NO.551
2004/02/20 (Fri)
Three Guitarists Over A Mirage: Al Di Meola Live At Blue Note
蜃気楼。

見ようか見まいかちょっと迷っていたが、意を決して夕方、行くことにした今日のライヴはアル・ディメオラ。70年代のアルバムは何枚か持っているがライヴは初めて。開演しばらく前、友人ソウルメイトYとちょうど席につこうとしていると、ソウルメイトL夫妻から声をかけられた。せっかくなので、4人で観ることに。

70年代から数々のアルバムで超絶テクニック、スーパーテクニックを披露しているディメオラは、元祖癒し系か。ある種ギタリストとしての究極の夢はこのようなライヴをすることではないか、と思った。それにしても、イメージと映像の広がる演奏だ。例えば、新日本紀行とか、ディスカヴァリー・チャンネルの旅番組あたりの音楽にぴったりのような音楽とでも言えばいいか。なかなかにきもちいい。

その超絶テクニックは存分にあらゆる曲で見せつけられるのだが、ふと思うのは、一体どこに生まれ、どこに育つとこのような音楽ができるのだろうか、ということだった。壮大な海辺か、アンデスの山々か、どこかの砂丘か、アマゾンの密林か。あまり、アメリカっぽくないところがユニークだ。

ディメオラは、同じ一本のギターをスイッチひとつで様々な音色を出す変幻自在の楽器にしてしまう。アコースティックな音、エレキ・ギターの音、そして、ベースのような音、オルガンのような音。まるで、そこには3人のディメオラがいるかのようだ。時に幻想的な音空間を生み出し、ブルーノートのテーブル中央に置かれたろうそくのゆらぎと同調するかのようだ。フュージョンとも一線を画すようなこの響きは実に独特のサウンドだ。

彼は映像や絵を想像しながらプレイするのか、それとも、プレイしている時に映像が脳裏に浮かんでくるのか。それとも、まったく無心でプレイしているのか。このレヴェルの域に達したミュージシャンだと、その彼が作る音楽には、ミュージシャンの持つ世界観のようなものが如実に反映すると思う。つまり、音楽や音楽技術以外の部分が非常に大きな要素を占めるような気がしてならない。どのような世界観を持っているのか、どれほど多くの旅をしてきたか、いかなる経験を積んできたか、人間としてのスケールの大きさがどれほどのものか。そうしたものが最終的に凝縮され音に響いてくるのだ。

最後の曲が終わり、彼はメンバーを紹介した後、こう言った。「僕の本名はワタナベカズミ!」。笑いを取ることも忘れない。

音が流れていた70分余の間、僕には、時に大海原でいるかが跳ねるのが見えたり、大きく真っ赤な夕日が落ちていくアフリカの草原に何頭もの象が群れをなして歩いていくのが見えた気がした。なによりもその音色の豊富さで、砂丘の蜃気楼の向こうにアル・ディメオラという名のギタリストが3人くらい立っているような錯覚に陥った。良い旅だった。

(2004年2月19日・木曜、ブルーノート東京=アル・ディメオラ・ライヴ)

ENT>MUSIC>LIVE>Di Meola, Al

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21日土曜日まで、東京ブルーノート。その後名古屋ブルーノート。福岡ブルーノート。


エレガント・ジプシー
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Diary Archives by MASAHARU YOSHIOKA
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