NO.313
2003/07/08 (Tue)
Cuban Cigar & McCoy Tyner Trio
シガー。

初老の男はカウンターに座って長いシガーに火をつけようとしていた。「シガーはお好きなんですか?」と僕は声をかけた。「ああ、大好きだ。別に毎日たしなむわけじゃないんだけどね。フクオカ、オオサカ、ナゴヤのブルーノートではシガーはだめなんだよ。ここ(東京ブルーノート)だけなんで、いまやってるところさ。ニューヨークで? まあ、自分のアパートで吸うくらいだな。ニューヨークじゃ、レストランだって、クラブだって吸えないんだ。ベンジョ(日本語で)も、ダメ! がはははは!」

「じゃあ、東京のブルーノートはあなたにとって、天国みたいなものですね」 「まあ、そうだな、ハハハ」 「やはり、シガーはキューバ産がいいですか」 「確かにこれはキューバ産だ。キューバ以外だと、ドミニカ産がいいかな。アパートにはいくつか種類を揃えてるよ」 

男はちょうど演奏を終えたマッコイ・タイナー。後ろで髪を小さく結った64歳。笑うと額の皺(しわ)の数が一挙に増える。僕と一緒にいた友人が「僕はシガーを2年前にやめました」と言うと、タバコは吸わないタイナーは「それは賢いな」と笑った。

彼の声は、低く太く歌ってもいいように思えた。「あなたは歌わないのですか?」と聞くと、「歌わんよ。客をうちに帰したくないからな。ガハハハ。オレが歌うと、みんな帰るに決まってるさ。ハハハ。ナット・キング・コールはピアノを弾いて、歌もうまかったがな」 「そうですね、でもあなたの声はとてもいいからラジオのDJにもなれそうですね。真夜中のDJ」と向けると、「そうか、真夜中のDJか、そう思うか。そういえば、前に同じことを言われたことがあったな。演奏できなくなったら、そうしてみるか。将来は、どうなるかわからないからな。ハハハ」 それにしても、彼はよく笑う。しかも、豪快に。「笑うことはいいんだぞ、健康に!」 

タイナーはやる曲をあらかじめ決めて紙に書いておくが、ひとたびステージに立つと、すぐに気分が変わって、変えてしまう、という。予定した曲の半分もやらないことがある。この日も、途中で曲を変えていたようだ。

「日本に来た回数かい? ヨンジュウ(日本語)。最初は1966年だったよ。そうだな、日本語も15−20くらいは言葉を知ってるよ」 「あなたは、毎晩こうやって演奏するのを録音はしないんですか」 「いや、しないなあ。下手に録音されたら、それがどこかに流れても困るからな。オレは、毎日演奏して食ってるんだ」 「では今、レコード契約は?」 「ないよ、オレは、今オレ自身と契約してるんだよ(sign to myself)。ハハハ」

タイナーは、MCに呼ばれてステージに軽やかに上がると、いきなり、アップテンポの曲を弾き出した。ジョン・コルトレーンの「モーメンツ・ノーティス」という曲だ。準備運動もなしに、いきなり、激しい運動をするかの如く、壮絶なパフォーマンスを繰り広げる。タイナーの演奏を言葉で表すとすれば、力強い、熱血、男っぽいという感じだ。準備運動なしで、筋肉がつったり、肉離れなど起こさないのだろうかと心配してしまうほど。スローもミディアムも、タイナー調で演奏される。

演奏を終えてカウンター横にでてきたドラムスのルイス・ナッシュにタイナーとプレイするのは何度目くらいか尋ねた。「何度か、やってるよ。たくさんではないけどね」 リハーサルはどれくらいするのだろう。「こっちに来て、ちょっとあわせるだけだ。(笑) 大体、(タイナーの)曲は知ってるからね。けっこう曲覚えはいいほうだよ。一度聞けば、雰囲気は覚える」 彼もまた、80年代後期から何度も日本に来ている、という。初来日は、ベースのロン・カーターとのライヴのときだった。

歌うベース、ジョージ・ムラーツ、踊るドラムス、ルイス・ナッシュ、そして、飛び跳ねるピアノ、マッコイ・タイナー。アンコールを含めて1時間14分。たっぷりタイナーのトリオを堪能できた。

「オレは、トリオが好きなんだ」 タイナーはカウンターにひじをつきながら、そう言ってシガーを吹かした。

【2003年7月7日月曜・セカンド・東京ブルーノート】

マッコイ・タイナー・トリオ
(2003年7月7日〜12日・東京ブルーノート)
http://www.bluenote.co.jp/art/20030707.html


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Diary Archives by MASAHARU YOSHIOKA
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