NO.670
2004/06/08 (Tue)
Soul To Soul Fighting: French Open Final
このところテレビを見る時間がなくて、今回のフレンチオープン・テニスもそれほど見てなかったんですが、コリアの試合は一度見ていました。えらく強いな、とは思ってたんですが。決勝はアルゼンチン同士の戦い。第3シード、コリアとなんとノーシードからの勝ちあがりガウディオ。どちらが勝ってもアルゼンチンに優勝が行きますが、これは77年のギレルモ・ヴィラス以来27年ぶりのことだそうです。

当然、僕はコリアが勝つと思った。セットカウント・コリア2−0で、第3セット・4−4のあたりで「やはり」と思って、このまま行くのかな、と。そしたら、ちょうどこの時、コリアの足が痙攣(けいれん)したらしいんですね。コリアの動きが極端に悪くなった。結局、第3、第4とガウディオが取り、勝負は第5セットにもつれこむ。第4セットの途中で、コリアはトレーナーを呼んでいる。流れはガウディオへ。

第5セットはまさに死闘ですね。奇跡的にコリアが徐々にまた盛り返してくる。これには驚いた。第3、第4で完全に流れがガウディオに行っていて、動きも全然違う。このまま押し切っていきそうな気配だったのに。

第5セット。一進一退の5−5からコリアがガウディオのサーヴィスをブレイク。コリアの6−5でサーヴィスゲームへ。あと4ポイントで念願のフレンチオープン優勝。一体、日曜日、ローラン・ギャロスで何が起こったのか。二人の選手の脳裏に去来したものは---。『勝利の女神の優柔不断』第二弾。


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『勝利の女神の優柔不断・Vol.2』
〜魂の戦いのゆくえ〜


あこがれ。

フレンチオープン、男子決勝戦。のぞんだのは第3シードのコリアとノーシードで勝ち上がってきたガウディオ。二人ともアルゼンチン出身のテニスプレイヤーだ。どちらが勝っても、アルゼンチン出身としては77年のギレルモ・ヴィラス以来、27年ぶりということになる。アルゼンチンは大騒ぎになっていることだろう。ヴィラスが77年フレンチオープンに、79年オーストラリアオープンに優勝したとき、コリアはまだこの世に生を受けていない。ガウディオでさえ、まだ0歳だ。しかし、二人とも幼少の頃からアルゼンチンのスター・テニス・プレイヤー、ヴィラスにあこがれてテニスを始めた。

一人は、どんどんと強くなり、世界ランクもベスト10にはいる。だが、2001年、彼はドーピング疑惑で6ヶ月間の出場停止となる。この期間は、彼にとってまさにソウル・サーチンの日々だった。トレーナーに勧められるがままに飲んでいたヴィタミン剤に禁止された薬品がはいっていた。検出されたものはしかたがない。そのどん底の日々に、彼は「必ずグランドスラムを取り、自分は無実だということを世界に宣言する」と誓ったのだ。

もう一人は少しずつランクは上がっていくもののなかなかベスト10にははいれず、グランドスラム大会もこれまで4回戦まで行ったのが最高だった男。トーナメント・プロに若干の自信を失い、ここ1年はスポーツ心理カウンセラーとともにスランプ脱出を試みていた。前者は、若き22歳、その名前をヒーローからもらったギレルモ・コリア、後者はギャストン・ガウディオ25歳。


下馬評。

試合前の下馬評は、圧倒的にコリアだった。コリア(1982年1月13日アルゼンチン・ラフィーノ生まれ)は前年(2003年)ローランギャロス(フレンチオープン)で、準決勝に進出している今大会第3シード。今年は一歩進み決勝までやってきた。2週間前フレンチオープンが始まるまで今年は28勝6敗の成績を残し、世界ランクも生涯最高の3位という絶好調ぶりを見せていた。しかも過去1年、クレイコートではたった2度しか負けていないという。

一方、ガウディオ(1978年12月9日アルゼンチン・ブエノスアイレス生まれ)は、世界ランキング44位。グランドスラムでも最高が4回戦に進んだことが一度あるだけ。今年の成績も15勝13敗で、特筆されるものはなかった。もちろん、決勝まで進んできたということは、ラッキーだけではない。しっかりと実力を持ち、自ら最高のパフォーマンスをしてきたからこそ、この舞台に上ることができたのだが・・・。

