露したが、これがなかなかよかった。 ちょっと気が付いたこと。グルーヴ感のある「マホガニー」さらに、「イントゥ・ザ・スカイ」が一番最後の部分にでたが、これをもう少し前のほうに持ってきたらどうだろうか。メロディーがきれいな曲が多いので、どうしても、じっくり落ち着いて聴いてしまい、彼女のグルーヴ感のあるピアノを忘れてしまう。そして、オリジナル曲のメロディーが美しいものが多いので、ひとつまちがえると安易なイージー・リスニングになってしまう危険性がある。ここは、やはり元ネヴィル・ブラザースのバンドの一員としてのソウルあるところを見せて欲しい。どうまちがっても、リチャード・クレイダーマンにはなって欲しくないと思った。なるとしたら、ジョー・サンプルの方向に行って欲しい。 ビル・エヴァンスで知られる「アワ・デライト」がフォービートでかなりジャズっぽい雰囲気だったが、ジャズ風は唯一この曲だけ。この路線もう1曲くらいあってもいいかもしれない。 今回のライヴの印象は、全体的にきれいで、クリーンという感じだった。 今回のツアーでは、ライヴ後にCDが飛ぶように売れるという。おそらく、まだCDを持ってない人で、なんらかのきっかけでライヴに来て、とても心地よかったので、彼女のCDを買おうと思った人が多いようだ。ということは、彼女の音楽はたくさん露出すればするほど売れる可能性が高い、ということでもある。ライヴ終了後、サイン会をすると告知したところ、少なくとも40人が列を作ってサヤのサインをもらうのを待っていた。 ふと通路を見ると、本日演奏された曲目がしっかり張り出されていた。お客様にフレンドリーです。 セットリスト show started 19.26 1. 花のワルツ (チャイコフスキー)2. カム・トゥゲザー (ビートルズ)3. ブルーム (オリジナル=新曲)4. アワ・デライト (ビル・エヴァンスなど)5. 別れの曲 (ショパン)6. ジャスト・ザ・トゥ・オブ・アス (グローヴァー・ワシントン/ビル・ウィザース)7. オーヴァー・ザ・レインボウ (ジュディー・ガーランド)8. アイ・ウィッシュ (スティーヴィー・ワンダー)9. エタニティ (オリジナル=『ビューティフル・デイ』から)10. マホガニーのテーマ (ダイアナ・ロス)11. イントゥ・ザ・スカイ (オリジナル=『ビューティフル・デイ』から)12. チキン (ジェームス・ブラウン) アンコール 13. ダンス・ユア・ハート (オリジナル=『ダンス・ユア・ハート』から)14. ウィッシング・ウェル (オリジナル=『ビューティフル・デイ』から) show ended 21.08 (2004年1月29日木曜=東京・勝どき第一生命ホール=サヤ・ライヴ) ENT>MUSIC>LIVE>Saya

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As Looking For “Melancholia”, But Got 40 CD Box Set, Instead:

探索。 どうしても、デューク・エリントンの「メランコリア」という曲の入ったCDが欲しかったので、渋谷のタワーに行った。次の予定との間に15分くらいしか時間がなかったがすぐに見つかるだろうと思っていた。ジャズ売り場は5階。「デューク・エリントンのCDはどこにありますか?」とお店の人に尋ねた。すると、こちらです、と案内された。うむ、楽に4-50枚は並んでいる。 片っ端から、曲目を見るがなかなか見つからない。そこで、途中で「デューク・エリントンの『メランコリア』という曲を探してるんですが、どこにありますか?」と別のお店の人に尋ねると、「あ、それはわかりませんねえ」とにべもない。「曲目を検索できる機械はありますが・・・」というので、そこを案内してもらい、デューク・エリントン、メランコリアと入力するが・・・。コンピューターのリアクションが遅くて、かったるい。1枚当該曲が入ったアルバムのタイトルがでてきて、プリントアウトしたが、もちろんそれは店頭在庫にはなかった。時間もなかったので、もうめんどうだから、棚のCDを全部見ることにした。 CDを抜いては裏ジャケットを見て、曲目をチェック。3段近くあったが、全部見た。だが、残念ながら目指す「メランコリア」はなかった。時間もなかったので、とりあえず、今日は帰ることにした。しかし、やはりこうなると、ネットで買うほうに走るよねえ。CDショップは、サーヴィスで稼ぐようにしないと。「メランコリア」を探してるんですけど、と言ったら、一緒に探すとかしないとね。デューク・エリントンのヴァージョンでなくても、あればとりあえず買うわけだし。その店に行くのは、その場でその日に欲しいからだからねえ。 さて出口に向かうと、ワゴンセールみたいのをやっていて、ちらっとみると、ジャズピアノのボックスセットがあった。でかくてすごいボックスセット。手にとってみると、オスカーピーターソンだ、アート・テイタムだ、アーマッド・ジャマルだ、とそこそこよさげ。しかも、40枚組。これはすごいわと思ったが、値段を見て、さらにびっくり。7090円なり!! 1枚200円以下じゃない! こりゃ買うしかないわ。さらに、サッチモ10枚組ボックスセット、2290円。わかりました。買います。新譜1枚と変わらぬ値段で10枚も。生CDじゃないんだからねえ。(笑) ビリー・ホリデイなどのディーヴァもの5枚組セット1390円! まじっすか。というわけで、トータル55枚お買い上げ。どうするんだ、ただでさえCD置き場ないのに…。 今、これを書きながら流れているのはアート・テイタム(1909~1956)です。これもピアノの基本でしょうか。全然、このあたり詳しくないんですけど。(笑) ガーシュインの「サムワン・トゥ・ウォッチ・オーヴァー・ミー」が流れています。僕がアート・テイタムのことを知ったのは83年のこと。ニューヨークのカシーフが、教えてくれました。「どんなキーボード奏者が好きなのか」と聞いたら、まっさきにこのアート・テイタムの名前をあげました。僕はその頃ジャズ系の名前をほとんど知らなかったので、当時はレコードだったか1枚くらい買ったのかな。 さて、なんでデューク・エリントンの「メランコリア」という曲か。実はノラ・ジョーンズの待望の第二弾アルバム『フィールズ・ライク・ホーム』が2月4日に発売されますが、その中に「ドント・ミス・ユー・アット・オール」という曲があります。ピアノ一本にノラが弾き語りを聴かせるしっとりとした曲で、アルバムの中で一番気に入りました。「雪が降ってくるのが見える。でも、あなたのことを思い出したりなんかしないわ(I don’t miss you at all)。子供たちが遊び、笑うのが聴こえる。でもあなたの微笑みなんか思い出さない。あなたが戻ってこないのなら、あなたは私のはるかかなたの想い出に…。窓の外、光が暗くなっていく…」という、恋人が去っていってしまって寂しいが、あなたなんか思い出さないわよ、というちょっといじらしい歌です。いい曲なんですよ、これが。 で、この曲の元歌がなんと、デューク・エリントンの「メランコリア」なんです。「メランコリア」は僕は持っておらず、聴いたこともないんですが、どうやらインストゥルメンタルの曲らしいんですね。そして、その曲がとても気に入っていたノラは、「どうしてもこの曲を『歌いたい!』と思って」自分で勝手に詞をつけて4年ほど前から歌っていたのです。今回、エリントンの遺族に了解を得て、この歌詞でレコーディングしたというわけです。 さてさて、支払いをすませ、えらく重くなった袋を持ってエレヴェーターの方に向かうと、出口のところで、ピーピーとなるではないか。係りの人が「すいません、まだ充分に消せてないようで」と言って、また袋から全部取り出して、盗難防止用のデータを消す作業をし始めた。急いでいるときに限ってこれだ。(笑) もう一度袋につめてもらい、おそるおそるゲートを通ると今度は無事に静かに、何事もなく通ることができた。ふ~っ。しかし、「メランコリア」一曲を探しに来たのに、なんでCD55枚も買って帰るんだ。ふ~っagain。

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Mystic River: A Perfect Clint Eastwood Touch

(映画『ミスティック・リバー』の感想文です。ネタバレは最小限ですが、ごらんになっていない方は、ご注意ください) タッチ。 グランドピアノに向かって二人の男が座って話をしている。一人は白人の男。嬉しそうに隣の男に質問をなげかける。もう一人の男、サングラスをしたしわがれ声の黒人は体を揺らしながら答える。質問をする男は当代きってのフィルムメイカー、クリント・イーストウッド、答える男はソウル・ミュージックの生みの親レイ・チャールズ。きしくも、レイもクリントも1930年生まれの同じ年だ。イーストウッド自身が監督し、2003年9月PBS系列で放送されたドキュメンタリー映画『ピアノ・ブルーズ』(総監督マーチン・スコセシー。DVDでも発売中)の一シーンだ。イーストウッド自身、ピアノをたしなむ。彼は母親が自宅でかけていたファッツ・ウォーラー(1904~1943=1920年代から40年代にかけて大活躍したジャズピアノの人気アーティスト)のレコードを聴いて以来の大のピアノ・ファンだ。               +++++ ワーナーブラザーズのロゴが消えるなりシンプルなピアノ演奏が始まった。この音だけでクリント・イーストウッドの世界が劇場の空間を埋め尽くす。『マジソン郡…』も『プレイ・ミスティー・フォー・ミー(恐怖のメロディ)』も、イーストウッドの映画はピアノが心地よく映像をサポートする。そして、今始まった『ミスティック・リバー』。 ボストンのちょっと荒れた地域に生まれ育った3人の少年たちが路上でホッケーを楽しんでいる。ホッケーのボールが下水道に落ちてしまった。手持ち無沙汰になった3人はまだ固まっていないコンクリートに自分たちの名前を彫り込んだ。そこに刑事然とした2人の大人が登場。彼らをたしなめ、3人のうち1人デイヴだけを連れ去る。残る2人、ジミーとショーンは車が走り去っていくところをなすすべもなくただ見守るしかなかった。森の奥深くに監禁されたデイヴは命からがら自力で脱出する。しかし、その4日間に彼に起こったことはデイヴの心の奥底に深く大きな傷となって沈殿していった。そのトラウマは、残った2人にも同じように暗い影をなげかけた。この日を境に、彼らは何かを失ったのだ。 それから25年の歳月が流れた。ジミー(ショーン・ペン)は前科のあるドラッグストアのオウナー、学生時代は野球がうまかったが現在は低所得労働者となったデイヴ(ティム・ロビンス)、そして、家庭状況がうまく行っていないショーン(ケヴィン・ベイコン)は刑事となり、3人はそれぞれの人生を静かにひっそりと生きていた。そんな中、ひとつの殺人事件が運命の糸がからむように、離れ離れになっていた3人を引き寄せる。ひとりは、殺人事件の被害者の父として、ひとりはその容疑者として、そして、もうひとりはそれを解決する刑事としてクロスロードで遭遇した。 ミステリー作家デニス・ルへインの原作『ミスティック・リバー』を、クリント・イーストウッドが非常にオーソドックスに監督。まずこのプロット、物語自体が圧倒的におもしろい。そして、主要登場人物3人さらに、その脇役たちの演技も見事というほかはない。演技と物語が完全に同化している。 時間の流れが多くあればあるほど、別の言葉で言えば、時間が凝縮されればされるほど、そして、不条理、矛盾、不正義がまかり通ることがあればあるほど、その物語は劇的におもしろくなる。時にそれは後味の悪さを残すこともあるが、黒白がつかず、どちらも正しい、あるいはどちらも正しくない、どうしようもないやるせない部分を描ききると、観客に考えさせる余白が生まれ、映画としての深みがでる。喪失感、トラウマから生まれる考えられない行動。そうしたことが起こるから、思いもつかぬ事件が現実に起こる。それもまた人生の真実なのだ。既存の正義の枠で片付けられない様々な矛盾。そこにストーリーが浮かび上がり、ドラマが生まれる。その中で、ある者はなんらかのソウル・サーチンを試みる。イーストウッドは常にその影に光を当てる。 この『ミスティック・リバー』は、時間の凝縮と人生の不条理というその両者が完璧に揃う。もちろん、本作は殺人事件が起こったことによって、犯人探しの側面もあるが、それ以上に、3人と2人の妻、それぞれの人生がしっかり描かれているところがすばらしい。世の中には理屈で説明できないことが多い。納得がいかないことも多々ある。そこを掘り起して淡々と描くところが、このイーストウッドという監督、「職人フィルムメイカー」の底知れぬ力だ。ある意味で非常に冷静にジャーナリスティックに物語を見つめ、そして、それを丁寧に描写する。しかも超一流の俳優陣の演技によって。俳優に委ね、演技に任せ、ハンドルの「遊び」を作る。その遊びは見るものに「考える」余白を与える。 満点に近いこの映画を見て唯一こうしたらいいのではないかと思ったところ。それは、前半導入部と、後半一気に物語が解決に向かうところは、実にテンポよく進むのだが、中盤なぜか冗長になる点だ。あの中盤部分をもう少し削いで、テンポアップし、あと20分短縮できれば完璧になるような感じがした。ひょっとすると、イーストウッド監督が、3人のあまりの演技のすばらしさに目がくらみ、どうしてもエディットできなくなったのではないだろうか。それはそれで痛いほどわかるのだが…。それでも、そこを泣く泣くエディットするのが監督の仕事だ。あそこで中だるみを感じさせては、元も子もない。 もう一点、日本の映画会社の「もうひとつの『スタンド・バイ・ミー』」というキャッチフレーズ。これはない。そういうキャッチをつけたくなる気持ちもわからなくはないが、もっともっと頭を絞って絞って考えだしてほしい。 デイヴ(ティム・ロビンス)の行方がわからなくなった時、刑事ショーン(ケヴィン・ベーコン)が、ジミー(ショーン・ペン)に「最後にデイヴを見たのはいつか」と尋ねる。ジミーは宙を見て、「11歳の時、車に連れ去れた時だ…」とぽつりとつぶやく。その一言にショーンは返す言葉がない。2人は25年前、車が走り去った方をぼんやりと眺める。3人の重い、しかし決して忘れることができない25年間。時間が凝縮され、誰もが正解を知ることができないゆえの苦悩と沈黙が多くを物語る絶妙のシーンだ。 ラストの部分、ボストンで行われるパレードのシーン。刑事ショーンは、遠くにいるジミーを見つけ、右手で拳銃の形を作り、撃つ真似をする。これも様々に受け取れるシーンだ。 イーストウッドは、基本的に映画とはこういうものだ、という自分のパターンをしっかりと持っている。僕はその基本的な考え方に強く同意できるので、彼の作品が大好きだ。彼が作る、クラス(品格)があり、痒いところに手が届くような「映画らしい映画」が楽しめる。それはそのエンディングが仮にいかに不条理であろうと、映画作品として楽しめるのだ。 映画のエンディングで、大きなミスティック・リバーが映し出される。そこにかぶさる後テーマは再びシンプルなピアノのメロディーだった。それはイーストウッドのトレードマーク。そのゆったりとしたピアノの旋律は、まるで彼が「この物語についてじっくりお考えください」と観客に問いかけているかのようだ。クレジットロールがゆっくり回りだして驚いた。このテーマ曲自体をクリント・イーストウッド自身が書いていたのだ。 『ミスティック・リバー』でイーストウッドはスクリーンには一切出てこない。だが、この作品のあらゆるところにイーストウッドの香りがたちこめる。彼はカメラの裏側にしっかり立ち、編集作業をするスタジオや、音楽の録音スタジオにいて彼の魂をこのフィルムの中にこめているのだ。『ミスティック・リバー』、それは「完璧なイーストウッド・タッチ」。               +++++ 『ミスティック・リバー』の制作の合間をぬって作ったというドキュメンタリー映画『ピアノ・ブルーズ』は、レイ・チャールズの「アメリカ・ザ・ビューティフル」で幕を閉じていく。『ミスティック・リバー』の中で、「ただのレイ(just Ray)」や「いろんなレイ」がでてきて、「レイ・ハリス」という役名がでてくる。ふとその時、イーストウッドはこのレイの役名をレイ・チャールズから取ったのではないかと邪推した。レイ・ハリス、レイ・チャールズ…。偶然かな。(笑) いつか機会があったら訊いてみたい。 (映画『ミスティック・リバー』原題Mystic River、2003年アメリカ作品=2月13日まで丸の内プラーゼル他全国松竹東急系で公開中) ENT>MOVIE>REVIEW>Mystic River

