NO.368
2003/08/29 (Fri)
Jim Puter To Casey Kasem: That's A Required Subject
必修科目。

もう一回だけDJネタ行きましょうか。ケイさんもBBSで書かれていたジム・ピュ−ター・ショウ。これは、オールディーズの番組でしたよね。30分番組だったか。ひたすら、ソウル、ロックを問わずオールディーズがかかっていました。まさにウルフマンの時代です。1955年から60年代までのヒット曲。これもよかったなあ。僕はこの番組で、オールディーズをけっこう覚えましたよ。この番組の雰囲気はまさに『アメリカン・グラフィティー』でした。

それと、もうひとり、これはロックのDJなんですが、今名前が思い出せない。夜中の4時〜5時だったか。彼はロックグループ、「シカゴ」のことを「チカゴ」としゃれて発音していました。でも、何度かそう発音していたので、ひょっとしたら、彼独特のなまりだったのかもしれない。

シカゴとかBSTとかよくかかっていました。彼のショウのテーマがA.Bスカイというグループの「キャメルバック」という曲で、それがめちゃくちゃかっこよかったので、輸入盤を探しまくりましたね。トランペットがアップテンポでイントロを奏でる曲です。らくだの背中っていう意味ですね。
http://www.allmusic.com/cg/amg.dllp=amg&uid=CASS80305190557&sql=Amroibkd96ak0

それとFENだとローカル(東京)制作の番組も若干ありました。夕方4時から6時くらいまでの番組は、アメリカ本国から送られてくる録音番組ではなく、こちらで生放送されていました。DJの名前が思い出せませんが、やはりヒット曲がどんどんかかるので、よく聴いていました。その中のコーナーで日本人女性の窪田ひろこさんの「リトル・ランゲージ・ゴーズ・ア・ロング・ウェイ」という3分くらいのコーナーはおもしろかった。

要はアメリカ人に簡単な日本語を教えるというコーナー。グッドモーニングだったら、「おはようございます」というのを教える。これがちょっとした言い回しをいろいろ紹介していて、逆に英語の勉強になりました。

そして、FENで決定的に覚えているのが、『ケイシー・ケイスンのアメリカン・トップ40』です。たしか、僕の記憶が正しければ、FENでは72年4月から放送が始まりました。このときは、土曜の昼間の1時05分から2時まで。「トップ40」と言っても、一番最後の55分間、つまり、下からカウントダウンしてきて、最後の12位か13位くらいから1位までを紹介していました。

それから、半年後の72年10月から、これがラジオ関東(当時=現在のラジオ日本)で、湯川れい子先生の解説つきで、土曜夜10時から3時間にわたって放送され始めました。そのときはまだFENで上位13曲程度だったのが、40位からカウントダウンするので、超びっくり。毎週ノート片手に聴いたものでした。

徐々にFENも、放送時間を1時間から2時間、3時間に伸ばしました。そうすると、『アメリカン・トップ40』を原語ですべて聴けるようになったわけです。これはめちゃくちゃ楽しかったですね。もちろん、その頃は英語が全部わかったわけではなかったですが。そうは言っても、ケイシー・ケイスンの英語はかなりわかりやすかった。はっきりした発音、それほど速くないしゃべりかた。そして、このオリジナル・ヴァージョンには実に豊富な情報がはいっていました。どうしても日本語版だと、たくさんのことが省略されてしまいますから。昼間FENで聞いて、夜ラジオ関東を聴く、なんてことが当たり前になりました。

いわゆるポップス、洋楽の基礎はかなりこの番組で教わりました。FENと『アメリカン・トップ40』。これは、当時の洋楽好きの必修科目だったかもしれませんね。

(明日こそ、8月28日とキング牧師の話を書きましょう)
Diary Archives by MASAHARU YOSHIOKA
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