NO.336
2003/07/29 (Tue)
100 Ways To Appreciate for Quincy Jones
無名。

ミニーつながりで、クインシー・ジョーンズの作品から 「ボディーヒート」 、「イフ・アイ・エヴァー・ルーズ・ディス・ヘヴン」(どちらも、ミニーが歌っています)などを聴いているうちに、 彼のベストアルバム (2枚組)と 『デュード』 (81年)をゆっくり聴いてしまった。クインシーの歴史は大変なものだが、この70年代から80年代中期にかけての作品っていうのは、もう神がかっているとしか言いようがありません。

「イフ・アイ・エヴァー・・・」なんか、ミニー・リパートン、アル・ジャロウ、そして、リオン・ウェアが一緒に歌ってるんですからねえ。3人とも74年当時には無名です。ミニーがブレイクするのは75年「ラヴィン・ユー」で、アルは76年の『グロウ』のアルバムから。リオンは、裏方として、やはり76年のマーヴィンの 『アイ・ウォント・ユー』 あたりからです。

次から次へと当時は無名だが、後に有名になるような若き才能たちが結集して、これでもかというほどのリアル・ミュージックを聴かせる。ミュージシャンたちが奏でるその音は、すべて生音。やはり、音楽というのはすぐれたミュージシャンが作らないといけないんだなあ、とつくづく感じる。コンピューターを扱う人間が音楽を作っても、だめだということですね。

クインシーの81年のアルバム 『デュード』 は、でた当時もすりきれるほど聴いたものだが、今聴いても、本当に新鮮。またクインシーは若い連中と仕事をするのが大好きで、ここでもいろいろと抜擢している。一番脚光を浴びたのはやはり当時はまったく無名のジェームス・イングラムです。もともとソングライターが書いたデモテープで歌っていたところ、クインシーにこの声が欲しいと言われ、その曲を本番でも歌い、それがヒットしたという歌手です。その曲は、「ジャスト・ワンス」。ジェームス・イングラムの実質的なデビュー・ヒットになりました。ピアノのイントロから始まる美しい曲。そして、彼はもう一曲「ワン・ハンドレッド・ウェイズ」という曲も歌い、これもヒットさせます。

この「ワン・ハンドレッド・・・」で、彼はグラミーを獲得。クインシーに、自らのデビューアルバムを出す前にグラミー賞を獲得してしまった男、と呼ばれることになります。それまで、一曲50ドル程度のギャラで、作曲家のデモテープで歌っていた無名のシンガーは、クインシーに認められたことで、一躍スターのシンガーになりました。ジェームスは、100の方法でクインシーに感謝してもしきれないでしょう。


Diary Archives by MASAHARU YOSHIOKA
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