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I Know You Got Soul: John Tropea Band Make Full “Funk” House

緊張感。 実はライヴに行く前は、白人の軟弱クロスオーヴァーだったら、何も書かないでおこう、と思っていた。ところが、どっこい、えらい奴らだった。このホワイト・キャッツたちは、心底ソウルを知っていた。 まあ、冷静に考えてみれば、このメンツだったら、間違いないわけだ。認識甘かったです。すいません。(って、誰に謝ってるんだか) ギターのジョン・トロペイ(繊細かつ大胆)を中心に、ルー・マリーニ(サックス=ブルース・ブラザース・バンドにいた人だ!)、クリス・パルメーロ(キーボード=先週のタワーに引き続き、ハモンドB-3の渋い音がBNに響き渡る)、アンソニー・ジャクソン(ベース=ファンクの大黒柱。機械のような完璧さ)、スティーブ・ガッド(ドラムス=もう一人のミスター・パーフェクト。ファンクの屋台骨)らの5人編成。 全員が職人、匠。それも超一流の。何も決して新しいことはないが、きっちりと、基本で当たり前のことをやり遂げる連中だ。一々、かっこよく決めるところを決める連中でもある。ミュージシャンとしてのレヴェルが非常に上のクラスの連中同士だけでやっていると、のりとか、その瞬間の空気とか、それが秒単位で上向いてくるのがわかる。曲の始まりより、中盤、さらに、後半とどんどんとテンションが高くなっていく。「オレがこういういいプレイをしたから」「あいつがこんな風にいいプレイで返してきた」「だったら、オレもこんなことをやってやろう」みたいな、会話が成り立つ。 圧巻だったのは、アンコール前のセット最後の曲「(テイク・ミー・バック・トゥ・)ジ・オールド・スクール」。各人のソロが披露され、最後にスティーヴとアンソニーのインタープレイが繰り広げられた。ギターのように弾くベース。チョッパーなどやらずとも、充分にその存在感を見せるアンソニー・ジャクソン。いやあ、誰をサポートしてもかっこいい。前回は上原ひろみだった。http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200312/diary20031201.html  出すぎず、しかし、しっかり「オレはここにいるよ」とベースが語りかけてくる。そして、あの独特のスティーヴ節との掛け合い。ある程度の年季が行った者同士だけができる火花の散らしあいだ。 5人の間に張り詰める緊張感が心地よく観客席に伝わる。それぞれが自分のポジションでベストの仕事を淡々とこなす。各自独立しつつ、しかし、ユニットとしての統一感もある。ふとスティーヴ・ガッドに目をやれば、そこだけに白い光があたり、彼のプレイが浮かび上がり、ふとアンソニーに目をやれば、そこに白い光があたり、ベースの音が体に伝わってくる。ジョン・トロペイに着目すれば、しっかりした繊細かつ大胆なギターの音色が耳から直接脳に入り込んでくる。舞台左クリスのハモンドオルガンを見つめれば、オルガンのグルーヴが飛び込んでくる。そして、ルーに目をやればやはりそこに白いスポットライトがあたり、サックスが炸裂してくる。それぞれ目線を変えた瞬間、そのミュージシャンの音がくっきりと輪郭を持って浮かび上がる。 やはり、アンソニーのベースとスティーヴのドラムスが大黒柱となって支える家はファンクな家として聳(そび)え立つ。今日の一言はこれで決まりだ。「あなたたち、ソウルがありますね(I know you got soul)、わかってるよ」。 (2004年1月26日月曜=ブルーノート東京セカンド=ジョン・トロペイ・バンド・ライヴ) ENT>MUSIC>LIVE>Tropea, John Band

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The Beauty Of Redundancy: Utazawa Live At Shinkiraku

冗長。 土曜日昼下がり。築地。「ほお、ここがほんの1週間ほど前に、芥川賞、直木賞を決めたところなのかあ…」 築地の有名料亭「新喜楽」。一見さんははいれないという、非常に敷居の高いところ。毎年、芥川賞、直木賞の選考委員会が開かれるところ。新大橋通り沿い、築地の市場の前にある古めかしい和風の建物だ。 ソウルメイトMのお三味線の発表会がここであり、この日は「普通の人」(笑)も入れるというので、築地の未開ゾーンを探索することができた。この三味線の発表会については、昨年も書いた。(2003年1月11日、12日、26日付け日記=http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/soul-diary-200301.html) 入口を入っていくと、番頭さんが靴を預かってくれた。会場は二階なので、階段を上がっていく。どうもあちこちに部屋があるようだ。歌の発表会があるところは、5-60畳はあるような大広間。天井が高い。部屋の前方のほうがステージ然と仕切られ、幕が人の手によって開け閉めされる。とはいうものの、ステージは高くなってはいない。客席側と同じレヴェルだ。ステージから見て、縦に2列テーブルが並べられ、その両側にすでに人がいっぱい座っていた。 お三味線を弾く人と、歌を歌う人がペアで登場する。歌われる演目と歌う人などの式次第があるので、それを見ていくと、今なんという曲が歌われているかがわかる。さらに、各曲の歌詞だけが印刷された小冊子があり、演目を歌詞カードを見ながら聴くこともできる。この歌詞カード集が、便利。何を歌っているか、聴いていても皆目わからないが、これを見るととりあえず、何を歌っているかわかる。もっともその意味がわかるかどうかは次のレヴェルの問題。雰囲気がわかる歌もあれば、言葉の意味がわからないものも多数ある。そのあたりをイマジネーションを最大限使いながら聴いていると、けっこうおもしろい。 三味線の歌は、色もの、恋話(こいばな)が多い。そして、状況を描く表現に、侘び寂び(わびさび)がにじみでてて、なかなかに味わい深い。ちょっと女々しい歌詞(歌詞とは、三味線の世界では言わないらしいが、ここではまあ、わかりやすく・・・)なんかがあると、ソウルの世界では、一体誰に近いだろう、などと考えて聴いてしまう。 例えば、「玉川」という作品はこんな歌詞。 「玉川の水にさらせし雪の肌、つもる口舌そのうちに、とけし島田のもつれ髪、思い出さずに忘れずに、また来る春とまつぞへ」 口舌(くぜつ)=いい争い。特に、恋のうらみ言や痴話(ちわ)げんか。島田=島田髷(まげ)。芸者が結う髷の一種。 「玉川の水にさらされた雪のように白い肌。二人は、いろいろなことで言い争いもするけれど、お前の髪の毛がほどけるように、言い争いも解けていく。それを思い出さずに、でも、忘れるということもなく春がやってくるのを待っている…」といった状況描写。(解釈はあまり自信ありません。間違いがありましたら、お知らせください。あるいはもっと深い解釈があるのかも) つもる口舌と積もっている雪。髪がほどけるのと雪が解けるがかかっている。ルーサーあたりか、ブライアン・マクナイトあたりか。さっと読めば20秒程度のものを3-4分かけて歌う。情緒あります。そして、見事なまでに冗長の美学。 一番最後のパートは、師匠の歌と演奏。さらに、芸者さんがその歌にあわせて舞を踊る。優雅でゆったりとした時間が流れる。昔の人は、食事をしながら、こいうエンタテインメントを楽しんでいたんですね。ま、今もか。太古の時代からこのリズムだと、リズム感はアフリカン・アメリカンにはかなわない、などとも思ったりするわけだが…。(笑) しかし、これは日本の文化だ。 外に出ると、もうすっかり暗くなっていた。あちこちの寿司屋のネオンが我々を呼んでいた。 (2004年1月24日・土曜日・哥沢新年会・築地新喜楽) ENT>MUSIC>LIVE>Utazawa

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Motown 45 Will Be Held In April

モータウン45。 1983年に行われた歴史的イヴェント『モータウン25』から21年、2004年に『モータウン45』が行われることになった。来る2004年4月4日、ロスアンジェルスのシュライン・オーディトリウムでライオネル・リッチー、ジャスティン・ティンバーレークの司会で収録され、5月にABCテレビ系列で放送される予定。詳細な出場アーティストはまだ発表されていないが、新旧多数のモータウン関連アーティストが出場するものと見られる。 モータウン・レコードは、デトロイト生まれのベリー・ゴーディーが1959年1月に家族から800ドルの資金を借りて始めたインディペンデントのレコード会社。60年にミラクルズの「ウェイ・オーヴァー・ゼア」が初ヒットを記録し、以後徐々にヒットがでるようになり、60年代にはスティーヴィー・ワンダー、シュプリームス、テンプテーションズなどを世界的なスターに育て上げた。 1983年3月にロスアンジェルス郊外シヴィック・オーディトリウムで行われた『モータウン25』では、ジャクソンズ、マイケル・ジャクソン、スティーヴィー・ワンダー、マーヴィン・ゲイ、テンプテーションズ、フォー・トップスなど錚々たるメンバーがライヴを見せ大きな話題となった。特にジャクソン5とジャーメイン・ジャクソンの再会、さらに、マイケル・ジャクソンの「ビリー・ジーン」におけるムーンウォークを初めて見せたパフォーマンスは、すでに爆発的に売れていた『スリラー』のアルバムセールスをさらに加速した。同年5月に全米ネットワークで2時間に編集され放送された『モータウン25』は30%以上の視聴率を獲得し、翌年テレビ業界のエミー賞・最優秀ヴァラエティー・プログラム部門を受賞した。 なお、なぜ25周年が83年で45周年が2004年かという点だが、基本的にはモータウンのスタートをどこにするかで変わってくる、ということだ。次のように解釈できる。彼は1957年頃からソングライターとして、曲を書き始めた。しかし、まもなくソングライターでは収入があまりに少ないことに気が付き、いわゆる原盤制作(レコードのマスターテープを作って、それを自身もしくは他のメジャーの販売網で発売すること)に乗り出す。ベリーが原盤制作をしたミラクルズの「ウェイ・オーヴァー・ゼア」は58年2月、チェス・レコードから発売された。そして、59年1月、マーヴ・ジョンソンの「カム・トゥ・ミー」がタムラ・レーベル(ベリー・ゴーディーが最初に作ったレーべル。後のモータウンとともに、タムラ/モータウンとして主要レーベルとなる)から発売された。これが正真正銘のモータウン第一号のレコードとなる。ミラクルズから数えれば83年が25周年。マーヴ・ジョンソンから数えれば04年は45周年ということになる。アメリカは意外とこのあたりは、ルーズである。 2004.1.21Justin Timberlake & Lionel Richie To Host ‘Motown 45′ reported by: LAUNCH Radio Networks Justin Timberlake and Lionel Richie will host an ABC-TV special celebrating the hit singles of the legendary record label Motown this … Continue reading