試合は、大方の予想通り、圧倒的にコリア有利に進んだ。最初の2セットをコリアがわずか61分でとり、2−0となった。ある意味、力の差は歴然だった。このままコリアが押し切りあと30分で試合も終るかと思われた。第3セット、ガウディオ4−3で、ガウディオがサーヴィスゲームを失い4−4となり、大きく流れがコリア優勝に傾いた。勝利の女神がコリアの肩をそっと叩いていた。だが、ここで異変が起きた。


ターニングポイント。

コリアが振り返る。「僕は(第3セットで)、以前(僕に)ヴィタミン剤を飲ませた連中のことを思い出していた。で、すこしナーヴァスになってしまった。僕は自分の心の奥底にあるものをすべて忘れ去るためにも、この試合にどうしても勝ちたかった。僕は連中に復讐したかったんだ」 彼は、セットカウント2−0、第3セット4−4の自らのサーヴィスゲームで40−0となったときに、はっきりと優勝を意識した、という。

しかしそこで、コリアの足に痙攣(けいれん)が起こったのだ。急速にコリアの動きが悪くなる。必死にボールを追いかけるが、最初の2セットの動きとはまったく違った展開になってしまった。

ガウディオはまた別の意味でターニングポイントを感じていた。「ターニングポイントは、第3セット、4−3から僕がサーヴィスゲームを失ったときに、ウェイヴが起こったことだ。僕も(それまで)プレッシャーがあった。それまでボールをうまく捉えることができないでいた。そこまではテニスをまったく楽しめないでいた。だが、あれを見て、試合を楽しめるようになったんだ」 ガウディオはそのウェイヴを自分への応援と感じた。

コリアは、過去3年間の様々なことが脳裏をかすめ、それがプレッシャーとなり、体に異変を起こしていた。ガウディオは、それまでのプレッシャーが観客のウェイヴひとつでふっきれ、体の動きがみちがえるようになったのだ。

53分かかったこのセットは結局、ガウディオが6−4で取った。勝利の女神が少し迷いを見せ始めていた。

続く第4セット1−1のところで、コリアはトレーナーを呼びマッサージを受ける。このとき、薬をもらう。トレーナーは「15分程度で薬が効いてくるだろう」と言った。コリアは第4セットをあまりボールをおいかけず、体力を温存し、復活を待った。容赦なくたたみかけ、勢いづいたガウディオは第4セットもあっさり6−1で取り、セットカウント2−2に追いついた。

この時点で、圧倒的にガウディオ有利に試合は傾いた。コリアの動きは精彩を欠き、ガウディオのミスは少なくなっていた。今度はこのままガウディオが押し切るかにみえた。勝利の女神は、ガウディオのコートに佇んでいた。

しかし、ここでまた奇跡が起こる。コリアの動きが徐々に復活してきたのだ。タイブレイクなしのファイナルセットは、コリアの奇跡の復活とともに一進一退となった。お互いがサーヴィスをブレイクし、それぞれがどうしてもあと一歩とどめを刺すことができず、10ゲームまでで5−5のがっぷりよつの戦いになった。


死闘。

きわどいボールが赤土に映える白いライン上の粉を巻き上げる。第11ゲーム、ガウディオのサーヴィスゲームを再びコリアがブレイクし、コリアの6−5。コリアのサーヴィン・フォー・ザ・チャンピョンシップ。次にコリアがサーヴィスをキープすれば優勝だ。一ポイントごとに観客が固唾をのんで見守る。コリアは、足にトラブルがあることなど忘れて無我夢中でボールにくらいつく。超人的なパフォーマンスで、得意のダウンザラインを決め、コリアはついにチャンピョンシップ・ポイントを握る。あと一ポイントで優勝。トロフィーに片手がかかった。

チャンピョンシップ・ポイント一度目。ガウディオはこの瞬間、負けを覚悟したという。しかし、ガウディオにかわされデュース。もう一度コリアがポイントを取り、2度目のチャンピョンシップ・ポイント。しかし、再び、ガウディオが執念でポイントを取る。今度はガウディオがデュースから2ポイント連取し、ガウディオはこのゲームをブレイクして取り返し、6−6と試合を振り出しに戻したのだ。

解説の松岡修造が静かに言った。「もう、心技体といったものを超越してますね。そんなものは関係ない。魂と魂の戦いです」 その通りだった。出せる力をお互いが最大限出し切ったところで、ぶつかりあうソウルとソウルの戦い。まさに死闘だ。これは見ごたえがある。そして、今、勝利の女神はどちらに転ぶかまだ迷っているのだ。いつしか、観客もその瞬間に負けそうな方を、応援するようになっていた。

