NO.391
2003/09/21 (Sun)
How To Give Him/Her A Standing Ovation?
拍手喝采。

ついでだから、もう少し著作権について書いてみましょう。著作権は英語でcopyrightといいます。そのコピー(もの)の権利、あるいは複製する権利といったところが語源でしょうか。そして、ここ十年くらいでしょうか、アメリカでコピーレフトという考え方がでています。言ってみれば、ライト(右)の反対でレフト(左)としゃれているのですが。しいて訳せば非著作権です。

この言葉を知ったのは、昨日書いたダイソン氏の著作の中ででした。97年の本なので6年前です。著作権という言葉は、それを守るというスタンスの言葉です。著作権を守る、あるいは、著作権を侵害された、とかいった雰囲気です。ところが、コピーレフトの概念は、最初からその著作権を放棄する考え方、著作権フリーと同じニュアンスです。

その言葉を知る前に、 『オルタ・カルチャー(インターネット時代全傍流)』 (スティーヴン・デイリー、ナサニエル・ワイス著=リブロポート刊=日本版97年発売。現在廃刊)の中で、「デッドヘッズ」というものが紹介されていました。それは、ロックグループ、グレイトフル・デッドの熱心なファンのことです。デッドのライヴでは、ファンの人たちがそのライヴを自由に録音していいのです。そして、それを売ってもよくて、そのために著作権料、原盤使用料を払わなくてもいいというのです。これこそ、究極のコピーレフトの発想です。深町純氏も自分のライヴをいくらでもテープにとってもらっていいと言っています。コピーレフトです。深町さんの即興演奏を撮る、録る人たちを「ジュンヘッズ」とでも名づけましょうか。(笑) これ、いいな。

グレイトフル・デッドは、レコードもそこそこ売れますが、ライヴの動員がものすごいバンドでした。バンド・リーダー、ジェリー・ガルシアは基本的にはファンが録音したものがいくら売れようが、ファンがライヴに来てくれればそれでいい、という考え方のようでした。太っ腹というか、なかなか並みのミュージシャンには真似のできないことでしょう。ファンはライヴに来てこそ、デッドへッズの一員になるのです。そして、デッドへッズは、ライセンス契約されたTシャツやグッズを買い、グレイトフルデッドの元にはその使用料がはいります。Tシャツ、グッズまで海賊版がでていたかどうかは、はっきりわかりませんが。(笑) ここは、しっかりコピーライトなんですね。まあ、出ててもおかしくないですが。

元々、音楽というのは一度限りの生演奏、しかも、時には即興演奏だったわけです。徐々に楽譜に書き記して同じ曲を演奏することができるようになった。その楽譜を複製して売るあたりから著作権の概念がでてきます。同時に、エジソンが蓄音機を発明し、レコード盤というものが生まれる。すると同じ演奏が複製されるようになり、そこにも著作権、さらには原盤権の概念が生まれます。

それからわずか100年で、同じものの複製がいとも簡単にできるようになり、著作権の概念の土台が揺らぎ始めているわけです。長いスタンスで音楽と著作権というものを見た場合、元々なかったコピーライトなどというものは、一時的な「バブル」のようなものと言えるのかもしれません。このような考え方は、かなり現状では異端であるかもしれませんが、そういう考え方もできる、ということです。

とはいうものの、この経済社会において、ミュージシャンや作家やあるいはゲームクリエイターたちが精魂こめて作ったものをただで享受しようというのは、今度はそれを受け取る側の倫理として、よろしくありません。今度は、倫理、マナー、礼儀といった類の問題になってくるのです。

そこで、前にも一度引用(2003年2月1日付け日記)しましたが、 『翼にのったソウルメイト』 (リチャード・バック著・1984年・日本版93年5月マガジンハウス刊)の一文にいきつくわけです。それは---

「芸術、本、映画、ダンスにおける栄光の瞬間は、その鏡の中に自分自身を見るから甘美なのだ。本やチケットを買うことですばらしい仕事に対してお礼の拍手をすることができる」(飯田 昌夫 ・翻訳)

何かいいものを作る人がいて、それを見たり聴いたりして感動したら、お礼の拍手喝采をしたほうがよいでしょう。そして、それは法律で強制されるものではなく、自主的にそうなるほうが美しいのです。そして、その拍手喝采の方法は千差万別です。



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タイトル・拍手喝采の送り方
Diary Archives by MASAHARU YOSHIOKA
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