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24-7 She’s Been Thinking About Gag: Comedy “Do Les Miserables”

ヴァリュー。 「住めば必ず人気役者になれる伝説の館」があるという。かつてそこのアパートに住んでいた人の中から多くのスターが育っていった。今、そこに住む6人の若者たち。オーディションも受けなくなり、日々惰性で生きている彼らが求めているものは何か。そして、彼らがその中から気が付くものは…。放送作家としてこのところすっかり超売れっ子となっているカニリカ氏原作のコメディーの舞台最新作。補助席まででて330席x5回プラス追加公演、計6回が売り切れ御礼というからすごい。 これは、カニ先生にはいろいろお世話になっているファミリーとしては見に行かないわけにはいかない。カニ氏の舞台作は初めて見た。なるほど。いや、いいねえ、舞台ね。舞台終了後に、出口近辺にでてきたカニ氏に一言。「おもしろいじゃない!」 けっこう笑った。 アパートのリヴィングルームのみで、物語が繰り広げられる。舞台展開なしで、演出の展開だけでこれだけもたせるのだから、たいしたものだ。登場人物は7人。アパートの管理人(山川恵理佳)、イケメンのお笑い芸人(涼平)、アクション俳優(イジリー岡田)、ゲイっぽいミュージカル俳優(小浦一優)、歌舞伎役者(ヒロシ)、役者志望の若者(小田マナブ)、アングラ劇団員(剣持直明)。それぞれの個性が、そこそこでていて、キャラクター作りもおもしろい。 途中全員でやるミニコントのところが、毎回アドリブだそうだが、受けないコントをやってすべるところで、受けをとるという手法は、やられた、という感じ。(笑) つまらなければ、つまらないほど面白い、っていうシーン。それぞれの出演者の肉体的個性を自然に使っているところもうまい。背の高いイケメンお笑い芸人と歌舞伎役者の背丈の違いをネタにしたところなど、単純に笑える。全体的に、細かいところ、ちょっとした隙に、なにかしらネタをいれてくるのでその辺でコンスタントに笑いがもれる。普段から隙あらばギャグをかましてくるカニ氏ならではの面目躍如だ。きっと頭の中は1日24時間週7日ギャグのこと、受けることしか考えていないのであろう。(笑) 演出が個性ある役者のキャラを持ち上げ、ギャグに息吹を与える感じだ。きっと、リハーサルも楽しいんだろうな、と思った。また歌舞伎ネタをいれるところなど、歌舞伎フリークのカニ氏ならではのところだろうか。 いくつか細かい点で気付いたこと。些細のことだが、基本的にはよかったんだが、音楽、効果音の音量と役者の声のバランスがちょっと微妙なところがあった。アンプを通した音はどうしても大きくなるから、肉声とのバランスをうまくとらないと。もうひとつ、いわゆる硬軟のうちのしんみりシーンがどうしてもテンポ感がなくなってしまう。もう少し減らすか、いっそのこと、このあたりばっさりカットして、2時間笑わせ倒したら、どうなんだろう。とはいうものの、そのしんみりシーンからエンディングへつながるので、このエンディングだとどうしても、こういうところが必要になるのだが。そして、やはり最後のオチがなあ、僕はもっと大きいどかーんとくるものを期待しちゃったなあ。オチにもうひとひねり、キャッチーなものというか、ガツンとくるものが欲しい。終ったときに、「え、これで終るのかよ」と思ってしまった。 あの最後のフリートークは、「告知」までいれて、超テレビ的。さすが、テレビの人。おもしろいと思った。そのうち舞台と観客の間の「コール&レスポンス」なんかが入るようになるのだろうか。まあ、やってるのも既にあるかもしれないが。(笑) 総評を一言でいうなら、3800円のヴァリューは充分あった。楽しめた。1万円はちょっと厳しいが。(笑) 再演もいいだろうし、次回作も必ず行きます。 (2004年1月23日=新宿シアターサンモール=『どれミゼラブル』公演) ENT>THEATER>Do Les Miserables

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January 21st Is The Day Jackie Wilson, Another R&B Giant, Died

心臓発作。 1月13日はダニー・ハザウェイの命日ですが、1月21日はもう一人のR&Bグレイト、ジャッキー・ウィルソンの命日です。ジャッキー・ウィルソンは、1934年6月9日デトロイト生まれ。58年にベリー・ゴーディーが書いた「トゥ・ビー・ラヴド」の初ヒット以来、次々と大ヒットを放ち、50年代後期から60年代に爆発的な人気を得たR&Bシンガーです。かなり迫力ある歌唱を聞かせるシンガーで、踊りも抜群にうまかったようです。ステージのかっこよさで人気になったごく初期のシンガーです。彼のハイテナーの声は、非常に特徴的で、彼の人気の大きな要因でした。僕も彼が動く姿は昔のテレビの映像でほんの少ししか知りませんが、CDは比較的入手しやすいです。 最近『ニューヨーク・ハーレム・ゴスペル』というミュージカルの中でも、ウィルソンのヒット曲のひとつ「 ア・ウーマン・ア・ラヴァー・ア・フレンド」がテレンス・アーチーというシンガーによってカヴァーされていました。このミュージカルは、ニューヨークで大ヒットした『ママ・アイ・ウォント・トゥ・シング』をてがけたヴァイ・ヒギンセンがプロデュースしたミュージカルで、ハーレムが全盛期を迎えていた1940年代以降を舞台にした様々なブラック・ミュージックを見せるもの。 ジャッキー・ウィルソンのヒットで有名なものは、「ロンリー・ティアドロップス」、「ドッギン・アラウンド」、先の「 ア・ウーマン・ア・ラヴァー・ア・フレンド」などですが、そのウィルソンは1975年9月25日、41歳の時にニュージャージー州ラテンカシノでライヴ中に心臓発作で倒れ、以来復活することなく、84年1月21日に49歳で亡くなります。約9年弱、彼はベッドでの生活を強いられました。 この年のグラミー賞は、マイケル・ジャクソンが『スリラー』で賞を総なめしますが、この時マイケルはジャッキー・ウィルソンへの追悼の意を表していました。 ウィルソンの初ヒット「トゥ・ビー・ラヴド」(1958年)は、後にモータウンを作るベリー・ゴーディーの作品です。きしくも、ベリー・ゴーディーも、ジャッキー・ウィルソンも一時期ボクサーとして活躍していたことがありました。そのあたりでも、二人は意気投合したのでしょう。しかし、ベリー・ゴーディーの自伝『モータウン、わが愛と夢』(東京FM出版)によれば、ウィルソンはヒット曲がでるようになって、かなり大物ぶるようになり、一ソングライターであるベリーにむずかしい条件をつけるようになった、とのことです。 ベリー・ゴーディーのその自伝の原題は「トゥ・ビー・ラヴド」です。それは、「人に愛されるということがいかに、重要か」ということをゴーディーが知って、つけたものです。 ENT>OBITUARY>Wilson, Jackie

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Stranger Turned To Be A Friend By Power Of Tower & Champagne

シャンパーン。 ラリーの歌声がひときわ響く。CDよりさらにテンポを落して歌う。「計画や期待どおりに物事が進むなんてことはめったにないこと。人生なんてそんなものさ。時が経てばわかる。そうすれば僕たちのことをお互いよくわかりあえるはずだ。時がすべてを教えてくれる(time will tell)」 タワー・オブ・パワーのセカンドのセットリスト中、唯一のスローバラード「タイム・ウィル・テル」が沸点に達してる会場の熱を少しだけさまそうとしていた。 ライヴは連日満員なので、結局、僕は入口近くの立ち見席になった。そこで、立っているような、座っているような形で彼らの演奏を見ていると、カウンターにひじをついて、シャンパーンをボトルでとって飲んでいるひとりの紳士がいた。高級なスーツに身を包んだ一見エグゼクティヴ風だが、えらくのりがいい。その彼が、一緒に行っていたソウルメイトNに「あまちゃってるからさ、飲まない?」とシャンパーンをくれたのだ。Nは微笑みながら、シャパーングラスを受け取った。 「一緒に来た子がさ、よっぱらっちゃって、トイレで寝てるらしいんだよ。ここ来る前、シャンパーン2本くらい飲んじゃって。飲んで大騒ぎするの大好きだから」と彼は言った。そして、僕にもシャンパーン・グラスを手渡してくれた。その細身のグラスを右手であげて彼のグラスにぶつけた。ファンキーな曲が終るたびに、「イエ~~」と絶妙のタイミングで掛け声をいれる。「オレ、昔オークランドに2年くらい、住んでてさ。向こうでももちろん(彼らを)見たよ。(音楽は)黒人ばっかり聞いてたんだよ」 そりゃ、のりがいいわけだ。「オークランドだったら黒人ばっかりでしょ」 「そうなんだよ、やばいよ。(笑) でも彼ら白人のファンク(タワーのこと)も、こう、ちょっと軽くていいよね」 20年以上前、彼はオークランドで初めてブラック系のクラブに行った時、香水と体臭の匂いで気絶しそうになったことを鮮明に覚えているという。 「ガール、僕たちきっとうまく行くと思う。浮き沈みもあるだろう。すべてがパラダイスというわけじゃない。でも、一緒にいればきっと素敵だよ。Baby, I need you, I want you」 「タイム・ウィル・テル」の主人公は、そのガールと一緒になれるのだろうか。せつなさがじわりと胸に響く。 ちょうど、僕の後ろで女性がひとり、黙々と踊っていた。完璧に自分ひとりの世界に入り込んでいた。彼がその彼女にもシャンパーンを手渡した。この一帯が、なんとなくファミリーっぽくなっていた。彼女はミュージシャンの彼氏と一緒に来たのだが、席がわからなくなってしまって、ここで踊ってるという。ブルーノートは初めて、タワーのライヴも初めてだが、「最高! わたし、なんたって、I love music だから!」と言って踊りつづけていた。 その彼女の「I love musicだから」という言葉にちょっと「おおおっ」となった。いいねえ。シンプルにアイ・ラヴ・ミュージックだからって言うのが。 ちょうど一緒に来て席が離れてしまった別のソウルメイトNが通りがかった。「いやあ、もう生バンド、サイコーっすね」  アメリカあたりでライヴを見ると、そこにいる観客全員が「I love music」なんだなあ、ということを痛切に感じる。最近は日本でもそういうシーンを見ることが多くなったが、このタワーのライヴなんかも、かなりそんな感じの観客が多かったように思う。 ライヴ・アーティストは観客が育てる。そして、アーティストも観客を育てる。その双方向のやりとりがあって、観客もライヴアーティストも成長していく。タワー・オブ・パワーとその観客は、互いにリスペクトしあいながら、非常にいい関係を持っているように思えた。こういう観客の前で演奏ができるアーティストも幸せだろうな。そして、こういうバンドをあれほど小さな会場で見られる観客も幸せだ。タワー・オブ・パワーのライヴには、幸せのオーラが漂っている。彼らの音楽とそのグルーヴは、知らぬ者同士も、お互い引き寄せてしまうマジックを持っているかのようだ。シャンパーンとタワー・オブ・パワーの力で二人の見知らぬ者が接点を持った。シャンパーンをくれた彼と僕は名刺を交換して言った。「今度はアイズレーだね」 「まちがいない!」  アンコール曲「ホワット・イズ・ヒップ」が終る頃には、再び会場の温度は沸点をはるかに超えていた。 (2004年1月19日月曜・ブルーノート東京=タワー・オブ・パワー・ライヴ) ENT>MUSIC>LIVE>Tower Of Power

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Down To The Night Club: Tower Of Power Show What Is Hip

