Category Archives: 名曲物語

◆#シャイ・ライツ「オー・ガール」誕生秘話(パート1)~素顔の「オー・ガール」

◆#シャイ・ライツ「オー・ガール」誕生秘話(パート1)~素顔の「オー・ガール」 【Oh Girl Has Original Demo Version】 素顔。 現在ウィスコンシン州のFM局WLMXなどでプロデューサーとして仕事をし、かつてはブランズウィック・レコードなどでも働いていたケヴィン・ゴーインズさんが、フェイスブックで「オー・ガール」のオリジナル・ヴァージョンのユーチューブ映像を紹介し、解説をつけていた。 おもしろかったのでご紹介。 この「オー・ガール」は僕も大好きなシャイ・ライツの曲。1972年4月からヒットし、全米でナンバーワンになった。つまりちょうど今から40年前のヒットだ。 これは、シャイ・ライツのリード・ヴォーカル、ユージーン・レコード(故人)が書いた作品で、本人は大してヒットにもならないだろうと思い、アルバムの最後にいれようとした。 ところがブランズウィック・レコードのプロデューサー、カール・デイヴィスやテレビで活躍していたコメディアンでテレビ番組ホストのフィリップ・ウィルソンらはこの曲にヒット性を感じ、テレビ番組『フィリップ・ウィルソン・ショー』(1970年から1974年までNBCで放送。ジャクソン5なども出演し、ちょっとしたコントもやっている)で彼らに歌わせた。それがこの映像。 http://youtu.be/ctljIaPLSc0 リードのユージーンが歌い、バックの3人は、ひたすら踊って振付けている。今の、エグザイルのパフォーマー的立ち位置だ。 そしてこれが放映されるとレコード会社のオフィースにはこの「オー・ガール」をシングル・カットしてくれと要望が殺到。そこで制作陣はシングルにするなら、もう少し手を加えようと考えた。そこでアレンジャー、トム・トム・ワシントンらは、急遽ストリングスとピアノ(フロイド・モリス)を加えて再録音しシングル・カット。 すると1972年4月から大ヒットし、見事に全米ナンバーワンになった。 ストリングス、ピアノの入りの、現在のCDなどに収録されている誰もが知っているヴァージョンがこちら。 http://youtu.be/yq2aoY8Y1Kw 確かに聞き比べると、こんどはピアノとストリングスがちゃんと入っている。 改めて、この曲が収録されたアルバム『ア・ロンリー・マン』をひっぱりだしてきいてみると、もちろん、ピアノ、ストリングスが入っている。入っていないヴァージョンが実に素朴に聴こえる。 ■ 「オー・ガール」だけだったら、ベストで十分。これは、最初に「オー・ガール」が収録されたアルバム『ア・ロンリー・マン』のCD。廃盤のせいか、値段が高騰中。 オー・ガール+1(紙ジャケット仕様) posted with amazlet at 12.04.12 シャイ・ライツ ビクターエンタテインメント (2008-06-25) 売り上げランキング: 99703 Amazon.co.jp で詳細を見る ■ こちらがベスト。1000円以下。 Best of posted … Continue reading

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■# 「ワン・モンキー・ドント・ストップ・ノー・ショー」の意味

