NO713
2004/07/18 (Sun)
Movie "Moumochennga" : An Old Lady Talks About The Facts Of Life
(映画『モゥモ・チェンガ』の紹介です。若干ネタばれになりますので、これからご覧になられる方はあなたのリスクにおいてお読みください)

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悠然。

チベットという国は、1959年以来、中国が不当に支配している。国連も動いてるようだが、遅々として自由になっていない。チベットに住んでいた人たちの何人かは、隣のネパールに逃げ、難民キャンプでの生活を余儀なくされている。そんな難民の一人である老婆に焦点を当て、その人の日常を淡々に描いた映像作品が『モゥモ・チェンガ』(岩佐寿弥・監督、自由工房・製作、104分、2002年作品)だ。

BBSでフレーテさんが紹介してくれ、昨日見に行った。映画上映の後、岩佐監督のお話もあり、なかなか興味深かった。「モゥモ」はおばあさん、「チェンガ」は満月を意味する。満月という名のおばあさん、ということになる。

岩佐監督によれば、5年ほどまえに奥様とインド、ネパールのほうにトレッキングに行ったときにチベットの人と知り合い、徐々にその国と人々に惹かれていき、この作品を作る決意をした、という。チベット、ネパールというテーマだとなかなか大きなメディアが取り上げてくれないので、このままだと公開されずに終るのではないかとも危惧されている。

内容は、その「モゥモ・チェンガ」が自分の人生、家族、宗教観などをただひたすら語る。ここでは吉行和子さんがモゥモ・チェンガの一人称でナレーションをこなす。40年前に起こった出来事をどのように知ったか、いかにしてチベットからネパールに逃げてきたか、信仰がどれほど大事か、身近な人々の死に接してどう対応するかなど、人生のあらゆる事象(Fact(s) of Life)をひじょうにゆっくりした時の流れの中で、ただ淡々と語る。一言で言えば、この作品は、何人もの候補からこのモゥモ・チェンガを岩佐監督が探し当てた瞬間、勝利の半分を獲得した。このモゥモ・チェンガはしっかり地に足をつけ悠然に人生を生きている。その生き方は多くの現代人にインスピレーションを与える。

僕は、この老婆のすべては信仰が基盤になっていると感じた。そしてその信仰の頂上にダライラマがいる。必ず時計と同じ回りで何度も寺の周囲を歩いて回る朝夕のお寺参り。五体投地(ごたい・とうち)という神をうやまう儀式、一日中唱えるお経のようなもの。

いくつか印象に残るシーンがある。正月の食事のシーン。これなど、この「ソウル・サーチン」的な切り口で言えば、映画『ソウル・フード』の主人公ビッグママが、まさにモゥモ・チェンガだ。

選挙のシーン。モゥモ・チェンガは字が読めない。だが、候補者のことを友人たちに聞き、考え、自分で判断し、ちゃんと「投票」する。ところが投票と言っても字が読めない、書けない。どうするか。投票用紙には候補者の名前、宗教的な印が書かれていて、その印を見ると、誰かわかるようになっているという。(若干、この表記は正確でないかもしれませんが、要は字が読めなくてもわかるようなシステムが出来ているということです) そして、拇印(ぼいん)を押す。一度拇印投票した指にはマジックか何かで投票済の印が書かれる。その投票用紙を投票箱にいれるとき、モゥモ・チェンガは両手を神妙に合わせてお祈りする。選挙がこれほど神妙に見えたことはなかった。先ごろの日本の選挙と比べ、ずいぶんと対照的だな、と感じた。

モゥモ・チェンガの話は基本的にはすべて過去の話、昔話だ。そこから得られる人生の教訓は現代に通じる価値のあるものだ。しかし、たったひとつだけ、未来に思いを寄せる瞬間があった。

モゥモ・チェンガは親戚に誘われ、ダライラマに会いに行くことを決意する。ネパールからインドへ入り、その目的地・インド北部ダラムサラまでの旅は列車、バスなどで4日間かかる。長い長い旅だ。こんな長い旅をしたのは、おそらく彼女がチベットからネパールへやってきた時以来だろう。何百人という人々がダライラマに会うために長い行列を作って待っている。少しずつ進み、ついにモゥモ・チェンガの順番がやってきた。