沸点。 「さあ、みんな、ソウルって言ってくれ(let me hear say “Soul”)(もちろん大文字のS)」 既に総立ちの観客から「ソ~~~ウル!」。 「さあ、みんな、タワーって言ってくれえ!(let me hear say “Tower”)」 「タワ~~~~!」 観客と一体となったファンク・ショウ、ファンク・フェスティヴァル。熱もヴォルテージも最高潮。デイヴィッド・ガリバルディーのドラムが飛び、ロッコのベースが弾け、ハモンドB-3がうねり、5人のホーンセクションが炸裂、そして、サウンドが大爆発。それがリアル・ミュージシャン、タワー・オブ・パワーのリアル・ミュージックだ。会場外に雪が降ろうが、会場内は熱帯夜。 2002年8月に続く来日。しかも今回は病気療養中だった伝説のベーシスト、ロッコが復帰。5日間10回公演がなんと完売というものすごい人気ぶりを見せている。ラジオでかかるわけでもなく、近年大ヒットがあるわけでもない。(こういうバンドこそ、番組で紹介しなければね!) では、このタワーたちの根強い人気は何なのか。答えはひとつ。彼らがリアルなバンドだから。ファンキーで、最高にかっこいい。だからライヴを味わいたい。そこに尽きる。 どこがかっこいいって、リズム隊がしっかりしている。そして、この切れのいいホーンセクション。何度見ても、惚れ惚れする。2003年リリースの最新作『オークランド・ゾーン』からの4曲を含め、新旧とりまぜてのファンクン・ロールな74分。今時、こういう大型バンドがいないだけに、なおさら貴重だ。ワン・アンド・オンリーな存在。 1曲目から全開で飛ばし、名曲「タイム・ウィル・テル」でしばしスローダウンし、メンバー紹介になった。一人一人が紹介され、徐々に拍手が大きくなっていったが、ベースのロッコのところでその拍手は最高潮に達した。拍手と歓声がしばし鳴り止まない。もちろん、彼のベースがすばらしかったために得た拍手ということもあるだろうが、やはり、彼が肝臓移植という大手術を経て奇跡の復活を果たしたことを観客のほとんどが知っていて、そのカンバックへの大きな喝采だったように思えた。それは、「お帰りなさい、ロッコ」を意味する熱い拍手だった。7曲目の「ディギン・オン・ジェームス・ブラウン」で観客が一斉に立ち上がると、以後最後まで観客は座ることなく、アンコール曲「ホワット・イズ・ヒップ(新しくて最高なことって何?)」で会場の熱気は沸点まで達した。2004年、今ヒップなのは、タワー・オブ・パワーか。 前回来日時に日本初お目見えとなった新人リードシンガー、ラリー・ブラッグスの声質は、グループ初期のリード、レニー・ウィリアムス系のようだ。このタワーに非常にあっているような気がする。 ライヴが終った後、楽屋からでてきた彼とちょっと話した。彼は言う。「2000年の暮れにタワーに入ったんだ。僕が地元で別のバンドで歌っているのを、エミリオが聴いて、デモテープを送ってくれって言ってきた。で、テープを送ると、今度はオーディションをしたい、って。で、オーディションを受けたら、そのままメンバーになった。(笑) 最初は彼らの曲は3~4曲くらいしか知らなかったんだよ。(笑) 『ダウン・トゥ・ザ・ナイト・クラブ』、『スティル・ア・ヤング・マン』あたりかな。でも、すぐに全部覚えたよ」 同じく楽屋からでてきたロッコの元にはファンが集まり始め、いつのまにかCDにサインをねだったり、写真を一緒に撮る者が列を作っていた。本当に元気になってよかった。まだまだ老け込むには若すぎる。なぜなら、You Are Still A Young Man! +++++++++++++++++++++++ Complete Set List: Tower Of Power 2004.1.19 (Monday) Second Show At Blue Note TokyoTranscribed By Yoshioka Masaharu show … Continue reading

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Unchangeable Universality: Norah Jones Live @ Spiral Hall

不変普遍。 きっちり20席x9列。180席。当然満席。青山スパイラルホール。このほかに横の通路に立ち見の人々がステージを見つめています。小さな音量でずっと流れていたのは、アル・グリーンの最新作。定刻6時を15分ほど回った頃、ちょうど僕の大好きな「ミリオン・トゥ・ワン」が流れました。今日のステージの主人公とはまったく関係ありませんが・・・。ま、しいて言えば、レコード会社が東芝で同じということですが。さて、こんな前置きはおいといて・・・。 6時18分。司会者に導かれ今宵のスターが登場。バックバンドはコーラスを含め5人。今宵のスターとは、グラミー賞8部門に輝くノラ・ジョーンズ! ノラがプロモーションで来日し、この日ラジオのリスナーと媒体関係者を招いてショーケースを行ったのです。 アコースティックのピアノの前に座ったノラは、普通のジーンズに黒のブラウス。いたって素朴なそこらへんを歩いていそうな女の子という感じ。2月4日に発売されるニューアルバム『フィールズ・ライク・ホーム』から5曲、南部のカントリーロックシンガー、グラム・パースンズの作品「シー」の計6曲を歌いました。 この「シー」は、彼女たちが気に入って演奏したものですが、新作にははいっていません。このグラムは、元バーズのメンバーで、73年にドラッグの過剰摂取で26歳の若さで死去している人。そして、この曲自体は彼の72年のアルバム『G.P』に収録されています。 ギター、ギター、ドラム/パーカッション、ベース、コーラス、そしてピアノとヴォーカルにノラという編成。前回の来日が基本的にトリオだったのに比べると、少しバンドのスケールが大きくなっています。しかし、彼女の音楽自体は、まったく変わっていません。 アメリカの片田舎にありそうなピアノバー、カフェあたりで軽くやっているトリオかせいぜい5-6人のバンド、という感じ。その素朴な味わいはどこまで行っても、カントリーを彷彿とさせます。マンハッタンの摩天楼ではなく、テキサスの何も無いような暑い暑い砂漠にぽっかりと浮かぶカフェみたいなところでやっているような音楽。そんなイメージがします。砂漠のオアシスか。 それにしても、レス・イズ・モア。音数が少ないので、自然とノラの声に集中します。彼女の魅力は、この声です。この声が落ち着く。ジョス・ストーンももちろん、すごいですが、ノラの声はこう、肩の力が抜ける。BGMにも成りえるし、集中して聴くこともできる。このわかりやすさは、例えばカーペンターズを少しオーガニックにして、カントリー・フレイヴァーをまぶしたといったところではないでしょうか。だから日本でも80万枚ものセールスになるのでしょう。カレン・カーペンターのように、万人受けする声なのです。 「デューク・エリントンの作品に私が詞をつけてみました。あまりめったにやらないんだけど」と言って歌い始めたのが、「ドント・ミス・ユー・アット・オール」という作品。彼女ひとりがピアノの弾き語りで聴かせ、ぐいぐいとその声に引き込まれます。 彼女はグラミー賞をたくさん受賞し、おそらく、あちこちでもてはやされているにもかかわらず、前回来日した時と、ほとんど変わっていません。素朴で、純粋。ほんの少しの友人と、ほんの少しのいい音楽があれば、それで充分幸せだという感じです。彼女にとってぜいたくは必要ないのです。そういうところは、グラミー後の彼女がどうなるかという点で興味を持った者としては、ものすごく好感度アップです。 彼女は言いました。「今日(ステージで)履いてるブーツは4年前にペイレス(アメリカのどこにでもあるディスカウントショップ)で買ったもの。ジーンズも3年前のもの。日本にはペイレスは、あるの?」 グラミー前と後で唯一変わったのは、アパートだけだそうです。 いかにスーパースターになろうとも、ジーンズも変わらず、ブーツも変わらず、そして彼女の音楽のスピリットも変わらず。不変に普遍の魅力あり。拍手! (2004年1月19日月曜・青山スパイラルホール=ノラ・ジョーンズ・ショウケース・ライヴ) Setlist show started 18.18 1. Sunrise2. What Am I To You3. Don’t Miss You At All4. In The Morning5. She (Gram Parsons)6. Creepin’ In show ended 18.45 … Continue reading

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Snow-Daruma Is Not Snowman: Snow Is Black Somewhere In The World

雪。 アメリカと日本の文化の違い。まあ、いろんなところにでますね。今日の『ソウル・ブレンズ』のお題は「雪」だったんですが、そこで「雪だるま」の話になりました。アメリカ人のマーヴィンは、日本の雪だるまが丸が二つなことに驚いた、と言います。アメリカでは必ず三つなんだそうです。まずここで「へええええ」。 なんと、アメリカの雪だるまには頭と体と、あと足がある、ということなんですね。ほ~~。「だから、初めて日本の雪だるま見た時、なんで二つしかないのか不思議に思った」そうです。そこで、僕が「だるまだから、足がないんだよ~~」ということになったのですが、アメリカでは雪だるまは雪だるまとは言わない。Snowmanというのですね。 雪だるまじゃなくて、雪男。だから足がある! な~~るほどね。いやあ、違いがあるんですね、こんなところに。 そして、もうひとつ雪の話題。リスナーからのメールで、これは紹介できなかったのですが、ソロモン諸島出身の友人が日本にやってきて、グループで長野にスキーに行ったときのことです。そのグループはみなあたかも雪を見るのが初めてという具合に雪ではしゃいでいたそうですが、ひとりソロモン出身の彼だけ雪と遊んでいなかったのです。ソロモンも、赤道直下にあるから、雪を知らないのではないかと思い、なぜ雪で遊ばないのか尋ねた。が、実際はそうではなかった。 彼の国では、雪は「黒いもの」だというのです。つまり、泥だということなんですね。雪と雨が一緒になり、ほとんど泥状のものになる。だから、雪なんかでは遊ばない、というわけです。 確かに、僕らなども、雪は「白いもの」と思い込んでいます。何日も道端に積もった雪が泥だらけになって黒くなっていることもありますが、やはり、雪・イコール・白、という概念があります。それがねえ、所変われば、雪・イコール・黒と思っているところもあるんですね。 足がある雪だるま、いや、スノーマン。黒い雪・・・。雪ひとつでも、世界ではいろいろ違うんですねえ。今日は20へええくらい行きましたよ。

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January 13th Is The Day Donny Hathaway Died

命日。 ちょっとタイミングを逸して申し訳ないのですが、去る1月13日は、かのダニー・ハザウエイの命日でした。79年1月13日からちょうど今年は25周年になります。正直、どうもオーティス、サムクックの命日は、近いせいかよく覚えていて、何日か前からカウントダウン状態にはなるのですが、ダニーの命日はそらで覚えていても、当日忘れてました。すいません。ごめんなさい、です。 以前書きましたが、ずっとペンディングになっているダニー・ハザウエイ・アンソロジー。今年こそは発売されて欲しいですね。ここには、ダニーの未発表曲なども収録されるのですが、その中でももっとも注目されるのは、ダニーのライヴ・ヴァージョンによるスティーヴィー・ワンダーの「スーパーウーマン」でしょう。一体、いつどこで録音されたものか詳細はまだわからないのですが、70年代初期から中期にかけてのものだと思われます。 また、この2枚組CDには、「リトル・ゲットー・ボーイ」のオリジナル・ヴァージョンが収録されるということです。同曲は、彼の『ライヴ・アルバム』で歌われる曲ですが、スタジオ・ヴァージョンはないんですね。もともとこのアルバムは2002年10月頃にいちどリリースされる予定だったんですけどね。諸事情で発売が遅れています。 ダニーは、最後のアルバムでスティーヴィーの「ユー・アー・マイ・ヘヴン」を歌っていますよね。スティーヴィーとダニーという観点からみても興味深い。さらに、彼の未発表曲というだけでも、おもしろい。はやいところ、リリースにこぎつけて欲しいですね。25周年ですし。 娘のレイラが自らのウェブで1月14日に、今年の誓いとともに、25周年の命日についてこんなことを少し書いています。 http://www.lalahhathaway.com/cgi-bin/viewmessage.cgi?r=15647&l=level2 (以下は一部抜粋です。全文は上記ウエブをごらんください) 「I guess I am a little melancholy today. January 13 marks the 25th anniversary of my fathers untimely death. Amazing how time flies. As a child I wondered if I would remember … Continue reading

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Soysoul Live At Shibuya Quatro: Zooco Is A Tamer Of Wild Beasts

猛獣使い。 実はエスカレーターズ時代のCDもこっそり持ってたりするんです。それから、Zooco(ズーコ)のソロアルバムなんかもCD棚にはいってるんですね。なにしろ、彼女の声がねえ、いいんですよね。その頃は本人と接点を持つなんて夢にも思わなかったですからね。そんな彼女と最近はお話することもできるわけですが、Zooco率いるソイソウルのライヴを見ました。彼女のライヴを見るのは初めて。 ソイソウルのCDは、一足先に昨年でていて、いかにも昔風のR&Bバンドという感じで好感度を持って聴いていたわけですが、なにしろ11人編成の大所帯。こわもての男子10人(男子十人楽坊)プラスZoocoですからねえ。なんたって迫力あります。こういうバンドは、維持が大変ですが、絶対続けてね。 それにしても、いいバンドです。きっちりしたドラム、ベース、ギター、キーボード。しっかりしてます。ファンク、ロック、ソウル、いい音してる。クアトロって改装して、音響よくなったんですかねえ。バンドがいいのか。(笑)  僕が彼らにもったイメージは、70年代初期のルーファス・フィーチャリング・チャカ・カーンです。まだ、ただ単にルーファスだったころ。75年くらいまでのルーファス。基本はファンク、ソウルなんですが、そこに当時としては斬新なロックの要素もあったという感じ。リヴィング・カラーほどロックに行ってないちょうどいいバランスのところです。ルーファスの例えば「テル・ミー・サムシング・グッド」とか「メイビー・ユア・ベイビー」とか、カヴァーでやってみたらどうでしょう。重いファンクで、そして、ちょっとだけロックの要素もあって充分ソウルフル。(おっと、どっちもスティーヴィーの楽曲だ) そういうスタンスだと、Zoocoは、チャカ・カーン的立ち位置になる。これはこれですごくいい感じになるのではないでしょうか。ファンク、ソウルを歌いつつ、ソロでやる時はジャズやスタンダードなんかも歌っちゃう。日本のチャカ・カーン目指したらどうでしょうか。ゴスペルも歌えるZooco。ヴァーサタイルなシンガー、Zooco!  全体的な流れの中で印象に残ったのは、ジェームス・ブラウンの「ソウル・パワー」から始まって、「タイトゥン・アップ」風、「シャフト」風のアレンジがはいるメドレーのあたり。バンドが力強い。そして、もっとも感心したのが、ゴスペルの名曲「ヒズ・アイ・イズ・オン・ザ・スパロウ」。『天使にラヴソングを~2』でも歌われていた作品ですが、これをZoocoとケイズの二人で歌った。声、よくでてます。「神様は、すずめのような小さな者にもちゃんと目をかけている」というケイズの曲の解説もあって、なるほどと思って聞き入りました。 やはり管楽器がはいると、生バンドっぽくていいですよね。バンドよし、歌唱よし、ラップよし、キャラクターよし。後は、ソイソウルならこれ、という名刺代わりになる超強力な楽曲です。それがむずかしいんですけどね。「テル・ミー・サムシング・グッド」を日本語にして歌ったっていいんじゃないでしょうか。あと、ルーファスの「ワンス・ユー・ゲット・スターテッド」。これも彼らにはぴったりの曲になるでしょう。あの路線に、ヒントがあるような気がしますね。 男子10人をまとめるZoocoは、大変な猛獣使いと言われているそうです。たしかにねえ。納得したわ。(笑)  (2004年1月16日金曜・渋谷クワトロ=ソイソウル・ライヴ) ENT>MUSIC>LIVE>Soysoul