■# 「ワン・モンキー・ドント・ストップ・ノー・ショー」の意味 【The Meaning Of “One Monkey Don’t Stop No Show”】 意味。 昨日の『ソウル・ブレンズ』でハニー・コーンの「ワン・モンキー・ドント・ストップ・ノー・ショー」がかかった。1972年、女性トリオ、ハニー・コーンの大ヒットだ。前々からこの曲のタイトルの意味がわからなかったので、DJマーヴィンに「これってどういう意味?」と尋ねた。すると、マーヴィンも「ねえ、よくわかんないよ」との答え。これには僕もびっくり。 マーヴィンの解説では、直訳的には「一匹のサルは、ショーを止めない」だから、「ショー・マスト・ゴー・オン(ショーはいずれにせよ、続いていく)」といった意味だと言う。ちなみに、Don’t と No と二重否定になっているが、これはブラック独特の言い回しで、二重否定されていても、文章全体は否定の意味になる。Ain’t No Mountain~(~の山はない)などと同じ。One Monkey Don’t (Any) Stop Show「サルが一匹くらいいなくても、ショーは止まらない」という意味だ。 マーヴィンにこのフレーズは当時流行っていたフレーズなのかときくと、「いや、きいたことはない。別に流行っていたわけではないと思う」という。ただ「この曲は、何かメッセージがあるような気がする」とも。「でも、そのあたりがよくわからない、吉岡さんに聞こうと思った(笑)」と言われても、僕がわかるわけないじゃない。ブラザーのマーヴィンがわからないものを…。(笑)  しかし、そこで、このハニー・コーンは、ホットワックス/インヴィクタス・レコードからでてきたアーティストだということ。そのホットワックス/インヴィクタスは、デトロイトのモータウン・レコードにいて数々のヒット曲を送り出した超強力ソングライター・チーム、ホランド・ドジャー・ホランドがベリー・ゴーディーと喧嘩別れしてモータウンを辞め、自力で設立したレコード会社だ、ということをマーヴィンに説明した。 するとマーヴィンが「ああ、じゃあ、このワン・モンキーは(モータウン社長の)ベリー・ゴーディーのことじゃない?」と推理を働かせた。つまり、「ベリーがいなくても、この業界は続いていくよ」「ベリーなしでも、僕らはやっていけるよ」というメッセージだというのだ。 ハニー・コーンのヴァージョンはこちら。 http://youtu.be/RgL4HZAy3wk この映像を見てもわかるが、これを書いたのは同じホットワックス/インヴィクタス所属のR&Bグループ、100プルーフのリーダー的存在のジェネラル・ジョンソン。 歌詞を読むと「一匹のサルはショーを止めることはできない。もしあなたが私の愛を必要としないなら、別れましょう」「成功で頭が一杯になったのかしら。でも、オバカさん、その成功の源は私だってわからないの? かつてと違うあなたなら、もう私の人生から出て行って。あなたのことは好きだけど、あなたなしでやっていけるわ。ショーは続かなければならないから」といった意味。 曲を書いたのはホランド・ドジャー・ホランドではないが、確かに彼らの意を汲んで、こういう歌詞になったということは十分に考えられる。「一匹のサルがベリー・ゴーディー」というわけだ。ベリーとホランドたちは、印税などお金のことでもめた。自分たちが正当な報酬を得ていないと思い、結局、モータウンを辞めた。訴訟にもなったので、相当意見が対立していた。ベリーに頭にきて、「お前なんかいなくたって、俺たちはやっていけるぞ」という意味を含めて、この曲を出して、ヒットさせたとしたら、これはこれでおもしろい。 ■ 「ワン・モンキー…」を含むデビュー作『ソウルフル・タペストリー』 ソウルフル・タペストリー posted with amazlet at 12.03.04 ハニー・コーン ブルース・インターアクションズ (1996-09-25) … Continue reading

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#◎ ベティー・ライトと「アイ・ウォナ・セックス・ユー・アップ」

