NO.254
2003/05/13 (Tue)
Baton Was Passed On To
『手渡されたバトン』


一見(いちげん)。


「いらっしゃいませ〜〜〜」 引き戸を開けると、甲高い声が狭い店内に響いた。なんの変哲もない普通の中華料理店、いや、ラーメン屋といったらいいか。ほぼ毎日のように通る国道1号線沿い、古川橋近くにある店で、しばらく前から明るい看板がなにやら、僕に「おいでおいで」をしているような感じがしていた。深い意味はない。ただそう感じただけだ。

そして、意を決して、ある日初めて店内に足を踏み入れた。僕はただの一見の客だ。もう何ヶ月か前のことだった。店内にはそれほど客はいなかった。カウンターが約10席、テーブル席が約6席。つめれば、もう少し座れるそんな店だ。主人が中華なべを手際よくつかみ勢いよく前後に動かし、もう一人の女性が水を運んだり、注文を取ったりする。空いていたカウンターの一番端に座った。

壁に貼られたメニューを見ると、ラーメン600円、タンメン750円、ワンタン750円、餃子600円などの横にチャーハン1100円とあった。しかも、その横には「ランチタイムにはチャーハンはできません」と書いてある。他の品と比べて、このチャーハンの値段だけずば抜けて高かった。「一体なんなんだろう。なんで、これだけこんなに高いの。ランチタイムに作らないというのは、めんどくさいからか」とふと思った。そして逆に興味がわいた。この値段とランチタイムにやらないという言葉で、僕はチャーハンを注文、そして、餃子も頼んだ。

しばらくして、餃子がでてきた。よく焼けている。そして、まもなくチャーハンがでてきた。カニがたっぷりはいっている。つい今まで大きな中華なべの中で右に左に、上に下に動いていたゴハンと具が、お皿の上できれいに円錐形に置かれ、しかもスープからはちょっとだけ湯気がでている。スープを飲んでから一口食べると、熱々のゴハンと玉子、その他の具がうまく混ざり合う。水っぽくなく、かといってぱさぱさでもない。「こ、これは・・・。実にうまい」 思わず心の中で叫んだ。

すでに主人は黙々と次の料理を作っている。女性は、帰った客の食器を下げ、洗い場に移している。完全にルティーンワークになっていた。

1100円に納得した。街場のラーメン店でのチャーハンだったら600円から700円が妥当なところだろう。しかし、このときは、2000円近くもする下手な高級中華料理店のチャーハンなんかよりも断然いいと感じた。そして、それ以来この前を通るときには、いつも行こうと思うのだが、けっこう店が閉まっていることが多い。深山亭にしろ、何度か足を運び、閉まっていてふられるような店のほうがいいのかもしれない、と思った。

休みは土日、祝日、営業時間はランチが12時から2時、夜は7時半から10時。10時までにはいればいいのだが、麺がなくなったりすると、9時台にのれんをさげることもある。だが、平日でもやっていなかったことが、1度や2度ではなかった。僕が店の前を通る時間が遅いのか。それでもその後何度かこの店のチャーハンと餃子を食べることができた。そのたびに感心し、一体この主人はどういう人なのだろうかと興味がわいてきた。


最後の客。


その日、帰り道にふと見ると、10時過ぎだというのにまだのれんがでていて営業しているようだった。中に入るとなんと満員だった。この店が満員だったのは初めて見た。何人かは食べ終わっていたが、まだ注文したものが来ていない客が何人かいた。しばらく入口で立ったまま待った。やがて一人帰り、二人帰り、いつも通りチャーハンと餃子を注文し、テーブル席でタクシーの運転手さんらしき人と相席になった。

まもなくカウンターもあき、僕は一人でいつもの一番端の席に移った。さすがに注文をこなすのに時間がかかり、僕のチャーハンが来て食べ始める頃には、先のタクシー運転手風と二人になっていた。彼は一足先に食べ終え、すぐに勘定をすませ出ていった。僕は計らずも最後の客になっていた。

主人はなべやかまなどを一生懸命洗っている。奥さんと思われる女性はのれんを下げ、残った食器を次々と片付け、テーブルを拭いたりしている。僕のいつもの好奇心がむくむくと頭をもたげてでてきた。ちょっと躊躇したが、それでも声をかけてみた。

「ここは、いつ頃からあるんですか?」 僕は勝手にここ数年のうちにできた店かと思っていた。主人は推定で30代後半か行ってても40代前半のように見えたこと、看板が比較的新しかったことなどからだ。

洗い物の手を休めず主人は答えた。「昭和32年からでね。最初父がやっていて、僕は二代目なんですよ。昔はもう少し川のほうでやってたんですけど、東京オリンピックの年に、高速ができるんで、こっちに移ってきたんです。動いたのは、ちょっとだけですけどね」 

僕は驚いた。すでに46年の歴史を持つ店なのか。「僕は、平成になってからですけどね」と主人は言う。それでも、15年になる。なんで今まで気がつかなかったのだろう。看板が新しくなったから気がついたのだろうか。

ずばり直球で尋ねた。「ここのチャーハン、すごくおいしいんですけど、何か秘密でもあるんですか?」 だが、これはあまりいい質問ではない。こんな質問には答えようがないからだ。言いたくない秘密だったら、言わないだろうし。だが、なんとなくそう聞いてみたくなったのだ。