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Super Duper Love(Are You Diggin On Me?)–Oh Yes, I’m Diggin On It

ディグ。 いわゆる一発ヒット屋というのは、それこそ星の数ほどいます。今日ここでご紹介するのは、シュガー・ビリーというシンガー。1975年にシングル、アルバム『スーパー・デューパー・ラヴ』がちょっとだけヒットしたシンガー。シングルヒットが2曲、アルバム1枚で消えました。経歴、その他、まったく謎です。「ブラック・ミュージック・ディスク・ガイド」で鈴木啓志さんは、デトロイトでビリー・ガーナー名義で何枚かシングルをだしていた人物と同じではないか、と推察されていますが、どうなのでしょう。 最初のシングル「スーパー・デューパー・ラヴ」は、74年12月にリリースされ75年1月からヒット。ソウルチャートで7位を記録。その後75年3月にアルバムがリリースされ、さらに5月に同アルバムから第二弾シングル「シュガーパイ」がリリースされ、ソウルチャートで43位を記録しました。 彼のアルバムは、こんな感じ。↓ http://www.vinyl.com/product_id/LPFTRA601?PHPSESSID=5de4942d6b866d5bc02b5e2719cceef6 アルバムのジャケットには各ミュージシャンのクレジットがのっていますが、リズム・アレンジメントのシュガー・ビリーの横にレオナード・ジョーンズという名前がかかれています。これは、シュガー・ビリー・イコール・レオナードなのか、シュガーとレオナードは別人で二人でリズムアレンジをしたのか、はっきりしません。まあ、ウィリーはニックネームでビリーになりますからねえ。 いずれにせよ、シュガー・ビリーはギターを弾きます。そして、そのギターの音色はかなりファンキーです。当時のブラックスプロイテーション映画にでてきそうな大きなコートに、クールな帽子を被った写真がダブルホールドのジャケットの中に映っています。 全体的な曲調は、当時のジェームス・ブラウン風ファンクを、一歩洗練させたようなタイプの、基本的にはリズムがはっきりした作品群でまとめられています。声がシャウト系で、はりがあって、印象的。ヴォーカルスタイルは、ミニ・ジェームス・ブラウンといったところでしょうか。 たまたま先週武蔵小山のソウルバーでこのアルバムを20年以上ぶりに聴いたと書きましたが、その「スーパー・デューパー・ラヴ」がいきなり脚光を浴びているわけです。曲タイトルの意味は、「すっごい愛だぜ、お前はオレのことが気に入ってるか?」といったところでしょうか。duperはsuperとの語呂で、深い意味はありません。しいて言えば「強意」でしょうか。意味を強くする、感じ。例のジョス・ストーンのアルバムの2曲目にはいっています。しかし、よくこんな曲、掘り起してきましたねえ。それだけで拍手です。宝物は掘らなければでてこない。You have to dig. まさにジョスとプロデューサーのスティーヴ・グリーンバーグはdigしてます。ジョスのヴァージョンもオリジナルに負けないほどかっこいい。

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The Beach In Winter, The Beach In The End Of Summer: That’s What Sensitive Piano Man Senoo Takeshi Portrays 

自由度。 基本的にはソウルばっかり聴いて、毎日ソウルをサーチンしているのですが、実はピアノのCDかなんかを聴いて安らぐ時もあります。最近ちょっと疲れた時に聴くのが妹尾武(せのう・たけし)さんのピアノのアルバムです。タイトルは『シーズンズ』(ポリスター)。去年の11月にリリースされています。これは彼のピアノだけ、その他の楽器は何もなし、という超シンプルな作品。極端な話、ピアノと彼さえいれば、どこでもできるアルバムです。そして、そのアルバムのトラック1、5、6の3曲をリピートにして、聴いたりしてます。3曲で7分強のイメージの世界。 1は「The Season Comes」、5は「材木座海岸」という曲で、両方彼のオリジナル。前者は36秒ほどの短い小品なんですが、後者は3分10秒ほどの実にメロディーが美しい、心が洗われるような一曲です。タイトルの「材木座海岸」というのは、僕もよく覚えている場所なので、このタイトルに妙にやられました。そして自分勝手に、この曲を聴くと冬の材木座を思い出してしまうのです。夏ではありません、ほとんど人もいないような冬なんです。妹尾さんによると、「自分なりの材木座海岸のイメージ」ということです。 そして、これに続いてでてくるのが、ミッシェル・ルグラン作の名曲「サマー・ノウズ」(3分25秒)。映画『サマー・オブ・42(思い出の夏)』のテーマ曲です。これは、物悲しいメロディーなんですが、今度は夏の終わりのイメージなんですね。どこかの海岸でもいいかもしれません。ちょっとは人がいて、ゆったり散歩しているイメージ。まあ、これは映画の残り香みたいなものがあってそういうイメージを持つのかもしれませんが。 どうも僕は妹尾メロディーと相性がいいようです。おととしのリリコさんのライヴで印象に残った「キセキノハナ」という歌があったのですが、これが妹尾さんの曲ということを後で知りました。(2002/12/24 付け日記) ゴスペラーズの「永遠に」は彼の最大のヒットです。そして、今度のマーチンさんの新作『Shh…』(2月25日発売予定)の一番最後に入っている「君の未来、僕の想い」という曲がアルバムを通してもっとも僕にコネクトしたのですが、なんとこれが再び妹尾さんの作品でした。またまたびっくり。この曲はタイアップとれたらオリコン・ベスト10間違いなしです。とれなくても、いけるかも。(笑)  彼のピアノを聴いていると、いろんな古き良き時代の映画のワンシーンがふと立ち込めてくるような雰囲気になるのです。繊細なピアノ演奏からイメージが膨らんでいきます。言葉がない分、聴く者により多くの自由度を与える。そして、イメージ創造に火をつけてくれる彼の自由度の高いメロディーには、自分なりに映像をつけてみたくなります。メロディーメイカーとして、そうですね例えば、日本のヘンリー・マンシーニを目指してください。僕が映画監督だったら、絶対に彼の作品を使いますね。 一人のピアニストが、同じ88の鍵盤を使って、夏の終わりの海辺と冬の海辺を描き分けます。彼は四季をそれぞれに奏でるピアニスト。 妹尾さんのオフィシャルホームページ http://home10.highway.ne.jp/senoo/index2.html ENT>MUSIC>ARTIST>Takeshi, Senoo

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Joss Hears Soul Singer’s Voice: And Voice Has Soul

声。 今、何度も繰り返してジョス・ストーンのアルバムを聴いています。このディープな声には本当にノックダウンさせられます。声だけでいけば、初めてメーシー・グレイを聴いたときと同じくらい、いやそれ以上の衝撃です。ジャニスより黒く、ティーナ・マリーよりもさらにディープ、テヴィン・キャンベルより早熟。形容する言葉はいくらでもでてきます。 しかし、キーワードはサザンソウルっていうあたりでしょうか。いろいろジョスの記事を読んでいるところですが、彼女がブリットニーやアギレラなんかのポップな音楽について、聴くことは聴くと前置きして、「いいのもあるけど、くずも多いわよね」と言い放つのは痛快です。そして、彼女がなぜこれほどディープな音楽を作れるのか、というと彼女自身が先達のシンガーを聴く時に、なにより「声」を聴いているからです。彼女はソウルシンガーの声が好きなのです。これは、僕も同じです。いいシンガーになればなるほど、その楽曲ではなく、そのシンガーの声を聴いてしまうのです。そして、その声に惚れこんで行く。もちろん、その声をよりよく聴かせるいい楽曲というのは必要です。むしろそのいい楽曲がなければ、いいシンガーの魅力は際立ちません。どちらがいい悪いというのではないのですが、まあ、いずれにせよ、僕もソウルシンガーの声が、人間の声が好きなんですね。 彼女を獲得したSカーヴレコードのCEOスティーヴ・グリーンバーグは、最初彼女がオーディションにやってきて、信じられなくて笑ってしまったほどだといいます。「ひょっとしてテープレコーダーでも隠し持ってるんじゃないかと思った。とてもこの声が、このイギリスの14歳の白人の女の子からでてくるとは思えなかった」  オーディションでジョスが歌ったのはグラディス・ナイトの「夜汽車よ、ジョージアへ」、オーティス・レディングの「ザ・ドック・オブ・ザ・ベイ」、アレサ・フランクリンの「ア・ナチュラル・ウーマン」。グリーンバーグはもう、「夜汽車」を聴いただけで、契約することを決意したようです。 スター誕生a star is bornです、まぎれもなく。しかし、これは誕生というよりも、むしろ、誰かかつてのソウルシンガーがre-born生まれ変わったのではないかとさえ思えます。学校に戻っても、なかなか彼女がレコード契約をものにしたことを信じない人や先生もいるということです。「イギリスのこんな片田舎からでたシンガーが、スターになるだって? ありえない」と思っているそうです。 アレサ・フランクリンとアル・グリーンが大好きな16歳の少女は、学校の友達とは音楽の話ではまったくあわないといいます。 +++++ ジョスについては、近いうちにこれまでの歩みをまとめてみます。 ENT>MUSIC>ALBUM>Stone, Joss

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Joss Stone / The Soul Sessions: The Soul Is Here To Stay

成熟。 今年は2004年である。だが、今ここで聴いているCDは、あたかも70年代に存在していたかのようなソウルのレコードだ。しかも、南部の香りがするレディー・ソウル。ちょっとディープソウルと言ってもいい。一体誰のCDかといえば、ジョス・ストーンという新人のデビュー・アルバム『ジョス・ストーン/ザ・ソウル・セッションズ』(東芝EMI)である。 この驚異的な新人については、その出会いをちらっと書いた。http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200309/diary20030922.html あれから4ヶ月。じっくりとアルバムを聴いている。日本盤が1月16日にでる。 何より驚くのが、この成熟した歌声だ。オーティス・レディングの早熟さ、ジャニス・ジョプリンのディープさ、アレサ・フランクリンのエモーショナルさを兼ね備えたシンガー。そして、彼女は1987年4月11日生まれのまだ16歳。今年の4月でやっと17歳。高校生で言えば2年生だ。さらに、彼女はイギリス出身の白人である。音楽を肌の色で聴く必要はないが、それでもこれは白人ばなれした、黒人のような声だ。とんでもない才能がでてきたものだ。 こんなアルバムを作り出したのは、なんとマイアミのベティー・ライト。このジョスを見出したSカーヴレコードのスティーヴン・グリーンバーグという社長が、彼女の作品をベティー・ライトにプロデュースしてほしいと考えたところからこのプロジェクトが進んだ。元々、ジョスと契約しオリジナルアルバムの制作になるところだったが、途中で一曲吹き込んだソウルのカヴァー(カーラ・トーマスの「アイヴ・フォーリン・イン・ラヴ・ウィズ・ユー」)の出来がすばらしかったので、そうした作品ばかりを録音しよう、ということになり、急遽完成したのがこのアルバムだ。 全曲ソウルのカヴァー集。しかも、選曲が実にマニア好み。もうたまらない。いきなり、ジョー・サイモンの「チョーキン・カインド」と来た! さらに2曲目はシュガー・ビリーの「スーパー・デューパー・ラヴ」だ! 日本盤でてません。輸入盤で当時よく売れました。先週、偶然武蔵小山のゲッコーで聴きました。こんな曲、普通誰も知らない。 なぜこんな『フィールン・ソウル・新春放談』並みのマニア度の高いアルバムができたかというと、これをてがけたそのスティーヴン・グリーンバーグという人物ゆえだ。彼は、なんとこれまでにスタックスのあのボックスセット(膨大な仕事だ)、シュガーヒル・レーベルのボックスなどをてがけてきたいわば筋金入りの「ソウル、R&B研究家」なのだ。彼が一般市場のことなどまったく考えずに、ほぼ完全に自分たちの趣味でいい音楽を作ろうとして作った作品と言っても過言ではない。 そして、やはりこれまた驚嘆するが、全曲、ジョス・ストーンが生まれる前の作品、ヒット曲なのである。しかし、彼女の出身地、属性など、そんなことを知らずとも、このソウルあふれるアルバムは、すばらしい。まさに、ソウルはここにあり。はやくも今年上半期ベスト3間違いなしのソウルアルバムだ。             ++++++++ 次回(2004年1月18日)『山野ミュージックジャム』(毎週日曜日、インターFM76.1MHZ、午後4時半から)で、このジョス・ストーンをご紹介します。 ENT>MUSIC>ALBUM>Stone, Joss

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As I Stepped Up Stairway, There Was A Soul Bar.