#◎ ベティー・ライトと「アイ・ウォナ・セックス・ユー・アップ」 【Betty Wright & “I Wanna Sex You Up”】 サンプリング。 先日のベティー・ライトのライヴで、彼女が「アイ・ウォナ・セックス・ユー・アップ」を歌い始めて、「なんでだろう」と思っていたら、同じ日にベティーのライヴを見ていた松尾潔さんから「あの曲の一部がベティーの曲を無断サンプリングしていて、最初クレジットがなかったから、訴訟して最終的には、曲の権利・作家印税の35%を手に入れたんですよ」と教えていただいた。さすが。 そこでいろいろ調べたら、けっこう、おもしろい話がでてきたので、それをご紹介したい。 「アイ・ウォナ・セックス・ユー・アップ」は、1991年のカラー・ミー・バッドの全米2位、全英1位の大ヒットだ。R&Bとダンス・チャートでは1位。全米では200万枚以上のセールスを記録した。元々映画『ニュー・ジャック・シティー』のために作られた曲で、映画でもいい場面で使われていたと記憶する。 僕はこの曲が大好きで、当時こればかりをカセットの片面に繰り返し繰り返しいれたテープを作って車の中で聞いていたほど。それこそ耳タコになるほど聞いていた。だが、そのときには、ここにベティーの「トゥナイト・イズ・ザ・ナイト」のベースラインが入っていたとはとんと気づかなかった。 カラー・ミー・バッド「アイ・ウォナ・セックス・ユー・アップ」 http://youtu.be/Ask_sedxu0o 調べてみると、この「アイ・ウォナ…」は、イントロにはラッパー、ダグ・E・フレッシュの「ラ・ディ・ダ・ディ」が、サンプリングされている。これは、”to the heart tick tock ya don’t stop” という部分だ。 そして、途中からベースラインがベティー・ライトの「トゥナイト・イズ・ザ・ナイト」を使っていた。それがこれ。 http://youtu.be/KTFuaK7IFyg なんか、彼女が「アイ・ウォナ・セックス・ユー・アップ」をやる前に、いろいろとしゃべっていて、「盗まれた」とか言っていたのを思い出した。正確にはどう言っていたのか、はっきり覚えてないのだが。たぶん、あるとき、ラジオかなにかから「アイ・ウォナ・セックス・ユー・アップ」が流れてきたが、これは私の曲だ、「盗まれた」と思った、すぐに弁護士に相談したといった話だったと思う。 そして、彼女はこれと「トゥナイト・イズ・ザ・ナイト」をメドレーで歌ったのだ。 ライヴ評・セットリスト参照 2012年02月29日(水) ベティー・ライト自身名義初来日ライヴ http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-11177929117.html すると、これはそれだけでなく、この曲はコーラス・メロディーの部分はブラザース・ジョンソンの「ストロベリー・レター23」から取っているそうだ。 http://youtu.be/vbxUtFDKz8k コーラスの「ウ~~ウ~~」というところが似ている。 いずれにせよ、ベティー・ライトはこのカラー・ミー・バッドの「アイ・ウォナ・セックス・ユー・アップ」を聴いて、自分の曲が使われていると知り、すぐに弁護士に連絡、訴訟を起こし、自分の取り分を獲得することに成功した、というわけだ。 ちなみに、このカラー・ミー・バッドの「アイ・ウォナ・セックス・ユー・アップ」をサンプリングした曲が、ルマー(Lemar)の「Tick Tock」のカーディナル・ビーツ・リミックス。 さて、もっとおもしろいのが、ベティー・ライトの「トゥナイト・イズ・ザ・ナイト」自体が、どうやらブッカーT&ザ・MGズの「タイム・イズ・ライト」のリフから拝借していたらしいのだ。 http://youtu.be/GUGsZgkjrco … Continue reading

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#「ベッチャ・バイ・ゴーリー・ワウ」ストーリー(訳詞付き)~名曲物語

