2010年12月13日(月) 00時01分00秒 soulsearchinの投稿

◆宇多田ヒカル、坂本龍一ライヴのUストリーム中継から見る未来の音楽業界

テーマ:コメンタリー
◆宇多田ヒカル、坂本龍一ライヴのUストリーム中継から見る未来の音楽業界

【Utada Hikaru Live Ustream And Future Of Music Industry】

殺到。

シンガー・ソングライター、宇多田ヒカルが2010年12月8日と9日、横浜アリーナでライヴを行い、8日の分をUストリームで全世界に向けて生中継を敢行した。生中継は、回線の早いものと遅いもの用と2チャンネルで行われたが、生中継時点では両チャンネル合わせて9万人以上がアクセス。一方、終了後の同サイトでは合計視聴数780,995と出ていた。これは、延べ総アクセスのことのようで、Uスト側の発表では、92万以上のアクセス、ユニークユーザー数(実質的なアクセス者数)が34万5000人とのこと。配信中に「ソーシャルストリーム」機能で投稿されたツイッターやフェイスブックなどでのコメント数は18万5,000通。これは単純に2時間で割っても一分間に1500通以上のコメントがあった計算だ。

いわゆる有料のライヴをUストリームで無料で生中継する。しかも当代きっての人気者のライヴだ。これはアクセスが殺到するに決まっている。坂本龍一も積極的にUストリーム中継をしている。12月11日の国際フォーラムでのライヴは、ライヴを有料衛星テレビ局ワウワウ(WOWOW)が生中継する一方で、Uストリームでも中継するという実験的なこともした。この宇多田ヒカルや坂本龍一のUストリーム中継は今後の音楽業界、ライヴの世界にどのような影響を与えるのだろうか。

コピー。

一度、音楽がそもそもあったスタート地点に話を戻そう。音楽は、すべてまずは生のライヴ(言葉の意味が二重になってるが、とりあえずわかりやすく表記)だった。宮廷音楽にしろ、アフリカの土着の音楽であろうとすべては生の楽器をその場で演奏し、何人かの聴衆がいた。ここ何世紀かは、その音楽に対し、お金を払い、ミュージシャンはそのお金で生活をしていた。ここ130年ほどで音楽を録音するという技術が開発され、その技術によって、同じ音楽のコピー(複製)が大量に配布されることになった。しかし、その複製を作る技術はひじょうに高度なものだったため、ごく一部の人しか、複製を作ることはできなかった。そしてその複製作品には複製を作ることができる特権を持った者によってそれ相応の価値と価格が付けられ、そこにはさらに著作権という概念が付け加えられ、複製者、さらに著作権、原盤権を持つものには大きな利益が生まれることになった。言ってみれば著作権バブルが生まれた。

しかし、過去20年、その複製を誰もが簡単に安価に出来るようになり、複製することが誰の特権でもなくなり、コピーされるものの価値が著しく低下した。

そこで原点に返ると、コピーできるものの価値が低くなるにつれ、コピーできないものの価値は上がることになる。音楽の世界で言えば、レコード、CDなどは、コピー商品。絵画で言えば、大量に印刷されたポスターのようなもの。そして、ライヴ音楽は、一点物のオリジナルということになる。ライヴは、決して同じものを作ることはできない。

情報量。

ライヴとは、その場所に行き、何千人か何万人かとともにそのアーティストが奏でる音楽をリアルタイムで共有することだ。そこで感じること、そこにある情報は、音楽そのものだけでなく、空気、におい、照明などによる視覚、隣の人の体温などもすべてが要素のひとつになる。そしてそこには何よりもアーティストとの掛け合いがあり、完全な双方向性のやりとりがある。これらはすべて、録音されたものからは感じとることはできない。ライヴは一期一会でコピーできない。そこでしか体験できないこと、つまり、その人がそこで体験すること、それが大きな価値、ヴァリューだ。その価値、いわばその時間と場所に対して現代は対価を払うということになる。

さて、そんなライヴがテレビ中継、あるいは、Uストリームで中継される。現場まで行けない人にとっては、便利は便利だ。あるいは、現場に行くお金がない人にとっても、ありがたい。だが、Uストだろうが、テレビだろうが、そこで生中継されようが、録画で中継されようが、カメラ1台の映像だろうが、カメラ20台を使った豪華な映像だろうが、映し出されるモニターは1台で、平面、つまり2次元のもの、音も普通のものだ。そこから感じ取れる「情報量」は、現場で吸収できる情報量とは比べ物にならない。結局、中継されるものは、曲と演奏と歌と映像だけなのだ。

宇多田ヒカルが無料でライヴを中継しているのを見て、将来アーティストは誰もがUストなどで中継するのが、当たり前になるのだろうか。そのとき、中継をしないアーティストは時代遅れなのか、あるいはせこいのか、などと思いをめぐらせてしまった。僕は中継は無料だろうが、有料だろうが、どんどんすればいいと思う。ライヴをタダで中継したら、お客さんがチケット買ってまで来なくなってしまうのではないか、無料でUストなどしたら、ますます音楽はタダで見られるもの、余計お金をかけなくなる、と危惧する向きもあるだろう。最近の音楽に対する若い人たちの安直さを見ると、確かにその意見もむげに否定できない。CD現物でなくてダウンロードでいい、YouTubeの音でいい、MP3で十分だ、などという意見が大勢を占めると、そういう方向もあるのかなあ、とふと心配してしまう。だがライヴに来てこそ与えられるヴァリューを作り上げてこそのアーティストということになるだろう。

価値。

ここからは一般論になってしまうが、そのライヴが面白いと思えば、次には、たとえば翌日同じ会場であれば、当日券を買って行きたくなる可能性が高い。つまり、中継はサンプル(試供品)と捉えるのがいいのではないだろうか。音質だっていくら技術が発展したって、しばらくは会場と同じ質の音になるわけはない。そして、コンピューターの画面で宇多田ヒカルが歌っているのを見ていて感激するなら、実際に会場に来て生でそれを見たら、その感激は100倍以上になるはずだ。現場にはそういう価値(ヴァリュー)があるということを、音楽を作る側、広める側は、積極的に知らせていかなければならない。音楽のどこに価値があるのか、音楽のどこに人々は惹かれていくのか、そうしたものを知っている者は、それを知らない者たちへ広めていかなければならない。そんな地道な努力こそが、音楽業界の低迷化を少しずつ押さえていくことになる。なんにせよ、復興の近道なんてないのだ。

もちろん、絶対にUストなんてしない、そこに来てもらったお客さんに最大で最高品質のものを見せる、というアーティストがいてもいい。誰もがUストをする中で、あのアーティストは絶対にUストしないから、会場に行かないと見られないんだ、というのが定説になればそれでもいい。

また、総アクセス90万、ユニークユーザー30万はとてつもなくすごい数字だが、たとえば、一般の地上波のテレビで関東エリアの局の視聴率1パーセントは30万人に相当すると言われる。テレビで1パーセントの視聴率の番組ではどこでも話題にならないが、インターネットで30万人が見に来たとなると、とてつもなく大きな話題になる。そのあたりのバランス感覚もこれから覚えていかないといけないのだろう。

しかし、ひとつだけ確実なことが言える。それは、21世紀は、誰もが簡単にコピーできないものを作っていくことが求められる時代だということだ。音楽の内容そのものもそうだし、それを提供するメディア自体もそうだ。もちろん、作るほうは大変ですよ。十分わかります。でも、ぜひみなさん切磋琢磨して、何か新しい道を探しましょう。ただ、ライヴはコピーできない。この真実はずっと変わらない。

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