ミラーボール。 階段を上がって扉を開けると、そこはソウルバーだった。(「雪国」風に) その名は「スタイル(Style)」。中野の駅から中野ブロードウェイにアーケードを歩き、中野ブロードウェイのすぐ手前を右折、しばらく行った左側、中華料理店の2階がその店だ。店内に入るとちょうどロナルド・アイズレーのバート・バカラック作品集のCDが小さな音で流れていた。 その昔、ライヴが行われる会場というと新宿厚生年金ホールか中野サンプラザという時期があった。中野サンプラでは、クール&ザ・ギャング、バリー・ホワイト、グラディス・ナイトなどそれぞれの初来日コンサートを見た。80年だったかのマンハッタンズの時は一番前の列で見た記憶もある。クルセイダーズのランディー・クロフォード入りもサンプラだったか。 そんな中野にしばらく前にソウルバーが出来たときいていた。前から行ってみたいと思っていたのだが、やっとの思いで足を運ぶことができた。マスター兼オウナー、今井さんは、80年から82年にかけて六本木の老舗ディスコ、エンバシーにいた方。その後サンバクラブなどを経て、2003年5月20日、この中野にソウルバーをオープンした。カウンター8席、ボックス4席、テーブル3席の計15席。アナログ1500枚、CD1000枚ほどの中から選曲。個人的にはヴォーカル・グループ、とりわけスイート・ソウル系が大好きだそうだが、ダンス・クラシック、古めのR&Bなどもかかる。 黒を基調とし、嬉しいことにボックス席の色は赤。黒と赤というソウルバーの王道を行く。普段満席になることはあまりないが、と前置きして今井さんが言う。「実は昨年、テレビの『アドマチック天国』に紹介していただいて、その時はしばらくものすごくお客さんにいらっしゃっていただきました。だいたい地元の方が多いです。いつも一人で(DJもバーテンも)やっているので、満席になったりすると、ちょっと待っていただくしかありませんね。(笑) で、今度その『アドマチック』が(1月)23日(金曜)に再放送されるんですよ。今から心の準備をしておかないと(笑)。」 ずっとかかっているロナルド・アイズレーが歌うバカラック作品の数々は、実にすばらしい。http://www.allmusic.com/cg/amg.dll?p=amg&uid=UIDMISS70311061515161479&sql=A7cdayl14xpmb  「ア・ハウス・イズ・ノット・ア・ホーム」や「エニワン・フー・ハド・ア・ハート」は、ルーサー・ヴァンドロスもカヴァーしている。方向性は同じだが、でてくる味わいはまったく違うので、聞き比べるのも実におもしろい。 「あそこのブラックライトは、『しずおか屋』の富田さんからいただいんたですよ」と今井さんが教えてくれた。サンプラのライヴ帰りには、ぜひお勧めの落ち着いた大人の雰囲気のバー。カウンターの横で今時珍しいフットボール型のミラーボールがゆっくり回転していた。 バー・スタイルBar Style住所 〒164-0001 東京都中野区中野5-55-17 トリハラビル2階電話 03-3389-6603営業時間 午後8時から午前4時定休 月曜日チャージ 300円ドリンク 400円~おつまみ 500円~ ENT>SOULBARS>STYLE

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Ain’t No Mountain High Enough

富士山。 大阪からの帰り、新幹線の車内アナウンスが流れた。「みなさま、進行方向左手をご覧ください。本日、富士山が大変美しくごらんいただけます」 ほんとだ。富士山は、日本で一番きれいな山。 それにしても、この形は美しい。人間はなんで美しいがわかるか、っていうのはまた別の話題なので、今日はおいといて。しかし、この美しい山も何度世界遺産への登録を申請しても却下されるという。実際、山の中にはいると様々な汚染があるためだ。 ちょっと調べてみたら、富士山近辺へは、年間5000万人の人がやってくる。5合目までが500万人、山頂までが30万人も行くという。年間30万人と言っても、実際山頂に上れる期間は非常に限られているから、その間はラッシュアワー並になるわけだ。 これではゴミ問題やその他の諸問題が、文字通り「山積み」になる。日本にもいくつか世界遺産に指定されているところがあるが、 屋久島や白神山地などは、圧倒的にそこに来る人が少ないために、自然が残っているという。富士山は人気一番だけにたくさんの人が来る。たくさんの人が来るから世界遺産になれない、という悪循環が起こる。 東京からでも、見える富士山。さいたまからでも見える富士山。どこからでも見える富士山。やはり、最終的には入山制限とかになってしまうのだろうか。富士山をきれいにしようというNPOまであることを知った。 http://www.fujisan.or.jp/ 富士山を世界遺産にするとなると、10年くらいのプロジェクトを作らないとだめのようだ。誰か命かけてやってくれないかな。途中にどんなに高い山があろうが、途中にどんな深い谷があろうが、がんばって最後までやりとげてもらいましょう。これはやりがいがあるでしょうね。そして、スティーヴィー・ワンダーに「フジサン」という歌を作ってもらいましょう。スティーヴィーが作る「フジサン」もしくは「フジヤマ」という曲なら、世界的にアピールできます。(結局は、またそこかって(笑)) 

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ZIP: Zappy Funk Bar In Osaka

ファンクバー。 スティーヴィーの大阪二日目、バックステージでの写真撮影会が終わって、今回の大阪のチケットなどもろもろの手配をしてくれたソウルメイトU君とともに、ソウルバーへ繰り出すことにした。事前にソウルバーの達人高畠さんに聞いていくつか推薦していただいた。しかし結局時間も遅くなっていたので一番近いZIP(ジップ)という店に決めた。 そうそう、その前に、楽屋での話。どこかで見たことがあるブラザーがいるなと思ったら、ジェフリー・ダニエルズだった。元シャラマーのメンバー。ダンサー。昔、六本木で会ったことがあった。ジョージだったか。それより前、彼が唯一だして売れなかったソロアルバムのライナーを書いた記憶がある。札幌でDJをしたり、日本で振り付けの仕事などをしていると風のうわさに聞いていたが、大阪にいるとは知らなかった。とはいうものの、もうみんな帰るところで話すきっかけを失ってしまった。 さて、出向いたZIPだが、大阪の地理はまったく詳しくないので、説明できないが、東急ホテルのすぐ近く、新御堂筋からちょっと入ったところ。もともと16-7年ほど前に別の場所でオープンしたソウルバー。つい1年ほど前にこの地に移動した。マスターによれば、前の場所の環境が悪くなったので引っ越してきた、という。 外観はきれいでおしゃれなバーという感じ。そして中に入るとカウンターとテーブル席あわせて約25席。黒が基調でいかにもソウルバーらしい。レコード棚があり、そこには何枚かのジャケットが飾られている。かのJB人形も置いてある。この日はオウナー兼DJ兼バーテンダーである山本さんがすべてをひとりでこなす。 「どのあたりがお好きなのですか?」と尋ねると、物腰の柔らかそうなマスターは「ファンクですね。Pファンク、JB、ザップ・・・あたりです」との答え。なるほど。飾られたジャケットは、かなりファンク度が高い。 アナログ3000枚以上はあると思われるが、ターンテーブル2台のほかCDJも2台あり、どちらもプレイできる。週末にはDJがはいる。 ふと天井を見上げると、もちろん、ミラーボールがあった。大阪ファンクな夜に酔いしれたければ、ぜひ。 Zip ~ Zappy Funk Bar〒530-0014 大阪市北区鶴野町2-5電話 06-6371-0099http://www.zippy1.net年中無休営業時間 19時~2時日曜・祝日 19時~0時チャージあり ENT>SOULBARS>ZIP

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So Question Is When His New Album Will Be Coming Out?

不確定。 大阪二日目のショウが始まるのを待っているとミルトンが歩いているのを見つけた。ミルトンはスティーヴィーの兄。そこでちょっと話をする。ロンドンで会ったことを告げるがどうも覚えていないらしい。まあ、94年12月のことだから、もう9年も前のことになる。覚えていなくても当然でしょう。いずれにせよ、彼からバックステージパスをもらいました。 ライヴは今ツアー最長の長さとなり、盛り上がった中で終了。その後、バックステージへ。するとものすごい人。これは一体何、と思ったら、どうもスティーヴィーと写真をとることになっているらしい。「事前にお渡しした番号札のグループ順に写真撮影をしていただきます。ルールにしたがってお願いいたします」といったようなアナウンスがされている。十数人まとめてスティーヴィーを囲んで撮影するというシステムです。 いやあ、びっくりしました。これ毎日やってたんでしょうか。(笑) すごいね、これ。とてもではないが、本人とは話すチャンスはなかった。そこで、ミルトンに訊いた。「今回やった新曲は新作にはいるんでしょうか」「はいるかもしれないし、はいらないかもしれない」「アルバムはいつでるのでしょう」「君は僕にインタヴューするつもりかい? (笑) いえるのは、今年ということかな。それ以外はなんともいえないな」「レコード会社は2月3月にリリースデートを設定してるようですが」「それに関してはノーコメントだ。(笑) もうしゃべらないよ。(笑) ノーコメントがコメントだ(笑)」  「今年」ですかあ? お願いしますよ、スティーヴィーさん。下手すると、日本に来たからレコーディングが遅れたなんて言われるかもしれませんねえ。(笑) というわけで、僕の感触としては、少なくとも2月3月のリリースはないというところです。ただかなり完成に近いニュアンスは受けます。夏あるいは秋あたりまでには出るのではないでしょうか。9月一杯に出れば一応次のグラミーのノミネートにはいります。 日本で披露された4曲。果たして入るのか、どうか。ただし、「ホワット・ザ・ファス」に関してはスティーヴィーは「次のアルバムからのシングルだ」と言っていました。今のところ、これが最初のシングルになるということなのでしょう。とはいっても、これさえも、スティーヴィーの気が変われば変更になります。スティーヴィーの「新作がでるぞ~」は狼少年と一緒です。(笑)  さて、彼の新作はいつ出るのか、という設問ですが、毎度のことながら、「出てみなければわからない」としか答えようがないのです。日本のレコード会社にマスターテープが届いたら、その時は発売が確定したと言ってもいいでしょう。今日現在、もちろん、まだ届いていません。不確定ということだけが確定しているのです。 ENT>MUSIC>ALBUM>Wonder, Stevie

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Stevie Wonder @ Osakajo Hall; Day Two

最長。 今回の日本ツアー最終日。前日同様7時半スタート。7時半から始まるのが定刻なんですね。(笑) 「ブルー・ムーン」ではなく、「ムーン・ブルー」でした。パーカッションから始まる不思議な感じの曲。2度しか聴いたことがないのに、your heart is just caught up in the moon blueという繰り返しのフレーズが妙に頭に残る。シングルヒット向きとは思えないが、アルバムの中の一曲としては充分いけるでしょう。これは新曲でした。そして、次のアルバムに入るかもしれない一曲とのことです。 この日、途中のハーモニカの部分が機械の不調のせいかなかなか思った音がでなかったようで、手間取り、その結果、この曲は17分近くの演奏になりました。途中、スティーヴィーとサックス奏者とのインタープレイがあって、これはなかなか迫力あり。しかも最後の部分の「サークル・ブリージング(循環ブリージング=息を延々と続けてプレイする奏法)」如きのやりとりはすごかった。ハーモニカのソロ部分で「サマータイム」のフレーズを吹いていました。このあたりの遊び感覚も、スティーヴィーならではです。ジャズ・ミュージシャン的な素養を感じるところです。 そして、今回のトップ曲「ゴールデン・レイディー」へ。これは、しかし、いいオープニングだなあ。「オール・アイ・ドゥ」まで一挙に行って、さて、アコースティック・セクション、何が来るか。またまた初登場、『ホッター・ザン・ジュライ』から「ロケット・ラヴ」! このセクションで歌える曲は最低10曲以上、20曲近くあるんじゃないだろうか。そして、「レイトリー」「リボン」は、まさにゴールデン・メドレーだ。「リボン」の後半は少しアップテンポにして、なかなか遊んでいます。 「ドント・ユー・ウォーリー・・・」では、ドラムソロの後、前日はジェームス・ブラウンの「コールド・スゥエット」を演奏したのを、この日はそれを間にはさむ形でまた「ドント・ユー・・・」に戻りました。なるほど、日々これ変化、進化といったところか。確かにこのほうがいい。「コールド・スゥエット」はあまり日本では知られてないような感じですねえ。「セックス・マシン」のほうがいいかもしれません。いずれにせよ、バンドがファンクに追いつかないと。(笑)  おもしろい選曲は、「スーパースティション」の後、この日は『トーキング・ブック』からの「ビッグ・ブラザー」を1分少々でしたが、やったあたり。なかなか聴けない曲でした。もうちょっと聴きたかった。そして、前日に引き続き「メイビー・ユア・ベイビー」へ。これはかなりしっかり歌ってくれました。 アンコールは3曲。しかし、このアコースティックの「マイ・シェリー・アモール」は本当にいいですねえ。こういう感じだと、前半のアコースティック・セクションにもいれられますね。そして、「アズ」ではなんと、バックコーラス4人全員のソロの歌を紹介しました。パンジー・ジョンソンのソロが印象に残りました。もちろん、みんないいですけどね。(笑) そして、「アナザー・スター」で幕を閉じました。 前日との違いは、「ユーアー・ザ・サンシャイン・・・」がなぜかなかったこと。忘れたのかもしれません。それでも最長2時間21分。たっぷりごちそうさまでした。 さて、今回のツアーをまとめると、次のアルバムに入るかもしれない新曲が計4曲披露されました。”What The Fuss”, “True Love”, “I Can’t Imagine Love Without You”, そして、”The Blue Moon”。果たして何曲はいるのでしょうか。 そして、アコースティック・セクションでは毎回違った曲の組合せが聴かれました。徐々にスティーヴィーもライヴに慣れて、どんどんミュージシャンとのやりとりもスムーズになり、音楽的自由度が高まってきたように思えます。ジェームス・ブラウンやプリンスのライヴも、次の曲がわからないためにミュージシャンたちは緊張しなければなりませんが、スティーヴィーのバンドメンバーも、スティーヴィーのその時の思いつきに即座に対応しなければなりません。やはり6-70曲はレパートリーにしているのでしょう。やはり彼の音楽的多様性のすごさに改めて感嘆しました。なによりも、2時間があっという間にすぎると同時に、この瞬間が終わらなければいいのにと何度も思ったわけです。行ってよかった。 (2004年1月7日大阪城ホール、スティーヴィー・ワンダー・ライヴ) Set list Stevie Wonder2004.1.7 (Wednesday) At Osakajo … Continue reading