#「ベッチャ・バイ・ゴーリー・ワウ」ストーリー(訳詞付き)~名曲物語 【”Betcha By Golly, Wow” Story 】 (不定期でその曲の誕生秘話などをご紹介している「グレイト・ソング・ストーリー」(名曲物語)。今回は、スタイリスティックスでおなじみのフィリー・ソウル・クラシック「ベッチャ・バイ・ゴーリー・ワウ」をご紹介します。この模様は、今日の「ソウル・サーチン」[インターFM76.1mhzで日曜午後2時半~]でもご紹介します) ACT 1: 入魂の1曲 流行語。 「フィラデルフィア・ソウル」「フィリー・ソウル」の人気グループ、スタイリスティックスの大ヒット曲のひとつ「ベッチャ・バイ・ゴーリー・ワウ」。1972年に大ヒットした名曲。スタイリスティックスのデビュー・アルバム『スタイリスティックス登場』に収録されている。 これを書いているのが、そのプロデューサー、トム・ベルと作詞家リンダ・クリードのコンビだ。スタイリスティックスで大ヒットし、その後、カヴァーが生まれた。有名なのは、フィリス・ハイマン、そして、プリンス、アーロン・ネヴィルなど。そのほかにもジャズの分野も含めて多数のカヴァーがある。 ところが、スタイリスティックスがレコーディングして有名にしたこの曲、実は、スタイリスティックより前に、録音されていたことを最近知った。なんと、1960年代に活躍した女優兼歌手のコニー・スティーヴンスが、1970年にレコーディングしていたのだ。しかし、そのときのタイトルは、「キープ・グロウイング・ストロングKeep Growing Strong」。そう、サビの繰り返しの部分だ。いくら「ベッチャ・バイ~」で検索してもでてこない。 コニー・スティーヴンスは1938年8月8日生まれ(現在73歳)で、1959年から始まったテレビ・シリーズ『ハワイアン・アイ』で人気となった。ほぼ同じ頃からシンガーとしての活動も開始。女優兼歌手として活躍していた。1959年4月からエディー・バーンズとのデュエットで「クーキー・クーキー」という曲が全米ポップチャートで4位、ゴールド・ディスクに輝いている。ただこれは、聴くとわかるが、歌というより、ラップというかナレーションというか、ちょっと冗談ぽいノヴェルティー・ソングだ。アイドル・タレントというところといえそう。 (一応参考までに、その楽曲映像↓) http://youtu.be/3gDT2Xk5-Oo さて、コニーの「キープ・グロウイング・ストロング」が録音されたのは、1970年。これも、プロデュース、コンダクト、アレンジがトム・ベル本人。シングルは、ベル・レコードからリリース。どのような経緯で当時はまだ無名だったトム・ベルがコニーの曲をプロデュースすることになったかはわからない。ひょっとすると、デルフォニックスの作品を出していたフィリー・グルーヴ・レコードを配給していたのが、ベル・レコードだったから、その線でトム・ベルに話が行ったのかもしれない。とりあえず、シングルを1枚作ろうということで出来たようだ。 サウンド的には、初期のデルフォニックスのサウンドに近い。ちょっと荒削りな音だが、ちゃんとストリングスも入っているところが、トム・ベルらしい。残念ながらこのヴァージョン「Keep Growing Strong / Tick-Tock」(Bell 922)はヒットしなかった。今では、このオリジナルのシングル盤にはオークションで300ドル以上ついたりするという。ちなみに、シングルB面の「ティック・トック」は、ミディアム調のフィリー風ダンス曲。これは、2011年5月29日(日)に山下達郎さんの『サンデイ・ソングブック』(東京FM系列全国ネット)で、オンエアされた。たぶん日本で唯一のオンエアだ。達郎さんはこのシングルをその頃入手したそうだ。シングルは1970年の9月から10月頃のリリースと思われる。(ちなみに、Bellのディスコグラフィーをあたると、Bell 910 パートリッジ・ファミリーの「I Think I Love You」が1970年10月、Bell 913 フィフス・ディメンションの「On The Beach」が1970年8月、Bell 938 ドーンの「ノックは3回(Knock Three Times)」が1970年11月のリリースで、若干の前後することもあるが、922はその間あたりのリリースと見られる) ■コニー・スティーヴンスの「キープ・グロウイング・ストロング」 … Continue reading

