2010年05月11日(火) 01時32分39秒 soulsearchinの投稿

△リナ・ホーン死去~私は私:人種の壁を乗り越えた92年の人生

テーマ:訃報関連
△リナ・ホーン死去~私は私:人種の壁を乗り越えた92年の人生

【Lena Horne Dies At 92】

訃報。

ジャズ・シンガーとしてまた、ハリウッド・スターとしても活躍したリナ・ホーンが、2010年5月9日、ニューヨークのプレスバイタリアン病院で死去した。(日本ではレナ・ホーンと表記されるときもあるが、発音はリナが近い) 92歳だった。ホーンの父親が白人とのハーフだったために、ホーンは黒人(アフリカン・アメリカン)にしては、色が薄かったため、白人からだけでなく、黒人からも差別を受けるという苦労をした。しかし、その美しさゆえハリウッドからも声がかかり、1940年代以降、映画、ミュージカルなどで大活躍した。

リナ・ホーンは、本名リナ・メリー・カルフーン・ホーン、1917年(大正6年)6月30日ニューヨーク・ブルックリン生まれ。16歳(1933年)から地元ニューヨークのクラブ、コットン・クラブでコーラスなどを歌い始める。1938年、ハリウッドから声がかかり、ミュージカル映画『ザ・デューク・イズ・トップス』(のちに『ブロンズ・ヴィーナス』と改題され再リリース)に出演。美人シンガーとして話題を集めた。1942年にはメジャー・スタジオMGMと契約。『パナマ・ヘイティー』(1942年)、『キャビン・イン・ザ・スカイ』(1943年)、『ストーミー・ウェザー』(1943年)など多数の作品に出演。しかし、当時はまだホーンが主役を演じることも、また出演しても、白人・黒人が同じシーンに写ることも許されなかったことから、彼女の出演シーンは彼女だけが歌うシーンになっていることが多かった。

リナ・ホーンは、1951年MGM映画『ショーボート』で、ミュージカルでは演じていたジュリー・ラヴァーン役を演じたがったが、映画における異人種間交流を禁じる規則のために、その役を白人のエヴァ・ガードナーに譲る。

彼女は、黒人という立場にあり、白人社会へ迎合することを良しとしないリベラルな立場で、後の公民権運動にも積極的に参加する。そうしたことから、1948年頃から始まったいわゆる「赤狩り」でも、彼女はブラック・リストに載り、アメリカ国内での活動が制限され、活動の本拠をヨーロッパに移した時期もあった。

アメリカに戻るのは1963年8月の「ワシントン大行進」に参加するため。また、リナ・ホーンは、当時のケネディー大統領にホワイトハウスで、暗殺される2日前に面会している。(暗殺は1963年11月22日)この頃から再び小さなナイト・クラブや、ときにテレビなどに出演するようになる。アルバムも多数リリースし、評価された。その後、1969年の映画『デス・オブ・ア・ガンファイター』、さらに、1978年の『ザ・ウィズ』に出演。また、1970年、テレビ番組『ハリー・アンド・リナ』、『トニー・アンド・リナ』などにレギュラー出演する一方で、『マペット・ショー』、『セサミ・ストリート』などの子供番組にも単発で出演している。

1980年3月、一度、引退を宣言するが、翌年、ブロードウェイで『リナ・ホーン:ザ・レディー・アンド・ハー・ミュージック』というワンマン・ショーをスタート。これが300回を超えるヒットとなった。これは、1982年から1984年9月まで全米、ヨーロッパにツアーを敢行。

1988年、クインシー・ジョーンズがプロデュースした『ザ・メン・イン・マイ・ライフ』がリリースされた。

彼女の二番目の結婚相手はユダヤ系アメリカ人の白人だったため、ここでも異人種間結婚として周囲から反発された。彼女はこの結婚によって、ショー・ビジネス界の「カラー・ライン(人種の壁)」を乗り越えたいと考えた、という。またリナ・ホーンの娘、ゲイルは、映画監督シドニー・ルメット(『ザ・ウィズ』を監督)と結婚しており、二人の間に生まれた、リナの孫ジェニー・ルメットは、『レイチェル・ゲッティング・マリード(邦題、レイチェルの結婚)』(2008年)の脚本を書いている。

2003年、ABCテレビが『リナ・ホーン物語』をジャネット・ジャクソン主演で企画していたが、2004年2月1日、『スーパーボール』でジャネットが胸を露出する事件が起き、ホーン自身がジャネットでのテレビ映画化を拒否。ジャネットが降りることになり、その後、アリシア・キーズでの製作話が持ち上がっている。これとは別に2007年1月から3月まで、カリフォルニア州パサディナ・プレイハウスで彼女の人生を描いたミュージカル『ストーミー・ウェザー』が公開された。

リナ・ホーンは80歳(12年前)のインタヴューで自身の人生を振り返り、こう語っている。「今や、私のアイデンティティーは、とてもはっきりしている。私は、黒人の女性であり、私は自由。私は、もはや『何々の』といった形容詞も必要ない。私は誰かにとっての象徴でもなければ、何々をした最初の人物と言われる必要もない。ハリウッドがそうなってほしいと思ったような白人の女性像を真似る必要もない。私は私。私は、他の誰とも違う」(“My identity is very clear to me now. I am a black woman. I’m free. I no longer have to be a ‘credit.’ I don’t have to be a symbol to anybody; I don’t have to be a first to anybody. I don’t have to be an imitation of a white woman that Hollywood sort of hoped I’d become. I’m me, and I’m like nobody else.”)(この発言はニューヨークタイムス紙、2010年5月9日付け)

http://www.nytimes.com/2010/05/10/arts/music/10horne.html?pagewanted=2&ref=obituaries

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OBITUARY>Horne, Lena(June 30, 1917 – May 9, 2010-92 years old

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