「そうですか、ありがとうございます。いやあ、別にないですけど。父のを見よう見真似で作ってるんですけどね。僕がここに来て、わりとすぐに父と母が他界しましてね。13年前ですけど」 彼は依然手を休めずに、僕の質問に答える。

「それまではどこに?」 どこか他の中華料理店にいたものと思っていた。すると予期せぬ答えが返ってきた。「銀座のソニービルの下にあるマキシムっていうフレンチにいたんです」 マキシムといえば、フレンチの超有名店ではないか。果たして、彼が作るチャーハンにフレンチの要素はあるのか。僕にはわからない。そして、彼もわからない、と言った。だが高級フレンチから街場の中華ラーメン店への転身は意外だった。

僕はここの店に初めて来て以来ずっと持ち続けている疑問を主人にぶつけた。「チャーハンがものすごくおいしいんですけど、これって他のメニューと比べるとちょっと高いでしょう。これはなんでなんですか。めんどくさいんですか、作るの、やっぱり」

「え〜、めんどくさいんで。(笑) できるだけ作りたくないんですよ。高くすれば少しは注文も減るかと思って(苦笑)」

「ああ、やっぱりねえ。だからランチタイムはやらないんだ」 とはいうものの、若干このやりとりは僕の誘導尋問に彼がひっかかった風でもあった。すると、食器を洗っていた奥さんらしき人が笑いながら口をはさんだ。「いやあ、めんどくさいというのは冗談なんですけど、カニがたくさんはいってるんでねえ・・・」 

彼女は、そんなこと言っちゃだめでしょう、とたしなめるかのように彼の言葉をサポートした。でも、それはとても感じのいいほほえましいものだった。僕はおそらくこの夫婦は姉さん女房だと思う。


40年間。


46年の歴史を刻むこの店の最大の人気メニューはタンメンだという。ランチタイムの注文の9割方はタンメンというから大変な人気だ。いつも、他のラーメンなどのメニューにも目が行くのだが、どうしてもチャーハンを注文してしまう。次回は意を決してタンメンにチャレンジするか。そして、やはり9割方が常連さんだとも付け加えた。常連で持つ店は、地域密着の店ということ。そして、味が安定していることの証だ。

主人が打ち明けた。「父の代から40年間毎日うちのタンメンを食べにきてくれたタクシーの運転手さんがいらっしゃってね。毎日、毎日です。ここでタンメン食べて、また仕事にでられるんです。(今は土日・祝日休業だが) 以前は5人でやってましてね。両親と僕たちとおばさんがいて、日曜だけ休みだったんです」

ざっと勘定してもその運転手さんは12000食タンメンを食べたことになる。「今でも?」と聞いた。「いえ、その方3年ほどまえに亡くなられて、今はもう・・・」 ということは、その運転手さんは30年ほど先代のタンメンを食べ、10年ほどその息子さんである現在の主人のタンメンを食べてきたことになる。これはすごい。日曜日は、一体、その人は何を食べていたのだろう。妙に気になった。

「たぶん、僕の(タンメン)は、最初のうちけっこう我慢して食べられていたんじゃないでしょうかねえ。(笑) いろいろ味については言われて、でも、とっても助かりましたよ。勉強になったっていうか」 父親は厳しく、最初のうちはスープも触らせてもらえず、ひたすら洗い物ばかりさせられた。だが、料理をまともに教わる前に、父は他界してしまった。だから彼の料理は父親のものを見よう見真似で覚えたものだ。それでも、子供の頃から父のものをずっと食べ続けていたので、その味はある程度、体で、いや、舌で覚えていたと思う、と彼は告白する。

30年間毎日父親のタンメンを食べ続けたひとりの客が、続く10年で二代目の息子にその味を教える。先代の味に徐々に近づいていく二代目の味。まさに、店は客が作るのだ。

13年前、父親の代から彼の代になったときには、けっこうお客さんが離れていってしまった、という。「でも、最近そういう方たちが戻られてくるようになったんです」 

「それは、お父さんの味に近づいたということなんでしょうか」と僕は尋ねた。「さあ、わからないですね。そうだったらいいんですけど」 彼は少しはにかみながら答えた。

歴史のバトンは、見事に次のランナーに手渡されたのだ。

「じゃあ、これからもおいしいチャーハンとタンメンを作ってください」 「ありがとうございま〜す」 再び主人の甲高い声が響いた。

扉を閉めて外にでると、時計の針はいつのまにか11時を回っていた。夜風が冷たかった。だが、美味なチャーハンと餃子以上のおいしい話に、身も心も満腹になった。


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中華・大宝

東京都港区南麻布2-7-23
電話  03-3452-5625
土、日、祝日休業
営業時間 12時〜2時、19時半〜22時

国道1号線ぞい古川橋そば。

1号線を麻布十番から五反田に向かい、古川橋交差点(明治通りとの交差点)少し手前左側。看板がでています。

ラーメン600円、タンメン750円、ワンタン麺750円 チャーハン1100円、餃子600円 天津丼900円、天津麺950円、一品料理2000円など


Diary Archives by MASAHARU YOSHIOKA
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