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# シュガーヒル・ギャングの「ラッパーズ・デライト」

# シュガーヒル・ギャングの「ラッパーズ・デライト」 【Story Behind ”Rapper’s Delight”】 秘話。 女帝シルヴィア・ロビンソンが29日に死去したことを受け、日曜日(10月2日)の『ソウル・ブレンズ』内「ソウル・サーチン」でも、シルヴィア逝去とそれにともないシルヴィアが世に送り出したシュガーヒル・ギャングの「ラッパーズ・デライト」についてご紹介した。 2011年10月01日(土) シルヴィア・ロビンソン死去~シュガーヒル・ギャング生みの親 http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20111001.html 上記ブログで触れられてない話もしたのでここでもう少し書き加えておきたい。 このアメリカ音楽業界で「世界で初めてのラップ・レコード(の一枚)」とされるシュガーヒル・ギャングの「ラッパーズ・デライト」は、シルヴィアのちょっとしたセンスが見事に光った作品となった。 誕生までには、いくつかの説があるが、大筋ではつぎのような話だ。 彼女がクラブ(ディスコ)のようなところで、DJが「グッド・タイムス」のブレイク部分をかけながら、MCがそれに載せてひたすらいろいろしゃべっているのを聴いたところから、息子に「これをレコードにしたらヒットする」と直感して、レコーディングを手配する。1979年6月くらいのことだったとされる。シックの「グッド・タイムス」がリリースされたのは、1979年6月なので、リリース後まもなくのことだ。 ラップはすでにニューヨークのクラブ・シーン、ストリートなどのアンダーグラウンドなところでは大きな現象となり始めていたが、あくまでアンダーグラウンドな世界での出来事でまだまだ一般の人は何も知らなかった。僕たち日本人が知るのも、この「ラッパーズ・デライト」からだ。 そこで、シルヴィアは息子のジョーイにラップができる若者をスタジオに連れて来いと指示するが、その当時ラップをリアルに本気でやっている連中は、ラップなどは録音するものではない、ライヴでその場のノリでやるもの、という意識が強く、誰もレコーディングを拒否した。 シルヴィアはメンバーを一人ずつ集めることになる。まず見出したのが、ヘンリー・ビッグ・マイク・ハンク・ジャクソンだった。ニュージャージーの「クリスピー・ピッツァ」店で働いていた380ポンド(170キロ)の巨漢を、息子の車に呼び出し、後部座席に乗らせ、カーステレオから「グッド・タイムス」をならし、ラップをさせたところ、なかなかいけたので合格。さらに、残る二人を集めて3人組を作った。彼らはスタジオに来てレコーディング。それがワンダー・マイクをはじめとする3人、シュガーヒル・ギャングになる。シルヴィアはこの曲を750ドル(当時1ドル220円のレートとして16万5000円)で作ったという。 「グッド・タイムス」のバーナード・エドワーズによるベース・リフは、フリースタイルのラップを載せるには最高のもので、多くのブラックの子供たちがこれにあわせてラップをするようになっていた。ファブ・ファイヴ・フレディーなどもラップをしていたり、「ラッパーズ・デライト」のレコードでビッグ・バンク・ハンクがMCをする部分はグランド・マスター・キャズが考案したリリックだという。きっと、いろいろなヴァージョンがあちこちでフリースタイルで披露されていたのだろう。 それに先立ち、ミュージシャンのチップ・シェアリンが友人のつてで、「グッド・タイムス」のベースラインを15分延々と繰り返しプレイするよう言われ、それをレコーディング。今でこそ、サンプリングやループという手法で、ちょっとだけ録音すれば何度でも繰り返しコピーできるが、当時は15分のトラックを作るためには15分ミュージシャンが演奏し続けた。ドラマーもベースのチップも最後は大汗をかくことになったという。それでもノーミスでレコーディングをしあげ、チップはギャラとしては70ドルほどもらった。1979年、1時間程度のセッションとしては、まあそこそこの金額かもしれない。ギターはブライアン・モーガンだそうだ。 そして、3人のMCも、ラップの部分をワンテイクで録音。すぐに12インチシングルとしてリリースされた。1979年9月のことだ。その後は歴史となった。チャート入りした時点では7インチ・シングルはなく、12インチのみでトップ40入りした唯一のシングルとなった。 まさにシルヴィアの「これは売れる」と思った直感が歴史を動かしたことになる。その後現在に至るまでラップという現象が大きくなっているだけに、なおさらこのひらめきが素晴らしかった。 当初は、シュガーヒル・ギャングはリアルなラッパーたちからは、尊敬されない(ディスされる)存在だった。ふだん、クラブなどでラップ道を邁進していたわけではないからだ。当初リアルなラッパーたちはレコーディングに興味を示さなかったが、この「ラッパーズ・デライト」の大ヒットを受け、次々とレコーディングをするようになり、シュガーヒルからレコードを出していく。グランドマスター・フラッシュ、ファンキー・フォー・プラス・ワン、クラッシュ・クリュー、トリエチャラス・スリー、また、他のレーベルからもメリー・メルなどが登場。ラップは一大ブームになるのだ。これを作り出したシルヴィアの功績は称えられるもの。 また、「ラッパーズ・デライト」が「グッド・タイムス」のリフを借用したことから、後にレコードそのままを「サンプリング」する手法の原点でもあった。 この冒頭、“I said a hip hop, the hippie, the hippie to the hip hip hop and you don’t … Continue reading

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◇「タイム・アフター・タイム」物語~タック&パティー(パート2)