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Stevie Wonder @ Osakajo Hall: Day One

引き出し。 いきなり曲目不明の新曲らしき作品から始まった大阪公演初日。ゆったりとしたスロー系の作品は最初パーカッションだけから始まり、徐々にビルドアップする感じの作品だった。マイナー調のコードが続く中、女性コーラスがyour heart is just caught up in the moon blueと歌っていたように聞こえた。「ムーンブルー」という曲名だろうか。 この日はスティーヴィーの調子がけっこういいように感じた。観客の反応もまずまず、音響も悪くない。左横サイドから見ていたが、よく聞こえた。 その新曲「ムーンブルー」を10分近く演奏してから、続けて「ゴールデン・レディー」へ。以後はこれまでの流れと同様、「マスターブラスター」、「ハイヤー・グラウンド」、「オール・アイ・ドゥ」と続く。ここでジェリー・ブラウンが一度「ザット・ガール」のイントロを弾きだすが、スティーヴィーが「君はわかってないな・・・」と言って、アコースティック・ピアノ・セクションに突入。 なんとこの日は『ファースト・フィナーレ』からyou make me smile~から始まる名曲「トゥ・シャイ・トゥ・セイ」! わお! なんという選曲、これもめったに聞けない一曲だ。そして、次に何がくるかと思えば『キー・オブ・ライフ』から「イズント・シー・ラヴリー」の次にかかる「ジョイ・インサイド・マイ・ティアーズ」がきた。このセクションは本当にいつも選曲がすばらしい。そして、「オーヴァージョイド」「リボン・イン・ザ・スカイ」まで4曲17分は、まさに至福の瞬間だった。 このあと「ドンチュー」にはいり、ここでドラムソロを披露。このところドラムソロは2回に一回くらいはやってくれるようだ。このあとがおもしろかった。なんとジェームス・ブラウンの「コールド・スウエット」をちょっとばかり歌って演奏したのだ。スティーヴィー、以前、「セックスマシン」をやろうとしたが、ミュージシャンがついてこなかったこともあったっけ。ブラウンの曲、けっこう好きなんですね。 そして、この日のもうひとつのサプライズが「スーパースティション」の後の「メイビー・ユア・ベイビー」。『トーキング・ブック』からのファンキーな一曲。これもめったに聞けない一曲だ。「スーパースティション」との並びでのプレイは曲調から納得した。 さらに、「アイ・ジャスト・コールド・・・」でいったんさよならをした後、アンコールに戻ってきた。「ここでは、僕と君とピアノで一曲歌おう」と言って始まったのが、「マイ・シェリー・アモール」のピアノ・アコースティック・ヴァージョン。そうきたか!これはすばらしい。本当にいろいろアイデアをだしてくる。 そして、世界の現状を憂いたメッセージを語った。「次に歌う曲は、もうずいんぶん前に作られた曲だけど、そのメッセージは今も有効です。とてもシンプルなメッセージです。僕は、いつか人々がユナイト(一緒に)し、世界もひとつに(ユナイト)なる日がくると信じています。世界のリーダーたちにそれを知らせなければなりません。僕が今夜のことを覚えているように、あなたがたも今夜のことを忘れずにいてくれたらと希望します」 そして、僕はここで「ラヴズ・イン・ニード・オブ・ラヴ」かと思った。だが、ちがった。な、な、なんとジョン・レノンの「ギヴ・ピース・ア・チャンス」だったのだ。このあたりが、本当にすごいな、と思う。またまたやられた。そして、これに続いて「アズ」、ここでおわるかと思ったら、さらに「アナザー・スター」まで。全2時間10分。非常に密度の濃い充実したライヴだった。 スティーヴィーは、楽器で遊ぶ。ありとあらゆる楽器を自由自在にこなし、それを自分のものにして、遊ぶ。そしてその遊ぶ様が、すでに人々の心を打つ。 スティーヴィーは、楽曲で遊ぶ。自分の作品はもちろんのこと、他のアーティストの作品でも、自分がやりたい曲だったらやるし、主張したいメッセージが同じだったら歌う。 スティーヴィーは、観客と遊ぶ。彼ほど観客とのコール&レスポンスが好きなアーティストも珍しい。観客のリクエストに答えることもあれば、観客の掛け声からその場で一曲即興で作ったりすることさえある。 まさに音楽を自由自在に使いこなす。なにか究極の「音楽人」という感を強くした。彼のミュージシャンとしての引き出しの多さ、広さに改めて感銘を受けた次第だ。 (2004年1月6日大阪城ホール、スティーヴィー・ワンダー・ライヴ) Set list Stevie Wonder2004.1.6 (Tuesday) At Osakajo HallCapacity 12000 Show starts at 19:30 … Continue reading

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New Year Resolution

目標。 一年の計は元旦にあり、とはよくいったものです。元旦にその一年何をするか考える。ほとんど、考えてないんですが、いやあ、これはよくないかもしれない、と最近思いますねえ。(笑) やっぱり、ひとつの目標を設定し、そこにまい進していくという責めの姿勢が大事ですね。 今年の目標というか、公約というかしっかりリストアップしてみましょう。このリストアップするという作業が意外と重要だったりするんですね。アメリカの文房具屋さんのどこでも売ってるThings To Doリストのメモパッド。あれを一時期使っていた時期もあるんですが、なくなってからずいぶん補充していません。 去年成し遂げたことは、そうだなあ、この日記を一日も欠かさず書いたことですかねえ。天声人語よりも、回数多く書いたことになります。天声人語は、年6回(?)お休みですからねえ。(笑)   今年の目標は、そろそろ本を出したいですね。それと、ソウルの番組か、インタヴューの番組をやってみたいですね。まあ、みんな去年と同じかあ。あとふと思ったのが映画の脚本書いてみたい。ソウルミュージシャンのドキュメンタリーの番組作ってみたい。『ソウル・サーチン』の映像版、作ってみたいですね。それと、『ソウル・サーチン』の英語版。これは前から課題でした。『ソウル・サーチン2』ですね、あと。 そして、昨年はあまり映画を見ることができなかったので、もう少し映画を見たいです。50本くらいは見たいかな。ライヴ100本、映画50本、本50冊なんてのはどうでしょう。去年、何本見たのでしょうね。勘定してみないと。50-50-50なんていうのが達成できるとなんとなくかっこいいですねえ。ライヴは50は行くでしょうが。あとは果たしてどうなるか・・・。一番難しいのは本ですねえ。 さて、あなたの新年の誓いは?

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A Boy I Met At New Year’s Eve

環境。 年越し蕎麦を食べ終え、うちに帰る途中友人からメールが入った。「OXのうちのカウンタダウンのホームパーティーに行かない?」というものだった。まあ、特にすることもないので、あまり乗り気ではなかったが、行くことにした。 その家の主はスウェーデン人。すでに人が集まっていた。全部で4-50人はいただろうか。そして、ずいぶんと外人比率が高いホームパーティーだった。 音楽が流れ、映画のDVDが音を出さずに映像だけモニターから映し出されていた。会話の喧騒の中で、甚平のような着物を着た短髪の丸刈りの男の子がいた。十代に見える彼は、床にほぼ正座していた。その髪の色がちょっと茶髪っぽかったことと容姿からハーフのように見えた。 カウントダウンが進む。「5・・4・・3・・2・・1」 「ハッピーニューイヤー!」 自分でもなぜそこにいるのかよくわからなかったが、ぼーとしていると、大きな音で「ハッピーニューイヤー」という曲がかかった。ポップでわかりやすいメロディー。一体だれだろう。僕は初めて聴いた。今年はどんな年になるのだろうかと思いながら、中二階から階下の人たちをぼんやり眺めていた。 一段落してから、その彼と話す機会が訪れた。「学生?」 「え~」 「いくつ?」 「16です」 「ええええっ?」 十代とは思ったが、その若さにまず驚いた。彼はその日、そこへやってきた経緯を簡単に説明してくれた。大阪の友人に誘われこのパーティーに来たこと、もちろんこのようなパーティーは初めてだということなど。その話し振りはとても、今時の16歳とは思えなかった。しっかりした、きちんとした日本語でしかも敬語もできていて、眼をつぶって聴いていると30代か40代くらいの人と話をしているのではないかと錯覚してしまうほどだった。彼は自分のことを「僕」や「オレ」ではなく、「私(わたし)」というのだ。話し振りが落ち着いていて、そのことにも驚いた。 BGMは、いつの間にかアフターアワーズ系のスローっぽい曲になっていた。「将来、何をしたいの?」と僕は訊いた。「将来、自分の名前のついた番組をやって、いろんな人をゲストに迎えて、お話したいんです。トーク番組をやってみたいんです。で、そのためには歌をやったり、演技なんかもやってみたいと思っています」 しっかりとした口調で彼は自分の明確な目標を語った。 今まで、関西のほうにいたが、この12月から東京にいる母親のところに戻って、一緒に暮らしているという。そして、彼のそれまでの人生を聴いて、僕はまたまた驚いた。16歳だが、すでに語るべきストーリーを持っていたのだ。「すばらしいストーリーだねえ」と言うと「ストーリーですか?」と彼は笑った。 紙コップが散らかり、けだるい空気が漂うなか彼は語り始めた。彼の名は、ここでは仮に次郎君としよう。次郎君は1987年、ブラジルに生まれた。3人兄弟の真中。上に兄と下に妹がいる。彼の母親は日系ブラジル人。つまり、血筋は日本人だ。だが、彼は父親を知らない。会ったことがないという。イギリス系ブラジル人らしい。4歳の時、日本にやってきた。 次郎君の母親のお父さん、つまり次郎君の母方の祖父は彼が生まれる前に亡くなっていた。そしてその祖母が再婚することになるのだが、祖母が再婚した翌日、次郎君が生まれた。その新しく再婚した相手は、現地でお寺を営むお坊さんだった。 母親は来日し、都内に住み、朝から夜遅くまで仕事をして、3人の子供の生活を支えていた。3人の兄弟のうち、次郎君だけが、いかにも外人風の容姿をしていた。そのことが理由となってか、まもなく兄の壮絶ないじめが始まった。2つ上の兄の暴力には耐えがたいものがあったが、昼間は母親がいないので、どうしようもなかった。母親が朝早くから仕事にでるため、朝御飯や、晩御飯は幼い妹が作っていた。 次郎君が小学校2年頃のこと。8歳くらいか。母親は彼に、その出生の秘密を打ち明けた。彼がなぜ他の二人と容姿が違うのか。実は、母親が一晩限りの相手をしてできた子供が次郎君だったのだ。そして、3人とも父親が違うということで、母の両親は、母親のことを決してよく言わなかった。「あんなあばずれ・・・」 小学校2年でそんなことを打ち明けられて、理解できるのだろうか。「え~、淡々と聴いていました。ああ、そうかって感じで」と彼は言う。そして彼が中学に進学する時、お寺に修行に行かないかという話が持ち上がった。再婚した祖父がお坊さんだったこと、その再婚した翌日に次郎君が生まれたことで、祖父は次郎君に運命的なものを感じ、ぜひ寺を継がせたいと願い次郎君にお坊さんになってほしいと思ったのだ。 小学校6年、次郎君は考えた。「ここのうちから出て、お寺に修行にでれば、おじいさんの期待にもこたえられる。それから兄の暴力から逃げられる。つまり厳しい現実から逃避できる。そして、自分がこの家から出て行くことによって、家計が少しでも楽になれば母親にとってもいいだろう」 こうして、彼は関西のお寺に修行にでる決意をした。中学一年になる前の決断だ。 お寺の修行は厳しい。毎朝3時半起き。朝のお勤めなどをして、掃除、お経読みなど夕方までいろいろな仕事がある。そして、夕方から夜学の中学に通う。帰ってきたら即就寝だ。お寺にはテレビもなければラジオもない。新聞もないし、携帯電話もない。もっとも携帯は最近は隠れて持っているものもいるようだが、原則禁止だ。インターネットなどあるわけがない。ただ学校に行けば、学校の友達との会話で世間で何が起きているか、少しは知ることができるが、テレビの話題などにはついていけない。 彼が入った年、その寺には中学生が20人以上いたが、徐々に減り3年経つと半分以下に減っていた。彼が生活をする部屋の同居人は40代と50代の人だった。そのため彼の言葉は、そうした人たちの影響を受けることになった。16歳の彼の言葉が非常に落ち着いたしっかりした日本語だったのは、そういう理由だったのだ。 3年間の修行はやはり厳しかった。また、その間、お坊さんの世界と言えども、どろどろとしたものを見ることになった。一番学んだことは何、と尋ねると、「人間関係でしょうか」と彼は答えた。繰り返すが彼は16歳である。夜間高校へ進む頃になると、彼は自分がしたいことが徐々におぼろげながら、わかり始めてきた。そこで意を決し、お坊さんの道をあきらめ、東京に戻って自分の夢を追求することにした。学校の先生、そしてお寺の人に相談し、了解を得て、11月一杯でお寺を辞め、東京の母親のもとにやってきたのだ。 そしてこの日、友人に誘われて、パーティーにやってきていた。「これから、いろいろな人に会って、いろんなことをやりたいんです。私は、いろいろな人に会って話をするのが好きなんです。ですから、自分のやりたいことができるようにがんばっていきます」 彼はしっかりとした口調で、言う。 彼は父親に会ったことがない、と言った。「お父さんに会ってみたいと思わない?」と訊いた。「いや、私は今の生活がとても気に入っていて、満足しているので、別に会いたいとは思いません」 なるほど。では、もしお父さんの方が君に会いたいと言ってきたら? 「ああ、それは喜んで会いますよ。会いたいなんて言っていただけるなら、私は光栄です。嬉しいです」 「言っていただけるなら・・・」というくだりに、僕はちょっと感動して胸が一杯になった。 彼の話は、かつてテレビでやっていたご対面番組『嗚呼! ばら色の珍生』を思わせた。もし彼が父親と会う日がいつか来るのであれば、その場に立ち会いたいと思った。母親はその父親の連絡先を持っていないらしいが、母の姉、つまり次郎君のおば、そして、祖母は持っているらしい。彼はまだ未成年の16歳だが、その精神は36歳のようにも思えた。大人なのだ。人間とは環境にものすごく影響を受ける動物だという。彼の16年の人生はまだ短いが、非常に密度が濃い。そして彼のような真っ当な人間が育ったということは、結果としてその劣悪な環境もよかったのかもしれない。ものは考え様だ。 僕が自分の16歳の頃を振り返ったら、彼ほど何も考えていなかったと思う。彼にはしっかり目的を持って、つき進んで行って有意義な人生を送ってほしいと思った。僕にできることなら応援しよう。 バックでは小さな音でビヨンセが流れていた。たくさん灯っていたろうそくがほとんど消えようとしていた。ちょうど家の主がやってきた。僕は彼に尋ねた。「ねえ、あの、さっきの『ハッピー・ニュー・イヤー』って曲、誰が歌っているの?」 「あれ、あれはアバだよ~~! 当たり前じゃない!」  そうだったか。そういえば彼のお国の大スターだった。CDプレイヤーの前に散らかっていたCDを見ると、そこには数枚のアバのほかにエイス・オブ・ベースのCDもあった。 +++++ タイトル『大晦日に会った少年』 PEOPLE>A Boy I Met At New Year’s Eve

