NO.086
2002/12/09 (Mon)
The Day The Music Died
命日。

その電話を受けた時、僕はまだベッドの中だったように記憶しています。当時よく書いていた雑誌の編集者からでした。

「吉岡さん、知ってます? ジョン・レノンが殺されたんですって」

一変に目が覚めましたね。つまり、12月9日の昼頃だったと思います。当時は今のようにインターネットなどないですから、まず、ラジオやテレビをつけ、夕刊がやってくるのを待つしかありませんでした。

オーティス・レディングが死んだ日〔67年12月10日〕は、リアルタイムでは知りませんでした。先輩の方々は、当時はFENのニュースで知ったそうです。

当然サム・クックの命日〔64年12月11日〕もリアルタイムでは知りません。

今でこそ、オーティス、サムの命日などについては、ソウルファンを中心に多くが語られるようになりましたが、ほんの20年前まではそんなことはありませんでした。

ミュージシャンの死が、一般のニュースネタとして大きなヴァリューがでてきたのは、77年8月16日のエルヴィス、そして、1980年12月8日のジョン・レノン以降でしょう。

ずいぶん昔〔80年代半ば〕ニューヨークに行ったとき、図書館に出向いて、サム、オーティスが死んだときの新聞記事をマイクロフィルムで読もうと試みたことがあります。検索の仕方とかよくわからなかったんですが、まあ、なんとか探し出したんですね。でも、記事自体はほんとに小さな扱いだった。ニューヨークタイムスを見たのかな。

きっと地元の新聞、あるいは、もうすこしタブロイド紙的新聞を探せば違う結果がでたかもしれません。それにしても、ほんの数行だったので、苦労して探し当てたのに失望したことを思い出します。

それがジョンの時は、朝日の一面、NHKの7時のニュースですからねえ。もちろん、ジョン、ビートルズの人気の大きさとサム、オーティスの人気の違いはあるにせよ、驚いたものです。

ジョンが死んだ日を「音楽が死んだ日」とする人もいるようです。ジョンの死以前に、「音楽が死んだ日」を歌にした人もいました。ドン・マクリーンです。3人のロックスターが同じ飛行機事故で死んだ日のことを歌った歌です。

80年はジョンの死があり、ポールの来日公演中止がありました。それまでビートルズの人気が若干エアポケットだった状況に、そのふたつのニュースがビートルズというロケットに点火することになったのです。そのロケットは、勢いをつけて発射し、今も宇宙を飛びつづけています。
Diary Archives by MASAHARU YOSHIOKA
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