◇タック&パティー(パート2)~「タイム・アフター・タイム」物語 【”Time After Time” Story】 名曲物語。 シンディー・ロウパーの歌で歌われ大ヒットした「タイム・アフター・タイム」だが、タック&パティーの18番でもある。日本でも大変人気の高い曲だけに、タックたちも必ずこれをステージで歌う。 この曲はこうして生まれた。 シンディー・ロウパーが1983年、デビュー・アルバムを制作しているとき、ほぼレコーディングは終了したが、「もう1曲何かを入れよう」ということで、スタジオで作業をしていた。当時は、レコーディングに予算があったため、デモテープを作らず、いきなり24チャンネルのレコードプラントのスタジオに入っていろいろセッションを繰り広げるうちに曲を作り上げていった。 そんなスタジオのロビーに週刊テレビガイドがあり、そこに『タイム・アフター・タイム』という1979年の映画が放送されると書いてあった。これは、マルコム・マクドゥエルがSF作家HGウェルズ役を演じる物語で、主人公がタイムマシンを発明するという話だった。シンディーはこの単語を見て、ピンと来て、この単語を核にレコーディングを始めた。バンドの一員として参加していたフーターズの一員、ロブ・ハイマンがピアノで伴奏をつけ、適当にコードを弾きメロディーを作りだし、歌詞とメロディーが徐々にできあがった。当初はのりのりのレゲエ調のサウンドだったが、歌詞がほろ苦いストーリーになってきたあたりから、ミディアム調のリズムではなく、スローっぽいテンポの遅いリズムにしたほうがいいということになった。 曲は完成し、アルバムのA面最後に収録される。シンディーの「タイム・アフター・タイム」は、アルバムの一番最後に録音されたが、「ガール・ジャスト・ウォント・トゥ・ビー・ファン」に続く第二弾シングルとして1984年1月にリリースされ、見事に全米ナンバーワンとなった。 ビデオ。 このプロモーション・ビデオも制作されるが、そこではボーイフレンドを故郷において、どこか、おそらく大都会へ旅立つ主人公を演じている。本当は別れたくないが、別れなければならないという雰囲気だ。このビデオには当時彼女がつきあっていて、マネージャーでもあったデイヴィッド・ウルフが出ているというが、この相手役がデイヴィッドなのか、他の端役なのかよくわからない。また、シンディーの実の母は母役で、実の父もダイナーのコック役ででている。このビデオ冒頭で使われている映画は、『ザ・ガーデン・オブ・アラーThe Garden Of Allah(邦題、砂漠の花園)』というマリーナ・ディートリッヒ、シャルル・ボワイエ主演の1936年の映画。最後、主人公たちの別れのシーンのセリフを、何度も見て覚えているシンディーがなぞるところから始まる。 このビデオの食事のシーンは、ニュージャージー州にある「トムズ・ダイナー」で撮影されたが、そのダイナーは一時期はデートスポットとしても大変な人気を博したが、すでにもう閉店している。ただその店自体は取り壊されずに残っている。また、スザンヌ・ヴェガが歌った「トムズ・ダイナー」とは違うダイナーだ。ヴェガが歌ったダイナーは、ニューヨークのブロードウェイと112丁目の角にある「トムズ・レストラン」。 以後100以上のアーティストがカヴァーしている。そんな中でもマイルス・デイヴィスのものと、このタック&パティーのヴァージョンは特に素晴らしい出来になっている。 訳詞。 下記歌詞の「秒針が戻る(逆回りする)Second hand unwinds」というフレーズは、プロデューサーのリックが持っていた腕時計が、普通と逆に針が回るものだったので、それを入れ込んだ、という。 訳詞はあくまでひとつの解釈ということで捉えていただきたい。今回、ちょっとトリッキーに訳したのが最後のSecrets stolenの部分。「盗まれた秘密」は何かをいろいろと考えた。たぶん、いろいろな解釈ができるのだと思う。ここでは、その後に来るdrum beats out of time (ビートのはずれたドラムの音=調子はずれのドラムお音)、にしてみた。本当は、それまで二人のビートは、人生を歩む速度も、なんでもぴったり一緒で同時にリズムを刻んでいたのだろう。だが、そのドラムの音が片方はテンポが速くなり、一方は遅くなり、刻むリズムがずれてきた。それがすなわち二人の心のテンポがずれてきた、そして距離が離れてきた、ということを意味する。今までそのことは、彼に対して言ってこなかったが、ここでその秘密を吐露した。そして、別れたくはないが、別れざるをえない状況になった、という雰囲気だ。でも、心には未練がたっぷりある。 だから最後がI’ll be loving you alwaysとなる。 シンディーにつづいてユーチューブでご紹介するエヴァ・キャシディーについては、また後日。素晴らしいシンガーだが、すでに癌で亡くなっている。きっかけさえあれば、ミニー・リパートンのようなシンガーになれたであろうシンガーだ。ワシントンDCを本拠に活躍していたシンガーで、チャック・ブラウンに可愛がられていた。白人だが、黒人音楽の影響も強いシンガーで、その点ではティーナ・マリー的な部分もある。 シンディー・ロウパー・オフィシャルPV http://youtu.be/3C6AXnnjgqI 故エヴァ・キャシディー・ヴァージョン http://youtu.be/SMznNlfLXP4 ■「タイム・アフター・タイム」(訳詞) Time … Continue reading

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◇「兄弟の誓い」物語~フィリップ・ウー・ライヴ(パート2)

