NO.144
2003/02/04 (Tue)
Jacques Fred Petrus
殺し屋。

もりしまさんがBBSに書かれていたジャック・フレッド・ペトラスの記事
http://www.jacquespetrus.com は、ものすごい分量で驚きました。
彼のことをこんなにリサーチしていた人がいたんですね。リスペクトです。すごい。

ぺトラスは、80年代初期に、数々のディスコ・ヒットを放ったイタリアを本拠とする
プロデューサーでした。中でももっともヒットしたのが、チェンジというグループと
BB&Qバンドは有名です。

一時期は、イタリア・ニューヨーク・コネクションということで、ダンス・ミュージ
ック業界でもずいぶんと話題になりました。歯切れのいいリズムと、覚えやすいメロ
ディーで、かなり日本人受けするダンス・ミュージックでした。いまだに、チェンジ
やBB&Qバンドはダンス・クラシックとしてプレイされます。

また、チェンジの最初のアルバムには、フィーチャー・シンガーとして、ルーサー・
ヴァンドロスが起用されていたのも大きな話題でした。

で、これらのプロジェクトをプロデュースしていたのが、ジャック・フレッド・ペト
ラスという人なのですが、実は86年頃、マフィアに殺されていたらしいのです。この
情報は僕も聞いていて、これまでに原稿に書いたり、ラジオでしゃべったりはしたと
思うのですが、いつ頃かはよくわかりませんでした。

このサイトの原稿によると、どうやら86年頃に、おそらくマフィアに彼の出身地グア
ドループ島〔西インド諸島=国名はセント・マーチン〕で殺されたらしいと書かれて
います。もちろん、どこに真実があるかは、今となってはわからないのですが、おお
よそのことはこういうことなのでしょう。

ぺトラスは、故郷グアドループ島からイタリアに渡り、そこで音楽ビジネスを始め
た。折よくディスコがヒットしたので、自分もスタジオ・ミュージシャンを集めて、
ディスコのレコードを作り始めた。しかし、レコードを作るためには資金が必要。そ
の資金をマフィアから調達した。いくつか作った中で、チェンジ、BB&Qバンドが
ヒット。本来ならば、その資金を当然返さなければならないのだが・・・。なんらか
のマフィアの逆鱗に触れ、ヒットマン〔殺し屋〕に消された・・・。といったあらす
じでしょう。

また、記事ではぺトラスの人となりがうまく描かれています。彼はこわもての大柄の
男で、常にすべてを支配したがる人物。つまりは、ボス。

ぺトラスは基本的には、ビジネスサイド、つまりお金面を取り仕切っていて、一方、
彼のパートナーであるマウロ・マラヴァシが音楽面を仕切っていたようですね。ギャ
ンブル&ハフで言えば、ビジネス面のギャンブル、音楽面のハフ、ジャム&ルイスで
言えば、ビジネス面のルイス、音楽面のジャムという感じです。

映画か、ドキュメンタリーは一本できますね。久々にチェンジのCDをひっぱりだし
て聞いてみました。一枚目の 『グロウ・オブ・ラヴ』 、なかなかいい感じです。ルー
サーは、ちゃんとギャラをもらったのでしょうか。

DJマーヴィンとヤンのやりとりが再開されました。
Diary Archives by MASAHARU YOSHIOKA
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