小さなモゥモ・チェンガにダライラマが優しく声をかける。「チベットには帰ったのか」「一度も帰ってません」 一言二言あってモゥモ・チェンガは言った。「いつチベットは自由になるのでしょうか。私は心が痛んでいるんです」 モゥモ・チェンガの目にはその時、涙が光っていた。

トークショウで、岩佐監督は「こういう作品を作ってきた者として、実は作っている時から、そのことだけはどこかで言って欲しいと思っていたんです。でも彼女は普通に話をしている時は、絶対にそのことを言わない。ずっと思っていたけれど、僕は(彼女にそれを言ってくれとは)結局言わなかった。だから、彼女があの場で言ってくれたときには、本当によかったと思いました」と振り返った。

例えば全編をモノクロの映像にして、あの言葉がでる瞬間だけをカラーにするなんてこともできるくらい、力のある言葉だった。

40分近くのお話の後、質疑応答があったので、「監督がこの作品でもっとも伝えたかったことはなんですか。そして、伝えたかったけれども、伝えられなかったことはなんですか」と尋ねた。「伝えたかったことは、今お話したことすべてなのでそれを繰り返すのはちょっと・・・。ただ伝えられなかったというか、ひっかかっていることは、ナレーションのことです。一人称で、彼女の言葉を、外国人が自分の言葉として話すのはどうなものか。ただ、どうやればいいのか、何がいいのか、まだその点はわかりません」と答えられた。

これは技術的なことになるが、僕は日本語の一人称ナレーションは基本的にはいいと思う。ただ、もうひとり、プログラム全体の進行を担当する男性ナレーションがいてもいいかと思う。あるいは、話の聴き手が表にでてくるという方法もある。監督が質問してもいいし、インタヴュワーを立ててもいい。そのほうがよりフォーカスできる。

岩佐監督はこうも付け加えた。「他の現地のスタッフや出演者は、撮影が進むにつれ、カメラとの距離感も縮まってきたり、慣れてきたりした。だが、モゥモ・チェンガ、彼女だけは最初から最後までカメラとの距離も何もかもすべて同じだった。最初に会った時と同じありのままの姿で。僕は元々なんでも疑り深いタイプなんで、何か正しいことを言われても、『どうなんだ?』なんて思うのですが(笑)、彼女に正しいことを言われると、『本当にそうなんじゃないかなあ』と思わせられてしまうんですよ」

そして、監督はモゥモ・チェンガについてこう一言でまとめた。「彼女は、別に(その地域の)リーダーでも、リーダーとなろうとしている人物でもなんでもないんですよ。でも、誰もが、みんなが彼女のことを尊敬している」

ネパールに仮住まいしているチベットのビッグ・ママ、モゥモ・チェンガ。体は小さい彼女の悠然たる平然とした佇まいは、世界の山脈ヒマラヤと同じくらい大きくて堂々としたものだ。彼女がヒマラヤを越えて再びチベットの街に戻れる日が来るのはいつのことだろうか。彼女がチベットに戻る日こそ、物語が完結する日だ。モゥモ・チェンガの物語にはすばらしい「エンドマーク」がつくか、それとも未完のまま終るか。それはダライラマにもわからない。本日記では、モゥモ・チェンガにこの曲を捧げる。

ダニー・ハザウェイの「サムディ・ウィル・オール・ビー・フリー」(いつの日にか、私たちはみな自由に)。

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映画紹介 「モゥモ チェンガ」自由工房作品 ・キネマ旬報2004年4月下旬号より
http://www.tibethouse.jp/event/2004/kinema_article.html

「モゥモ チェンガ」 製作の動機。(岩佐監督の文章)
http://www.jiyu-kobo.com/moumochennga.html

(映画『モゥモ・チェンガ』、自由工房、2002年。一般公開予定はなし。映写会などについては自由工房へ)

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