◇「兄弟の誓い」物語~フィリップ・ウー・ライヴ(パート2) 【”He Ain’t Heavy, He’s My Brother” Saga】 誓い。 2011年5月12日(木)に行われたフィリップ・ウー&フレンズのライヴで、ケイリブの歌で歌われ感動的だった「ヒー・エイント・ヘヴィー・ヒーズ・マイ・ブラザー」。この曲について少しご紹介したい。 これは、ボビー・スコットとボブ・ラッセルという二人が共作したもので、一番最初にレコーディングしたのは、1969年、ケリー・ゴードンというシンガーだった。ただこれはヒットせず。そして、すぐにイギリスのホリーズが録音、1969年9月にイギリス、ついでアメリカでシングル・リリース、全英3位、全米7位を記録。アビー・ロード・スタジオでレコーディングされたここでピアノを弾いていたのはエルトン・ジョンだった。その後、1970年にニール・ダイアモンドがカヴァー、レコーディング。これもシングル・カットされ全米で20位を記録するヒットになった。1988年にはホリーズのものが、イギリスで「ミラー・ビール」のCMで使われ、再度ヒットした。日本ではホリーズのものが有名だが、これには「兄弟の誓い」という邦題がついている。 ところで、この曲を書いた二人は、名作詞家ジョニー・マーサー(「ムーン・リヴァー」など名作多数)に引き合わされ、意気投合。ところが、二人が知り合ったとき、ラッセルはすでに癌に犯され余命いくばくもなかった。彼らは3回ほどしか実際に会うことはなかったが、その短い邂逅の中でこの「ヒー・エイント・ヘヴィー…」を完成させる。しかし、まもなく、ラッセルが他界したために、著作権について、取り分などで裁判沙汰になってしまった、という。 この曲のコンセプト、タイトル自体は1920年代からあったという。直訳すると、「(背負っている)彼はやっかいものじゃない、重くはない、彼は僕の兄弟だから」といったもの。 1924年9月に、キワニス・マガジンのロー・ファルカーソンというライターが、「ヒー・エイント・ヘヴィー、ヒーズ・マイ・ブラザー」というタイトルのコラムを書いた。このフレーズは古くは1884年頃から言われてきたもので、様々な表現の仕方があったが言わんとすることは同じだ。そして、これは親のない孤児を集めた「ボーイズ・タウン」の創始者エドワード・フラナガンのキャッチフレーズとも関連している。フラナガンは、1941年のクリスマスに雑誌で男の子がその兄弟を背負ってるイラストを見た。その絵のキャプションには、「彼は重くなんかないですよ、僕の兄弟ですから」と書かれていた。これは後にアイデアル・マガジンの編集者となるヴァン・B・フーパーによるものだったが、このイラストとキャプションを気に入ったフラナガンは使用許諾を取り、このフレーズは「ボーイズ・タウン」のモットーとなった。 これより先、1918年にも、同じような話があった、という。小さなスコティッシュ・ガールが、彼女と同じかそれ以上の兄弟を背負って歩いていた。するとそれを見た通りすがりのものが、「どんなにや重いだろうね」と声をかけたところ、すぐにスコティッシュ訛りで「彼は重くなんかない、私の兄弟だから」と答えた、という。血のつながった兄弟だから、何も重くなんかない、というメッセージは普遍だ。 解釈。 そして、訳詞は下記をごらんになっていただくとして、ここから多くのリスナーは、それぞれにこの歌詞を受け取るようになる。そこが音楽の広がりというか素晴らしいところだ。 ある者は、戦争で傷ついた仲間を背負って基地に帰る姿をイメージする。兄弟という言葉が友達、家族のメタファーに広がる。天国へ向かう死んだ弟を背負った兄の彫刻のようなものがある。そして、天国の入口で神が尋ねる。「汝が背負っている者は重くはないか?」するとその男が答える。「(彼は)重くはありません。僕の弟(兄弟)ですから」 背負うものは、兄弟というだけでなく、悲しみや苦しみ、苦労といったものも表わす。ひとたび、この歌が世に出れば、それ以後の解釈は、聴く者の自由だ。 この「兄弟の誓い」とほぼときを同じくして、サイモン&ガーファンクルは「ブリッジ・オーヴァー・トラブルド・ウォーター(明日に架ける橋)」を世に送り出す。どちらも、見返りのない友情、愛を描いた傑作だ。1969年から1970年という時代は、こうした人類愛にあふれた時期だったのかもしれない。 この曲が持つ普遍的なメッセージは、その後の911、イラク戦争、カトリーナの被災などにも有効だ。そして、もちろん今回の東北大震災の被災者にも素晴らしきメッセージとなる。 この「兄弟の誓い」という邦題もなかなか素晴らしい。わずか5文字で、これだけ長い英語タイトルをまとめた。見事である。 そして、この楽曲、ホリーズ、ニール・ダイアモンドのほかに、ソウル・ファンにはデイヴィッド&ジミー・ラッフィン兄弟のものが白眉。ほかに、ダニー・ハサウェイも素晴らしいヴァージョンを録音している。また、ほかに、ボビー・ゴールズボロ、シェール、オズモンズ、オリヴィア・ニュートン・ジョンなどもカヴァーしている。 また、曲調、歌詞のコンセプトなどが、ビートルズの「ロング・アンド・ワインディング・ロード」(1970年5月からヒット)に似ているので、ひょっとしてビートルズ曲の元、あるいは「ロング・アンド・ワインディング・ロード」にインスパイアーを与えた曲だったかもしれない。 ダニー・ハサウェイ http://youtu.be/7HFDAp8XVrk ホリーズ http://youtu.be/C1KtScrqtbc ニール・ダイアモンド http://youtu.be/usZtSl8mX08 ラッフィン・ブラザーズ http://youtu.be/C2eQMy4Sdso +++++ 「兄弟の誓い」(訳詞) He Ain’t Heavy, He’s My Brother … Continue reading

