NO.754
2004/08/26 (Thu)
Is This A Dream Team? : Jonathan Grier & The Voices Of Judah
ハレルヤ。

それにしても圧巻だった。昼過ぎ突然ソウルメイトNから今日ゴスペルのライヴあるけど行きませんかとの誘い。しかし場所がなんと亀有だという。でもゴスペルなら行くしかない。純粋に音楽を聴きに行く。途中の首都高・三郷(みさと)線は大渋滞。それでもなんとか10分遅れで到着。

出し物はこれ。この中の8月25日のジョナサン・グリア&ザ・ヴォイセス・オブ・ジューダ。

http://homepage1.nifty.com/kgospel/

ロスアンジェルスからやってきたゴスペルクワイヤー。歌う人は12人、キーボードひとり、ディレクター(歌も歌う=ジョナサン・グリア)の計14人。いかにも、歌えそうなブラザー&シスターたちがステージにずらっと12人並んでいる。そして一曲ごとにソロイストが変わる。これが一々、うまいときた。まあ、当たり前なんだろうが、こう次々と迫力の歌唱を聴かされるともう、それだけでノックダウンである。ハレル〜ヤ。

ゴスペルとブルーズというふたつの土台の上にソウル・ミュージックがレイ・チャールズなどによって作られた。そのソウル・ミュージックは、リズム&ブルース、ブラック・コンテンポラリー、そして、R&Bなどと呼ばれるようになり、今日まで脈々と続く。こうしたもっとも土台の部分に触れると、ふだん聴いているR&Bなどがいかに表層的な上澄みの部分だけかということを感じる。これはいい悪いの問題ではなく。

そうした一般的に売れているR&Bスターを、例えば、メジャーリーグのトップ選手とすると、こうしたゴスペルのシンガーたちは、1A,2A、3Aの選手たちだろう。だが、そんな選手でさえ、これだけの力がある。それぞれソロをとるシンガーたちは、今すぐにでもCDデビューできる実力の持ち主ばかりだ。こうしたクワイヤーがアメリカ中にあって、それこそ3歳とか5歳の頃から毎日のようにみんなが歌っているのだろう。こういう「歌う」システムがあれば、力のある歌手は自然にいくらでもでてくる。根本的に、アメリカのこうした歌手を生み出すシステムの力の前には、日本人などどう転んでも、かなわない。

ある者はテディー・ペンダグラス風、ある者はジェニファー・ホリデイ風、アレサ・フランクリンを彷彿とさせる者もいれば、グラディス・ナイトのような声のシンガーもいる。しかも歌われるゴスペルソングは、コンテンポラリーなわかり易いソウルになっている。いやあ、こういうコンテンポラリーなゴスペルはいいなあ。こういうのだったら、いつでも見に来たい。ハレル〜〜ヤ!

聞けばこのヴォイセス・オブ・ジューダには50人近くのシンガーが所属するという。ここに来た14人はその中でも精鋭ということか。まさに、ドリームティームではないかと思った。だが、きっと全員うまいのだろう。底力である。

楽器はキーボード一人だけなのだが、キーボードの生演奏のほか彼が打ち込んだ音をコンピューターから出す。しかし、そんなことはまったく関係ない。12人の声だけで、会場を圧倒する。いい歌い手は声だけで感動できる。ハレル〜〜〜ヤ!!

最後に、この亀有地区のいくつかの教会クワイヤーのメンバーたちがステージに続々と上がった。その数200人近く。うそではない。野鳥の会の如くさっと数えたのだ。会場のキャパは600。観客側にいた3分の1はステージに上がってしまった。そして、彼らを総称して名前もあった。その名は---。「亀・かめ・カモーン・マスクワイヤー」である。うそではない。フライヤーにちゃんと書いてある。

入いる時にいろいろなフライヤーをもらった。その中にずいぶんアメリカからもゴスペル隊がきていることを知った。そして、帰り際には、「はい、聖書です。どうぞお読みください」と、小さな聖書をもらった。(ここだけの話だが、僕はそれよりも、歌い手たちのプロフィールとCDのほうが欲しかった。(笑))  あ、そうそう、これで2000円である。自費来日だそうだ。チケットプライスにもハレル〜〜〜〜ヤ!!!

(2004年8月25日水曜、かめありリリオホール=ジョナサン・グリア&ヴォイセス・オブ・ジューダ・ライヴ)

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Diary Archives by MASAHARU YOSHIOKA
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