ファイナルはタイブレイクがないため、どちらかが必ず相手ゲームをブレイクしなければならない。第13ゲーム、ガウディオが40−15からポイントを決め、キープ、7−6。しかし、今度はコリアのサーヴィスゲーム。15−30から一ポイント取られ、15−40。しばらく前に自分が握ったチャンピョンシップ・ポイントをこんどは逆に相手に握られた。そして、最後、コリアが力尽きた。ガウディオが見事この3時間31分の死闘を制した。勝利の女神は、最後にガウディオに微笑んだ。


無欲。

ローランギャロスの歴史の中で、マッチポイントを握られてから逆転優勝したのは、1934年以来70年ぶりのことだという。つまりこうした大舞台では、最初にマッチポイントを握ったほうが、ほとんど勝つということだ。

ガウディオは言う。「子供の頃、いつかここに立って試合に勝てればいいと思っていた。だが、まさかグランドスラム(の決勝戦)にきて勝てるなどとは思ってもみなかった。自分(のテニススタイル)をどれほど変えたかもうわからないほどだ。何を一番変えたかさえも覚えてない。だが今、僕がわかっていることは、グランドスラムに勝ったということだけだ。たしかに、メンタル(精神的)な部分は多いに変えた。だからといって、グランドスラムに勝てるとは思わなかった」

一方のコリアは言う。「このフレンチオープンに優勝することをずっと夢見ていた。第3セットでものすごくナーヴァスになった。なぜなら、(あとワンセットとれば優勝ということを)今まで経験したことがなかったからだ。ここでの優勝は僕の人生の最大の夢だったんだ。だから、僕は最後まで戦った」

ガウディオはこの戦いをしてこう言った。「まるで、映画のようだったね」 ガウディオの勝利は、無欲の勝利だった。


超越。

表彰式。優勝トロフィー授与は、あのマッケンロー、そして、27年前アルゼンチンに優勝トロフィーを持ち帰ったヴィラスという粋な演出となった。コリアはずっと下を見たままじっと唇をかみしめている。言葉もでない。まず準優勝の盾がギレルモ・ヴィラスからギレルモ・コリアに渡された。ギレルモからギレルモへ。負けた者に渡される準優勝の盾。コリアはスピーチをするが、その言葉にはもはや魂ははいっていなかった。すべてを出し切り、体の中のソウルはローランギャロスの空の彼方に行っていたのだろう。一方、ガウディオはトロフィーを持ちながら「ヴィラスがいたから、僕はテニスを始めた」とスピーチをする中で、両親への感謝を口にしたときに、思わずこみあげ、タオルで目をぬぐった。そのとき、アルゼンチンの国民的ヒーロー、テニスの大先輩であるそのギレルモ・ヴィラスがやさしく彼の肩を抱いた。

アルゼンチンの国歌が流れ、国旗が真っ青な空に上がるところに、コリアの空虚な表情が映し出された。第3セットで勝てると思った彼。第4セットを終えた時、確信はなくなっていたかもしれない。しかし、マッチポイントを握った時に、再び勝てると思ったかもしれない。一方、ガウディオは決勝まで来たことさえ夢のようだった。ガウディオは言う。「まさか勝てるとは思わなかったけど、これからはもう少し自分を信じることができると思う」 彼はこの優勝で、次週のランキングが44位から一挙にベスト10、第10位になる。もちろん、生涯最高のランキングだ。

ヴィラスにあこがれテニスに打ち込んだ二人。その二人が最高の舞台で最高のパフォーマンスを見せ、そのあこがれの人物からトロフィーと盾を授与された。その意味では二人とも勝者といってもいい。そこに生まれたのは、まさに心技体を超越したソウルとソウルの熱き戦いだった。勝利の女神は本当に優柔不断だ。コリアには来年、優勝してもらおう。そして、そのときこそ、彼のソウル・サーチンの答えがでる瞬間だ。


(2004年6月6日日曜、ローランギャロス=フレンチオープン・男子シングルス決勝戦=コリア対ガウディオ)


『勝利の女神の優柔不断』(VOL.1)
http://www.soulsearchin.com/sports/french199906.html


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Diary Archives by MASAHARU YOSHIOKA
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