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●「煙が目にしみる」~名曲の起承転結

●「煙が目にしみる」~名曲の起承転結 (前日のブログの続き) 【The Meaning Of “Smoke Gets In Your Eyes”】 スタンダード。 土曜日深夜、翌日ラジオのコーナーで紹介するバーブラ・ストライサンドの新作『ラヴ・イズ・ジ・アンサー』(メッセージはマイケルと同じだ)の収録曲のひとつ「煙が目にしみる」を訳詞付きでお送りしようと、必死に訳詞にとりかかっていた。この20行弱の歌詞に、見事に物語の起承転結があるのだが、訳してみて改めて、昔の曲はうまくできているなあ、などと感心しきりだった。 このSmoke gets in your eyesは直訳だと、煙があなたの目に入る、ということになるが、「煙が目にしみる」という邦題も秀逸だ。これはもともとは、1933年のミュージカル作品『ロバータ』のためにジェローム・カーン(作曲)、オットー・ハーバック(作詞)によって書かれた作品。『ロバータ』は、女性作家アリス・デュアー・ミラー(1874-1942)が1933年に書いた小説『ガウンズ・バイ・ロバータ』を元にしたもので、劇場で300回近く公演されるヒットとなった。これを受け、1935年同作品がフレッド・アステア、ジンジャー・ロジャースらの主演で映画化されるが、この作品中もっとも人気を集めた楽曲がこの「煙が目にしみる」となった。それ以来多数のカヴァー・ヴァージョンが生まれた。1958年のプラターズのヴァージョンは全米ナンバーワンになり、大変よく知られるようになったが、ほかにも、ナット・キング・コール、ダイナ・ワシントンなども有名。 ハーバックは、ロシアの格言「When your heart’s on fire, smoke gets in your eyes,」(あなたの恋の炎が燃え上がる時、煙があなたの目を直撃する)からヒントを得て、この曲の歌詞を作った、という。 そして、訳詞をちーちゃん(=しのきちさと=『ソウル・ブレンズ』のDJのひとり)に読んでもらうときのBGMを探す。多数のカヴァーがある「煙が目にしみる」なので、すぐにインスト物など見つかるかと思いきや、なかなかインストがなく、やっと探し当てたのが、ハンク・ジョーンズのピアノをフィーチャーしたザ・グレイト・ジャズ・トリオのヴァージョン。 日曜午後2時。東京FMの『サンデイ・ソングブック』をつけると、なんと達郎さんがど頭1曲目で達郎さんヴァージョンの「煙が目にしみる」をプレイ! これにはさすがにびっくり。前夜遅くまで何度も聴きながら、英詞と日本語詞を煮詰めていたので、達郎さんヴァージョンも感無量だった。 そして、午後4時半過ぎ。BGMから静かにちーちゃんが、見事な朗読を聴かせてくれた。DJマーヴィンがそれを聴いて、「バーブラが日本に来て歌うときには、その歌の前に、ちーちゃんが詞を朗読すればいい」とまで言う。ちーちゃん、朗読うまい。前回読んでもらったのは、「スターダスト」だった。スタンダード曲には訳詞朗読があっている。 SMOKE GETS IN YOUR EYES (Jerome Kern / Otto Harback) … Continue reading

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