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Poet Which Would Give You Courage

勇気。 人々が落ち込んだ時、悲しい時、あるいは、何かにがんばることをあきらめようかと思った時、もうだめかと思った時、そんな時に勇気を与えるのは、音楽だけではありません。例えば、それは映画であったり、小説であったり、あるいはドキュメンタリーであったり、ものすごい生き様のひとりの人間であったり、あるいはそれはほんの一言、誰かがかけてくれた言葉かもしれませんし、どこかで読んだ詞の一遍かもしれません。 スティーヴィーに勇気ややる気をもらったという人が多くいたので、ふとこんなものを思い出しました。スティーヴィーとも非常に深いつながりがあるモータウン・レコード創始者ベリー・ゴーディーの自伝の中にある一遍の詩です。そのタイトルは「イフ(もしも)」というもので、この詩自体はラドヤード・キプリング(1865~1936)というイギリスの作家が書いたものなのですが、ゴーディーはこれを姉から「読んでおくといいわよ」と言われて、初めて目にします。そして、普段はほとんど本など読まないのに、なぜかこの詩だけは目を通し、その内容に感銘を受け、以後暗記するほど気に入ったのです。 一番のポイントはこのあたりに集約されます。 「もしも、お前が自分の気力と神経と体力がなくなってしまった後も、それらを振り絞ることができるのであれば、 そして、それらに『頑張れ!』と言っている意志以外何もないお前が、頑張ることができるのであれば、(中略) もしも、過ちの許されざる厳しい1分を、60秒間の全力疾走で長距離走の如く見事に完走できるのであれば、 地球はお前のものだ。そして、その中にあるすべてのものも。 そして、お前は男になるのだ、私の息子よ! 」 つまり、最後の最後、もう力尽きたとしても、さらにもし、そこでもうひとふんばりすれば、地球はお前のものになる、お前は男になる、というかなりの勇気付けの言葉です。 ゴーディーは、この後、一時期ボクサーとして活躍しますが、初めての試合の時だったか、たった3分をものすごく長く感じました。そして、もう負けそうだと思った時、もう体が一歩も動きそうにないと思った瞬間、この暗記していた「もしも」の詩を思い出すのです。 このもうひとふんばりというのは、あらゆる面で言えます。今やっている仕事がうまくいかない、人間関係がうまくいかない、やることなすことうまくいかない、スポーツなどで試合をしていて負けそうだ、そんな時、この「もしも」です。 全文をご紹介しておきます。訳が固いんですが、すいません。もう8年も前のものになります。ヴァージョンアップした訳を出さないとだめかもしれませんね。あと、そうそう、詩は書いた人のものではない、それを必要とする人間のもの、でしたね。http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200309/diary20030920.html +++++ 「イフ(もしも)」 (ラドヤード・キプリング) もしも、誰かに非難されたお前が、冷静さを失いそうなときにも、冷静でいられれば、 もしも、すべての人間がお前を疑っているときにも、自分自身を信じることができ、お前を疑った連中を許すことができるのなら、 もしも、お前が待つことに飽くことなく、待てるのなら、 あるいは嘘をつかれても、嘘とかかわらなければ、 あるいは、人に憎まれても、人を憎まなければ、 そして、あまり気取らず、知ったかぶりをしなければ、 もしも、お前が、夢を見ることができ、そして、その夢に支配されることがなければ、 もしも、お前が自分自身で考えることができ、そして、考えることが目的とならなければ、 もしも、お前が栄光と惨劇という名の虚像と遭遇でき、そのはかなき虚像を同じように扱えるのなら、 もしも、お前が話してきた真実を、悪者が、愚か者をわなにかけるために、ねじ曲げて語るのを聞くことに我慢できるのであれば、 あるいは、お前が自らの人生を賭けて作りあげてきたものが壊されるのを見たとき、身をかがめてそれらを使い古した道具で作り直すことができるのであれば、 もしも、お前が、膨大な勝利の積み重ねをたった一回のコイン・トスの結果と引き換えるというリスクを背負うことができるなら、 そして、それに負けて、その負けについて一言も不満を漏らさず、まったく最初からやり直すことができるのであれば、 もしも、お前が自分の気力と神経と体力がなくなってしまった後も、それらを振り絞ることができるのであれば、 そして、それらに『頑張れ!』と言っている意志以外何もないお前が、頑張ることができるのであれば、 もしも、お前が自分の美徳を保ちつつ、民衆と話をすることができるのあれば、 あるいは、庶民の感覚を失うことなく、王様とともに道を歩むことができるのであれば、 もしも、お前の敵と愛する友人のどちらもが、お前のことを傷つけることがないのであれば、 もしも、お前にとって、あらゆる男が価値があり、重要であり、しかし、重要すぎるということがなければ、 もしも、過ちの許されざる厳しい1分を、60秒間の全力疾走で長距離走の如く見事に完走できるのであれば、 地球はお前のものだ。そして、その中にあるすべてのものも そして、お前は男になるのだ、私の息子よ!                (『モータウン、わが愛と夢』=ベリー・ゴーディー著・吉岡正晴訳=東京FM出版、38ページより) +++++ … Continue reading

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Feel ‘N Soul 新春放談のおしらせ

今週から5週間にわたって、『ゴスペラーズ~フィール・ン・ソウル』(東京FM系ネット、毎週土曜日夜10時から10時53分)では、恒例の新春放談を行います。黒沢薫、村上てつや、石島春美、吉岡正晴の4人でテーマを決めて、それについて徹底的に掘り下げて語っていきます。 去年のテーマは「ロスト・ソウル・イン・90ズ」と題して、90年代に消えてしまったソウルアーティストにスポットをあててみました。そして、今年のテーマは、なんと「セックス&ソウル」です。ソウルミュージックにおけるセックスの位置付けなどを考察します。(笑)  今週第一回は『男性シンガー』編。またまたマニアックな選曲、トークになりそうです。お楽しみに。

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8 In The Morning, Buenos Aires

英語版。 去年3月に書いた『ブエノスアイレス、午前8時』の英語ヴァージョンを作ってみました。英語はむずかしいので、何か間違いなど、あるいはこういう表現のほうがもっといいなど、ありましたら、お知らせください。今回は、原文に加え、今回のライヴを見た「彼」の言葉が数行追記されています。また全行を正確に一字一句英訳したものではなく、英語の流れで英文を作った部分もあります。 原文は、こちら。 http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200303/diary20030314.html やはり、スティーヴィーのライヴを見てものすごくインスパイアーされて、この好きな物語をもっと多くの人とシェアするのがいいだろうと思って訳してみました。お正月の余興ということで。 ++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++ “8 In The Morning, Buenos Aires”by Yoshioka Masaharu Memory. March 1973, Buenos Aires, 8 am in the morning: 13-year-old Japanese boy moved to Buenos Aires, Argentina due to his father’s job. He attend international … Continue reading

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Trouble Is Not Something To Avoid, It’s Something To Resolve

困難。 おせち料理などを食べながら、テレビのリモコンをかちゃかちゃやっているとノーベル賞受賞者である利根川教授のインタヴューがNHKで放送されていた。作家の村上龍氏が聴き手で、とてもおもしろいインタヴューだった。その中で自分が高校に入ったときだったか、初めて自分より頭がいい奴がたくさんいることを知って驚いた、という話がでてきた。ほんの二日前に中学時代の同級生たちと食事をしたときにまったく同じ話題になったので、おもしろかった。それはさておき、そんな頭がいい連中の中で自分がなにか成果をだすには他の人と同じことをやっていてはダメだと思ったという。その結果、クラスのほとんどは東大に行くのに、彼は京大に進む。その後いろいろあって最終的にノーベル賞を受賞するわけだが、そういう学生を育てるのにどういう環境がいいか、みたいな話になった。 利根川教授は、学生たちに好き勝手にやらせている、という。クリエイティヴな部分を伸ばすにはこれが一番。多くの学生を見てきて、何かを成し遂げる人物というのは、もともとの頭の良さだけではない、ということを感じているという。彼より頭がいい連中というのは確かにたくさんいた。だが、いくつかの点で違っていた。彼は言う。「それにはいくつかの要素があるんですよ。例えば、質問ができることとかね。多くの人は質問さえわからないんだ。それから、めげないこと、とかね」 そういう要素が組み合わさって、他の誰もができない研究が完成するわけだ。 利根川教授は言う。人間が充実しているのは、何か目的を持って、それにまい進している時だ。ひとたび目的を達成してしまうと、次の目的を見つけないと、だめになってしまう、というようなことを指摘していた。そして、人間がハッピーであることを感じるのは、その目的へまい進している途中にこそある、という。 インタヴューの中で、彼の子供が作文の課題を書いたときの話もおもしろかった。アメリカと日本で同じような内容の作文を書いた。それは「すきやき」というタイトルで、「自分はすきやきが大好き。特に肉が大好きだ・・・」といったもので、それに対するそれぞれの先生のコメントが象徴的だった。アメリカの先生はその作文を読んで、「すきやきっていうのは食べたことがないけれど、おいしそうだ、ぜひ、今度おいしいすきやきの作り方をおしえてくれ」と書いていた。一方日本の先生は、「健康のためには、肉だけではなく、野菜も食べましょう」というものだった。 思わずその話を聞いて僕は笑ってしまった。これは日米おもしろい違いだった。 この利根川教授の後、日産のカルロス・ゴーン氏がでてきて、再生の話を中心にしていたが、これもなかなかおもしろかった。伸びる人の条件というのは、1にやる気がある人。どんなに頭がよくてもやる気がない人は結局は結果をだせない、という。そして2番目があきらめない、ということ。困難とは、避けるものではなく、解決するもの、という言葉に彼の強い意志を感じた。僕なんかも、避けちゃうからねえ。 今年は、困難を解決していきましょう。困難を解決すると、成長する。(←自分への戒めです) ((2004年1月1日=NHKテレビ『NHKスペシャル・村上龍とリーダーたちの対話』) ENT>TV>NHK Special>Ryu, Murakami

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A Happy New Year!

賀正。 新年おめでとうございます。みなさまも昨年にも増して、2004年、いい音楽やいい人物に出会えることを願っています。 ちょうど一年前、ここで日記はどこまで続くかわかりませんが、行けるところまで行ってみましょう、と書きました。その結果、まる一年、一日も欠かさず書くことができました。また、来年もそう書けるようにがんばってみます。 2002年に始まったこのウエッブも今年は3年目になります。日記が毎日更新される以外、なかなか新しいことができませんが、今年こそはなにかちょっと違うことをやってみたいと思います。あくまでここはあらゆることの実験台にしてみたいと思っています。 本年もよろしくお願いいたします。 吉岡正晴

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